電波暗室 2004/04
- 2004/04/30(金)
演奏会翌日。今日はあまり疲れないように、行く場所の的を絞ることに。
まず、神田お茶の水へ行き、ニコライ堂を撮影。いままでなんどもお茶の水には来ているが、
ニコライ堂を見たのは初めてだった。その後、靖国通りまで坂をくだって、神保町へ。そう、今日は
神保町めぐりをすると決めた。2時間近く、あっちの書店をぶらぶら、こっちの書店をぶらぶらし、
新刊書2冊、古本一冊、古雑誌1冊を購入。(後日、図書室で紹介)
その後、有楽町へ。京都ではやっていないアニメ映画「アップルシード」を見る。ここで、驚いたの
が、観客数である。アニメ映画、それもこのアップルシードのようなSF系で、マイナーな原作の
映画の場合、たいがい客は10数人というのが、わたしの経験上の数値である。それが、なんと
平日(30日はGW中だが、一応平日。)の昼間なのに、客席の8割以上が埋まっていたのだ。
しかも、その客層がまた驚きである。半数が、中高年の夫婦、残りの半分くらいが、若い女性。
この手の映画客層によく見られる、オタク系の男性のほうが、少ないというありさまなのだ。いった
い全体、これはどういうことなのか?東京有楽町という土地のせいなのか、この映画の広告宣伝
のせいなのか?とにかく、不思議な疑問が残った。。(映画自体は結構楽しめたので良かった。)
映画というと、山手線内の電車広告でやたらと「デイアフタートゥモロー」の広告が貼られていた。
一両まるまるである。なりふりかまわずという感じだ。関西ではああいう広告手法を見たことは
ない。ここで、ちょっと気になったのが、監督名である。映画のタイトルのうえに、ひとつの例外も
なく「『インディペンデンス・デイ』の監督」と書かれていたのだ。彼にはちゃんと「ローランドエメリッ
ヒ」という名前があるのに...ちょっとひどい。たしかに彼の監督作には、インパクトの割りに、ろくな
映画がないが、この扱いはちょっとひどいんじゃないかと思った。
- 2004/04/29(木)
東京に8:30に到着。いくらなんでも早すぎた。
東京駅到着後、その足で両国へ。
目的地は、東京都復興記念館。その途中、旧安田庭園を横切ると、そこにはいかにも西洋建築
というべき円筒形の赤レンガの建物と、その上にそびえるドームが見えた。とにかく撮影する。
建物の正面に回ってみると、「両国公会堂」であった。残念なことに3年前に閉館されており、
中に入ることはできなかった。遅かれ早かれ、この建物もつぶされてしまうのではないか、と思う
と少し悲しくなる。
東京都復興記念館へ向かう。この建物は、関東大震災で亡くなった被災者の弔うために建てら
れた建物で、実際に建物が立っている横網町公園で、亡くなった人たちの遺骨が納められてい
る。後に東京大空襲の被災者もあわせて弔われた。建物の設計は、伊東忠太。築地本願寺や、
京都の祗園閣などで有名な建築家で、法隆寺を「発見」したことでも知られる。彼の設計する建
物は、全体に西洋建築がベースでありながら、随所にアジア・シルクロードの風味が付加された
独特の雰囲気をもっているため、見れば「あぁ伊東忠太だ」とわかる。
彼の建物のもうひとつの特徴として、建物のあちらこちらに鳥や、犬、豚などの獣や、幻獣?とも
いうべき彫刻が取り付けられていることがある。これらの彫刻の意図するところはまったく不明だ
が、建物の守護神か何かのつもりだったのではないかと思われる。西洋建築に動物のモチーフが
取り付けられること自体は珍しいことではないが、彼のデザインの不気味さ、奇怪さは群を抜いて
いる。で、復興記念館も例外ではなく、あったありました。正面入り口の2階部分に竜の頭を持った
ような狛犬のようなものが、4体張り付いて、こちらを眺めている。
ひとしきり外観を撮影したあと、中を見学。入場の際、館内で写真を撮りたいと申し出ると、「マイカ
メラですか?だったら結構ですよ」と言われた。マイカメラ....の反対のものは、どういうもので、なん
というのだろうか。しばし悩む。個人の反対だから、団体カメラ...法人カメラ...。ようは取材じゃなけれ
ば良いということなんだろうが。
さて、そのあとは、大江戸線にのり、一路月島へ。月島から歩くこと5分。越中島にある東京海洋
大学、旧東京商船大学へ向かう。ここには、わが国最古の経度、緯度を測定する天文施設が存在
すると聞いたからだ。途中、なにやら大きなマストが見える。そうだ、忘れていた。ここには、かつて
の練習帆船、「明治丸」が保存されていたのだった!
受付で、写真撮影を申し込みキャンパスへ。いきなり左手に目指す建物が見える。八角系のレンガ
づくりにドームが載った経度、緯度観測施設だ。四方八方から撮影。さらに門を入ってすぐの建物
や右手の校舎もかなりの年代モノであることが見て取れる。観測施設が目的だったが、思わぬ収穫
である。どちらもスクラッチタイルの外観で、車寄せや玄関の意匠は非常に手がこんでいるが、帝国
大学系の建物とはやや違った雰囲気がする。
さてその後は、いよいよ明治丸だ。キャンパスをぐんぐん進むと、あった。まぶしい緑の芝生の向こう、
陸のうえに永遠に停泊した白い帆船が見える。なんという美しさか。わたしは、船酔いする性質なの
で、船乗りにはとてもなれないが、船が好きだ。(電車も飛行機も好きなんだけど。。)こうやって、
間近で、見るとその思いがさらに強くなる。
一度、東京駅にもどって食事の後、豊洲の練習場へ。有楽町から10分たらずと意外と近い。すでに
この時点で、かなりの距離を歩いており、合唱しに来たのか、しゃしんを取りに来たのかわからなく
なっていた。
練習は約2時間で終了。その後18:40の集合まで自由時間である。終了後、演奏会場に向かう
みんなと分かれて、一路、青山へ。目的地は「日月堂」という古書店である。地下鉄青山一丁目で
下車して、はたと気づく。「あれ、ここじゃない」。実は日月堂には半年前に一度来たことがあるが、
そのとき、確か帰りに青山から地下鉄に乗ったと思い込んでいた。しかし、見慣れない風景。
まずい。。。。どうしようか?と思っていると、青山通りという標識が目に付いた。そうだ、前回は渋谷
から青山通りをめざして、たどりついた。ならば、これを渋谷方面にあるけば!。ほとんど直感を頼り
