電波暗室2003/12
- 2003/12/31(水)
どこにも出かけず、昨日の夜から作成していた年賀状を印刷する。アイデアさえ決まればあとは
早いのだが、メッセージ文の選定に2時間くらいかかった。ラテン語の名言を選んでみたのだが、
選定中、関西では有名な日本橋の喜多商店のCM「来た、見た、買うた〜」が、カエサルの「来た、
見た、勝った」のパロディだということをはじめて知った。案外高尚なCMだったのだ(笑)。
- 2003/12/30(火)
コミックマーケット65、第三日目、参加。
今日も、東館の待機行列のかなり前に並ぶことができた。10時15分ごろ入場。
コミケはなんといっても、男性向け創作、オリジナルが集合する三日目が本番と言える。ほんとは、
この二つは日を分けて欲しいのだが...
この前の夏から、アニメ、ゲームを少し離れて、オリジナルジャンルを中心に回ることにした。どちら
がすぐれているということはないのだが、最近リアルタイムに見ているアニメがまったくないので、
とっかかりが少なくなっているのだ。
オリジナル設定のSFものや、イラスト集を中心に買って行く。そのなかで、前回たまたま手にとって、
とても気に入った作家さんに、スケブ(スケッチブックに絵を描いてもらう)をお願いした。小石川ふに
さんといって、商業誌で描かれているプロの方。この方の描かれる猫耳はやたらめったら"ラブリー"
なのだ。掲示板で二、三度お話しただけなのだが、憶えていて下さってリクエストどおり、オリジナル
猫耳キャラを描いていただいた。「今日は、これが精一杯ですぅ」とのことだったが、大変な丁寧さ。
感動モノである。相方のSさんや、S降も「むちゃくちゃ丁寧や〜」と驚いていた。
夏に、ふにさんの本を買ったのは偶然だったのだが、実は私はふにさんの漫画を読んだことがあっ
たのだ。夏コミ後、ふにさんのHPにあるギャラリーにある絵を見ていて、あれ?どっかみたタッチだ...
と思い、記憶をたどり、部屋を発掘して見つけた一冊の雑誌。少年画報社のアワーズ増刊号。そこ
に「小石川ふに」の名が。掲示板でそのことを告げると、商業デビュー作だったそうで、大層おどろか
れていた。で、「できれば忘れてやってください」と。(いや、結構良い漫画だったのになぁ。)
こんなコミニュケーションがあるのもコミケならでは。そして、あれ見たことあるぞ?と、絵を判別する
能力を見につけたのも、コミケに長年参加し続けて、視覚野が鍛えられたからだと思っている。
14:30撤収。今回は本は少なめなので、宅急便を使わずハンドキャリー。しかし、肩から紙袋ひとつ
に、リュック、両手持ちはなかなか重かった。日程がもう一日前倒しだったら、もう一泊して、ゆったり
したいところだったが、明日が大晦日となれば、仕方がない。
大井町で夕食をとってから(もちろん、とんかつ)東京駅へ。
冬は、夏とちがって、終わったあとに「喪失感」(夏が終わってしもた〜という感じ)がなく、「これでゆっ
くり正月を迎えられる..」.という満足感や達成感がある。休みが続くのでゆっくり本も読める。
帰りの新幹線では、発車15分でSさん、S降、私ともども、2時間近くぐっすり寝たのであった。
さすがに疲れた。
- 2003/12/29(月)
コミックマーケット65、第二日目、参加。
5時起床。5時半出発。6時、会場到着。北一駐車場の東館一般待機行列にならぶ。やや!列がす
くない。8列のかたまりのなんと3つめに並べてしまった。これはいかなることか。コミケ参加者の全
体が少なくなっているとは考えにくいので、これはもう西館企業ブースへ人が流れているからだと思
う。
国際展示場は東1,2,3ホール、東4,5,6ホール、西1,2、西4階から構成され、コミケはその全
館を使用する。この西4階には、主にアニメ会社、ゲーム会社、出版社がブースを構え、グッズを販
売する。同人誌の即売会になぜ?と思う人もいるだろうが、出展側からみれば、客層がかぶること
で収益がみこめること、準備会(コミケ主催の団体。人員のほぼ全員がボランティア。)はふくれあが
ったコミケ全体の警備費(待機行列の整理や、不審物に対する警戒。過去に発火事件が起きてい
るため。)捻出のためといわれている。
企業ブースの販売物は、この会場だけの限定品が多く、ここ数年、本を買いにくるのではなく、グッ
ズを買いにコミケに来る人が急増した。それは企業ブースの行列と、その導線のすさまじさを見れば
容易にわかることである。今回、かなり前の並べて、10時04分という早い段階(開場10:00)で入
れたことでわかったのだが、混雑回避のため、東館から入場した場合、しばらくの間、西館へ直行で
きない仕組みになっているのだ。これがいつからの処置かはわからないが、このことが西館行列へ
ひとが流れる原因となったのだと思う。実際、初日に東から入場して一通り回った11時過ぎに、西
館に並んでいた友人から電話があり、まだ入場できていないということを知った。
西館の本が目当ての人にはたまったものではないが、自分も企業ブースには行くし、その出展料
がなければ、やっていけない現状からすると、否定することはとてもできない。ただ、コミケはあくま
で同人誌即売会なのであって、企業ブースのグッズ目当てだけに来るような人はどうかと思う。そう
いう人はえてして自分のことを「お客さん」だと思って、スタッフやサークル参加者に「お客だぞ」とい
う態度をとるようだ。コミケはサークル参加、一般参加、スタッフを問わず全員が「参加者」なので、
あって、この理念がわかっていないようなやつははっきりいって来て欲しくない、というのが本音で
ある。(企業ブース目当てじゃない人でも、「お客さん」な人は増えているが。)
夜、サークル参加していた友人ふたりと、Sさんと秋葉原の居酒屋で夕食。こういうメンツでなければ
できない「萌え話」や「ワンフェス話」、その他趣味話を展開する。
- 2003/12/28(日)
コミックマーケット65、第一日目、参加。予想ははずれ、天候は非常にヨイ。京都駅で、相方のS
さんと再会。のぞみ100号を待つ。のぞみ増発とはいえ、自由席の減少、切符の値上がりは、痛い
ものがある。のぞみ100号は始発にもかかわらず、自由席乗車率は100%に近い状態であった。
(帰省日とはいえ、例年の同じ時期に比べるとあきらかに多い。)
品川下車で、荷物をロッカーにいれたあと、山の手線で大崎へ。そこからりんかい線にスイッチ。
あとは国際展示場駅まで、約20分の一直線というありがたさ。そう、東京駅をまったく経由すること
がなくなったのだ。これは、コミケ第一日目の夕食が「和幸」(八重洲南口店)から「さぼてん」(大井
町アトレ店)に完全に移行してしまったことからも証明できる。
わたしがコミケに参加しはじめた当初の東京国際展示場(東京ビッグサイト)へのルートは次の通り
であった。京都→東京(新幹線、2:45)→京葉線地下ホーム(徒歩、0:15)→新木場(京葉線、0:15)
