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ボランティアの窓(平成26年度)
 

   「福の会」の展示を今年も行なっています(平成26年6月)

 第5回の「民俗探訪会」で上溝地区を歩きました(平成26年5月)


  「福の会」の展示を今年も行っています(平成26年6月)

 昨年のボランティアの窓でも紹介したように、博物館では、南区下溝地区・福田家の蔵の 中の資料が寄贈されることをきっかけに「福の会」が結成され、民俗・生活資料の整理を 行っています(元々は、先祖が北条氏照[小田原北条氏・四代当主の氏政の弟]の家臣と する福田家の由来については前回のボランティアの窓を参照)。
     
 どうやって着物を展示するか、女性の会員が集まって協議中  ウォールケース内の展示ももちろん会員の担当  福田家の三月節供の御殿飾りや、五月節供の内幟り

 そして、昨年の5月25日~6月30日には、収蔵品展「蔵の中の世界・福田家資料紹介 ~市民の力で博物館資料へ~」を開催し、蔵や主屋などにあったさまざまな資料を展示し て、会期中には約6800名の方々に見ていただきました。その際には、アンケートでもこの展示に興味関心を持たれた方も多く、「市民がこうした取り組みをしていることはすばらしい」との声も多くいただきました。
     
 新屋敷集落の講中道具の一部。吊ってあるのは、土葬時代に使用した穴掘りの人が着るための半てん  当麻の中・下宿地区で行われていた地神講と稲荷講の掛軸等の資料も展示している  今年も多くの着物類を展示しているが、福田家以外のすでに収蔵していた資料を再整理したものも展示している

 この福の会が展示資料の選定から実際の展示作業も担当した収蔵品展「蔵の中の世界2~市民の力で博物館資料へ~」を、5月24日(土)から6月29日(日)までの会期で行っています。今回は、福田家の蔵にあった実に多くの衣類やお節供に贈られた三月人形(御殿飾り)などに加え、福の会が福田家資料の整理とともに開始している別の資料についても展示しています。例えば、福田家がある南区下溝・新屋敷地区で所有していた講中道具一式で、講中道具はかつて冠婚葬祭を自宅で行っていた時代に、訪れる多くの客に出す料理の食器やその他の諸道具を地区で共同保管し、必要に応じて各家で使うことができたもので、講中道具は市内及び周辺地域で一般的に見られました。また、近年まで南区当麻の中・下宿地区で行われていた地神講と稲荷講に関わる資料では、講が解散することに伴い、掛軸や帳面などの資料が長く後世まで残ることを願って博物館に寄贈いただきました。なお、昨年の展示でも実施した、福田家の御当主や福の会の会員が、整理作業の苦労や楽しさなどを交えて展示資料についてお話をしたり、いくつかの衣類に触れたりすることもできる「展示説明・展示を語ろう」を6月8日・6月22日(いずれも日曜日)の午前10時30分~午後3時30分(この間随時)に行いますので、ご希望の方は是非おいでください。
     
 着物の一部はマネキンを使って展示した。これも会員のアイデア  「展示説明・展示を語ろう」の実施日(写真は5月25日)には、着物に触っていただく機会も設けている  興味深げに御殿飾りを見る子どもに、福の会の会員がやさしく説明する(5月25日)

 現在、福の会では、こうした新たな資料の整理のほか、博物館が保管している一部の資料の再整理なども手がけており、活動の場が広がっています。今後とも、多くの市民の皆様に、博物館を中心としてこのような活動を行っていることを広く知っていただくとともに、これからも市民とともに歩む博物館としてさまざまな活動を続けていきたいと思います(民俗担当 加藤隆志)。
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   第5回の「民俗探訪会」で上溝から下溝地区を歩きました(平成26年5月)

 毎回、本欄の「ボランティアの窓」でも紹介しているように、本館の民俗分野の市民の会である民俗調査会Aの活動として5月と11月に「民俗探訪会」を実施しており、今年度も5月14日(水)に第5回目の「民俗探訪会」を行いました。今回は、上溝地区の南部から下溝北部にかけて歩くもので、こうした催しはどうしても同一の地域内を歩くものになりがちですが、今回は中央区上溝から南区下溝へというように、区をまたいで歩くというコースを設定しました。  
 4月15日号「広報さがみはら」や博物館のホームページで会員以外の市民の皆様からの参加者を募集したところ、40名以上の方からの応募があり、野外を数時間歩くという安全性の観点から抽選となりました。当日は、28名の参加者と会員11名で、相模線の番田駅から「相模原浄水場」バス停まで、約3時間のコースを歩きました。当日は暑さが心配されたものの、通り抜ける風はまだまだ気持ちよく、無事に実施することができました。  
     
 熱心に神社合祀にまつわる碑を見学する参加者(上溝・諏訪神社)  子育て地蔵の念仏について説明する会員。現在でも実施されていることが説明された  道保川・宮川合流点での会員の説明。かつてここに家があり、祠などが残っている

