自分は旅行だが、Nさん達は釜山の大学で開かれている、外国人対象の韓国語講座を聞きに行くのだ。 Nさんに勧められるまま、自分も受けてみることにした。講師は知的な韓国美人で、かなりのレベルの日本語を話す。 日本で生活しても溶け込めるようなレベル、と言っていい。 感じは、NWのグアム経由の一件(旅行記3)で知り合った韓国人に似ているが、 こんなことを書いても自分にしかわかるまい(笑)。ただ、日本語はこの先生の方がずっとうまい。 その日の受講生は、遅れて来た人を含めて10人弱で、晋州から一緒に来たアメリカ人以外は日本人だった。 講座の内容は易しかったが、のっけから先生にかまされた。細かな部分は忘れたが、だいたい次のような説明だった。 「皆さんが話す韓国語は、標準語ではありません。私たちがソウルで釜山の言葉を話すと、 ソウルの人は笑います。でも恥ずかしがらなくてもいいんです。韓国語が正しければいいんです。 抑揚は私たちの自由なんですから。」そして、「逆に私なんか、男の人がソウル言葉で話すのを聞くと鳥肌が立ちます」 ・・・そこまで言わなくてもいいじゃないか。ソウル言葉しか使えない自分はどうなるのだ。
確かにイントネーションがソウルで使う言葉と違うというのは、ここ釜山だけでなく大邱でも晋州でも気づいていた。 しかし、こっちが相手の言葉を聞き取りにくい(その前に韓国語自体の聞き取りが、まだまともにできないのだが)というだけで、 こっちの言葉を相手がどう思うかなんて考えもしなかった。市場で、食堂で、アジュmマ達は自分の言葉に鳥肌を立てていたのか。 まぁたいていは、外国人だからと大目に見てもらえそうだが、そうでない場合もある。 短い会話で、たまたま自分が正確に(と、自分で思うだけ)発音できる単語が並べば、 向こうは自分を外国人とは思わない。そんなとき、ちょうど大阪や博多で標準語を話すように気持ち悪いはずだ。 ではこっちも方言を使えばいい、と思うのだがこれはかなり練習が必要だ。 ヘタに真似をすると「バカにしてる」という感じがする。自分はかなり自然な(自分で思ってるだけか?)関西弁を使えるが、 東京人の中途半端な関西弁の真似事を耳にすると、とても気分が悪い。また、関西人の使うわざとらしい東京言葉もイライラする。 方言は、本腰を入れて習得する気がなければ、使わない方がましなのだ。
しかし韓国語を使いたくて韓国に来ているのに、地方では無口になってしまってはもったいない。 だがしかし、自分の言葉はここでは気持ち悪いのか・・・と、授業もなんだか上の空になった頃、サンジン君が呼びに来た。 サンジン君はNさんとスーバクちゃんの共通の友達で、メールも何度かもらっている。 全文字化け韓国語メールが何度も送られて来て、Nさんと自分にとって彼は「文字化け」の人であった。(笑)
日本の文化に関心のある若い韓国人というと、たいていはアイドル歌手、ロック歌手、漫画にアニメ、というものが中心だが、 彼の場合はどうやら日本語と日本人というものが中心のようで、これまた自分の韓国版なのである。 講座の先生と受講生とサンジン君と自分で昼食を食べた後、Nさん達に別れを告げ、サンジン君の案内で釜山見物をした。 まず地下鉄で釜山駅へ出て、旅館を探して荷物を置く。サンジン君はここがどういうところか知らなかったのだろうか? ここは有名なテキサスなんやらというところで、ロシア人だらけ・・・だけならいいが、 夜になるとアジュmマが「アガッシと遊んでかない?」と言い寄って来るところである。 帰るまで自分はここがそうだとは知らなかったが、一緒に旅館を探してくれたサンジン君はどうだったのだろう?