→国際展示場(りんかい線、0:10)。まず、このルート、京葉線の地下ホームまでの道のりが、おそ
ろしく長い。東京ディ○ニーランドへ行ったことのある方ならわかるだろう。それから、新木場からの
りんかい線、これもやっかいだった。まず切符を買うのに大行列。対策として現地のひとにあらかじ
め、回数券を買ってもらうなんてこともしたなぁ。さらに車両が3両編成なので、ぎゅうぎゅうづめ。
乗車率400%くらいはあったと思う。約5年くらいは続いた。
これが、りんかい線が天王洲アイルまで延伸すると、すこし変わった。東京から浜松町までゆき、
東京モノレールにスイッチ。天王洲アイルからりんかい線に乗る。つまり新木場とは逆方向から、
進軍するのだ。混雑度は減ったが、天王洲アイルの両駅は直結していないため、あまり便利な
ルートとは言えず、事前予習(別のイベント)で一度、コミケで一度と短命であった。
この後、まもなくりんかい線が大崎まで延伸、JR山の手線、埼京線と接続されると、戦況は一変し
た。一年前の冬コミのときである。いちいち東京まで行っていた首都圏北部、西部からの参加者が、
一直線に国際展示場に乗り入れることができるようになったのだから、混雑は大幅に緩和。しかも
編成が10両となり大量輸送が可能となった。しかも、われわれが定宿としているホテルは京浜東
北線の大井町駅の前にあるのだが、その大井町にりんかい線の駅ができたのだ。乗り換えなしで、
20分でいけるということは、これまで朝4時に起きていたのが、5時起きで済むことになり、おおいに
助かった。しかし、第一日目に東京駅までいかねばならないのは変わらなかった。
で、この12月からの新幹線品川駅の開業である。これにより、東京駅をまったく経由せずに国際展
示場までいけることが可能となったのだ。(帰りもホテルまで直通なので疲れ知らず。)
さて、このようにコミケをめぐる交通事情は年々進化をとげているのだが、われわれは恒例として、
期間中、一度は、これら便利なルートを使わずに国際展示場をあとにする。そう、必ず一度は水上
バスにのり、有明臨海副都心から浜松町に程近い、日の出桟橋まで約20分の東京湾クルーズを
楽しむのである。甲板にでて風に吹かれることのなんと気持ちいいことか。しばらくすると目の前に、
東京タワー、左手にはレインボーブリッジ、右手には隅田川が見える。これ以上の開放感というのは
普段なかなか味わうことができない。その味が忘れられず、今年もまた水上バスに乗る。さすがに
冬は寒いのだが、室内ではなく甲板にでて風景を眺める。船と一緒にかもめが飛ぶなんていう映画
みたいなシーンを目の当たりして、さわやかさとは正反対のコミケに来ていることをしばし、忘れるの
であった。
- 2003/12/27(土)
なにコラ2003年最終日。次回、第10回演奏会の楽譜、練習CD、なにコラ通信の送付マネージの
ため、練習場へ。本町の駅から地上に出ると、いきなり霰が降ってきたのには驚いた。
練習に参加できる人、できない人、演奏会に乗れるひと、乗れない人がいるので、人によって、
送付物の中身はそれぞれ異なる。それらを分類すると、6〜7種類に。総数は120にもなる。
この作業、陣頭指揮に常識はないが頭脳優秀のFと、敏腕マネージャーのN君がたつようになっ
てからかなり効率化が進んだ。(わたしは軍曹みたいなもんです、ハイ。現場指揮ね。)
とはいえ、すべての発送準備に2時間半はかかったのだった。以前、指揮者(一番マネージ能力が
高い。ある意味当然かも。)と、学生のS君二人で同じことをやっていたと思うと、その苦労が偲ばれ
る。
作業後、Fとともに帰路に。というのも「発送準備の準備」で、前日から仕事続きで疲れきっていた
のが最大の原因。練習4時間、宴会∞にはとても耐えられない体だったのだ。Fの車に乗る。F曰く、
「ずっと喋っといて、寝てまうし。行きはカーナビと会話してた。」。。。
- 2003/12/26(金)
仕事納め。しかし、昨日の緊急仕事は、まだ終わっていなかった!私の手をはなれたものの、
先輩に飛び火し、「どうしても今日中に、○○できるように直して!」という依頼が。先輩主導、
私サポートの形で調査をすすめ、最終的には定時内に収まった。さすが先輩である。私なら、
お手上げだったなと思う。
さて、最終日ということで、私の作ったシステムも停止させる。が、停止時に思わぬ事態に。EWS
の停止がうまくいかず、仕方なしに再起動したところ、ディスク容量が半端ではないため、verifyが
終わらなくなってしまったのだ。再起動しなければ、停止をさせられない。しかし、いつ立ち上がる
かわからない。待つしかなかった。つくづく定時退社日は呪われている。結局30分後に起動。
こんどはうまく停止できた。定時+40分オーバー。
ロッカーで友人に会い、新年会の話をしながら、帰路についた。駅についたころに、いつもの調子
で、制服をロッカーに入れてきてしまったことにきづく。まぁいいや。もう一着替えがあるし。
さて、本業の仕事は終わったが、なにコラの仕事がまだ残っていた。明日の練習までにしあげない
といけない仕事がううっ、いっぱいある。
- 2003/12/25(木)
クリスマス。給与支給日。くわえて定時退社(強制)日。
しかし、緊急の仕事が!『あぁ、また帰れないのか...』という不安が脳裏をよぎる。というか、定時
日に私(以外にも数人)を帰れなくするのは、決まって特定の部署だ。こころのなかではあきたら
ず、口にだして呪ってやった。どうみても今日中に終わらないので、定時+30分でけりをつけて、
あきらめるように先方に勧告。今回はいともあっさりと受諾されたので助かった。
クリスマスプレゼント?というわけでもないが、帰宅前にいつものごとく本屋へ。本日発売の、
安倍吉俊(AB)氏の画集、「灰羽連盟画集『グリの街、灰羽の庭で』」を買うつもりだった。が、
ない。店員さんに聞くと「あぁ、すいません。本日発売になってるんですけど、角○(出版社名)は
あてにならなくて、今日入ってないんです。たぶん27日くらいには。」との返事。そうだったのか、
○川書○。意気消沈のまま帰路につく。
夕食は、店屋物の餃子と肉炒めと、中華である。日本ではクリスマスケーキに、シャンパンという
のが、一般的になっているようだが、中国のクリスチャンの人はどういうすごし方をしているのだ
ろうか?
クリスマスでまた思い出した。院生時代、学会で、ジュネーブに行ったとき、岐阜大学のO先生と
鳥取大学のS先生が、こんな話をしてくれた。先生方は、いつだが、クリスマスの時期にジュネーブ
に来たらしい。それが普通のことなのかわからないが、教会にいくと、会衆にパンとワインが振舞わ
れるらしく、ワイン飲みたさに、「教会のはしご」をしたというのだ。教会や、クリスチャンのひとにして
みれば、とんでもない話なのだが、なぜだが先生方の人柄を知っていると憎めないものがあって、
話を聞いたときは笑ってしまった。キリストがお生まれになった日であるから、神様も恩赦をあたえ
てくださるんじゃないかと思う。(ダメですか?)
