電波暗室 2004/05
- 2004/05/31(月)

M川さんのWeb日記を見ていたら、わたせせいぞうのことが書いてあった。
中高生のころ、わたせせいぞうの描く絵を私は好きではなかった。そこには必ず男女が仲むつまじ
そうにうつっていたし、キザな台詞が本当に似合う、曇りのない、きれいな世界が気に入らなかった
のかもしれない。絵の世界に嫉妬していたのだ。
時を経て、2〜3年くらい前から氏の絵が気になりだした。あのころは、表面的なところにとらわれて
絵に対して、きちんとむきあっていなかった。美しい世界を、ありのまま美しいと受け取れる余裕が
できだんだろう。キャパシティが増えたというか。仲むつまじい女性は傍にはいないけれども。
ひさしぶりに画集(正確には個展型録)を開いて、よどみそうになる心に風を吹かせる。
- 2004/05/30(日) 「メガネ」
くもり時々晴れ。
京都府合唱祭。BKにて6回目の出演。
考えてみると、もうそんなに時間がたったのかと、思う。
世界の時間の流れと、自分のなかの時間の流れがどんどん乖離していくような錯覚がする。
サントリーオールド(だったと思う)のCMに、ショーン=コネリーが出ていたとき。
服部克久の琴線に触れまくりのBGM、そして「時は流れない、それは積み重なる」のモノローグ。
そのモノローグが正しければ、時間の流れが早いと感ずるのは、積み重なっていないからか。
私の住んでいるところは呉服屋街なのだが、店頭を見ると決まって、こんな文句のシールがはって
ある。「言葉より、行為で示そう、商慣行」。このフレーズが意味するところは、正確には理解できな
い。ここでいう商慣行というのがどういうものかわからないからだ。でも、前半の「言葉より、行為で
示そう」という部分が、目に留まる。
誠実さや、思いやりというものを考えるとき、まさしく「言葉より行為」なのだと思う。
そういう意味で昨日の私のお昼から夜にかけての行動というものは、誠実さに欠けていた。
あとで思い返せば、あぁあの場面でとるべき行動はこうだった、とわかる。でもそれが、その場
で、とっさにできるのかできないのか、それが誠実であるかそうでないかの違いかもしれない。
優しさであったり、思いやりも同じだろう。
行動力のなさは、決断力のなさは責められるべきである。何の言い訳にもならないが。
思いあがり?過剰反応?そうかも。自覚している。でもそうでも考えないと、楽して逃げて
しまいそうな自分なのだ。
- 2004/05/29(土)
曇りのような、晴れのような。合唱祭の日は、この10数年間、雨がふったことがないらしいので、
明日も、今日のようにぎりぎりで回避できれば、良いのだが。
明日の合唱祭にそなえて、フィルムの準備をする。え?デジカメで撮らないのか?デジカメでも
そりゃあ、撮りますがね、なんといっても銀塩フィルムカメラの味わい深さは、そう簡単にすてられ
るものではないので。フィルムを通すのは、ハーフサイズカメラの女王とまで呼ばれた「オリンパス
PEN−F」。こんなカメラ↓。
 
見よ、この美しくも、完全無欠の工業デザイン! PEN−Fの同人誌と一緒に。
そういえば、暗室でFについて書いたことがあったよなーと思って、過去物件をさかのぼると、実は、
暗室ではなく、BKのMLに投稿していた文章であった。2003/01/13の日付。昔は、MLを日記がわ
りにしてしまっていたのだ。反省。しかし、せっかくなので、全文引用しよう。
> こんばんは、山Dです。
> ブリテンの曲はベースの歌詞が少なくて
> 助かります。っていうか歌うところ少ない。。。
>
> ところで、日・月の休みに久しぶりに練習がなかったので、
> 撮影旅行に行ってきました。場所は倉敷。
> カメラはオリンパス・ペンFというハーフサイズの一眼レフです。
>
> 余談中の余談ですが、皆さんハーフサイズってしってます?
> 名前の通り、一こまが、普通のフィルムの半分のサイズなん
> です。だから24枚撮りフィルムに48枚撮れるのです。
> なんだか得した気分ですが、実は同時プリントすると、
> プリント代が2倍かかるという罠があります。
>
> 昔はフィルムが高かったので、ハーフサイズのカメラは爆発的に
> 売れたそうです。皆さんの実家の押入れとか、たんすの奥にも
> あるかも。ちなみにペンFというは1963年発売のカメラですが、
> いまでも立派に動きます。たぶん23世紀くらいまで動きます。
>
> さて、倉敷は美観地区を中心にだいたい半日から一日で回れるので
> 観光地としては大変リーズナブル。食べ物屋さんも多くて、旅行者には
> 助かりました。見知らぬ土地で夕食をどこでとるか?を考えるのは
> 結構スリリングでこれも旅行の醍醐味ですな。今回は、商店街の中に
> ある洋食屋「かっぱ」が当たりでした。シェフが凛々しいおねいさん
> だったのが良かった。。。ちょっと若いひとを怒ったりしながら、的確に
> 指示を飛ばし、注文をしあげていく姿は写真に撮りたかったなぁ。
> いや、味も良かったですよ。(^^ ;)
>
> 次の日、倉敷だけでは物足りなくなって、「遠くへ行きたい」病というか、
> そこからさらに備中高梁まで行ってしまいました。普通の町ですが、
> 落ち着いた山あいの町で「遠くへ行きたい」感は結構ありました。
> 「男はつらいよ」の竹下恵子と中井貴一が出てる回の舞台です。
>
> 今回、あわよくば温泉も、と考えていましたが、中国地方には、
> 鉄道のみでいける温泉が意外とすくなくて断念しました。
> 駅から車で40分とか書いてあったらとてもいけないです。。。
>
> というわけで以上、ごみメール特集でした。
> っていうか日記だな、これは。
突然倉敷に旅立ったのは、たしか、2003/01/02にPEN−Fを手に入れて、何か撮影したかっ
たのだと思う。ほんとはもっと足を伸ばして、尾道まで行きたかったような記憶がある。
ここでハーフサイズつながりから、○○○の「サムライ」という、やはりハーフサイズのカメラを思い
出す。ハーフサイズの火が完全に消えかかった1989年に発売された。ビデオカメラと同じ持ち方
をするカメラで、ちゃんと右利き用、左利き用の両方が発売された。斬新なデザインで、その筋(
ハーフサイズカメラ愛好者)では、評価も高い。無論、現行生産品ではない。
で、この「サムライ」に実は不幸なことが起こっている。KBS京都をみていると、やたら○○○の
宣伝をやっているのだが、なんと○○○の新製品に「サムライ(SAMURAI)」の名前が使われ
ているのだ!しかも、よりにもよってその製品が「太陽電池パネル」!!!
