ライブの皇帝

Lee Seung Chul

イ・スンチョルという、歌手がいる。そこそこ韓国を知る人なら名前ぐらいは知っているはずの、一流の歌手である。自分がこれまで、ある程度韓国音楽に身を浸していろいろと聴いた結果、その音楽、その人間性、外見、韓国内での地位、いずれも自分にとってピタリとはまる最高の歌手であることがわかった。歌唱力は彼を知る誰もが認めるところで、何も悪さをしなければ韓国ナンバー1歌手と言っても過言ではない。が、大麻で何度か逮捕されたり、離婚したり、私生活についてとやかく言われたり(真偽は不明)、ナンバー1と絶賛するにはちょっとひっかかる部分もある。そこが自分には魅力の1つである。韓国のファンがこれを読む機会があるかどうかわからないが、自分はスンチョルのダーティーなイメージも含めて彼のファンであるから、これを悪口とは思って欲しくない。神様みたいに崇めるだけがファンではないのだ。

外見は、日本人向けに簡単に言うと林家こぶ平である。声の質も似ているかも知れない。スンチョルをよく知らない人にこれを指摘されるとカチンと来るが、パッと見て似ているのは事実である。しかし、スンチョルの顔は自分にとって、知らず知らずに見入ってしまう顔でもある。背が高くないのも好感が持てる(笑)。

韓国内の地位は上述のように、本来は頂点に君臨すべき実力を持つ大物歌手でありながら、数点の曇りのために100%の支持を得ていないのが現実であろう。本当ならスーパースターであるチョ・ヨンピル(演歌歌手だなんて思っている人は韓国歌謡を勉強し直した方がいい)を継ぐ立場だ、と言う人もいる。こういう状況も、自分の中の何かを刺激するのだ。将棋で言うなら坂田三吉(誰かわかる?)タイプである。優勝より準優勝が好きなのかも知れない(笑)

このイ・スンチョルについては、後日きちんとコーナーを設けて紹介し、日本での新たなファン開拓に貢献するつもりなので、ここではこのくらいにする。あまり書いてしまうとイ・スンチョルのコーナーで書くことがなくなってしまうし、何よりこれは旅行記なのだった。

ファンクラブ

スンチョルを直接見たのは、昨年6月の東京公演で、その後しばらくしてからインターネットを通じて、彼のファンクラブに入会した。このサイトはスンチョル自らも書き込む掲示板があり、チャットルームがあり、会員数を急速に伸ばしている。以前自分が書き込んだ文章に対して、スンチョル本人の回答があり、コンピューターを前にして異様に興奮したものである。いまのところ(会員名簿を全部調べたわけではないが)掲示板に書き込んだりする日本人は自分しかおらず、最初は他のファンからどういう待遇を受けるのか、やや心配ではあったのだが、幸い皆仲良くしてくれており、コンサートやファン集会(ただの飲み会だが^^;)を通して韓国在住の韓国人の知人が3倍ぐらいに増えたのだ。

この日の公演は通常のコンサートと違い、景福宮(キョンボックン:ソウル)の向かいにあるクモ(クm・ホ:漢字わからず)美術館の記念行事ということで、そこの観覧者の中から抽選で席がもらえるというものだった。その前後の週に水原(スウォン)や全州(チョンジュ)でコンサートがあったのだが、自分の旅行の時期にあたったのは、この特殊な公演なのだった。「抽選だかなんだか知らんが、とにかく公演が見たい!」というようなことをファンクラブの掲示板に書き込むと、さっそく運営者から「なんとかしましょう!」という応答があった。それからまた掲示板やメールで何度もやりとりをして、半信半疑+αぐらいの気持ちでソウルにやって来たのだ。

まぁとにかく、来てしまった。さっそくミレロという運営者の1人に連絡をとり、鐘路書籍の前で待ち合わせ、タクシーでクモ美術館に向かう。ミレロというのはハンドルネーム(向こうではIDと言う)で、日本の歳で24か25の女性である。スンチョルのファンクラブでは、この年代がもっとも多いのではないだろうか?この先出会うことになる会員のほとんどがこの年代のようである。ミレロ、ヒョンミニ、オリーブという3人の女性が運営者で、何かと気を遣ってくれて感謝感謝である。