- 2003/12/24(水)
クリスマス、というと高校時代を思い出す。私は合唱部兼聖歌隊に所属していたので、毎年クリス
マスシーズンは、CLSとキャロリングという二大行事に忙殺されていた。
CLSとはCandle Light Service,燭光礼拝のことである。全学の中・高・大の聖歌隊が礼拝堂に介
し、蝋燭の明かりだけのなか、聖歌を演奏する。それは会衆とクリスマスの喜びを分かち合う美し
さに満ちた行事だったけれど、各校の合唱団のメンツをかけた戦いの場でもあったように思う。当
時の我々は、人数こそすくなかったが、逆に少人数をいかしたハーモニーで、他校や大学の聖歌
隊には負けてはいない、という意識があったように思う。練習の意気込みはすごく、わが母校は
冬休みは12月の第2週の頭から始まるというロングバケーションだったが、そのすべてを練習に
費やしていた。とうぜんバイトなどできない。
今考えるとすごく余裕がなかったが、あのころはそれなりに真剣だった。余談になるが、欧州留学
から帰国してすぐの、まだ20代だった本山先生の指揮でメサイアのハレルヤを歌ったことも懐かし
い思い出だ。
さて、いっぽうのキャロリング、はうってかわって楽しい行事であった。これはクリスマス・イヴの晩
に今出川を出発し、学校のある岩倉まで、学校の先生や、OB・OGのうちを訪ね歩き、お宅のまえ
で、蝋燭の火をともしながら讃美歌や、キャロルを歌うというもの。演奏後は夕食をご馳走になった
り、お菓子やケーキをもらったりする。学校に到着したあとは、音楽室で、集まったOB・OGとともに
一晩中、歌い明かし、語りつくすのだ。そういえば、3年生のときは大学グリー現役の先輩が4人来
られて、カルテットで1曲歌ってくださった。今考えるとおそろしく豪華メンバーな方々だった。。。
さて、このキャロリング、取り仕切るのは2年生である。学年一人の私は、当時本当に一人でこの行
事の裏方を務めたのだが、死にそうな目にあった。楽しい行事の裏側は、つらい仕事の積み重ねな
のだ。キャロリングのルートの調査は特につらかった。先生や先輩のお宅に何時ごろ伺います、と事
前に連絡しないといけないが、そのためには、歩きの速度とバスなどの移動時間を把握する必要が
ある。何日か前に、一人でそのルートを歩くのだ。歩いて時間をはかって、お宅の前に着いたら、歌
の時間だけ時間をつぶす。大勢で夜歩けば、楽しいが、ひとりで歩くのはさびしい。特に左京区北白
川のあたりは夜は人気がないうえ、地形が入り組んでおり、日が暮れてから迷ってしまった。腹もすく
うえに脱出経路も見つからず、気はあせる。。。なんとか調査を終えるころにはくたくたになっていた。
当日、翌日の準備でもいろいろとあるのだが、これは割愛。翌日朝10:00ごろ解散。一人音楽室の
鍵を閉め、守衛さんに挨拶をして、ひとりで帰る。前日の楽しさがうそのようだ。1回生のときも、3回
生のときも、結局は学年一人ということがあって、嬉しさ、楽しさと、切なさと寂しさが同時にやってくる
この時期は複雑に思いでいっぱいだったと思う。これが青春?とよばれる時代のクリスマスのイベン
トであった。ほかのひとには経験し得ないことをしていたんだ!と開き直るには、まだまだ若かった。
大学グリー時代、クリスマスはメサイア演奏会であった。歌いっぱなし、たちっぱなしで2時間半。
終わったあとに、打ち上げには出ず、仲間何人かと、必ず四条の天下一品にラーメンを食べに行っ
た。男だけ、演奏でくたくた、でも「こってり」はうまかったし、何より一人ではなかった。皆とわかれ
て家に向かうときも、切ないとか寂しいとか思わなかった。
- 2003/12/23(火)
クリスマスコンサート当日。
懸念していた通り、頭痛、肩こり、体のだるさ。一応眠ったと思うのだが、長編の夢を見ていたせい
か眠りが浅く、寝た気がまったくしない。
自転車で会場までゆく。朝の冷気が、寝不足で昂ぶった神経を鎮めてくれる。途中で当然のごとく、
ドリンク剤を購入、即飲用。これで今日一日なんとかもたせないと。11:00〜16:00リハーサル。歌っ
ている間はそうでもないのだが、休憩になると、白線上を綱渡りしているようなアンバランスな感覚
がつきまとう。いつ集中力が切れるかの限界に挑戦しているよう。
そして、本番。音楽的の技術面での完成度はともかく、とても気持ちのいい演奏ができた、と思って
いる。お客さんがいないリハーサルよりも、やはり満員のお客さんに囲まれたなか、メンバーが息を
そろえて、音楽をつくりだす瞬間、瞬間の「空気」が気持ちいい。そこにはいつも新鮮な「張り」があ
る。そのなかにあっては、もう頭痛いとか、肩こるとか、死にそうなくらいしんどいとか、そういうもの
はふきとんでしまって、ただ心地よさしか感じない。
私はなにコラでも歌っているが、葡萄には、なにコラで感じるようないわば「大地のエネルギー」とは
全然質の違う、空間にたゆたうような、暗闇浮かぶ燭光のようなほのかだけど温かみを感じるエネル
ギーを感じる。それはやはり混声のなせるゆえ、女声の存在が大きいのだろうなと思う。
ブリテンの「キャロルの祭典」の終盤、ハープと女声二人の三重奏では、こんな至福があっていいの
か?と、歌い手としてではなく単なる聞き手になってしまった。
こころに残る演奏会だった。ほんと自画自賛なのだが、本当なんだから仕方がない。
で、演奏会後、気が抜けて死にそうになる前に、自転車をダッシュさせて帰宅。打ち上げにでれな
かったのは非常に残念だったが、ここ数日のことを考えると体と頭をいたわってやる必要があった。
行きと同様、夜の冷気が演奏で昂ぶった精神を静かにクールダウンさせてくれた。
- 2003/12/22(月)
コンサート前最後の練習日、にもかかわらず、わたしは会社にいた。仮運用中のシステムの一部に
不具合が見つかり、原因究明と対策にてこずっていたからだ。また嫌なタイミングで見つかったもの
である。必ず発生するものではないにしろ、放置しておくことなどできない。結局22時過ぎまでかかっ
たが、完全解決にいたらず、一部、問題にならない部分では妥協した形となった。時間がとれたら手
直しは必須である。
この件の体力的、精神的損耗は激しく、明日は本当に歌えるのか?状態で帰宅した。そういえば、
第2回演奏会のときも、著しく体調をくずしていて、当日、吐きそうな状態でリハーサルをしていた
ことを思い出す。
24日に行わなければいけない発表資料も、あおりをくらって完成しなかった。当日の午前中に作る
しかないと、思うと気が重い。発表を遅らせて休みとりたいなぁと、23日も来ないうちに24日のことを
考えるのであった...。
- 2003/12/21(日)
