電波暗室 2004/11
- 2004/11/30(火)
最近、朝起きられないのであわてて家を出ることが多い。そうすると、駅から会社までの
歩行距離が短いルート、すなわち市営地下鉄で京都駅まで行き、そこからJRに乗るパタ
ーンを使うことが多い。確かに最短で40分くらいで着くのでいいのだが、210円余計に
かかるのが痛いところ。交通費申請は阪急で出しているからだ。現住所からだと地下鉄まで
と阪急までとはほぼ等距離であるが、財政厳しい折であるから地下鉄ルートを申請してもた
ぶん通らないと思う。
まぁ何より、阪急の方が好きなので。可能ならば阪急に乗る方針に変わりは無い。(^^)
(ときどきJRを使うと新鮮ではあるが。)
- 2004/11/29(月)
創立記念日。母校の。
昔はよく早天祈祷会にでてたが、よくあんな早くに起きられたなぁ。
闇夜(朝)の中、懐中電灯を照らしながら自転車で若王子に向かったのが懐かしい。
会社帰り、阪急の情報誌を読むとCD店での売り上げランキングが載っていた。ある分野の
一位には「オレンジオレンジ/花」とある。以前から、といっても90年代後半くらいから
か、深夜のCDTVを見ていて非常に迷うことがあって、それは曲紹介の際、どちらが曲名
で、どちらがグループ名かわからないということ。
どちらもタイトルのようであるし、グループ名のようであるし、どっちやねん!と、いらい
らする。さきほどのは、たぶんオレンジオレンジがグループ名だと思う。でも花*花っだけ
か、そういうグループもあるし、花がグループ名でもおかしくはない。
これはわたしだけが感じていることなのだろうか?そうでないならば、なぜこのような現象
が起きているのか分析しないといけないと思う。いま漠然と思いついた原因を述べると、
グループ名の多名詞化、長文化が進んだことがあるのではないだろうか。冠詞+一語、あるい
は一語の名前だと、それが名前だと判断しやすいが、これに冠詞+形容詞+名詞+名詞なんて
なってくるともう文章なんだか、タイトルなんだか区別がつかない。
じゃぁ、なんで多名詞化、長文化が進んだかというところはちょっと想像がつかない。音楽
グループの名前の変遷というものを考えるとなにかしら法則のようなものがつかめるかもし
れない。そういえば、まったくのあてずっぽうだが、この現象と洋画のタイトルが、日本語
訳されず、そのまま日本語読みしたタイトルがあふれだしたのは時期が重なっていないだろ
うか?本当なら何か相関があるだろうか。
ああ、もう遅い。眠たいので寝ます。
- 2004/11/28(日)
四十九日の法事。ようやく一区切り。
集まって頂いた親戚方に、西陣魚新で粗飯を食べていただく。この十年で、わたしもずいぶん
こういった料亭の料理が食べられるようになったものだ。食べられるだけでなく、おいしいと
感じられるようになったのは幸せなことだと思う。
父方と母方の親戚がほぼ半分ずつ。今回じっくり話をしてわかったのだが、父はずいぶんと母方
の親戚に信頼が厚かったようだ。母の従兄弟の子が、といってもずいぶん年上なので叔父さんと
普段呼んでいるのだが、「お父さんがなくならはって、相談事できる年上の人がいんようなって
しもた...」と、本当に力無い様子で漏らしてくれた。
父の母方とのつながりは、いろいろと不思議な縁があって、双方の親戚が同級生だったり、同じ
町内でお祭りの神事を束ねる役員仲間だったり、と今回はじめて気づくことも多かった。父自身
母と結婚するはるか以前に、親友がいる母方の親戚のうちによく遊びに行っていたようだ。
結婚というものは、いまや個人と個人のつながりが第一だけれども、この2ヶ月のあわただしい
なかで、家族と家族、家と家のつながりを無視することはありえないのだなぁと感じた。といっ
てもその種がまかれたのは30年以上前のことだから、いまのわれわれに通じるかというと、こ
の先30年しないとわからないということも事実だろうと思う。
(われわれ、というのは一般を指す。私が結婚しているわけではないです(^ ^;)
縁とか運命とかいうと、何かはじめから決まっているようで、つまらないことなのかもしれない。
でもそういうものを感じることがあるというのは、何かしらどこかで否定できない要素があるか
らだろう。別にそのことで悩むことなどありはしないのだが、完全にどちらかに割り切った考え
はできないと思う。超現実主義者だった父からして、そういうものは感じていたようであるから。
うまくまとまらないので、おわり。
- 2004/11/27(土)
休みであるし、給料も入ったし、誕生週でもあるし、ここはひとつ「物欲」を満たしたいと思い