はっきりいって、はじめてこのCMを見たときは、ポカーン、ポカホンタス、とあいた口がふさがら
なかった。「太陽電池パネル」に、さも自信ありげに「SAMURAI」と名づけるネーミングセンスは、
相当いかがなものか?と思うが、それよりも何よりも、自社製品とはいえ、かつてそれこそ一世
を風靡したといっていいほど、カメラ業界に旋風を巻き起こした製品につけた名前を、あっさり
うばいとって、新カメラにつけるというのならともかく、まったく無関係の製品につけてしまうという
態度、姿勢に、○○○の非情さというか、血も涙もない、冷血さを感じた。さわやかなナレーション
とは裏腹に、怒りのような、いきどおりを感じた。それは、同業メーカーの技術者としての感情や、
写真・カメラ愛好者としての感情がないまぜになったものだった。
その感情を蛇足にも解説するならば、今でも「サムライ」を大事に使い続けている元祖ユーザ
ーや、中古で手に入れて撮影を楽しんでいるユーザーのことをまったく無視し、冒涜しているとし
か思えないという感情であり、技術者が苦心のすえ生み出した製品(現行製品ではないにせよ)
から、「名前」を奪い取ってしまう、という会社のやり方への怒りでもある。
SONYが、VAIOや、AIBOの名前を、自社の乾電池につけたりするだろうか?
松下が、半導体に「愛妻号」「パルックボール」とつけたりするだろうか?
ありえない。そのありえなさは、「斬新である」「前衛的である」「アグレッシブである」という評価を
ともなったものではない。何か、人間の感情的に、「やってはいけないこと」をやってしまった
「ありえなさ」のような気がする。資本主義の論理でうごく会社であっても、やっていいことと、
やってはいけないことがある。法の遵守と同等以上に、守らないといけないことがあるはずだ。
会社は社会の公器だ。会社がやることは、社会に影響を及ぼす。だから、ひとつひとつの会社
には形はさまざまだが、守るべき理念がある。
この「SAMURAI」侮辱事件は、少なくとも、あの会社には、過去のお客様に感謝し、大事にする、
そういう「理念」はないのだろうということを、私に教えてくれたように思う。
- 2004/05/28(金)
あさっての京都合唱祭に向けてのBK練習。ちなみ携帯メールでは、「がっしょうさい」は変換でき
なかった。たいがい「合掌」となるか、うまくいって「合唱債」である。「合唱債」っていったいどんな
債券なんだ。想像すると恐ろしい。「合唱災」とならなかったのは幸いである。
今日は練習場がいつもと違うので、宴会は「くれない」(お好み焼き屋)。冷房の風向きのせいか、
座るテーブルによって、暑かったり、寒かったりした模様。わたしは、会社の作業着をYシャツの上か
ら着ていたがせいか、適温であった。Yシャツだけだと寒かったろう。なぜ、宴会で作業着をきている
かというと、先週の宴会で、作業着・制服フェチのメンバーがおり、サービスのつもりで洗濯のために
持ち帰っていた"冬服"の作業着を着て見せたということがあった。で、今週から"夏服"を着始めたの
で、見せようと思ってたのだが、そのメンバーは今日は来てなかった。
しかし、もったいない(意味不明)ので、ネタ提供のつもりできこんでみた次第。航空会社や、鉄道会
社の制服ならともかく、会社のそれも、すごーく地味な男性用作業服に興味を持つ人がいるとは、世
の中はあなどれない。いや、知ってる人なんだが。
ちなみに、私の会社では昨年あたりから、女性社員も男性社員と同じ作業着を着てもよいことになっ
た。技術職の女性社員でもそれまでは事務系の制服を着ていたので、作業や仕事のことを、よく考
えると、いままでそういう発想がなかったのが不思議である。全身同じにするひともいるが、上着だ
け同じにして、スカートでアレンジしてお洒落にしているひとが多いようだ。事務系制服になれた目
からすると新鮮である。
社内に、男女共同参画プロジェクトのような活動があり、おそらくはその成果だ。これまで、事務系
作業服で、社外の技術者やメーカーと会うと、失礼なことに「技術のはなしができる人を呼んでくだ
さい」と、いうひとがすくなからず居たらしい。この世界はまだまだ男だらけの社会である。女性はた
だでさえなめられる。そこへきて制服で、あなたに用はないとばかりに判断されるのは、屈辱のきわ
みだろう。たかが制服、と侮れない問題が、21世紀のいまになってもあるのだ。(事務系の制服を
否定するわけではないです。まぁでも、女性社員の間では評判悪かったみたいですが。なんとも。)
で、宴会の話もどるが、ネタ提供の甲斐もあってか、制服ものの話もそれなりに宴会の議題にあがっ
たのだが、後半の中心は、なんといっても「緑色の女性下着は存在するのか?」話と、「温水洗浄
便座(いわゆるウォシュレット←一応TOTOの商標登録)」話が主題となっていた。ここでその内容を
再現するのは難しいのでやめるが、こういう系統の話題で盛り上がるのは結構久しぶりである。この
手の話題で熱弁を振るってくれるであろう、I倉が最近仕事でこれないから、代わりになんとか!と
みんなが考えたのかもしれない。I倉〜はやく復活するように。
「緑色〜」に関しては、9対1くらいで「存在しない」と圧倒的に否定されたのだが、TVを見ていて、
わたしはこの判決を覆す決定的な、新たな証拠を発見してしまった。ワコ○ルの夏のTシャツブラ
(?)のCMで、「♪なみなみなみ、ひびきにくい〜」と歌っているあれだ。新製品を身につけた3人
の女性が画面で、上下にはねて、その性能を示しているのだが、ここで真ん中に位置する女性の
下着が、緑色なのだ!!いや、"!!"ふたつもいらないか。とにかく、真ん中にあるということは、
「この色をメインでね」という広告主の意向に違いない。つまり、緑色は存在しないどころか、主流
なのだ、万歳!....って、別に喜ぶところじゃない。冷静になろう。でも、緑は好きですよ。私は。
萌黄、若菜、青磁色みたいなのが、良いですね。
いつの間にか口調が変わってしまった...。
- 2004/05/27(木)
寝不足である。寝不足になると体が熱くなるのはなぜか。というか、ほかのひとも熱くなったりする
のだろうか?