に歩きだす。あとでわかったのだが、降りるべき駅は表参道であり、地下鉄で1〜2駅分の距離を
歩いたのだった。とりあえず無事に到着。汗だくである。
1.5hほど、物色・店主と歓談したあと、竹芝桟橋のホテルへ。そこからさらに、本日の会場、第一
生命ホールへ。(つづく)
- 2004/04/28(水)
明日から、GW期間で会社は休みである。そして明日は、東京カンタート。葡萄の樹、初の遠征
(?)演奏である。
ひとあし早く、東京入りをしたメンバーのひとり、R嬢からメールが届く。「銀座でケーキを食べたが、
場違いな感じで、居心地が悪い」とのこと。ふーむ、銀座はやはり今も昔も、『大人の街』。R嬢より
幾分か歳をくっているわたしでも、なかなか「楽しむ」には至らないだけに、仕方ないことかも知れ
ぬ...。
定時退社日ということで、4月からの新体制のチームで宴会に行く。場所は、京都市役所近くの
「にしだ弥」。わたしの推薦で決まった。「にしだ弥」はBKメンバーで時々、飲みにいくところで、
学生が行くような居酒屋とはちょっと違った雰囲気の静かで落ち着いた店。以前から、会社の
人間を連れて行きたいと思っていた。
コースのはじめに、ほっけが出たのだが、これがなかなか好評で、皆がうまいうまいといって、
あっという間に平らげてしまったのには、驚いた。これは、わたしの考えだが、魚料理のうまい店
というのは、肉料理がうまい店よりも少ないような気がする。最初の印象がよかったせいか、
そのあとも、料理、酒、とくに日本酒などが進んだので、推薦人としてはほっとした。
一次会できりあげ、家に帰る。実は、明日の演奏会の楽譜をまだ製本していなかった。
ひいこら言いながら、楽譜やら、衣装やら、暇つぶしの本やらを準備する。
- 2004/04/27(火)
会社で業績表彰を受けるため、本社に向かう。朝8:30に本社につくには、普段の自分からす
ると大変な早起きになるため、かなり眠い。表彰を受けても、賞状と副賞(3000円相当)がもら
えるだけで、本給がアップするとか、そういうことはないらしい。だが、自分たちが懸命にやった
仕事を誰かが見ていてくれたのだなぁと思うと、正直嬉しい。推薦してくれた方々に感謝。
午後、職場にもどるが、どーも体調が悪い。妙に体が熱っぽく、そのうち頭痛、吐き気がしてき
た。こりゃ、かなりヤバイと思い、定時ちょうどに帰宅する。たぶん自力で帰れる限界がこの時
点だったので、早めに決断して正解であった。このところの気候変化のめまぐるしさに順応でき
ず、風邪を引いたような気がする。薬を飲んで、早々に寝る。
- 2004/04/26(月)
会社の帰り、とうとつに体重計が欲しくなる。
つい先先日、会社の健康管理室で、食事管理と運動指導を受けたのが、原因かもしれない。
しかし、ありきたりな体重計では満足できないのが、自分の性格である。どうせなら、こういう
のが欲しい。↓

さっそく、ネットオークションでさがしてみるが、一件だけ病院で使っていたというものが
あるのみ。さすがに病院のは...というのと、メーター部分のデザインがいまいち。
やはり、廃業になった銭湯の出物のほうが、風情があっていい。
以前、手巻き式計算機(タイガー計算機)の出物を購入した古道具屋さんが、寺町丸太町
西入ルにあるので、そこで聞いてみたり、東京に行ったときに、ちょっと道具屋めぐりする
のもいいかもしれない。
出物があるよ!という方、是非お知らせください。
予算は2万円くらいかなぁ。
全然関係ないが、あさっては会社の部署飲み会で、久しぶりに「にしだ弥」に行く。みんなの
反応や如何に?中級(?)常連としては、気になる。
- 2004/04/25(日)
来客用に、と思っていた、この前の結婚式の引き出物のバオモキュッヘン(ドイツ語風表記)、
つまり、バームクーヘンに手をつけてしまう。ユーハイムの上物で、結構好物。茶筒のような
容器にはいっている。
一応、リプトンの紅茶パックと、ネスカフェゴールドブレンドは用意してあるが、どちらも普段飲む
習慣がないので、これはなくなる心配はあまりない。しかし、お茶菓子は、たいがいが生ものな
ので、賞味期限があるのと、わたしはかなりの甘党なので、そうそう忍耐力もつづかない。以前
も、来客用として買ったマルセイのバターサンドが一週間の命だった。
今のところ、来客らしい来客はないが、またなにかお茶菓子を用意せねばならない。うーん、
次はケーニッヒクローネでも買っておこうか。いや、これも自分の趣味なので、また食べそうだ
ナァ。夏が近づけば、水羊羹もいい。ああこれも好物だ。駿河屋の鮎。これも好物だ。まだ、
自分が食べたことがない新鮮なお茶菓子がいいな。うん、そうだ。今度時間あったら、大丸の
地下にでも探しにいってみよう、と思う。
...そういえば、私は酒を飲まないので、ビールとかそういうのの備蓄もないな。来客の方は、「お
持たせ」で、お願いします(ウソ)。
- 2004/04/24(土)
NC練習に作曲家のC原秀樹先生来る。C原先生には今回の演奏会の委嘱曲をお願い
している。事前情報では、あまり積極的にしゃべったりできませんよ、とおっしゃってたような
のだが、なんのなんの、どういうことをイメージしながら作曲した、という話を淡々とではある
が、しっかりと語られた。細かい指示はないが、この「イメージ」をつかめるかつかめないか、
で、曲の感じが変わるということは、KM先生練習でも同じだった。
さて本番は、練習後の宴会からで、いきつけの「明治維新」にC原先生も参加。ちょっとだけ
のはずが、結局最後まで。
宴会の雰囲気は、いつもと変わらず。素のままの、NCを見てもらった。コンクールに参加して
いるときのNCしか知らない人からすれば、NCの普段の練習や、宴会は、びっくりぎょうてん
なのだろうが、C原先生は、ありのままのNCをそのまま受け止めることができる人だった。
そして、NCのメンバーもC原先生とは共感しあえるということがわかった。
「今度の演奏会は、僕と、みんなとの一騎打ちやで!」という言葉に、メンバー一同燃えた。
宴会に参加してなかったメンバーにも是非、伝えたい。
蛇足ながら、C原先生は、NCの名誉団員、ということになった。(結構無理やり?)
