とりあえず「ソンパのどこそこへ」と言ってみたがわからないらしいので、 前回の要領で行くつもりで「まずホス(湖水)を越えて左に曲って・・・」と言ったが運転手は首を傾げて、 「そこはソンパのどこそこじゃない」と言う。そしてホスを越えて直進してしまう。 「ここ左へ!」と言ったのに「いや、ここ曲ったら違うところへ行く」などと言う。 まぁ、次の交差点でもいいか、と思ったらその通りに左折してくれたので安心していたら、 また意見が衝突した。「左へ」と自分が言うのに「ソンパのどこそこはこっちだよ」と、右折してしまうのだ。 「違う違う」と言い張ってUターンさせて適当なところで降りた。 金を払って釣り銭をよこすときまでブツブツ言っている。「ここはソンパのどこそこじゃないんだが・・・」 無視してタクシーを降りて歩き出した。過去にこの辺りを無意味にほっつき歩いた経験が、いま役に立って、 本能のままに右に左に曲ったら懐かしい通りに出た。「ほら見ろ!」と日本語でつぶやいてビルラの階段を上った。
ハラボジもハルモニも、日本から帰ってくるのは明日の晩になる。ユジョンはサマーキャンプに行っており、 帰りはこれまた明日の夕方だという。したがってここにいるのはヒョン夫妻とテジュンだが、 中に入るとヒョンの友達夫妻が遊びに来ていた。ヒョンの友達は、去年初めて韓国に来た時にいっしょに飲んで以来だが、 いつのまにかヒョン同様、失業中の身となっていた。妻子持ちの上に失業中・・・今の自分には二重に心情推察が難しい。 しかし自分が「大変ですねぇ」などと言ったところで、事態は何も変わらないので黙っていた。 また、「大変ですねぇ」に相当する韓国語がよくわからなかったためでもある。いくつか浮かぶ言葉はあるにはあったが、 どうも軽すぎるような気がした。「元気出して」と言おうかと思ったが、こんな場合に適切な言葉かどうかわからなかった。
ヒョンの友達がキッチンでごそごそやったかと思うと、自分が今朝2つも食べたものを持って来た。 素手で受け取ってしまってから「いらない」というのもなんなので食べたが、「マシッソヨ」とは言えなかった。 この人とはこれから毎日のように会うことになるが、いつもなにか面白いことを言って周囲を飽きさせない。 この時も韓国の有名な観光地名を次々に挙げて、自分が「行ったことがない」と答えると、 そのたびに「心配するな、俺もない」と言う。周りは大笑いしており、自分もつられて笑ったが、 よく考えるとどこがどう可笑しいのかわからない。たぶん彼のしゃべりのリズムが面白いんだと思う。
ハラボジからその話を聞いたのは去年の秋だった。「親戚の息子を紹介する」と日本語で言われたので、 当初は男だと思っていたが実は娘さんだったのである。何度も聞かされては消えていた話だったが、ついに会うのか。 だがこういうのはちょっと疲れる。仮に正式な見合いのような形にしてしまうと、気に入らなかった時に困るのだ。 もし相手が自分を気に入らないのなら、ちょっとバツは悪いが少なくともこっちには、申し訳ないことはなにもない。 逆にこっちで気に入らない場合にどう答えていいものかわからない。曖昧なのはもっといけないような気がする。 「会ってみたいけど、見合いをするなんて気持ちはまったくないよ」と言うと、 「そう、それでいい、その子もそんなつもりはない」と言われた。ああ、よかった。
ヒョンがすぐに電話をかける。まず母親が出たらしく、何だか早口でやり合っていた。 次に本人が出て、これもなにか言い合っており、自分のことが相手に伝わっているのかどうか怪しかった。 この時初めて相手に伝えたのではなかろうか?以前に話したことはあったにしろ、 今回自分がソウルに来ているということは、きっとこの電話で初めて伝えたのだろう。 「見合いじゃなくて、友達みたいにして会って見ろ」と何度も言っている。 どうも相手は渋っているような感じなのだが、それでもこのあと蚕室まで来ることにしたようだ。 「きれいじゃないぞ」電話を切るなりヒョンが言う。「だが、いい子だ。心は最高だ。」とフォローする。 「私よりきれいよ」と奥さんが言う。きれいかどうかより、渋々会いに来る相手に会うのが急にイヤになってきた。 「その人何だか怒ってたみたいだけど・・・」「怒ってない。その子のオンマがちょっと」 いったいその子のオンマが何を怒っているんだろうか?いずれにしてもかなり気が重くなって来た。
