時の流れというものは、本当に早い。
 陳腐な表現で言えば、あっという間だった、というところか。
 マルチが俺のところに来て、はや八ヶ月。
 年の瀬、と言われる時期だ。
 
 
 
 今日は、12月31日。
 一年最後の日、大晦日だ。
 我が家では、今日、大掃除をした。
 
  ぱたぱたぱた…。
 
 マルチがはたきを持って、あちこちに着いた埃を落としている。
 俺は窓ガラスの拭き掃除だ。
 
「浩之さーん、どうですかー?」
「ああ、順調だよ。見てくれ、このガラスの輝きを」
「…わあ、すごいですー。ガラスがないみたいですー」
 
 のどかな会話を交えながら掃除を進める。
 大掃除、などと大袈裟な言葉を使ったが、実際はそんな大したことではない。
 普段からマルチが綺麗に掃除してくれているので、そんなに汚れていないのだ。
 マルチに日本の風習を体験させる為、大掃除と呼称しているに過ぎない。
 掃除などしなくてもいいくらいなのだから。
 
  キュッ、キュッ、キュッ…。
 
「…よし、拭き掃除終わりっと」
 
 俺はガラスを透かしてみた。
 我ながらほれぼれする磨き方だ。
 
「マルチ、こっちは終わったぜ」
「はい、ご苦労さまです。私も終わりました」
 
 マルチもちょうど終わったところだったようだ。
 
「えーと、あと、残ってる掃除は…」
「いえ、これで全部終わりです。ご苦労様でした、浩之さん」
「そうか、もう終わりか。マルチもご苦労さん」
「はいっ、ありがとうございます」
 
 にっこりと、本当に嬉しそうに笑うマルチ。
 
「さーてと、んじゃ、あとはゆっくり過ごすか」
 
 普段からマルチが頑張ってくれているので、たいして汚れてはいなかったのだが、そこは掃除好きのマルチだ。
 年に一度の大掃除、ということで、いつも以上に気合いを入れて掃除していた。
 その為、かなり時間がかかってしまった。
 
「あとは、除夜の鐘をきくだけだな」
「…あの、浩之さん」
「ん、何、マルチ?」
「…お正月って、何をすればいいんでしょうか?」
 
 マルチがおずおずときいてきた。
 
「お正月? 何をすればいいって…」
「すみません、私、お正月って初めてなので、何をすればいいのかよく分からなくて…」
「何をって…。お雑煮の準備はできてるんだろ?」
「はい、おもちと、お雑煮の材料は買ってあります」
「おせちは二人じゃ食いきれないしな…。親父もお袋も正月は外国で迎える事になるって嘆いてたもんな」
「はい、そう言われてましたよね」
「…うーん、そうすると、あとは…」
「………」
 
 思考モードに入った俺を見つめるマルチ。
 
「…あとは…なんだろ? 年越しそばを食べるくらいかな?」
「はい、おそばの準備もできてます」
「うむ、さすがはマルチ! メイドロボの鏡!」
「はいっ! ありがとうございます!」
「……」
「……」
「…ぷっ」
「…くすっ」
「あはははは…」
「くすくすくす…」
 
 
 
 その夜。
 俺はマルチと年越しそばを食べながら、なんの気なしにテレビをつけていた。
 
『…ここ、東鳩神社は、初詣の人出で大混雑しています…』
 
「…あ、そうか。初詣だ」
「…え、なんですか、浩之さん?」
 
 俺のつぶやきを聞いたマルチがこっちを見た。
 
「初詣だよ。正月の恒例行事」
「初詣、ですか? どんなことをするんですか?」
「…うーん、神様の前で、今年一年いいことがありますように、とか、こんな事ができますように、とかってお祈りすること、かな?」
「わあ、そうなんですかー。今テレビでやってるのがそうなんですねー」
 
 マルチは目を輝かせてテレビを見ている。
 
「…マルチ。初詣、行ってみるか?」
「えっ? …でも、神社って遠いんじゃないですか?」
「家の近くに神社があるんだ。あそこなら、歩いて三十分もかかんねーよ」
「…はい。それでは、お願いできますか?」
 