出かけてみる。しかし、手に入れられる範囲の「モノ」で是が非でも欲しい!と意欲を欠きた
てられるものが、今のところない。仮想敵として小さくなったPS2を考えていたのだが、ソフト
のメタルギア・ソリッド3の発売日がまだ先とわかって、萎えてしまう。
そこでぱっと、閃いたものがあった。玉村豊男の版画だ!「サンジェルマンデプレ駅のポスト」
というタイトルの版画。以前大丸で偶然見つけたのだが...。そういえばあの展示はいついつまで
と期限が切ってあった....直接は購入できないなぁ。というわけで少し萎える。版元に問い合わせ
れば手に入るかもしれないが、絵とか版画というものは、実物を目で見て手にとって、その場で
決めるというのが、一番「物欲」を満たしてくれるような気がするのだ。電話して、宅配便で届い
てもうれしさはあまりないかも。そこには手で感じる「重み」がないからかもしれない。
年末に東京に行くが、そのとき版元にいけるだろうか。
あの絵は、版画はなんの変哲もない黄色いポストなのに、こころひかれた。
もう一度、見てみたい。
書き添えておくならば、「物欲」と「本欲」は別腹である。
- 2004/11/26(金)
水曜日:河原町二条〜自宅、木曜日:寺町御池〜自宅、金曜日:河原町丸太町〜自宅。
いずれも「徒歩」。なんか毎晩見る景色が一緒である。いつもはBK練習の後だけなのでなんとかな
っているが、さすがに3日連続でこの距離を歩くとは思わなかった。少々疲れ気味。
最近、伊藤園の「コップ一杯で一日分の野菜」というのを飲んでいる。野菜汁100%。それまで
よく飲んでいた野菜50%、果汁50%の野菜生活etcなどは、子供の使いに思える。見るからに
濃い。毒々しさすら感じる。色もすごい。
味のほうも、なんとなく塩気?を感じるのだが食塩はおろか砂糖も無添加なので、野菜そのものの
味を塩分として感じ取っているようだ。通常飲むとややとっつきにくいというか、えぐみがする。
だが、この3日間外食して帰宅してから飲むと、これがなんとごくごくいけてしまうのだ。体が求
めているのだろうか?
野菜50%のものでもかなり体質改善できたのだから、100%を毎日続けるとどんな効果がある
やら。楽しみである。
- 2004/11/25(木)
 
プレゼントにもらった本と、買ってきた本。
○「羊男のクリスマス」村上春樹、佐々木マキ著。
○「中国行きのスロウ・ボート」村上春樹著。
○「山名文夫のグラフィックデザイン」ピエ・ブックス刊、3600円。
週末、ひさしぶりに静かに本を読もうと思う。
本日のお酒:喜楽長(滋賀)、鳳凰美田(栃木)←さらっとまろやかでおいしかった。好みである。
いつにもまして、多謝。
- 2004/11/24(水)
仕事進まず。残業できないことでストレスがたまるとは思わなかった。
そういうこともあって、ちょっと発散したいと思い、M川さん主催の宴会に参加する。メンバー
が割と変わっていて、M川さん、NCのN澤さん、R嬢という組み合わせ。途中でBKのO西さんが合流。
しかし、なんですな。このメンバーだとやはりというか合唱関係の話ばっかりになってしまった。
最近BKの宴会に来ないR嬢の妄想ぶりが健在だったのには安心した。
帰宅途中、コンビニによる。すこしまえから気になっていたのだが、入って振り返ると入り口の
あたりに150cmから180cmまでの身長を測るようなシールが張ってある。最初は宅急便を
扱うときにスキー板やゴルフクラブなんかの長モノの長さ制限を示すものだと思っていた。だが、
出口をでるときにふと、そのシールと自分の目線があったとき理解した。強盗などがあったときの
犯人の身長を割り出すためのものなのだ!(たぶん)
その手の事件の犯人割り出しに身長という身体的特徴がどれくらい効いてくるのかわからないが、
わざわざはってあるということは、警察から「有効」であるという指導があったのかもしれない。
身長に限らないが、目視で長さや距離を測る能力というものは、結構慣れが必要なものだと思う。
それに何kmくらいとか、何mとか言われても普段使っていないと距離の感覚がわからない。
それよりも、車で何分、歩いて何分といった指標の方がしっくり来るような気がする。むろん正確
さにはかけるが、不動産屋の広告を見ているとそいう表記の方が多いのではないだろうか。
目視という視覚よりも、時間という「感覚器官で感じるものではない感覚」の方が身近に感じる
というのはちょっと不思議な気がする。
- 2004/11/23(火)
2月はじめに引っ越して、最初に買った12本のトイレットペーパーであるが、残り1本。現在