ヒョンの四駆のワンボックスに乗り込む。部屋の中にいた全員で買物に行くのだと言う。 どうもこの先の段取りがよくわからない。わからないが、こんなのはどう見ても見合いではない。 運転席にヒョン、助手席に友達、後部座席は向かい合わせにして、進行方向と逆向きにヒョンの奥さん、 そして自分とヒョンの友達の奥さん、最後部席にテジュンが乗って、とりあえず蚕室駅に着く。
ソニィはロッテ百貨店の前にいた。本当はソニィなんて呼び捨てにはできないが、まぁ歳下だからここではいいことにする。 にこりともせずに乗ってくる。パッと見た第一印象・・・堅い! ヒョンが言うほど「きれいじゃない」ことはない。タレントみたいにきれいかというと、そんなこともない。 自分とは対角の位置に座り、ソニィも自分も周りに促されてとりあえず挨拶した。 挨拶したのはいいが、そのあとの言葉が続かない。2人だけならなんだかんだと言えるような気がするが、 ここではどうも全員に注目されているようで、何を話したらいいのかわからない。 ヒョンの奥さんなどに話しかけつつ、時々話をソニィにふってみても、「ネー」で終わってしまう。 自分が韓国語をどの程度理解するのか、ということをヒョンの奥さんに聞いたりしているが、自分にはほとんど何も言わない。 10分程度経過した時、自分はもう試合放棄していた。
どこへ行くのかと思えば、ニューコアである。大型ディスカウントストアといった印象である。 まず何か食べることになった。ぞろぞろと歩いて中華料理店に入ろうとするが、混んでいて並ばなければ入れない。 「ここは安くてうまいんだ」と言ってヒョンが並ぶ。並んでいたかと思うと自分を呼んで「ここに並んでいろ」と命じて、 どこかへ行ってしまう。離れたベンチに奥さん2人にソニィが座っている。皆バラバラになって自分だけ並んでいるのである。 誰か1人ぐらい自分と一緒に並んだらどうなんだと思い、車中での「堅い」ソニィのこともあって、 もういっそのこと1人でテンジャンッチゲでも食べたい、そのまま別行動をとりたい、今日のことはなかったことにしたい、 などと考え始め、突然異邦人の疎外感が込み上げて来た。
そこへどこかでタバコを吸っていたらしいヒョンの友達が戻って来てくれた。テジュンもいつのまにか自分の背後にいた。 並び役を替わってもらってトイレに行って戻ると、席に着けることになった。自分の前にヒョン。 隣り(だったと思う)にソニィ。ここはヒョンを潤滑油にして会話がやっと弾む・・・かと思ったが、 ヒョンは自分に話しかけるだけだった。注文は大皿で鳥カラみたいなものと、各自で一品・・・ 自分だけチャンポン、あとは全員がチャジャンミョン・・・である。 この2つ、かなり人気メニューなようだが自分はあまりうまいと思わなかった。 1ヵ月ぐらい滞在して韓国料理に飽きてみないと、そのうまさはわからないのかも知れない。チャンポンは赤いスパゲティ、 チャジャンミョンは黒いスパゲティだと言って笑わせたが、ソニィは相変わらず堅い顔つきである。 店を出る時に「ここはあまりうまくないなぁ」とヒョンが言う。入る前に「安くてうまい」と言っていたはずだが。
買物が始まる。大きなカートを押してテジュンがはしゃぐ。自分はもうとっくにソニィに関心がなくなっていたが、 紹介された手前、あまりつまらなそうにもできないからまたちょっと話しかけてみた。 だが返事はやっぱり「ネー」だけである。自分の話す内容が悪かったのだろうか? 今となってはなにを話かけたのか覚えていない。
一同、ほとんどまとまらずに勝手に店内をうろつく。自分はテジュンの手をひいたりカートに乗せてやったりして、 空虚な時間をつぶした。ああタバコが吸いたい。早く1人で別行動がとりたい・・・。 買物が済んで車に乗る直前、ヒョンが言う。「ソニィとどこかへ行ってこい」 自分は完全にどうでもよくなっているのを悟られないように気をつけたが、「ネー」と答えた語調はソニィと同じだった。
車中でヒョンが「蚕室で2人を降ろすから、どこか行っておいで」と、今度はソニィに言う。 ソニィは断るんじゃないかと思ったが、あっさり承諾した。そして蚕室駅前で2人で車を降りた。 ヒョン達はどこかへ遊びに行く模様で、「10時に帰るから」と、ビルラの鍵を渡された。 時間をササッと計算して、自分はたぶん8時にはビルラに戻るから、1人でテレビでも見ようと決めた。