- 2004/04/23(金)
風が冷たい。ここしばらくの天候の変化のめまぐるしさには、参ってしまう。
東京カンタート前最後のBK練習の日。今日は給与支給日なので、定時退社日。はじめから
練習にいけるなー、と思っていたら、定時ごろになって偉い人から、部署全員が召集される
作業がはじまった。連休明けにもっと偉い人が視察にくるので、普段使用している測定室の
掃除をやりなさいというもの。よりによってなんで定時退社日にそんなことをいいだしますか。
とほほな気分で、あれやこれや指示を出す偉い人にしたがって作業。5割ましくらいの残業
代は払って欲しいものである。偉い人は、定時退社日の嬉しさとか、重要性とかまるで理解
してない様子で、そういうのを見ると、ああこの人達に経営をまかせて大丈夫とかはちっとも
思わないわけである。人心掌握のなんたるかをわかってません。
BK練習には一時間以上遅れて参加。練習後宴会。YKから参加のメンバーはなんと、全員
が京都に宿泊するという気合の入れよう(対宴会)。だんだん通常練習からBKに参加したく
なってきた様子。
宴会後、YKメンバーみんなと別れるとき、なぜだか「敬礼」してしまうことにきづいた。あまりに
も自然とやっていたので、いままで気づかなかった。BKメンバーには手を振るという普通の
挨拶なのに。
- 2004/04/22(木)
東京行きのてはずを整える。新幹線のチケットは取った。ホテルは、結局インターコンチネンタル
にした。年に一度、夏ごろ泊まると決めているのだが、今年の夏の予定ではちょっと無理っぽい
ので、今回泊まることにした。演奏会があるホールや、練習場に近いので、練習が終わってから、
いったんチェックインする予定である。
このホテルは、日の出桟橋のたもとにあり、東京湾から隅田川が発するところで、目の前には
レインボーブリッジが見えるし、反対を見れば、勝どき橋に、佃リバーシティの高層マンションが
見える。視界のよさにかけては、右に出るものはない。時折見える大島行きの船や、水上バス
の行き来のリズムが、心地いい。これが気に入っているポイント1。
もうひとつは、静かであるという点。駅の近くではなく(ゆりかもめの駅は近いが乗降客が少ない)、
湾岸にはほかには、桟橋以外のめぼし施設がないため、人通りも、車もすくなく、夜間でも、外部
から聞える音というのが、ほとんどない。
わたしはここに泊まるときは、なるべくでかけないで、最大限部屋にいて、窓辺のソファで本を読む。
本は、浜松町の貿易センタービルにある「談」で、現地調達するのが良い。TVは見ないで、BGM
にする。もしくは、ケーブルTVのディスカバリーチャンネルを見る。
このホテルで、いつか泊まってみたいと思っている部屋がある。バスルームから、ベイエリアと、
リバーエリアの両方の眺望が楽しめるという部屋がそれだ。風呂でのんびり、景色をみながら、
読書してみたいと思っているが、ひとりで泊まるには高くて手が出ない。宿泊業界というのは、
えてして、ひとり旅には優しくないのである。
以前、ツインの部屋をシングルユースで予約したら、フロントで、どう見てもわたし一人しかいない
のに、「お二人ですね」などといわれたことがある。部屋のターンダウンを頼んだときも、両方のベッ
ドの準備がされていた。フロントから客室係に伝わっていない、というのもあるが、二人宿泊以外
ありえない、という固定観念があるのではないかと思う。で、アンケートに書いて送ったところ、
その次に泊まったときからは、両方とも改善されていた。こういう対応の早さはさすが。
今回も、ツインのシングルユースである。どうせなら8掛けくらいにはして欲しい。。。ならんか。
- 2004/04/21(水)
冷酒をたしなんだ。2mgぐらい。(笑)
匂いをかいで、舌のうえで、くるりとまわす。
そうすると、酒それぞれの違い、というのがわかった気がした。
以前(10年も前だろうか)飲んだときのようにしんどくなったりしない。
ちょっと、胃が暖かいもので満たされたような感じがして、心地いい気分になった。
「つきあってる?」ってTVコマーシャルみたいに、静かに酒を酌み交わすってのが、一生
できないんだろうなぁと、ずっと思っていた。でも、すこしだけれども、一緒に酒の味を共有するっ
て感覚がすこしわかって、すこし「つきあってる?」に近づけたような気がして、うれしかった。
別にがばがば呑めなくてもいいし、実際呑めないというのは、よく自覚してる。
でも、ちびちび、ゆっくり、お相伴に預かるようにして、「つきあって」いけたらいいなぁと、思うのだ。
- 2004/04/20(火)
時間、精神的に若干余裕があったので、夕飯は弁当ではなく、自分で作ることにした。ケンタロウ
のおかずという本を前に買っていて、そこから豚のしょうが焼きを作ると前から決めていた。簡単で
おいしそうだったから。
で、しょうが焼きなので、しょうががいるわけだが、よく考えるとしょうがはおろさないといけない。
そこで、はたと、おろし金がいるということに気づいた。閉店前のデパートに行って、台所用品へ
直行する。おろしがね、おろしがね...あった。けど、それは思ってたおろしがねではなかった。
なんかカラフルだし、形が丸っぽい。しかもプラスチックだ。
実家で使ってたのは、金属金属していて、角ばってて、硬そうで、質実剛健というか、道具として
信頼がおけるような、そんなやつだった。で、落胆していると、店員さんが察してくれたのか、
「昔ながらのやつならこちらにありますよ」と言ってくれた。そちらに目を向けると、あたり一面が
銅の鈍い色がいっぱいなのだ。それだけでもう、これだ!とわかった。その名も「有次」のおろし
がね。京都、錦小路のお店の品だ。全国に売っているのかわからないが、まさしくそれは、思い
描いていた卸がねだった。これが、ほんとおろし金だぁと宣言したいくらいだった。
ご自宅用ですか?と一応聞かれて、そうです!胸を張ってこたえたものだから、店員さんは少々
いぶかしがっていたようだ。だって、突然やってきた若い(部類に入る)男が、わざわざ高いほうの
おろし金を買っていくのだから。(一番小さいので、2100円。しょうがおろすにはちょうどいい。)
その後作ったしょうが焼きはちゃんとしょうがの匂いと味のする料理になっていた。ただ、ひとり分
の分量だけ作るってのは、ちゃんと計量しても難しいもんだと、皿にたまったソース(酒、みりん、
しょうゆ、ごま、おろししょうが)を見て思った次第。
- 2004/04/19(月)
雨。仕事を終え帰るときも雨。大雨。
さんざっぱら文句をいっておいてあれなのだが、通勤の行き帰りで、昨日の友人の結婚式の引き
出物を吟味する。カタログから自分の好きなのを選ぶタイプだったのだ。下手に食器や、タオルを
持たされるよりかはずっといい、と思う反面、はたして自分がなっとくできるものが、このカタログの
なかにあるのか??という挑発的で傲慢な気持ちが湧き上がってくる。かかって来なさいという
感じでページをめくると、なぜか高木沙耶がナビゲーター?として登場する。ふーむ、ただのカタロ
グと違って、構成がなかなかいいなぁ。定番の食器、アクセサリー、ファッション、革製品から、
アウトドア、キッチンものなど、結構興味をそそられる。すくなくとも、こういうカタログ品にありがち
な安物っぽくはない。(そういうものもうまくまぎれてる感じ。)
そんななかで、わたしがおお、と思ったのが、陶磁器コーナー。たち吉のからし色の煮物鉢セット
や、有田、萩、備前、美濃、万古、九谷、瀬戸などバリエーションがずらり。ほかにも各地の伝統工
芸品として、鋳物、漆器、曲げ物など、ほんとにほかのページのものとは、同列においてはもったい
ないなぁというものが並ぶ。なかでも気に入ったのが、大阪の錫器のぐい呑み。酒は飲めないが、
その形や輝きがすばらしい。
あと、全然上記のカテゴリーからはずれるが、中国茶の茶葉を保管する、ステンレス製の茶缶も
見逃せない。表面に花鳥と漢詩?のレリーフがあり、その形、デザインがいい。こういうものは、
お店でなかなか売っていないという点と、あってもなかなか買おうと思わないという点で、候補に
あがる。
一応、申し込み期限があって、「受け取ってから15日以内」とある。しかし、申し込みはがきには
5月18日とあり、一ヵ月後だ。いったいどちらが正しいのか?