荷物を置いて、竜頭山(ヨンドゥサン)公園とか国際(クkチェ)市場とか南浦洞(ナmポドン)とか、 まぁ有名どころをブラブラした。繁華街にはやたらに日本語が目立つ。もちろん日本人も多い。 サンジン君と日本人当てクイズ(?)をしながら歩いて、夕食はキムチッチゲをご馳走になった。 半日つきあってもらったので自分が奢るつもりでいたのだが、またしても押し切られた・・・というよりこの頃には、 「奢る」と言われたらあまり逆らわないことに決めていた。「うぉるさんが僕よりお金持ってるのは知ってます。 でもご馳走したいんです。」こんなセリフを言われたら「いいや、オレが払う」なんて言えない。
釜山が、キムチッチゲが特別にうまいというわけではない。ただ自分が、いま食べたかったのだ。 サシミは思い出すのもイヤ(笑)だったし、その上明日はスーバクちゃんと海産物で一杯やる約束があるので、 それまでその類は口にしたくなかった。実はキムチッチゲを韓国で食べたのはこれが初めてだった。 日本の居酒屋では「チゲ鍋」などという意味不明の名称(だって「ッチゲ」は鍋物という意味なのだ)の、 腑抜けた辛さのまがい物が出てくるので、一度本物を食べて見たかったのだ。そして、やはりうまかった。 うまかったが、去年の今ごろだったら辛くて途中で投げ出したかも知れない。
席に着くなりサンジン君が隣のテーブルをチラリと見て、日本人だと言う。自分も隣を見たが、なるほどそれっぽい。 どこがどうなんだとここでハッキリ言えないが、自分にもなんとなく日本人の特徴が分かってきた。 後ろの席にもやって来た日本人一人旅のお兄さんは、ガイドブックを指差しながら注文していた。 サンジン君がそれを見て自分に「教えてあげなくちゃ」と言ったが、自分はニヤニヤして黙っていた。 何を食べるかと思えば、9千ウォンもするカルビクイ(記憶不鮮明)である。わざわざ釜山でそんなもの・・・ と思ったが、自分だってわざわざ釜山でキムチッチゲを「うまいうまい」と食べているのであった(笑)。 ここでサンジン君のさっきのセリフが、なんとなく引っ掛かった。彼は「カルキョジョヤデヨ」と言ったのだ。 「教える」は「カルチダ」だから、「カルチョジョヤデヨ」のはずだが・・・これは翌日、方言であることが判明するのだが、 その日はサンジン君に聞きそびれてしまった。旅館で眠る頃に思い出して、ちょっと悶々とした。 翌々日に会った時に確かめたら「するどい!」と日本語で言ってくれた。
釜山初日の宿は、とにかく「汚い部屋だ!」と気づいて翌朝すぐに移動した。 サンジン君と探したこの2万5千ウォンのMOTELは、布団も枕も床も壁も浴室も汚く、 もう1泊(この時点では2泊だけの予定だった)する気にはなれなかった。最初から気づかないのがマヌケだが、 1人で部屋に戻るまでそれほど汚いとは思っていなかったのだ。枕を裏返したら前の客の髪の毛が何本かついていて、 急に不快になって改めて見回すと、何だか古くて汚くてこれまでで最低の部屋だとわかった。 「何をデリケートなことを」って?そう、自分はそんなにデリケートではない。しかし2万5千ウォンならどのぐらいの部屋、 という感覚が自分にはあって、それに見合わなければ不快になって当然だ。ここが1万ウォンなら納得しただろう。 それに自分がデリケートなら、部屋を見た途端に気づくはずではないか。 釜山では3万ウォンぐらいが相場だと聞いていたのに5千ウォンも安いのだから、あるいは我慢して然るべきか・・・とも思ったが、 ソウルの鐘閣の旅館はもっと清潔で2万ウォンなのだ。ただ、1つだけ良かったのは、シャワーの湯がよく出ることだった。 それでも最低には違いないので朝9時過ぎに、挨拶もしないで次の宿を探しに飛び出した。