いきつけとなりつつある烏丸丸太町近くのアンティーク時計のお店へ。自転車で西大路を通ったら、
ちょうど高校駅伝にひっかかる。その約15分後、烏丸まで来ると、もう人だかりができて走者が来
るのを待ち構えていた。いくらなんでもそれは早いやろ、と思っていたらその5分後くらいには、彼ら
はやってきていたので、驚く。
店主と歓談。入手をお願いしていた時計が手に入ったとの事。しかし買えるのは半年後くらいなのだ
が、「それまでは金庫にしまって店にはださへんし」とありがたいお言葉。いや、店頭にだせば最初に
見つけた人に買われてしまうのは必至の時計なのだ。(IWC、インヂュニア、Cal887/2搭載。)
とは、書いたものの、IWCの知名度は日本ではおそろしく低い。しかもIWCの時計は皆地味なデザ
インなので、はめていても目立たない。(ただし、かっこ悪いわけではない)知る人ぞ知るといったと
ころ。現行ROLEXが「成金中年」のイメージなら、IWCは「さりげなくカッコいい伯父さん」といえる。
(ROLEXも、アンティークだとそういう『風格』が感じられて好きである。)
2時間くらい話をして、葡萄の樹のチケットを店主に買ってもらってから帰宅した。
- 2003/12/20(土)
昨日の雪はやはり積もったうえに、午後になっても融けるどころか、さらに降り積む様子。どこかへ
でかけてやはり初雪の写真を撮りたい気持ちもあったのだが、曲を見なければという気持ちと、
相当寒そうであったのとで、結局出かけずじまい。ひとり練習をするも、なかなか覚えられず。やは
り「歌って覚える」というプロセスをふまないと、楽譜が画像として頭に入らないようだ。
私は音程に関しては連続した音としていわば、自分のパートをメロディー化して覚えている(たぶん
)。この感覚はわりと皆も同じで普通のことだと思う。だが、ことタイミングに関しては、メロディー内
のタイミングで「間」をとっているというよりも、画像として覚えているといえる。見開きの楽譜をスキャ
ナーで読み込んだように頭に転写して、歌うときはそれを見ながら歌っているのだ。曲がすすむと、
画面が自動的にスクロールしていく。ちょうどMIDIの音符貼り付け方式のシーケンサーの再生画
面のように。だから自分が歌っていないときも楽譜は進んでいくし、他パートの動き、入りもわかる。
この方式は、当然楽譜を見ながら歌っている時間が長いほど有効。しかし、ここ数ヶ月の練習の出
席率を考えると、かなり難しいなぁというのが現実。となると、楽譜を見るしかないわけだが、学生の
ころから暗譜して曲を歌う経験がながいと、逆に楽譜を持ちながら歌うということがとても難しく感じ
る。かじりつきでは当然指揮が見えないし、他パートとの連携がとれない。楽譜を見つつ、まわりを
感じつつ、指揮を見つつ、お客さんに向かって歌うというのはかなりマルチタスクで高度な技術を要
する。暗譜=エライ、譜持ち=エラクナイ、なんて単純な式は誤りである。
譜もちにはそれと腕力がいる。正確には楽譜を掲げて長時間支える力いるのだ。経験のないひと
は、15分から20分の間、片手で雑誌か何かを目の高さまで持ち上げて固定してみて欲しい。いか
にツライか。空気イスをやってるのとおんなじくらいきつい。(当然ページをめくる必要があるので、
両手ではもてない。手を入れ替えることはできるけど。)
というわけで、マルチな能力が試される譜もちよりは、少々苦労してでも本番での負担がすくない
暗譜にもって行きたいのだ。まあ、仕方がないので、ここは奥義を使う。「絶対どうしても指揮をみ
ないとまずいところだけ暗譜」の法だ。実はこっちのほうがしんどいかも...。最終奥義はできれば
使いたくない。秘中の秘、「奥義口パク」。いかにも歌っているように歌う。これは実は簡単そうで、
誰にでもできる技ではない。だから奥義なんだが...ちゃんとできる人は私は2〜3人くらいしかしら
ない。
さて、あと少し。頑張ります。12月23日、京都文化博物館別館ホール、開演17:00。
(担当マネージャーから、これ以上人呼ぶなと連絡あり。まあでも規制の強いホールではないので
多少のあふれは大丈夫だと思う。。。たぶんね。)
- 2003/12/19(金)
葡萄の練習後、初雪と遭遇。初雪を見つけるとだれかに知らせたくなるのはなぜだろうか。
初雪をみつけると、頭にWhite Christmasではなく「縄文」の"ししん、しん、しん、ししん、しん、しん"
の陰鬱なメロディーが流れ始めるのはなぜだろうか。
- それは私がグリーの魂を持つが故。 (笑) -
合唱団「葡萄の樹」第5回クリスマスコンサートまで、あと4日。
「総員、第一種暗譜体制発令!最大音速で迎撃せよ!!」
- 2003/12/18(木)
会社の行き帰りに変化をつけたくて通勤をJRから阪急に変えて随分経った。しかし、経路がの
びて多少、歩きの風景が変わったといっても、やはり慣れてしまうと体が自動的に動いて、気がつ
くと、会社についていたり、駅についていたりする。特に帰りは真っ暗なので、なおさらだ。そこで、
リズムをくずすために特に用がなくともコンビによったり、本屋によったりする。たとえそこで、散財
(というほど大げさでもないが)したとしても、かまわないと思っている。
再開発の影響で、コンビニの位置が駅に近くなり、さらに店の向きも変わった。だから、店をでた
瞬間の風景や、自分の移動すべき方向が逆なので、非常に新鮮に感じる。一度書き込まれた
メモリーを塗りつぶすように、新たな地図ができていく。本屋(けいぶんしゃ神足店)にしても
路地を一本入ったところに移転したため、店から出ると、阪急方面にむかう人たちを、路地奥から
真横に眺める形になる。本屋に長く居てから出ると、会社から駅に向かう人を、同じく会社から
帰っているはずの私が横から眺めることに非常な違和感と、超越感覚を味わう。通常のルーチン
や、ルートの枠外にはみ出して、客観的にものごとを捉えているような錯覚。
わずかな寄り道が、私に新しい視点を与え、わずかな寄り道ですら新しいモノを得られことがある
ことを知る。まっすぐな道をまっすぐ歩くのはもったいない、と思えるようになってきた。
詰まった文章が読みたくなる。けいぶんしゃにて、久しぶりに文庫本を買う。
- 2003/12/17(水)
どうやら、うちの妹(彦根の裁判所勤務)が書記官だかなんだかの試験に受かったらしく、研修
のために来年4月から埼玉へ最長1年くらい行くらしい。家が静かになってよい。家の騒音の
9割がた(推定)は妹が発しているものだから。
両親が旅行先(奄美大島)で買ってきた荷物が届く。田中一村の画集である。奄美大島は、田中
一村が移り住み、終生絵を描き続けた土地であり、いまは一村の美術館がある。画集をながめる。