ま、どちらにせよ今週中くらいには決めてしまいたい。そうだ、週末のBK練習のあとの宴会に話の
ネタにもっていってみよう。候補の中から皆の意見も聞いてみたい。
- 2004/04/18(日)
小中高の同級生の結婚式in蹴上。拘束時間約5時間。その友人が悪いわけではないが、疲れ
た。わたしがついたテーブルは、通称「幸薄いテーブル」。8人中、1人(女性)しか既婚者はいな
い。今回結婚した友人は、このメンバーのなかでも、かなりの伏兵で、話をきかされたときは驚い
たものだ。
わたしはこれまで、合唱関係者の疲労宴、もとい披露宴に何回か出たが、「普通の人」の披露宴
は初めてだったので、ああ、こういうのが普通なんかと、わかったのが収穫だった。あとは、同級生
同士集まる機会としての役割もあるのだなぁと実感。このメンバーのほとんどは東京在住だけに、
最近ほとんど会っていなかった皆に会え、話し込めたのは良かった。
しかし、冷静に考えると、友人の披露宴をたとえにだして悪いと思うが、自分がもし結婚するとして
もとてもあんなことや、こんなことは恥ずかしくてできないというのが正直なところ。準備、お金、時
間....ひとつのイベントにかける意気込みというのはすごいと思うし、二人で何かをやっていく、という
ことに意味があるのだろうけど、どーも納得できない。親への手紙を書いて、泣きながら花束渡すと
かを、なぜ人前でやるのかなぁなどなど。
思うに、「劇場型人生設計」(今考えた)のひとつのイベントシナリオなのではないだろうか。RPG
ゲーム(TRPGではなく、TVゲームの方。)のごとく、シナリオがあって、要所要所でイベントを起こ
す。それを我々は、いやおうなく「見せられる」。見せるのが当然。終わってしまえば、あとは次の
イベントを起こす準備。そこには「日常」の感覚が欠落している。つねに「非日常」を追い求めている。
そして、出席した未婚者へと、受け継がれていく。
もうひとつ納得できないのが二次会と呼ばれる存在だ。披露宴のあとに、会費を集めて行われる
例のあれだ。この会の目的とするところが未だに理解できない。会場で歓談しようにも、メンツそれ
ぞれは、主役と接点があっても、メンツ相互にはつながりがなく、話がはずむとは言いがたい。
そうなると、マイノリティーなグループは退屈至極だし、メジャーグループは、こここの場で話さな
くてはならないことを話しているかというとそうではない。極端に少ない料理、ビンゴ、ポラロイド
写真、メッセージカード...すべて決まりきっている。主役と話せる機会などほとんどない。彼らは主
賓であり、見世物として扱われる。おもしろくない、退屈。なのに一万円近い会費。
今まで、はっきりと誰かに言ったことはなかったが、ばかげているとしか思えない。なにかおかしい。
披露宴と同じくらい、絶対やるものかと、あるかどうか別にして思うイベントだ。結婚する二人の人間
性とか、考えとかに疑問があるわけじゃない。なぜかああなってしまう「二次会」というものは不思議
で、恐ろしい。
こういう話のとき、決まって思い出す。めぞん一刻、最終話。五代君、響子さんの結婚を祝うために、
関係者達、商店街のメンバー、そしてももちろん住人が、馴染みのバー「茶々丸」に、ぞろぞろ集ま
ってくる。狭い場所で、みんなでいつもとかわりなくおばかな宴会。あれが、ほんとの二次会なんじゃ
ないだろうか。祝うほうも、祝われる方にも垣根なく、同じように騒ぐ。無茶をする。
NCなら「明治維新」、BKなら「一番」がいちばんそういうのをやるのに近いかなぁと、ひとり夢想しつ
つ、二次会には出席せずに、自転車に乗って家に帰った。
- 2004/04/17(土)
今度は志津屋である。601円の釣りのはずが、409円と全然違う金額。間違えた本人も、「あれっ
?わたしなにやってんのやろ」と不思議な様子。もしや、わたしのひたいから、「つり銭間違え電波
」のようなものが発信されてしまっているのだろうか。。。しかし、いまのところ、わたしが得する方向
に間違えられたことはない。
NC強化練習。ようやく輪郭が見える。特にGreensleevesは、ソロがあって初めて曲の構造が理解
できた。しかしあいかわずBass上がわたし一人とか、もう一人というのは、ヤバイのではないだろ
うか。マンテヤルビの曲なんかソロでしか歌ったことない...。微妙な音程だけに怖い。
北海道の藤森氏、横浜のクロ村田氏、宇都宮の小林番太も参加しての練習はやはり、いつもとちょ
っと違う良い感じに。だんだんネジが巻かれていくのを感じる。
そういえば、今日、ワンフレーズだけ、ゲリラ的にソロをやってみたら、珍しいことにI東さんに誉めら
れた。珍しい。これであと一年くらいは誉められないだろうなぁ。
- 2004/04/16(金)
某職場合唱団へ情宣にいく。これで4、5年連続になる。駅から遠いのはわかっていたが、急いで
いるとなると、余計遠く感じる。途中で柵が見えるも、正門ははるか向こうだ。
つくやいなや、情宣タイム。練習が終わるのが早かったらしい。汗をかきかき、50人以上に見つめ
られながら、一人トークショウ。仕込んだネタではなくて、その直後の普通の話で笑いがどっと起き
る。NCやBKのなかにいるときと、やはり笑いのポイントが違うのだなぁと思う。
チケットは…、予想以上に買っていただくことができた。いつの間にか、常連さんもできていて、
あぁ、地道に来続けていてよかったなぁと思う。
さて、常連さん以外、情宣では向こうから買ってくださるケースは少ない。あとは、練習後、ぶらっと
している人にひとりずつ、果敢にアタックしないといけない。もう、本当に政治家のドブ板活動のごとく
ひとりひとりに勧めて、尋ねる。渋っているひとには、名刺をわたし、後日連絡をもらえるようにする。
練習後に、グループで特訓している人たちが、練習を終わるまで粘りに粘り、結局10:00過ぎに帰
った。
チケットを売りにいくと、その場で現金のやり取りをする。だから、チケット一枚一枚の重みがわかる。