 民俗探訪会では、担当学芸員である加藤とともに調査会の会員が地域を案内するものですが、「通常の史跡巡りではなかなか行かない、なるべく地元に住んでいる者でないと知らないこと」をテーマとして進めています。今回も、加藤の説明の合間に、子育て地蔵(雨乞い地蔵)で現在も行われている地域の念仏の様子や、道保川・宮川合流点付近にかつてあった住居に係わることなど、地元の人々ならではの説明を聞くことができました。また、各種の石仏を見るのもいつものことで、庚申塔など、いくつかの興味深いものを確認しながら歩いていきました。今回のコースは次の通りです(簡単な説明を最後に記しています)。
相模線・番田駅 9時15分集合・「相模原浄水場」バス停 12時30分解散
① 八王子道大山道分岐道標(①~③上溝)→②清水家旧主屋・長屋門→③諏訪神社→ ④古山橋・当麻山道(④~⑩下溝)→⑤八坂神社・日枝神社合祀碑→ ⑥庚申塔・子育て地蔵(雨乞い地蔵)→⑦道保川・宮川合流点→⑧徳本六字名号塔→⑨十二天神社・オミタレミズ→⑩宮坂

 民俗探訪会は、今後ともその都度内容を検討しながら行うことを予定しており、ご希望の方のご参加をお待ちしております。民俗調査会の活動にご関心を持たれ、一緒にやってみたいと思われた方も随時入会ができますので、博物館までお問い合わせください。
 *これまでの民俗探訪会については、いずれもこの「ボランティアの窓」に記事を掲載しています(民俗担当 加藤隆志)。

○八王子道大山道分岐道標 橋本から上溝市場を通り、当麻へ至る「大山道」と、座間方面に向かう八王子道の分岐点で、塔頂に不動像を載せた大山道標(嘉永二年[1848]・上溝村田尻不動講造立)など、いくつかの石仏がある。
○清水家旧主屋・長屋門(市登録有形文化財[建造物]) 旧主屋・長屋門ともに19世紀中頃の建築と推定される。主屋は上層農家に特有の六間取(部屋数が六つ)の大型のもので、養蚕の進展と住居との関係を考える上でも貴重な建物である。長屋門も長大で、堂々たる主屋にふさわしい。*博物館の展示室に、屋敷取りを含めた清水家の模型があります。個人宅であり、屋敷内に立ち入ることはできません。
○諏訪神社 上溝地区南部の番田集落他の鎮守。元々は八幡社(現・亀が池八幡宮)内に祀られていたが文禄三年(1594)に番田地区に遷座されたと伝える。上溝の天王祭との関係を伝える伝承や、明治後期に行われた神社整理の際に一度、八幡宮に合祀され、また元に戻った経緯など、さまざまな地域の歴史を伝えている。
○古山橋・当麻山道 当麻山道は、多摩方面から大沼集落の裏側を通り、上溝と下溝 の境に沿いながら当麻の無量光寺に向かう。姥川に架かり、下溝・古山集落に入る所にある古山橋のたもとには、庚申塔や聖徳太子塔などがある。
○八坂神社・日枝神社合祀碑 明治30年(1897)まで八坂社と日枝社があったが、十 二天神社に合祀された。現在、この地にある碑は、昭和8年(1933)に青年会が記念 として建てたもの。元々は、夏祭りに際して、八坂社があったこの場所から天王祭の 神輿が出て氏子の家を回ったと伝え、今でも神輿は碑の所に来て休む。
○庚申塔・子育て地蔵(雨乞い地蔵) 享保18年(1733)造立の庚申塔は、青面金剛(しょうめんこんごう)を浮彫りにした典型的な庚申塔で、「小山邑」とあるのが注目される。地蔵は、第二次世界大戦以前は、日照りが続くと、下を流れる道保川に入れて水を掛けて雨乞いをした。また、子育て地蔵ともいって、子どもができない者が信仰すると子どもが授かり、よく育つともいう。4月と12月に地蔵様の念仏がある。
○ 道保川・宮川合流点 道保川は、上溝の丸崎集落付近から流れ出し、下溝の大下集落で鳩川に合流する川で、上溝から下溝にかけての段丘崖沿いに流れる。道保川には多くの湧き水が流れ込んでおり、十二天神社の下側からの水(オミタレミズ)は宮川と呼ばれ、道保川に合流する。
○徳本六字名号塔(市登録有形民俗文化財) 徳本は、宝暦八年(1758)に紀州に生まれ、近世後期に各地に念仏を広めた僧。徳本が近隣を訪れた際に、各村の念仏講中がその特徴ある書体で書かれた名号(みょうごう)を求め、それをもとに念仏塔を建てたとされる。市内では、相模原地域の13基が登録民俗文化財となっており、本資料は文政四年(1824)の銘がある。※地域の家々の共同墓地の中にあり、墓地には立ち入らず外側から見学します。
○十二天神社・オミタレミズ 下溝・古山集落の鎮守。寛文二年(1662)にこの地を検地した久世大和守広之との相談で、湧水のすぐ脇にあった祠を現在の高所に移したと伝える。社殿には絵馬があるほか、境内にはいくつかの石仏が残る。特に元禄12年(1699)の阿弥陀如来を彫った庚申塔は古いものである。    
神社下側の湧水はオミタレミズと呼ばれ、ここではわさび(「溝わさび」)が作られていた。幕末に糸商をしていた人が、伊豆から苗を持ち込んで作り出したといわれる。
○宮坂 段丘崖の上側の広い畑に行くのに使われた坂で、かつては十二天神社の前を通り、お宮の後ろを途中からまっすぐに上がっていたといわれる。かなり急で、階段状に赤土を踏み重ねたような坂だったが、関東大震災で崩れてしまった。それで地震後に傾斜を緩くして、荷車が通れるような道に直した。現在の坂は、さらにその後に作られたものである


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