電波暗室 2003/09
- 2003/09/30(火)
昨日のプログラムはいやな予感が的中し、やはりうまくいかなかった。出す指示、出す指示、
やってもらうが、あまり良い結果はでない。先輩と話して解決方法を探るが、電話で指示を出す
のは、もう限界だった。「こんなことなら、品種展開丸ごとウチでやったほうが早かったなあ」と
先輩も嘆息。方法は、ふたつ。これから工場に出張し、HELPする。もうひとつは、デバッグを
打ち切り、いったんこちらへ戻ってもらって、デバッグしなおす。結局、サポートをそこで打ち切
った。我々にも、仕事がある。それらを遅延させるわけにはいかないのだ。もうひとつ理由がある。
このプログラムとは、生産に使う機械で走らせるものである。だから、立ち上げ時間は、短ければ、
短いほど良い。なぜなら、機械を生産に使わず、デバッグに使うという事は、その機械1台分の生
産能力の低下を招く。また、機械一時間あたりのコストも厳密に計算されており、生産せずにデバッ
グに使うということは、その時間分赤字になることを意味する。
工場現場で、一発で立ち上げるには、開発現場での十分なデバッグが必要なのはいうまでもない。
そのために、開発部署にも工場と同じ機械がある。しかし、開発するモノの数に比べると絶対数が
少ないため、一日に使える時間は、最長で2時間。それも2〜3日置きだったりする。十分なデバッ
グは必須、しかしそのためには非常に短い限られた時間しかない。ジレンマである。
機械がつかえなければ、あとはエディタ上で目をさらのようにして、デバッグをするしかない。そして
シミュレータ(これも数が限られている)で動作チェックを繰り返す。シミュレータではモノの特性違い
によるタイミングというものはわからないので、あとは機械上で仕上げる。
この作業は、総合的な能力を要求されるため、デバッグする人の経験と勘と、洞察力によるところが
大きい。しかし、こうも立て続けに新製品を、それも前倒し前倒しのスケジュールでつくっていると、
人材を育てるどころではなくなってくる。→よくできる人に仕事が集中→人材育たない、うえに、よく
できる人が倒れる、なんてことになってしまう。
私の部署は、そういう状況を改善するために、プログラムを標準化したり、デバッグのためのツール
を作ったりする。本来ならば、特定の部署のサポートをするのは、ミッションに反するのだ。あくまで、
水平展開が目的の部署なのだ。しかし、ウチの部署が120%サポートしないと、開発が回らないく
らいなのが現状である。
10/1より組織変更がある。新しい組織は、このいかんともしがたい状況を改善するきっかけになる
のだろうか?
- 2003/09/29(月)
昼頃、電話がかかってくる。工場にプログラムを立ち上げにいった開発部署からのHELPコール。
「○○の確認はどうしたらいいんですか」。おいおい、ちょっと待て。そんなことも知らずに、工場に
行って、行ってから電話してくるな。と、思うが口には出さない。○○の確認方法を口頭で伝える。
数時間後、また電話。「どうもうまくいってないみたいなんですが。」だんだんいやな予感がする。
工場のプログラムをリモートで閲覧しながら、チェック。全然ダメだあー!。頭を抱える。埒があか
ないので、その場でアルゴリズムを組みなおす。会議中もずっと紙にかきかき、プログラム。
修正方法を口頭で伝える。元は私が作ったものだが、開発部署用に使うには若干の修正が必要
なものだった。なので、一月ほど前にプログラムの引継ぎにいって、マンツーマンで教えたのだが、
どうも理解してもらえてなかったばかりか、この一月プログラムを読んでいなかったようだ。
実は、私の先輩が、先週金曜日の夕方から、「火消し」(尻に火がついている状態だったので)
に出張し、17:00〜23:00くらいまでかかって、ようやく体裁を整えたのだ。しかし、それでもまだ、
抜けは残っていた。というか、そこまでフォローする気力が残らないくらい、当初のできはひどい
ものだったらしい。
結局、21:00くらいまでサポートし、これをやれば、完了するだろうというところで、かえることに
した。電話を肩にかけ、リモートでプログラムを閲覧・記述し、作業を指示し、原因を推測するの
は、物理的にも、精神的にも疲れる作業だ。
3ヶ月ほど前に、別の部署の人に、このプログラムの開発部署用展開を教えたのだが、ほとんど
フォローする必要がないくらいで、足りない部分は、その人自身が新たに記述したくらいだった。
それと比べると、なんとも言えない格差である。
建設的な質問は、こちらの脳を活性化し、お互いに有益だが、「なんとかしてください」レベルの
質問ともいえない懇願は、脳を停滞させる。とにかく疲れた。やっている本人よりも疲れた気が
する。うまくいけばいいのだが...。
- 2003/09/28(日)
家ではいているスリッパがだいぶへたってきた。素足に履くのが基本なので、おろしたてのころ
に比べると足に伝わる感触がいまいちだ。トイレ用のスリッパを履いて、こちらのほうが、肌にや
さしいくらいだから、もう限界かも。
私は主として、ホテルなどで客室で履く用のスリッパをはく。もちろん宿泊するとホテルがくれるも
ので、備品をもらってきたわけではない。ビジネスホテルなんかでは、歯ブラシ、髭剃り、使いきり
シャンプーあたりがアメニティーとしてつくが、少しいいところに泊まると、もらってかえってもいい
スリッパがつく。最近は、インターネットで申し込むと、シングルの値段でダブルやツインに泊まっ
たりできるので、そういう時は、二人分のスリッパだ。
歯ブラシや、髭剃りは、たまってくると持て余すので、最近はほとんど持ち帰らないが、スリッパは
はきつぶすので、もらえるものはもらう。家ではくだけでなく、あまり機会はないが、飛行機に長時
間のるときなどは、マイスリッパがあると便利だ。荷物になるなら、捨ててしまってもかまわないし。
(しかし、ペタンコになって、どんな隙間にも入るから、実際捨てることもないのだが。)
そろそろ冷え込む季節になったので、新しいやつをおろさないといけないな、と思う。
追記
夢路いとしさん死去。
ご冥福をお祈りします。
- 2003/09/27(土)
誰かが、久しぶりに元気そうに笑っているのを目にし、その笑顔を少しでも自分に向けてくれる
ことが、こんなにも心を落ち着かせ、また奮わせることがある、ということに気づき、そして驚く。
追記
男ってのは馬鹿なもんです>各位
- 2003/09/26(金)
10/1だと思いこんで、案内を出していたシステムレビューが、実は会議室の予約は10/2にとって
いたことが判明し、大慌てでお詫び+訂正案内を出す。しかも10/2には出張のアポイントメントま
でとっていたが、こちらも当然いけないので、お詫び+キャンセル。ボケているとしか思えず、凹む。
上期末ということで、仕上げなければいけない仕事も多く、頭が回っていない。もともと、並行して
何かをやることが苦手なこともあり、自分自身のマネージメントをきちんとしないと、えらいことをやら
かしてしまいそうだ。これから秋〜冬の合唱シーズンに突入し、趣味のほうも忙しくなる。心の安寧
を得る手段を考えないと、なんだか忙殺されてしまいそうで怖い。
とか考えつつも、今日も、明日も合唱三昧。ああ、ぶどうの練習最近、練習時間に間に合わず、宴会
だけでてるよ!まずいー。
- 2003/09/25(木)
給料日だったので、帰りにDVDを買う。「ガンパレード・マーチ」の5巻(アニメ)と、「スタートレック
ジェネレーションズ」である。
「スタートレック」シリーズの中でも、「ジェネレーションズ」はThe Next Generation、つまり、ピカード
艦長の代の、はじめての映画になる。これまでに「ジェネレーションズ」「ファーストコンタクト」「叛乱」
、最新作「ネメシス」と4本作られたが、私的には「ジェネレーションズ」>「ファーストコンタクト」>
「ネメシス」>「叛乱」であろう。TNGファンのなかには、これとは当然違う意見のひともいるだろう
が、「ジェネレーションズ」はあまり人気がないようである。
そもそも「G」は、新旧の受け渡しとして、カーク艦長とピカード艦長、二人とも出てくる。このあたり、
TNGファンには馴染みが薄いせいか、あまり受け入れられなかったのかもしれない。わたしも、TO
Sは見たことはないのだが、カーク艦長=矢島正明ということで、無条件に違和感なく受け入れられ
た。もうひとつは、アクションシーンが少ないというのもある。エンタープライズDは一方的にやられる
だけだし。
しかし、私は「G」が好きである。理由は、「G」には唯一、エンタープライズDが登場するということ。
あの馴染み深い機体には愛着がある。またエンタープライズEが、いまいち好きになれないという
こともある。(バンダイはDのプラモデルは作ってくれないのだろうか?)
