電波暗室 2004/08
- 2004/08/31(火)
朝、2000円のラガールカードを買う。
4月くらいに定期が切れて以来、ずっとラガールカードで通勤している。出社日数を考えると、定期
と同じか、むしろ安いくらいなのである。ならば、コレクションもできるほうがいいと思って続けて
いる。
ところが困ったことに、1000円のカードばかり買っているせいか、新作カードが出る前にカード
の種類全部が集ってしまうのだ。スルットKANSAIなので、京阪だとか市営地下鉄に買いにいってもい
いのだが、切れているときに限って朝会社にいくときだったりする。
というわけで、新たな分野を切り開くべく、2000円カードを購入。いつも1000円のものを買
っていると、2000円カードはなかなか敷居が高いものなのだ。さすがに値段の高いのだけあって
このランクのカードというのはそれなりにコレクション性の高いカードがそろっている。阪急沿線の
展覧会との連動カードや、イベントカードなどはだいたい2000円以上するし、今回買ったものも
そうだ。
今回買ったのは、「大阪空港に就航する飛行機」シリーズで、JALエクスプレスのボーイング737-400
型機の写真がデザインされている。駅員さんにお金を渡すと、カードと一緒になにやら紙をくれる。
図柄解説と、JALのキャンペーンの広告、さらに応募券がついている。このシリーズを4枚集めると、
航空券があたるキャンペーンに応募できるらしい。大阪−那覇か、大阪−札幌の往復をペア。さすが
2000円券だ!とちょっとだけ感動する。737-400の写真もかっこいい。
しかし、昔からよく思うのだが、このペアチケットというもの、独りもんの人間があたったらどうし
たらいいんでしょうね。転売不可、一人不可とかだったら、宝の持ち腐れである。シーズン中のホテ
ルと同じで、一人旅のことをまるで考えていないというのは、昨今の情勢を考えるとマーケティング
不足だと思える。みすみすお客を逃しているようなものなのに。。。
そういう心配は当たってからしろと、電波が届きました。
もっともだ。
- 2004/08/30(月)
家で特許を書く。
会社にいるときにかけないこともないけれども、5分に一回電話が鳴って、5本に一本が自分宛の
仕事依頼だったりする環境では、ちっともさっぱり筆がすすまない。
特許というものは、書いた人にはわかると思うが、かなり特殊な文章で一読して意味がとりにくい。
ひとえにそれは法律上の権利を行使するためのものであって、文章に隙があってはならないから
だといえる。そのため、書くにあたっては、十分な思考のバッファが必要になるのだ。その意味で、
業務なのに、業務時間中に書き上げるのはかなり難しいという変なことになる。
自宅に帰ると誘惑が多いのでかけない、というケースも想定されるが、むしろ誘惑が多いほうが
いいのかもしれない。PCにむかって文章を書いているときだけが、特許作成の時間ではないの
だ。トイレにたったり、休憩に漫画を読んだり、台所で洗い物をしているときに、はっと、「あっ、あの
部分も権利化したらどうだろう」とか、「あの言い回しだと請求範囲に入らないな」と気づくことが多い
のだ。これは普段の仕事で、プログラミングをしているときなんかにも当てはまるのだが、特許の場
合はこれが顕著だ。私の場合。
ところで、「あなたのアイデアを文書化すれば、著作権によって権利が保護されます」なんていう、
特許サギがときどきあるようだ。あくまで、文書化されたアイデアは著作物であって、特許ではない。
きまったフォーマットにのっとって書き、権利の範囲を明確に主張しなければ、特許とならない。そし
て、特許庁に出願し、権利化されてはじめて特許として保護される。この間に5〜10年かかることが
少なくない。保護されるからにはそれなりの困難さが伴う。
最近法律関係のTVバラエティが多いけれども、特許を扱った内容はほとんどない。あるのは、ほとん
ど応用がきかない、(他人には)おもしろおかしい事例のみ。特許がどれだけ金になり、脅威になるか
をマスコミはもっと報道してもいいんじゃないだろうか。すくなくとも日本政府は「知財立国」を目指して
いるのだから。(知財・・・知的財産権。特許を含む各種法律上の権利をいう。)
- 2004/08/29(日)
朝、携帯にメール。昨晩のTV観戦(ツール・ド・フランス)のため、夢現のまま返信。
へんなことを書いたかもしれない。
休日の朝に来るメールは、なんとなく好きだ。焼きたてのパンの匂いをかぐように、よけいな思考なし
に、素直な感情のまま接することができる。そして、そのまままたまどろむ心地よさ。
ここでじょじょに起きれば、それはもう充実した朝の始まりなのだろうが、眠さが極限にある状態では
無理というもの。だからといって、前日に深夜番組をみるのを差し控えるとか、その番組を録画して
早朝にみるなんてことはナンセンスだよなぁと、働かない頭で考え始めるのを制して眠りにつく。
昼には起きた。
- 2004/08/28(土)
朝、昼、夕方とNCの仕事。最近、若いもんがすくのうなってのぉ、年寄りがこんな仕事しとるんじゃ。
仕事いうても、半分は作業、半分は段取り。でもなぁマネージの話の通じる人間は少ないて。
だからやれる人がやる、これがNCの原則じゃ。6人でなんとか時間内に終わらせたが、結構疲れた
ぞなもし。今日の練習はさぼりじゃ。
まぁ、そういうことで、京都→大阪→京都の半日。今日、発見したのだが、部屋が極度に明るいと、私
は眠くなるようだ。逆に薄暗いほど目が冴える。貴重な”休み時間”を知らぬ間に寝てすごしてしまっ
た。
夜中。TVをつけると、「ツール・ド・フランス」の番組をやっていた。そういえば毎年この時期だ。
「ツール・ド・フランス」というのは、毎年7月にフランス全土で行われる自転車競技。約一ヶ月に渡っ
て、20ステージあまりのコースを走り、総合タイムを競うもので、今年で91回を数える。わたしもあま
り詳しくないのだが、数年まえから、この時期に夜中にTVをつけると、2時間以上のスペシャルをや
っている。ポイントは夜中ということ。日本ではほんとに知名度が低いらしい。
競技に参加できるのは、自転車のプロチームのみ。え、自転車のプロってなんだ?と思ったのだが、
日本の競輪とは若干違うシステムで、欧州には自転車によるプロ競技レースが盛んに行われている
らしいのだ。それこそ、F1やルマンのように、スポンサーがつくものらしい。ギャンブルの対象として
しかみなされていない競輪とは違って、サッカー選手なみの国民的人気を誇る選手がごろごろいる
ようである。(解説を聞いていると。)
この競技を見ていて面白いなぁと思うのは、平地のコースだけでなくて、ピレネーや、アルプスの山々
を登坂する「山岳コース」があること。とても常人では登坂できないようなところを、選手達は時速
25kmくらいで駆け上がっていくのだから、すごい。といっても長丁場でそんなスピードはいつまでも
続かない。やはり駆け引きや戦略があって、それが醍醐味。
総合タイムが一位の選手は、「マイオジョーヌ」という栄光の黄色いユニホームシャツを着ることがで
きるのだが、山岳コースでは総合タイムとは別にチェックポイントごとに山岳登坂のタイムスピリット
が行われ、ポイントがつくことになっている。山岳ポイントが一位の選手は、「マイヨ・ア・ポア・ルー
ジュ」という、白地に赤玉模様のド派手なユニホームを着て走ることができる。さらにこれとは別に、
平地ではスプリントポイント区間が設定されていて、こちらのポイント一位選手は、「マイヨ・ヴェール」
という緑色のユニホームを着る。ただでさえ、これらのユニホームを着るのは大変だが、何ステージ
にも渡って、このユニホームを維持する選手がいる。見ているこっちも、自然と次は維持できるか?