11本目を消費中である。10ヶ月で11本ということは、一月に1.1本である。独り暮らしの
生活でこれだけということは、4人家族で全員が大人の場合単純計算で4.4本。果たして、実家で
は、これほどまでに消費していたのだろうかとやや疑問に思う。
なぜなら一本が一週間くらいでなくなる計算になるからだ。実家のトイレは鍼灸院にくる患者さん
も使うわけで、もっと早くなくなる可能性がある。そうすると自分がトイレに入っている間に交換
タイミングに出くわす機会が多くなると思うのだが、それほど経験した覚えがない。これはなぜだ
ろうか。
仮説を考えてみた。
その一、実家生活時の一人当たりの自宅トイレ利用回数は、独り暮らし時に比べると実は少ない。
その二、一回あたりのペーパー使用長さが、実家の方が短かった。
その三、実家の交換回数はやはり多いが、交換タイミングに立ち会うことがたまたま少なかった。
どれがもっとも近いだろうか。
実は、その一とその三は共通の事実に関係している。実家の生活のとき、休日はあまり家にいるこ
とがなかったということ。つまりその分、実家トイレを利用していないはずだ。わたしに限らず、
家族みんな、休日はばらばらにでかけることが多かったので、その点から考えると、その一は結構
あたっているのではないだろうか。また、家族でひとつのトイレを使うということは、かち合う可
能性もある。トイレがうまっていた場合、ちょっと我慢して出先でするかという選択肢が生まれる。
そうなると、自然と利用回数が減るはずだ。誰はばかることなく入れる独り暮らしでは、そんな抑
制効果はないと思われる。これも一因として考えられる。
その二に関してはちょっと自信がないのだが、シャワー洗浄機能付きだったことで、長さが減った
のかもしれないということなのだ。シャワー機能導入当初、お尻についた水を拭くことで使用量が
増えるかも、という懸念が家族にはあったのだが、実際にはその逆だったのではないだろうか。
しつこく紙でふくよりも、水をふき取るだけのほうが分量が少なかったような印象があるのだ。
実家にあって、自宅にないトイレ設備はこのシャワー機能である。この違いが、使用量の差を生む
とは考えられないか。
これらの仮説を検証するには、調査・実験が必要であるがなかなか難しいし、やっても意義のある
結果が出たりはしないだろう。もしかしたら、便座メーカーがすでにやっているかも知れないし。
みなさんのご家庭ではいかがだろうか。家族構成や、職業などによっては意外な相関関係がうかび
あがったりして、意味はないかもしれないが面白いかもしれない。
<同日追記>
先の文章をアップした後、トイレにこもっていてはたときづいた。そもそもの前提が違ったのだ。
実家のトイレットペーパーは、心棒がない中身が詰まったタイプを使っていた!ようするに長いの
だ。だから交換頻度が少ない。人数が多くても大丈夫なのだ。それと心棒がないことで、交換した
証拠がのこならいため、交換に対する印象が弱いのかもしれない。
トイレにこもるとなぜかよく閃くのだった。
- 2004/11/22(月)
仕事の発表練習の直前、コメンテーターとして来ていた主任技師の人に「山D君、週末はどっか
いってた?」と突然聞かれる。
「松山に行ってました」とこたえると、「やっぱりそうか〜、新聞出てたで」。一瞬、何のこと
かわからなかったのだが、NCが金賞をとった記事が朝日新聞に出てたとのこと。実物をみていな
いが、一応小見出しに「コラリアーズ金」くらいは出てたようだ。
しかし、合唱人でもない普通の、それも会社のひとにそうやって声をかけられるとは思わなかっ
た。そのひとには何回か、夫婦でNCの演奏会に来てもらっているのだが、NCの名前をちゃんと意
識していただいているのにはちょっと驚いた。と同時に感謝の念。どう考えても200字くらい
しかないであろうマイナーな記事を、新聞全体のなかから見つけてくださったのだから。
コンクール後のちょっとうれしい出来事だった。
- 2004/11/21(日)
全日本合唱コンクールin松山。Day 2
明日は仕事。。なぜ仕事。
発表聞かずに帰ります。
帰ってきました。
予讃線特急と新幹線(新大阪止まり)と、快速を乗り継いで、18時44分→23時12分。
途中寝たりしたので、そんなには時間がかかったようには思えず。むしろ、行きの飛行機より
も、ご飯食べたり、ちょっと寝たり、おしゃべりしたりという時間があるぶん「旅気分」を
味わえたのがよかったなぁと。
コンクールの結果
一般Aグループ アンサンブルVine、銀賞おめでとー!
一般Bグループ 淀川混声合唱団、銀賞おめでとー!