しかし、何より、TVシリーズのTNGを正統に受け継いでいる感じがする点が大きい。それは、言い
換えると、「TNGらしい台詞やシーンが多い」ということにつきる。「感情を整理できず、任務を辞退
するデータを上官として友人として叱咤するピカード艦長」のシーンは、その最たるものだ。また、
「時は共に旅する友人なのだ。」や「どの瞬間も愛おしい、過ぎ去るがゆえに」などの、普通にいっ
たらくさくてたまらないような台詞も、ピカード艦長らしさがにじみ出ている。
TNGの「まじめくささ」というものは、ジョークになるようで、イギリスのコメディSF「宇宙船レッド・ドワ
ーフ号」でも、リスターがリマーに向かって「そんなスタートレックみたいなセリフを言うなよ」という
シーンがあるくらいだ。
ファーストコンタクトのようにド派手な艦隊戦やボーグとの戦いはなくても、ネメシスのような意外な
エピソードでなくても、そのまじめくささをかたくなに全編に渡って貫き通した「ジェネレーションズ」は
なにより正統でかつ、映画として面白いTNGであるなと、私は思うのだ。
やはりTNGは良いなーと再確認したひとときであった。
- 2003/09/24(水)
思い余って(?)、クラクラして(?)、「小野真弓写真集」を買ってしまう。α波を観測。
- 2003/09/23(火)
昼間にTV(BS-Hi)を見ていたら、非常に面白い番組をやっていた。「赤とルージュ」というタイトル
のドキュメンタリーで、シャネルの口紅の開発者であるフランス人が、シャネルの新しい「赤」を求め
て日本にやってくるというもの。内容を紹介。
それまで、そのシャネルの人の自信作は、「コチニール」という貝をすりつぶしたときに出る、動物性
の「赤」。すごく深みがあり、美しい赤だ。しかし、彼はそれに満足せず、何を求めたかというと、日の
丸の赤だという。そう、日の丸の赤は、すなわち日輪、太陽の赤だ。
彼がやってきたのは京都。京都郊外に、昔ながらの染色法で紙や、布を染めている染色家の吉岡
氏の工房があるからだ。そこには、日本古来の「赤」がなんと50種以上もあった。これにはフランス人
でなくとも驚く。朱、茜、桜、紅、緋、...微妙だが、でもしっかりと異なる数々の赤。なかでも、日にかざ
すと、黄金色に輝く赤があった。これこそ彼が求めていた赤。それはなんとベニバナの赤だった。
ベニバナは黄色い花だが、昔はこの花から、口紅をつくっていた。1000年以上も前の話だ。いったい
どうやって?ここからが、すごいのだが、その製法はこうだ。まずつみとって乾かしたベニバナの花を
中性の水で洗う。そうすると、黄色の色素が滲み出す。そうしたあとで、わら灰を溶かした水、すなわ
ちアルカリの水で洗うと、なんと赤色が滲み出してくるのだ。そう、水のpHによって抽出される色が
変わるのだ。しかし、これで終わりではない、赤が出たといっても、それほど濃い赤ではない。そこで
ここに酢酸を加えるとどうだ。たらした部分から鮮やかな赤に染まっていく。シャネルの人は、しきりに
マジック、マジック!と叫ぶ。アルカリが中和されたためらしい。これで終わりではなく、さらにここに
烏梅(うばい)から抽出したクエン酸を加える。すると、赤の色素が沈殿し、泥のようなものが残る。
これで完成。あとは、これを水で溶いて、和紙に4回重ねて塗る。一度に4回塗ると和紙が傷むので、
一日一回。できあがった、和紙は、わずかに光沢を帯び、青みがかった深い赤を発していた。美しい。
一体、昔の人は、どうやってこんな方法を見つけたのだろうか?番組中でもシャネルの人も不思議
がっていたが、吉岡氏によれば、「昔の人はなんどもなんども失敗して、編み出したんです。いまの
我々は、そのおかげで失敗せずに済みます。」という。
なぜ、ベニバナの色は、こんなにも美しいのか。色素の研究をしている岡山の教授によると、実は、
ベニバナの赤は自ら光りを発する「蛍光色」なのだそうだ。シャネルの人は、テーマとして、日の丸
意外に「蛍光」もターゲットにしていたのだが、そのどちらもベニバナは持っていた。さらにおどろいた
のは、その教授の提案で、コチニールとベニバナを半々に混ぜ合わす、これまでになかったまったく
新しい、赤ができたことだった。
ほかにも彼は、日本の衣装の「襲ね(かさね)」や、東大寺二月堂の「つばき」など、赤に対する、
日本の美の世界を吸収し、フランスに帰って行った。その3ヶ月後、彼は三つの試作品を作り、それ
ぞれ「ルージュ・ド・京都」「ルージュ・ド・奈良」そしてコチニール+ベニバナのものを「AKA」と名づけ
た。
番組を見ていて思ったのは、これはまさに「ディスカバージャパン」だなということ。日本にはまだ、こ
んなに美しい世界があったのだということを、外国人の新鮮な目によって、マルコポーロのごとく見出
して教えてくれる。「色」ひとつとっても、これだけ深い世界が広がっているのだ。もっといろんな視点
で、探求すれば、我々は「忘れかけている新しい文化」を再び見出すことができるような気がした。
私が、普段接している音楽の世界ではどうなのだろうか?
