「おい、志保…」
「何? ヒロ」
「おめーの言う面白い情報ってな、これのことか?」
「そうよ。見てわかんない?」
「………」
 
 現在、AM9時02分。
『志保ちゃんお帰りなさいパーティー』から一夜明けた朝だ。
 パーティーの命名者はもちろん志保だ。
 尚、あかりは宴会終了後、家に帰った。
 
「…あの、志保さん、これ…」
 マルチがおずおずと尋ねる。
 それも無理はない。
 志保が得意げに見せている物、それは…
 
「やーねー、マルチまで。これは日本の伝統食じゃない」
 
 そう、ご飯にみそ汁、煮物、魚料理といったものが写った写真だったのだ。
 
「そんなことはわかってんだよ。これのどこが面白いんだ?」
「それをこれから説明しようとしてるのよ。黙って聞きなさい」
「わかりました、志保さん」
「いい? この写真に写ってるご飯、おいしそうでしょ?」
「ああ、確かにうまそうだな。マルチ、朝飯は和食にしてくれ」
「はい、わかりました」
「ところが! なんと、このご飯を作ったのは、あの『柏木千鶴さん』なのよ!」
 
 ドーン! という擬音でも入れそうな勢いで指を突きつけ、叫ぶ志保。
 
「…誰、それ?」
「千鶴さんって、どなたですか?」
「はああ?! あんた達、千鶴さんを知らないの?!」
「ああ」
「はい」
「あああ、なんてことかしら。あの、今世紀最強とまで言われる偽善者を知らないなんて・・・」
 
 志保はがっくりと項垂れると、この世もかくやと言うように天を仰ぎ見た。
 
「あのな。偽善者だか祇園精舎だか知らねえが、誰かが料理をうまく作ったぐらいで騒ぐなよ。オーバーなんだよ、おめーは」
「馬鹿ね! あの千鶴さんなのよ?! 全国五十六憶七千万人を偽善者スマイルで虜にし、その料理が持つ殺傷力は鬼のそれを遙かに凌駕する、と噂されてるのよ?!」
「世界の人口は五十億だぞ…」
 
 俺のつっこみなど、志保にはもちろん聞こえなかった。
 
「その千鶴さんが、こんなにおいしそうな料理を作った! こんなこと、あり得ないわ!」
「あの、志保さん…」
「そう! この世がニュートン力学と相対性理論に基づいて在る以上、千鶴さんが上手に料理を作れるわけがないのよ!」
「その理論の内容、理解してんのか?」
「これはもう、世界滅亡の前触れじゃないかって、大変な騒ぎになってるのよ!」
「あのう、志保さん…」
「そこで! 新進気鋭のジャーナリスト、この長岡志保さんに、事態究明の任が下ったというわけよ」
「おめー、フリーとか言ってなかったか…?」
「わかった?! わかったなら、早速隆山へ向かうわよ!」
「まあ、隆山温泉に来られるんですか? その節は、是非とも鶴来屋をご利用下さい」
「………!!!!」
 
 その時突然、聞き慣れない声がした。
 すると、調子よくしゃべっていた志保がいきなり顔面蒼白に。
 
「浩之さん、ご紹介が遅れてすみません。こちらは柏木千鶴さんです。志保さんに急ぎの用事があるとかで来られたそうです」
 
 ふと見ると、いつのまにか、マルチが黒髪の美人を連れていた。
 
「そうですか。はじめまして、柏木さん」
「千鶴で結構ですわ、藤田さん」
「じゃ、オレも浩之でいいです」
「…あ、ああ、あああ…」
 
 志保はなんだか妙にびびっている。
 
「なんだ、どうしたんだ? 志保」
「千鶴さん、こちらが志保さんです」
「ええ、存じてますわ。はじめまして、かしら?」
 
 にっこり。
 
「あ、ああ、ああああああ・・・」
 
 志保は何も言わず、ただ震えている。
 
「志保。おめーなあ、無礼にも程があるぞ。こんな美人を、まるで鬼でも見るような眼で…」
「…ば、ばばばばばか! 言ったでしょう、千鶴さんは…」
「いえ、構いませんよ、浩之さん。五つ下の妹から、いつもそんな眼で見られてますから」
 
 にっこり。
 
「ほんとにすいません。無礼なやつで」
「いえいえ。それより、長岡さんに少しお話があるのですが…」
「ひいいいいっっっ!!!」
 
 志保がすくみあがる。
 
「長岡さん。ここではなんですから、外でお話しません?」
 
 にっこり。
 
「あああああんた、あたしの話、どの辺から聞いてたの?!」
「そうですね、『五十六憶七千万人・・・』くらいからかしら」
 
 にっこり。
 
「つ、つまり、一番やばいとこをばっちり聞いてたってわけね?!」
「あら、やばいって何のことです? その辺も、ゆっくりお話しましょうか」
 
 にっこり。
 
「ひいいい…。た、助けて、ヒロ!!!」
「はあ? 何言ってんだよ、鬼に命を狙われたみたいな声出して…。こんな美人と二人きりで話せるなんて、俺が代わりたいぜ」
「…浩之さん」
「ふふ、嘘だよ、マルチ。お前さえいてくれれば、俺はそれでいいよ」
「…ありがとうございます、浩之さん…」
「マルチ…」
「浩之さん…」
 
 俺とマルチは二人だけの世界に入った。
 
「代わる! 喜んで代わるわ! ヒロ!」
 
 志保の言葉など、当然聞こえない。
 聞こえたとしても、それは幻聴だ。
 
「さあ、志保さん。ここにいては、私達はお邪魔虫ですよ」
 
 ずるずるずる…。
 
「あ、あああああ、だれかあ、たすけてえーーー!!!」
 
 志保の断末魔の悲鳴らしいものが響いたが…
 
「マルチ、ずっと一緒にいような…」
「大好きです、ご主人様…」
俺とマルチには何も聞こえなかったのだった。