電波暗室 2005/01
- 2005/01/31(月)
ちゃんと会社行きました(当たり前)。でも年休に余裕があったら休んだかもしれないなぁ。
(弱い、弱いぞぅ)
さて、昨日の行動について。昨日は大学時代の友人の結婚式出席のために大阪のホテルモントレー
へ。もうここ数年、ラッシュ気味なので特に感慨などありませぬ。しいて言うなら、ホテルや結婚
式場のシステマティックな量産体制には毎回驚かされることばかりだということくらい。このホテ
ルも全天候型の中庭を中心に待合スペース、チャペル(もどき)がコの字型に接続されて、くるく
ると歩いていくだけで、待機、式、フラワーシャワー、集合写真が取れる仕組み。集合写真を撮っ
てる間には向こうがわにつぎの待機列が控えている次第。そんなわけなので、遅れてきた出席者の
ひとり(おなじく大学同期)が中庭をあわてて横切って、声をかけるまもなく、前のひとの式に一
目散という面白い事態も起こってしまうのであった。
さて、式の途中でおなじく友人で橋M(職業SE)に電話連絡があったことから、その事態は進行
をはじめたのである。なんでも会社のひとが、昨日メールで送った資料の内容に問題がないかを確
認してほしいということだった。韓国からの出張帰りで直行してきた橋Mはメールなど読んでおら
ず、しかたがないので、式終了後にどこかから無線LANにアクセスすることに。
京都生まれ京都育ち、東京生活の橋Mは大阪駅近辺の事情がわからないため、私が案内人として
同行した。アクセスポイントを探して、まずはスタバを探す。四ツ橋筋でいきなり見つかり、
勢いこんで聞いてみると、どうも無線LANという言葉自体が通じない様子。案の定なし。
こういうのはホテルのロビーならいけるかも、と思いそこからヒルトンプラザに転じるも、「こち
らにはございません。」ならばと、ヒルトンに乗り込んでフロントで聞いてみると、ここにはない
がすぐ近くのDocomoビルのシアトルコーヒーにならありますよという情報をくれた。姉さん、さす
がはヒルトンです。
このころから移動がちょっとしんどくなってきた。引き出物が異常に重いのだ。大きさ重さから察
するに100%陶磁器の類。でもあと少しなので頑張ってDocomoビルへ。しかしなんだ、このあた
りのビルの建ち方はちょっと変で、どのビルとして同じ方向にならんでいないので落ち着かない。
まんなかにぽっかり空いた空間にDocomo発見。さっそくなかに入る。で、聞いてみると「無線LA
Nは土日はやってないんです」。サラリーマンかよ!Eddyは普通に導入してるのになぜだ。Eddyの
ほうがメンテナンスは面倒なはずなのになぁ。
その近くのタリーズコーヒーにも当然のごとくなし。さて、無線LANでなくても、インターネッ
トが出来たらいいんじゃないの?と思うかもしれない。しかし、さすがSE、それもセキュリティ
の関係だけあって、橋Mのノートパソコンからしかアクセスできない仕組みなのだ。
その後、JR西日本とNTTがフレッツを駅に導入している話を思い出して、大阪駅に向かうこと
にしたのだが、途中ホテルグランヴィアに気づく。JR西日本の経営だ。ひょっとしたらLANポ
イントがあるかもしれない。
喫茶室で聞いてみるとあるとのこと。やったー。これで休憩できるなぁーと、二人とも紅茶を頼み
待っている間に橋Mはノートを開く。5分経過。「やばいかも」との声。どうも無線LANカード
のドライバーが入っていない様子。この前環境整備したときに消したらしい。ふむー。しかし、こ
こであきらめる私達ではなかった。というかだんだん意地になってきた。
ヨドバシで新しい無線LANカードを買えば、ドライバーがついてくるはずだ。でもまたここにも
どってこなあかんけどなぁ、と話していて気づいた。LANカードを差し込んだらウィザードが立
ちあがるなり、なんらかの反応があるはずだが、それがない。カードは2〜3日前に別のマシンで
使っているから、カードスロット自体がこわれてるんじゃなかろうか。うーんわからん、もし新し
いカードさして反応しなければ、ショック大である。
「このままでは単に高い紅茶のみに来ただけになってしまう!」橋Mのいうことはもっともである。
だって、900円を下回る値段のものはないのだから。コーラ900円ってなんだ。コーラのみた
くて飲みたくて仕方ないけど、自販機も、キオスクも売り切れで半径10km以内で手に入らない
ってくらいじゃないと飲まないと思う。
そんなとき、ふたりの頭に「アナログ」の文字が浮かぶ。そう灰色電話にケーブルをつないで、
アナログモデム(内臓)でアクセスするのだ。会社のサーバーにはNiftyのアクセスポイントを
使って接続する。うーん、いけるかもしれない。さっそくケーブルを探すため、そこから一番
近いパソコンショップであるソフマップへ。
ソフマップではケーブルを買うと同時に、インターネット体験コーナーでNiftyに接続して、アク
セス番号を控えた。これがわからなければ、接続できない。そこからJR大阪駅にとってかえし、
4つ並んだ灰色電話を見つけた。いまこそ、接続のときは来れり。
 
こんな感じ。周りの目は以外と気にならないものです。(わりと必死だったので)
なぜか持っているテレホンカードを有効活用。PCからダイアル開始。おー、アナログモデムの
あのなつかしい音がちゃんと聞こえる、聞こえるじゃないか。そしてしばらくして、ウェブ画面
登場。やったー、すごいすごいよ、ちゃんとつながったよ〜。ふたりともかなり感動気味。しか
しそんな余裕はあまりなかった。なぜなら、PCのバッテリはあと40分程度(PCのバッテリ
残量予告はかなりあてにならない)。
よし、このままウェブメールで読むぞ!と接続をかけるが、「no longer responding」のエラー。
なんどかやってみるが変わらず。ぬぬぬ。しかし、人間やるときはやる。まだ17時前だというの
を確認すると、橋Mは会社に電話し当直の後輩を呼び出した。予想通りというか、いま接続しよう
としたサーバーは死んでいることが発覚。再起動をかけてもらう。口頭でパスワードを唱える姿は
魔法使いのよーだ。(って公衆のなかでそんなことしたらほんまはダメ)
しかし、サーバーはファイルシステムフルのエラーで立ち上がったものの接続できない。そこへ
橋Mにメールを送った当人が電話に登場。メールサーバーではなく、通常のサーバーに直にファ
イルをおいてもらうことにする。その作業をなぜか20分くらい待つ。こうやって見ていると、
案外、公衆電話を使いに来る人が多いことに気づく。われわれのようにこうして、作業をするひ
とも実はいたりするのかもしれない。
さて、連絡を受けて、別サーバーに直接アクセス。アクセス....できないよぉぉ。どうやら、さっ
きまでつないでいたのを途中できったせいか、接続の履歴がサーバー側に残ってしまっているらし
い。電話してなんとかしてもらう。バッテリー残り20分。それにしても、ここまで障害まみれの
通信があるものなんだろうかと、ふたりで嘆息。
こんどはなんとかなった。やったファイルが見える。すかさずダウンロード。よし、大丈夫。
あとは橋Mと向こうのひととでのやりとり。20分後、ちょうどPCがスタンバイに移行する
直前に仕事は終了したようだ。14時40分にホテルモントレーをでてから2時間40分。
17時20分にミッションコンプリート。
今回、あらゆる障害にぶちあたったが、常にそれを回避する方策をさがすという姿勢を二人とも
くずさなかったのが良かったと思う。橋Mも私も、仕事がら「ひどい目」によくあっているせい
だろうか。今日のこのミッションもいい経験になった。
しかし、引き出物を引き回したせいで肩がコリコリ。
帰宅後、強烈な頭痛に襲われたのだった。くそう、披露宴なんて出るもんじゃない。
- 2005/01/30(日)
今日の行動。京都→大阪ホテルモントレ→スターバックス→ヒルトンプラザ→ヒルトン→Docomoビル
→シアトルコーヒー→タリーズコーヒー→グランヴィア→ソフマップ→JR大阪駅公衆電話→京都。
この怪しげな行動の以外な真実とは!あなたは推理することができるだろうか?