こどものころ、怪我をしたり、病気でどこかが痛むとき、「どこが、どういう風に痛いのか」を他人に説
明することがなかなかできず、「ああ、この感覚をこのまま相手に感じさせられないだろうか」とよく
思った。ドラえもんの道具でも、そういうことを実現する道具というのは出てこなかったと思う。しか
し、よく考えると、読み取ってくれた人がたとえ医者であっても、それがどういう原因によるものなの
か正しく判断できるのだろうかと思う。「同じ感覚」というのはどこまでが「同じ感覚」なのか。
医学というのは、当然ながら、現象をみて判断するわけで、感覚を感じて判断しているわけでは
なく、その人が感じている感覚が、医者にとっても同じ感覚なのか?というと、かならずしも同じで
はないような気がする。暑さや、寒さに対する耐性があるように、ひとによって痛みを感じる閾値
も違う。「感覚」などというものは、あいまいなものなのだ。
まあ、でも実際は医学書をみれば、「○○のときは、刺すように痛い」「しくしく痛い」「じんじん痛い」
などと、かなり具体的に書いてあり、それはあいまいな「感覚」の共通項を抽出し、共通化し、言語
化してきた先人に感謝すべきなのだろう。
で、なぜ寝不足なのかというと、DVD(松尾スズキが声優で出てるアニメ)を見て、その後、実は
AM3:00ごろまで本を読んでいたから。
その本とは、「マルドゥック・スクランブル」第3巻。久しぶりだった。読み出すと止まらない、一刻もは
やく次のページが読みたいという「感覚」。別の「感覚」から意識を飛ばしたい、という思いがあった
にせよ、あの「感覚」はおそろしい。長針が秒針のごとくすぎていく。なんとか最大限の自制心をもっ
て本を閉じたのが、3時だった。「このまま朝になるまで、読み続けたほうがいっそ楽かも」などと思
い始めていたのは、日本酒を少しだけ飲んだからだろうか。酒は飲んでも飲まれるな、というのは、
なにも交通安全のためだけの標語じゃないようだ。あっ、これは酒を飲むことを否定するわけでは
ないので。一応。念のため。
- 2004/05/26(水)
夕方から急な出張。業務自体は、それほどきついものではなく、19:30くらいに主張先を出ること
ができた。もちろん直帰。思いがけず早く帰れることになったので、友人を誘い、夕食を食べる。
その席で、私は生まれて初めて(たぶん。記憶の限りでは。)、ブロッコリーを食べた。もう、昔から
あれは単なる飾りとしての認識しかなかったので、それはそれは勇気のいるはずのことだったが、
「食べてみーや」といわれて、「そやな」と、軽い感じで食べてしまった。案外、垣根の低いことだっ
たのか、垣根の穴だったのか、不明。メインの料理にかかっていたソースに絡めたせいもあった
が、まずくなかった。むしろ、おいしい部類で、野菜特有の苦味もなく後口が良かったのに驚いた。
なんだ、そんなこと、っていうのは他人から見たらよくあることなのかもしれない。本人が真剣に考え
るほど、悩ましいことというのは。そういうとき、本人にはとてもはずせないような状態の「つっかい棒
」を、ちょっと横からみて、ひょいと、はずしてくれるのが、友人という存在なのかもしれない。
いろいろと感謝する。
- 2004/05/25(火)
給与支給日、定時退社日。
本屋に吸気され、30分ほど後に、文庫本一冊とともに排気。これが私のデイリー・サイクル。
(いつの間にか、「デイリー」)
大丸で、グレープフルーツ、大玉のルビーを一個買う。紅い果肉のやつを、ルビーといって、普通の
やつをホワイトというらしい。初めて知った。外見では全然区別がつかないので、まぜこぜになった
ら、一体どうするのだろうか?と、売り場を眺めながら考える。
大玉は170円、レギュラーが100円。なんだが、レジにいくとなぜか「105円です」。あれ?タイム
サービス?と思うが、とりあえず支払い。.....ああ、やっぱり気になる。貼ってあるシールを見ると、
やっぱり170円だった。あわててレジに良くと、レジ係のお姉さんが「すいません」とポーズをとり、
声に出さずに「イイです、いいです。100円でいいです」と言う。お姉さんを困らせるつもりないし、
得したので、あっさり引き下がる。得するほうに、間違われたのが初めてなので、ちょっと感動する。
レジを閉めるとき、あのお姉さんはどうするつもりなのだろうか、と考えるとちょっと気になる。個人
商店じゃないし、バーコード管理だし。後から追加でお金をもらうのは面倒なのだろうか。マネー
ジャークラスの人に叱責されるほうがましなくらいに。
謎が残った。
グレープフルーツで思い出すことが二つある。1つは、マスターキートンの「ファイア&アイス」の回。
アイスマンと呼ばれる、元陸上選手で、元神父が、「筋肉の疲れを取るには、グレープフルーツジュ
ースを飲むんだ」と言っていた。人生に必要ないくつかの知識は、マスターキートンによって得られ
るんじゃないか?と時々妄想する。もうひとつは、坂本真綾だ。
"Life is like grapefruits. It's just sweet and bitter."