お客さんの期待の高さがわかる。明日は強化練習。チケット代の価値以上のものをお客さんにもって
かってもらうためにできることは、きちんとやらないといけない。普段は忘れていても、せめて、この
高揚感のあるときに、しっかり頭に刻み込んでおかないといけない。。。そう思ってキーボードを叩い
て、もう一度、音を和音を確認する。
- 2004/04/15(木)
金曜日に、とある職場合唱団に出向くことになった。NCの演奏会の情宣である。しかし、手持ちの
チラシが少ないので、今日中に接触できてチラシを融通できるメンバーを探す。もしくは、一緒に情宣
に行く相棒。
結局、相棒は見つからず、仕事後に北大路まで行って、メンバーからチラシを受け取ることに。JR
京都から、北大路は、地下鉄といえども結構遠い。さて行こうか、というとき、あろうことか、財布に
1000円ちょっとしかMONEYがないということに気づいた。この時間ではコンビニでもお金はおろせ
ない。というか、私の持ってる地銀のカードでは、たいがい提携外ではねられる可能性が高いのだ。
いるときに限って、この提携外、というやつは効いてくるので、困りものである。コンビニATMに強い
銀行に生活費だけでも振り込むようにすべきかなぁ?と最近、真剣に考えている。
途中、今出川に用事があり、途中下車。で、その後北大路に。チラシを受け取り、今度は烏丸まで
取って返す。この時点で、財布を改めると、あった590円。やった、これなら定食が食べられる!
ちょっと情けないが、こういうことはよくあるのだった。。。あっ、この前のBK花見の時の二次会の
借り、まだ返してない。反省。
- 2004/04/14(水)
そろそろ29日の東京行きのことを考えないといけない。新幹線の自由席でいくのはいつものこと
で、会社に入っている旅行会社でチケットを買えばいいだろう。(個人的に買える。)あとは宿であ
るが、いつもの安いホテルか、一日だけなので、ちょっといいところに泊まるかどうかが悩みどころ
である。今回、演奏会での出番が遅いので、いいところに泊まると実質滞在時間が短くなるぶん、
もったいない度が増す。やはりいつもの宿か。安いし、大浴場もあるから。
あとは演奏会のつぎの日、どこかへ行きたいが、古書店の日月堂は、たしか当日は営業日だが、
翌日は仕入れなので、休みである。当日は12時から練習だから、朝一でいけばいいかと思った
が、書店の朝は遅いので、無理だ。。。いまはちょうどロシア・アヴァンギャルドのポスターや書籍
が大量入荷したらしいので、「行き時」なのである。というのも、わたしの部屋の壁に現在、2001年
に東京庭園美術館でひらかれた「ロシアアヴァンギャルド展」のB全の巨大なポスターがはってあ
り、できればその横の西側の壁に、対になるようなポスターを貼りたいと思っていたのだ。
仕入れの日でも、午後からなら開いている場合もあるらしいので、とにかくいってみるだけいって
みるか、と思うが、青山というところはどうも行きにくい(駅から遠い?)イメージがあるので、行って
開いてなければショックが大きいだろうなぁ。その場合、近くにある根津美術館にでも行くかと思う。
(あまりに方向性が違うような気がするが...。)
- 2004/04/13(火)
ひとりぐらしも、2月あまりがすぎ、生活のリズムもわかってきた。ご飯は2合ずつ炊くのがおいしく
食べるベストだとわかった。風呂のお湯がたまる時間もだいたい感覚でわかってきた。お茶の葉
は2回が限度で、3回目はただの湯になるということもわかった。実家にいるときは、休みの日は
決まって外に出かけていた。まるでそうしないと時間を無駄にすごしているような気がして。でも、
いまは、一日中部屋にいることもある。ご飯を炊き、茶を沸かし、部屋の掃除をし、楽譜を見、キー
ボードで音をとり、本を読み....やることはいくらでも見つかる。自分の一日を自分でプログラムでき
るというのは、大変なのかもしれないが、退屈しない。電気のメーターを眺めて、よし、節電できて
る!と思ったりもするのも楽しい。トイレの電気をよく消し忘れるのはなんとかしないといけない。
今日は、非常に体調が悪く、朝から何も考えられな。休みたくはなかったが、仕事の具合からいっ
て、いましか休めないだろうという計算もあって、休むことにした。特に肩こりが慢性になりつつある。
ここで直しておかないとあとでもっとひどいことになるのは、何度も経験済みなのだ。休みたくなか
ったのは、別の用事で休みが採りにくくなる恐れがあったから。その用事とは「プロジェクト眼鏡」。
合唱人にとって、合唱以外のプロジェクトをなすには、平日の休みが必要なのだ。4月は予定では
あと一日取れる計算なので、なんとかなるだろう。。。。
とりあえず、薬をのみ、軽めの朝食をとって少し休む。午後、昼食後、リハビリを兼ねて、自転車で
散策。まるで、5月のような風と光りだ。家から程近い、五条坂近くにある河合寛次郎記念館へ行く。
街中にひっそりとたつそれは、なかに入ると別世界だった。河合寛次郎自ら設計したというその
建物は、日本家屋でありながら、開放感にあふれるつくりで、2階までの吹き抜けと、中庭を見下ろ
す座敷のすがすがしさが気持ちいい。体感温度も外より低い。中庭の奥には、登り窯まである。
まさに理想の陶芸・工芸アトリエ兼住居だ。そう、この感じは、東京は谷中の朝倉彫塑館や、旧白
洲邸である武相荘のそれと同じだ。このまま何時間でもここに居たくなる思い。いるだけこころが
穏やかになる住まい。芸術家達の感性は住居にまで及ぶのだということを全身で実感する。
一時間ほどで、辞し、これまた家の近くのマッサージ屋で15分コースを頼む。やはり相当、肩に
きていたようだ。マッサージをするようになってから、肩の重いものがすぽっとなくなる感覚のすば
らしさを知った。これはもう定期的にいくべし、いくべしだ。だんだん回復してきた。夕食は鯖の塩焼
きと、ひじき、白米。うまい。体に調子がもどってきた証拠だろうと思う。
今日は早く寝て、明日はほどほどに頑張ろう。
「プロジェクト眼鏡」のために!