答えは明日(予定)。
ヒント:仕事、通信、アナログ。
すいません、頭痛がひどいので今日はここまでです。m(_ _)m
- 2005/01/29(土)
昨日、会社でもらって忘れていた一通の通知書がある。平成16年度、積立金利息通知書。
何気なく開いてみたところ驚くべき事実が!なんと、利息金の合計が200,931円なのだ。
勘のいい方はお分かりだと思う。各種所得が20万円を超えていると何がおこるか。
そう、確定申告しないといけないのデス!!
はう〜、あと931円少なければなぁ。と思ったのだが、よく考えると購入してからほったらか
しにしている投資信託の分配金が年間5万円近くあるので、931円がなくても関係なかった。
しかし、分配金は取得時の基準価格よりも決算時の価格が高い場合、国税と地方税をはらわなけ
ればならないので、その分が自動的に減額されている。逆に低かった場合は、損益とみなされて
課税されない。こういうケースも先の利息所得とあわせて申請しないといけないのだろうか?
うーむ、まさか税金のことで悩むなんて思いもしなかった。母が自営業なので、実家に帰ったと
きに関係書類を渡して、母の分と一緒に税理士さんに聞いてもらうことにしよう。
- 2005/01/28(金)
しまった、米を頼むのを忘れていた。
実は今週はじめから米を切らしていて、だもんでパンを食べたりしていたのだ。金曜日に注文
しておけば、土曜日には店の人が配達してくれるのだが、電話するの忘れてた。とりあえずの
非常食(サトウのごはん)はあるけれど、コストパフォーマンスが悪すぎるのでさけたい。
明日電話して、午後になんとか届けてもらわねば。5kg、3100円。うまいデス。おかず
いらず。
- 2005/01/27(木)
「(自分の欲望を)半分あきらめること。そして相手にも半分あきらめてもらうこと」
昨日、たまたま見た番組に、荒俣宏&泰子夫妻が登場。ほんといいコンビという感じだった。
うえの言葉はさいごに荒俣センセが「結婚」について語ったもの。うまいこという。さすが。
(って未経験者なのに。)
結婚で思い出した。今度の日曜日に大学の同期の結婚式があり、一週間前に突如受付を頼まれ
たのである。だがここにいたるも、いったい何をやればいいとか段取り不明。困った。とりあ
えず会場に早めに行ってみよう。
今朝、とうとうやってきた。コミックマーケット68申込書が!
冬コミの時点ではまだ迷っていて、結局買わなかったのだが新年を迎えて、いくつか目標をた
てた時点でやってやるかーと思うにいたり、通販で購入した次第。説明書を読みふけっていた
のだが、難しくないが細かい注意点が多いし、ちゃんと考えないといけないこともちらほら。
うぅ、これってほんとに申し込みできるのか?いきなり書類不備とかになりたくないなぁ。
さしあたって、考えないといけないのは「サークル名」だったりする。やはり、HPと同タイ
トルが自然なんだろうか?
とにかく、8月を目指して頑張ろう。
きょうのところは、「プラネテス」最終回を見てから寝ることにする。
- 2005/01/26(水)
1680円のCDを買うのに、10100円出してしまった私。いったい何を考えていたのか。
怪訝な顔をしていた店員さん、しばらく悩むのではないだろうか。すまぬことをした。
購入したのは、エルガー&フランクのヴァイオリン・ソナタ。演奏は五嶋みどり、ロバート・
マクドナルド。えー、突然クラシックのCDを買ったのはわけがあって、たいしたわけではな
いが、「『のだめ』ではじめるクラシック」という十字屋四条店のお手製コーナーに引き寄せ
られたのである。
「のだめカンタービレ」に登場する曲たちを、20数曲それもなるべく安いCDを集めた企画
コーナー。一枚一枚にどのシーンに登場したかの詳細な解説つきで、担当者の読み込みの
深さが窺えて、ひとつひとつ読んでいくうちに共感したのである。単にその曲を集めるだけで
なくて、峰とのだめがデュエットした曲なら、奇人コンビにあわせて、異色とか鬼才と呼ばれ
る共演を選んでいたり、R☆Sオーケストラの初演曲ブラームスの一番なら、R☆Sの現実プ
ロ版?ともいうべきサイトウキネンオーケストラの演奏を選んだりと、なかなかの凝りよう。
主役の千秋、のだめが演奏したものだけでなく、清良、菊池くん、黒木くんなどの曲もセレク
トされている。今回選んだヴァイオリン・ソナタ、フランクは峰が卒業試験でやったという設
定のみだが、エルガーは物語中にしっかり登場。この三善家での千秋とのだめは好きな話
であったので、聞いてみたかった。
思えば、数ヶ月前にラフマニノフの二番を買ったのも「のだめ」の影響である。わたしは普段
クラシックは聞かないし、あまり詳しくないのであるが、物語にあわせてすこしずつ聞いてい
くのは良いかもしれない。何事にも指針は必要。それが「のだめ」でもいいのか?たぶんいい
のデス。
それにしても、ケースに貼ってあった「初回生産分のみ銀蒸着仕様」ってのは、これはうれし
いことなのだろうか?この世界は謎が多い。
ところで、新聞に「死んだ人生き返る、小中学生の15%」という記事があって、みなさんも
見聞きしたかもしれない。「統計で人をだます」典型がここにあり、こういうことをニュースに
することになんらかの恣意性が感じられて嫌だったのだが、コチラの1/25付けで、私が考え
ているよりもはるかにしっかりはっきり分析されているので、一読をお勧めしたい。なお、こち
らのサイトはしょうしょう刺激が強いので、職場でごらんの方、未成年の方はご注意ください。
ひとめ見て閉じてしまうか、深くはまってしまうか、あなたはどちらか。たぶん大多数が前者な
んだろうなぁ。免疫ないとつらいかもしれないが、これだけ理知的な文章をかける人はなかなか
いませんよ。過去ログを読み始めるとやめられないかも。基本的に毎日更新。お勧めサイト。
(待てよ?ほんとにすすめて良いのか....。)
- 2005/01/25(火)
給料日なので、ぶらぶら帰る。談によって、ジュンク堂によって。でもいまは本を買う周期では
ないのか、家に帰って音楽が聞きたくなる。大丸で焼き鳥と朝食のパンを買ってから帰宅する。
そういえば、大丸の地下食品売り場には割と広いスペースのベーカリーがあって、よくもまぁ
こんなに種類があるなぁというくらいのパンがある。で買っていくうちに値札を見ると、こっち
とあっちでベーカリーのブランドが違うのだ。??あれこれって、ひとつのパン売り場に見える
けど、実は会計別なのか...やばいやばいぞ、どれもこれも一緒くたに取ってるぞ、どうしよう。
かなり逡巡したが、周りのひとを観察していてどうやらまざっていてもいいらしいとわかる。
で、ちょっと不安を残したまま会計に行くのだが、ここで疑問が残った。値札などついていない
どうやって会計するのか。ベーカリーごとの売り上げはどうするのか。うーん、やっぱり別会計
なんでは...と再び悩みだす。自分の番になって、かなり普通に会計されてゆく。ほえーっと
