俺は藤田浩之。
 ごく平凡な大学生だ。
 今もごく平凡に買い物をしているところだ。
 いや、ひとつだけ、非凡なことがあるかもしれない。
 それは…
 
「うわー、見て下さい、浩之さん。桜が満開ですよー。綺麗ですねー」
 
 俺の隣を歩いていた緑の髪の女の子が桜の木を見上げた。
 
「そうだな。高校生の頃を思い出すな」
 
 舞い踊る桜の花びらを手に取ってみた。
 
「はい。今の私があるのも、すべて浩之さんのおかげです」
「いや、俺もマルチと一緒にいられた方が嬉しいからさ」
 
 今俺と話している女の子…マルチは、メイドロボだ。
 もともとは試作機であり、実験の一環として、俺の通う高校へとやってきた。
 ほんの一週間という短い期間ではあったが、色々なことがあった。
 そして一週間後、実験を終えたマルチは研究所へと帰っていった。
 もう二度と会えない、お互いそう思っていた。
 だが、俺が大学生になってから買った量産型マルチ…。
 それこそ、かつてのマルチだったのだ。
 マルチの開発主任・長瀬氏が気を利かしてくれたのだ。
 そして、俺は正式にマルチの主人となり、ずっと一緒にいられるようになったのだ。
 
「…あの、浩之さん?」
「ん? どうした、マルチ」
「あ、いえ…。浩之さん、なにか考え事をされてるみたいでしたから、どうされたのかな、と思いまして…」
「幸せに浸ってたのさ。マルチと一緒にいられる幸せにね」
「…はい。私も、浩之さんのおそばにいられて、すごく幸せです」
「うん…。ずっと、一緒にいような、マルチ」
「はい、浩之さん」
 
 桜の花びらが舞い散る中、俺達は手を取り合って歩いていた。
 
 
 
 その夜。
 
  カチャ、カチャ・・・。
 
 キッチンから、マルチが洗い物をしている音が聞こえる。
 当初は危なっかしかったが、今ではもう手慣れたものだ。
 俺はソファに座り、テレビを見ていた。
 この時間帯はこれといって面白い番組がない。
 だから、ニュースをつけていた。
 
「…近年、日本の国家予算において軍事費が占める割合が急上昇しております。専門家の意見では…」
 
  キュッ、キュッ、キュッ。
 
 水道を閉める音がする。
 程なくして、
 
  ぱたぱたぱた。
 
「洗い終わりましたよ、浩之さん」
「ん、ごくろうさん」
 
  なでなで。
 
 俺はマルチの頭を撫でた。
 
「…あ、ありがとうございます…」
 
 マルチはうっとりした表情になった。
 頭を撫でられるのが大好きなのだ。
 
「ありがとうございます、浩之さん」
 
 マルチが嬉しそうに俺を見たとき、
 
  ピンポーン。
 
 呼び鈴がなった。
 
「はーい」
 
 マルチが玄関に向かう。
 と思ったら、
 
「はあーい、ヒロ、元気ー?」
 
 聞き覚えのある声がした。
 続いて、
 
「あ、あの、すいませーん。浩之さん、ちょっと来ていただけませんかー?」
 
 マルチの困った声。
 
「…あいつか。一体何の用だ?」
 
 俺は渋々玄関に向かった。
 
「やっほー、ヒロ。久しぶりねーって、こないだ会ったばっかだっけ」
「…やっぱおめーか、志保。どうしたんだ?」
 
 笑顔で玄関に立っていたのは、高校時代のクラスメイト長岡志保だった。
 高校を卒業してからは会っていなかったが、先日偶然再会した。
 
「やーねー、もうボケたの? こないだ車をあげるって言ったでしょ? そのための書類をわざわざ持ってきてあげたのよ。感謝しなさいよね」
「く、車って…。おめー、本気だったのか?」
「もちろんよ。今のあたしにとって、車の一台や二台、大したものじゃないのよ。もともと貧乏なくせにメイドロボなんか買っちゃって、輪をかけて貧しくなった赤貧大学生に一台くらい恵んであげるわよ」
「…よくそこまで悪し様に言えるな」
「あら、事実でしょ? あたしの仕事は事実を伝えることだもの」
「おめーの口からはでまかせしか出てこねーと思うぞ、俺は」
「失礼ね! いつあたしがでまかせなんて言ったのよ?!」
「高校の頃、さんざん志保ちゃん情報に騙されたからな」
「なんですってえ?!」
「…あ、あの、お二人とも、落ち着いてください」
 
 やや険悪なムードになった俺達を、マルチが必死に仲介しようとする。
 
「…ま、いいわ。今日は口げんかをしに来たわけじゃないものね」
「だから、車なんていらねーって言ってるだろ?」
「言ったでしょ? 日本に車があったって、ほとんど意味ないのよ。別に捨ててもよかったのよ。だからあんたにあげる。ま、廃物利用ってことね」
「…そう言われると、なんか腹立つな」
「ま、気にしない気にしない。それより、ちょっと喉かわいちゃって…。なんか飲ましてくれない?」
「ああ、いいぜ。あがってけよ。色々話もしたいし」
「いらっしゃいませ、長岡さん!」
 