坂本真綾の1stアルバム「グレープフルーツ」のジャケットには、確かそんな風に記されていた。
いいこともあれば、わるいこともある。そういうときに、グレープフルーツを食べたくなるのかも
しれない。冬場にひたすらみかんを食べているときには、食べながら何か考えたりしない。
そこには至福があるだけ。グレープフルーツを、ジンジャーエールにつづく大人シリーズに認定
することにしよう。
- 2004/05/24(月)
出張先で、クリーンルームでの仕事。クリーンルームとは、空気中のほこりやちりの数によって、
クラスわけされている部屋のことで、半導体や医療の現場では一般的な施設である。中に入るに
は、クリーンルーム用の服を着ないといけない。TVなどで見たことがある人もいると思うが、白い
頭から足まですっぽり覆う服に、口にはマスク、手には専用の手袋、開いているのは目のまわり
だけというあの姿。
あの姿には、むろん体や服についたゴミを部屋に放出しないという意味があり、大事なのだが、
弊害がいろいろと多い。まず、動きにくい。手先を動かしにくいので、なかでプログラムミング作業
などやると、かなりタイプミスをする。そして、熱くて、息苦しい。息苦しいというか、酸素濃度が低い
んじゃないか?と思うほど息をしっかりすえないのだ。そのせいで、同じ程度の作業を同じ時間、
クリーンルームでやるとすると、3倍くらいの時間がかかった程度、ぐったりしてしまう。
もうひとつ、私というか目の悪いひとには弊害があって、それは、誰が誰だかわからなくなるのだ。
もちろん名札をするのだが、目の悪い人間は名札の文字は見えないといっていい。そうすると、
頼りになるのは、顔から唯一出ている目だけなのだ。これは実験してみるとわかると思うが、
目の周りだけで、人を判別するのは非常に難しい。我々は、普段人の顔をみて、その人が誰か、
判別しているように思うけれども、実際は、そのひとの髪型や、顔の形、口の形、耳の形、背丈、
歩き方、声、しぐさ、等等、いろいろな情報を複合的に見て、聞いて、感じて判別しているのだ。
クリーンルームでの人の判別は、そのことをたっぷりと思い起こさせてくれる。だいたい、男女の
区別すらつかない。今日も、一緒にいった先輩社員がすぐ近くにいたのに、「○○さんはー、ああ
見渡してみましたが、居ません。外に出たみたいですね。」などと電話で言ってしまった。
映画やTVで、犯人が「目だし帽」をかぶるのは一理ある、などと、久しぶりのクリーンルームで、
うむうむと納得するのだった。
帰宅後、メールの返信を書く。疲れているけれども、きちんと考えて、心を整理して書かねばなら
ないメールだった。長文になってしまった。文字という情報は、言語情報をそのまま写すことは、
できないのだな、と改めて思う。写せたとしても、ひどく情報効率が悪いし、不正確になることが
ある。言語は、発声される音声だけでなく、「しぐさ」によっても構成されているからだ。そして、
その言語でさえも、「こころ」を正確にうつすことは難しい。でも、我々は言語でコミュニケートする
しかなくて、そのための努力をしないといけない。
お互いが対面して、言葉を交わすこと。そうしないと、始まったり、続いたり、終わったり、また始まっ
たりしないのかもしれない。
「小難しいことを考えすぎ」 - そうかもしれない。独りよがりはよくないね。
- 2004/05/23(日)
今年の四月に建て替えられ、竣工したばかりの同志社大学新学生会館「寒梅館」へ行く。「寒梅館」
とは、また変な名前と思うひとがいるかも知れないが、これは校祖、新島襄の漢詩、「庭上一寒梅」
からとられた名前である。「庭上の一寒梅、笑うて、風雪をおかして開く。争わずまた、つとめず、おの
ずからしむ、百花のさきがけ」というのが全文。かつて、同志社に在籍した合唱団のメンバーなら、た
いがいは、この詩に曲をつけた歌を歌えたものだが、いまではどうか知らない。唯一、歌いついでい
ると思われたCCD(同志社学生混声合唱団)も今は歌っていないらしい、と聞いた。
ここに来たのは、同志社グリークラブという男声合唱団が、100周年を迎えて、その記念のイベント
として、合唱フォーラムというのを企画したので、それを見に来たのだ。企画自体は、基調講演として
多田武彦氏(作曲家)の講演、そして有名(?)OBによるパネルディスカッションがメイン。多田氏の
講演は約1時間だったが、予想していたよりも面白いもので、山田耕筰とのただ一度の出会いに
おける、合唱の作曲技法の話は、多田武彦作品を知るうえで、かなり興味ぶかいものだった。
パネルディスカッションのテーマは、「京都・同志社・合唱。合唱音楽の楽しみ、その未来」であった
が、まじめに未来を唱えたのは、プロ音楽業界で仕事をするOBの方と、I東さん、そしてY村信良氏
だけであった。メンバーの顔ぶれからして、まじめに何か考えようという気持ちはなかったのかもし
れない。内向きの話ばかりして、外に対して発信しない体質は、結局は「合唱」というものを、音楽の
世界のなかで、特殊なものにしてしまっているように思え、残念でならない。
さて、建物の話に戻りたい。この建物の名前の由来は先に書いたが、この建物には、いくつか象徴
的な言葉が刻まれていた。一番の気がかりは、その言葉達の行方だった。
二つある。ひとつは「心の貧しきものは幸いである、天国は彼らのものである...(英文)」という聖書の
の言葉。もうひとつは、「Go,go,go in peace. Be strong. A Mysterious hand will guide you」という
新島襄が初代卒業生に送った言葉。
そのどちらも、ちゃんと見つけた。聖書の言葉は、中庭に入って振り返ると建物の上方に刻まれてい
た。そして、新島の言葉は、ホールの2階席上方に、生地に刺繍されたものが掲げられていた。
なぜ、生地なのか。そうだ、かつての学館ホールを知っているひとならばわかる。あれは「緞帳」な
のだ。ホールの緞帳に刺繍された文字なのだ。緞帳が下がっているとき、私たちはいつも、あの言