話し始めて、自分が話をほぼ理解していることがわかると、ペースがぐんぐん上がった。 表情豊かによくしゃべる。自分は「話をほぼ理解している」なんて書いたが、わからない言葉も当然ある。 この辺りはごまかしのコツがあって、「ふんふん」と聞いた後で、 わからなくても追求される前にこちらから話題を変えてしまうのだ。そうすると実力以上の会話が成立してしまう。 しかしこれはあくまでもごまかしであって、大事な話があるような場合には使えない。 ソニィとの会話は軽い世間話ばかりだったので、理解できない部分があっても、逆にしゃべる方で誤解を与えても、 大きな問題にはならないからそれでよかった。いちいち会話を止めていたらしらけてしまう(たぶん)。 とりあえず自分は話し相手としては認めてもらえたようなのである。
漢陽大(ハニャンデェ)で地下鉄を降りた。ソニィはここから歩いて帰れるそうだから、 まんまと自宅近くまで連れてこられたようである。しかし別にどこかで観光がしたかったわけではないから、 それで構わない。送って行く手間も省ける。先の質問に「とくに行きたいところ?ないですねぇ」と自分が答 えてこうなったのだ。この駅で降りたのはもちろん初めてで、 自分にはさっぱりわからないからただソニィが歩く方向に従ってしばらく散歩をする形になった。 ここには学生しかいないのか?と思うほどに、歩いているのは学生風ばかりである。 ソニィが高校を見せたいと言うのでついて行ったが、ちょっと洒落た校舎があるとはいえ、 所詮ただの高校だから自分はどう感想を述べていいのかわからなかった。 ソニィは頭の回転が速く、そんな自分の様子を即座に理解して、「つまらなかったらつまらないと言ってくださいね」 日本語で書くときつそうだが、咎めたり詰ったりしている感じではない。 「こんな時間にもう誰もいないなんて、どうなってるんだろう?野球部やサッカー部は練習しないんですか?」 笑いながらソニィが答える。「ここは女子高ですよぉ」 ヒョン達と一緒にいたときの、憮然とした堅そうなソニィは跡形もなく消えていた。
サッカーの話になった。ソニィは日韓戦(あるいは韓日戦)のときの日本の態度が気に入らないという。 たぶんどこかで「韓国側で感じるほどには、日本側は韓国戦を特別視していない」という話を聞いたのだろう。 「あ、来たな」と思った。ここでヘタなことを言うと何もかもぶち壊しになるな、と思った。 そう思ったが正直に言わせてもらった。それぐらいに打ち解けていたせいでもある。 「韓国と対戦するのも他の国と対戦するのも同じこと、日韓戦に特別な感情はないですよ。」 ソニィが「韓日戦」と言うのであえて「日韓戦」と言ったが、自分は怒っていたわけじゃなかった。 自分達はどっちが上でも下でもないだろうと言いたかったのだ。 歴史の話まで出て来て、謝罪がどうのと始まりそうだったのでこう続けた。 「サッカーでも野球でも試合のたびに、まず過去の謝罪をしてから始めなければならないの?」 実のところその内容よりも、韓国語でつっかえないで一気に言えたことが自分には痛快だった。 ところがその語調がちょっときつかったようで、ソニィの方が気を遣って言い訳を始めた。 「日本の人に一度話してみたかったんです、韓国語が分かるので嬉しくて」 そして「気を悪くしませんでした?」と言った。(これは意訳。直訳すると「気分を悪くしてないですよね」という感じ) 今度はこっちが慌てた。気を悪くなんてとんでもない。 大して興味もないサッカーなんかで、ハラボジの線で紹介された相手と、しかも女の子とケンカなんかしたくない。 「野球なら負けないんだけど」なんて話をして、それにはソニィも納得し、話題はまた無難な方向へ戻った。