- 2003/09/22(月)
仕事は休みをとっていた。この前の結婚式でさえあれほど疲れたのだから、合宿明けに会社に行く
にはつらかろうと思いの判断。
DVDで「スパイ・ゲーム」を見る。この映画、何度見ても面白いし、なによりロバート=レッドフォード
かっこよすぎ。映画の中では、定年でCIAをその日退職するエージェントの役なのだが、とてもそう
は見えないのだ。しかし、実年齢はたしか定年でもおかしくないはず。
一日中、CIAの局舎にいながら、中国でスパイ容疑で逮捕された、かつての教え子(ブラッド=ピット)
を、「非合法に」救出するという展開。スパイものだが、体をはったアクションというものは、まったくな
い。とにかく、秘密裏に情報を収集し、相手(CIA高官)の機先を制し、行動につなげる。そこには、銃
もなければ、最新のIT機器はない。使われるのは携帯電話、FAXのみ。重要なのは、情報をいかに
使うか?という駆け引きのみ。そこにいたる細かい描写の積み上げが、「現場の人間らしさ」をリアル
に浮き立たせていて、アクション・スパイの典型、007シリーズとは違った、知的愉悦とでもいうべき
快感を味あわせてくれる。(といってももっともらしい政治的やりとりなどで観客を煙に巻くのではない
ところがまた良い。)
この映画の台詞中で、白眉なのは、つぎの台詞だろう。
「ノアはいつ箱舟を作った?雨が振る前、雨が降る前だ!」
この言葉の含蓄は深い。もしかしたら、類似の台詞はかつてあったかも知れないが、この映画に
ほど似会うものはなかっただろう。随分と前から、これを日常で使う機会はないものか?と密かに
画策しているのだが、そんなカッコいい場面は、現実にはなかなか登場しないのだった。だいたい
キリスト教文化圏だと、聖書に範をとった台詞はインテリのお決まりパターンで、言う方も聞くほうも
その意味合いをしっかり受け取れるものだと思うが、仏教文化圏、いや無宗教文化圏のなかで、
そんなことを言っても誰も「やるねぇ」などとは思ってもらえないだろう。「へぇ〜、それ何?なんかの
トリビア?」とか言われかねない。
聖書的なものに限らず、英語圏におけるシェークスピアの台詞などをつかった、直喩、暗喩、ギャグ
などは、人々に共通認識があってこそ成り立つ。何も、日本のなかで、そういう台詞を無理に使う
必要はなく、日本の「共通認識」にあった台詞があればいいのだが、果たして、いまの日本の社会
のなかで、そういった知的な共通認識というものがあるだろうか?昔、ずっと昔、平安時代、江戸
時代など、文化的な爛熟期には、和歌や俳句が隆盛を極めたが、それらの作品のなかには、過去
の名作をふまえたうえで、詠まれたり、書かれた作品が多かった。「万葉集」「古今和歌集」などは
その対象作品の典型だろう。
今の我々は、「今」にしか生きていないだろうかと思う。過去の下地の上で生きている人間と、浮き
草のよに、地に足をつけずに生きている人間と、どちらが、世界のイニシアチブをとれるか(いや、
別にとらなくてもいいのかもしれないが、自国の文化を守るためには必要かも。)というと、答えは、
明らかなような気がする。こういうことを言い始めると「教育」のあり方、について考えざるを得なく
なるが、きりがないので、このあたりで止めておく。
- 2003/09/21(日) なにコラ合宿第二日目@奈良YH、奈良青年会館
奈良YHの寝室は、ほかのYHのそれと同じように、木製の二段ベッドである。下段には、カーテン
が取り付けられているので、迷わず下段で寝る。カーテンと、上段の床で外部と隔絶されたわずか
なスペースであるが、その狭さと隔絶間隔というものは、子供のころ押入れの中に密かに建設した
秘密基地(私はインドア派だった)にも似て、心地よい。
前日の練習は、初日で午後からだったので、それほど疲労感はなかった。しかし、二日の午後から、
場所を移動しての練習はさすがに疲労感がぬぐえない。うたいながら寝る団員(!)もちらほら。
16:00くらいになると、精神力だけで立っている感もある。Glee時代の合宿はこれが5日間も続いて
いたのだから、今考えるとおそろしい。
9:00-12:00、13:00-16:40練習。
今回の練習でようやく曲全体のポイントが見えてきたように思う。これで、練習資源を絞った投資
ができるわけだが、いざポイントを見えると、意外にも壁は高かったということに気づく。ベースという
パートに限って見ると、音色の面では今回はかなりまとまった形にはなったが、音程の甘さや、うた
い方が全然賢くないという点を大きくさらけ出す結果となった。
今回の練習で印象的だったのは、最終クールで、コダーイのハンドサインを使ったメソッドをベース
にのみ導入したこと。ハンドサインとはドレミ音程を、手の形と、上下の位置であらわすもので、児童
合唱の指導に用いられることがある。ドであれば、拳骨であらわし、根音としてどっしりと構え、ソなら
ば手のひらをたてて空をあおぐように、第V音として「明るめ」に、レは手を傾けて高め、ミは手のひら
を下に向けて、第III音としてやや「抑えて(ちょい低め)」というような感じで、和音における音程の役
割を視覚的に示しており、大変わかりやすい。
簡単なフレーズの繰り返しで、ベース全員でこれを試したところ、全体の音程がみるみるうちに、そろ
ってきたのは正直驚きだった。児童向けと思って、あなどっていたのだが、なにコラのメンバーには、
よくあっていたと思われる。なにせ普段から指揮者には「幼稚園児なみ」の練習態度といわれてい
るし、「なにコラではあまり難しい言葉で話してない。わー、とかぎゃーとか、やー、とかばっかり」とも
言われているから。(笑)
練習終了後、指揮者を含む京都組は、「林号」(メンバーの車)で一路京都へ。R嬢も京都なので、
同乗。すると、「今日は、私を慰める会を開くわよ」(一部、脚色し,以下略)と突然宣言。携帯で在京
のメンバー数人を招集のうえ、「えっとね、山Dさんと、○○くんと、××くん、△△も来るよ」と、誰一
人の許諾も得ずに、その場にいたメンバーのほぼ全員が出席ということになっていた!おそるべし!
だいたい合宿帰りのメンバーが酒を飲んだら、間違いなく30分で眠ってしまうと思われるのだが...。
結局、京都到着後、総勢8名で宴会開始。21:00終了後、別のメンバーを加えて二次会へ。わたし
はさすがに、体がついていかないので、離脱した。その後、伝え聞くところによると、三条河原町の
川べりでみなで酒をかっくらっていたらしい。
追記
22日、R嬢は熱をだして寝込んだとの情報が消息筋(本人)から入った。河原で飲んだのがまずかっ
たらしい。昨日は寒かったもんなあ。やれやれ。最後まで付き合ったメンバー、ご苦労様でした。
- 2003/09/20(土) なにコラ合宿第一日目@奈良YH
近鉄京都駅から近鉄特急に乗り、約30分後、あっさり奈良についてしまった。急行だと約50分。
わずか20分の差だが、学生時代6年間近鉄京都線に乗り続けた身としては、車窓の退屈さが、
20分も減るならば、特急料金500円は安いと思えた。
奈良YHまでは歩いていこうかと思っていたのだが、雨もきつく、バス乗り場を探すが、なかなか
見つからず、練習開始時間は迫るばかり。仕方なく、タクシーに乗る。乗り合いをしようにも、なに
コラメンバーが見当たらない。2メーターで到着したので助かったが、歩いていくにはきつい距離
だった。
練習場所兼宿泊場所の奈良YHは、野球場のすぐそばにあり、周りは公園で静かな場所。建物
は古いのだが、なかはよく清掃されていて、清潔な感じ。15:00-18:00,19:00-21:00練習。途中、
ぶどうの樹メンバーで、昨年のなにコラ合宿マネージャーでもある「お蝶夫人」ことR嬢が合流。
実は、R嬢は今日、台北男声合唱団の演奏会を聞くために、単身台湾へ飛ぶはずだったのだ。
しかし、あろうことか、台湾滞在にはパスポートの残存期間が6ヶ月以上あることを知らず、あと
二週間の期間不足で関空から出国できず。(ちなみに出国しても入国できないので、強制送還
をくらう。)航空券を購入する際、代理店の人間がパスポートを確認したというから、あきらかに
代理店の人間のミスだ。お金はもどるかもしれないが、おかしいやら悲しいやら。で、人恋しさの
あまり、知人も多い、なにコラ合宿にやってきた。(たしかに台北と同じく男声合唱団だが。)
なにコラメンバーには、「ほかにも行くべきところはあろうに、なんでまたこんな場所へ?」とから
かわれていたが、まあ、ひとりで落ち込むよりはよっぽど良かったのだろう。練習はすべて見学
し、宴会にも参加。途中、台北のメンバーから国際電話があり(R嬢とは、宝塚コンクール以来の
知り合いなのだ。)、ちょっとほろっとしていたようだが、「牛乳を飲んで酒に備えていたら、私が
飲むころにはもう買出し酒が残ってないって、どういうこと?」といつもの調子(一部脚色しており
ます)が戻ってきて、知人一同ホッとした。(出発直前の中止、心中は察してあまりある。)
しかし、指揮者伊東恵司は非情の男(笑)。R嬢がきたのをいいことに宴会終了後、「アンサンブ
ル・バイン」(R嬢所属、伊東氏指揮)のなにコラ掛け持ちメンバーと、R嬢を練習場に召集、約1
時間みっちり練習をしたのだった。深夜一時ごろまで。
それにしても、比較的新しいメンバーが「Rさんって、なにコラのメンバーですか」と本人に直接
たずねていたのには笑った。あとでR嬢は「メンバーなわけないじゃん!」と怒り(?)をあらわに
していた(一部脚色しております)が、そう確かに、なにコラの入団資格には「男性であること」と
しっかりうたわれているのだった。
- 2003/09/19(金) 「かんかん」

ぶどうの樹の友人に、栃木土産(友人の実家)をもらう。その名も「日光甚五郎煎餅」。包装紙を
開くと、そこには鉄製の「かんかん」の容器があった。これはポイント高し!かんかんは、中身を
おいしくいただいた後も、書類入れ、楽譜いれ、手紙いれなどに重宝するので、好きなのである。
かんかんランキング1位はなんといっても、鳩サブレー。あの黄地に鳩マークには心和む。甚五郎
煎餅かんかんは、表に芭蕉の句なども入りなかなか渋い。派手さはないが、預金通帳、領収書な
ど、金融関係が似合いそうだ。ちなみ鳩サブレーには楽譜を入れている。
甚五郎煎餅そのものは、一見、日清どん兵衛のおあげ(お湯をかける前)のようなのだが、どくと
くの風合いの塩味でなかなかいける。これはお茶と一緒にゆっくり食べたいところだ。甚五郎だけ
あって、かんかんやパッケージに眠り猫の絵がデザインされている。これがなかなかかわいらしく、
愛らしい。和猫である。
友人は、事前にメールで「山Dさんのテイストにあうかな?」と言っていたのだが、ばっちりです!