葉を目にしていたはずなのだ。その「緞帳」の一部として、言葉は残っていた。建物はすっかり建て
替えられ、新しくなった。建物としてみたとき、いまのほうがずっといいのは確かだ。でも、古いものが
新しいものの一部として、残されていたのは、すこしうれしかった。なにせ、ものごごろ(!)ついたとき
から、そこにあり続け、学生時代をすごした建物だったから、思い入れというやつだ。
それだけが確認できれば、今日はここに来た甲斐があった。
- 2004/05/22(土)
(誤ってアップした文章を消失したので、書き直し)
「マルドゥク・スクランブル」第2巻を読む。わたしはしばし、SFの世界へ逃避する。戦闘ではない、
戦いの世界へ。戦いとは、作用反作用の法則に支配されているように思う。戦う相手と対峙し、同時
に拮抗する自分の内面と向きあう。
勝ち組、負け組という言葉は好きではない。それは傍観者の言葉だからかもしれない。また、「世界
にひとつだけの花」も好きではない。戦うことをやめる=誰かと対峙しないとき、内面だけが肥大し、
破裂する。
心と心はつながらないかもしれない。でも向き合って接触することはできる。
そんな気がする。
砂袋から砂粒が、バランスをくずした心をすべり、零れ落ちていく。
こうやって文章を記すことで、防砂堤を作っている。
- 2004/05/21(金)
漠然と感じていたことが、「言葉」によって、はっきりと認識されてしまったときの心の重さというも
のは、はかりしれない。よいことも、わるいことも。
谷川俊太郎の「あなたはそこに」を読み返す。「言葉」によって均衡をくずした心は、同じ「言葉」に
よって釣り合いをとるしかないのだろう。
私は、弱くなっているのか、それとも強くなっているのか。
- 2004/05/20(木)
雨。昨日うまくいかなかった測定を昼食返上でやる。そもそも昼食時間に測定器の予約のとって
しまったのは失敗だった。昨日のことが思い出される。しかも、昨日の段階では測定がうまくいか
ず、締め切りが迫る中、かなり胃が痛くて、食欲がない。このままではだめなことは明白なので、
ヤクルトジョアとバームクーヘンだけなんとか胃に流し込んでおく。測定はうまくいったが、あらため
て、予約制の測定業務の厳しさを痛感する。向いていないかもナァと思う。
雨。仕事が遅くなってしまったが、そのまま帰る気になれない。ので、やはり本屋に足がむく。今日
は「はちみつとクローバー」第6巻の発売日だ。この店は「はちクロ応援隊」。レジにもっていくと、
店員さんもなんとなくうれしそうに見えた。
家に帰っても、すぐには読まない。読むと切なくなることがわかっているから。
- 2004/05/19(水)
昼ごはん、今日はあまり好きなおかずがなかったので、適当に小鉢をとって、ごはん(小)をつける。
全部で240円と安い。しかし、あとになってここで、ごはん(大)をとるべきであったと気づく。
夕方をすぎたあたりから、調子がくずれはじめ急激に気分が悪くなる。そう、わたしはお腹がすきす
ぎると、しんどくなって、ついには吐き気を催し、がんがん頭痛がするようになるほど状態が悪くなる
のだ。
海外にでるときは簡単に食糧補給ができないことが多いので、常にチョコレートなどを携帯するのだ
が、国内にいるとついつい油断してしまう。常日頃すごす会社となると、いつでも売店にいけると思う
と油断も極致で、気がつくと閉店の時間になっていたりする。
う〜、帰りたい〜、と思いつつも、仕事がすすまないので、ひいこらしながら、なんとかけりをつける。
我ながらなんと体の弱いことであるよ、と情けなくもなるが、この状態の悪さは、やはりGWの前か
ら、なにコラで、極限まで体力を振り絞ったことに一因があるように思う。それでもひところの疲れ
からは脱しつつある。だが、仕事のミスでそれもあやういバランスのうえにある。一進一退。
なんとか、乗り切って心身ともに気持ちのいい状態で週末にのぞみたいなぁ。
- 2004/05/18(火)
別の仕事でもミス発覚。ダブルパンチ。ともかく対応策を練って、道筋を立てる。
精神的安定のために帰りに本屋に寄り、文庫本を購入。電車のなかで、むさぼるように読む。
疲れているときに余計につかれるようなことをしてどうするの?という気がするかもしれないが、
これはまったく違うのだ。
しごとをしているときの頭というのは、全方位に脳みそが「展開」しているような状態で、どの方向か
ら矢が飛んできても、同時に別々の方向から槍が飛び出しても独立に対処できようになっている。
思考が散して、独立に動いているというべきか。
これに対して、本を読むという行為は、私にとって、開いていた羽を閉じるごとくアンテナを脳内に格
納し、思考の流れを一方向にまとめていく状態をつくりだす。分散していたエネルギーがひとつにま
とまり、心の湖が静かに満ちてくる。
だから、疲れるということはなく、むしろ気持ちが良い。むろん、どんな本でも良いというわけでは
ないのだが。その時々の疲労度にあわせて、取捨選択せねばならない。というわけで、私の鞄の
なかには、常に文庫本やら、雑誌やら、折込広告やら、楽譜やら、ありとあらゆる「読み物」がつま
っている。
もっとも、ときどき、そんな本や文章たちよりも圧倒的に、一言の携帯メールが、バンテリン(TM)の
ように疲れをすぅーっと吸い取ってくれることがある。今日もそう。不思議。
- 2004/05/17(月)
仕事でミス発覚。謝罪、対応策やらいろいろ悩む。
帰宅後、悩み続けても仕方がないので、この前買った同人誌を読み、作者のHPにある掲示板に
感想を書きこむ。皆さんは、昔、連載漫画などを読んでいて、その感想を作者に手紙で書き送った
りしたことがあるだろうか。わたしは、あいにくとそういう経験がないのだが、同人誌を買うようにな
って、コミケに参加するようになってから、同人誌に対しては、なるべく積極的に感想を書くというこ
とを実践してきた。
これは、もちろん電子メールや、ウェブ掲示板などの手段が整って、感想を伝えやすくなった、という
理由もあるのだけれど、もともと同人誌というのは、対面で作者と読み手が一対一の状態で、売り買