ソニィは5年前に日本で生活したことがある。短期留学でやってきてママのマンションで一緒に住んでいたそうだ。 ママが今よりもずっと手広く店を構えていたころ、ママが下の娘を連れて来日し、苦労して金を貯めて店を出し、 その店がもっとも繁盛していたころ、そして自分が韓国という国に対してほとんど何の興味もなかったころ、 ソニィは日本にいたのだった。日本語学院とマンションの往復だけで日本人の友達もほとんど (ママの下の娘も、その友達も当時は小学生だし)できず、 たぶん少しの不安と大きな退屈とを抱えて毎日を過ごしたことだろう。日本語はほとんど忘れてしまったという。 少ししゃべってみるように勧めたが、最後まで日本語は口にしなかった。 本物の日本人を前にして日本語を使うのは恥かしいらしい。 自分は、韓国語は韓国人に対して使ってこそ意味があると思っている。 そして韓国語のわかる日本人の前で韓国語を使う方が、なんだか恥かしい。 さっきのような話を日本人に日本語で話したことはないのかと聞いてみたら、 「とんでもない!」という顔で大きく首を振った。日本語でうまく言えないし、日本でそんな話はできないという。 日本人に囲まれて怖いめにあうとでも思ったのだろうか? それは裏を返すと「韓国で日本寄りな発言をすると怖いめにあうよ」ということだろうか? 「日本ではたぶん平気だよ。そんな話ばっかりする人も来てるよ。」と言いかけて、なんとなくやめておいた。
現在26歳のソニィは幼稚園の先生で、仕事は大変楽しいそうだ。 揃いの制服を着た園児をぞろぞろ引き連れた遠足の光景は、これまで至るところで見かけた。 その先頭にソニィを立たせてみる。あるいは園児と遊戯をしているソニィを想像してみる。 KNTVの幼児番組の中にソニィを置いてみる。が、わからない。似合うような似合わないような、 しかし現実に先生なのだ。それはそうと、自分の仕事を説明するのにいつも苦労する。 多くの韓国人は「研究開発」なんて言っただけでは納得しない。(自分にまったく関心がなければ別だが) 「〜関係の機械の研究開発」ならどうか。まだ足りない。結局具体的な計算やら実験やらの話をすることになるが、 「鏡」なんて単語が咄嗟には出て来ない。「ミラー」なんてカタカナ英語が通じるとも思えない。 一度文章に書いて、それを暗記しておこうとそのときは思うが、次の機会まで思い出さないのだ。
ホプに入った。生ビールを飲みつつ会話はまだまだ止まらない。 「私は早口でしょう?よく理解してますね」なんて言うから、正直に種明かしをした。 わかったりわからなかったりで、わからない単語は想像しており、 いよいよわからないときは自分から話を変えてるんだと。飲むとソニィはさっきよりもよく笑う。
どうしても芸能関係の話が多くなってしまう。韓国語が易しいものだけで済むし、 ちょっとタレントや歌手の名前を言うだけで、相手は驚きながら喜んでくれるからだ。 大きなことを言うつもりはないから、「韓国人と日本人は」なんて言わずに「ソニィと自分は」、と言いたい。 ソニィと自分は互いの国に行ってみるまで、あるいはこうして出会うまで、 相手が自分と自分の国を嫌っていると思い込んでいた。だから最初からケンカになりやすいのだが、 どちらかが、または双方が歩み寄ってみると、非常に人懐っこい相手が見えてくる。 自分や自分の国に、敵意どころか興味を持って「仲良くしよう」という相手を感じることができる。 そのきっかけとして、歌手やその曲を知っていること、映画やその出演者名を知っていることは大きなプラスになる。 自分とソニィの場合は、政治家や大企業の社長名を知っている以上に重要だったと思う。 この場合は自分がKNTVなどを通して得た知識を持って、ソニィに歩み寄ったことになる。 ソニィはそれを受け入れて自らも歩み寄ってくれたのだ。
ホプに入ってしばらくして、ソニィは自分が韓国の歌をどのくらい唄えるのかと訊ねた。 目の前で数えて17曲だと答えた。ソニィも唄うのは好きなようだが、「今日は喉の調子が悪いから唄えないです」 と言っていた。自分もどうしても唄いたいわけじゃないから、これからノレバンへ行こうなんて言うつもりはなかった。 それに「2人でノレバンなんておかしいよね?」と言ったらソニィも肯いていたのだ。 しかし、話しているうちにソニィがノレバンへ行こうと言い出し、我々は結局行ってしまうのである。 自分は日本でもやったことがない「2人でカラオケ」を、 ここ漢陽大にて実現してしまうのだった。