どうもありがとう。
- 2003/09/18(木)
 
どうやら私に足りないのは「大豆」であることが判明した。そこで、大豆関係を集中的に補給して
みたところ集中力は飛躍的に改善された。それにしても両者とも直球なネーミングである。
- 2003/09/17(水)

ばいかしん。中国鍼の一種。出っ張りの部分に7本の針が飛び出しており、
板バネ状の柄の部分をもって、反動でツボを反復刺激する。
相変わらず、集中力が続かず、鈍重な頭痛が続くので、"ばいかしん"で、頭頂部と、眼球の正中
線と、両耳の横断面がクロスする部分2箇所、を集中的にたたきまくって、血を出す。ちょっとすっ
きりする。
- 2003/09/16(火)
東京人10月号を読む。小津安二郎特集。小津ファンの某指揮者にも、演奏会の差し入れとして
一冊進呈した。なかでも「辞典を引いて読む、小津脚本」が面白い。小津映画の脚本に見られる
「昭和のことば」は、今では予想もつかないものが多い。「冗談言うない」という言い回しも独特。
小津特集なのだから当然のように原節子の写真が載っている。東京物語で、共演した香川京子
との写真。香川京子(当時)は昨今の女優より数段きれいではあるが、1953年当時はまだ女学生
のようで垢抜けない部分がある。だから、比べるのは不公平という気がしないでもない。が、隣に
並んだ原節子の存在感といったらすごいものがある。輝きが違う。犯しがたい存在だというのが、
写真だけでわかる。
同じ特集で、荒木経惟は「原節子の獣のような目、いいね。」と言っているが、いいえて妙である。
この項のなかでは、荒木の小津の捉え方が一番面白く、的を射ている。「小津映画は一コマ、一
コマが写真である」のほか、画面構成、人形になりきる役者論など、なるほどとうならされる。
- 2003/09/15(月) 「DATレコーディング」
(2002.02.23撮影)
朝から、○川さんが主宰する合唱団の録音セッティングのため、ZAC Hallへ行く。もともとは明治or
大正に立てられた銀行を改築したもので、正面には銀行建築らしい列柱がならぶ。1階が喫茶店、
2階がホールとなっている。ホールに足を踏み入れると、かなりこじんまりとしたスペースに椅子が
100脚弱ならぶ。もともとの施設をなるべく改造せずにホール仕立てにしているため、前方には、
野外劇場で見られるようなライト用の枠組みが見える。内部は木造のため、大掛かりな改装をほど
こすには、耐荷重の点で問題があったのだろう。どういう形態で運営しているのか不明なのだが、
バーカウンターらしきものがあり、ダンスホールのようでもある。
さて、音響なのだが、意外にもなかなか良い。少人数の合唱団であっても十分、会場全体をなら
すことができるようだ。合唱団は「ぴえに・えーに」といい、10人弱なのだが、そのまま録音する
とかなりレベルが高いので、アッテネーター(減衰器)をかました。それでも、まだそれなりの音圧が
ある。アッテネーターをかましたのはもうひとつ理由があって、空調ノイズをなるべくカットするため。
さらにマイクの指向を90度にすることで、空調が直接入らないようにする。このあたりの技術は、
これまで何度かやってきた生録の経験と勘。
思えば、生録をはじめたのは、Glee時代に資料担当マネージャーになったとき。同グリには、珍しく
DATレコーダーがあり、先生練習は必ず、これで録音していたものだった。ただ、再生デバイスが
このレコーダーしかないため、録音するたびにテープにダビングするという、DATの特性をいかした
使い方ではなかった。しかし、テープにおとすとはいえ、その音質はやはり段違いであった。後年、
MDが出始めたころに、MDをかわずポータブルDATを買い、さらにDATデッキまで買ってしまった
のは、このころ耳にした音のよさが忘れられなかったからだ。
セッティングを30分ほどで終え、帰り支度。本来なら、このまま舞台裏(というか会場後方のついた
ての後ろ)で、演奏を聞きながら、調整したかったのだが、なにコラの練習が昼からあるため、録音
操作は○川さんにお願いすることになった。(昨日は、よどこんの演奏会だというのに、次の日に練
習を入れるとは、伊東恵司おそるべし。)
なにコラの練習に行くと、伊東さんはもちろんのこと、よどこん掛け持ちメンバーが全員来ていたの
には驚いた。なんたる精神力だ。
- 2003/09/14(日)
淀川混声合唱団第15回演奏会へ行く。(いずみホール)
プログラムは、「夕べに、スウェーデンの抒情」、「Misa Gloria (by Ryan Cayabyab)」、「ニーステッド
合唱曲集」(客演:飯沼京子)、そして「感傷的な二つの奏鳴曲」。
全体をきき終って思ったのは、「よどこんサウンド」の芽が、すこしでてきたんじゃないかな?という
こと。団員のひとにもいったのだが、「新生よどこんサウンド」ともいうべき音楽があったように思う。
どういうことかというと、指揮者の伊東さんのほかの合唱団に比べて、よどこんは歴史が長いにも
かかわらず、「なにコラ」や「葡萄の樹」、「アンサンブルVine」にあるような、その合唱団特有のサウ
ンドのようなものが希薄であったように思うのだ。
この「○○サウンド」というもの、非常に抽象的で、主観的な印象なのだけど、合唱団の特長を、
伝えるのには、大きく的をはずした言葉ではないように思う。よどこんの演奏会には、これまでも
なんども足を運んで、実際にその演奏を聞いているが、演奏のレベルというものは、非常に高い
と私は思っている。アンサンブルとしての破綻というものが、あまり見えてこないし、そういう些細
なことを気にしながら聞くようなものでもない。曲によって、多少意欲的な面での波というものは、
あるようには思うが、歌声のなかに、喜びや、悲しみといった感情がきちんと表現できる団だと
思っている。
しかし、これだーという決定打がいままで、あまりはっきりしていなかった。その原因は、男声だと
思う。絶対的な人数が少ないため、強力で美しい女声を受け止める土台が弱かったのだ。今年、
なにが違ったかというと、あきらかに男声の増強である。人数的な面は、まだまだ女声にはおよ
ばないものの、新人が多く増え、声も若々しさが増した感じがする。従来からのメンバーもそれに
呼応していたように思う。彼らがこのまま成熟すれば、コンクールなどでも良い結果にむすびつく
のではないか?と期待できる。
さて、今日の演奏だが、まずスウェーデンの抒情では、Sverige(Stenhammar作曲)の演奏がダント
ツに良かった。第二の国家と呼ばれるだけあり、曲としての完成度が高いのだろうが、それを十分
に表現していた。つぎの「Misa Gloria」はフィリピンの作曲家、Cayabyabの手になるもので、意外な
伏兵であった。ステージ上にいくつものカルテット集団がならぶ形で演奏されたのだが、はっきり
いって、今日一番の名演だったと個人的には思った。曲の最後Amenの直前の絶頂は、涙が出て
くるほど、美しかった。ひとりで、立って、スタンディングオベーションしたいくらいだった。
次は客演、飯沼京子によるニーステッド。飯沼京子Xニーステッドというのは、はっきりいって、聞く
まえは違和感を感じていたのだが、これは二重の誤解であった。まず、ニーステッド作品そのもの