美術館に着くが、まだ2時間も前なので、本当に美術館だけを見に来た客がちらほらしている程度である。まず我々同様に早く到着していたミダリ(「順風産婦人科」というコメディに出てくるおてんば小学生の名前。このミダリに似ていることを本人は嫌がっているのだが、スンチョルからもそう呼ばれてしまって仕方なくIDに採用したそうである)を紹介される。ミダリは運営者そのものではないが、何かと取り仕切る役を手伝わされているようで、まぁ、「いいヤツ」なのである。このあと美術館入口付近にある椅子に座って、長い時間を過ごし、次々に現れるファンクラブ会員に片っ端から紹介される。この日ほど「アンニョンハセヨ」を繰り返したのは初めてである。ミダリは周囲の空気を和らげる才能があって、ぎこちなく挨拶する自分にとって実にありがたい存在であった。

公演のチケットはミレロ、ミダリ等数名が取り仕切ると見えて、50枚ほどの束を係員から受け取る。「ちょっと見に行きましょうか?」とミレロが自分を促し、ミダリとともに「関係者以外立ち入り禁止」の立て札を無視して階段を上り、リハーサル中のスンチョルの近くまで連れて行ってくれる。会場のドアを開けると「クデガ ナエゲ」が聞こえる。どうもスンチョル本人に会わせてくれようとしているらしく、自分は急速に緊張する。が、このときはスンチョルが準備に忙しくて断念。

再び元の椅子に戻って時間を潰す。ファンクラブのお馴染みらしい顔ぶれが次々に現れ、ミレロやミダリに挨拶に来て、そして日本から来た自分を紹介される。テプン、トンウギ、ヨンサミ、ミョンソギ等の男性会員と握手を交わし、表で一緒に煙草を吸う。だいたい皆自分よりも10歳ぐらい下なので、自分が戸惑うくらいに持ち上げてくれる。それでもいきなりパンマルでは何なので、とりあえず丁寧言葉で通してみる。親しくなってもいつまでもこれを続けると、他人行儀と思われたりもするが、まだその方がマシだ。

何度か書いたことかも知れないが、このパンマルは友達や目下に使う言葉で、相手が明らかに子供なら構わないが、初対面から使うと気を悪くされ、かつ無教養なヤツと見なされる。韓国語を勉強してしばらくすると、ある時期やたらにパンマルを使ってみたくなるが、決して恰好のいいものではないということを特記しておきたい。相手がそういう話し方をしてくれと乞うか、そうでなければ顔色を見ながら注意深く使ってもらいたい。丁寧な言葉で十分にコミュニケーションがとれる、というレベルになるまでは使わないのが無難である。満足に挨拶もできない輩がたどたどしくパンマルを使うのは、初心者マークで首都高速に突っ込むようなものであって、法定速度よりノロノロ走ることよりも性質が悪いのである。

公演開始時刻が近づく。途中でスンチョルのマネージャーに紹介されるが、この人はまったく愛想のない人で、「あ」とか「お」とか言って会釈するだけでどこかへ行ってしまう。あまりチヤホヤされるのも照れくさいが、こうツッケンドンなのもどうかと思う。ふと強烈な方言が耳に入ったので声の主を見る。どこかで見た顔・・思い出せない。どこかで見た女性である。はて?・・・それとは別に、もう1つ見覚えのある顔がこちらを見ている・・ああこれも思い出せない。そのうちチケットが配られて、会場に向かう。

スンチョル対面

会場はかなり小さい。東京のYMCA同様、どこに座ってもスンチョルの姿がはっきり見えそうだ。ミレロに渡されたチケットは・・・一番前!!これはあまりに近い。ファンクラブの面々や一般の(?)ファンが少しでも前の席をと願う中、自分はミレロに案内されて一番前のやや右寄りに座る。いいんだろうか?「抽選で席が当たる」なんて触れ込みはどこへ行ってしまったのか?