一般Bグループ なにわコラリアーズ、金賞、文部科学大臣賞。
VineとYKの演奏は直接聞いたので後日感想を書こうと思う。
NCは練習のしすぎで演奏前が一番疲れていたが、その苦労も報われたかなーという気持ち。
ホールの特性上か、歌いきったという気持ちはそれほど強くなかったが、聞いたひとによると
良かったらしい。これはあとでテープを聴いてみてから自分の感想を書いてみたい。
いい二日間だった。
- 2004/11/20(土)
全日本合唱コンクールin松山。Day 1
道後温泉つかりたいが、時間なし。
せめて、路面電車には乗りまくるのだ。路面ライダーに会いたいなぁ。
- 2004/11/19(金)
BK練習。NC全国準備。
行ってきますです。
- 2004/11/18(木)
復調せず、さらにもう一日休む。
- 2004/11/17(水)
体調不良のため、やむをえず仕事を休む。
風邪ではなくて、極度の肩こりによる倦怠と、胃部不快感。今日になって本格化したよーだ。
肩こりは仕事による目肩の使いすぎだが、これが過ぎると簡単に頭痛・吐き気を催すからやっかい。
もうひとつの胃部不快感は、一定周期でやってくる胆嚢の不調に起因する。胆汁の出が悪くなるの
だ。そうすると消化の具合がよろしくなくて、特に油のものがだめになる。現象としてはお腹がすい
た感じがするのに、食事をしても空腹感がなくならず、逆に不快感が増すという「どないせーちゅう
ねん」状態が起こる。
どちらも即効性のある解消手段がないのがつらいところ。寝ても起きてもしんどい。こうやって文章
を書くことはできるが、長時間もたない。
こういうときに限って、うっかりトリガーを自分でひいたあげく不整脈になってしまうケースが多い。
これ以上、体調を悪化させると週末の全国に間に合わない。トリガーをひかないよう、とりあえず横に
なっている。
- 2004/11/16(火)
通常仕事と研修、NC、BKのスケジュールが立て込んでなにがなんやら。
プレッシャーで目が回る。というか実際に目が回ってきた。くるくる〜。
- 2004/11/15(月)
研修の発表用資料作成と、発表練習で疲労。あと少なくとも2回は修正が入ると思うと憂鬱。
しかも全国コンクールの次の日も発表練習。部長とか課長には連休をとるという意識がない模様。
普段、一般社員よりももっと忙しいのだから、たまには休めばいいのに。勤勉だ。
帰宅後、NCの全国コンクールの旅費を算出する。泊まる、泊まらない、一般、学生など様々な場合
わけがあるのだが、集計してみるとなんと18段階に分かれた。こんな合唱団ほかにあるのか...。
あまりの区分分けの煩雑さと、もともとの疲れで頭痛がしてくる。無事に回収できることを願う。
なぜなら、私が立て替えるから!!
頭痛薬を飲んで寝る。明日は、たぶんすんなり起きられへんやろなぁ。
- 2004/11/14(日)
五七日忌の法事のため、実家へ。
「四十九日(七七日忌)がすまないと落ち着かない」と母が言う。
気が抜けて、寝込んだりしなければ良いのだが。
- 2004/11/13(土)
NC練習の前に、ひさしぶりに日本橋へ行く。目的は、村田蓮爾のイラストを立体化した
「PSE Solid Collection」の購入である。いわゆる彩色済みのミニフィギュア。知人のHPでそれを
見つけたときは、しまったー!と思った。村田ファンを自認していながら、まったく情報を手に入れて
いなかったからだ。しかし、このフィギュアの出来はすごい。氏のイラストのテイストが三次元になっ
ても少しも損なわれていない。いや、むしろ二次元の状態ですでに、三次元としても成り立つため
のすべてが存在するからこそ、ここまでの再現性を得られたと考えるべきなのかもしれない。
さて、このフィギュアはいわゆるガチャポン形式で売られているのが通常であるが、そのガチャポン
を見つけることは困難である。なぜか?ガチャポンでちまちまと、いくつも種類があるフィギュアを買
う人間は、この手のフィギュアを求める者のなかには皆無だからだ。「はじめから全種類そろって袋
詰めされている」ものが求められるのだ。これは小箱で売られている食玩を、中箱ごとまとめがいす
る「大人買い」とも異なる形態である。「大人買い」では数量で全種のコンプリートを目指したが
片寄りのある「大人買い」よりも確実性と効率性を得たいという思惑が生み出したものだろう。
いったい、何買いと呼ぶべきなのか。
今回、日本橋に行って驚いたのは、いつのまにかこの種のフィギュアや食玩フィギュアを袋詰め、あ
るいは人気の高いものは単品で販売するという「専門店」が増殖していたことである。いったいいつか
らなのか、私が気づかなかっただけかもしれないが、確実に日本橋という関西最大の電気街も変化
しているのだ。日本最大の電気街、秋葉原が家電→パソコン→同人・フィギュアの街に変貌したの
と同じように。
目的のものは、知人に教えられた店ではすでに売り切れていたが、同種の店をいくつか回るうちに見
つけることができた。全5種がそろって1700円。ガチャポン価格が300円なので、200円のマ
ージンである。これは高いのか安いのか。多種多様のガチャポン系、食玩系フィギュアが現れてはす
ぐに消えていくなか、ひとつ200円の利益で、彼ら中間業者は商売としてやっていけるのか。まあ実
際に店はあるし、ビルの1〜4階まで全部フィギュア(自分で組み立て・彩色までやる正統?フィギュ
アを含む)というところもあるので、成り立ってるんだろうなぁ。
NC練習後、帰宅してフィギュアをならべたり、ついでに買ってきた同人誌を読んだりする。寝る前
何かがおかしいと気づく。いつも土曜日の晩にみている「スタートレック:ヴォイジャー」を見るの
を完全に忘れていたのだ。
フィギュアに気をとられていたわけではないと思う。
いや逆か。気を紛らわそうとしていただけかな。
だから、かえっていつものことに気が回らなかった。
たぶん、そうだ。
- 2004/11/12(金)
オイルサーディンと、鮭缶を買う。
いつか食べることもあるだろう、そう思って冷蔵庫にしまった。
- 2004/11/11(木)
寝る方向を変えることにした。
実は、2月から4月ごろまでは今とは逆の北向けに寝ていた。夏になって気分が変わり南向けに変え
たのだが、どうも最近落ち着かなかった。南向けに寝ると上方と右方の空間が空く。対して、北向け
に寝ると、上方、右方が壁、さらに左方も頭の横は本棚の厚み分だけ壁となる。やはり、冬は少し閉
鎖的にしたほうが、心が落ち着くのではないだろうか、と考えた。
帰宅後さっそく実行にうつす。寝転がってみると、視界が広く気持ちがいい。そして上方を覆われて
いる安心感。なかなかよさそうである。
さて、本来ならこの寝床向き変更の効果を計るには、それ以外の条件は変えてはいけないはずだ。
しかし、何かを証明するのが目的ではないので、あえて条件をやぶりドリエルを装備した。
いつまでも眠りが浅いというリスクを負うわけにはいかないのだった。
- 2004/11/10(水)
本日のお酒:醸し人九平次、雑賀。
・・・なんか、必殺仕事人みたいだ。
私はお酒を飲むとき、鼻の穴がひくひくうごくそうである。なぜだろう?