50mほど、ただ真っ直ぐ進んだところに立派なMOTELがあった。 この辺りはMOTELだらけだから候補はたくさんあったのだが、ちょっと高くても立派なところがいいやという気持ちになって、 そのMOTELに決めた。部屋を掃除しているからと、フロント(ホテルみたいでしょ?)で待たされている間に、 エレベーターから出てくる客は皆ロシア人だった。もっとも、このテキサスなんやらにいるからそう思うだけで、 アメリカ人もいたのかも知れない。彼らの使う片言韓国語はヘタクソで、そもそも違和感がある。 自信を持って、自分の方がうまいと断言しておく。MOTELのアジョッシの使うロシア語は、どうだかよくわからない。
掃除中の部屋に、先に荷物だけ置かせて欲しいと頼むと、部屋に連れて行ってくれた。チラッと覗いただけの部屋は、 新しくて清潔で、その清潔なのをアジュmマが更に掃除している。これで2万5千ウォンかと、 昨日とは逆に得をした気分になった。スーバクちゃんとの待ち合わせがあるので、 アジュmマに声を掛けて荷物を置くと、すぐに地下鉄の駅に向かった。
まずは地下鉄とバスで梵魚寺(ポモサ)へ向かう。ちょうど「プチョニm オシン ナル」期間の日曜日で、すごい人出だった。 「プチョニm」は”お釈迦様”、「オシン ナル」は直訳すると”おいでになった日”である。要は仏教のお祭りみたいなもので、 釜山駅前でも提灯が飾られてにぎやかだった。この日梵魚寺では、 いくらか(金額は忘れた)寄付(?)をすると、ピビmバpを食べさせてくれて、それがまた大変な行列になっている。 通りすがりに見た感じでは、かなり大盛りでちっとも食べたくならなかった。 余談だが、最近自分はこのピビmバpも食傷気味である。 会社で「韓国でビビンバ食べた?」などと聞かれると「なんやあんなもん!」と答えてしまう(笑)。 食べればうまいがわざわざ食べたくない、というのが正直なところだ。
スーバクちゃんとオデンとキmバpを食べて、ぎっしり並んだ提灯の下を一回りして、 茶屋風のところでパジョンをつまみながらトンドン酒を呑んだ。2人ともお寺にそれほど大きな興味はないので、 「混んでるねぇ」などと言いながら早々に山を下りたが、今にして思えばこのときスーバクちゃんの頭の中は、 バンジージャンプで一杯だったはずだ。「どこへ行くの?」「広安里・・・」 (注:広安里は発音が難しい!クヮンg・アン・リだが、kwangalliであって、カンガルリという感じにも聞こえる) 自分は何も知らずに、トンドン酒に酔ったスーバクちゃんが転ばぬように気遣い、 風邪でのどが痛いと聞くと薬局に寄り、とにかく自分のために休日をつぶしてくれたことに、 ただただ感謝していたのだった。
広安里の、待ち合わせ場所のドトールでは、Uさんという男性が悠然と待ち受けていた。 柔らかな話し方だが、なかなか頭の切れそうな人物である。3人でしばらく話しているうちにUさんの口から、 「せっかくここまで来たんですから」「ここ(広安里)に何しに来たと思います?」などと不気味な言葉が出始めた。 記録していないので詳細は忘れたが、どうやら自分はハメられたのだった。 Uさんはゆっくりと楽しそうに繰り返す。「広安里と言えばバンジージャンプですよ」「ここらで頭の中を真っ白にしてみては?」
もちろん自分は、最初はイヤだと言った。あんなものやってみたいなんて思ったことはない。 冗談だろうと思ったが、2人は本気なのだった。頑なに拒否して釜山駅前まで1人で帰ることは、今の自分にはなんでもない。 しかし、ビビって逃げ帰ったという汚名が残ってしまう。一応(ごめんね)女であるスーバクちゃんの前で逃げるのか・・・ Uさんの眼が「ふふふ、怖いでしょ?」と言っている・・・
自分は顔から笑いを消して(たぶん)考え続けた。そして、ドトールを出る頃には腹を決めた。