どうせ時間通りには始まらないだろうと思ったが、やはり遅れて、見覚えのあるバックバンドが舞台に上がる。ものすごく近い位置であることが改めて認識される。もっとも覚えやすい顔の(ごめん^^;)ベーシストがマイクに向かい、「イ・スンチョルさんはトイレに行って遅れます」とじらし、「ソニョシデ」のアレンジを変えたものを演奏し始める。その後皆で声を合わせてスンチョルを呼ぶ。

とうとうスンチョルに再会した瞬間である。この感激は誰でも、待ちに待った自分の好きな歌手の公演が始まる瞬間を思えばわかると思う。ましてや韓国まで来てやっと見て聴くことができたのだ。ややボーっとしながら舞台のスンチョルを見つめる。「イ スンガヌル オンジェッカジナ」。東京公演当時はこの曲を知らなかった。あれから随分と覚えたものだ。途中でからむ女性コーラス・・・あ!さっきの見覚えのある顔はバックコーラスだったか!(たぶん)

スンチョルのしゃべりを聞き取るのも、やはりあの時の自分とは違う。早口で何かを言って周りがワッと笑うときに自分だけキョトン?という状態も、当時より減っている。「小さい会場」ということを何度か口にしていたが、これはこれでファンが近くていい感じなのだそうだ。とてもリラックスして唄っているのがわかる。ある曲の途中で、ギターソロのところをキーボードを指差してしまって会場が湧く。スンチョルの衣装はちょっと「ん?」という感じの、寝間着みたいなシャツなのだが、もうこの際ケチをつけても仕方がない。こんなに目の前で、圧倒的なうまさの唄を聴かせてくれているのだ。

1部公演が終わる。ミレロに「どうでしたか?」と訊かれても自分は何も言えずに何度も肯くだけである。2部が始まるまで、全員が1度外に出て休憩する。どうだったかといろいろな人に訊かれるうちに、自分はようやく落ち着く。何なんだろうこれは?この歳になるまで、どうしてもコンサート会場に出向いて見たい聴きたい、なんていう歌手はいなかった。それがどうしてこうも熱心なのか?

表でファン達と時間を潰す。さっきの見覚えのあるもう1人が明らかになる。「イ・ソラのプロポーズ」という歌唱付きトーク番組にスンチョルが出演したときに、曲の合間に花束を渡してイ・ソラから簡単なインタビューを受けていた女性であった。画面にアップになったので(美人だし^^;)憶えていたのだ。あの訛りはテグ訛りだという・・うーん、ヨニはあんなに訛ってなかったが・・?

「スンチョリオッパダ!」とファンの1人が騒ぎ出す。道路(というか、広い歩道)から皆で見上げると、4階のテラスで一服するバックバンドの間に、スンチョルが見える。煙草をやめてずいぶん経つというスンチョルは、手に何か飲み物を持っている(あとで聞いた話だが、酒だったらしい)。ファンの誰かが声を張り上げる。「日本からお客さんですよーーー!!」するとスンチョルが、日本語で「いらっしゃいませーーー!!」と叫ぶではないか!!自分も日本語で「ありがとーーー!!」と答え、またファン達が湧く。自分は再びボーッとしてしまう(笑)

2部が始まる。自分の席は1部同様に最前列。しかも今度はど真ん中。なんだか済まないので、1列か2列後ろでも構わないとミレロに言ったのだが、「何をおっしゃいます」という感じで座らされる。1部ではその前に更に、床に座り込むファンクラブの面々がいたのだが、2部では席に戻されてしまう。曲順は1部とまったく同じだそうだが、しゃべりはちょっと違う。まず最初の「イ・スンチョルさんはいま・・」というベーシストの言葉は、誰かに「トイレでしょう!」と叫ばれてしまう。東京公演との決定的な違いは、こういう長年のファンとスンチョル及びバックバンドとのかけあいである。「なんや知らんが見とこか」的な連中がいないので、盛り上がり方が違う。日本と韓国の土地の違いもあるが、場慣れしたファンクラブの面々が、騒ぐべき所・静まるべき所を心得ていっしょに盛り上がるのだから、雰囲気がまるで違う。