と熱がこもる。
総合成績を競うだけではなく、こういうポイント制があることで、選手層のすみわけがあるようで、
山岳に強い選手、スプリンターの選手、総合で勝ちに行く選手がいることで、競技全体のドラマ性
や、見所が増えていると思う。それと、もうひとつ。ツールは、個人ではなくチームプレイだという点
も面白い。9人編成で、タイムは個別につくのだが、1人の総合優勝が狙える選手以外は、すべて
「アシスト」という役割をうけもち、その一人をサポートする。具体的には、風除けやペースメーカー
となったり、集団を形成して、全体をひっぱったり、牽制したりするのだ。一人で走る孤独な競技で
はないのだ。また、平地での難度が低いコースでは、選手同士が談笑したりと妙な余裕があると
ころも、ほかのプロスポーツとは違う面白さだと思う。
こういったスポーツとしての面白さはもちろんなのだが、フランスの大自然のなかを180あまりの
自転車が駆け抜けるさまは、実に爽快で気持ちがいい。最終ステージは、パリのシャンゼリゼでお
こなわれるが、この大舞台での最終争いよりも、やはり豊かな緑と山を駆け抜ける自転車のほう
がいい。いつのまにか、私はこの競技にとてつもない魅力を感じるようになっていた。
いつか、夏にでも長期の休暇がとれるのなら、生でツール・ド・フランスを見てみたい。
ひとつ、人生の目標が増えた。
- 2004/08/27(金)
最近、金曜日に遅くなる仕事が多いせいで、BKの練習に行けない。宴会メンバーも減少、固定化
の一途をたどっていることもあり、疲れているとどうしても宴会場まで出張る気力がなくなっている。
自分的によくない傾向である。このところ、仕事にも身が入っていない。疲れているわけではない
のだが、集中力に欠ける。休みボケが抜けていないのだろう。「合唱方面が忙しくない」というのも、
一因にあると思う。気がつくと、関係ないことを結構考えていたりする。
これから秋〜冬にかけて、音楽面・事務面で忙しくなる時期になる。仕事のあいまをぬって、音楽を
しないといけない状況に追い込まれないと、私は公私の両面でしゃきっとしないような気がする。それ
までは仕方がないか。考えてみれば、仕事と仕事の合間にはこういう状況が多かったかも。たまたま
いろいろな要因が重なっているだけだ。思い悩んでも解決しないことはある。時間が解決することも
ある。なんとなく根拠のない納得のさせ方をして、涼しくなるのを待つ。
明日の練習あたりから、NCの仕事も始動しはじめる。が、どうも私の時間だけでは、間に合わない
と試算した。そこで、NCとしては画期的なことを計画。アウトソーシングである!簡単にいうと、
「無関係の第三者であるところのK岡(BK所属)に仕事を頼む」ことにした。というわけで、仕事道具
一式をもってBKの宴会場へ吶喊。K岡を補足のうえ、期限を告知。明日1400までに任務完了のこ
と。報酬は応相談にした。(セコイ)
帰宅後、私の担当分をやる。しまった...以外と早く終わる。委託分の方を多くしすぎた。すまぬ、K岡。
- 2004/08/26(木)

「世界の艦船」というフィギュア入りのパッケージが発売されている。フィギュアというと、食玩だと
思う人が多いと思うけれども、この商品は「浴玩」という。発売元はタカラ。そのタイトルどおりに、
潜水艦や、深海探査船などの艦船のフィギュアに、"入浴剤"がついている。
このフィギュア、まずボリュームが大きい。そのうえ、ディティールがこまかく、ほんとにフィギュア
なのかと思うくらいのできばえ。上の小さいな写真をみても、そのすばらしさがわかると思う。え、
どこがすばらしいか分からん?うーん、それは困りましたね。
で、このフィギュア、ただ飾っておくだけのものではなかったりする。船なんだから、水に浮かべて
なんぼ。当然、お風呂で遊ぶのだぁ〜。ええ大人がなにゆうてるのという声が聞えてきそうです。
でも、これはそういうものなのです。パッケージにもちゃんとこう書いてある。
−「子どもの頃を思い出しながら、バスタブ・フリート(お風呂艦隊)をお楽しみください」
バスタブ・フリート!なんて、素敵な響き!