見てた。どうも、ここのレジ係のひとたちは、全種類のパンの値段と店の種類を把握している
ようなのだ。レシートには金額だけでなく、分類番号のようなものがついているので、金額だけ
ではないとわかった。わかってみれば単純だが、すごいことだ〜と感心する。
てなことが数ヶ月前にあった。今は普通に買えるのだが、日々種類が入れ替わるパンを皆さんど
うやって覚えているのか知りたいものである。あと、思ったのがここの場所の仕組みをどっかに
書いておくべきじゃないかしらん。「どこのベーカリーのパンでも一緒に会計します」とか。レ
ジの場所が複数あって、店ごと?と誤解しやすいと思うのだ。現に誤解したし。他のひとは迷わ
ないの?それが普通なの?ちょっと悩む。
帰宅、夕食。コダーイの音源をききながら、譜読みをしてすごした。
それから、こがわみさきの短編集を読んでほくほくした。
- 2005/01/24(月)
一昨日のNCでの大阪行き、昨日のエントアールの奈良行きの行き帰りに、しばらく読み途絶えて
いた「デザインのデザイン」(原研哉著、岩波書店)をじっくり読むことができた。この本はいわ
ばデザインのデザインのための哲学書なのであるが、ひとつの文章の密度が非常に濃い。読みづら
いということではなく、あらゆる箇所が示唆に富んでいるという意味だ。概論的なことを語ろうと
すると、えてして抽象表現に終わってしまい、その文章から得られることは少ないものだ。しかし、
この著作は一般的、普遍的なことの著述が具体的に想起できる。著者のいうところの「情報の建築」
という考え方はこの本自体にも及んでいるのだ。著作自体がデザインであり、透徹した美しさを放
っている。こういう存在は稀有である。原研哉は恐ろしい人だ。
興味のありそうな人には、とにかくやたらめったら薦めることにする。
読んで欲しい。というか無理やりお土産にもたせたり、カバンのなかにそっといれておくとか、
やったっていいくらい。
<補足>
雑誌アイデア、306号2004.9の特集「原研哉のデザイン」には本著でふれられている作品
がフルカラーで数多く紹介されているので、あわせて読むとよいと思う。
- 2005/01/23(日)
未体験のものをはじめて経験するというのは、とても怖いことで、だからといって単純に怖がるのか
というとそうでもなくて、正確にはどう反応していいかわからない、そういう感情をたぶん漠然とか
かかえて、私は今日、大和郡山市に向かっていた。「エントアール」という女声合唱団の演奏会を聞
くために。
「エントアール」という合唱団は一般的に言うならば、おかあさんコーラスである。平均年齢は60
歳くらい(らしい)。皆さん、おかあさんコーラスというのを聞いたことがあるだろうか。小学校や
中学校の演劇大会とか、合唱大会、そういう催し物の間に演奏が行われているのを聞いたことがあ
るかもしれない。
まだ合唱を始めていなかった身の自分としても、あのコーラスを聞いて(聞かされて)、こころ動か
されたとか、楽しくなったとかいう記憶がいっさいない。ただただ、退屈なものだった。そしてそれ
は、合唱を始めたあとでも変わることはなかった。
お母さんコーラスの大部分がおもしろくなく、退屈で、一般合唱団と異なる独自の路線を歩んでいる
ことの理由について、ここで考えたりはしない。ただ、自分としてはそのお母さんコーラスの演奏会
を聞きにいくことなど、どう考えてもありえないことだった。そのありえないことを今日、実行して
しまった。
その理由はあとで書こう。
12時、近鉄郡山駅に到着。京都駅から約45分。時間だけみるならば、大阪の梅田までと同じだが、
到着したときの感じはまるで違う。「遠くへ来たナァ」という感じだった。奈良の一地方都市なんだ
から、それくらいの感想しかなかった。寒いものだから観光しようとかも思わず、はじめに書いた戸
惑いの気持ちのせいか(たぶん違ウ)お腹の調子も悪いので、とにもかくにも会場へ向かった。
開場は13:30なので早すぎた。まだだれもいない。とりあえず遠いというイメージだけできてし
まったので、時間を読み違えてしまった。でロビーで、買ってきたサンドイッチなど食べながら待っ
ていると、急激に人が増えてならんでいるではないか。あわてて並びはじめるのだが、あきらかに私
の姿は浮いていた。だってまわりは9割が女性で、50−60歳の方がほとんどである。しかもどん
どん増える。ああ、く苦しい・・・ちょっと人酔いしてしまった。まるで南座か梅田コマにでも来た
かのような感じだ。たくさん並ぶことには慣れているつもりだったが、「層」が違うとこんなにもつ
らいものとは思わなかった。
苦行の果てになんとか入場。客席後部よりやや前あたりの自分の定位置を確保する。暑くてしんどい
なぁ。ただでさえ変な心持のうえ、さきほどの行列ショックもあり、演奏を聞くコンディションでは
ない。
開演。1ステージ目は日本の冬の歌曲集で、ペチカや雪、冬景色などだ。ここまで書いてきた文脈上
「おっと思った」とか「ピンと来た」とか書くのが普通かもしれないが、そういう感慨のようなもの
は生まれはしなかったのである。ただ、私がイメージしていたお母さんコーラスの声や歌じゃない、
という程度の認識があったのみ。ときどき、とてもいい音がなりかけるのだけど、すぐに立ち消えて
しまう。声もおとなしくて、あまり飛んでこない。おかあさんおかあさんしてないのは良かったけど
これがこのまま続くとつらいなぁという状態だった。悪くはない、でも良くもなかった。
「こんなものじゃないだろう?」心のなかで問いかけて、2ステを待った。
2ステージはアラカルト6曲。1曲目ではじめて、「おっ」と思えた。アカペラなので、声がよくわ
かる。いい響きが持続的に聞こえる。だが、1、2曲目まだしっくりこない。3つのパートのかけあ
いや、受け渡しのときに、音楽の背骨がぐにゃっと曲がってしまうような感じがたびたびする。合唱
のまわりにだけ曲の雰囲気が広がっていて、客席と遮断された感じがする。個々の部分では流れが
あるけれど、全体でみると流れていない。むしろ、いまにも後ろ向きに進みそうな歩調の弱さがみえ
てきてしまう。
ところがだ。3曲目から流れは大きく変わった。BustoのSalve Reginaだ。おそらく、歌いこんだ曲
なのだろう、歌声に自信、確信のようなものが出てきた。すこしずつ、すこしずつスムーズに、全体
にまとまりが出てきた。4曲目からはCHILCOTTの作品集でピアノが入った。The Lily and the Rose.
になって、はっきりシフトチェンジした。美しい、きれい、気持ちいい。そうだ、この感覚を待って
いた。ピアノの旋律と、合唱の旋律が無理なく一緒に音楽になっている。1ステと全然違う!
5曲目、Look to this day!。まだまだ加速する。どんどんいける。すこしずつすこしずつ。
そして、運命(大げさ?)の6曲目。Can you hear me?