 こうして、志保を迎えたのだが…。
 これがそもそもの間違いだった…。
 
 
 
 ………。
「浩之ぃ! 飲んでるぅ?」
「おぅ、飲んでるぞぉ!」
「あ、あの、お二人とも、それくらいにしておいた方が・・・」
 
 すでに大トラとなった俺達にマルチの声は聞こえない。
 
「だいたいねぇ、あんたは優柔不断なのよぉ! そのせいで、何人の女の子が泣いたと思ってんのぉ?」
「はあぁ? 俺は女の子を泣かせた覚えなんかねぇぞ?」
「そこが駄目だってゆってんのよぉ! 超能力少女とか、格闘少女とか、オカルト好きとか、ハーフとか泣いてんのよぅ!」
「なんだそりゃぁ? さっぱりわけがわかんねぇぞ?」
「こないだ見たのよぉ! ボブカットの女の子が、『耕一さん…』ってゆって泣いてたわよぉ! 全部あんたが悪いのよぅ!」
「そおかそおか、そりゃあ悪かったなぁ! 俺が全面的に悪ぅい!」
「やっとわかったよぉねぇ! 今夜はてってーてきにあんたの悪事を暴くわよぉ!」
「おおぅ、すきなだけやってくれぇい!」
「あ、あの、浩之さん、明日のお勉強に差し障りが…」
「きゃはははは!」
「がっはっはっは!」
「あうううう〜…」
 
 かくして、狂乱の一夜は過ぎてゆく…。
 
 
 
  チュンチュン…。
  チチチ…。
 
「あの、浩之さん、浩之さん…」
「…ん…。もう少し…」
「いいんですか? もう九時半を過ぎてますよ」
「…な、なにっ?! 九時半を過ぎてる?!」
 
 俺は飛び起きた。
 窓からは眩しい朝日が射し込んでいる。
 気持ちのいい朝だ。
 だが、今の俺にそんな余裕はない。
 
「や、やばいっ! 今日の一講目は休めないんだ!」
 
  ズキッ!
 
「ぐっ!」
「ど、どうしました、浩之さん?!」
 
 頭を抱えてうずくまった俺を見て、心配そうな顔をするマルチ。
 
「…し、心配いらない。ただの二日酔いだから…」
「二日酔い、ですか?」
「あ、ああ。しばらくすれば治る。そ、それより…」
「なんですか?」
 
 俺はぐっすり眠っている志保に、ちらりと視線を流す。
 
「志保の奴を頼む。俺はすぐ大学に行くから…」
「はい、わかりました」
「じゃ、じゃああとでな、マルチ」
「はい、いってらっしゃいませー」
 
 俺は慌てて家を飛び出した。
 
 
 
「あ、浩之ちゃん。遅かったね」
「…お、おう、あかり…。ぜー、ぜー」
 
 やっとの思いで講義のある教室へ行くと、同じ講義をとっているあかりに会った。
 
「ど、どうだ…、なんか大事なこと、やったか…?」
「ううん、これからだよ。ちょうどいい時に来たね」
「そ、そうか…。よかった…」
 
 俺は息を整えつつ、、あかりの隣に座った。
 
「どうしたの? 今日は遅れるなって、さんざん言われたよね」
「あ、ああ、ちょっと理由ありでな…」
「理由?」
「…、あとで説明するよ」
「うん、お願いね」
 
 それきり、俺達は何も会話せず、真面目に授業を受けた。
 
 
 
「え? 志保が?」
「ああ、そうなんだ。昨夜いきなり押し掛けてきたんだよ」
 
 大学からの帰り道、俺とあかりは並んで歩いていた。
 
「そんで、朝方まで酒飲んで騒いでたんだ。おかげで遅刻しちまったけどな」
「志保、元気だった?」
「ああ、元気元気。なんであいつはああパワフルなのかねえ」
「それが志保のいいところじゃない」
「悪いところでもあるぞ」
「そんなことないよ」
 
 話していると時間の経つのが早い。
 いつのまにか、家の近くまで来ていた。
 
「あかり、家に寄ってかないか? 多分まだ志保がいると思うぜ」
「うん、そうだね。じゃ、お邪魔させてもらうね」
「ああ。大歓迎だぜ、あかりならよ」
「え…」
 
  ガチャッ。
 
 俺は入り口のドアを開けた。
 
「マルチー、ただいまー」
「はーい」
 
  ぱたぱたぱた。
 
「お帰りなさいませ、浩之さん」
「おう、ただいま」
「こんにちは、マルチちゃん」
「いらっしゃいませ、あかりさん」
「志保の奴、いるだろ?」
「ええ、いらっしゃいますけど…」
「けど? どうしたんだ?」
「頭が痛いとかで、ずっと寝てます」
「まったくしょうがないなあ。馬鹿みたいに大酒喰らうからだ」
「まあまあ。それだけリラックスしてたってことだよ」
 