のなかでも、今回演奏したものは、いずれも冷静さのなかに力強い意思を秘めたものが中心で、
ニーステッドそのものに対する、「なんだか和音だけならしてる単純な曲調」という私の評価は一面
だけをみたものであった。そして、飯沼京子というひとは、もっとポップで、ダンサブルで、パフォーマ
ンスに富んだひと、というイメージがあったのだが、それもまた一面であった。曲の力強さと、合唱団
の良い部分を引き出すことに力をそそぎ、「指揮者として目立つ」という演奏をしてはいなかった。
合唱団の一員かのように、まるでそこに指揮者が介在せず、直接音楽が聴衆の頭上に降りかかる
ように思えた。(「指揮者を介在する」合唱演奏というものは実は多い。)
このことは、ある意味、いかによどこんが、指揮者(いとうけいし)によりかかった演奏を普段している
かを示すことのようにも思えた。解き放たれた「よどこん」がいかにすごいか、そのことを、媒介として
示してくれた飯沼京子はやはりただものではなかったのだ。
さて、そんなこんなで、終曲の二つのソナタ、一般的には、片方の曲名「落下傘」で呼ばれることが
多いが、これはそれほど強いインパクトは受けなかった。いや、これは悪い意味ではない。本当で
あれば、この終曲でもっとも盛り上がって終わるのが理想なのだが、今回は、1stから、4stまでが、
放物線のように、ひとつにつながり、まさにひとつの流れとして、どのステージも重要な役割をになっ
て演奏会を形作っていたように思ったので、落下傘のみに、その音楽的感動をもとめずとも良かっ
たのだ。なんだか逆説的に演奏が良くなかったみたいに聞えると本意ではないのだが、これだけ
しっかりと清明な日本語を聞くことができたのは、やはり大人の合唱団だからだろう。以前男声版
の同志社グリーがやったときには感じなかった情念だけに頼らない演奏を聞かせてもらえた。
(同グリのときは、むしろピアノに聞き入っていた。)
さて、アンコールは、まずは飯沼さんが「おんがく」。和音がなった瞬間、あひょっとして、と思い、こ
の曲が流れてきたときは、なんだか嬉しかった。私の好きな曲のひとつ。そして、伊東さんで、森山
直太郎の「さくら」。こういうJ−POPのアレンジを大人数の大人の合唱団が歌うのってなんて気持
ちが良いんだろうか。歌っている皆のそれはそれは気持ちよさそうな歌声。こういう選曲をしてみせ
るあたり、伊東恵司もやはりただものではないのである。それから、このアンコールでは特筆すべき
ことが。なんと、「おんがく」が終わったあと、飯沼さんはそでにもどらず、皆と一緒に「さくら」を歌った
のである。いままで、こんな光景は目にしたことがなかった。よどこんの皆、さぞやうれしかったことだ
ろうと思う。
最後に、あまり知られていないことだが、よどこんの演奏会のプログラムビルディングは実に秀逸で
あり、3年間ごとに特色ある演奏会の方針を打ち出すなど、他団にはない工夫がある。昨年までの
3年間は、関西以外で活躍中の指揮者を客演に迎えており(松下耕、雨森文也、藤井宏樹)、保守
的な関西合唱界にあって、新しい風を吹き込もうとする姿勢はもっと評価されていいと思う。(保守的
だから評価されない?)また、どうでもいいようで、実はすごく目をひく、チラシとパンフレットは、日本
中さがしても、これだけすごいものはない!と断言できるほど、すばらしく、市販品といっても、よいく
らいデザイン性と資料性が高い。合唱界以外の分野から評価されてもおかしくないと私は思う。
さて、今日からはじまった「次の3年間」のよどこん。どうなるのかとても楽しみだ。
- 2003/09/13(土)
体調を整えるため、なにコラの練習を休む。あとで、つたえきくところによると、まず練習場が取れ
てなかったらしい。結局よどこんと同じ練習場の別の部屋を借りて、移動したらしい。それから、
ベースのレギュラーメンツがそろわないうえに、ベースの音程がたがたで、全体和音がいっさい
決まらなかったらしい。いいのか。そんなんで。いつものメンバーがいなくても、歌えないといけな
いし、練習に来なかったのなら歌えるようにしてくるのがルールだ。われわれはうまくない。でも
うまくなる努力はしないといけない。そして、ステージではそんなことは微塵も感じさせない。それ
が「さわやかにかっこよく」なのだ。
- 2003/09/12(金)
計測器メーカーのプレゼンに出る。外国のメーカー+日本での販売代理店なので、当然ながら
英語ですすむ。代理店の人が要所で解説を入れてくれるのと、スライドと、説明の断片で、なん
とか理解しようとする。聞きながら、あらためてこんなこと思うのもなんだが、英語と日本語という
ものは、全然違う言語なのだと感じる。英語と日本語を交互に聞くと、特にそうだ。
英語の会話はとにかくアクセント、音の高低でなりたっていて、これにジェスチャーが絶対加わる。
英語のあとに聞く日本語は、言葉が流れてゆき、抑揚が極端におさえられたように聞える。だか
ら、普段の生活のなかで、英語を聞き取ったり、話したりするのはやはり難しいなと思う。ひごろ
から、「英語の音」とはこういうものだという刺激を受けていないと、日本語を聞き取る脳にしかなら
ない。...などと考える。プレゼンの内容を理解するの半分、言語体系の違いについて、思考するの
半分であった。
プレゼンに対する質疑が細かい内容の及ぶと、代理店の人を介してはまどろっこしいので、出席者
のひとりの主任技師が英語で質問をしだす。そして、熱中するあまり、日本人の代理店のひとにも
英語で同意をもとめたり質問を始めだしたのは面白かった。その主任技師の人は、別に英語が得意
というわけではないのだが。たしかに、そんなに簡単には切り替えられないよな、と妙に感心した。
さて、今日は連休前なので、強制定時退社日だったのだが、白熱するあまり、終わったのは18:00
だった。部署に戻ると、課長が苦笑いして、「残業つけとくよ」といってくれた。定時退社日の残業
手続きは実は面倒なことなのだ。しかし、これがプレゼンでよかった。定時退社日というのは、魔の
日であることが多く、やたら機械が故障したり、プログラムが動かなかったりと、サポート業務がは
いることが多いのだ。いくら残業がつくといっても、大手を振って定時に帰れる!というしあわせは
誰も保証してくれないからなあ。
- 2003/09/11(木) 「集中力ぎれ」
朝起きると、思考がままならない。どうも左右のこめかみに集中力の焦点がちょうど180度ずれ
てしまっている感じ。昨日あたりから、集中力が落ち始めていたのはわかっていたが、やはり睡眠
だけではなおらないようだ。集中力とはまさに一点にものごとが集まるもので、私の場合、目の延長
線上に焦点があり、その左右のずれがなくなったとき、そう虫眼鏡で太陽光を集めるように、メラメラ
と力が高まっていく。なんとかふんばって会社にいったものの、左右のレンズがくるくると好き勝手に
回転して、ピンボケ状態で、考えもうまくまとまらない。極めつけに、増幅器たる眼が、疲れてきて、
目も開けられず。
こういうときに書いたプログラムはあまりいいアルゴリズムではない。進捗は少なかったが、無理を
しないように帰宅した。目そのものよりも脳が疲れているので、目薬では改善しないのが、やっかい
だ。注意注意。