この曲、開演前から気になっていた。なぜなら、歌詞カードの和訳が、この曲だけ関西弁なのだ。
曲の内容は関西のことを歌ったものではない。Can you hear me?、聞いてくれる?-これは英語の
手話つきの曲で、「今まで生きてきてわかった事みんなあんたに話したい、聞いてくれる?」と
いうメッセージソングなのだ。ではなぜ、関西弁の訳か。奈良の合唱団がうたうんやもン、そら
自分らの言葉にしたら、英語やけど、曲のイメージつかめるやん、共感できるやん。たぶんそう
いうことなんだと思う。演奏の前に、代表の方がその訳を朗読された。こんなに、気持ちがこも
っていてあたたかくて、ひとつひとつの言葉が伝わってくる朗読を聞いたことがなかった。
もう、歌なくてもいい。それくらいの気持ちで聞いた。このときほど、関西弁を愛したことは今
までなかったかもしれない。別に関西弁でなくても良いのだ。九州の合唱団なら九州のことば、
青森の合唱団なら青森の言葉でいいのだろう。でも、自分が関西人である限り、身びいきだけど
関西弁のこのCan you hear me?の訳が一番だ。
その後の演奏、これは文句をいう余地はない。全員が、Can you here me?と歌と、手話で問いか
ける。その所作の美しさ、息の合い方、合唱の表現としてだけ見ても、すばらしかったと思う。
そして、気づいた。いつのまにか、ほほに赤みが差すように、全身に血がいきわたるように、
「エントアール」の合唱は、歌には、熱くて温かい音楽が流れていた。お客さんたちにもそれは
確かに伝播していた。ステージと客席に境はなかった。
休憩後の3ステ「白いうた青いうた」について、もう書くことはない。そこにはただ、いい音楽
があっただけだから。あれこれ書かなくてもいい。というか、これ以上のことをうまく書く自信
がない。こうして、演奏会が終わった。
思うに、ここまで書いてしまったのは、単にうまかったとか、いい雰囲気だったとかそういう
理由だからではない。この合唱団はこれが始めての演奏会なのだ。ステージ構成のある舞台は
はじめてということ。舞台を経験していても当然緊張するだろうし、不安もあったと思う。そ
のことが1ステにははっきり出ていたけれど、そこからラストにいたるまでの間、演奏会のなか
という短い時間のなかで、この合唱団が進化していくのを見て、聞いてしまった。だから、書か
ずにはいられなかったのだと思う。この思いを残しておきたい、だから書いたと思う。
さて、そもそもこの演奏会を聞きにいったきっかけを最後に書いてみる。この団の指揮者はNCや
BK、YKの伊東恵司である。でもこれは明確な理由ではない。
BKのメーリスに情宣があったのだ。
BKの団員で友人である女性が書いた。彼女は20代であるがエントアールの団員として前から
歌っているのである。友人が歌うから、これは理由になるかもしれないけれど、お母さんコーラ
ス(実際には「お母さんコーラス」ではなかったと思うのだが)を聞きにいく決定的な理由には
ならない。義理で行ったって友人が喜ぼうはずもない。
決定的とはいえないかもしれないけど、私はあることを信じてみただけなのだ。友人が書いた
情宣のことば、『とても温かな音の鳴る合唱団です。』という言葉を。
いま、信じてよかったと思っている。
- 2005/01/22(土)

かなり久しぶりに洗濯モノを干してみたら、このありさまデス。(全部靴下だ。)
NC練習、第11回演奏会にむけて始動。とそのまえに、約120名くらいに楽譜とNC通信を発送
するための作業を行う。練習場がつかえないので、ちかくのコーヒーショップにて総勢8人によるセル
生産方式。空いているのをいいことにかなりの領域を作業場として使用。あれはちょっとひどかった
なぁと反省。随時、使わない領域を整理してはいったのだけれど、カウンター全部と4人席4つ、2人
席4つは使いすぎだ。それだけ発送物の量が尋常じゃないのだけど。これまでもあちらの喫茶店、こ
ちらのショップと渡り歩いてきた。流浪の民のごとし、これがNCの実態。事務所欲しい...。
練習はわりとみっちり、8曲音取り。やる気出てきた。
- 2005/01/21(金)
BK練習。コダーイ歌詞付け。音程と発音とリズムを同時に把握するのは未だに苦手。ただ、経験上
歌詞は間違ってても思いっきり歌っておいたほうがいいように感じる。発音しにくい子音をしっかり
言おうとすれば、自然とリズムや音程がしっかりきまってテンポも保てるように思う。
練習後、宴会参加少ないようなので今日は帰る。
途中、大垣書店に寄る。なんとなく気分が乗らないのだが、なにもせずに帰るよりはいいかと思い、
美術書関係のコーナーへ。おっ、するとなかなか良い本があるではないですか。タイトルははっきり
見ていなかったのでわからないのだが、カバーの本である。カバーってあれですよ、本屋でくれる
紙のブックカバー。本にはカバーがかかってるのに、なぜだがかけてしまうカバー。革とか布製のカ
バーが売っていたりするけれども、ああいうのはどうも私的にはしっくりこない。やはり手の汗を適
度にすって、すべらない紙がいい。
そういう全国の本屋さんオリジナルのブックカバーを絵や模様なんかの種類ごとにまとめたもの。
これは見ていてかなり楽しい。自分の知っている本屋さんがないか探してみたり。こうやってみる
オリジナルのブックカバーって多いんだなーと思う。わたしがよく利用するけいぶんしゃ神足店も
オリジナルだし。さて、見てて楽しいので買おうかなーと思ったが、どうもさきほどからいまいち
気分がもやもやしていて、こんなときにこの本を買っても楽しめないんじゃないかという気がして
きた。本に申し訳ないので、そのまま店を出た。また今度買おう。
帰宅後、部屋にあるオリジナルカバーを探してみる。そういえばお気に入りのがあった。

これは書店のカバーではない。扉を開けたところに企業の広告、それも商品ではなくて、企業自身
のアピールが書かれているという変わったもの。昔、同志社学生会館の2階にまだ生協の書店があ
ったころ、書店の外に、いろんな企業の広告が入ったカバーが折る前の状態でラックに差してあっ
たのだ。自由にとってよかった。写真のものは「住友金属」と「山一情報システム」のもの。ほか
に日立金属なんかもあった。おそらく、就職活動向けのアピールだと思うのだが、それにしては
地味なグッズである。当時、就職活動とは無縁の時期にけっこう利用させてもらった。写真のふた
つは特に気に入っていて、読み終えるたびに付け替えたりしていたせいで、汗でしわしわだったり
手のあとがついていて、自分のなかの歴史を感じさせてくれる。あのころは、いま思い悩んでいる
ようなことを考えたりもしなかったな...。
ちなみにこのカバーがかかっているのは、六興出版社版の新平家物語(吉川英治著)の二巻と十一
巻。神保町の古本屋で十二巻セットで購入したもの。なつかしい。また読み直してみたい。
- 2005/01/20(木)
大変寒いデスネ。
基本的に座業なので腰痛になりやすいといえばなりやすいのだが、帰宅するとかなり痛い。横にな
っても立ってても、にぶーい痛みが遅い周期で来るのだ。仕事をしているときから、どうも椅子へ
のすわりがいまいちだなーと、ポジションをぐるぐると変えていて兆候はあった。そこへ来てこの
寒さであるからして。だいたいうちのフロアは寒いと評判なのだ。
キネシオテープを背骨の両側にそって二本、背筋から腰の下部まで貼る。その上から、業務用の強
力湿布を貼って、とりあえず対策完了。長年のことなので、ちょっと慣れている。腰痛になりやす
いのはもともと背筋が弱いせいもある。合唱をやっているのにと思うとちょっと情けないけれど、
声量がないのは腹筋だけじゃなくて、こちらがわの筋力が十分鍛えられていないからだろう。
やはり今年の合唱面での目標、「ソロができるくらいの声量を身につける」にむけて、筋力トレー
ニングが必要だと痛感するのだった。脆弱すぎるので痛めないようにトレーニングせんといかんの
がまたもや情けないけれど。
- 2005/01/19(水)
東芝系列の家電販売会社が「オープン価格」をやめて「メーカー希望小売価格」を復活させるそう
である。「オープン価格」いったい何がオープンなのかわからないまま導入されて、ちらしなんか
で定着してしまって5、6年たつのではないだろうか。
もともと実売との二重価格はいかんということで、公正取引委員会の勧告で始まったらしいが、こ
れくらい消費者に迷惑なものはなかったのではないかと思う。値引き価格に対して、もとの価格が
いくらなのか?がわかるからこそ、お得感が生まれるし、もともと廉価品なのか高級品なのかもひ
とめでわかる。これを二重価格と言い出したのは誰なのだろうか。
当の公取委は、別に復活させてもかまわないみたいな姿勢のようだし、ほんとに何のためにいれた
のか、誰のための制度だったのか判然としない。なにわともわれ、復活することはうれしい。他社
もぜひ追随してほしい。
今日は、せっかく早く帰ってきたのに、何をするでもなくだらっとすごしてしまったような気がす
る。こんなんでいいのだろうか。仕事が忙しいというよりも、難しいという局面にあるので、気分
がすっきりしない。ツールの仕様を考えているのだが、なかなかすすまず。この段階を超えると、
実現するにはどうしたらいいか?を考えるフェーズであり、このときは多少忙しくても楽しいので
好きなんだけども。
こういうときは根をつめても進んだりせず、道を歩いていたり、トイレにこもっているときなんか
に良い考えが浮かぶものだ。いわゆる「○○の神様」が降りてくるという状態。気長に待ってみよ
う。(締め切りはあるんだけど。)
- 2005/01/18(火)
昨日、米を研ごうと思ったら「あかん!これは死ぬ。凍傷になる!」ってくらい水が冷たくて、
まともに研げなかった。いつの間にあんなに冷えていたのだろう。まったくもう。お湯でといだら
あかんのだろうか。ふやける?
