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2002年12月のサイト鑑賞

ひとちがい?

2002.12.19

ところで,Maro's...memo?のふむ12/19 00:19見て気がついたんだけど,胡桃の中の航海日誌のMaro's...memo?に対する言及に書いてあるてか,こっちも品性お下劣破廉恥極まりない言葉で云えば,いい歳こいてX-Menって,私にかな?

リンクと連絡

2002.12.19

FFXI熱覚めやらぬ中,久々にFFやらずに連日文章を書いたわけですが,胡桃の中の航海日誌の2002-12-18-Wed 冬休み/いやはや/空メールの□ 戦い終わってによると,祭りも終わったようです。興味のある方は,U-Z氏の誤解をするのはいつも決まって自分以外の誰かに関連文書リンク集があるので,どうぞ。

で,感想戦というか,気になったこと。

胡桃の中の航海日誌の2002-12-18-Wed 冬休み/いやはや/空メールの□ 再燃より。

と言ふか、そもそも自分はきゅうじげんりしゅぎと極附けながら、リンクを張つて具體的に何處の誰がさうであると指摘もせず、相手に反論する機會も與へなかつた御仁が、「どうして俺のところにリンクを張らないんだ。反論できないじゃないか。失礼だ」と怒るのは、どうか(してゐる)と思ふ。

と、反論すれば先ず、リンクは張っていましたゆえに、反論する機会は提供したはずで、十分反論なさってる。どこかに偽りがあるなら指摘していただきたい。

リンクを張らない「闇黒日記引用」をされたのに対して「どうして俺のところにリンクを張らないんだ。反論できないじゃないか。失礼だ」(野嵜さん訳)と僕は云ったのに、ここで何故「リンクを張つて具體的に何處の誰がさうであると指摘もせず」ということが問題になるのか解りません。リンクは張っていました。

偽りではなく,勘違いがあると思います。

簡単に説明しますと,リンクを設けることは,著作者への連絡にも,通知にも,(もちろん許可の受託にも)なりません。先にも書きましたが[see 引用と著作権],リンクは対閲覧者のためのもので,対著作者のためのものにはなりません。

リンクが連絡になるなら,Microsoftのサイトへのリンクを張って,「貴社のソフトの複製を作って頒布したいと思います。つきましては許可を頂きたい。不許可の場合は某月某日までに返答をください。」という文言をサイトで公開して,期日がきたらワレズ許可が下りてしまいます。そんなわきゃないでしょう。(この事例,別の観点で穴がありすぎだけど。)

連絡もなしに,いずし氏がおっしゃる機会を提供したことにはならないかと。

アクセス解析でもかけていれば少なくとも言及されていることがわかるという観点から,最低限リファラチェックしている人には連絡した,という姿勢なら,それはそれでいいと思います。しかし,その数も割合も,IEを使っていない人のものより少ないと思いますよ。あたかも,誰にでも判るようにしたかのものいいは,IEのシェアを盾に闇黒日記式引用を批難した方の言葉とは思えませんが。

というか,本当はリンクなんか設けなくても,公開した時点で反論の機会は提供しているのですけどね。(だから,リンクは必須じゃないと言っている訳で。)

Web上での引用のやり方について

2002.12.18

きゅうじげんりしゅぎ論争の著作権部分について,ねこめしにっきの「W3Cなんてそもそも知らないし」 (2)で紹介されていた文章を読んだ。如星的茶葉暮らし・神慮の機械の【2002-12-17-火】から。

「技術仕様的には引用元の明示が完了」、この場合はW3Cの勧告する技術仕様に則ったblockquote要素におけるcite属性の記述を行えば、「引用に何の問題もない」かどうかは現時点ではまったく判断できないのでは。それは技術的な仕様に則っただけであり、本当にそれが著作権法第三十二条(引用)及び第四十八条(出所の明示)に合致すると明言する為には、該当する判例が必要になると思われます。第四十八条に定める「利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度」に果たしてcite属性が認められるのか。

以前にも書いたとおり[see 出所の表示,re:出所の表示],この意見には全く同意。

でも,これを受けたいずし氏の意見って,仕様が実装されない以上,必然的に人力に頼らざるを得ないというのが今の現状だと思いますってことは,ある意味,cite属性のみによる出所の表示(a.k.a.闇黒日記式引用)を肯定してませんか?