これほど、鮮烈でありながら、しっかりと大地の匂いを感じる絵を今まで見たことがなかった。来年
から本土での巡回展が順次開かれるらしく、もっとも地理的に近いところでは大丸心斎橋店で3月
に行われる。なんとしても、行かねばならない。
- 2003/12/16(火)
日付を間違えてたので訂正しました。m( _ _ )m
葡萄の樹、補習の日。なんとか8時くらいに到着。練習回数が少ない私にとってはとにかく歌っ
て、歌って口が回るようにするのが大切。本当はもっとニュアンスとか考えないといけないのだ
が、今回は自分的にかなりやばいので、曲を覚えることを優先する。
家に帰ると、世界バリバリなんとか、というクイズ番組をやっていた。いろんなテーマで毎回、
値段とか回数をあてるもの。今日は雑誌の専属モデルがテーマ。名前を覚えてしまったのだが、
キャンキャンの専属モデル、押切もえという人が登場。なんと一冊の雑誌で、200着以上の
服を着ているというからすごい。シャッターとシャッターのわずかな間に、その服にあった表情や
ポーズをカメラマンに指示されることなく、自在に変えていく姿は、「あぁプロってすごい」と思わず
にいられなかった。見とれてしまいますた。ちなみにお給金はそんなにもらえないらしい。
で、次に別の専属トップモデルさんのコーナー。出勤日の私服の値段が問題。ブーツや、コートが
あるので10万超えるかなーと思っていたら、5万弱。すべては組み合わせ次第なんだなぁと、
ここでも感心してしまった。
最後は、ティーンズモデルとよばれる小中学生に人気のモデルさんが登場。ティーンズといっても
モデルさんは18歳。しかし、さきほどのトップモデルさんの19歳とひとつちがいとは思えないくらい
おさない顔立ちである。なんでもこのモデルさんの登場で、そのブランド服の年商が30億から60億
くらいに伸びたらしい。番組ではモデルさんのお店での握手会の様子を取材。当然握手会に参加
するには服を買わないといけない。取材によると、3万円〜12万円くらい使っている様子。全部子
ども服なのがおそろしい。
が、はた!とわれに返ってみると、月々の書籍代は、多いときで1万。さらに、コミケのときは、一日
2〜3万円、3日間で7〜8万は使う。これが夏冬ある。そう考えてみると、お金の使いどころという
のはひとそれぞれで、他人の使い方をあれこれと批判したりはできないもんだなぁと思う。某指揮者
などはCDと楽譜代に月10万円くらいはざらに使っているらしく、楽譜専門店パナムジカは送迎つき
らしい。(駅から徒歩5分なのに(笑))
まあ、身銭を切ってこそ、ものの価値がわかるのであって、稼ぎのない子どもにお金を与えすぎる
のはよくないよな、こころの折り合いをつけるのであった。
- 2003/12/15(月)
会社帰り、やはりおなかがすく。ポテトチップスには魅かれるものの、食べすぎはよくないので、
じっと我慢し、コロッケを買う。2個で100円と安いのに、満足度が高い逸品。会社帰りに、コート
姿でむしゃむしゃコロッケをほうばる男。学生時代、昼食にはかならず定食にコロッケの単品を
つけていたものだ。研究室の同期に、「いつか横から奪って食べてやる」などといわれたことを
おもいだす。よく考えると、ポテトチップスもコロッケも原料はじゃがいもであるな。ナチュラルな
嗜好には逆らえないのであった。
- 2003/12/14(日)
「R嬢の誕生日に焼肉を食べる会」に出席する。集合時間まで時間があったので、映画を見て、
スターバックスでスチームミルクを飲む。コーヒーはもともと飲む習慣がなく、喫茶店やファースト
フードでは紅茶を飲むことが多い。が、紅茶を飲むのにも飽きてきた。というわけでシンプルだけ
ど、ほっとひといきな感じが漂うホットミルク(スタバではスチームミルク)を最近良く飲む。
何かプレゼントを買わんといかんだろう、ということで選んだのは「sushi」という本。オールカラーの
寿司の写真集&ネタの解説本。印刷やレイアウト、装丁もきれいで、見ていると結構楽しいものが
ある。おとといの校正作業のとき、「ああ、寿司たべたい」とのたまってたので、これがよかろうと
思った。ちなみは私は寿司が苦手だ。というか食べられない。
ほとんどネタのつもりだったのに、渡したあと、食い入るように見ていたのには驚いた。で、あげく
「肉はもういい、寿司たべたい。来年は寿司。」と高らかに宣言して、皆をあきれさせるR嬢であっ
た。後で、「実は寿司は嫌いなんや〜」といったところ、「非国民」といわれた。ヒドイ奴だ。そうい
えば、以前納豆が食べられへんとか、うめぼしがたべられへんとかいったときに、なつ。やR嬢や、
その他もろもろに同じこといわれたような気がする。私は相当な偏食なのは認めるが、これでも
随分ましになったんだけどなぁ。あ、そうそう、つけものもだめだ。
- 2003/12/13(土)
家族がみんな旅行に出てしまったので、犬と一緒に留守番をする。誰もいない家は、すみずみ
まで静かで、心地がいい。普段は座ることのない居間のコタツ机で、時々犬をかまいながら、
本を読む。普段はあまり鳴らせないステレオで、坂本真綾のNewアルバム「少年アリス」を聞く。
元来、独りでいることがすきで、独りで行動することもあまり寂しくない。時々旅行にいくのも、
半分は、ホテルで文字通り静養したいからだ。どんなインターラプトもない空間に身をおいて
いたいのだと思う。そういうとき、時間って、一日ってこんなに長いんだ、と実感する。
独りでさびしいと思うのは、何かすばらしいものを見たり、聞いたり感じたりしたときだと思う。今、
自分が感じている感覚は、自分ひとりのものだけではない、と思いたいのだ。誰かと共通の感覚
をもっている嬉しさを感じたいのだな。
漫画「マスターキートン」のある話で、個人個人は、その自分の宇宙を抜け出すことはできなく
て、夫婦でも恋人でも、親兄弟でも真にわかりあえるような幻想をつねにいただいている、とい
う考えが出てくるのだけれど、ラストシーンのある出来事の前では、人間だけでなく動物でさえ
も、同じ宇宙に生きていることを感じあえる...というのがあった。
そういう瞬間を、誰かともちたいのだろう、私は。
- 2003/12/12(金)
葡萄の樹、特別練習。なにが特別かというと、今回の演奏会はなんとハープ付き!でブリテンの
キャロルの祭典をやるので、そのハープとのあわせなのだ。ハーピストは、松村衣里さん。京響に
所属されている非常に有名かつ有望な若手の方と聞いている。団員も気合がはいっているが、
なにより指揮者がことあるごとに「ハープ、ハープ」といっているので、暗示を掛けられているよう