とつぜん、鼻をつまみたくなる。
うまくいかない。いつの日か...つまむ。優しく。
- 2004/11/09(火)
風邪のシーズン。新聞にインフルエンザの抗体を作っている製薬会社の話がのっていた。
インフルエンザ抗体の寿命は一年なので、シーズン中に使い切れなければ、ゴミになってしまう。
二年前の大流行では大きく不足し、それで万全の準備をした昨年はあまってしまったそうで、ビジネ
スとしてはまったく割りにあわないそうである。「企業の社会的責任だけでやっている」とも。
同じ記事によると、利益追求が激しいアメリカの場合は、今現在抗体を供給できるのは1社しかない
という。全米で一社とは!人口比からいっても心もとないどころの問題じゃないと思うのだが。
会社に入ったころよく言われたのは「会社は誰のものか?」ということ。その頃の主流の解答は「株
主」だった。この考えはいまでも主流であると思うが、個人的には違和感を感じ続けている。企業が
顔を向けて仕事をすべきは顧客だし、市場であるはずだと思っている。商品を買ってくれるのは株主
ではない。そもそも、株主からのみ資金調達している企業があるだろうか?投資しているからといっ
て、株主の利益に反するという理由で事業を簡単にやめさせたりしていいのだろうか?株主の利益
に反することよりも、公共の福祉に反することのほうが、重大な問題なんではないだろうか。
理想論だし、経営者じゃないから大きなことは言えない。ささやかな疑問である。
(赤字が良いといっているわけではない。赤字だと法人税が減ってしまう。)
11月はじめの同じ新聞の記事に「日立電鉄、来年三月廃止」の記事があった。
沿線のひとはどうするんでしょうね...。
たまにはそういうことも考えるのだった。
- 2004/11/08(月)
眠れない〜と寝床でうなっている夢を見た。
どうも、寒いからといって念入りに風呂に入ると、体がなかなかクールダウンできずによく眠れない
ようだ。シャワーですませたり、早めに入るとそうでもないので。あと、会社の健康保険組合発行の
雑誌に載っていたのだが、太陽の光を浴びてX時間後に眠くなるとかがあるらしく、朝はきちっとカ
ーテンをあけて、体内時計をリセットしないといけないらしい。眠いとついついでかけるまで暗いと
ころにいたいのだが。
夕方、仕事中突然のどに異変を感知する。どうも空気がすごく乾燥しているようである。鎖骨のあた
りの筋肉などにも違和感あり。これは風邪の前兆だ。帰宅途中に薬局によって、イソジンを買ってき
た。マニュアルによると、三回にわけてやるのが良いそうである。例の塩ラーメンの一件依頼、マニ
ュアルには従ってみようという気持ちが強い。
対内向けのシステムやツール、そしてそれらの運用方法などを仕事で考えてる身としては、毎回電話
で質問してくる技術者たちに、「マニュアル読めよ!」といいたくなる。その前に、「マニュアルを
読むとこんなにいいことがあるんですよ〜」というアピールをしたほうがいいのかもしれない。
IPアドレスでカウントして、一回読むたびにクーポンがついてくるとか。
- 2004/11/07(日)
洗濯物と芳香剤(消臭と芳香のビーズ)を一緒に洗ってしまった。
先週、洗濯したあと一日干さずにいたら、えらい臭いがしてしまったのだ。そんなわけで、洗濯槽
の臭いをとるために入れてたのだが、忘れてた次第。昨日洗濯してやはり干す暇がなくて、今日蓋
をあけたら、あんまり臭いがしないので気がついた。洗濯ものは小さいゲル状のビーズだらけ。
しぜんに蒸発するのを待つしかないのだった。ぬぅ。

いり番茶を買ってきた。熱いのがおいしい。
- 2004/11/06(土)
NC練習前にATMで現金を下ろそうとしたら、画面に見慣れないボタン文字がある。
「宝くじの購入」
はて?一瞬、なんのことかわからず。とりあえず、お金を下ろすのが先だ。
周囲を見回すと、「ATMで宝くじが購入できます!」のパンフレットがあった。やっぱりほんま
なんやーと改めて驚く。説明書きによると、数字選択方式のロト6や、ナンバーズなどが購入でき
るようだ。購入手数料などはかからないうえ、時間外手数料もかからない。うーん、なんだかすご
い。
”宝くじ趣味”はないのだけれど、こういう何か変わっていて、新しいことは試してみたい。
いったいどういう方式で購入するのか、当選確認はどうやって行うのか、そして当選してしまったら