それに,ディベロッパーの観点からの言及というのが,尤も,幾ら「正しい」と云ってもcite属性のみではねえ…。web構築を生業としていますが,そんなユーザビリティの低いもの,恥ずかしくてクライアントに見せられませんよというツッコミなわけですが,ユーザビリティの話をしているweb技術者さんなら,ここで言っているのはCITE要素での明示のことでしょうし,いずし氏の考えているものとは違う気がしますが。それに,「(4)「出所の明示」がなされていること」が守られているとはいえないともいっていないし。

まぁ,それでも,リファラーを取れないことを正当化するために,いずし氏がHTMLの仕様への文句や著作権を絡めて言及したことで混乱していた論点が,リンク問題,著作権問題,HTML仕様問題,きゅうじげんりしゅぎ問題と分離したみたいなんで,ここいらで,漸く皆が理解できる議論があらわれてきたように思いますここに来て,漸くマトモな論議が見れそうに思います。よかった。というか,その時点で,いずし氏は著作権議論と関係ないか。

さて,如星的茶葉暮らし・神慮の機械の文章を見ていくつか。

先ずは【2002-12-17-火】から。

下手をすれば、cite属性を表示できないブラウザのシェアが95%を超えているという事実を前に、それらブラウザでも利用者が意識する事無く明示的に表示される方法を伴わなければ認められない、と裁定が下る可能性もあります。

私も司法において,cite属性のみでの出所の表示では足りない,と判断される可能性があるとは思っています。しかし,その可能性は,そう高くないのではないかと考えています。

というのは,現実世界においてすら,出所の表示は,引用部分に近接して書かれ,閲覧者が意識なしでも確認できなければいけないものではないからです。

論文などでは,出所の表示を文書の最後にまとめて書くことも容認されています。当然のことながら,論文でもそういう書き方ばかりではなく,引用部分の近くに書いて,閲覧者がわかりやすく表示することもあります。つまりは,引用文を書く人が,出所の表示方法を統一して,差別なく行うことが重要だと考えます。

もうひとつ,【2002-12-18-水】から。

この場合、明示方法の妥当性の対象者は「閲覧者」です。そうすると、大多数の閲覧者が見られない、というのは悲しいながらも事実であり、引用者が閲覧者の95%がそれを見ることが困難であると知っていたにも関わらず、技術的仕様に基づいているとは言え閲覧の困難な引用元の明示を行った、という点が争われるのではないでしょうか。

そこが争点となる可能性についても同意。ただ,マウスカーソルを引用部分の上に動かすという簡単な動作で引用元の文章名が表示されることも知っていた,という点も一緒に争われるでしょう。もちろん,ここで表示されるのはtitle属性の内容ですから,それが出所の表示かどうかは定かではありません。しかし,CITE要素ですらないアンカーが出所の表示と認められるのならば,こちらも認められる可能性が高いのではないでしょうか。

ちなみに,「技術的仕様を満たしていれば安全だよ」というのは,万が一の時にはちょっと危ないんじゃないかという意見には全く同意です。ですが,それを盾に,CITE要素の併記を主張できないのが私の悩みどころなのです。

引用と著作権

2002.12.17

先に書いた論争(a.k.a.きゅうじげんりしゅぎ論争)[see ひらがな]について,どうもやっぱり気になったので割愛した部分を書くことにします。

胡桃の中の航海日誌の2002-12-16-Mon似キ非ントリック短歌チック/W3Cなんてそもそも知らないし/闇黒日記への言及/窪田顕範さんのツッコミよりの□ 闇黒日記への言及だけを読んでても,野嵜氏の言葉だけしか書いてなく,その元になったいずし氏の言葉がないため判り難いので,順番に引用していきます。

まず,胡桃の中の航海日誌で,14日にこの様に書かれました。

僕は、引用方式の正当性を主張しているのではなくて、貴方の引用方式だとこちらが引用されていることを知ることが出来ないと云っているのです。そういう意味でフェアーじゃあないと云われたらどう反論しますか。

で,これに対して闇黒日記では次のとおりの回答。

引用された事に被引用者が氣附かなかつたからといつて、問題はありません。フェアではない――そんな事は知りません。引用は、引用なんだから、いずしさんに氣附かれなくたつて、全然問題ないものです。こちらは、こちらの都合で引用しただけですから。

實際のところ、「俺の氣に入らない事をするな」と凄まれて相手が引つ込まなければならないとしたら、言論の自由と云ふものは消滅するのではないでせうか。

もう一つ,胡桃の中の航海日誌ではこうも書かれていました。

今回はたまたま僕が見ていたからわかったものの、自分が書いている文章がどこか知らないところで論われているのはちょっといただけない。

で,これに対しての闇黒日記の反応は次のとおり。

私だつて、自分の事を蔭で批評されれば嫌ですが、公開の場に文章を晒してゐるのだから、どこで何を言はれようが、仕方のない事でせう。他人の口に戸は立てられません。決つてゐるぢやないですか。嫌なら、他人に讀まれる處に文章を公開しなければ良いのです。