こどものころ、モーターボートの模型なんぞを買ってきて、お風呂場で走らせたりしたものである
が、いかんせん風呂場は狭すぎる。しかし、風呂場が狭いのは模型のほうが大きいからであっ
て、模型が小さくなれば、風呂場も相対的に広くなるのは自明の理。このフィギュアはわれわれ
の夢をかなえた傑作であるといいたい。(われわれ=健康な男子)
しかし、子どものころは、よく潜水艦のラジコンが欲しいと思ったものだが、なぜか全く見かけな
かった。TVでそういうのがあるらしいというのを見た記憶があるのだが、あれは夢だったのか。
潜行、浮上ができて、魚雷発射可能。潜望鏡の映像をリアルタイムにコントローラーで見ることが
できる...そういうのを夢見ていたのだが、中学生くらいになって謎が判明した。水中には電波が
届かないのだ。宇宙にだって届く電波も、水中にすこしでももぐってしまえば、全く届かない。
海はある意味、宇宙よりも遠い世界なのだ。
写真は自衛隊の潜水艦「はましお」と、深海探査船「初代しんかい」の二つ。

山D湾近海を探査中のしんかい(アホだ)
- 2004/08/25(水)
給料日。友人とご飯を食べに行く。
本屋で待ち合わせてみる。
ほしかった写真集を2冊買う。田中長徳最新刊と、「ジョン・シンメトリー」。
友人は、和田誠と村上春樹が書いたJAZZの本を手に取っていた。
なんだかいつもの和田誠のひょうひょうとした絵よりも、ちょっとばかし気合が入っている。
"思い入れ"が伝わってくる。
最初にいった店も、つぎにいった店も予約でいっぱいだった。
二軒目のすぐちかくに、居酒屋があったのでそこに入る。
こじんまりとしてるけれども、とても落ち着く場所だと、座ってすぐわかった。
たばこをすわないけれども、まっちをすりたくなるときがある。
ジッ、ボッ!、メラメラ、シュー。
シューときえるときのにおいが好きだ。
まっちについて語り合う。
今日、飲んだお酒を忘れないように、書いておこう。
銀嶺月山、銀盤、くどき上手。
銀盤がとくにおいしかった。
「味わっている姿を写真にとってみたい」と言われる。
ふふ、と笑う。お酒を飲んでる自分。不思議な感じ。
そんな、こんな。
いろいろあるかもしれないけど、こうやっている時間は、とてつもなく気持ちいい。
いつものように、感謝感謝。
- 2004/08/24(火)
今朝、ちゃんと日経産業新聞は届いていた。
行きの電車10分、昼休み10分、帰りの電車15分、帰宅後10分でちょうど読みきるペース。この
分なら、毎日ちゃんと読めそうだ。
夕方、販売店から電話。8月ももう終わりだし、今月分はサービスしますとのこと。おいおいちょっと
待て。6日分ありますよ?22日刊のうち、6日もサービスしちゃっていいんだろうか。他人事ながら
心配になる。家賃なんか一月に一日しかすまなくても、日割りでその一日分計算されたのに。新聞
を新規にとる人が少ないから、大判ぶるまいってことなんだろうか。まぁ、新聞購読率がホントに低
下しているかどうかは不明だが、インターネットで記事が読めるってわかれば、やめようって気にな
るかもしれない。(専門紙をのぞけば)
自分自身で新聞をとるのは初めてなので、そのあたりの事情、つまり新聞やさんのサービス度合い
というのが分からない。実家では結構、粗品をもらっていたから普通のことなのか。
新聞屋さんのサービスでありがたかったのは、美術展のチケットである。親にもらってよく行った。
1000円越える展覧会がほとんどの状態では、貴重である。それにしても、なぜ美術展の入場料
はあれほどに高いのか。というか、特別展をやりすぎなのではないかと思う。常設や、コレクション
展を織り交ぜてもよさそうなのに、常に特別展をやっている美術館が珍しくない。いくら人が入るか
らといって、いい加減「印象派絵画展」「ピカソ展」みたいな安直な特別展はやめたほうがいいんで
はないかしらん。
国立西洋美術館の常設展示なんかは結構みごたえあるし、真面目にコレクション展をやってる京都
市美術館なんかエライと思う。みんながそういうマイナーな展覧会にいくようになれば、もっと常設展
が充実して、特別展も適度に行われるようになって、こちらも厳選したいい企画が通るようになるの
ではないかと思う。国立系が独立採算制になった現状だと難しいかな?
- 2004/08/23(月)
ビジネス誌の特集で、「この人の情報源」という記事があった。人の情報源というのは、こうやって
並べて一覧にしてみると面白い。そのひとの考え方の方針なんかが見えてくる。基本に立ち返って
会社四季報だったり、漫画雑誌だったり、TVCMだったり、なかにはPHPっていうひともいた。その
なかで、あるひとが「日経産業新聞」をあげていた。おぉ、日経産業。なんてマイナー。でも、納得。
その人も書いていたが、日経産業は一般紙にない結構細かい情報が載っているし、興味ぶかい連
載記事が多い。TV欄もスポーツ欄もないから、紙面のすみずみまで産業情報ぎっしり。実はファン
なのだ。この暗室のいちばんはじめにも、取り上げた。そんな日経産業がこういう表舞台に登場する
のはなんとなく嬉しい。日経本紙よりも絶対コストパフォーマンスが高いと思う。
この半年の生活で、新聞がなくても生きていけるというのはわかっていた。しかし、この記事に取り
上げられているのをみて、ああ世の人でちゃんと日経産業を読んでるひとがいるんだ(あたりまえだ)
なぁというのが分かったのと、いつも組合事務所で読んでいて、昼休みに読みきれないのをくやしく
思っていたこともあって、急にとりたくなってきた。普通紙(4000円程度)より安いだろうし。
で、帰宅後すぐにウェブから購読を申し込んだ。明日からすぐ。
申し込むときに気づいたのだが、実はこの新聞は週5日刊だった。土日はお休み。う〜ん、発刊
形態まで普通紙と違うか。そんなところにも「イカスー!」と感じてしまう自分は、なんだかミーハー
みたいである。
- 2004/08/22(日)
父親の依頼でスキャナを買いに行く。選定はすませてあったので、買いに行くだけである。事前の
調査では大阪のヨドバシで20700円。一応念のため、寺町によって価格を見ると、20790円であ
った。その店のポイントカードをもっているし、交通費と時間のことを考えて、寺町で買う。
実家に持っていくが、留守である。犬の相手をしながら、親のパソコンにセットアップする。どうせ、
やってくれ〜といわれるのはわかっている。で、さっそくスキャン開始。まずはカラーネガフィルム。
写真ではもっているけれども、PCに取り込みたいなと思っていたソースがあったので、マンション
から持ってきたのだった。
このスキャナ、スリーブ状態のフィルムだと搬送口に差し込むだけで、スキャンしてくれるすぐれもの
。。。のはずなんだが、いきなり「フィルムを認識できません」とか言われてしまった。しょっぱなから
ダメか。マニュアルを読むと、パノラマ混在はコマを自動認識できないから、簡単モードではなく、
プロフェッショナルモードでやりなさいとある。。。。うちの親だったらまず、ここであきらめてしまうな。
いや、親に限らず、PC初心者ならぜったいくじけると思う。どうせなら、認識できるモードに自動
きりかえしてくれれば良いのに。ぶつぶつ。
といいつつも、実は入れたフィルムはパノラマとかそういうのではなくて、ハーフサイズのネガだった
のだ。マニュアルには当然、そんなフォーマットのってません。
プロフェッショナルモードに切り替えて、予備スキャン...できた。画面にはっきり浮かびあがってる。
かなりきれい。(そもそも被写体が綺麗。)おーっと、しばし感動。画像をSDカードに落とす。
しかし、なんだ一枚スキャンするのに結構時間がかかる。ぴーがーっと作動音も結構耳につく感じ。
これを何枚もやろうと思うと結構疲れるかもしれない。実は、スキャンするまえに、実家に保管して
いるカラーポジフィルムをいろいろセレクションしていたのだが、ちょっと意欲が萎える。父親は30
年前に研修でいった欧米で撮ったスライドフィルムをたんまりともっていて、それをスキャンしたいら
しい。が、途中でくじけて委託してきたりしないだろうか...。
親が帰ってくる前に帰宅。ちょうど集中豪雨にあう。洗濯物とりこんでなかった...ショック。
夜、親から電話「説明書読むのめんどくさいから、今度教えに来て」。
やっぱりなぁ。
- 2004/08/21(土)
先生の葬儀の出棺のとき、奥さんが短い挨拶をされた。
「夫は、楽しいことが好きな人でした。最後に皆さんに笑って送っていただければ喜ぶと思います」
だから、泣かないようにした。
そして、生きている自分は生きている限り楽しく生きないといけないと思った。
誰よりも悲しいはずの奥さんの言葉に、われわれは救われたような気がした。
- 2004/08/20(金)
午後3時より京都に出張。通勤経路的には家に帰るのと同じだが、京都駅近くの部署に仕事しにいく
ので、ちゃんと出張なのだ。
だいたい今まで、この部署に出張して、予定通りの時刻に仕事が終わったことがない。実に不思議で
あるが、かならず何か起こる。4時に到着して、予定の仕事をはじめられたのは午後5時版から。
そして、そこからさらに予定外の出来事が起きて、さらにロス。ホントに自分の力ではどうしよう
もないことが、よく起きる。時空特異点かここは。
もうひとつ不思議なことがあって、仕事をするのはクリーンルームなのだが、ここでは時間の進み方
が遅くなる。一通りの仕事をやって、さてと時計を見ると知らぬ間に4時間たっていたりするので、
ぷちウラシマ効果を味わえるってなもんだ。たぶんマスクやらクリーンスーツのせいで、吸気が十分
できず、認識力がおちているのじゃないだろうか。深海に潜水するダイバーのように。あるいはクリ
ーンルームハイになっているのかもしれない。(私の仕事が遅いというわけではない。たぶんね...)