「チャムド オジアンヌン パメ」という曲がある。もはや自分は歌詞を見なくても唄える曲なのだが、この曲はかつてキム・ゴンモがリメイクしてヒットさせた曲(曲名は異なる。歌詞は一部同じ)でもある。この曲を1部でも2部でも唄ったのだが、その曲紹介がおかしかった。東京公演では「後輩が唄ってヒットした曲」という言い方だったのだが、この日の1部では「友達が唄って・・」となり、2部では「ゴンモのヤツが・・」と変化した。周りはそれほどみたいだったが、自分にはその言い方が妙におかしくて、手を打って笑ってしまった。

1部よりも長いメンバー紹介が始まり、周りはよく笑うのだが自分は聞き取りがいまひとつである。すると突然「日本からファンの方がいらっしゃってます」とスンチョルが言い出す。自分はやや眠くなっていた目をパチリと開き、サッと緊張する。周りのファンクラブが一斉に「ウォル!ウォル!」と騒ぎ出す。スンチョルがただでさえ近い舞台の、もっとも前まで来て「立ち上がれ」と促す動作をする(と、思った)。自分は舞台に上がってワンコーラスしてやろうか・・なんて考えが起こるわけもなく、ただ立ち上がって客席に向いてペコリとお辞儀をする。うーむ。これもまたすごいことみたいである。・・と思っていたのだが、後でミレロに聞くと、あれは「握手をしよう」という意味だったらしい。はぁ・・・。

和みに和んだ雰囲気で、マイクスタンドをひっくり返しそうになったりしながら、2部が終わる。アンコールも終わって明るくなったところで、ミレロが「行きましょう!」と自分を誘導する。もう自分は充分に満足だったのだが、ミレロは楽屋に向けてまっしぐらである。急に話をつけたのか、そういう話になっていたのか、楽屋からスンチョルが現れる。狭い廊下で握手をして持参したCDにサインをもらい、さっきの無愛想なマネージャーにデジカメを渡して写真を撮ってもらう。スンチョルは疲れた様子で、言葉はあまり交わせなかったが、ここまで期待していなかった自分は、ただもう感謝感激である。ありがとうスンチョル!ありがとうミレロ!である。

打ち上げ

”打ち上げ”と訳してみたが、「後(あと)の元気」みたいな意味の言葉があって、今日みたいな公演のあとで集まって飲みに行くことをそう呼ぶらしい。するとスンチョルも来るのか?と思ったが、この日は多忙のためファンだけの飲み会となる。自分はファンクラブの誰が古株で、誰が入ったばかりで、誰と誰が親しくて、誰が今日初めて参加するのかがよくわかっていないが、「ファン歴」ということで言えば自分など下っ端の下っ端の下の下ぐらいなものだから、出会うファンのすべてがスンチョルに関する先生である。ここの平均年齢を考えると飲み会で自分が浮いてしまうのでは?との危惧も5%ぐらい感じながら、質問魔に徹していれば話題が途切れることもなかろうと思い----いや、ごちゃごちゃ理屈をつけなくてもいいのだ。実は、こういう飲み会も期待して来たのだから。

鐘路書籍前に集合!ということになり、地下鉄やらタクシーやら、いったんバラバラになる。掲示板で自分の投稿を読んでいて、「用事で飲み会に参加できないので」と、わざわざ挨拶してくれる会員もいる。自分はミレロにくっついて行けばいいだろうと思っていたのだが、車で来ていたグループが「乗ってください」と言うのでアッサリと図々しくも乗り込む。運転席にはヨンサミ、後部座席にトンウギとミョンソギとミッシン(と書いても、本人達には何だかわからないだろうなぁ^^;)、自分は助手席である。距離的にはたいしたことはないのだが(歩いたって行ける)、道路が混んでいるのでなかなか着かない。しかも誰一人として鐘路書籍までの道がわかっていないらしい。自分は鐘路ならちょっと土地勘があるので、国税庁さえ見えれば大丈夫である。ある交差点を直進するか曲るか、というところで「まっすぐ行って国税庁を過ぎたらすぐ右側だよ」と教えると、「うぁー」とか「おおお」とか言われてしまう。ははは。