で,以上の流れを汲んでの胡桃の中の航海日誌の反応が次のものです。

自分の事を陰で批評されるのは嫌だが、自分は人のことを影で批評してかまわないということですね。web上に文章をさらした以上何処で何を云われようが仕方の無いことであるという事実はわかりますし、そんなことは心得ています。2chの書き込みに、「訴えてやる!」なんてことは云いません。しかし、ウェブ上に一つの個性をもつ人物が、の事実を盾に自分が誰に対して何を云っても構わないと云えるというのは、ちょっといかがなものかと思います。

この展開で,どうして最後の感想が出てくるのか,正直判りませんが。

さて,胡桃の中の航海日誌の著者のいずし氏は,著作権法を勘違いしているものと思われます。

著作権法では,第32条で引用をすることが認められていますが,第48条で引用する際には当該各号に規定する著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならないと規定されています。つまりは,32条では著作権及び著作者人格権の内の公表権については引用の場合は制限されると規定し,48条では引用においても公表権を除く著作者人格権を認めるという規定をしている,と考えられます。(引用元の明示によって,著作者の氏名や内容の同一性が確認できるため)

公表権も複製権も制限されている以上,引用の有無を著作者が知る権利は保障されていません。この時点でこちらが引用されていることを知ることが出来ないという主張が意味のないものだとわかります。

「闇黒日記引用方式」がフェアではない、と云ったのは間違いだったとも思います。郷にいれば郷に従え、自分の方法を使うよう主張するのなら、相手の使う方法についても考えなければなりませんでした。コミュニティーにはそのコミュニティー独特の方法があると云うことを認識しておくべきでした。傲慢な態度だったと思います。

どうもアレクセイ氏のように,自分の仲間内のローカルルールの方が,世間の慣習や法律よりも一般的だと勘違いしている気がしてならない。この書き方だと,ある特定のコミュニティでのローカルルールがあれば尊重しないとね,って意味に読めるンですが。穿った見方をしていますか?

web世界上ではリンクを張ることができるとしても,web世界を内包する,より広い世界である現実世界においては,(たとえば書籍などで引用するときなど)リンクなど出来ないわけで,引用においてリンクをしない方が,より一般的といえます。つまりは,リンクを張ることの方が,よほどローカルルールだということになります。

また,当然のことながら,現実世界での引用においては,アクセス解析でもかけていれば少なくとも言及されていることがわかるなんてことだってできるわけがありません。

そういう意味で,自分の文章を言及されることに対して意識している人であればリファラーくらいは確認するでしょうからなんて主張は,ある意味的外れともいえます。現実世界で文章を書く人は,こんなこと出来ないのですから,自分の文章について意識していないってことになってしまいます。著作権法がwebの登場以前に成立している事実から考えて,そんなことはありません。

なので,引用文とアンカーに必然的な関係はないってのは,どう考えても屁理屈としか思えませんというのは,屁理屈としか思えません。

というか,リンクは閲覧者のために原典の参照をしやすくするためのものです。閲覧者のためにリンクを設ける是非について論ずるのならともかく(この手の論争はこれまでも数多くあるやに思います),自分がリファラチェックしにくいという事実を盾に,人の文書にリンクを強要するというのは,ちょっといかがなものかと思います。

ひらがな

2002.12.15

で,先にも書いた[see STORM]全文ひらがな日記についても,せっかくだから書いておきます。

胡桃の中の航海日誌2002-12-08-Sun2002-12-13-Fri2002-12-14-Satあたりの話と,闇黒日記の平成14年12月13日から平成14年12月15日あたりの話です。

要は,正字正かなで書かれた文章が読みづらいので,それに抗議して全文ひらがなで書いたらしい。

実は私が興味を持ったのは,著作権について書かれていたからだったのですが,それについては私が言いたいことは全て闇黒日記で書かれていますので,割愛。

と,これで終わっては書きはじめた意味がないので,門外漢ながら,正字正かな論争について,思ったこと。

全文ひらがなの文章と,正字正かなで書かれた文章を比べて,どっちが読みやすいかを論じても意味がない気がします。漢字が入っている方が断然読みやすいし。

もし比べるなら,新仮名遣いの全文ひらがなと,正仮名遣いの全文ひらがなを比べないと,同じ次元での議論にならないのではないかと思うのですが,如何。

ちなみに,読み比べて判りやすいのはどっち,という判定は,個人的には次の結果です。

この結果から言えることは,私は難しい漢字を読めない,ってことのようです。

STORM

2002.12.15

闇黒日記の平成14年12月13日で,胡桃の中の航海日誌というサイトが全文ひらがなで日記を書いているような話が載っていた。見てみると2002-12-13-Friに興味深い文言を発見。