今日も、うっかり光の速度にちかづいてしまったせいで、仕事が終わったのは9時半であった。
出張先から、先生のお通夜の会場が近い。当然終わっているだろうが向かう。やはり誰もいない。
誰かに会いたかった。先生の死を聞いたせいだろうか。人恋しい。
- 2004/08/19(木)
大学の研究室には、3人の先生がおられたのだが、そのうちの一人の先生が亡くなられたという
連絡が入った。年齢的に私たち学生にもっとも近く、皆とよく話たり、遊んだりした。オーディオヴィ
ジュアルマニアで、今みたいなホームシアターブームの前から、家にプロジェクタをとりつけてた。
車でかっ飛ばすのも好きだった。
あまりに突然で、言葉がない。
- 2004/08/18(水)
パークホテル東京でもらってきたシャンプー(GILCHRIST&SOAMES社製)は実にいい匂いがする
ので、近頃愛用中。なくなったら、取り寄せようかと思っている。
昨日、弁当屋帰りに、小腹がすいたときにそなえて、コンビニでクラッカーを買った。

おなじみの、ナビスコのプレミアム・クラッカー。おなじみと書いたのだけれど、私が小学生くらいの
ときまでは、クラッカーというと明治製菓のプレーンクラッカーだったのだ。青とオレンジのパッケージ
だったと記憶しているが、加山雄三出演のCMで、プレミアムクラッカーが上陸して以来、すっかり
なりを潜めてしまった。お菓子屋や、スーパー、コンビニどこにいってもない。この15年間くらいみた
ことがないような気がする。
プレーンクラッカーは、その名の通り、プレーンなので味があんまりなく、食べるときは必ず、バター
か、マーガリンを塗りたくって、二枚ばさみにして食べていたものだ。クラッカーの穴から、バターが
にゅるっと出てくるのに小学生らしく喜んでいたなぁ。しかし、プレミアムクラッカーは薄いながらも
ちゃんと味がついていたので、我が家でも自ずと、プレミアムに移行していったように思う。
大学生のころには、完全にプレミアム派であった。これは何人かには話したことがあるのだが、
グリーの演奏旅行で北海道に行った帰り、小樽から敦賀までフェリーに乗ったときの話だ。敦賀
まで、約2泊3日くらいかかったと記憶しているが、船に乗ればなかで食事には不自由しないだ
ろうと気軽に考えて乗ったのが甘かった。そう、船の食堂というのは非常に高い。夕食バイキング
が2000円くらいするのだった。
普通、貧乏学生はカップ麺を大量に買ってから乗るものだと、あとでしったのだが、とにかく船は
港を出たあとなので、どうしようもない。お金はないが、腹は減るのが、学生であって仕方がなく、
売店にいったところ、プレミアムクラッカー(12袋で300円くらいだった)があったのである。クラッ
カーとペットボトルのお茶かなんかを買い、その後、朝・昼・晩、朝・昼・晩とクラッカーとお茶だけ
ですごした。我ながらよくあんな無茶できたなぁと思うが、とにかくプレミアムクラッカーは命の恩
人なのだった。
いまでも、突然旅行にでるときなど、パックに分別されているのでリュックの隙間に詰めやすく、
昼代わりに移動しながら食べたりする。(クラッカーと双璧なのが、チョコチップパン(9本入り))
さて、明治のクラッカーだが、とうの昔に生産中止になったものと思っていたのだが、気になって
調べたところ、なんとまだラインナップに生き残っていることがわかった(これ)。説明には、「バタ
ーを加えてもっと食べやすいクラッカーにしました」とある。やっぱり、薄味すぎたんだろうなぁ。
- 2004/08/17(火)
会社帰り、阪急で下車する際に、財布を取り出して、あれ?と違和感を感じる。財布をこう、ぺたっと
押し当てる場所がない...。
はっと、われに返って、スルットKANSAIを取り出す。そう、わたしは「SUICA」を使おうとしていたの
だった。8/11〜15まで、ほぼ毎日、JR東日本やら、りんかい線やらでSUICAを使っていたものだか
ら、無意識に行動してしまっていたようだ。(まだ、PITAPAの単品カードは、発売されていない。クレ
ジット付きオンリーである。)
昔、ヨーロッパ演奏旅行から帰国してしばらく、電車の切符を買うときに値段のボタンを先に押してか
らお金を入れようとしたことがよくあったが、あの感覚と似ている。日常的な動作というものは、頭で
はなく体が覚えてしまうのだ。(旧営団地下鉄や、JRの券売機で液晶画面にタッチする方式のもので
は値段を先に押すことができるものもある。ただし、これの欠点は、前のひとがいたずらに値段を押
しておくと、次の人がお金を入れた瞬間、即座に切符が発券されてしまうことであろう。)
ところで、コミケ仲間と向こうで話していたのだが、SUICAとICOCAの両方を財布にいれていた場合
いったいどちらから引き落とされるのだろうか?残高の多いほうか、少ないほうか?あるいは、"ホー
ム"側のカード、すなわち大阪ならICOCA、東京ならSUICAからなのだろうか。冗談で「両方から引
かれる」という意見もあった。この問題は、SUICA二枚、ICOCA二枚でも同じである。さすがに異常
に混雑したりんかい線で、バグでも起こすとことなので、これを試す勇気は誰にもなかった。
(あまり良いたとえではないが、コミケ時の国際展示場の改札は便秘状態と言ってよい。"つまって出
てこない”のだ。)
SUICAとICOCAと、PITAPAが統合されるとこの上なく便利なんだけどなぁと思う反面、スルットKA
NSAIカードのコレクターとしては、統合されるとカード集めの楽しみがなくなってしまうので、このまま
でも良いかなと思うのだった。
- 2004/08/16(月)
年休。
やたらめったら眠い。コミケ期間中は22:00就寝、05:00起床という規則正しい生活を送って
いたとゆうのに。やはり想像を絶する睡眠エネルギーを前借りで消費していたようである。
ひさしぶりに実家に帰るも、昼寝してすごす。寝ていると、犬がおなかにジャンプしてきて、ぐへっと
なる。遊べ、遊べという。ソファに座っていると、勝手に膝に乗ってくる。寝かせろ、寝かせろという。
ちゃんと私のことを憶えていてくれるのだ。少し遊んでやる。
夕方、大切な用があって自転車で室町通りをひっとっぱしり北上する。陽がくれるころになると涼し
い風がふく。途中、南下してくるR嬢とすれ違う。いきなり、「お土産ください」。だから私はカナダ(N
C演奏旅行)には行ってないのだよ。そういえば、BKの人にはあんまりいってなかった気がする。