車を降りると別なグループとの待ちあわせなのだが、なんせ週末の夜の鐘路であるから、地下鉄出口付近の歩道は(地下鉄出口付近だけではないが)人だらけである。それにアクセサリーやらぬいぐるみやら音楽テープやらオデンやらットッポッキやらの屋台が並ぶので、自分の立ち位置をキープするだけでも大変である。すると先に来ていたテプンが自分を抱くように誘導してくれる。テプンに限らず、ファンクラブに限らず、韓国人男性に肩を抱かれて誘導されることはよくある。日本でそんなことをするのは、ピンサロの勧誘のオッサンぐらいなのだが、韓国ではごく自然なスキンシップ(という意識すらないだろう)である。自分はもう慣れたし、ここは韓国だからいいが、日本に留学に来てうっかりそんなことをすると失敗するかも・・という話をしようと思っていたが、忘れてしまった。なぜかと言うと、突然スンチョルサランなんとかという長いIDの女の子が腕を組んで来たのだ。しかも「オッパ!」である。自分のようなオジサンも飲み屋などではたいてい「オッパ」なのだが、一般女子(変な言い方^^;)にこう呼ばれた記憶はないのでちょっと面食らう。その様子を、自分が嫌がっていると思ったらしく「ごめんなさい」と言ってすぐ離れて歩き出す。まさかもう1度腕を組んでくれとも言えず、そのまま会場のホプに着く。

かなりぎゅーぎゅーに詰めてテーブルにつき、1人1万ウォンの集金が始まる。自分も一応差し出すが、「エ〜イ!」と言われて受け取ってもらえない(笑)。今日は完全にお客なのである。打ち上げ参加者は20人ぐらいだったろうか?(途中でまた増えたので総数はよくわからない)自分は飲み会であまり席を移動しないタイプだが、彼らはめまぐるしく席を移る。次回(12回目の旅行)はこの習性(?)を利用していろいろ呼び付けてしまうが、この日はそんな余裕はない。

初めての方はご挨拶を!ということになり、数人とともに自分も立ち上がって、何か言わなければならない。ちょっと考えたが、気の利いたセリフよりも自分の韓国語が1回で通じることのほうが重要だと思って、感じたままを述べる。「うぉるです、日本から来ました---(恥ずかしいので以下省略)」

その後は、さすがに皆よく飲む。自分は外国人だからか歳のせいか、焼酎でもビールでも強制的に飲まされるということはない。逆に、グラスが空いても誰も何とも言わないので、自分でピッチャーから注ごうとして「あ、すみません」と慌てて誰かが手を添えてくれるという場面が多い。---が、これはたぶん初対面で遠慮があったのだろう。約1ヶ月後にまた飲む機会があるのだが、この日の酒量の1.5倍は飲まされることになる。