いするケースが多いので、感想を書いたり、直接言ったりという行為が非常に現実味を帯びている。
それとかかわりが深いことだと思うが、本当に面白い!楽しい!感動した、笑った、役だった(笑)と
いう気持ちを伝えることが、次の本を生み出す原動力になる!と信じられるからだ。
同人誌のなかには、なかば商業化したものもあるけれど、大半はその名の通り、同人で作るもので、
商業のように、世の中の最大公約数的な部分や、売れ線をあえて狙う必要がない。商業誌よりも、
もっと純粋な部分で、自分達と気持ちを共有できる人たちに向けて出される。だから、読み手も率直
な気持ちを伝えることができるし、それが反映されることがある。
わたしは、コミケに行き始めて2回目くらいにある本と出合った。それは同人のなかでも、結構むずか
しいと思われるアニメ評論の本だった。評論本というのは、評論になっていないものが多い。書き手
の気分をそのままだしているだけで、ときには読む人に不快感さえあたえる。(このことは、さきほど
の論と矛盾しないと思う。「共有」できるかどうかが重要だから)しかし、その本は違った。ひとことで
いうなら「さわやか」。そのアニメを見たことがない人でも読みたい気分にさせて、知っている人には
なるほどなるほど、とうならせる鋭い洞察がいっぱい詰まっていた。なにより、書いている本人が、
好きなんだ〜という気持ちがとてもスマートに伝わってくる本だった。
帰宅して、本を読んだあと、わたしはいてもたってもいられなくなり、その作者に感想を書いた。そう
いう気持ちになったのは初めてだった。それからしばらくして、作者のひとから返事が来て、それ以
来、ウェブ上や、メールでやりとりが始まるようになった。その後、あるゲームの評論を書くのに、
資料がいる、ということで、私がたまたま持っていた資料をお貸ししたところ、できあがった本の奥付
に、私の名前が記されていた。ひじょうにありがたく、新しい本をつくるのに協力できたことが、うれし
かった。
その後、自分が気に入った本に出会えたときには感想をなるべく書くようにし、コミケなどでお会い
できたときは挨拶したりするようなった。読み手の気持ちというのは、案外、作っているひとには伝わ
らないのだ。ましてや同人誌は、定期刊行物じゃないし、個人で作成する場合がほとんどなので、
その一言が結構重要だったりする、というのもお話していくなかでわかってきた。
今回、感想を書いたのは、結構大手のサークルさんだ。千部単位での売り上げがあると思う。でも
、HPを見ていると、そんな大手のサークルさんでも、「ほんのちょっとでも感想ください。それが力に
なるんです!」とある。大手だから、商業の近いのかというとそうではないのだ。ここのサークルの
本は、ほんとに楽しくて、元ねたの面白さを、共有できる。だから、今日も微力ながら、つぎのほんの
ために、感想を書いた。
あー、夏コミいけないかも、と思うと悲しい...。
- 2004/05/16(日)
河原町四条のINOBUNで、手帳購入。文房具、雑貨専門店であるが、やはり季節外れということ
で、選択肢ほとんどなし。であるが、携帯しやすそうで、好みのデザインのものがあったので、決め
てしまう。帰宅して、NC、BKの練習・行事予定や、誕生日などを記入。
つゆのような天気。蒸し暑い。こういうときはサイダーを飲みたい。最近、三ツ矢サイダーのTVCM
が非常に気になっている。白いカッターに、青のギンガムチェックのスカートの制服の女子学生達が
が、砂漠?のセットのうえを、「♪Shuwa,Shawaサイダー、Our,Ourサイダー〜」と歌い踊りながら進
んでくるあれだ。さわやかで、よろしいなぁ、などと思いながら見る。
昔、祖父母のうちに行くと、台所と茶の間の間の縁の下(町屋だったので、台所が一段低いところ
にあった。)から、ケースを取り出して、ビンの三ツ矢サイダーを振舞ってくれた。私の家は、清涼飲
料水というものが、まったくない家だったので、非常に嬉しかったのを憶えている。数ある清涼飲料
水、その中の炭酸飲料のなかでも、コーラよりもサイダーが好きなのは、たぶんその思い出のせい
なのだろうなぁと思う。
- 2004/05/15(土)
NCはお休み。プライベートの手帳を買おうと思い、ロフトに行く。
プライベートといっても、合唱団の予定なのだが、これまでは特に書き記すということがなかった。
ほとんど毎週練習があるからだ。しかし、指揮者の都合などもあり、ときどき抜けたり、時間が変
わる(開始が早いなど)ことがあって、スケジュール管理の必要性を感じるようになっていた。
練習のある日、ない日では、前日の晩の過ごし方や、当日朝のこころ持ちが大きく変わるからだ。
とくに一人暮らしをするようになってから、日々の家事のことを考えるようになると、特に。
また、誰かの誕生日を手帳に書く、というのを一度やってみたかった。憶えてはいても、頭で記憶
している事柄というのは、ある意味、瞬間情報、点の情報だと思う。必要なときに引き出してくる
情報だ。それに対して、手帳やカレンダーに書く情報というのは、継続情報、簡単にいうなら、
カウントダウン情報だ。日々迫ってくる感覚、心情の変化というものを、鮮やかにさせてくれる。
文房具売り場にいけば、すぐに見つかるだろうと思ったのだが、完全に時期はずれであることを
悟らされる結果となった。ほとんどないのだ。あるにはあるのだが、選択肢が少ない。プライベート
版なのだから、会社の手帳のような渋いのはやめたかった。しかし、カジュアルなものというのも
案外種類がなく、女性向けのものが、若干見られる程度。しかたがないので、別に必要な文房具
を買い、大丸に行ってみた。
大丸はもっとひどかった。そもそも手帳が売ってない。文房具売り場も以前に比べると縮小気味
であった。やはり季節商品を年中置いておくほど、悠長なことはできない、というのが実情なのだ
ろう。しかたなく、今日のところは諦めることにした。べつに急がない品物であるし。(ときが経つ
