2.西洋におけるキューピッドと天使の図像


・キューピッド(クピド)
 キューピッドとはギリシア神話におけるエロスという愛の神であり、これをローマ人はクピドと呼んだ。キューピッドはクピドという言葉から出た発音である。クピドの図像が羽根を生やした裸体の幼児であるというのは既にローマ時代の美術にも見られるものであるが、神話においては必ずしもクピドは幼児であると定義されていたわけではなかった。クピド=幼児の図式が大幅に流布するのはルネサンスからバロックにかけての時代である。有名なところではボッティチェリ「プリマヴェーラ(春)」(図3)の画面上方に、目隠しをされたまま先の燃える矢を弓につがえたクピドが登場している。ここでクピドが放とうとしている燃える矢は「燃える愛」の象徴であり、それは画面左方で舞い踊る三人の美神のうち「貞節」に対して放たれようとしている(注2)。このように、思想、道徳の寓意画が多く描かれたルネサンス〜マニエリスム〜バロックに至る時代では、「恋」や「愛」という抽象概念を絵画上で寓意的にあらわす時に多く使われたのがクピドの画像であった。また、この頃のクピドは目隠しをされた状態で描かれる事が多かったが、それは「恋は盲目」ということの図像化であり、目隠しをされないクピドも多く描かれた(クピドの目が何故隠されたかについてはエルヴィン・パノフスキーの古典的な研究がある:パノフスキー「イコノロジー研究」(美術出版社)「盲目のクピド」を見よ)。
 「クピド=愛」の寓意は、画家たちだけでなく、エンブレムとしてイエズス会宣教師や錬金術師によっても利用された。エンブレムとはある教訓を寓意図とセットで表現したもので、こうしたエンブレムを集めた書物が16〜17世紀ヨーロッパでは多く刊行され、浸透していったのである。
 クピドについては以上のように「羽根を生やし、弓矢を持った裸体の幼児(目隠しをされることもある)=クピド=愛」という形で浸透していったのだが、そのころ、天使はどのように描かれていたのだろうか。

  ・天使(エンジェル)
 キリスト教における天使(エンジェル)とはサンスクリット語のアンギラス、ギリシャ語のアンゲロス(いずれも「使者」をあらわす)から転じた語で、もともと聖書に登場するミカエル、ガブリエル、ラファエル以外はあまり重要視されてこなかったが、イスラム教の影響、さらには偽ディオニュシオス・アレオパギタの「天上位階論」をはじめとする教父神学によって「数多くの天使が存在する」と考えられるようになった。三大天使以外にも、多翼の上級天使セラピム、ケルビムなどが中世・ビザンツ絵画やステンドグラスにも登場してくるが、しかしそれらはいずれも翼こそ生やしているものの、衣を着た成人の姿をしており、幼児というクピド的( 「森永エンゼル」的!)な姿をしているわけではなかった。ところがルネサンスになると、天使はどんどん数多く描かれるようになり、それらの外見も裸で有翼の幼児という、クピドとほとんど見分けがつかなくなる様なものが多く現れた(図を参照)。一体何故このようになったのか。

 荒俣宏氏はこれに対して16〜17世紀に流行した守護天使の流行をあげているが、それよりはおそらく当時流行した新プラトン主義哲学の影響が大きいのではないだろうか。新プラトン主義はメディチ家の庇護のもとでフィレンツェを中心に流行した哲学思想の一潮流だが、ボッティチェリからミケランジェロ、ティツィアーノなどのルネサンスの芸術家に多大な影響を及ぼした。それまで厳格なキリスト教の信仰によって軽視されてきたギリシア・ローマの哲学や美学をキリスト教内部に取り込むことによって、キリスト教神学のより一層の充実化をはかろうとしたのが新プラトン主義であったといっていい。この新しい哲学の流行があったからこそ、それまでは思いも寄らなかった異教的(古代神話的)画題が取り上げられるようになったのだが、そうしてギリシア的な思想をキリスト教の中に回収する作業の中で、キリスト教絵画にギリシア哲学的テーマが見られるようになり、ついにはギリシア的図像(つまりクピドの図像)そのものがキリスト教絵画の中に流入してきたと考えられるのである。
 こうしてクピドと天使は識別困難な形で16〜17世紀の西洋に流布していった。日本人が最初にこれらの有翼の幼児像に触れるようになったのもこのころである。

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