 
 
 俺とマルチは、懐かしい、あの高校への道筋を歩いている。
「……」
「……」
「…懐かしいな」
「…そうですね」
 
 考えてみれば、マルチと一緒にこの道を歩いたことはなかった。
 そう、俺達が高校生だった頃に歩いたっきり…。
 
「いろんな事が、あったよな…」
「はい…」
 
 初めて出会った時の事。
 一人で廊下の掃除をしていた事。
 ゲーセンで遊んだ事。
 そして、この道の上で、別れを再認識させられた事…。
 色々な話をした。
 
「…私、浩之さんのような、素敵なご主人様に出会えて、幸せです…」
「…ああ、俺も幸せだよ。マルチが俺の家に来てくれて…」
 
 
 
 神社は、結構な人出で賑わっていた。
 
「わあ、高校の近くにこんな神社があったなんて、全然知りませんでした」
「みんな結構来てるもんだな。夜中だってのに」
 
 子供の頃、俺、あかり、雅史の三人で、毎年一緒に初詣に来ていた。
 あかりは毎年着物を着てたっけ。
 いつからだろう、三人での初詣をしなくなったのは・・・。
 
「あ、浩之さん、あれは何ですか?」
 
 マルチが破魔矢を指さした。
 
「…ああ、あれは破魔矢っていうんだ。魔除けみたいなもんだ」
 
 その声で、俺の意識は現実へと戻った。
 
「破魔矢ですか〜。すごいですね〜」
「ああ、帰りに買っていくか?」
「はいっ、お願いします!」
「まあ、とりあえずはお参りしようぜ」
 
 俺はマルチを本殿の前へと連れてきた。
 
「えーと、一年の事をお祈りするんですよね?」
「ま、そうこだわることはないさ。自分の希望とか、願いとか、そんなのをお祈りする方が多いってきくぜ」
「はい、そうなんですか」
「ああ、そうなんだ…って、お賽銭お賽銭と…」
 
 俺は財布を取りだした。
 
「浩之さん、はい、どうぞ」
 
 マルチに百円玉を手渡される。
 
「…百円か。いや、もうちょっと奮発してもいいぜ」
「五百円ですか?」
「うーん…、ま、千円くらいだろ。年に一度のことだしな」
「はい、わかりました」
 
 マルチが財布から千円札を一枚取りだした。
 そうそう、我が家の経済は、マルチにまかせてある。
 お袋は滅多に帰ってこないし、俺は家事なんか全然しないから、マルチに任せることになったわけだ。
 
「どうぞ、浩之さん」
 
 マルチは俺に千円札を渡した。
 
「あれ? マルチの分は?」
「わ、私もお参りしていいんですか?」
「当然だろ。マルチもお参りしていいに決まってるじゃないか」
「…うう、浩之さん、ありがとうございます…」
 
 マルチの目が潤む。
 
「ああ、頼むから泣かないでくれ。泣くんなら、家帰ってからゆっくり泣いてくれ」
 
 俺は慌てて言った。
 
「…は、はい、すみません、感激のあまり…」
 
 マルチの目はまだ潤んでいる。
 
「ほら、お参りしよう。な、マルチ」
「はい…」
 
 マルチは千円札を取り出した。
 二人で本殿に向かう。
 
  ひらっ…。
  ひらっ…。
 
 千円札を賽銭箱に入れる。
 そして、手を合わせる。
 
(神様、どうか、ずっとマルチと一緒にいられますように・・・)
 
 俺の願いはこれだけだ。
 ふと横を見ると、マルチも手を合わせ、真剣にお願いしている。
 何を願っているんだろう…?
 そう思ったとき、マルチの声が聞こえたような気がした。
 
「どうか、ご主人様と、ずっと一緒にいられますように…」
 
 俺はマルチを見たが、マルチは何も言っていない。
 それでも、俺には分かった。
 今のが、マルチの願いだったんだ。
 俺と同じ事を願っていたわけか。
 俺は本殿に向き直り、この必然を神様に感謝した。