4-2ミケランジェロ「勝利」
 さて、次の図像はB.ミケランジェロ「勝利」という彫刻です。2人の人物がいるので、さっきの例から何となく想像つくかも知れません。これなんかも「天上的愛」と「地上的愛」を表したものです。
 ここに描かれている青年はローマ貴族トマーゾ・カヴァリエーリという青年をモデルにしたものと言われています。このカヴァリエーリをミケランジェロは愛したのですが、彼はカヴァリエーリに寄せる自らの愛情の中に見られる二つの層、すなわち「天上的な愛」と「地上的な愛」のあり方をこの「勝利」の群像の中に込めたのだとされています。
 この青年はカヴァリエーリ、青年に組み伏せられている敗者は当時57歳のミケランジェロであるとされています。

 以下に、若桑氏のこの彫刻の批評を引用します。
「しかし、実際はこの2人の人物は「たたかって」はいない。明らかに「地上の愛」を意味する老人は大地に組み敷かれて身動きもできない状態にいるが、彼は、もしそうしようと望めばこの若者をいつでもひっくり返すことが出来るほど強壮に見える。
 また引きのばされたプロポーションをもつ若者の方は、その不安定な姿勢のために、敗者よりも特に強そうには見えず、勝ち誇っているようにも見えない。
 パノフスキーはそれが「自らの勝利によって悲しみに沈んでいる翼のない勝利像」と表現している。私にはそれが悲しみに沈んでいるようには見えないけれども、勝ち誇っているようにはさらに見えない。
 彼は明らかに老人よりは強いが、しかしその弱さが物質的な力では決してないことは確かだ。老人の体が、粗石のように「未完」で、いわば土台のように見え、青年が優雅にほっそりと作られていることも、両者の示すものが、それぞれ存在の別の段階であることを示しており、老人は、戦いの結果下に置かれたのではなく、存在のヒエラルキーの上下によって下にいるのだということが察せられる。

だが、老人の体の異様な屈折は、青年の姿態をゆるやかに伝わる上昇する螺旋状の運動の震源地となって、両者はフォルムの上ではいかなる分断もなく、緊密な一体となって「蛇のように、または、炎のように」上昇する三角形を構成している。そのことは、相対しながら左右にわかたれていたティツィアーノの「ふたりのヴィーナス」とはまさしく逆の着想を示している。」(80〜81p)

 もはやここには、二つの愛の調和を平穏に描こうとする意志は見られません。「地上的愛」は「天上的愛」とのかけ離れたあり方に苦悩しながら、しかし互いに「愛」であることによって結ばれている。「天上的愛」の輝かしさに組み敷かれ、大地に目を落とすことしかできない状態にありながらも、「天上的愛」と結びつくことによって存在の連続の中に身を置いているわけです。

  ティツイアーノの一種楽天的とも言えるルネサンス的プラトニック・ラブに比べて、ミケランジェロの描いたプラトニック・ラブは、個人の魂の中に生まれる葛藤や、単純に天/地の二分法で固定できない新プラトン主義の不安な側面を前面に押し出して、より複雑なあり方を示しています。

 これが作られた1532年にはイタリア半島は神聖ローマ帝国とフランス王国の勢力争い、いわゆるイタリア戦争の舞台となっていました。一般に、イタリア・ルネサンスの文化が終わったことを象徴する事件として名高い、神聖ローマ皇帝カール五世によるローマ侵略・略奪事件、「サッコ・ディ・ローマ」、これが1527年の出来事です。ミケランジェロのフィレンツェではまた、市民による最後の共和制政治が、皇帝と結んだメディチ家によって倒されました。これが1530年。この彫刻の完成する二年前の出来事です。
 こうした時代背景から、ミケランジェロの作品に現れる変転への不安とか、世界の矛盾に対する感想を伺い知ることができます。
 なお、このころヴェネツィアに生きたティツィアーノは、まだ共和制を存続させ得ていたこの地の空気の中で、最後のルネサンスの光を発していたと若桑氏は書いています。

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