- 2004/04/12(月)
新年度に入って、しばらく経つが、まだ新しい仕事をしていない。昨年遣り残した仕事の、「新し
い仕事」をやっている。これが終われば一くくりのシステムとして、一応の完成を見るはずだ。
今年から、工数管理を厳密しよう!ということになり、毎日、どの仕事にどれだけ時間を割いた
かを、入力するようになっている。そのなかには、電話応対やメールチェックといった雑務も項目
としてあげてよいことになっているが、電話応対が日に30分から1hもある部署も少ないだろう
ナァと思いながら、入力している。これがきっかけで、まず朝にその日のスケジュールを立てる
ことにもなった。で、その日が終わって、どれだけ”ずれ”が発生しているかを自分で確認する。
それまでも項目だけは毎朝メモっていたが、時間まで考えたことはなかった。時間をくぎると、
一日にこんなに仕事できるんだ、と思う反面、こんなにやってやっと一日か、とうんざりする場合
もある。頭を使いすぎだ、とも思う。小学校の時間割のように、体育の時間でもいれれば、リフレ
ッシュできるんだが。うちの会社の昼休みは45分しかないので、運動をやってもクールダウンす
る暇がない。定時が15分のびてもいいから、昼は1h欲しいというのが、切なる願いだ。
中学のときは1hあり、高校に入って50分になったのだが、この10分の差は結構大きかったのを
よく覚えている。だから高校のときは昼休みを有効に使うため、(いや、何のために有効に使った
のかは忘れてしまった。)3時限と4時限の間に、食堂へダッシュし、早弁をしていたこともあった。
時間に遅れてくる先生のとき限定だった。カレーしか食べられないのが難点であった。
もうそろそろ春夏の紀行なので、ふとんから毛布を剥ぎ取った。寝巻きもTシャツ一枚。実家から
うちわももってきた。冬暖かいマンションなので、これから夏の暑さがどうなるのが心配である。
- 2004/04/11(日)
おつりを間違えられる。今度は本屋。正しくは、本屋のやっている模型屋というべきか。
「654円のおつりです」と言われて、見るとなぜか5円玉があるので、変やなぁとすぐ気づいた。
645円渡されていたのだ。指摘するとすんなり間違いを認めて、すぐに654円くれたからよかっ
たが(前のイ○ローカメラは、店が閉まるまで待てといわれたからなぁ。どっちがいいとは一概
には言えないけど。)、よく注意していないと落語のときそばもどきをやられるところだった。
今日は、イースター、復活祭、つまりはキリストのよみがえりの日らしい。よくわからないが、
なぜか玉子を探すゲームをやるようなのだ。そういえば、ロマノフ王朝は、毎年イースターに
宝飾品の"イースターエッグ"をつくっていたというのを、昔、ドキュメンタリーで見た。毎年、ひと
つしか作らなかったし、ロマノフ王朝はロシア革命で滅んだから、俗な言い方をすると、レアな
お宝で、コレクターがいる。たいがいは銀行とか企業が持っているらしい。TV画面で見ただけ
だが、それはもう工芸の極致といっていいくらいで、今ではもう作れないんじゃないかと思う。
一度、実物を見てみたいものだ。
- 2004/04/10(土)
なぜか、宴会の座敷に私はいた。隣に好きな女性がいる。だんだん近づいていく。気がつくと肩と
肩がふれて、寄り添いあう形になっていた。突然、周りの喧騒から隔絶される。聴覚が遮断され
て、自分の内面の「音」が、ぐぐっと強調される。どきどきして、心臓がばくばくして、でも心地よい気
持ちになっているのを感じる。
と、いうところで目が覚めた。肩にかかるその人の重み、と思っていたものは、ふとんの重みであ
り、聴覚が遮断されたのは、私が耳栓をしていたからだろう。つまりは、夢だった。
しかし、夢のなかで感じた、あの気持ちはどうしようもなく本物であるし、いまもなお、それを思いだ
せる。「流れとよどみ」(産業図書刊)のなかで、哲学者の大森荘蔵は、現実と夢幻の違いは、存在・
非在の分類ではないとはっきり言っている。夢幻は、非可触(アンタッチャブル)な存在であって、
虚妄ではないのだ、という。そうだ、私は実際に私の肩で、その人の肩に触れたわけではないの
だ。でも、そのとき感じたことは「なかったこと」ではないのだ。ってなんだか哲学でごまかして無理
やり納得している気がちょっとだけしないこともない。
触れるということ、それは現実にいるということ。同様のことが、漫画「攻殻機動隊2」のなかで、
主人公の素子が、電脳世界から現実へもどるために、「バイクに座っている感覚」を警報信号とし
て、使う場面に表されている。(わかりにくいたとえで恐縮。)
やっぱり、現実の世界で、好きなひとの肩に触れたい。
- 2004/04/09(金)
ぶどう練習日。早く練習に行きたいのに、予定時刻をすぎても、ミーティングがなかなか終わらな
い。だんだん、この場で話さなくてもよさそうな話になってきた。隣にいた先輩も「はよ終わって!」
と小声で言っていたが、課長も、主任クラスも、どうでもいいことを言っていて埒があかない。
予定時刻を1hすぎたところで、堪忍袋の緒が切れてしまい、「あの、終了予定時刻を1hも過ぎて
ます。ミーティングが終わりなら、帰ってもいいですか?」といってやった。別にかまわない、というこ
とだったので、そんならはよおわれや!と心のなかで毒づいて、退席した。しばらくして、ミーティン
グ場所を振り返ったが、私以外に出てくるものはいなかった。みんな最後までつきあうつもりか。
よくやる。
急いで、急いで練習場所に向かったが、着いたのはちょうど、連絡もなにもかも終わって、皆がで
てくるところだった。ふみゅーん、しおしお状態。しかたない。ここは宴会だけでも、でるかと思うが、
ここしばらくまともに練習に出れたことがないのは、前にも書いた通り。練習ができないのは寂しい。
実は、今日、私の同期で、別の団で合唱をやっていた友人が、練習に本格的に参加していた。K岡
という。(日曜の練習にも来ていた)また、もうひとり新人さんの院生も来ていて、皆でいつもの焼き
鳥屋へ進軍した。ぶどうの場合、参加者のメンツにもよるが、たいてい眼鏡話、血液型話、携帯電話
話、妄想話のどれか織り交ぜられる。が、今日はちょっとだけ趣向が違った。その場で、自分から
いってしまったが、K岡と私は、よく人に兄弟と間違われる。眼鏡をかけてて、目が細いという共通点
はあるが、そう似ているわけではないと思うのに、共通の友人であるF栄などは知り合ってしばらく
は、われわれを完全に混同していたという。
で、ぶどうの場合、はじめは別にそれほどでも。。。という雰囲気だった。が、Naが唐突に「うむ。確
