用語解説・引用集

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マニエラ(手法)
この語の使われはじめについて本書17頁にはこうある。
「マニエリストは、史上最初のアカデミーを設立した人々である。彼らは、先人の気ままな傑作を、知的に解釈し、教条化し、公式化して、教えたり修得したりできるようにし、それによってだれしもがそういう傑作を描けるようにしたいと考えた。「あちこちから美しいものを集め、これを統一し、まずこの上なく優美な手法(マニエラ)をつくる。ひとたびこの手法ができあがったのちは、これを用いて、いつでも、どこでも、傑作をつくることができるようになる」と、最初のアカデミー院長になったジョルジョ・ヴァザーリは書いている。今日「マニエリスム」の語源となった「マニエラ」はまさしくここから出てきたのである」
エルヴィン・パノフスキー
1892年3月30日ドイツ・ハノーヴァー生まれの美術史家。
1914年フライブルク大学で哲学博士号取得、1926年ハンブルク大学にて美術学の正教授に就任。
ハンブルク時代に美術史家アビ・ヴァールブルク、哲学者エルンスト・カッシーラーと出会い、影響を受ける。この時代の事は山口昌男「本の神話学」に述べられているが、同書からパノフスキーについての評価を引用してみよう。 「イコンの分析によって「精神史」としての美術史研究の基礎を確立し、構造論的分析の立場に立ちながらしかも知的に誠実な研究者に及ぼす影響が日々に増大しつつある」(「本の神話学」中公文庫版19P)
1934年渡米してプリンストン大学、プリンストン高等研究所、ニューヨーク美術研究所教授を歴任。1968年3月15日、75歳で没。
イコノロジー(図像解釈学)
イコノロジーの有名な定義としては、提唱者パノフスキー自身による「三段階理論」がある。
これは、美術の解釈方法を三つの段階に分類するもので、それによると美術の主題には
1/自然的主題
2/伝習的主題
3/内的意味・内容
の三つがある。
1/の自然的主題とは、要するに見えたままの意味である。例えば「受胎告知」の主題にたいして「画面の右側に羽根を生やした若い男が描かれており、左側には若い女性が描かれている」と記述するなら、それは解釈の第一段階である自然的主題のみをとらえたことになるだろう。
2/の伝習的主題になると、それは知的な内容を含む。その絵が描かれた文化的な文脈を参照しつつ見ることによって、その絵が「何を描いているのか」を知る解釈方法である。この段階において「受胎告知」で画面の右にいるのは天使であり、画面の左にいるのはマリアである、と知ることが出来るようになる。この伝習的意味を解釈する方法を「イコノグラフィー(図像学)」と呼ぶ。
3/の内的意味とは、そうした絵画が描かれるに至った経緯や、その絵画が属する時代背景全般の知識と関連させながら見ることによってみえてくる、一個の作品の中に限定される主題、意味を越えた、その背後に控える様々な文化的傾向の一つの現れであるところの意味のこと、ということができるだろう。この意味は、前二者が現象的であるのに対して、本質的なものであるとパノフスキーは述べている。
従って、この内的意味を解釈するには、自然的主題を理解するのには単純な常識、伝習的主題を理解するのには文献資料による知識だけがあればよいのとは違い、人間精神の本質的傾向に精通することによって得られる、総合的「直観」が必要であるとされる。
マルシリオ・フィチーノ
1433年、イタリア・トスカナ地方の小村に生まれる。フィレンツェで文法、修辞学、ギリシャ哲学、ラテン文学から自然学、医学をも勉強し、1456年には早くもプラトンに関する論考を著している。
コジモ・ディ・メディチの援助によってフィレンツェにプラトン・アカデミー(アッカデミア・プラトニカ)を設立、1468年頃までにはプラトンの全作品を翻訳する。彼のプラトン主義についての主要著作である「愛について〜プラトン『饗宴』注解」は1469年、「プラトン神学」は1482年の刊行である。
彼は司祭の職も得ており、キリスト教神学と古代の英知との総合に心を砕いた。新プラトン主義の祖であるプロティノスの作品の翻訳は1492年に出版されている。1499年没。
ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ
1463年北イタリアの小都市ミランドラの領主の息子として生まれる。フィチーノのプラトン・アカデミーにもいたことのある哲学者・神学者。彼はフィチーノに比べてプラトンよりもアリストテレスの研究に没頭した。1486年にローマにおいて哲学・神学に関わる討論会を組織するべく運動した彼は、その内容が異端的なものであるという疑いを教会にかけられ、追われる身となるが、この討論会の冒頭演説として彼が用意したのが、その後各方面に影響を与えた「人間の尊厳についての演説」である。
この中でピコは、キリスト教神学と過去の様々な「異端」とされてきた宇宙観を比較検討しており、新しい宇宙観と その中における人間のあり方について考察している。
「この演説は、イタリア・ルネサンスの人間論を代表するものとして人口に膾炙しており、この時代においてもっとも著名な論考であるといっても過言ではないだろう」(「神々の再生」130頁 伊藤博明著)
新プラトン主義・プロティノス
グノーシス主義に影響を受けたとされる新プラトン主義は、神秘主義哲学として名高い。神秘主義とは、人間の知性の限界を、自らを抜け出る(エクスタシス)ことによって超越し、神と一体になることを目指す考え方である。新プラトン主義の始祖であるプロティノスの思想は、「神秘的なるものを、ギリシア哲学の伝統であるロゴスという方法によって合理化しようとした哲学であった」(小阪修平「イラスト西洋哲学史」)
プラトンに比べてのプロティノスの思想的特色としては、田中美知太郎氏による解説文を引用しておこう。
「問題はプロティノスが、これ(たましい/プシュケーや知性/ヌースなど、現実の背後に存在する原理的なもの)に「一者」を加えて、その間に順位を定めたことにあるとしなければならないだろう。プロティノス哲学において、アナクサゴラス、プラトン、アリストテレスなどによって究極原因とされていた「知性」の上に、さらに「一者」を超出させて、これをむしろ第一原理としたことが、何よりも特色的であると考えられる」(中公バックス版「世界の名著15・プロティノス他」解説より)
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