どうなるのか。やっぱり、そのまま預金口座に充当されるのだろうか?いやそこはまだシステム的に
は解決できてなくて、受け取りに行かねばならないとか。いろいろ考え込む。結局、あまり時間がな
いので今日は、数字をじっくり選んだりするのは無理だな...と思いながら、銀行をあとにする。
銀行をでたあと、100万円当たったら50万円くらいの時計買ってみたいとか、海外旅行にいって
みたいとか、すでにバラ色気分なのだった。やれやれ。ちょっと変調気味か?
そろそろネコミミモードに入るのでこれにて。
ふるふるふるむーん。
- 2004/11/05(金)
BK練習後、いつものように「めしる」メンバーが、つぎつぎと帰ってしまい、今日はなしという
ことに。先週に比べて、格段に冷え込みがはげしくて、みんな体調くずし気味。わりと元気だった
私や、最後までのこっていたメンバーでも、飯を食うより、あったかいところでゆっくりしたい、
という気持ちが勝っていたような気がする。
宴会がなくなったからといって食事をしないわけにはいかないので、K岡と二人、京極東宝(映画
館)の近くの天下一品に向かう。八千代会館というこれまた映画館の前にある半地下の店。ちなみ
に八千代会館は、成人映画館だが、だれかが入っていくのを今までみたことがない。結構人通りが
多いから入りにくいのかもしれないし、見たいと思うひとも少ないのだろう。その割にはしぶとく
生き残っているのが、なんだか良い。ここの天下一品と八千代会館は必ずセットで頭にうかぶ。
この店は、半地下のうえ、天井が低く10人入るかどうかという狭さなのだが、この狭さが逆に
良い。なんだか妙な落ち着き感を生み出す。すこし広いくらいのコンパートメント(列車の個室)
の雰囲気だと思っている。特に夜、昼間の人通りの多さとのギャップで、余計に寂寥感のただよう
ここに、ぽつんと存在する明かりがうれしい。決して夜遅くまで行列の途切れないラーメン屋では
なく、静かだ。派手で楽しくてハイな雰囲気はない、かといってわびしかったりもしない。いろん
な気持ちをクールダウンしてくれる、そんな気がする。
餃子セット、こってりを頼む。あったまる〜。
グリー時代、クリスマスに行われるメサイア演奏会が終わると必ず、友達とここに食べに来た。
メサイアが終わって、こってりを食べないとクリスマスという感じがしなかった。なんだか、そん
な青春時代ありかよーって感じであるが(^^;
おなかがふくれてゆったりした気分になる。たまには静かに食べて、静かに帰るのもいいものだ。
BKの仕事と、NCの仕事を考えながら帰る。いつの間にか、さっきのあったか感はなくなって
いた。はやい、早すぎるっ。やっぱり、ちゃんことか食べないとだめかなぁ。
- 2004/11/04(木)
昨日、寝る前に「妊娠カレンダー」を読了する。文庫には他2編が収められいて、いわゆる中篇
であった。感想を書こうと思ったのだが、非常にむずかしい。読み終えてすぐ思ったのは「これが
芥川賞というものなのか...」ということだった。決して、すがすがしいとか、読みきったー!とい
う達成感ではなく、なんだかもやーっとしたもの。映像にするなら、常に右に左に視界が傾く眩暈の
ような世界。直木賞系の作家の作品を読みなれている人間にはある意味ショックですらあった。
文体は違っても、正しく芥川龍之介の世界を継承しているのだろうという、根拠の薄い確信のような
ものを感じていた。この作品を自分のなかで受け止めて、咀嚼するのは時間がかかりそうだ。
ちなみに、今日も変な夢を見た。飛行機に乗って、友達のうちに行く夢。飛行機の窓から外を見ると、
高速道路の下を通りぬけるところだった。えらい低空飛行である。そのうち、着陸サインもなしに降下
が始まり、あわてて席につく。そのあと場面は飛んで、友達宅。えらく広い下宿のようなところに暮ら
している。どういうわけか途中で、いつもコミケに一緒に行く先輩の家という設定と、交互にいれかわ
って行く。そのうちから出かけたところ途中で木でできたアスレチックフィールドにあるような橋がく
ずれていて、横のがけのようなところを迂回する。がけに手をかけながらすすむが、ちょっと力をいれ
ると、土の塊ごと剥離して落ちそうな不安感にとらわれる。土というより発砲スチロールのような感触
だった。前後で人がつまって、なかなか進まない。そこで終わった。
もっと楽しげな夢が見たいなぁ。
- 2004/11/03(水)
文庫本を一度に複数買ったとき、どの順番で読むべきか?