かに似てる!」と断言したもんだから、急に注目されてしまった。Naの解説によると、「静止状態では
似てない」そうだ。しかし、「動いている二人を観察していたところ、しぐさが非常に似ている」のだとい
う。(観察されてましたか。)ふむ。この動いていると似ている、という視点は実に新鮮で興味深い概
念だ。何かと何かが似ている、と感じるとき、それは表層の物理的なものだけを感じ取っているわけ
ではない、ということだ。いや、こんな力説するようなことでもないかもしれんが、蒙を啓かれたような
気がしたのだけは、確か。すごいぞ、Na。
で、どっちがお兄さん?と誰かが言い出した。当然のように私を指差すひとたち。「同期なんやけど
なぁ」というと、「えー、同い年なんですかぁ?」と追い討ち。まぁ、私の方は、ネクタイしてたけどなぁ...。
こんな感じで宴会しているうちに、ミーティングが遅くなったことなどは、どーでも良くなっていた。
葡萄の効能はすごいのだ。
- 2004/04/08(木)
ついこの間、会社で私が使っているPCのOSを98から、2000にアップグレードした。セキュリティ
対策のためである。その際、ちょっとしたトラブルがあった。というか、OSのアップグレードが無事
に済むほうが少ないとは思うけど。
インストール自体はうまくいったのだが、ディスプレイドライバーが2000に対応したものがなく、
640x480でしか表示できなくなってしまった。で、PCのメーカーにいけばなんとかなる、と思い
HPをのぞくと、ちゃんと専用のディスプレイドライバーが用意されていた。しかし、である。ここに落
とし穴があった。このドライバー、1、フロッピーに格納しないといけない、2、DOSモードで再起動
しないと、圧縮を展開できない、3、PCの型番を認識するため、該当するPC以外で展開できない、
という特徴があった。これが何を意味するかというと、すでに2000にアップしてしまったマシンで
は、このドライバーをインストールできないということなのだ!あほすぎると思いませんか?この仕
様。
周りのPCはすでに2000にアップしたものばかりで、しかも同じ型番のマシンもない。う〜ん、困っ
た。しかし、ここであせってはゲイツを呪うばかりでなんの解決にもならない。冷静に、PCメーカー
のサポートに電話することに。しかし、回答は「お役に立てません。」。怒!!!!なんと、事情を説
明しても、「古いOSをインストールしなおしてから」とか馬鹿なことをいうし、展開したドライバーは提
供できないと来た!!!!
あまりに腹が立ったので、大人気ない気もしたが、電話の途中で切ってやった。こうなりゃ、自分で
やるまでだ。そうだ、そもそもメーカーに頼るという姿勢がダメなのだ。PCの世界は、弱肉強食、自
主自立がオキテ。誰でも使える機械なんて、使いこなす楽しみを奪う邪悪なものだ。と、開き直って
状況を分析した。よくしらべると、アップデート時のレポートファイルに、ディスプレイドライバーの情報
があるじゃないですか。なんで、こんなことにきづかなかったのか。そう、ディスプレイアダプターのメ
ーカーのHPに行けば、2000対応のドライバーなんていくらでもある。(まあ、アダプターがわからん
とどうしょうもないが、今回はレポートのおかげで助かった。)
ということで、該当するドライバーをHPからダウンロードし、インストールすると、うそのように簡単
に、1024x768の環境に戻った。98と同様、2000は結構さくさくうごく。仕事するのに問題はなさそ
うだ。しかし、ビジネスPCを売っておきながら、あのサポートはどうかと思う。態度が悪いわけじゃな
い。こっちは八方ふさがり(と思い込んでいた)なのだから、代替案を向こうから示すべきだ。まあ、
へたなことを言って、データがお釈迦になったりして、さらにモンクを言われるのがこわいんだろうな
とは思う。
しかし、現実的にそのPCで仕事をしてる素人のビジネスマンがいて、「どうにもなりません」的なこ
とを言われたら、その人はどう思うか?それで、もし、その後、わたしがやったような手段があると、
ほかのひとに教えられたら、どう思うだろうか。
- 2004/04/07(水)
NHKの趣味悠々という番組で、今日から囲碁口座、もとい講座がはじまった。講師は棋士の梅沢
由香里。昔から、囲碁のルールというのがわからず、調べようともしなかったのだが、梅沢先生が、
あまりにもかわいい人だったので、ついつい見入ってしまった。ふふっ、と笑うところが特にかわい
らしい。気がつくと、あっという間に第1回終了。終わった瞬間に「テキストを買おう!」と思っていた。
(同じような人が日本中で相当数いたに違いない。)
囲碁のルールは非常に単純だった。しかし、勝敗のつけ方は単純ではなかった。司会のなつやぎ
ゆたかが、誤解していたように、わたしも、黒なり、白の石そのもので囲まれたところが多いほうが
勝ちと思っていたのだが、これは間違いだった。石で囲まれた、石のない部分が、多いほうが勝ち
なのだ。言葉で説明するとわかりにくいが...。
石の置き方は自由。ルールは単純。しかし、勝敗のつけ方を聞くと、それはそれは複雑であろうこと
が容易に想像できた。由香里先生(だんだん呼び方が変化)が「囲碁では大局感が大切です」という
のもなんだか納得できた。
春であるし、何かを始めるのにはちょうどいい。ちょっとやってみようかなと思う。
- 2004/04/06(火)
株価が1万2000円代を回復。このまま1万5000円まで、という楽観的予測もあるという。
しまった!7000円時代に、外債投資信託を買ったのだが、「リスクヘッジに日経インデックスも
一緒にどうですか?」という相談員のいうことを聞いておくべきだった。まぁ、外債の方では、いま
のところ、毎月の配当があるのと、大きな変動がない商品なので、損をしているわけではないから
いいのだが。どちらにせよ、引越しにお金がかかったので、しばらくは投資にまわす余裕はない。
- 2004/04/05(月)
3日続けての宴会は、金銭的にも体力的にもややきつかった。しかひ、社会人ともなればなんとか
やっていけるものです。というか私はいってきもアルコールを飲んでいないはずなのだが。
- 2004/04/04(日)
ぶどう特訓日。カレー屋→花見→飲み屋。二軒ハシゴのほろ酔いルート。木屋町の桜を夜に、こん
な風に眺めたことはなかった。盛り場にあまり出るのが好きではないから。飲み屋を二軒はしごした
というのも、実は始めてのことだった。二軒目の店を、外目からみて酒屋?と誤解していたら、メンバ