な気がしないでもない。
ハープというのをじっくり見たことがなかったが、弦のいろが、赤・青・無色と複数あり、あしもとには
7つほどペダルがある。演奏中に操作するのではなく、曲ごとにセッティングを変えるようだ。うち
あげのときにでも松村さんにハープの基本の話など聞いてみたいと思う。いや、こういうことは、
○川さんなどが積極的に聞きにいきそうなので、なかなかお近づきにはなれないかもしらん。
練習は、京響の練習場。非常にデッドな環境のため、合唱にとってはうたいづらい。いったい、
ハープとどういうふうに組み合わさって聞えるのか、歌っているほうからすると想像できない。
松村さんは男声側に位置し、指揮者側を向かれているのでお顔を見ることがなかなかかなわ
ない。ソプラノかわはよくみえるんだろうなぁ。指揮者は見つめられる形になるので、常時おす
ましな感じなのが笑える。
その位置のことで、指揮者が「男声はやっぱり、松村先生にこっち側に居てもらったほうがいい
やろ」とのたまう。それに対して、"空気の読めない男"ことマトゥーン(仮名・バリトン)が、「うん、
ハープが近いほうが音が採り易いし」と発言。一瞬皆が引く、というか完全にスルー。空気が読
めないにもほどがある。
練習終了後、演奏会パンフレットの校正のため、出雲路橋から適当な店を探して歩くが、この
あたりは何もなく、結局今出川まで歩いてしまった。居酒屋林の二階で作業。以外と多いぞ、
間違い。"TENER"ってなんだ。(笑)
- 2003/12/11(木)
建築写真を見た友人二人からメールがある。うれしい。京都や、大阪の街中(淀屋橋、北浜、
船場あたり)にも結構、日本近代西洋建築は残っているので、あたたかくなったら、有志をつの
って見学ツアーでもやりたい...っていうかいるのか有志。そうか、あまり興味がない人でも結構
楽しいのが博物館明治村(愛知県犬山市)。小学生時代から都合3回くらいいっているが、何度
いっても飽きない。最近でこそ、まちの西洋建築はリニューアルされたりして、内部公開されるこ
とも多いが、昔は中を見ることができるのはほとんどなかった。そんななか、何十年も前から、
貴重な建物を外からも、中からも自由に見学できる明治村の存在意義は大きかった。そのほとん
どが、内部をほとんど原型をとどめたまま、というのも貴重だ。リニューアルされる場合、内部空間
をあとかたもなく変更し、外観しか面影がない建物などざらなのだ。
そうそう、建物だけでなくて、園内には京都市電(開業当時のもの)も実際に運行していて、鉄な
こころもうずくというもの。この市電、決まった時刻だけ運行する、といった類のものではなく、
開園時間中は、10分間隔ほどで、園内の主要なポイントからポイントを結んでおり、単に雰囲気
としてでなく、有効な移動手段としての役割も担っている。
ああ、こんなこと書いてるとまたいきたくなった。京都からだと十分日帰りできるので、誰か一緒に
行きましょう。
- 2003/12/10(水)
顔面の痙攣のため、鍼治療を受ける。右側が凝っているため、左に影響がでるのだという。
そろそろコミケの準備。サークルチェックを始める。とりあえず何時もお邪魔しているサークルを
チェックし、あとは夏に新たに発見したサークルをいれていく。昔のようにむちゃくちゃ本を買う
ことは少なくなった。むしろ、「絵がきれいで鑑賞できるアート系のもの」「創作系で自分の好み」
「アニメ・漫画のパロディ系」というように、ある程度ハードルを設けて、探すようになっている。
理由は本を買いすぎると、つぎのコミケまでに絶対読みきれないから。この冬もあくせく動くの
はやめて、すこしじっくりいい本を探してみようかと思っている。昔は、大手にならぶ時間があっ
たら、とその時間を惜しんでいたが、大手でもまだ知らないところはたくさんあるし、大手開拓
にも積極的になってみようと思う。
それから、今日は撮りためた写真を整理。建築写真が中心。前の発表から7ヶ月も空いてしまっ
たので、セレクトに時間がかかる。仲間内のMLに発表場所を流して、見てもらうのだが、反応
は一部の人からしかないのが、残念。皆は、日本近代西洋建築に対して、どういう思いをもって
いるのだろうか。ないようでまだある。まだあるようでもうない。そんな建築に少しでも興味をもっ
てもらえれば、良いなと思う。
- 2003/12/09(火)
夕方から突発の仕事。あー帰りたい、とか思いつつやっていると、左顔面がひくひくしてきた。前に
もまぶたが痙攣して止まらないことがあったが、ようするに目の使いすぎ+ストレスなのだ。目では
ないから、目薬をさすわけにもいかず、なんだかにやっとした顔のまま仕事。本業が今日も進まず。
ちょっとブルーな気持ちなのに、夜遅くてちょっとハイという矛盾した感覚が並存する。
最近、夜中に一度目が覚めたり、長編の夢を見たりで、また睡眠障害が起きているような気がする。
毎日ドリンク剤を飲むのもきつい。朝気分よく目覚めるにはどうしたら良いものかなぁ。
- 2003/12/08(月)
仕事帰り、おなかがすく。実は2ヶ月ほど、仕事帰りの菓子パン買いをやめていたのだが、そろ
そろ限界で、誘惑に負けつつある。で、パンではないが、カルビーのポテトチップスを買ってしま
った。しかも90g袋。夜道の住宅街を、チップスをぼりぼり食べながら歩く、背広姿の男。かなり
怪しいと自覚しつつも、体が塩分を求めているのだから仕方がない。
- 2003/12/07(日)
同志社グリークラブ第99回定期演奏会@京都コンサートホール。
ワセグリの演奏会を聞いたんだから、古巣の同グリを聞かないわけにもいかないと思い、足を運
ぶ。実は、外が異常に寒かったので、直前までいくかどうか逡巡していた。
演奏だが、なんというか、盛り上がりというか、高揚感に欠ける。1、2ステが終わった時点で、普
通なら、満を持して3ステ、少し落ち着いて豊かに4ステ、と期待が高まるのだが、まったくそれが
ない。プログラムビルディングに問題あると思う。シーシャンティ、5つのルフランでは、ちょっと地味
すぎる。それから、もっとも問題なのが発声だ。まったくもって悪い。単純に持続力がないだけで、
発声そのものに難は感じられなかった早稲グリとくらべると、なんとも力がない、温度が低い、レンジ
が狭い。特にバリトン系の荒さと、TOPの勢いのなさが目立つ。しっかり実声がでるうえで出すファル
セットと、実声がでないから逃げるファルセットでは全然違う。もちろん彼らは後者であった。
3ステの頭16小節くらいは「おおーやっと出るか?」と期待したものの、やはりだめ。はっきりいうと、
ピアノもよくない。去年からの引き続きのピアニストなのだが、もっといい人がいるだろうに。細見