自分は何か厭なことやりたくないことがあると、とりあえずうだうだと言い訳したり抵抗したりするのだが、 腹を決めてしまうと案外平気になってしまう。あーでもないこーでもないと逃げの姿勢を見せながらも、 頭の中は高速回転(そんなに速くないが)で状況分析しているのだ。ここでバンジージャンプを逃げた場合の、 今夜寝る前の気分はどうだろう・・・逆に、平気な顔で飛んだあとの気分はどうか・・・結論はすぐに出そうだが、 そう簡単ではなかった。できればやめたいし、でも成功すればいい土産話になるし・・・ 頭の中の回転が速くなったり遅くなったりして、会話も上の空で考えた挙げ句、やることにした。 これが実弾入りのロシアンルーレット(まさか)だったら土下座してでも勘弁してもらう(笑)ところだが、 要はゴム紐をつけて高いところから跳ぶだけである・・・たぶん・・・しかし・・・
そうは言っても、やはり怖い。死なないのはわかっていても高いところから跳ぶ、その浮遊感が嫌いなのである。 自分が完全に腹をくくったのはもう少し後のことである。広安里ビーチランドという遊園地があって、 遠くに見えたそこまでかなり歩き、その間にようやく決意を固めた。 2人は・・・逆になんだかおかしいくらいに怖がり始めた。 自分を脅すために「人間がもっとも恐怖を感じる高さ」だの「下から見上げるのと上から見下ろすのは全然違う」だのと、 言っては自分で怖がっている。この2人の態度が自分をどんどん気楽にさせた。 韓国の遊園地は安全なんだろうか?と、余計なことを考えようとする心を落ち着かせたのは、 そんな2人の怖がる様子だったのである。強がりでなく、ジャンプ台の下に着いた時はすっかり恐怖が消えていた。
曇り空、やや強い風、ガランとしたジャンプ台周辺・・・そこへ欧米系外国人が韓国人に連れられてやってきた。 自分を完全に落ち着かせたのは、この欧米系の兄ちゃんである。嬉々としてコルセットをつけると、 先に装着した我々よりも先に階段を上って、嬉しそうな顔のまま跳んだのだった。普通はエアマットすれすれまで落下して、 また空中へ上がって行くのだが、この兄ちゃんは体重をどう申告したのか、エアマットに思い切り突っ込んでいた。 そしてすぐまた金を払って自分が跳ぶより前にまた階段を上ってきた。 自分は恐怖が消えてはいたが、この兄ちゃんみたいに嬉しくはなかった(当たり前だ!)。 何がそんなに嬉しいんだかわからないが、息を弾ませてニヤニヤしている。2人は・・・階段を上ったところで固まっていた。
最初はUさんだった。Uさんは「跳ぶ」というよりも「落ち」て行った。その姿を見て自分は、頭からしっかり飛ぶことにした。 落下の気持ち悪さは、頭が下にある方が楽だと思ったからだ。そして自分の順番が来た。 ためらうと閉じ込めておいた恐怖心が這い出て来そうなので、係員のカウントに合わせて1度で飛び出さねばならない。 「目を開けて頭から」と言い聞かせながら、カウントを聞いた。
腹側を吊られていた(なぜか男は腹側、女は背中側を吊られる)のと、土壇場でチラリと恐怖心が出たのとで、 あまり恰好良くはなかったと思うが、それでも確かに目を開けて、頭から、エアマットが間近に迫って来るのを見た。 そのあとのリバウンドでは天を向いた状態になるので、その方が気持ちが悪かった。コルセットをはずすと、 やや震える足でカメラを取り出し、後続のスーバクちゃんを狙った。
「代わりに金払ってくれるならもう1回やってもいい」なんて強気な軽口を叩いたのだが、 Uさんの「金出したらもう1度やります?」という申し出は勘弁してもらった。 なぜなら、コルセットで体を吊るのではなく、足首だけを吊るための貧相(に見える)な道具が目に入ったからだった。 あれはもっと怖いに違いない。
その後しばらくは「してやったり」的な気分で、近くで食べた海産物(イカ、ホヤ、タコ、ナマコ)も焼酎もやたらに旨かった。 やはり跳んでよかったなぁとしみじみ思った。広安里ビーチランドでカート遊びをして、砂浜をぶらぶら歩いて、 ハッと気づくと時間がかなり経過していた。このあとスーバクちゃんの知り合いの学生達と飲む約束になっていたので、 大急ぎでタクシーに乗った。