ーがぞろぞろはいっていくもんだから、あっ二次会なんだと合点。それにしても、日本酒と焼酎の店
らしく、銘柄が壁にいっぱいで、みんなの視線が泳ぐ。
「ひとつぶの麦」という銘柄があって、「キリスト教のあの『一粒の麦、地に落ちて死なずば..』と関係
あるんかな?」と考えたり。途中から、キリスト教やら、聖書やらの話になって飲み屋の話題っぽくは
なかったけど、時々姐さんとなつ。が怪しい会話をしていたようだ。マナーとして、聞き耳を立てたりは
しなかったのは無論です。でも、どんな話してるんやろ、と気にもなったり。
解散後、家に帰ると「Enjoy Tennis Life!!」と筆文字で書かれたチラシ。興味をひかれてみてみると、
きれいなテニスクラブのパンフも一緒にはさまれていた。このきれいなパンフだけだったら、すぐに
ゴミ箱行きだったかもしれないが、手書き両面のチラシに、みょうに「あじ」があって、捨てられず。
チラシらしく、ラケット無料レンタル券、シューズ無料レンタル券がついている。きわめつけは、
「一生懸命コーチが頑張る券(有効期限一生)」。別に馬鹿にしたり、わらいとばすような気持ちは
なくて、チラシ全体に流れるあじであるとか、ひたむきさが、地元密着の企業らしくて好ましかった。
かくいう私も、販売実習時代は、ちらしこそ作らなかったが、地元の電器店で実習をし、エリアをくま
なく、歩き回って、売り出しのちらしを一軒一軒、対面で配った経験があるのだ。マンションも相当な
数をやった。オートロックがあるところは郵便受けに入れるだけだったが、そうでないところは、チャイ
ムを押して、挨拶して、チラシを渡してと、結構精神的に度胸がいることを日々やっていた。あれを
もう一回やれといわれると、やはりひるんでしまうが、同じように、毎日、毎日、どんなチラシにせよ、
郵便受けにいれていく人たちの苦労とか、思いというのは多少は理解できるような気がする。
まぁ、入ってるので一番多いのはピンクビラなんですけどね(苦笑)
- 2004/04/03(土)
NCの練習前に通帳記入のため、銀行に行く。給料日後に残高をみたところ、なんだかいつもより
多めに減っているような気がしたのだ。
通帳記入はATMでやるのだが、そのたびに関心してしまう。通帳は電子的なデバイスでなくて、
紙に印刷していくから、機械的な動作が機器には必要になる。さらに書き込みスペースがなくなれ
ば、なくなったということを判断して、かつページをめくるという動作まで必要だ。機械的にもアルゴリ
ズム的にも、いったいどうなってるんだろうと、興味深々である。
そのATM通帳書き込みの「奥義」を体験してしまった。通帳の残りページが少なく、これは通帳更新
が必要だナァと思っていた。通帳更新は銀行の営業時間中に窓口にいかないといけないので、面倒
というか、社会人にはまず無理な行為なのだ。すると、「通帳繰越しますか?」とメッセージが出た。
あれ?とおもって、まぁ繰越するのはするからなぁと、「はい」のボタンを押すと、プリンターの作動音
の後にがしゃこんと音がする。画面を見ると、「新しい通帳を作成しています」と出たので、おどろいた。
おどろいたものの、「まさかねぇ。どうせ仮の通帳だろう?」と思っていたら、なんと!古い通帳に続い
て、真新しい「本物」の通帳がぬるっと、はき出されたのだった。これは正直、すごくびっくりした。
ちょっと前に新聞で、「盗まれた通帳の不正利用を防ぐため、通帳の印鑑像廃止」というのを読んだ
が、新しい通帳はまさにそれで、印鑑像がない。だからこそ、ATMでの発行ができたのだ。いやぁ、
いいもの見させてもらいました。こんなところにも感動ってあるもの。
さて、今日はNC高橋の大送別会in明治維新。それはもう、楽しい、でも悲しい、実にNCらしい送別会
だったので、多くは語らない。謎の液体の効果によって、伊東さんがエンドレスで同じ話をする(笑)の
で、高橋の話があまり聞けなかったのが残念だった。宴会がおわると同時に雨が降ってきた。泣かな
いみんなの代わりの涙雨...と感傷に浸っていたら、京都から文字通り駆けつけたR嬢がマジなきしてい
た。。。
- 2004/04/02(金)
今日は会議が18:00-20:00に入っていたので、ぶどうの練習にまたもいけないのかぁ、としょんぼり
していた。しかし、行きたい、行きたい、ぶどうに行きたいの一念が天に通じたのか、30分早く終わっ
たので、とるものもとりあえずダッシュ。四条河原町ではバスが来ないので、歩いて丸太町河原町
までずんずん、ずんずん歩く。あと少しで練習場!というところで乗るはずだったバスに追い抜かれ
たが、「試合に負けて、勝負に勝つ!」の心意気で、バスに対して優越感。たぶんアドレナリンの出
すぎだ。エンドルフィンもちょっと出てたかも。残り20分というところで、練習参加できた。
しかしなんですな。短い曲というのは、たいてい後回しにされるので、練習に遅れていくと、ほとんど
必ず、2ページだけしかない"Laudate"という曲しかうたえないのだった。(今日はもう一曲歌えた。)
この曲は元気の良い曲だけに疲れる。逆に、仕事で疲れていても、下のFなんかをぼえーと出して
終わる曲は、非常に気持ち良い。α波が〜〜〜〜〜こんな感じで放出されているのが、目に浮か
ぶ。
今日の宴会にも、YK組のお三方が参加。今日の宴会の最大のみどころは、シロ村田くんに、自分
の地元の方言風に名前を呼ばれて、繰り返し悶絶する(脳内でリピートしているため)Naの姿だった
と思う。『妄想女王(もーそーくいーん)のR嬢の存在すら、かすんでしまうものがあった』と、ロイター
と新華社も伝えている。(ウソ)
- 2004/04/01(木)
組織変更初日。今日から昼会の場所が窓よりにシフト。壁一面の窓は、普段はブラインドが下がっ
ているが、昼会になると誰が上げたのか全開。なぜなら、そこには、降り注ぐ光り!満開の桜、桜!
やはり春は桜。晴れがいいなぁ、としみじみ。会社に咲いている桜は、どれもいまひとつパッとしない
ものが多いが、ここから見える二本の桜だけは、それはもう見事な枝ぶりで、うっとりする。
と思っていたら、もう一本いいのがあった。普段、従業員が出入りする門の、門衛所に覆いかぶさる
ように咲く一本の桜。日も暮れて、さて帰るかぁと通った門を見上げると、ほの暗〜い門灯の灯りで
照らされ、空気に溶け出すように、怪しく光る桜。ああ、これが幽玄というやつなのかなぁ、とこれまた
見るほうもぼんやり眺めていた。ほんの数十秒眺めるだけなのに、このえもいわれぬ良い気分な
なんなんだろうか。
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