わたしの朝ごはんは、一杯のごはんと番茶。そしてご飯へのとっぴんぐである。のりとか、ふりか
けの類。いまは焼き海苔週間である。12月に実家から山本山の梅の花を持ってきたのだが、さき
に味付け海苔の缶をあけてしまって、焼き海苔が残ってしまった。焼き海苔がまずいわけではない
がやはり味付け海苔のほうが良い。順番を間違えたのは痛恨だった。好きなものは後から食べるタ
イプ。
その焼き海苔ももうすぐなくなるので、コンビニで「大人のふりかけミニ」(20袋入り)を購入。
5種類入っているらしい。「鮭わかめ」「緑黄野菜」「かつおみりん」「のりたまご」・・・・・
??「梅ゆかり」。なんだーこれは、と買ってから気づいた。わたしは梅はだめなのだ〜。原材料
の欄を見ると、当然ながら梅。そのうえ、味付け「しそ」。しそもだめなのだ〜。
「梅ゆかり」。だいたい「ゆかり」って何だ。梅沢由香里のことだろうか。「私、梅にゆかりのある
ものでして」の略だろうか。ピンクの愛らしいパッケージながら、食べる勇気なし。
というわけで、「梅ゆかり」4パック。週末のBK練習に持っていくので、先着4名様に差し上げま
す。4名に満たない場合、仮に希望者一人とかの場合は、全パックプレゼント予定。
(注釈:山本山の梅の花は、名前に梅とあるが味を指すものではない。)
- 2005/01/17(月)
震災より10年。あの年は、いろんなことがあった。グリークラブ4回生としてもっとも充実し、
そして過酷だった年。研究室に入った年でもある。毎年コミケに行くきっかけともなったアニメ
「新世紀エヴァンゲリオン」もオンエアされた。あらゆる意味で人生の岐路に立っていた。ひる
がえって、今はどうなんだろうか。何か新しいことや重大な局面に向かいつつあるのだろうか。
10年前よりは自分で自分を前に進める力はついたはず(たぶん)。
昨日、すこし考えていた。話は金曜日にさかのぼる。BK後の宴会でデジカメやら携帯で写真をとっ
ているときに、私のデジカメの写真を見せてくれといわれて、見せようとした。だが、やっぱだめだ
ーとしまってしまったのである。理由は大事な写真が入ったままになっていて、それはおおぴらに皆
に見せたくなかったのだ。
だったら消して見せればいいのだ。バックアップはとってるし、わざわざデジカメをとりだして見な
くてもPCの大きい画面で見るだろうに。実際、そういう意見を皆から言われた。でもそのときはな
ぜその場で消さなかったのか、自分でもうまく説明がつかなかった。
考えてみるに、消したくなかったからというしごく当たり前の感情が根底にあった。デジカメの画像
はすぐ撮れて、すぐ見れてすぐ消せるという存在自体がもろくて希薄な存在だ。一瞬の操作であとか
たもなく消えてしまう。かつて写真は一瞬、一瞬を封じ込める存在で、封じ込めたものは容易には消
せなかった(露光させるという技があるけど)。それはある意味、永遠の世界だった。
しかし、デジカメは刹那の世界だ。容易に消されてしまうからこそ、その封じ込めた一瞬一瞬がいと
おしい。
バックアップを使って後からもとに戻すことは簡単にできる。だけどもそれは表面上のことで、どこ
かうしろめたい気持ちのような、いさぎよくないような気分になる。気持ちだけの問題なのだけど。
もうひとつの理由は、デジカメで見ることもあるのだ、お気に入りの写真を。iPodのシリーズでiPhoto
というのがある。撮った写真を持ち歩くというスタイルが世の中にはすでにできあがっている。メモリ
の一部にそういう大事な写真を残して、撮影旅行にいくとする。一日撮り終えて、ふと見る。そういう
もの。出張に行く。出張先の雪景色を撮る。仕事を終えてほっとひといき。ふと見る。そういうもの。
え、出張に行くのにデジカメもって行くのかって?