ところで海産物は、市場で買ってすぐ傍の持ち込み式簡易食堂のようなところで食べたのだが、 市場でスーバクちゃんが駆使した韓国語にすっかり脱帽してしまった。慶尚道(キョンサンド)訛りでほぼ完璧に会話して、 破格の値段で買物をしたのだ。一時的逆方言コンプレックスの自分が見ると、それはそれはすごい語学力なのだった。 一方Uさんは、韓国語はできない(本人談)が、面白怪しいところを実によく知っていて、旅行者にとって(いや、 生活者にとっても)こんなに有り難い人はいない。 で、この2人が知恵を絞った結果がこの日のバンジージャンプだったのだ(おいおい)。 スーバクちゃんとUさんのサービス精神に感謝しつつ、次は自分が誰かを騙してバンジージャンプをさせてやろうと決意した。
ソンギ君は大阪で生活していたことがあり、他の3人よりも日本語のレベルが数段上だった。 ただ発音がいいとか、イントネーションがいいとかいうだけでなく、現代語というか流行語というか、 そんなものまで会話に出してくる。日本語をただ勉強したレベル(たとえば日本語専攻の学生)を超えて、 必要に迫られて覚えたレベル(たとえば韓国クラブのアガッシ)を超えて、 日本にいたら「日本語うまいね」なんて言われないレベルである。(つまり外国人だとわからないということ) 東京でもし初めて会ったなら、地方から出て来た日本人だと思うだろう。 この言い方は、外国語会話をある程度勉強してみないと、ほめたのかバカにしたのかわかりにくいが、 自分にしてみたら最大限にほめたつもりである。「いやぁまったく自然だ!完璧な日本語だ!」なんて言ったらお世辞になるし、 些細な発音のクセをいちいち気にする人は、自分が学ぶ立場になった経験のない人である。 「なぜそんなに日本語を?」というありがちな質問は、そのときには浮かばなかった。 たぶん「面白い」からだろう。それが大学の専攻だったり職業だと嫌気がさすこともあるかも知れないが、 「面白い」からやっている間は、嫌気もささないし飽きも来ないように思う。 関係ないが、自分はクラブで唄って「酔っ払った韓国人」だと言われた。・・・ほめられたのか?そう、ほめられたのだ。(たぶん)
今回の旅行で3度目に行ったカラオケで、ソンギ君のものすごい声量に圧倒された。天性なのか訓練なのか、 声量だけでなく音域もすごい。ただ、日本語の唄をたくさん唄ってくれたのに、 残念ながら自分が知っている唄は1つもなかった(笑)。ギョンフン君は自分の隣でしきりに気を使ってくれるし、 ヒョンジョンちゃん&ミジョンちゃんコンビはBBの曲 (BBは韓国の美人デュオで、自分はミス・コリアなんかよりこの2人の方がずっといいと思っている。 「ハヌルッタン ピョルッタン」はちょっと前のヒット曲。1度韓国人の若い女の子が唄うのを聴いてみたかった) を唄ってくれるし、スーバクちゃんも元気を取り戻して唄っていた(のどの痛みは?と、このとき思い出した)し、 なんだか幸福感に浸りながら深夜バスで釜山駅まで帰った。
地下道をくぐったところでアジュmマがすりよってきたが、「もう部屋がとってある」と言ったら引き下がった。 そんな断り方が適当なのかどうかは、よくわからない。この類のアジュmマにはソウル言葉でもいいみたいだなぁと、 どうでもいいことを考えながら缶コーヒーとソレヒャン(松の香?という名のジュース:お気に入り)を買って、 あの立派なMOTELに戻った。