- 2003/09/10(水) 「飲まない」
会社で働くときは、オフィス勤務なのだが制服(帯電防止の作業服)に着替える。そのため、ひとりひ
とりに専用のロッカーがある。最近、私のロッカーのなかが、ビンで埋まりつつある。ドリンク剤のビン
だ。アリナミン7か、Vか、V&Vのどれかだ。毎日、毎日、夏バテもいいところなので、朝から「これが
飲まずにいられるかぁ」という感じで、ついつい駅や、コンビニで買ってしまう。会社につくと、基本的
にビン類は捨てるところがない。正確には売店前にもっていかないといけない。めんどくさいので、
ロッカーに置く→たまる、という構図。わかりやすい。
別にロッカーがビンで埋まっても、服がアリナミン臭くなるという弊害は今のところ出ていないから、
困ったことにはならない。困るのは、年末などの長期休暇前。消毒のために中身をからっぽにする
ようにお達しがでるのだが、さすがにまずいので、ビンは処分せねばならない。空き缶や、PETボ
トルに比べると数倍重いうえかさばるので、家に持ってかえるのが大変。(あまりにも大量なので、
途中の空き瓶入れなどに捨てようとすると時間がかかり、「ビンを大量に処分する怪しいサラリー
マン」として目立つのを避けるため。)
どうも私は仕事にしてもなんにしても、めんどくさいことは先送りにしてしまうタイプであるということ
がこの一件からしてもあきらかなようだ。
それにしも、ビールや、清涼飲料水はプレゼントキャンペーンをしょっちゅうやっているが、ドリンク
剤は、やってはいけないのだろうか。医薬部外品だから?これだけ売り上げに貢献しているし、
アリナミンシリーズを愛顧しているのだから、なんかください。武田薬品工業さん。
- 2003/09/09(火) 「来た」
私の場合、血液検査は別になんともないのだが、観察していると、40台くらいの人で結構、おっか
なびっくりの人がたくさんいた。担当にひとに怖いとか言ってみたり、「もうすぐ終わりますよー」と声を
かけてもらったりと、みためバリバリ仕事してそうな人が多いだけにギャップがおかしい。
絶食は思ったりよりはこたえなかったが、朝にいっぱいだけお茶を飲んでしまったのは秘密だ。しか
し、検診後に食事をしたとはいえ、昨日からの疲れもとれず、それとあいまって、またしても、ぼーっと
した状態で仕事することに。頭と目を使う仕事なので、集中力が続かないとつらい。ちなみに頭は、
物理的に使うのではなく、思考に使うので、念のため。(って誰に断っているのか。)
そんなこんなで、なんとか区切りをつけて、へろへろになりながら、帰宅すると、封書が一通来てい
た。グリーの後輩とぶどうの樹の仲間の結婚式の招待状だった。もへー。式で歌うだけと、思ってい
たの披露宴に招待していただくとは思っても見なかった。嬉しい反面、昨日の疲れが思い出される
なぁ。
たしかこの二人は、なにコラのレセプションで知り合ったはず。そんなことをなんとはなしに、親に漏
らすと、「あんたにはそういうのないのん?んっ?」とやぶへび。
- 2003/09/08(月) 「もう出ない」
はっきりいって、ただ歌って、食事をしただけなのに、なぜにこんなに疲れますか?帰りの新幹線
でも、買ってきた弁当も食べずに爆睡。帰って来てからもそっこうで眠りについたのに、翌朝の疲
労といったら、すごい。疲労宴?などという言葉頭をよぎる。
ドリンク剤でなんとか体を奮い立たせて、仕事をするも宙に浮かんでいるかのよう。そうそうにきり
あげて、帰宅。しかし、次の日は健康診断で血液検査があるため、21時から検査終了まで絶飲、
絶食。つらい、つらすぎる。もう、結婚式には出ても、披露宴には出ないぞ、と心に誓う。
- 2003/09/07(日) 「結婚式・披露宴を体験する」

丸の内ビルヂングにて
(写真と本文はあまり関係ありません)
11時30分より、皇居を望むKKRホテルにて挙式。吹き抜けのガーデンチャペル。おなじみの讃美
歌「いつくしみふかき」と、「妹背をちぎる」を、元グリーメン達は発声代わりに歌う!歌う!これでもか!
と歌う。確実に聖歌隊の声はかきけした。よし!
披露宴というものには初めて出席させてもらったのだが、新郎新婦の人柄があふれた良い式だった
と思う。料理の進行と、挨拶、余興、イベントのタイミングが絶妙で、出席している人を飽きさせない
ものだった。新郎の同期は、苦労人でまじめで実に優しい男だ。目立たない部分で、ホテルのひとと
綿密な打ち合わせをしていたに違いない。テーブルに添えられたメッセージや、花飾りなどは、新婦
や、新婦のお師匠の作品だという。大仰なイベントをせず、かといって披露宴の華やかさを失いはせ
ず、実に気持ちの良い披露宴だった。
さて、グリーの同期なので、当然余興の時間には、合唱の御祝を贈る。歌はまずは景気よく「斎太郎
節」、つぎに「君といつまでも」。実は、この「君といつまでも」、通称きみいつは、新郎新婦から恥ずか
しいから、絶対歌ってくれるな!と釘をさされていた曲。司会者のひととの本番前のうちあわせでも、
「新郎新婦からは絶対歌わないで欲しいと聞いてます」と言われた。しかし、司会者の人には、「見上
げてごらん夜の星を」と紹介してもらい、歌うことにした。これを歌わずして、結婚式であろうはずが
ない!たくらみは見事成功し、新郎はおきまりの台詞を言わされた。
実は、歌っている最中は、ほとんど結婚式のことは忘れて、「俺の歌を聴けー」とばかりに、気持ち
よく放歌していたのだった。集まった元グリーメン7人+新郎で、声を合わすのは久しぶりだったが、
そこはそれ、やはり何年もの間、毎日寝食をともにした仲間だからか、音程はともかく、合唱として
はとてもよくあっていたように思う。途中で音を間違えた瞬間、反射的に手をあげて、「申告」してし
まった福○のパフォーマンス(?)も、ふるっていた。(内輪うけなんだが、新郎が喜んでいたので
まあいいか。)
それにしても、冷静に式から、披露宴の終わりまでを見ていて、これだけのイベントをやるための
労力というのは、さぞや膨大なものなのだろうと推測された。本人をはじめ、ホテルのスタッフ、家族
のエネルギーが集約するすごいイベントである。世の結婚しようとする人たちに、どこからこんなに
すごい力がわいてくるのか、改めて感心し、驚かされもした。万一、自分がああいう立場にたっても、
こんなことをできるような自信はない。というか、それだけの自信を持たねば、内外に対して、私た
ちは、これから二人で暮らしていきます、という宣言はできないのだろうし、周りも認めてはくれない
のだろうな、と思う。
帰りに丸ビルに寄ったら、バーバパパがいた。
おわり。
- 2003/09/06(土) 「谷中根津千駄木」
 
谷中の猫 ケロリン堂の主
同期の結婚式は日曜日なので、前日の土曜日はかねてより行きたかった谷中根津千駄木界隈の
散歩にでかけた。山の手線日暮里で下車し、谷中銀座の方向へ向かう。土曜日の午前中だから
なのか、人はすくなくとても落ち着いた雰囲気。落ち着いた雰囲気なのはすぐそばが谷中霊園だか
らというせいもあるだろう。お寺が多く、お菓子やさんや花屋さんもちらほら。
このあたりは特に下町の感じが色濃く、道は狭く軒も低い。そして何よりやたらめったら緑が多いの