STORM萌え

おぉ,同好の士か,と思ったら,訳のわかんない内容でした。一応STORMのオフィシャルサイトってものも紹介されてたけど,ActiveXが云々とかいううざいメッセージが出るので,見てないし。要は時計屋さんなのね。興味なし。

さて,私が個人輸入している方のSTORMですが,久々に映画情報を見てみたら面白いことに気がついた。IMDbでX-MENを調べると一作目ニ作目の情報が出てくるのだが,見比べると,一作目ではキャスト紹介が6番目だったSTORMが,ニ作目では4番目に昇格している。しかも,STORMよりも上位は,主役のWolverineと, Patrick Stewart演じるProfessor X,Magnetoの三人のみ。この三人じゃ,しょうがないので,大出世だ。やっぱ,オスカー女優は違うな。

今後もX-MENには是非出つづけて欲しいのだが,売れてくるとこれ以上は難しいかなぁ。やっぱ,STORM主役で映画作ろうよ。俺は見るぞ。

呑み会

2002.12.08

言葉 言葉 言葉の正字正かな掲示板に12月 8日(日)02時12分15秒付けで野嵜氏が書き込んだ内容から。

酒禁止。煙草禁止。カラオケ禁止。隱し藝禁止。2ちゃんねらー用語禁止(重要)。

……と云ふ非常に健康的な忘年會を年末に開催したいと思つてゐるのですが、參加希望者は存在しますか。

無理だ。カラオケは,まぁなくても我慢出来るけど,酒ナシは絶対に無理だ。

というか,2ちゃん用語禁止にまずもって引っかかりそう。意識してないけど,たぶんつい使っちゃっていそうで。

顔文字も2ちゃん用語も嫌いだった筈なのに,いつの間にか普通に使うようになっているもんなぁ。慣れってのは恐ろしい。

ところで,健康的な忘年會であるのには全くもって同意なンですが,ある意味健全ではない気がする。酒を呑まない忘年会が悪いという話ではなく,酒を禁止しなければいけない事が。

まぁ,そんだけ酒呑んで莫迦やる奴が多いって事なのかなぁ。嘆かわしい。

もっとも,私みたいに,翌日の夕方でもまだ吐いているような呑み方してるようじゃ,禁止されてもしょうがないんだケドさ。でも,人様に迷惑はかけていない筈。家のものには迷惑かけまくってるけど。

掲示板の書き込み

2002.12.08

FFXIやっててネタ的に遅くなっちゃったけど,ホテルジャンキーズクラブ掲示板の控訴審の判決が出た。というか,上告されなかったので判決が確定したらしい。

この事件については,ホテルジャンキーズ掲示板で起きたことなどが詳しいのでそちらをどうぞ。

ホテルジャンキーズ側の言い分には,色々と笑えるところがあって,この判決文を読むとき,おかしくてしょうがなかった。これって本気で言ってるのかなぁ。

インターネット上の書込みに著作権といった法的な権利を認めると,それを利用する行為を著しく妨げる結果となり,かえってその機能を没却することになり,それを書く者の実状からみて,それに著作権を認めるだけの実質的な根拠がない場合も多いとか,著作権法の予定する著作権は,創作者が,これは自分の創作した意見表明である,と世間に明言して,広く不特定多数の者に対して権利を主張するとともに責任をも負う仕組みであり,自らの正体を隠して発言するインターネットにおける匿名の発言にはなじまないとか。

案の定,膨大な表現行為が行われているため全容の把握が困難であること,匿名で行われた場合に表現者の承諾を得るのが困難であること,対価が得られないような程度の内容の表現行為が多く見られることは,インターネット上の書込みに限られず,他の分野での表現についてもいえることであるなんて裁判所に諭されてるし。署名のない著作物に著作権が適用されるなんてのも,常識の範囲だと思ってたけどなぁ。

さて内容だが,賠償金の算定の点で第一審よりは納得出来る内容。一審のは,見ててちょっとどうだろうと思ってたし。

文責,その他

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