午後スーバクちゃんに会って、昨日自分が持って帰ってしまった風邪薬を返して、 サンジン君とともにタkカルビ(鶏肉のカルビ)を食べに行った。こう書くとトントン拍子だが、この日はヒマでヒマで、 時間潰しが大変だった。この日だけでコーヒーショップ(コーヒー専門店と書いてあったりもするが、まぁ同じものだろう) に4軒も入った。あっちもこっちもちょっとずつ覗くというスタイルが苦手なのと、ヒザの痛みが限界に近かったのとで、 ボヤッと詩集(似合わないって?うるさい!)を眺めてる(スラスラ読めないから)時間が多かった。 4軒目のコーヒーショップは、店のアルバイト学生が注文を取りに来ないのに閉口した。 ここはサンジン君と待ち合わせるためだけに入ったし、もう4軒目だから何も飲みたくなかったが、 それはこっちの事情であって、向こうの職務としては注文を取りに来なければならない。 で、待ってみた。詩集を眺めてタバコを吸って時計を見て・・・とうとう40分も経過した。 結局のどが渇いてきたからこっちから声を掛けて注文したが、ちょっとムッとした時間だった。 もしかすると、客が呼ぶまで席には近寄らないのがサービスかな?などと思ったりもしたが、たぶんそうではないだろう。
いろんなところで勧められたタkカルビだが、もともと鶏肉が特別に好きだというわけではないので (ただし焼き鳥の王様「砂肝」を除く)味はまぁまぁだった(勧めてくれた皆さん、ごめんなさい)。 スーバクちゃんの部屋で3人で少し雑談をして、サンジン君と地下鉄に乗って帰路についた。 サンジン君と、次はテニスをやろうと約束(ヒザが心配だが)して別れた。 時間が時間なのでまたアジュmマの「アガッシラン ノルロ オイソ イェ」(合ってるかな?)が近寄って来たが、 クリスチャンであるサンジン君の話を聞いたあとで、とても変な気持ちは起こらず、今夜も振り切った。
明日はセマウルに乗ってソウルへ帰る。飛行機のつもりだったが、晋州のJCさんのお勧めで鉄道で帰ってみることにした。 話が前後するがこの日の午前中に、明日の切符を買った。 前売りだからなのか、曜日のせいなのか、なんだか割高だったのであるが、この原因はいまだによくわからない。 何らかの資料をよく読めばわかるはずだが、面倒なので調べていない。それはともかく、 駅で口頭で切符を買う時はまだちょっと緊張する。空いてる時間帯だったからまだよかったが、 後ろにズラリと並ばれて,片言韓国語でやりとりするのはプレッシャーがかかる。 だから空いている時間を選んだのだが、こういう中途半端な時間帯にはしっかりと列ができず、 割り込みが横行するものである。で、このときも後ろにいたアジョッシが、 自分の横を通ってカウンターに肘を載せてしまった。 「いかん。これでは買えない!」と思って逆割り込みの策を練っていたら、そのアジョッシが振り返って、 先に買えという仕種をした。「へ?」と拍子抜けして、譲り返してしまう愚行をかろうじて抑えて、 「当然さ」という顔で自分の切符を買った。「列に並ばぬ韓国人」という伝説は、もう過去のものではなかろうか? もうこんな感じで「順番を守る人」を何度も見ているからだ。もちろん、割り込まれることもある。 しかしそれは日本でも経験することであるから、特に「韓国人は」というレッテルを貼ってしまうのはよくない。
・・・それにしても「○○人はこうだ」的な言い方が好きな人がたくさんいる。 自分も酒の席ではうっかりそんな話し方を(笑い話として)しているかも知れない。 「AはBである」ということをキッパリ述べると、なんとなくその人が優秀な人、経験豊富な人に見えて優位に立てる。 またあえてそういう言い方をして、その場を「ワァッ」と盛り上げる効果もある。 しかし「○○人はこうだ」という言い方(「男はこうだ」「女はこうだ」という言い方もそうだが)は、 すぐに例外がたくさん出てきてしまって、あとでよく考えるとおかしい。おかしいがその場ではなんとなく通ってしまって、 あとからどうこう反論しても誰も耳を貸さないのである。誰にどうしろとは言えないが、自分は自分で気をつけたいと思う。
話を戻すと、もうソウルに帰る日の朝になっている。つまり明日は日本に帰る。 ソウルに着いたらどこへ行こうという名案も浮かばず、ただボンヤリとセマウル号の発車を待っていた。 セマウルの色が、初めて見たのになんとなく見覚えがある・・・と思ったら、自分のホームページの表紙の配色だった(笑)。