コミケの方が大事と言うと驚いていた。(そりゃそうか)
帰宅後、マンションの非常階段(屋外)から大文字の送り火を見て、南無阿弥陀仏。誰か、先客が
いるかと思ったが、誰もいない。こんなところまで「探検」する人はいないようである。ひとり、ぼんや
りと、じょじょに光りを失っていく「大」の字を眺める。
京都の夏も終わり。
- 2004/08/15(日)
コミックマーケット66 in 東京ビッグサイト<第三日>。
一般参加。

サ ヨ ナ ラ、 ナ ツ ノ ヒ
本日の夕食
・大井町アトレ7F、さぼてんにて。「中華風黒酢ロースかつ(130g)」。
(詳細後日)
- 2004/08/14(土)
コミックマーケット66 in 東京ビッグサイト<第二日>。
一般参加。
8/15追記
歩き方のコツをつかむ。
本日の夕食
・大井町アトレ7F、さぼてんにて。「特選五島豚ロースかつ(150g)」。
(詳細後日)
- 2004/08/13(金)
コミックマーケット66 in 東京ビッグサイト<第一日>。
一般参加。
8/15追記
本日のお目当てのサークルは数が少ないので、助かる。本が買いたい一心からか、痛いながらも
なんとか歩くことができた。
本日の夕食
・大井町アトレ7F、さぼてんにて。「ねぎみぞれロースかつ(130g)」。
(詳細後日)
- 2004/08/12(木)
東京都庭園美術館探訪。
地下鉄博物館探訪。
8/15追記
11日、パークホテル東京に宿泊。サロンパスをべたべたにはって、一晩過ごすも足の状況改善
せず。通常の状態では痛みはなく、歩行する際にかなりの衝撃。
予定を変更し、午前はホテルで足を休める。午後からこれだけはいかねばと思っていた庭園美術館
の、「幻のロシア絵本1920−1930年代」を見に行く。JR目黒駅からの徒歩15分がきつい。会場
ないの移動も当然きつい。これさえなければ、展覧会をもっと楽しめたものを。。。
早めに本日の宿泊地、大井町に移動。15:00ごろにチェックイン。バンテリン、サロンパスを使用。
状況変わらず。実家の親に相談すると、テーピングを推奨される。急遽、薬店でキネシオテープを
購入。左足首両側面、表、裏の四方向にテーピング。痛む箇所の痛みをとることよりも、歩行補助
に方針を転換。足が痛かろうが、明日よりの3日間は一日2万歩強は歩かなければならないからだ。
ホテルの室内で、痛みの少ない歩き方を研究する。
- 2004/08/11(水)
横浜近代建築探訪。
8/15追記
今回の移動マップ。

市役所そばの京浜東北線関内駅から開港記念館→税関→山下公園→ホテルニューグランド→
氷川丸→山手→港の見える丘公園→県立歴史博物館→関内というルート、約15kmにわたり
横浜の近代建築を撮影。
結果、左足首損傷(自己診断)。歩くと、足首というか、足首と左側面の間に激痛が走って、まとも
に歩くことができない。このままでは、コミケで本が買えないという事態に!
いくらなんでも無茶しすぎた...。
みなさんも上記のコースを歩けばわかります。
- 2004/08/10(火)
少し遅く起きて、洗濯物を取り込む。
今日は目覚めがいい。
宿題をすこし考える。
部屋の掃除をする。
散髪に行き、旅行の準備をする。
映画を見て、心躍らせる。
外でご飯を食べ、本屋に寄る。閉店前なので、いつもより早足で、あれこれ見て回る。
夜遅くに行く本屋は、いつもより静けさがまして、本をさがす人たちの息遣いが聞えそうだ。
今日は、本を買わなかった。買わなくても楽しかった。
自転車を押して、ぶらっと散歩しながら帰る。アーケードの薄明かりの灯篭がきれいだ。
家に帰って、旅行にもって行く音楽を選ぶ。the pillowsのアルバムを開く。
『ああー、君のこと 思い浮かべちゃって 眠れない夜の記録を伸ばしている
ああー、きりがない ふくらむ想いは 報われなくても 僕には意味があるさ』
(アルバム"Happy Bivouac"収録、"Kim deal"より)
ああ、なんて切ない詩を書くのか、山中さわおは。
切ないのに、バラードじゃない。ROCKなんだ。びんびんに奮い立つROCK。
若干、興奮気味のまま荷造りをする。
なんだか、夏休みらしい一日だった。
なんだかしあわせだ。(たぶん)
- 2004/08/09(月)
夏休みの宿題をする。
そう、文字通り宿題があるのだ。そのために申請を出して会社のPCを借りてきたのだった。
宿題といっても、一応「自己研修」という扱いになるものだ。(会社というのはややこしいところ)
午前中に宿題をやっているとなんだか小学生みたいだ。小学生の宿題など、漫画やアニメで出て
くるほど切実なものではなかったと記憶している。まぁ、やっぱり親に手伝ってもらったことは何度
もあったけれども。むしろ、中学生のときの宿題の方が大変だった。毎日何かやらないととても間に
合わないような量のものが出るのだ。これは冬休みもそうだった。当然、成績に反映されるので
さぼったりできないし、中学生にもなって親に手伝ってもらったりなどできるはずもない。
きついものの二大筆頭が、社会のレポートと、理科の精密写生である。
社会のレポートは一年次が、地理に関するもの(自由テーマ)、二年次が歴史に関するもの(自由
テーマ)である。一年次のときは、「美濃の和紙について」書いた。これは旅行がてら取材にもいき、
写真を添えたりして、なかなか真面目にやっていた。二年次のときは「京都市電の歴史」であった。
こちらは真面目に取材する時間も意欲もなかったため、手持ちの資料をメインに参考文献オンリー
で書き上げた。その割には、こちらの方が一年次よりも評価が高かった(苦笑)。レポート用紙換算
でP30程度のものだったが、2週間はないと書けなかったように思う。夏休みの2週間、部屋にこも
りっぱなしになるというのは結構ひどい。
もうひとつの精密写生も頭の痛いテーマだった。虫、植物について合計5枚の精密画を、四つ切画用
紙いっぱいに描くのである。モデルの選択は自由だったが、なにせ精密なうえに、画面が広い。とて
も一夜漬けできる類のものではないし、誰かに写させてもらえるものでもない。社会のレポートとあわ
せて、厳密なスケジューリングをしないと破綻する。今考えると、ほんと大変だった。これは1年次だ
けのテーマだったのが救いである。これに比べると、二年次のテーマ「岩石採集」は、まだ楽だった。
「タイムマシンがあったら過去にもどってやりなおしたい」みたいな話題があったりするが、あの宿題と