ほど探しにくくなるかもしれない、とあとで気づく。)
さて、帰宅後、手帳のことは忘れ、ある作業にかかる。図書室で紹介している「紙モノ」のディスプ
レイ計画を発動させたのだ。「フランスの債券」「チェコの建築雑誌」、「ドイツの広告」の3つ。これ
らを飾るのに一番いいのは、額装なのだが、賃貸マンションなので、壁に画鋲をうつのはさけたか
った。で考えたのは、透明なビニールに入れて、黒画用紙をバックにして、それをテープではっつけ
る方式。これだと、ビニールという「枠」ができることで案外、生の状態よりも存在が浮き上がってく
る。
そもそも、日月堂で購入した時点で、いくつかははじめからビニール包装されていたので、それを
そのまま貼ったら、以外と良かったということで思いついただけなのだが。で、いくつかを組み合わ
せたのが、↓これ。飾り気が乏しい玄関・台所スペースの「目線がいくけども何もなくて寂しい」場所
に飾ってみた。結構いい感じになったと思うのは、まさに自画自賛。
 
玄関、トイレ脇に配置。 秘密文書の博物館展示風味。
- 2004/05/14(金)
昨日のはなしになるのだが、またもや弁当屋に行ったときのことである。注文を終えて待ってい
ると、初老のおばちゃんがやってきて、こう言ったのだ。「とんかつと、弁当を分けられる?」
「???」、店員の頭のうえにも、わたしの頭のうえにも、漫画のような噴き出しが浮かんでいた
と思う。カツどんの具とごはんを分けられるか?という問いなのかな、と思ったのだが、真相はそ
の後おばちゃん自身によって明らかにされた。「荷物多いから、なるべくひらべったくしたい」。
どうやら、欲しいのはトンカツ弁当であり、容器が大きくなるのがイヤだということらしい。しかし、
ここの弁当屋は、おかずがあろうとなかろうと、容器のサイズは一緒なのだ。無理に分けると、
容器の数は増えるし、おばちゃんのいう「ひらべったくしたい」という状態には決してならない。
困惑しながらも店員はそのことを説明した。
しかし!1分ほど考えて、おばちゃんは「わけて」とのたまったのだった。「?!」。こういうのを、
「理解に苦しむ状態」というのであろう。たぶん、おばちゃんなりの論理があるのだろうが、今回
ばかりは想像をめぐらすことができなかった。雨が降っていて、じめじめしていたので、頭が拒否
したというのもある。いつもと若干違う時間帯であったので、おばちゃんに遭遇することはもうない
だろう。
さて、今日の話なのだが、いつもの通り、BKの練習に行く。京都府合唱祭が迫っているので、
その練習が中心...と思っていたが、あとで聞くと、私が行くまでの3分の2くらいは、全然違うこ
とをやっていたらしい。まぁ、カンタート後の気分転換なんだろうなぁ。
練習後の「飯」は、「ろぐ」というお好み焼き屋。最近、混んでいて、BKで利用するのは久しぶり
だった。体調のことがあったので、帰ろうかなとも思ったのだが、ひさしぶりのろぐだし、参加。
ちなみに、ろぐに入ると背広はすぐに脱ぐ。そうしないと「ろぐ臭」なるものが染み付いてしまう。
この店、結構古くからあるのかと思っていたら、なんと今日を含めた3日間が、開店5周年の記
念セールだった。BK創設とほぼ同時にできていたというわけで、なんだか急速に親近感がわく。
宴もたけなわのころ、YKのKatoponさんが、参加。Katoponさんは、東京カンタート参加のために
4月はじめごろからBKの練習・宴会に参加し、すっかりBKに溶け込んでしまった。その溶け込み
具合は、その発言にも表れており、最初の方「毎週参加したい」(いきなりそのレベル!)→中期
「高槻に住みたい(YK、BK両方の中間地点なので)」→本日「京都に住みたい」と着実にレベル
アップしていた。
宴会終了後、京都駅近くに宿を手配(!)していたKatopnnさんと、Na、K岡、私と連れ立って、
南に向けて歩く。BKでは南行きのメンバーは少ない。ゆっくり話しながら歩き、第一のポイント
で、TAXIを拾うKatoponさん、道を折れるNaと、敬礼をしてわかれた。そうなのだ、最近このポ
イント以降は、第二ポイントまでK岡と一緒なのであった。金曜の夜道、男二人連れはかなり
悲しいものがある。たまには、べつべつに帰らんか。なぁ、K岡。(笑)
- 2004/05/13(木)
今年になって、会社の福祉制度が変わり、利率の良かった給与天引きの積み立てが廃止される
ことになった。で、いままで積み立てていたわずかばかりのお金を、これからどうしようか?と思案
する。7月になると給与口座に振り返られるのだが、当然残高が増えるので、うきうきしてしまって
高い買い物をしてしまいそうである。これはやはり、分離してこれまで同様、フローな預金ではなく
ちょっと手をつけにくいお金にすべきと考えた。
で、銀行だとか、金融商品を吟味していたのだが、私の考える最低ラインの決め手は「ATM手数
料無料」である。いやちょっと手をつけにくいお金なら、あんまり関係ないんじゃないの?と思わな
いでもないが、生活費もできればこの機会に移したいと思っているのだ。給与口座には家賃やら、
公共料金やら、奨学金の返済などいろいろなお金がついて回るので、とりあえずそのままにし、
生活費だけを新しい口座にいれるのだ。うちの会社は、理由は不明なのだが、「給与振込み第二
口座」というのを設置できて、給与を分離することができる。
給与口座は地銀なので、ATMの利用制限、とくにコンビニATMが使えないことが多く、休日や、
出先で、非常にピンチだったり、はらだたしい思いをさせられることが多かった。使えても210円も
とられるのは非常に納得がいかないのは無論だ。で、ATM無料(+利用制限の少ないもの)は必
然の結果だった。
銀行・信託銀行・証券会社のHPを眺めると、リテールに力をいれている、いれていないというのは
結構一発でわかるもので、それは定期預金などの「提案商品」のラインナップに如実に表れている。
ATM無料の次の"ふるい"は、これらの商品だ。生活費以外のまとまったお金は、できれば定期に
