《伊澤代表&専任講師ってどんな人物?》
略歴:
栃木県生まれ;
大学時代以外は、栃木に住んでいます。
田舎生まれで田舎育ちです。田舎者なので、
都会暮らしは、どうも性に合いません。
幼少時代;
小中学校時代は、 とにかく毎日遊んでいました。
日々の宿題は、帰りがけに、川に捨ててしまい、
やっていかなかった記憶があります。
夏休みなどの宿題も見かねた
母親がやってくれていました。
小さい頃から、人に理不尽に物事を強制されるのは
嫌いだったようです。
宿題をやる意味が分からなかったので、
しませんでした。
小学校の頃は、毎日、家に帰るまでは、
買い食いは禁止だったので、一旦帰宅して、
ランドセルを投げ捨てお小遣いを貰って、
また、学校まで行き、学校の隣の駄菓子屋で物を買い、
見つけた友人と草野球やメンコや
かくれんぼなどをしました。
休日は、近所でまた誰かを見つけて、人数に合わせて、
山遊び川遊び探検ごっこに戦争ごっこ、
夏は、虫取りやプール、冬は、スケートや雪合戦、
日が暮れて家に帰ればテレビに漫画。
父親はガテン系の仕事でしたし、
母親も良い意味で放任主義でしたので、
勉強しろなどとは一言も言われませんでした。
もっとも、私に限らず、当時は多くの少年が、
原作のサザエさんに出てくるカツオのような
少年だったと思います
(宿題をやらない生徒は少なかったかもしれませんが,,,)。
中学時代は,最初テニス部に入部しましたが、
理不尽なパワハラをする先輩が2人いたので、
3ヶ月ぐらいでやめました。
その後は、帰宅部で、
また、 何かと遊び呆けていました。
受験が近づいた中3になっても、
学校帰りに、自宅とは逆方向にある
ボウリング場に、友人3人ぐらいで行き
毎日のようにピンボールゲームをやっていました。
金はありませんでしたが、
当時のゲーム機はいい加減でしたので、
お金がなくても裏技で遊べました。
そんなことを卒業間際までやっていました。
高校時代;
あまり進学校ではない普通の県立高校に
真ん中ぐらいの成績でなんとか入学できました。
中学校時代の友人の多くが、
中卒で就職していましたから、高校に入れただけでも、
良かったのですが、普通科でしたので、
このままでは良いところに就職できないと思い、
一念発起して、勉強というものを
初めて本格的にすることにしました。
急にやりだしたので、
父親に「そんなに勉強してどうするんだ!」
と怒られたことを思い出しました。
勉強は、中学校時代は定期テスト前の
一夜漬けだけでしたので、
最初は全くやり方が分かりませんでした。
また、小中学校のサボりのつけで、
暗記科目が全くだめでした。
特に社会や英語、漢字の書き取りはひどかったです。
でも、色々試行錯誤したり、小学校の教科書を買って、
1から勉強し直していくうちに、
徐々に成績が上がりました。
高2の3学期の学研や旺文社の模擬試験
(当時はその2つがメジャーな全国模擬試験でした)
では、冷やかしに書いた東京大学の理科1類や
京都大学の理学部の合格可能性が
50%にまでなりました。
でも、その後の油断と浪人はできないという
経済的な理由と最後は社会の日本史・世界史の
暗記部分の致命傷の結果、
高校で初めて習い暗記の少ない倫理社会で受験できる
北海道大学を受験しました。
北海道大学卒;
30年以上も前ですから、
今の札幌とはかなり違います。
札幌駅から徒歩5分ぐらいと立地条件は
良いところだったのですが、窓は隙間だらけで、
冬は家の中にあるインスタントラーメンの
残り汁が凍るぐらいの寂しい6畳1間に住んでいました。
トイレ・水道は共同で汲み取りボットン式でした。
風呂は無く、歩いて10分ぐらいの銭湯に行きました。
冬はアパートに帰るまでの間に髪の毛が
バリバリに凍ります。鼻毛も息を吸うと凍り、
吐くときに溶けます。
でも、当時はそんな暮らしが当たり前
と思っていましたから、辛くはありませんでした。
むしろ、雄大な自然と開拓精神でたくましく、
他人には優しい北海道の人々に触れて、
良い意味で人生観が変わりました。
北大に行って良かったと思いました。
当時の北大は、
入学時には理類というところに500人以上が入学し、
2年の中間地点で成績と希望で学科を選ぶスタイルでした。
入学時には、物理学科志望でしたが、
暮らすうちに自然の研究に興味が移り、
林学科を選びました。
元栃木県庁上級職員;
年功序列の世界ですから、
傍から見るよりストレスの多い仕事です。
特に北海道でのんびり暮らしていた自分には
ストレスを強く感じました。
当時、ストレスが原因で自殺する県職員が
年間5〜10人ぐらいいたそうです。
実際、私の勤めていた職場でも、
仲の良かった就職して2年目の上級職の後輩が
自殺しています。
他人事ではありませんでした。
公務員を辞めた最大の原因です。
理不尽なパワハラをする上司が多かったのも
辞めた理由の時一つです。
相談なしに辞めたので、
身内にはひんしゅくものでしたが、
辞めてすっきりしました。
元進学塾講師;
30歳台はこの仕事をしていました。
小学生から高校生までに主に算数・数学・理科
を教えていました。
私は、学歴偏重主義者ではありませんが、
まるでロールプレイングゲームのように、
最初は普通の子が、自発的に勉強するようになり、
徐々にレベルアップして東大などに
入るのを見ているのはこの仕事の醍醐味でした。
授業時間とその前後1時間のミーティング以外は
基本的に仕事がありませんから、
時間がたっぷりありましたので、
この時期に解錠の研究と解錠のサイドビジネス
をしていました。
人に教える仕事と鍵の仕事を合体させよう
と思いたち、塾を辞め、
今の仕事を本格的に始めました。
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