昼〜夕方と自宅で研修資料の作成をしたあと、日が暮れてから本屋に行く。休日の夜の本屋は、
少し空気が違うようだ。平日の夜、休日の昼間のどれとも違う。休みがあと少しで終わってし
まうというのに、焦りであるとか、惜別のようなものはなく。あと少しの時間を、これからどう
やって楽しむかをすごく穏やかに考えられるみたいだ。
さて、本日購入した本を手に取った順に並べるとこうなる。
「復活の地I」小川一水著、ハヤカワ文庫JA。
「妊娠カレンダー」小川洋子著、文春文庫。
「白洲正子自伝」白洲正子著、新潮文庫。
この三冊を買うにいたった経緯と心理的な動きを書いてみよう。まず、ブックストア談京都店に入っ
た私は、2階の漫画コーナーに行ったのだが、どうも気分がのらない。今は即効性のある漫画よりも
じっくり読みたい気分である。で、一応3階の模型コーナーをのぞいてから、1階へむかう。
新潮文庫のまえを素通りして、奥のSFコーナーに向かう。ついこのあいだ、「新潮文庫を読む」み
たいなことを書いておいて、いったいどういう了見なのかと、問われると言い返せないのだが、この
まえ小川一水の「第六大陸」を読み終えてから、SFモードに入っているので、どうも身体がうけつ
けないのだ。新潮文庫のリアルな小説を。
で、手に取ったのが同じく小川一水の「復活の地」である。さきごろ新潟中越地震があったばかりで
この本のことを書くのは、すこしためらわれるのだが、許していただきたい。ある星間国家が大地震
にみわまれる。国家中枢機能が完全に破壊され、国家は崩壊寸前となる。そこで生き残った官僚が
国家再生に向けて奔走を始める...というもの。なぜ読もうと思ったのかというと、前著第六大陸でも
そうであったのだが、この作者は取材が緻密で、物語の描写すべてにリアルさと、高い信憑性が漂っ
ているから。SFではあるが、「これはありうることなんだ」と思わせるのである。「第六大陸」は
なんと、月に民間商業施設を建設する!という話なのだが、これがちっとも突拍子もないことではな
いと、読み始めてすぐに気づかされる。そしてリアルさだけではなく、そこに夢や希望がつまってい
ることも感じる。「復活の地I」のあらすじを見ると、「・・・強力な復興組織の必要性を痛感する
・・・」というくだりがあり、「大災厄時の国家のあるべき姿は何か、その理想」をこの本は見せて
くれるんではないか、と思ったのである。だから、いまだからこそ、読むべきなのだとも思った。
さて、そうやってそのままレジに向かおうとしたのだが、そうすると新潮文庫のコーナーの前を通ら
ねばならない。なんとなく素通りしがたいものを本棚から感じる。「あんなに読む読むっていってた
のに、しょせんはその場限りのでまかせだったんでしょ」「いやそんなことはない、断じてない」と
いった寸劇を脳内でやらかしたあと、やれやれ、じゃひとつ探すかねと思って立ち止まる。
ひらづみの中、ひとりの作家の名前が目にとまった。小川洋子である。今気づいたが、小川続きだ。
以前、神保町で古本の「博士の愛した数式」(新潮社)を買って読み、その優しさにあふれた文章に
はいずれまた触れたいと思っていた。最近静かに小川ブームらしく、彼女の著作が何冊もならべて
あった。そこで目を引いたのが「妊娠カレンダー」である。芥川賞受賞作とは知らなかった。帯をみる。
『基礎体温のグラフは、いったい何ヶ月分くらい見せたらいいのかしらねぇ』
『あるだけ全部見せたらいいんじゃないの』
『全部といったら丸二年分、二十四枚もあるのよ』・・・
頭のなかに、脳内本取引所があるとしよう。買い注文が殺到した。この三行だけで。なんでもない言
葉や単語のつらなりで、ここまで物語の期待感を高めることのできる作家はそうはいない。一応、あ
らすじを書くと、「姉が妊娠した...妹がおちいる微妙な心理の揺らぎを透明感たっぷりに描く」。
というものだった。
さて、これはこれは良い買い物である、と思ってレジに向かおうとしたのだが、よくみると文春文庫
だった。「やっぱり読まないつもりなのね」(←これは誰なんだ)といわれた気がして、なんだか引
くに引けない。さてどうしたものか、と思って顔を上げたところに、「白洲正子自伝」があった。
実は、先週末かその前に、この文庫を頭5ページくらい立ち読み済みなのである。なので内容と筆致
の面白さは体験済みで、そのときなんで買わなかったのが不思議なくらいだ。いまわかった、今日買
うために買わなかったのだ。本との出合いは一期一会が信条の私であるが、読むべくして読む、
出会うべくして、出会うという本も確かにあるのだ。名作・傑作関係なく。これもそんな本のひとつ
なんだろう。もし何かのめぐり合わせで今日買っていなくても、また別の機会に買っていたはずだ。
こうしてめでたく新潮文庫も手に入れて、ようやくレジに向かった。帰宅後本を開いてでてきたのは
2001年の「Yonda?」だった。
さて、はじめの問題に答えないといけない。読む順番である。これは組み合わせにもよるけれど、基
本的には、短いものから長いもの、筆致の軽いものから重いもの、というのが一番良いような気がす
る。なので、「妊娠カレンダー」<「白洲正子自伝」≦「復活の地I」という順番になるだろうか。
等号がはいっているのは、「並行読み」もありということ。つまり通勤電車で「自伝」を、帰宅後就
寝前に「復活」というパターンである。会社の昼休みがもうちっと長ければ、昼にも本が読めるのだ
がなぁ。まぁ昼は新聞を読むので我慢する。
- 2004/11/02(火)
最近、変なメールが多い。今日来たのはこんなの。
『こんにちは。なつこのこと覚えてる?