真理子さんを昔からピアニストに招いている立命メンネルの先見性の高さをうらやむ。
4ステは、2ステ客演の伊東氏曰く「合唱付きオケ曲」という感じで、合唱の出る幕なし。しかもあっけ
ない幕切れ。ほんと、聞いてて悲しい。一番ましなのが、アンコールってのはどうしたらいいのか反応
に困る。演奏が終わってロビーでストーム。普通なら、演奏終了の緊張感から開放されたいい声が聞
けるものだが、これもだめ。声がかすかす。全力を尽くしての疲れた後のかすかすではなく、あくまで
発声の悪さから来る、かすかす声なので、聞いていて気持ちが悪い。結局、こころからの賞賛の拍手
を最後まで送ることはできなかった。
この演奏会でもっとも楽しめたのは、影アナをやったおなじみR嬢の「エロい声」。前にもまして、磨き
がかかっている、というのは知人一同の意見の一致するところであった。演奏会終了後、ちょいと変
則的なメンバーで、にしだ弥へくりだす。なつ。、Tさん、R嬢の三人娘がそろうのを久しぶりに見ると
なんだか嬉しい。三人のおしゃべりを聞き、なごなごした時間をすごす。
- 2003/12/06(土)
コミケカタログ発売の日。日本橋は恵美須町のとらのあなへ行く。ところが!ない、ない。店がない。
あれ?っと思ったらシャッターが閉まっていた。つぶれるってことはないはずだが...どこかへ移転した
と推測、しかし近くには見えない。どうするか?と考えて、いつも一緒にコミケに行っている先輩に
メール。するとすぐ返事があった。「難波店に統合された。」とのこと。どうやら先輩も今日カタログを
買いに来ているらしい。しかし、せっかく恵美須町まで来たのに、難波までもどるとは。とほほ。
(まあ、そんなに遠いわけではない。)
難波店は、ほとんど同業者のゲーマーズの2、3階にあった。しかし、よくおんなじビルに同居している
もんだ。客層が同じとはいえ、一部商品はかぶりまくってるし。現にコミケカタログはどちらでも販売。
特典を見比べて、とらのあなで購入することに。そうなのだ、最近ではコミケカタログ取り扱い店では
予約特典や、購入特典にオタクなグッズがついている。しかも、女性用、男性用と2種類そろえる芸の
こまかさ。購入の際、「一般向け特典でよろしいですか?」と一応店員から確認がある。いや、それは
絶対「一般」的な特典ではないと思う。
グッズはスケッチブック。スケッチブックなんて何に使うの?と聞かれそうだが、即売会のおりに、作家
さんにその場で絵を描いてもらうために使うのだ。コミケくらいの混雑するイベントだと、作家さん自身
もコミケを楽しみたいので、引き受けてもらえない場合もある。(小さな即売会ではわりあい引き受け
てもらえるようだ。)しかしまあ、せっかく手に入れたものなので、この冬は持参して是非好きな作家さ
んにお願いしてみようと思う。描いてもらえるだろうか?
- 2003/12/05(金)
この4年ほど、会社の忘年会に出ていない。忘年会はたいがいボーナス支給日に行われるのだ
が、これは決まって金曜日なのである。金曜日はぶどうの練習日である。ぶどうのクリスマス演奏
会は、文字通りクリスマス近辺に行われるので、12月の練習は貴重である。しかも、支給日は定時
退社日でもあるので、練習にはじめから行ける。これはもう迷わずに葡萄を取る。
会社の忘年会の方が、一年に一回しかないという意味では希少価値?は高いのかもしれないが、
正直なところ私は酒宴が苦手である。酒が飲めないからだ。それと会社の飲み会は話題にとぼし
いから、行きたくないというのもある。皆に共通の話題というのがほとんどないので、いきおい仕事
の話になる。そういう場での仕事の話はためになることも多いので、否定したくはないが、どうせな
ら楽しい話がしたい。
趣味の話などしたい。本の話がしたい、本屋のはなしがしたい、時計のはなしがしたい、写真のはな
しがしたい、広告のはなしがしたい、音楽のはなしがしたい、漫画のはなしがしたい、アニメのはなし
がしたい、デザインのはなしがしたい、模型のはなしがしたい、テクノロジーの話がしたい、経済のは
なしがしたい...、そういう話が聞きたい。
これは単なる自分のわがままなんだとはわかっているけれど、すごく客観的に見ても、会社の飲み
会で語られる内容を聞いていると、会社員ってのはつくづく狭い宇宙にしか住んでいないように思う。
こどものころ見たり、読んだりしたサントリーウィスキーの広告に登場する"ジェントルメン"の世界は
所詮幻想なのだろうか。酒宴の場でもとにかく仕事のことを語らい、朝9時から夜22時まで働く勤勉
で「プロジェクトX」な彼らが正常で、それに違和感を覚える私が異常なのだろうか。
そんな埒もあかないことはうっちゃっておいて、嬉しかったことを書こう。今日、本をもらった。誕生日
のプレゼント。谷川俊太郎の詩に絵をつけたものだ。この本をもらったとき、思い出したのは高校時
代のこと。合唱団の定期演奏会で、私はひとつ上の卒業した先輩方から一冊の本をもらった。私は
学年一人だったから、先輩方にはかわいがってもらっていたのだ。(かわいがる分、厳しくもあった。
どちらかというと、厳しいことの方が多かった。(笑))その本は、M.B.ゴフスタインという作家の絵本
を谷川俊太郎が訳したものだ。最初のページに先輩方の寄せ書きがある。この本はいつも枕もとの
ブックタワーにおいてある。大事な本だ。
本をもらうことというのはありそうであまりない。それが美しい詩であることはもっと少ない。だから、
その分、その本を選んで、送ってくれた人のこころを感ずることができるような気がする。それは、
そんなに深い心情ではないのかもしれない。すべては私しか感じ得ない閉じた世界の心情にすぎ
ない。でも嬉しい。そんな気分にさせてくれたことに静かに感謝する。そして、枕元のブックタワーに
新たな本を加える。
A deep encounter allows no parting.
- 2003/12/04(木)
会社の近くのJRの駅前では今、再開発のためにすごい勢いで更地が誕生している。JRの駅前
は、市のなかでも場末もいいところなのだが、それでも一応ちょっとした商店街がある。早いところ
は、春ごろから、そして10月11月がピークで、完全な店舗移転、もしくはプレハブ仮設での営業を
している。なかには、ここを機会にと、廃業してしまったところも少なくない。消え行く商店街をおしん
でか、地元の小学生が、町並みの絵を書いたものが、駅に掲示されていた。
それでもまだ、10店舗くらいは営業を続けている。周りは完全に空き地なので、いずれ立ち退くの
だろうとは思うのだが、あまりにもそういうそぶりがないので、この店だけは残るのではないか?