中間・期末の試験のことを考えると、どうあっても戻りたいなどとは思わない。ほんとに。
ただ、3年次のときになって、あまりにも負担が多いのはひどかろう、ということからか、全教科のな
かからひとつだけテーマを選択して、それに集中するという方式に変わった。よく覚えていないが、
たぶん万歳くらいはしたんではないだろうか。選んだテーマは「技術」。FMラジオを作った。キットでは
なく、「ラジオの製作」という雑誌の製作記事を参考に、プリント基板から作っていった。わたしの友達
(8/6の写真で、左手前で寝ている人物、橋M)は安定化電源か何かをつくったとおもう。夏休み、
技術教室の一角を借りて一部の作業をし、夏休み明けに、完成した製作物とともに、製作レポートを
出した。3年間の夏休みの宿題のなかでは一番良い評価がもらえたので、非常に嬉しかったのを憶
えている。
自分の好きなことを宿題にする。あのときほど、宿題がおもしろく、楽しかったことは後にも先にもない。
- 2004/08/08(日)
Achat,Achat(意味ナシ)。
前夜、Star Trek: Voyager → モンキーターンV → イニシャルDという、毎週土曜日の夜中の定番
コンボを視聴したあと、なかなか寝付けず。うだうだしながら暗室を書いていると4時くらいになってい
た。こういう状態で朝起きると頭痛になったりする。
朝10:00ごろに突然宅配便が届く。この前かったソファの会社から、またもやクッションが届く。これ
はソファを設置した部屋の写真を撮っておくるともらえるものらしい。送った写真は、もれなく買った
椅子の型番と、生地の種類が、HPで紹介される。
この方法は非常にうまいと思う。ショウルームはあるけれども、基本的に大部分のお客さんがネットで
買うので、こういう「実際に使っている場所での、ソファと部屋のバランス」や「生地の違い」がわかる
のはもちろん、掲載されている写真の分だけ「実績」がある証拠にもなるし、お客さん・店の双方にと
ってありがたい資料なのだ。
送られてきたクッションは、キャンペーンのものとは違い、頼んだソファと同じ生地で作られた少し小さ
めのもの。この生地だと、クッションにするにはちょっと手触りがごわごわする感じで、抱きクッション
向けではないなぁと思う。枕か、足置きクッションとして使ってみることにする。
夜、肩こりがひどいので、マッサージ屋に行く。ここのマッサージ屋はいつもイイ匂いが漂っているの
と、終わったあとにお冷を出してくれるので好きだ。帰りがけに、アロマ蝋燭?をひとつ買って帰る。
蝋燭一本では本を読むには暗すぎるが、ちょっとソファでうつらうつらする雰囲気を漂わせてくれる。
アルファ波がいっぱい出ているような気がする。。。
「のだめカンタービレ」9巻を二回読んでから寝る。
- 2004/08/07(土)
しばらく前、そう3〜4週くらい前からか、左手の指が痛い。正確には、タイピングなどで指を曲げる
際に、手前にゆびを引く動作において、薬指の関節(?)が痛む。以前にも同じようなことを中指で
経験したことがある。指輪をはめているとかそういう理由ではなくて、単に「指の鳴らしすぎ」が原
因だ(と思われる)。関節をぽきぽきやるあれのことだ。
原因はもうひとつあるのではないかと思っている。タイピングそのものだ。QWERTY式の文字配列
のキーボードの場合、通常スペースキーのある最下段を除くと4段で構成されている。そして、通常
指を置く位置、つまりホームポジションは、上から三段目にある。それゆえに、1、2、3段目は指を伸
ばす動作でキーを押し、4段目は指を曲げて、手前に引く形になる。この押し方は実にいびつで、指
の向く方向と、ちからの加わる方向が一致しない。そのため大変な違和感を感じる。
利き手が右手ということもあるし、日本語入力をする場合に母音のアを入力するにあたり、左手を多
用する。右手にくらべると稼動範囲はせまいので、一見楽に思えるが、その狭さがかえって手の動
きを制限してしまう。特にAを入力するのは小指であるが、他のゆびに比べて非力であるため、これ
をかばい、押しやすくしようとすると、そのしわよせは薬指にくる。すくなくとも私の場合。
(いま書いていて気がついたのだが関節だけではない。腱も痛む。)
もともと、QWERTY式は、タイプライターの印字金具同士が絡まることがないようにという理由で、
使用頻度が多い文字、少ない文字を混在させることで生まれた形式である。だからタイプしにくい
のは当たり前といえば当たり前なのだ。文字の使用頻度を考慮したDVORAK式ならば、こういう
押しにくさ問題も頻繁には発生しなかっただろうに。(ところで、DVORAK式はなぜ、DVORAKな
のか?チェコ生まれなのだろうか。)
とりあえず、そんな薀蓄は、目の前の問題の解決策にはならない。休み中なので、仕事でプログラ
ムをすることがないのが救いである。しばらく、指を休めてやらねば。
- 2004/08/06(金)
休みに突入。大学の同期(非グリー)の飲み会の招集がかかる。今日まで仕事のものもいる
ので、集合は19時。時間があるので、写真を現像に出しに行き、その足でジュンク堂へ行く。
本日の査収物2点。

「デザインのデザイン」、原 研哉著、岩波書店。1900円。
「計測における誤差解析入門」、John R.Taylor著、林 茂雄・馬場 涼訳、東京化学同人。4200円。
「デザインのデザイン」は、「デザインとは何か」を著者が思考し、語った本である。この本を買った理
由は、前書きを読んだからだ。この本を読めば、必ず新たな知見を得られるに違いないという予感を
前書きに感じたのだ。曰く、「机の上でほおづえをつくだけで世界は違って見える。ものの見方や感じ
方は無数にあるのだ。その無数の見方や感じ方を日常のものやコミニュケーションに意図的に振り
向けていくことがデザインである。」
「誤差解析入門」を買ったのは、学生時代からの積年の疑問の解答がそこにあったから。工学部の
学生は”測定”というものを避けて通れない。なのに、測定の方法は教わっても、誤差とは何か?を
系統立てて、教えてもらった記憶がまったくない。誤差解析に必要な、統計学的な公式や概念は教
わっていても、それをどうやって生かすのかが、集積されずに今まで来てしまった。いまも、仕事で測
定をしている以上、避けては通れないはずなのに。この本を見て、久しぶりに「勉強したい!」と強く
感じた。
[おまけ]

こんな著者近影見たことない。"釘のベッド"って何ですか?