だって、どこに隠れた西洋館が潜んでいるかわからないじゃないか。
建築探偵((C)藤森照信)の目は常に光っている。
- 2005/01/16(日)

- 「見ることを見る」ことを余儀なくされた彼女のきわめて自覚的で、意識的な現実の果実である
(鎮魂と再生−草間彌生の芸術 松本透著より)
京都国立近代美術館へ「草間彌生展 永遠の現在」を見に行く。近代美術館は2002年12月頃に行っ
た「ドイツ近代デザインの諸相」以来である。その前は2001年4月の「ルネ・ラリック展」だった。
このときはまだ電波暗室はなかったので、BKのメーリングリストにその感想を書いたように思う。
今考えると迷惑なことをしていたなぁ。誰かに伝えたい、見せたいという思いがそれだけ強かった
のだと思う。あのメールを見て、誰か展覧会を見に行ってくれたのかはわからない。
さて、今回の展覧会である。写真を見ていただくとわかるが、いわゆる現代前衛アートの分類に含
まれるものだ。彼女の作品に触れるのは初めてであった。それどころか経歴やどのような系統の作
品があるのかもわからず、きわめてノーマルな状態での鑑賞であった。実は、直前まで見に行くこ
とを逡巡していた。前衛芸術というものはすごく刺激を受ける反面、これは芸術なんだろうか?と
自分の理性ではなく感性が疑問を投げかけてくるものがあったりする。また「何かと似ている」と
感じることもしばしばある。写真にあるような水玉の「反復」などはこの系統ではもはや前衛とは
いえない「ありきたり」に思えてしまい、興味を失う。
そういうわけで迷いがあったのだが、食わず嫌いはだめかなと思って自転車で岡崎に向かったのだ
った。入場料830円を払っていざ、3Fの会場へ。
一見してわかるのが、執拗なまでの「水玉」や「斑点」、そして「網」といったモチーフの反復
表現である。なるほどこれがこの人のテーマなのだなと思いつつ見ていくが、途中にあった紙に
鉛筆の着物の女性を書いた絵をみておどろく。「5年草間弥生」(記述ママ)とあるから小学生
のときの作品だ。画面一面に斑点がある。女性の顔、姿、背景にいたるまで関係なく。女性のデッ
サンの子供離れした部分にもおどろいたが、子供時代からこのモチーフをもっていたというのは
かなり不思議な思いがした。
そのほかの初期の作品をみていくうちに、いったいどういう想像からこの画面が生まれたのだろ
うという驚異を感じずにはいられなかった。モチーフは斑点から、網に広がっていた。注意深く
見ると、反復なのだが機械的な幾何学的な反復ではない。執拗なまでに書き込まれた斑点はあく
までひとつひとつが違う。ぬくもりを感じるとかそういった類のものではなく余計に不思議であ
った。
斑点、水玉、網のモチーフ以外に際立っていたのは「モコモコ」である。「モコモコ」とは私が
勝手に命名した形状のことだが、家具だとか、靴だとか、ボートだとかそういうものから、手当
たり次第に「モコモコ」が生えているのだ。これらはどうも先のモチーフとはちょっと動機が異
なる感じではある。モコモコの生えかたは中途半端ではなく、徹底していて非常に面白い。見て
いるときに感じていたのは、おそらくはこれは男根の象徴だろうということ。作者がどういう意
図をもっていたかは後で図録を読んですこしわかった。
こうやって約40分ほどかけて一回り。当初心配していた「ありきたり」な芸術ではないことが
感じられて、満足感を得られた。最後に気に入り作品を見直して、美術館をあとにしたが、この
時点ではあの「斑点」や「網」の「反復」が何に由来するものなのかはわからなかった。
帰宅後、図録の論文(上記引用のもの)を読んでそのわけを知ることができた。彼女は幼いとき
から今日に至るまで幻覚や幻聴を感じることがしばしばあるそうなのだ。その怖れや恐怖を鎮め
るために絵を描き始めたのだという。そう、彼女にはあの斑点が見えていたのだ。そして彼女は
それを「機械的な反復」とは区別して、「常同反復」と呼び自覚的にモチーフとしたのである。
絵を描くことは精神の療法であったのだ。このことは彼女自身が自著でくわしく書いているよう
だが、おそらくはずいぶんと芸術の世界や、一般の社会からは拒絶や無理解、誤解があったので
はないだろうか。こうやって書いている私も作品を直に感じるまでは、あの反復を「ありきたり」
なものとして捉えようとしていた。しかし、それらは「ありきたり」なものではなく、明確な意思
をもった他にない芸術作品だと、いまははっきり感じられる。
刺激的で強い印象を刻んだ展覧会だった。行ってよかった。
(2月13日(日)まで京都国立近代美術館。月曜休館。午前9時半〜午後5時。)
- 2005/01/15(土)
雨。洗濯物がどんどんたまっていくなぁ...。
私はデジカメの画像をデスクトップPCのHDDに保存しており、これまで一度もバックアップ
をとったことがなかった。よく考えるとこれはかなり危険なのだった。今年はこのデジカメ画像
で本を作るという目的を立てたので、ここでクラッシュ!なんてことになるとまずい。そんなわ
けで、外付けのDVD−RAMドライブを買いにいった。外付けだとメインになっているノート
でも使えるし、以外と安かったのだ。(半導体の価格が下落するはずだ、とほほ。)
バックアップをとると、なんと5.0GB近くありました。われながらびっくり。9.6GBのディスクを
買ってきて正解。2002年の12月に買って以来、まる2年以上か。すこし前のフォルダーを
見るとBKの昔の写真なんかもあったりして、見るとみんな若い。まだ2年なのに。いまのみん
なが老けたというのではなくて、もともと学生が多いから若いのはあたりまえで、大人として
成熟した顔つきになってきたなーという印象。こうやって、年月を俯瞰して追うことができるの
が写真のいいところだなぁと思ったり。なんだかNHKのドキュメントっぽい。(10年、20年
のスパンで取材・放映するのが多い。)
この先も、私はBKやNCの記録をとどめていくのだろうな。
俯瞰者のままか、主体者のひとりとなりつつか。どちらだろうか。
- 年々歳々、花相似たり。
- 歳々年々、人同じからず。
だったっけか。
<今日の教訓>
ご飯を食べてからすぐにマッサージに行くのはやめよう。
(胃腸が圧迫されたのか、ちょっと気分が悪くなった。)
- 2005/01/14(金)
真夜中の二人乗り。オーバードライブ!!
疾駆する銀輪機械の群れ。
「ろぐ」の臭いを振り切って。
- 2005/01/13(木)
頭痛で目覚める朝は最悪である。そんなとき見た夢もまたえらいもので、会社のエレベーターに
乗ると、なぜか電車になっていてどこへともなく動きだすのだが、途中の立体交差で下を走って
いる電車らしきもの(パンタグラフだけの車体だった)が接触し、あれーと思っている間に脱線
横転するというもの。あと少しずれていれば、高架らしきところから落ちるところであった。
頭痛薬を飲んで、おさまってから出社するも、なぜだか眠くて眠くて仕方がなかった。風邪薬と
違うので眠くなる成分なんてないのになぁ。帰宅後、暑いので熱を測ったらやはり微熱。風邪は
まだ直っていなかったのだ!おそるべし、今年の風邪。頭痛かったのはたぶん肩こりだな。週末
にマッサージに行かねば。
コダーイの楽譜を見て、のだめカンタービレ11巻を読んでから早めに休むことにする。
- 2005/01/12(水)
いつも降りる駅のひとつ手前で降りて、家まであるく。阪急大宮と烏丸はわりと近いのだ。
西洞院のすぐ近くに、惣菜屋ができていた。惣菜の量り売りだが自分で取る仕組みなので、100g
単位でなくてもよい。100gあたりの値段も120〜140円程度でデパートの地下の半値程度だ。おお
と思ってさっそく唐揚げとポテトサラダを買う。ポテトサラダは150gくらい。これくらいの
分量がよいのです。どちらもなかなかおいしゅうございました。また買いに行こう。
さて、私はマッキンな人(Macユーザーの墜落日誌方言...ってわかる人いるのか)ではないのだが、
これにはちょっとどころか、かなり触手もとい、食指を動かされている→コレ
- 2005/01/11(火)
今季、初めて静電気がバチッっと来た。駅の待合室でひじを消火器のケースに近づけた時である。
「ひじ」で、しかも生身の部分ではなくて着衣の状態で来たのははじめてかも。服のうえからでも
やはりピリッと痛かった。で、一度来たからと油断していたら待合室を出るとき握った取っ手の部
分で本式にやられる。
前に静電気体質の話を書いたかもしれないが、冬になって年を越えるまで一度もなかったというの
は、はじめてかもしれない。気候のせいか、体質変化なのか?肌の保湿分がたかまっているとか..