と思うところもある。一体どういう風に再開発されるのか、まったく予想がつかない。駅のどこかに
でも、イメージ図でも掲示すればいいのに、と思う。再開発したとしても、JRの乗降客は通勤客し
かいない。それも朝早く、夜遅い人たちばかりだから、大型の店舗が入ったり、いまある商店街
以上の店が入っても、売り上げなんぞは到底見込めないように思う。あっ、マンションが建つらし
いので、それを見込んでいるか。
今日も、三箇所くらい同時に、発掘調査がされていた。たいしたものは見つからないのか、調査が
終わると速攻で埋められていく。更地の悲しさがさらに上塗りされているように思えた。
- 2003/12/03(水)
全社技術フォーラムに参加。基調講演あり、オーラルセッションあり、ポスターセッションありの、
私の会社の「技術の祭典」といえる。自分とは分野の違う技術者の発表や、声を聞くことは、
すごい刺激で、知的好奇心や探究心がふつふつと沸いてきて自分も頑張るぞという気持ちに
なれる。2年前に来たときは、「あぁ、自分はなんでこんなにできないんだ...」という気分になった
が、今は逆である。(多少、隣の芝生は青い的な気持ちになることはあるけれど。)
さて、今日の午後は特別公演が二つあった。まず、「こらからの日本のデザイン」というタイトルで、
デザインディレクターの川崎和男氏の講演。ふつう、デザインと聞くと、モノの「意匠」や、「設計」
を思い浮かべる。とうぜんそういう話かと思いきや、「デザインは手法であり、技法であり、理念
であり、哲学である」から始まった。氏は、グッドデザイン賞の審査委員長であり、人工臓器の
デザインや、核燃料リサイクル施設のデザインまで手がけるデザイナーであり、この分野では
そうとう毒舌の論客でもある。同時に、一級障害者手帳を持つ「障害者」(事故で足がお悪い)
でもある。そうそう、非医学部出身者唯一の医学博士でもある。
講演の主旨は「デザインとは何か」、「ユニバーサルデザインとは何か」の二つ。近年、非常に誤
解をもって、論じられている感がある"UD"を、歴史的に、哲学的に捉えなおし、具体的にメーカー
はなにをすべきかを述べられた。そのなかで特に印象に残った点は、「障害者」は3つにわけて
考えるべきであるということ、そしてその支援のあり方。3つとは、impairment(機能障害)、
disability(能力障害)、hadicaped(社会的不利)の3つ。そして、それに対して、医学、ボランティア、
政治・行政、そしてデザインは、それぞれのカテゴリで、3つの障害に対して、個別に細かい対応
をしなければいけないという。(現在の日本の「介護保健」はこれらがいっしょくたに行われている)
で、川崎氏は、この3つの障害は、果たして「障害者」だけのものか?と問いかけられた。そう、
いわゆる「健常者」も、定年を迎えれば、社会参画がむずかしくなり、handicapedになる。そして、
身体機能は低下し、disabilityになる。そして最後には病院に入って、impairmentになるのだ。
"UD"とは、つまり「今」を考えてものを作るのではなく、自分たちが、impairmentになっても、80歳
になっても使える携帯、TVを作るということなのだ、とおっしゃられた。この考え方は、まさに目か
らうろこである。
そして、デザインとは何か。それは「付加価値ではなく、本質的な全体価値」であるという。中国
や、台湾ではdesignという言葉を、意匠や、設計ではなく、「策略」「戦略」「理念」「資源」と訳して
いるそうで、実はデザインというものを、狭小的に捉える時代はもう終わっているのだ。
とにかく刺激的で、哲学的で、「これまで使っていなかった頭」が活性化されはじめたような気が
する。そんな講演だった。
さて、次は、模型ファン、ガレージキット界では知らぬものなし、そして最近では一般の主婦にまで
その名が浸透しつつある、あの海洋堂の宮脇修館長の講演。実は、シンポジウムに参加しようと、
思った最大の原因はこの講演を聞きたかったからである。
宮脇さんは、この講演の一週間前から、原稿を考え、毎日全然眠れなかったそうで、さかんに、
もう講演は最後です、と口にされていた。
海洋堂とは、最近、「食玩」と呼ばれる、おかしのおまけ(フィギュア)を作成している会社で、もともと
大阪守口の模型屋さん、で、今も模型屋さん。講演のタイトルでもある「創るモノは夜空にきらめく
星の数ほど無限にある」がスローガンで、今とにかく元気のいい会社、というよりは、「造形家集団」
である。その歴史や、業績は宮脇館長の著書をぜひ参照して欲しい。
ここで、その講演のすべてをかけないので、とにかくエッセンスを。「その品物を見て、あっ○○の
商品だ!とわかるモノをメーカーさんには是非創って欲しい」「身銭を切りたいと思わせる作品を
創れるか?」「モノを創るのに必要なのは、能力ではない。若者のやる気と思いいれ。海洋堂は、
いってみたら牧草地で、(原型師たちの)その芽が吹き出すのをずっと待っているだけ。」「マネす
るものは、オリジナルを越えられない」「儲けを考えているところとは一緒に仕事はできない。好き
なモノを創る、それが大事。」「人と再会するときは、常に新しい価値をその人に見せないといけな
い」etc,etc....。
見た目、話し方は、まさしく大阪の模型屋のおっちゃん(親近感をこめて)が、とにかく熱く、ものづくり
と、若い人のやる気を見ていたい、と語った90分。本当に聞きにきて良かった。ここにいない友人、
知人にぜひ聞かせてあげたかった。模型や造形を趣味とする者の一端として、メーカーの技術者の
一員として、おもしろく、実のある講演だった。最後は有志一同で大記念撮影。終わると同時に、
皆が盛んに握手を求めた。僕ももちろん握手。感謝をこめて。
「ものづくり」について、深く考えるためのきっかけとなった一日だった。
- 2003/12/02(火)
朝から頭痛い。タイミングの悪いことにいつも飲んでいる頭痛薬が切れている。しかたがないので
「みみず○○薬」という伝統のある頭痛薬を飲む。母や妹はこちらの方がよく効くらしい。一時間ほど
でましになったので、とりあえず会社に行くが、ただの頭痛かと思ったら、体のバランスがとれなか
ったり、急にめまいが来て、カクンと頭がなったり、重症っぽい。しかし、ふらっとはするものの、思考
はきちんとできるので、仕事はできた。ただし、マルチタスクは全然だめで、Win3.1なみのシングル
タスク状態。
早く帰るつもりが、結局遅くなってしまった。こんなだから直らんのだなぁ〜と思う。
- 2003/12/01(月)
昨日の新宿ダッシュがきいたのか、足に筋肉痛が。○川さんとR嬢からなぜか「今日飲み会やる」
との誘い。なぜ今日なのかさっぱりわからんが、さすがにしんどいので参加を見送る。
会社帰りにDVDを3本購入。マクロス・ゼロvol.3、R.O.D the TV vol.2、おねがいツインズ
vol.2。
季刊のマクロス・ゼロを除き、これにラストエグザイルを加えると月間3本ペースが続くことになる。
ちょいときついが、どれもレベルが高い良作なので、まあ良し。R.O.Dはちょうど第3話が「神保町
であいましょう」。自分的にタイムリーすぎ。神保町を嬉々として徘徊する主人公達(一部除く)の
気持ちがよくわかる。しかし、のっけから登場する奥野書店は、倒産したばっかりで、ちょっと複雑
な気分。本棚の消えた書店ほど、悲しい物件はない。
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