******
19:00、京都駅近くで飲み会。参加6名。このメンバーにあと一人を加えたのが全参加者になるの
だが、メンバーに共通するのは、「『このメンバーはおそらく誰も結婚できないだろう』と暗黙のうちに
認識しあっている」ということだろう。しかし、そのうちのひとりが結婚しそうなので、皆びびっている。
別にびびるいわれはないのだが、なんとなくそういう心境だ。
11時半散会。そして、午前2時半。奴らは突然やってきた。

なぜ、男を泊めなにゃならんのだ!それも3人。まったく、ここは学生の下宿か。とほほ。
まぁ、騒いだりしてくれなかったのだけましか。ちょっと言動が怪しかったが。
不幸な幕開けを切った夏期休暇第一日であった。
- 2004/08/05(木)

どーん!ぶどうデスよ?夏期休暇突入記念(明日から)。
ぶどうはいい。一心不乱に食べてしまう。一連のリズムが、途切れることなく繰り返えされるのが
好きだ。だから、種のあるやつは苦手。
種というと、まだ夏になる前に、流しの掃除をしていたら、たくさんの「お茶っ葉」のなかから、なにや
らみどり色の一本の線が伸びている。はて?と思って、つまみあげるとなんと!グレープフルーツの
種が、発芽したものだった。お茶っ葉を土壌代わりに育ったものらしい。陽の光りなどあたらないとこ
ろで、よくぞ...と思いたいところだが、いかに掃除してなかったかということで、ちっとびびったものだ。
キノコとか生えてなくてよかった。
つまみあげたグレープフルーツ、ベランダにただひとつある植木鉢(ラベンダーかなんかが咲いてい
た)に植え替えたのだが、しばらくして枯らしてしまった。あまり世話をしなかったのもあるが、太陽に
あてたのが良くなかったのかもしれない。
せっかく夏なので、朝顔など育ててみるのもいいかもしれない。
- 2004/08/04(水)
雨風が強い。8月に入ってから天候不順で、夏期休暇中の東京行きが心配になる。
ソファを買ったときにキャンペーンでクッションがついてきたのだ。2個。ソファのすわり心地の良さ
は言うまでもないのだけれど、座ったときにクッション(すこし固め)をひざにのせて抱きかかえると
その収まりの良さは、パイロットスーツを着て、モビルスーツのコックピットに座ったときのようで、
それはそれはぴったりくるのだ。(わかりにくい例えのうえに、書いてる私も経験したことないので、
どれだけぴったりかは、想像してみてください。制限時間5秒。)
しかし、そうすると一個あまるのだ。交互に抱えてもいいけれど、同じ生地なので、1号なのか、2号
なのかわからなくなる。。。ということで、一個を友人にあげることにした。で、今日の帰宅時に会っ
て、受け渡す。友人は、何か抱えるのが好きな人なのだ。渡したクッションをぎゅっとして、微動だに
しない。「何か」を「味わってる」みたいで、面白かった。においをかいでいたらしい。
気に入った様子。娘の嫁ぎ先を見つけた父親(推定60歳)のように、ほっと安心するのだった。
なんだか、猫の生態を観察しているみたいな文章になってしまった。
- 2004/08/03(火)
むぎ茶のパックが切れてしまった。
同じものを買おうと思って、会社帰りにコンビニによったのだが、帰宅経路の関係で、前に買ったコン
ビニとは違う店だった。品揃えが違うからないかな?と思ったらなんと、「伊藤園むぎ茶、54パック」
の文字が!しかも315円。まえに買ったのが、20パックだったからなんと2.7倍である。ほえ〜と
思いながら、さっそく購入した。
帰宅後、なんとなくできすぎのような気がしたので、ほんとに同じやつなんやろか?と思い、パッケージ
をしげしげと眺めると....やられた。前買ったのは「天然ミネラルむぎ茶」で、今回のは「香り薫るむぎ
茶」だった。どちらも水出ししやすい工夫とか、製法特許とか同じ文言が説明書きにあるのだけれど、よ
くみると、「天然ミネラル」の方が、大麦の加工に手間がかかっている様子。実際に飲んでみると、「香
り」の方が若干、マイルド風味であっさりした味、「天然」ほどの濃さはなかった。「天然」になれた舌
にはやや物足りなさ残る。
いまから天然を買いなおしてもいいのだけれど、何せ54パックをまるまる使わないのはもったいない。
さりとて、これを使い切るころには秋の気配がしてきそうである。まぁいいか。もったいないし、ちゃん
と使うことにする。
でも、むぎ茶ほしい人いたら、適量お譲りしますヨ。
寝る前に、ワールドビジネスサテライト(録画版)を見ていると、A社のiPod miniと、S社のNetwork
Walkmanの特集をやっていた。この件を見て、音楽配信とCD媒体という関係性について、電子Bookと
本、デジカメとフィルムカメラなどと対比して考察してみたいと考える。後日、にょろっと書くかも。
- 2004/08/02(月)
帰宅すると、ポストにラーメン屋のチラシが入っていた。普通の呼び込みチラシではなくて、「出前や
ってます」との文字とともに、店の電話番号と出前メニューが書いてある。このラーメン屋は京都でも
結構有名なチェーン店なのだが、そこの河原町店独自のサービスのようだ。普通、この手のラーメン
屋は出前はしないものだ。
私の母親は在宅で鍼灸院を開業しているのだが、在宅といえでも仕事が忙しいので店屋ものが多か
った。うちでとる出前は、うどん・そば屋の「あいおい」から丼ものか、中華の「満腹亭」から定食のお
かずと、餃子(これが絶品)の2つが定番であった。だいたい私か妹が注文の電話をかける。いまで
も指先が電話番号をおぼえていて、無意識にダイアルできる。
ひとり暮らしをはじめてからは、当然これらの店に出前は頼めないので、新たに開拓するしかないの
だが、こういった出前をしてくれて、適度に安くて、うまい店というのを見つけるのは、結構困難なこと
なのだ。こと、私が住んでいる近辺であると、商業地に近いため、地域密着型の店舗はすくなく、いき
おい外食産業系の店が多くなる。当然出前はない。あっても高い。
元気なときは、そういったお店に出向いて食べられるから、別に出前なんかなくてもええわと思うの
だが、病気をしたり、体調がすぐれないときなど、出向けないときに出前あったらなぁと、結構切実に