(別に「美容」に気を配っているわけではないんだがなぁ。)
帰宅してTVをつけたら「救急病棟」?というドラマをやっており、松嶋菜々子が挿管とかしてい
てちょっとびっくりした。しかしどーも、日本の医療系のドラマはしっくりこないものが多いのか。
毎週ERを見ていると臨場感、緊迫感などがあまりにも違いすぎて、ちょっとなぁという感じなの
だ。しかし、医療系といっても「白い巨塔」は非常に面白かったし、手術シーンで漂う緊張感や、
患者の急変時のシーンなどの緊迫感はすごいものがあって引き込まれた記憶がある。
この違いはなんなのか。最初はフィルム撮影・ビデオ撮影の違いによる画面の質感の違いかと思っ
たが、白い巨塔もビデオ撮影であるし、ERの場合も確かシーズン5のあたりの第一話は「TV局
がERのドキュメントを撮る」という設定のため、すべてビデオ撮影だった。このとき、みはじめ
てしばらくは違和感があったがすぐになれて、いつものERの雰囲気に没頭した覚えがある。つま
り質感がどうとかいう問題ではないのだ。
ここでひとつの仮説を思いついた。臨場感とか緊迫感というのはようは「リアルっぽいか?」とい
うことなのだと思う。「っぽい」というのもポイントだと思う。「現実にありそう」と思うかどう
か、画面に伝わってくるかどうかが問題なのだろう。(たとえ本当の現実とは違っても)
このリアルさを表現するのが、病院のセットや小道具だけなら「救急病棟」でも遜色はないかも
しれない。がやはり中心は演技だと思う。それも主役ではなくて脇役のひと達や、エキストラの
人たちにかかっているのではないかと思うのだ。医療現場のリアルっぽさはチームプレイのよう
な部分に顕著に現れると思う。主役の人だけが光ってみえるようでは、雰囲気が生まれないのだ。
脇役であっても、エキストラであっても同じだけの演技力がいる。セリフがなくても、フレーム
に写らなくても、演技をし続けるのとそうでないのでは場の緊張感が違うと思う。そういうもの
は割と見ている人に伝わるような気がするのだ。
あとは主役級のひとが突出しすぎると、「あんなかっこいい医者、看護士はいない」というような
見てる側の反感のようなものがリアルさを邪魔する場合が出てくる。フォーカスされる部分ではひ
かるけれども、普通に仕事をしている場面ではチームの一員として、全員にまじらないといけない
のかもしれない。あるいは本当にたくさんのひとのなかにうずもれて、時々見えないくらいになら
ないとだめなのかも。出ずっぱりというのは群像劇では逆効果だろう。
白い巨塔について見ると、手術シーンなんかではエキストラは少なく、普段のドラマシーンで出て
くる人たちがそのシーンにもきちんとおり、それがドラマをするシーンと近い緊張感をそこにうみ
だした原因ではないだろうか。もちろんエキストラの人たちの演技力が高いということもあるよう
に思う。
まぁ、いま思いつく限りの分析をしてみたが、まだまだ要因というのはあると思う。音楽・効果音
の観点などからもさぐっていけそうな気がする。さて、「日本の」と最初に書いてしまったが、外
国ドラマならなんでもすごいかというとそうでもなくて、むかしやっていた「シカゴ・ホープ」と
いうアメリカの医療ドラマはストーリーなんかがいまいちだった。(ファンの人いたらごめんなさ
い。ERと比べると見劣りがするので...。)
なんだか、ERについては昔書いたような気がする...。どんな脇役でも演技のプロばかりでスター
とかタレントとかいないとかそういう話。別の場所だったか?
- 2005/01/10(月)
なんだか胃の調子が悪い。昨日、カレーを食べたあとにカレーせんべいを1パック食べたのがまずか
ったのだろうか。それ以外の原因が思いつかない...。気持ち悪い。
2004年にデジカメで撮った建築写真をピックアップする。HPの容量ではとても公開できないので、
別のサーバーにて公開。前回の公開から一年一ヶ月も経ってしまったので、かなりのボリュームと
地域にわたる。こうしてみると、昨年よりペースは落ちるものの結構精力的に撮っていたのだなぁ
と感心する。50MBクラスのサーバーでも、容量が足りずに全国大会松山編は次回以降に送った
くらいである。
写真のピックアップにも時間がかかったが、コメントをつけるのにも時間を要した。だいたい建物
の名前を把握するのが大変で、今回新たに調べなおしたものも多数あり。このあたりは一回の撮影
のたびにこまめに整理しないといけない。しかし、横浜の建築について調べなおしていてわかった
がかなりの取りこぼしがある。コンプリートしなけりゃという気持ちはないが、もっと嗅覚をはた
らかせにゃとは思う。嗅覚というのは、「ふーん、このあたり、あのあたりに西洋建築がありそう
だ」と街中で感ずる能力のことである。事前に調べ切れなかったところで、新たなモノを発見した
喜びは大きい。
最近そうやって発見したモノが京都で1件、大阪で1件ある。まだ写真に撮っていない。
今年はこれら写真をまとめて本にして、コミックマーケットに参加する、というのが趣味方面での
目標である。
建築に興味のある方、下記の場所に公開していますのでよろしかったらご覧ください。
少しでも皆さんが、日々失われつつある文化遺産、日本近代西洋建築に興味をもっていただければ
幸いです。
http://www.picturestage.ne.jp/
ログイン名:gleeyamada
パスワード:kenchiku
- 2005/01/09(日)
「父と暮らせば」を京都シネマで見る。
宮沢りえの細く小さな体からあふれでる清清しさ、痛々しさ、儚さ、はげしさと美しさに心揺らし、
父と娘の対話に眼鏡を曇らせた。
井上ひさしの描く「人間のおかしみ」が随所に顔をのぞかせて、ともすれば息がつまりそうな内容に
ひんやりと心地のよい時間をつくっていた。『戦争レクイエム3部作』のひとつだけれども、笑うと
ころでは笑えばいいのだと思う。おかしさとかなしさは表裏一体だということを、井上ひさしの著作
でわたしは学んだから、そう思う。
- 2005/01/08(土)
新年NC初練習。マデトヤの曲など。わりとさくさく普通に進む。が、なんだかさぶい。相愛学園
って暖房がなかっただろうか?風がないだけで外で歌ってるのと変わりないような気分。なぜだか
ほとんど全員立ったままなのは、体を動かしていたいからかも。
と、気がつくと手が冷たい。自覚症状があるくらいだ。実は、昨日うたげの途中に指摘されたのだ
がそのときは、みんなの手との温度差を感じるまでは自覚がまったくなかった。今日は自分の頬を
触ってみるとひょえーってなんもんだ。冷え性ってことはいままでなかったし、どちらかというと
手は温かいほうだと思ってたのだが、何か変わったのだろうか?風邪はなおりつつあるのだが...。
昨日指摘されたことがもうひとつある。冬用にと思ってかぶっている帽子(実家がから入手した)
がまったく似合わないそうだ。ほかの帽子をかぶらせてもらったが、だめっぽい。確か、夏ごろに
背広に合う帽子が欲しいということを書いたが、それ以前にNaによれば「(私のフルネーム)に
似合う帽子をさがすことは永遠の課題」とまで言わしめたほどの似合わなさのようである。
というわけで、今日は練習にでかけるときに帽子をかぶらなかった。案の定、頭がさぶかった。
誰か私に、この冬が終わる前にいい帽子を見つけてくだされ。
NCの新年会には出ずに帰宅。(理由:手持ちがなかった。眠かった。)
- 2005/01/07(金)
新年BK練習はコダーイ。青いコダーイ全集を購入。シンプルなタイプのみの表紙レイアウトが
良い。なんでも版によっては表紙の紙質が違うらしい。この版はコート紙だが、肌触りの良いエン
ボス紙版があるとかないとかあるとか。同人誌を買うときも結構表紙の紙は何を使っているかとい
うのは気になるものだ。楽譜の場合は手で触れている時間が長いので、美観だけでなくて丈夫さも
結構重要な要因だと思う。
おっ、ちょうどいい本が手元に。「紙とコスト COST:VALUE」(宣伝会議刊、2400円)。