自分はスンチョルの話がしたかった。もちろん「マジマク コンソトゥ」の歌詞の背景であるとか、スンチョルのバンド時代の話とか、いろいろなファンとの交流の姿などを聞くことができたのだが、なんせ自分はこの場では日本人の代表であるから、そんな楽しい話だけでは終わらないのである。「ああ、またか・・」と思うのだが、我慢するしかない。反日感情というほどではないのだが、日本という国と日本人に対する、憧れつつもちょっと嫌いで、見習う点が多いと言いながらも、そのまま受け入れてたまるかという気持ち、コンプレックスの裏返しとして、少しでも自分達が勝る点は認めさせたい気持ち、だがしかし友好的な目の前の日本人とは仲良くしたい気持ち、彼らにも自分にもうまく説明できない複雑な感情が、じわっと伝わって来る。例えばサッカー、例えば独島(竹島)、例えば食文化、あるいはうんざりするほど昔の話、結論なんか出ないのだ。一個人である自分に向かって語っても、どうにもならないことがわかっていながら、しかしこの機会を逃したら、他にいろんな質問をぶつけられる日本人の知り合いはいない・・・その気持ちがわかるような、わからないような、自分は笑ったり真顔になったりしながら、ある程度はこの対応に時間をつぶすしかない。何も建設的な議論ではないようなのだが、実はこれが大切なのだということを、自分は薄々わかってきている。自分が相手の言葉をすべて理解できなくても、相手は言いたかったこと聞きたかったことを吐き出して、最後は握手をしようという気持ちになったりするのだ。

だから自分はもう、言葉は悪いが「適当にこなす」ことを覚えてしまった。相手の言うことの全面肯定は馬鹿にされるし、全面否定は喧嘩になる。この辺りのコツは、経験しなければわからない。韓国語をしゃべる醍醐味のひとつはこんなところにあるのかも知れない。そう言えば自分は、多少はうんざりしながらも議論が落ち着くころには妙に爽快である。

ところで(また同じことの繰り返しかも^^;)日本語の得意な韓国人---それがビジネスマンでも留学生でも飲み屋のアガッシでも---と何度か日本語で話したぐらいで「韓国人はねぇ・・」などと語る人がいる。いますよね?そういうのを見聞きするとイライラする。何がわかったと言うのか?自分には韓国人をひとくくりにはできない。学ぶほどに、知り合うほどに、おこがましくて「韓国人はこうだ」という話はできなくなる。いや、たぶん韓国人に共通な性質はあるのだろう。それでもあえて、簡潔に表現してしまいたくない。「韓国人とは?」と訊かれたら、「さぁ、その人によるね」と答える。それは「韓国の女は?」でも「韓国の男は?」でも、「釜山の人は?」でも「ソウルの人は?」でも同じこと。旅行だけの自分ですらこうだから、韓国で生活する日本人はなおさらだろう。(違う?)

まぁそんな、超えるべき一線としてとりあえずトンウギである。掲示板でやりとりした頃からうずうずしていたらしく、一応の礼儀は保ちながらも次々に質問を繰り出して来る。まわりは「やめろやめろ」と止めるのだが、自分は「構わない、続けてくれ」と、先を促す。ここまではカッコいい(?)のだが、いかんせんトンウギの言葉がサッパリ聞き取れない。こもった声を出す男の韓国語は本当に聞きづらいのだ。それをオリーブやソンヒやジャスミンが、わかりやすく言い直してくれる。いや、とくに易しい言葉に変換してくれるわけじゃない。女の声で同じ事をもう一度言ってくれると、不思議だが聞き取れるのである。そのうちトンウギは、誰かに遠い席に連れて行かれてしまう(笑)。自分はようやく自分の本題を切り出すのである。

12時を回って、ようやくお開きとなる。東京公演を同じ日・同じ空間で見たというヒョルロギ(前述のTV番組の花束の女性)や、もっともたくさんの話をした本日初参加のチョンヒ、自分のチケットの代理購入をしてくれたユギョン、オドゥハサ、あとは未だに名前のわからない旅行社勤務の女性、いろいろ未練はあったが(女ばっかりだろうって?チョンヒは男だよ〜)自分は旅館に戻ることにする。スンチョルのファンである限り、また会えるのだから。

3次会に向かう集団に別れを告げる。深夜の鐘路、酔っ払った若者だらけの鐘路、その中でひときわ騒々しいイ・スンチョルのファンクラブ・・口々にいろいろな挨拶を受け、自分もフラつきながら挨拶を返す。何人かと握手をしたところで「うぉるさ〜ん」と、いきなりオリーブに抱きつかれ、歓声があがる。ははは。最後まで明るい集団なのである。

旅行記11−2
旅行記11−4
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