ホプの勘定はソニィが払った。いつのまに金を出したのか、気づいた時にはレジを通過していた。 慌てて財布を取り出したがもう遅い。この状態になってから金を受け取らせようとしても無駄だろうから、 素直にごちそうになった。ノレバンでは押しのけてでも自分が払おうと堅く決意して外に出た。 ノレバンへ向かう途中で、ソニィが急に立ち止まってファンシーグッズの店に入った。 そのときソニィの言葉がよく聞き取れず、お土産をどうとかと言ったのを、家に何か買って帰るものと思ってついて入った。 韓国での流行りものなのか、小さなぬいぐるみで、押すと音楽が鳴ったり声が出たりするものがある。 ソニィはその前であれこれ物色している。自分にどれか選べと言うから話をよく聞いてみると、 なんと自分に買ってくれるのだった。それじゃ、こっちも1つ買って交換することにして、 「自分があげたいもの」と「自分がもらいたいもの」を一緒に探した。店員がニヤニヤしながらそれを見ており、 1人が1つずつ買ってその場で交換すると「おめでとうございま〜す」と冷やかした。 なんだかそれを聞いて恥かしくなって急いで店を出た。ソニィが選んでくれたものは押すと音楽が鳴るのだが、 自分が買ったものをソニィが押してみると「***,I love you !」(***は聞き取れず)と声が出た。 ドラマ「クデ クリゴ ナ」でチャ・インピョ扮するいい加減な男が選んだものと同じみたいだ。 自分がものすごく田舎者みたいに思えてきて、音楽が鳴るタイプにすればよかったと悔やんだがもう遅い。
そのノレバンはソニィの行きつけらしく、「久しぶりだなぁ」と言うアジョッシに挨拶すると、 「日本から来た」と自分を紹介した。日本から来たと言っても、旅行者なのかこっちに住んでいるのか、 日本人なのか僑胞なのかわからないのだが、自分はただ「こんにちは」とだけ言っておいた。 ノレバンの個室でポツンと2人並ぶと妙な感じだが、 地元のソニィさえ平気なら、旅行者の自分は何も気にすることはない。 唄える曲を片っ端から唄った。 日本でカラオケボックスに行って個室に2人だけの部屋を見つけると、 「ふん!」とか「ケッ!」とかいう言葉とともに批難の目線を浴びせるのだが、 まさか自分が「ふん!」又は「ケッ!」の対象になるとは思わなかった。 だが通路を行き来する韓国人がどう感じたのか、自分は知らない。幼稚園の先生のソニィが平気でいるのだから、 案外2人でやってくる客も多いのかも知れない。
そろそろ帰りの地下鉄が気になってきた。8時にハラボジ宅どころか、11時を過ぎている。 ソニィだって早く家に帰さなければならない。韓国ノレバンの不思議が1つあって、 残り時間の表示が「あと5分」というあたりで急に「10」になったりする。 その「10」が減って行ったところでまた数字が増える。先日ジョンシク君たちと入った所では、 これが30分ぐらい続いた。だからこのまま唄い続けると何時になるかわからない。 近所に旅館があればそこで泊まっても(もちろん1人で)いい、むしろその方が蚕室まで帰るより楽でいいと思ったが、 ソニィに聞くとこの辺りで旅館は見かけないと言う。ちょっと名残惜しかったが、駅に向かった。 雨がポツポツと降っていた。本当はまずソニィを家まで送り届けなければならないが、自分は道を知らない。 そして終電も迫っている。やむを得ず「うちは近所だから大丈夫ですよ」 というソニィの言葉に甘えて漢陽大駅まで送ってもらった。 「この場合は仕方がないけど、普通は男の人なんか送らないですよ」と笑いながら言ってくれたが、 たぶんマイナス点がついたことだろう。改札で「楽しかったです。また会いましょう。」みたいな言葉を交わして、 見合いだかなんだかわからないものは終了した。この先の展開はまったくわからないし、 ソニィの気持ちもよくわからないが、自分の気分は昼間と180度変わっており、つまりまぁ好感を持ったのだった。
タクシーを捕まえて、ソニィを送ってからそのまま蚕室まで乗って帰ってもよかったと、地下鉄に乗ってから気づいた。 どうしても「とりあえずタクシー」という感覚は身につかない。日本じゃ高くてめったに乗らないからだ。 が、そのあと12時過ぎの蚕室で、「止めれば乗せてくれる」日本のタクシーの、 ありがたさを思い出さずにはいられなくなるのだ。また、ソニィに電話番号も何も聞いていなかったことにも気づいた。 その日は「まぁいいや」と思ったが、日本に帰る日が近づくにつれて「大失敗だ」と思うようになるのだ。