だ。玄関や壁にはもちろん家の前の道路まではみ出して、鉢植えがところせましと並ぶ。一軒や二軒
ではなくて、ほとんど全戸でそんな感じなのだ。鉢植えがなければ道端にでっかい樹が生えていたり
する。残暑の厳しいなか、緑がとても心地いい。
歩いていくうちに目的のひとつ「三崎坂」が見える。「みさきざか」かと思ったら「さんさきざか」だった。
まずは「いせ辰」へ向かう。ここは江戸千代紙の専門店。木版刷りの千代紙が1000種類ほどそろ
う。江戸小紋柄や、錦絵などどれも目に鮮やかで、一見女性向けのものと思われがちな千代紙もそ
のデザイン性の豊かさをみれば、男も女も関係ないだろう。千代紙そのものだけでなく、型から起こ
した線画をもとにハンカチや、手ぬぐいなどの小物も多い。お土産に千代紙と小物を買い、お店の人
と歓談する。
これはあとで入った別のお店でもそうなのだが、このあたりの人は話し好きのひとが多いようで、
気さくに話しかけてくれて、こちらが聞かずとも、いろんなことを教えてくれる。下町のよさなんだろう
か。「いせ辰」ではこんなことを教えてもらった。ゴッホの自画像で、背景に浮世絵がいっぱい張って
あるものがある。そのたくさんの図柄の由来はほとんどわかっていたのだが、2年前まで、そのうち
のひとつがどうしてもわからなかった。それを萩美術館の人が「いせ辰」が出していた版画のひとつ
であることを突き止めたそうだ。このときはお店の人もみんなびっくりしたという、そんな昔に外国に
いっていたとは夢にも思わなかったらしい。
さて、いせ辰で話し込んだ後、すぐそばの「かえる屋ケロリン堂」へ。実はこの前の8月に東京へ来
たとき、絶対来ようと思っていたのだが、滞在中の3日間大雨で、とてもでかけてこれなかったのだ
った。いわば念願の場所。オリジナルのカエルまんがのグッズを扱うお店なのだが、とにかくそのテイ
ストは、「のんびり、ぐうたら」で、一度絵を見ると脱力すること請け合い。
お店に行くとスタッフの人がこれもまたいろいろ商品の紹介をしてくれる。カエルのケロンとおたまじゃ
くしのおたまの図柄のTシャツと、温泉手ぬぐいを買う。実は、ケロリン堂、普及活動のため同人誌
即売会にも出ており、夏コミにも参加。お店にはこれなかったが、夏コミのブースでうちわなどをかっ
ていた。そのことと、京都から来たことなどを話すと、大層喜んでくださり、お茶をごちそうになること
に。そのスタッフの「とも」さんは、昔月一で京都の出版社に働きに来ていたそうで、「トンボ帰りして
いたので、全然京都観光していなくって、今思うともったいないなあって思います」だそう。いまは店
主と、ともさんの二人だけなので、なかなか出かけたりできないらしい。
その後、京都と谷中のことをいろいろおしゃべりして、おいとますることに。近々、ケロリン堂のオリジ
ナルかえる漫画も出るそうで、期待してください!とのことだった。
谷中は全然観光地ではないけれど、歩いていて、お店にはいって思ったのは人をひきつける引力の
ようなものがあるということ。わたしがこれまでイメージしていた浅草などの下町とはまた違った文化
があるように思う。今回は、午後から東京在住の友達のところへ遊びに行く予定があったため、それ
ほど歩きまわることができなかったので、もう一度、今度はゆっくりと歩きまわりたいと思う。
- 2003/09/05(金) 「無題」
明日はなにコラの練習だが、グリーの同期の結婚式が日曜日にあるため、前日から東京入りする。
というわけで、なにコラで必要なもろもろのものを、なにコラメンバーであり、バインメンバーでもある
○川さんに託すため、バインの練習場に行く。バインの練習場はぶどうの練習場と同じで、しかも金
曜日はぶどうの練習日なのだが、第一金曜日はお休みなのだ。バインのメンバーには、ぶどうの面
子も多く、ひょっこり顔を出そうものなら、「あ〜、間違えた?」とか言われかねないので、警戒しつつ
練習場へ。
ゆっくり入ろうとしたら、玄関のドアを開けた時点でみな振り返ってしまい、中扉をあけてメンバーが
でてきてしまった。「まちがえたんちゃうで」などと間抜けなエクスキューズをする。....本当は練習を
見学でもさせてもらって、帰りに皆でご飯でも食べに行きたかったのだが、今日はとにかく絶不調。
体が重い。何が悪いのかわからないが、とにかくだるい。いまもだるくて暑くてしかたがない。
明日の電車、間に合うように起きられるだろうか。
- 2003/09/04(木) 「法科大学院適性試験」
新聞にこの前行われた法科大学院、いわゆるロースクールの入学適性試験の問題がのっていた。
どんなものか?と思い一、二問だが読んで試してみた。なるほど、これは適性試験であって、学力
試験ではない。つまり、特定分野の専門的な勉強をしなくても、適性を有していれば、回答すること
ができるということだ。(むろん易しくはないし、制限時間も厳しめである。)
その適性とは、論理力、推論力、分析力など。確かにこれらの能力なくして、法律の専門家になるの
は難しい。しかし、ここではたと思ったのは、なにも法律の専門家に限らず、先にあげた能力というも
のは、どのような分野の学問をやるのにも、前提としてある程度必要とされるものではないだろうか。
なにがいいたいのかというと、大学なり、高校の入学試験の一部は、このような試験に置き換えた
ほうがいいのではないのかということ。分野別にある程度、傾向を変えるにせよ、その学問に対する
適性というものがわかるのではないか。勉学そのものは、入ってから死ぬほどやればいい。
上記の能力とは、少し離れるが、こんなことを経験した。院生時代、実験教科のティーチングアシスタ
ントをやっていたとき、ある学部一回に「家庭のコンセントに来ている電気は、何ボルトか。またそれ
は交流か直流か?」と質問したことがある。彼は、わからなかった。少なくとも、彼は大学の電気工学
科には来るべきではないと私は思った。わからなければ、その場で調べればいいという考えもできよ
うが、大学生のやることではない。そんなことは中学生でも、いや小学生でも興味をもっているのなら
すでに確かめていそうなことだ。電気工学をやるのに、電気に興味のないような人間に適性があると
は思えない。
これは極論なので、あまり良いことではないかも知れない。というのも、適性というものは、そんなに
簡単に測れないこともあるからだ。また、適性がないからといって、目の前にある仕事をやらなくて
いいということにはならない。限界に来たと思ったとき、そのことに対する適性が目覚めることもある。
私自身、仕事を始めてから発見した適性がいくつかある。
法科大学院に入ったひとたちが、将来法曹界期待の星となるか、否か、適性試験の行く末を見つめて
いたいと思う。
- 2003/09/03(水) 「バンドネオン」
BS-Hiで、アルゼンチンタンゴの特集をやっていた。以前、「地球に乾杯」でみたタンゴは、ダンサー
に重点を置いた密着取材型で、なかなかおもしろかったが、こちらは歴史、街、人と全般においた
もの。どちらの番組もそうだが、余計な「旅人」(レポーター)が出てこないので、安心して見られる。
そのなかで、タンゴの重要な楽器として、「バンドネオン」が登場した。はじめ見たとき、アコーディオ
ン?と思ったら、随分小型で、折りたたむと直方体になり、音色もかなり違う。登場したバンドネオン