して運用したい。その際、利率がコンマ二桁以下なんてお話にならないし、預け入れ金額が1000
万円以上でないと旨みがないような商品は、会社員には無縁だ。
こうして、つぎつぎと選別していった結果、一行だけ自分的な基準に残るところがあったので、そこ
に口座を作ることにした。世間では「ハゲタカ銀行」などと呼ばれているが、金融関係者ではなくて、
一利用者として見たとき、ほかのいろいろなサービス業と同等以上のサービスを提供している、と
思えるのはこの銀行のみだったと思う。(最近ではUFJが頑張っているイメージがあるが、本体の
経営がどうも、あぶなっかしいので、避けさせてもらった。)
だいたい、リテール重視とかいいながら、いまだに15時で店舗を閉めるような銀行があるのは、
理解に苦しむ。銀行が特別な時代はとうに終わっていることに、銀行関係者はきづくべきだ。
そう思いながら、私は19時まで営業している、「ハゲタカ銀行」の店舗に飛び込み、10分後には
キャッシュカードを手にして、店をあとにしていた。
- 2004/05/12(水)
会社帰り、弁当を買って店の外に出ると、突然「おれはなぁ、パソコン使ってるやつと戦ってるんや
ー!」という、怒鳴り声が聞えてきた。見ると四つ角で、30歳くらいの男(私服)が、携帯電話にむ
かって話しているのだった。
その後の会話は聞えなかったが、いったい彼はどんな仕事をしているのか、非常に気になった。
で、ちょっと推測してみたのだが、まず、SEや、プログラマーの線は薄いと思った。パソコンと戦って
るわけじゃなくて、パソコン使ってるやつ、といっていたし、そういう職種の人は、あまり「パソコン」
とは呼ばず、「PC」という傾向がある。
パソコン使ってるやつ、という語彙が、なんとなく貧弱な感じがするので、彼はそういうものとは、
縁遠い職種だろう。で、あまりかかわりたくないが、かかわらざるをえないという諦め感も漂って
いた。また、「戦っている」ということは「パソコン使うやつは敵」なのだ。ここらでだいたい、短絡
的な感じがにおう。パソに弱い、敵と戦う、短絡的、....と来てピンとくる職業、彼は「警察官」では
ないだろうか。
意欲に燃えて警察官になったが、配属先が、「サイバー犯罪取締室」だったりして、まわりはみん
な、メカやソフトオタクな吹き溜まりで、意欲が減退。毎日、インターネットの掲示板を巡回して、
犯罪の芽を探し出したりする毎日で、目肩腰にくる激務。そんなある日、恋人に「えー、殺人現場
とかにいったりせーへんのー」と、馬鹿にされ、つい逆上して...。上記のような台詞を吐いた。
という推測というか、妄想はどうだろうか。
警察官の誰もが、コンピューター関係に弱いとは言わないが、お役所仕事のひとは概して頭が
固いうえ、実例もある。昔、学生時代に私の所属する部(グリー以外にも入ってた)から、PCが
一台盗まれた際、友人で部長であったやつが、警察署に赴き、取られたものの説明をした。
その際、ハードディスクや、MOを理解してもらうのに、えらく苦しんだそうだ。「たぶんわかって
ないと思う。」とは彼の弁。
まぁ、半分冗談なので、お許しください。でも、なにげない日常の会話を耳でひろって、その続き
の会話を想像したり、その背景を推測するというのは、なかなか面白い遊びではなかろうか?
実際にそのつづきが気になって、尾行したりすると、ストーカーに間違われるので、気をつけねば
なるまい。
- 2004/05/11(火)
どうやら回復。出社するも、足元がなんだか覚束ない。ふわふわしている。
仕事は、きちんとできたものの、ずっと寝ていたせいか、足にきたようで、帰りがけ、阪急の地下
から地上にあがる階段がなんだかつらい。疲れるという感じではなく、関節と筋肉の連動がうまく
とれないような感じで、だるさが残る。宇宙飛行士がひさしぶりに地上勤務についたよう、といえば
うまく伝わるか。わかりにくい?
帰宅後、久しぶりに「図書室」を執筆する。半分は、4/29,30の暗室の補足になっているので、
興味のある方、是非お読みください。
- 2004/05/10(月)
風邪、やや回復するも、まだ不調。会社を休む。
これほど長い風邪はひさしぶり。肉体疲労の極限にあったのかもしれない。
- 2004/05/09(日)
依然、風邪。一日部屋で寝る。
- 2004/05/08(土)
風邪を引いたようだ。演奏会の疲れが出たのか。
部屋で航空機のプラモデルを作りながら静養。夜になって発熱。
- 2004/05/07(金)
仕事後、BK練習へ。うっ、高音も低音もでない。声がヤバイ。
まだ完全に復調していない。
- 2004/05/06(木)
なんとか普通どおり出社。ドリンク剤の効果か、普通に仕事ができた。
- 2004/05/05(水・祝)
静養。なにをする気も起きない。
少し高めのドリンク剤を買って栄養補給。
- 2004/05/04(火・祝)
なにわコラリアーズ第10回記念演奏会。
とにかく、歌いきった。楽しかった。充実していた。疲れた。
マネージ面で多大なる課題があることを思い知らされる。猛反省。
ほぼ同時刻、東京で行われていた、合唱団「センツァ・ノーメ」他が出演する演奏会も無事終了した
と、同合唱団に参加しているNaから聞く。なにコラと重なっていなければ、絶対聞きにいっていたの
だが、残念だった。2〜3年前に、この合唱団の演奏を、そう水道橋の凸版ホールで聞いたのだっ
た。雪が降っていた。スターバックスで差し入れを買った。演奏会の帰りに、ぐうぜん同潤会、江戸川
アパートメントを見つけて、嬉しかった。(それが、江戸川アパートメントを見た最後になってしまった。)
それ以来、つぎの演奏会を楽しみにしていただけに。お互いの演奏を聞けないのがなにより、つら
かった。。。
- 2004/05/03(月・祝)
なにコラ練習13:00−21:00。もう勘弁して。
- 2004/05/02(日)
静養。
- 2004/05/01(土)
なにコラ練習13:00−21:00。死にそう。
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