夏に海で出会ってから、それっきりだったから元気してるかな?と思ってメールしたんだけど・・・
良かったら返事くださいっ(^0^)/』(原文ママ)
差出人からして怪しい。"natumi_velu@yahoo.co.jp"って、「なつこ」じゃなくて「なつみ」やん!
まぁ、こんなのに怒っても仕方がない。たいがいこのタイプのメールはyahoo.co.jpなので、差出人
アドレスで本文を見る前にわかるのだが、本当の知り合いに何人かyahooユーザーがいるので、ドメ
イン選別はできない。それとまれにだが、yahooでもなく、メール本文の名前と一致しているまっと
うそうなアドレスで来ることがある。内容は、似たようなものだが、一瞬迷うことがある。
さて、むこうのアドレスはともかく、こちらのアドレスがこんなにも知られているのはなぜか?を
考えると、もっとも疑いが濃厚なのが、HPのトップに掲載しているアドレスそのものだと気づい
た。検索サイトの検索エンジンが放つ「ロボット」とよばれる情報収集プログラムがホームページ
を走査して、アドレスを見つけ出す、ということがあるらしい。
というわけで、簡単だが効果のありそうな対策を施すことにした。半角で記していたアドレスをす
べて全角にしたのだ。これで文字列を採取したとしても、そのままでは使えない。小文字を大文字
に直したり、その逆はすごく簡単だが、半角を全角に変換するのは、ちょっとめんどうなはずだ。
というわけで、トップのアドレスにメールを送ってくださる場合は、ご面倒ですが手動で半角に置
き変えたところに送ってください。
さて、これでこの種のメールが来なくなるかどうかはわからないが、こないならこないでさびしく
もある。いつも思うのだが、この手のメールの文面はどんな人間がどんなことを考えながら、創作
しているのだろうか。文字通りの意味で送っていることはまずないと思うし、当然返信したことは
ないから目的がわからない。まぁSPAM自体に目的なんてないのだろうが。だが、来るたびに短
いながらも内容がかぶったものはなくて、「次はどんな文面か?」とひそかに楽しみしている節が
あるのであった。
- 2004/11/01(月)
11月。研修さえなければこんなに好きな月はない。
例によって昨日も変な夢を見た。高校時代のような、大学時代のような設定。なぜか昼ごはんを
学校の近くの駅前ではなく、となりの駅まで行って食べて戻ってくる私。戻ってくるのは礼拝に
出席するためだ。時計を見ると、なぜか朝7:30になっている。時系列がむちゃくちゃだ。
学校につくと、すでに礼拝は終わったらしくぞろぞろと一年生が出てくる。なぜだか一年生だと
わかる。このあたり中学時代のような感じもする。
しかたがないので、学校を出ようとするのだが、なぜだが脱出できない。学校の周囲は山林や川、
民家などに囲まれており、出口が見つからないのだ。細くて小さい川沿いに脱出をはかるも、なぜ
だか自転車を伴っているため、途中倒れ掛かっている立ち木などを超えることができず断念。民家
の間を抜けるも、道の行き止まりに商店があり、抜けられず。どうしたらいいんや、と焦りと怖さ
に追い詰められそうなところで目が覚める。気分は当然よくない。朝から頭痛がした。
ここのところ続く夢は何かを象徴しているのだろうか。教えて偉い人。
悩みについて相談していた件の回答をもらう。何かに悩んでいるとき、話を聞いてもらえるだけで
パンパンにつまって破裂しそうだった気持ちから、すーっと穴があいたように楽になっていく。
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