奏者の人が、「バンドネオンはビブラートするんだよ。だからアコーディオンの平坦な音とは違って、
心にひびくんだよ」と語っていた。合唱であればビブラートはあまり良いものとはされないので、ビブラ
ートにいい印象がなかったのだが、なるほどタンゴの哀愁をおびたメロディは、ビブラートからうまれ
るものだったのだ。
バンドネオンはもともとドイツで発明・生産されていたのだが、戦後急激に生産が減り、いまではつく
られていないという。アルゼンチンタンゴでは、中古のものを大事に修理しながらつかっているのだ
そうだ。その修理業者の親子が登場。調律もパソコンを利用した手作りのもので、バンドネオンのキ
ーを押すと、画面には、GやEbの文字と+−のレベルが表示された。彼らの解説によると、左右それ
ぞれに40弱のキーがあり、蛇腹を伸ばすとき、たたむときで違う音になるうえ、キーの押さえ方で、
オクターブ上の音が同時になったりする。そのため、調律すべき音は220にも上るのだ。
調律は合金のリードを削ることで行うそうだが、このリードの生成が独特なため、バンドネオンを復活
させるのが個人レベルでは難しい理由になっているという。何十年も独自に構造を研究した父親は、
いつか、新しいバンドネオンを作るのが夢だという。
そのシーンをみていて、ふと思ったのが、わが国のカメラ産業である。一眼レフカメラは衰退し、デジ
カメ全盛の今、リコーのように、新規にアナログカメラの生産を中止するメーカーが出てきた。キャノン
にしても、ニコンにしても、フラグシップ機はもはや型番に「D」のついたデジカメ一眼レフなのだ。この
状態があと5年もつづけば、機械式カメラの生産は完全になくなってしまうのではないだろうか。そう
すると、10年、20年後には機械式カメラは中古だけになり、関東カメラサービスや、コシナ、中古修
理業者以外には、カメラを生産する技術や設備を持つところがなくなってしまうだろう。
果たして、何十年もたって、機械式カメラを懐かしがって、「機械式カメラを再現させるのが夢です」と
誰かが、語っている時代が来るのだろうか?それとも、スイス時計産業のように、しぶとくたくましく
生き残り高付加価値戦略商品の新しいカメラが生まれる時代が来るのだろうか。
バンドネオンの哀愁たっぷりのメロディーを聴くと、あまり楽天的な未来は描けないように思えた。
- 2003/09/02(火) 「粗品のしあわせ」
昨日の話になるのだが、暗室を書いたあとに風呂にはいった。ちょうど、銀行でもらった粗品の
入浴剤があったので、そのなかから「十和田にごり湯」を選んで使ってみた。シトラスの香りが
ひろがり、にごった湯は本当に温泉のようだ。つかってみると、かなり気分が落ち着くのがわか
る。同時に、祖父母の家のことを思い出していた。
うちの家の風呂というものは、無味無臭が基本となっている。風呂に限らず、手洗いも香りがつい
ていたり、色がついたものは使われていない。これは多分に父の影響が大きい。異常なまでに
するどい嗅覚を持つ父は、匂いのするものが嫌いなのである。父以外のものは、TVで宣伝してい
るブルーレット置くだけ、のようなものめずらしい商品はぜひとも試してみたいものであったが、
置いてから1〜2日くらいで、父が中身を全部抜き取ってしまったり、勝手に処分してしまうのであ
る。かなりむちゃくちゃ。当然、入浴剤の代名詞ともいえるバスクリンなどは家にあったこともない。
これに対して、父の両親、つまり祖父母宅は、匂いについては一般家庭と同じであり、浴室にはか
ならずバスクリンがあった。普段ないものに人はあこがれるもので、私は祖父母の家で風呂にはい
るのが好きであった。あの鼻腔をくすぐる穏やかな匂いと、なめらかな湯。祖父母宅の風呂は、中庭
に面しており、脱衣場は半分屋外で、夏場などの湯上りの爽快感は、我が家ではとても味わえない
ものがあった。
その祖父母も今はもう亡くなり、家もない。
同じではないが、ちょっとした粗品ひとつで、あのころのような爽快感が、それも我が家でよみがえっ
たことは、まぎれもない「しあわせ」であったと思う。風呂は命の洗濯という言葉がぴったりのひととき
であった。
- 2003/09/01(月) 「体力をつけよう」
8月の電波暗室をまとめる際に、7月のものを読んでみたところ、なんと同じ29日に風邪をひいて
寝込んでいることが判明。月一で風邪をひくとは体弱すぎだ〜と、ちょっとがっくりくる。
体を鍛えるのとはちょっと違うかもしれないが、4回生のグリー時代、ちょうど東西四連の前あたりに
一念発起して、毎日腹筋をしていたことがある。その効果は如実に表れて、歌っているときの息の
流し方が非常に安定し、無理に力をいれなくても声量がだせるようになった。グリーにはオーディショ
ンといって、演奏会前にきちんと歌えているかを、カルテットにわけて審査する習慣がある。たいがい
は、ここが悪い、あそこが全然できていないと、パートリーダーに糾弾されるのである。だが、腹筋を
していたとき、ちょうど四連のオーディションのときは、違って、はじめて褒められたのである。すごく
良いと。自分自身歌っていて、しんどいということがなく、音程や音量、感情表現に力をさくことができ
たので、実感として手ごたえがあったのは確かだった。
発声というのはなるほど、歌を歌うものにとって、普段の生活における呼吸と同じである。いや、同じ
というのはおかしくて、発声は呼吸そのものである。よく言われることだと思うのだが、健康な場合、
こうやって息を吸おうとか考えることはない。それと同じで、本当に良い発声ができているときは、
発声そのものを意識せずに済む。(発声を狭い意味でとらえた場合。)そのとき、良い発声は、確か
な腹筋、背筋があってこそなのだなーと思った。
で、それは学生のときの話で、社会人になるとすっかりサボってしまい、ほとんど鍛えられていない。
今年の初めから、しばらくいわゆる腹筋運動ではなく、体をひねる運動を毎日続けていた。体をひねり、
その状態で体を左右どちらかに前屈し、腹式呼吸を10回行う。これを左右一回ずつで3セットやる。
これだけの運動なのだが、背筋がひっぱられて結構つらい。この運動はおなか周りの4つの腹筋を
同時に鍛えるもので、その主たる効果は「おなかをへっこませる」ことなのだ。あるTV番組で実験
レポートをやっているのをみて、(ちょっと気になり始めていたので)はじめてみた。
この運動も効果はてきめんで、2週間もつづけると、おなかがどんどんスリムに!親などににも、あん
たちょっと痩せた?などと言われ、他人がみてもわかるくらいの効果があった。しかし、おなかはへっ
こんだものの、期待していた歌うための腹筋はあまり鍛えられないようで、前後で発声そのものに
変化は見られなかった。やはり、昔ながらの下腹部を鍛える腹筋運動が歌うには必要なのだとわか
った。
う〜ん、それじゃあまた腹筋やるかーと思っていた矢先の4月、体調を大きく崩して、休職するはめ
になったので、結局それ以来できていない。9月になり、コンクールも近いので、ここはやはり、腹筋
を鍛え直すことにしようと思う。ここに書いた限りは、約束。毎日すこしでも続けるのだ。
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