この本は紙の専門商社竹尾が行っている竹尾ペーパーショウを本にまとめたもの。紙好きな人は是
非、本屋さんで「手」にとってみて欲しい。そう、紙は手で触るもの、感じるもの。この本そのも
のが、紙の見本みたいなもの。本文中では身の回りの意外な紙もたくさん登場。
練習後は、たのしいうたげ。
多少無理してでもいってよかった。
(そんな風には見えなかったっていわれるんやろなぁー。ま、いいか)
というわけで、こんなに遅い更新なのでした。
- 2005/01/06(木)
病み上がりの仕事はやはりきつかった。きりがいいところまでと思ってやった仕事が、内容の難易
度はともかく、体に打撃を与えてしまった模様。30分だけなのに。しんどいと思ったら撤退する
勇気を持たないとだめなのだなぁ。
最近、TV版プラネテスが面白い。オリジナル設定だからと敬遠していたのはもったいなかった。
DVDで集めるべきか?とも思うが、NHKの放映であるから再放送の可能性も考えられなくない
し。迷うところ。
昨日の録画分を見て、早めに休もう。明日は新年最初のBK練習であるし、良い体調でのぞみたい。
- 2005/01/05(水)
仕事始め...のはずだったが、風邪のため休む。機器の立ち上げ手順を記したメールを職場に送り
電話で作業を依頼する。メール書けるなら仕事できるんじゃないかと思うかもしれないが、居室
と機器部屋をいったり来たりする仕事とは比較にならない(機器部屋は通年同じ温度・湿度のため
居室と環境がかなり違う。行き来を繰り返すと簡単に風邪をぶり返すこと請け合い)。
鼻はおさまってきたが、咳こみがちになってきた。加湿器を入れて対策。ときどき換気もする。
夜、久しぶりにクローズアップ現代を見ると、子供の睡眠障害のレポートをやっていた。ここ20年
で子供の就寝時間が異常に遅くなっており、それに起因して発達に影響を及ぼしているという内容
だった。振り返るに、私の子供時代、それも幼稚園前はたしか20時に強制就寝だった。一度、TV
でドラえもんスペシャルが21時まであったときも、どれだけ懇願しても親はもちろん祖父母も含
めて全会一致で無理やり寝かされたのを憶えている。
まぁそういう過去をもつわりには、朝が苦手なのは小学生くらいから現在に至るも変わらないのが
不思議である。
さて番組の冒頭の映像や私見では、子供それも乳幼児の夜更かしは親の夜型比率が増えて、それ
に子供を連れまわすことに原因があると思っていた。しかし、番組中のある家族の実録を見ると、
つれまわしは存在するにしても、夜更かしの原因は別にあるようなのだ。共働きでそれぞれの親の
帰宅時間、出社時間が異なるということが原因にひとつになっているらしいのだ。ある時間に寝か
しつけても、遅い帰宅時間の親が起こしてしまう、あるいは親の帰宅にあわせて起きてしまうらし
い。帰宅時間が不規則だとそれに対応して就寝時間も不規則。さらに出社時間とともに子供を託児
所に連れて行く場合も、出社時間が不規則だと起こす時間もまちまちになる。
これって、たとえば今の自分が突然子供を育てることになったら、このケースにまさしく符合する
と思う。私に符合するということは、世間一般にみて、いや私の会社の周りの社員達レベルでも
同じことになるということだ。決まった時間に寝ず、日中に日の光を浴びない子供は神経系の発達
に支障を来たす可能性があるという(おこりっぽくなったり、感情の制動がかかりにくいなど。)
(生活リズムの強制によって治療できるらしいが...。)
つまり、子供を健康に育てるには親の生活習慣から、仕事のやり方まで変えないとやっていけない
ということになるわけだ。常に親のどちらかが面倒を見れないという共働きだった場合はよくよく
考えないとやっていけないことだ。夜鳴きで夜中に起きたりして、苦労するのは赤ん坊のころだけ
だと思っていたが、こういう睡眠の習慣づけは4−5歳まで続ける必要があるという。
実際問題、一個人で解決できる範囲を超えているような気もする。社会とか、会社とかのバック
アップなしに、子供を育てて、生活するために仕事するなんてことができるのだろうか。少子化
が進んでしまうのはこういうところにも原因があるのじゃないだろうか、そんなことを考えた次第。
まぁ、結婚もしてないし、子供もいない独身の身の上では、あれこれ意見できる立場ではないが。
- 2005/01/04(火)
ダウン中。今日休みじゃなければやばかった。
薬が効いているんだが、効いていないんだが。
寝る。
- 2005/01/03(月)
大学の同期で新年会。
私の部屋があまりにもきれいなことについて、誰か掃除をやってくれる人がいるんじゃないかと
いぶかしがられる。特に私の実家の部屋を唯一しっている橋Mにとっては意外そのものといった
感じのようだ。
もちろんそんなことしてくれる人はいません。というか、他人に掃除させるという発想が不思議
だし、やってくれるという人がいるのか疑問。私は元来掃除好きなのです。実家の部屋には本棚
をおくスペースがなかったため本がタワー状になり、それが引き金になってカオスと化していた
だけ。あと、掃除好きではあるがこれはかならずしも整理がうまいというわけではないので、今
の部屋の細部を見ていけば、結構ぐちゃぐちゃなのだ。ただ、まとまっているように見えるだけ。
見せかけであっても、部屋がきれいな状態というのは気分がいいものなので、自分の精神状態を
正循環させるには、結構重要である。
1DKという間取りで人一人の手と目が及ぶ範囲であること、かつ自分以外にやる人間がいない
という状況が、私の潜在能力を目覚めさせたものと思われる。なお、この能力はべつに普通の人
は普通に持っていることなので、何の自慢にもならない。(マイナスがゼロになったくらい。)
今後の課題は、郵便物と楽譜に立ち向かうための「整理スキル」の習得であろう。
- 2005/01/02(日)
一時間ほど散歩したのみで、ほとんど静養。
正月くらいゆっくりしてもいいだろう。
箱根駅伝はやはり5区の山登りが面白かった。学校名を忘れたが、11人抜きという大記録をうち
たてたのがすごくて、一位の東海大の独走がすこしかすんでいたのが印象的。
5区の区間は何回かいったことがあるが、とてもあのスピードで走ってのぼるなんてできない。
だからこそ登山電車に乗るわけだが。あそこを駅伝で走ろうと考えた人は偉大というべきか、むちゃ
くちゃというべきか。そういえば、2004年は宮下の富士屋ホテルのランチを一度も食べなかった。
個人的年中行事として決まっているのだが。今年は絶対行こうと思う。
あっ、それをいうなら四谷の「わかば」の鯛焼きも食べ損ねている。冬の間に東京に行く機会がある
かなぁ。
- 2005/01/01(土)
寒中お見舞い申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。山D拝。
年越しはメールのやり取りと、読書ですごす。コミケで買った本はあらかたは宅急便で送ってしま
ったので、読んでいたのは「マリア様がみてる インライブラリー」である。あれほど本にまみれ
た後で読むタイトルとしてはダメ押しでぴったりであると一人にやっとする。
起床時から頭痛と、のどの痛みがひどい。風邪だ。
墓参りのみ済ませて、すぐに帰宅して安静にする。ちょうど出発前に本が届いたので良かった。
12/31の朝に送ったのだが、いまはほんとに届くのが早いですなぁ。
母と妹は母方の親戚の集まりに参加。喪中であるが、その親戚の大部分がここ5年の間に夫をなく
した未亡人軍団であるからして、みんなしてわいのわいのと騒ぎたいのであろうと思う。
しかし、なんですな。すでに正月一日目にしてテレビ番組は見るものがないなぁーという状態。
ちょっとぼーっとした現在だと読書を通づけるのはしんどいので、ながら見をしても大丈夫な番組
があるといいのだけど。明日は箱根駅伝。この荒天ではかなりきつい走りになるだろう。
見応えがありそう。
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