思うのだ。そんななか、チェーン店とはいえ、出前をしてくれるサービスがあるというがわかって、結
構興味をそそられている。
しかし、出前にはひとつの壁がある。私の住んでいるところも、近年のマンションの例にもれず、オー
トロック式なのだ。頼むときは良い。問題は容器の回収。実家と違って、常に誰かが家にいるわけで
はないから、容器は勝手に回収してもらいたい。しかし、オートロックとなると、部屋の外ではなく、マ
ンションの入り口に置くことになってしまう。美観の面で、なんとなく許してもらえないような気もするし
いたずらされて容器が割られでもしたら、ことである。店にもマンションにも迷惑がかかる。
かといって、容器が使い捨てのポリ容器では、味気ない。それではコンビニ弁当を買ってくるのと変
わらない。店の器で食べられるからこその「出前」なのだ。
ものはためしというから、とりあえずこのチラシは残しておいて、いつか試してみよう。そうすれば、
必然的に回収システムもわかる。
気に入らなければ、足でさがすしかない。
- 2004/08/01(日)
「アルティ声楽アンサンブルフェスティバル2004」を聞きに行く。アルティとは、京都府立府民ホール
のことで、数ある京都のホールのなかでは随一の音響を誇る...ということを今日再認識した。だって、
前にここで聞いたのは10年くらい前?いや、もうちょっと新しいか。確か、室内管弦楽形式のメサイ
アを聞きに来て以来であるから、ほとんど忘れていた。
プログラムの最初の「畷ジュニアハーモニー」の『ほたる』が響いたとき、そこかしこから蛍が現れて
残像がつー、つぅーっと重なるように、声があちこちから聞え、重なりあって、どこの聖堂にいるような
気分になったのだ。それもなぜか屋内のきれいな聖堂というよりは、森深い林のなかにある屋外の
『聖堂』。閉ざされていない、広い空間にこだまするような、シンとした響きだった。まず、そのひびき
にこころとらわれた。
結局、女声3団体(ジュニア含む)、混声4団体を通して聞いて、このホールの響きを、もっとも素直に
活かしきったのは、畷ジュニアハーモニーだったと思う。コンクールではないから、だからどうなんだと
いうことではないのだけれども、合唱をやる上で、ホールの音響とうまくやっていけるか?というのは
かなり重要な問題なのだ。
さて、今回の演奏会で、私のなかの新しい体験として、女声合唱のハーモニーというものをしっかり聞
いたということは、新鮮なものだった。またしても、「身びいき」がすぎるようだが、アンサンブル・シェリ
ーという団体の演奏の感想を書いてみたい。
この団体は、指揮者であるI東氏が、この演奏会のために、かかわる合唱団体から女声を集めて編
成したものである。(だから、知人・友人が多い。「身びいき」というのは、そういうこと)普通、女声合
唱というと、ママさんコーラスしか思い浮かばない、という現状がある。演奏はといえば、ビブラートバ
リバリ!バリバリ!イナヅマ〜!というイメージだ。
シェリーの演奏は、当然そういうイメージを覆すものだったが、私にとってはそれだけに止まらなかっ
たのである。女声合唱ならでは魅力というものを見せてくれたといえば良いか。男声というものは、声
部を4つに分けたとしても帯域が近いせいか、非常にハモリやすい。そこに魅力があるわけだが、女
声の3部というのはまったく違うのだ、ということに気づかされた。ソプラノ、メゾ、アルトのそれぞれが
かなり音色が異なって聞えるため、ただ音を出せばハモるというものではないのだ。
逆に、音色が異なるからポリフォニー的な旋律の部分は楽かというと、そうではないと思う。声の違い
だけに任せていては、パートとパートの関係性がなりたたない。こう考えると、非常に高度なテクニッ
クのうえにたたなければ、女声合唱というのは成り立たないものだと言える。そして、それをなりたた
せている演奏というものを聞くことはまれだ。というか、女声合唱そのものを聞く機会がなかった。
今回のシェリーの演奏は、上記の点をすべて踏まえたうえで、曲作りがなされていたと思うといえば、
ほめすぎか。急遽、編成された合唱ゆえの、「締め」の甘さみたいなところがなかったとは言えない
けれども、パートの掛け合いと、ハモリのバランスが取れていたと思う。普段から女声オンリーでは
なく、ほとんどのメンバーが、常に混声での経験を持っているからこそ生まれる「勘」が発揮されて
いたと思う。
もうひとつ、あまり一般的な感想ではないかもしれないが、パートによる音色や音楽の違いをわたし
は、「魂振り」と「魂鎮め」的にとらえながら音楽を聞いていた。異界より霊を降ろし、力を得るのを
助けるのが、「魂振りの巫女」であるが、これはソプラノ。逆に、霊を鎮め、秩序をもたらすのが、「魂
鎮めの巫女」で、これはアルト。力を鼓舞し、鎮めるという、+と−の力を、私はシェリーの演奏に
感じていた。だから、演奏を聞く私のこころは、大揺れに揺れていて、気がつくと手のひらが、熱く
なっていた。いままで、そういう「心の揺さぶられ方」を経験したことがなかったのだ。混声では常に
おなじ方向に向かっているソプラノとアルトが、そういう役割を分担しているとは...。
女声合唱を真剣に聞こうとすると、すごいエネルギーがいるということがわかった。
最後に、もうひとつ。このアンサンブルフェスティバルには講習会もあり、その講師として、当間修一
氏が招かれていたのだが、今回のアンサンブルについて、こんなことを話されていた。「どの合唱も
すばらしい…が、『体』が動きだすものがあれば、もっと良くなるはず」。音楽とは、身体表現のなか
から生まれるものである、という考えだ。頭で学習し、考えることも音楽には必要。でも、それだけで
は、聞く人に思いはすべて伝わらないかもしれない。届かないかもしれない。そこに「体」があれば
。。。難しいことではないと思う。リズムを刻む、そのとき体は動いているから。それが、おおげさで
はなくて、自然に「表現」できるようになるには、日本人はまだまだシャイなのだと思うけれど。
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