 俺達は志保が雑魚寝している居間へと向かった。
 
「あーあ、熟睡してやがる。こりゃ、しばらく起きそうもないな」
「よく寝てるね、志保」
「だいたいお昼くらいから寝てらっしゃいます」
「じゃ、夜まで起きねえな、こいつの場合」
「まあいいじゃない。ゆっくり寝させてあげようよ」
「あかり、帰らなくていいのか?」
「すぐそばだもん、電話しておけばいいよ。浩之ちゃん、電話貸してくれない?」
「ああ」
「ありがとう。じゃ、電話してくるね」
 
  とたとた…。
 
 あかりは玄関へと向かった。
 我が家では、今時玄関前に電話が置いてあるのだ。
 
「浩之さん。晩御飯、何にします?」
「んー、そうだなあ。多分、志保の奴も食ってくんだろうな」
「そうですね」
「こいついつ帰るんだ? 国際ジャーナリストとか言ってたんだがな」
「わあ、なんかかっこいいお仕事ですねー」
「本人は全然かっこよくないぞ」
「…誰がかっこよくないって?」
「げっ、志保、起きたのか?!」
 
 志保はムクリと起きあがった。
 
「で、何の話? あんたがいかにかっこ悪いかについて?」
「…おめー、話を聞いてなかったのか?」
「今起きたばっかだもの、聞けるわけないでしょ」
「あ、そうかそうか、ならいいんだ。あはは…」
 
 俺は密かに胸をなで下ろした。
 
「それより、お前、いつまでいるんだ? 晩飯食ってこう、とか思ってないか?」
「あ、そうそう、それよそれ」
 
 志保が身を乗り出した。
 
「はあ? それって?」
「あたしが国際ジャーナリストになったってこと、言ったわよね。普段はいろんな国を飛び回って、滅多に日本には来ないのよ。それが、何で来たと思う?」
「うーん、骨休めとか?」
「馬鹿ね。そんなことしてる暇なんてないわよ。世界は日夜揺れ動いているのよ。あたしのような凄腕のジャーナリストにとっては、毎日が時間との戦いなのよ」
「凄腕…? エセモノ、の間違いじゃねえのか?」
「あ、浩之さん、いけませんよ」
「なんか言った?」
「あ、いえいえ、何も言ってません、はい」
「とにかく。あたしが来たのは、面白い情報を仕入れたからなのよ」
「また、志保ちゃん情報か…」
「それを調べようと思うのよ。で、ついでにあんたにも手を貸してもらおうと思ってね」
「はあ? なんで俺がそんなこと…」
「まあいいじゃない。どうせ暇なんでしょ?」
「バイトがあるの!」
「あら? あんた、明日は休みじゃなかったかしら?」
「ああ、確かに休みだけど…って、何で知ってんだよ?」
「あたしの情報網をなめてもらっちゃ困るわね、ヒロ」
「う、うーむ、やるな、志保」
「志保さん、すごいですー」
「ふふん。国際ジャーナリストになるための資質、とでも言っておきましょうか」
 
 志保は得意そうな顔をした。
 
  とたとたとた…。
 
「ただいまー、浩之ちゃん。長電話しちゃってごめんね」
 
 あかりが戻ってきた。
 
「おう、あかり。志保が起きたぞ」
「あかり? 懐かしいわねー」
「志保、起きたの? 久しぶりだねー」
「わあ、感動の再会シーンですね、浩之さん」
「そんなオーバーなもんじゃねえって」
「そうよ、マルチ。良くわかってるわね。これは感動の再会の場面よ」
「そ、そうなの、志保?」
「おい、志保…」
「やっぱりそうですかー。前にテレビで見ましたー」
「このあとは、みんなで宴会っていうのが定番なのよ。宴会よ、マルチ!」
「はいっ! わかりました! 早速準備します!」
 
  ぱたぱたぱた…。
 
 マルチはキッチンに飛んで行った。
 
「おい、志保、お前まだ飲み足りねえのか?」
「まあまあ。あたし、ここしばらくお酒飲んでなかったのよ」
「あのな…」
「ね、いいでしょ、あかり。久々の再会を祝して、乾杯!」
「う、うん、浩之ちゃんがいいなら…」
「別にいいわよね、浩之? たまに会った旧友同士が杯を酌み交わすくらい」
「ま、いいけどよ…」
「よし、これで決まり! 今夜は宴会! 明日はあたしの調査!」
 
 志保は勝手に決めつける。
 
「おい、ちょっと待て。俺はまだ手伝うともなんとも…」
「あかり、ついでにあんたも手伝ってよ。明日は大学休みでしょう?」
「う、うん、いいけど…」
「もちろんマルチも計算に入れてるからね。よろしくね、浩之」
「だから、俺は…」
 
 俺は志保に抗議しようとするが、ヤツは俺の言葉など、当然聞かないのだった。
 
「マルチー! 準備できたあー?!」
「はーい、もう少々お待ちくださーい!」
「…なんか、前にもこういうことがあったような…?」