個別会談1

李さん

呉さんの部屋まではほとんどまっすぐである。江南駅には横断歩道というものがなく、途中 地下を通らなければならないが、冬はその方がありがたい。例のB級グルメ「トースト」を 買って行って一緒に食べようと思ったのだが、あいにく日曜の朝なので店が出ていなかった。 それでキmバpを買って行った。ただののり巻きとバカにして、実は食べたことがなかった。 食べてみたら旨かった。ごま油が塗ってあるだけでずいぶん違うものだ。

呉さんも大変だった。オフ会のメンバーがそのままなだれ込んで(自分が悪いのだ)、その まま翌日の午後までつきあって、この日の夜にはハヤミンが泊りに来るという。そして翌朝 は早くから仕事である。

李さんが来るまで、キmバpを食べながら(コーヒーとお茶を2杯ずつ入れてくれた。よく 飲むヤツだと思われたろう)自分が次の行き先がまだ決まらずにいることを話すと、なんと 航空券をくれた。束草往復の国内線である。自分の韓国旅行はなにか見えないものが導いて いるようである(笑)。最初はママに格安航空券を教えてもらい、ハラボジのところに居候 し、ノースウエストには旅行券を(代償だが)もらい、そんなチケットでビジネスに乗って、 今度は韓国の国内線チケットをもらってしまう。あまりに幸運が続くと、最後に飛行機が落 ちて清算、ということになりそうで怖い気もするが。

パソコンの前に座らせてもらって、自分がいない数日のいろんな掲示板をのぞいているうち に李さんが到着した。自分のような訪問をあまり喜んではくれまいという覚悟はしていたが、 「彼の韓国語を聞いて点数をつけて」という呉さんの提案は、ベッドにひっくり返って拒否 された。自分はちょっと韓国語を使ってみたが、すぐにやめた。日本人に韓国語を話させる ことが、逆に自分が日本語を強制されたことを連想してしまうということがひとつ。ちょっ とかじった程度の韓国語は聞くに耐えないというのがひとつ。そうまで言われて韓国語を使 う気は起きなかった。

のっけからちょっと気が重くなったのだが、自分は李さん流の手荒い歓迎のひとつだと勝手 に解釈した。ケンカ腰でもないし、罵られたわけでもない。あれだけの文章の書き手である し、呉さんとのやりとりも知性にあふれている。初対面の相手に不用意に難癖をつけるよう な人にはまったく見えない。「韓国語の採点役」というのがよほどイヤだったのだろう。自 分もそんなことをしてもらうつもりはなかったから、李さんから何か聞かれるまでは韓国語 については何も言わなかった。「彼はスナックの女の子に惹かれて韓国に興味を持って」と 紹介されたのだけは、ちょっと訂正したかったが。

そのあと3人で、近所にビビンバpを食べに行った。李さんがご馳走してくれた。李さんは 整然とした話し方で、ハラボジよりうまい日本語で、そしてよくしゃべる人だった。もう少 し自分が知っている話題ならなんとか言えたのだが、昔の飛行機の話は自分にはさっぱりわ からなかった。しかし李さんの体験談に話が移ると、もう自分は姿勢を正して聞き入るのだ った。手記の中で読んだものも未公開のものも、やはり体験した本人の話は迫力がある。面 白いなんていう表現は不謹慎だから、なんと言えばいいのだろう?とにかく聞き飽きるとい うことがない。しかし自分は、いや自分の世代は、おじいさん世代が韓国人(当時朝鮮人と 言った)少年に加えた非人道的行為を、ただ聞いていることしかできないのだ。そういう話 に耳を塞いでしまうことがマイナス点だとすると、じっと聞いていてやっと0点である。い ま自分はどうすることもできないのだから、プラス点にはできないのだ。悪者の班長がいた そうだが、「わかりました、僕がそいつをとっちめてやります」と今言っても仕方がないの だ。また、自分がその当時の軍国青年であったなら、子供の頃からの教育をかなぐり捨てて 正しいことが言えたか?できたか?・・・そう思うと、本当に何も言えない。聞いているだ けしかできないのだ。今はそんな時代ではないから、正しいこと、人道的なこと、世間に受 けることをペラペラとしゃべることができるが、当時の環境ではそんな言動も行動も容易で はない。椎名さんという女性はすごい人だったのだ。

「あのお姉さんにごちそうさまって言ってごらん」帰り際に李さんが自分に言った。そのよ うに言うと、店の人に「聞き取れた?」と韓国語で聞いていた。「わかったって言ってる」 とニコニコしている。それまでの自分の態度から、少しだけ認めてくれたみたいだった。名 刺(たまたま1枚だけ残っていた。オフ会で何枚か配って、全員に渡せずにきれてしまった と思っていた名刺が、1枚だけ残っていたのだ)にEメールアドレスを書いて渡し、表で握 手して別れた。会ってよかった。呉さんの粋なはからいに感謝した。なんだか濃厚な時間を 過ごしたので、これで旅行が終わったみたいに感じた。(笑)

そのまま地下鉄で金浦空港へ行った。席があればそのまま乗るつもりだったが、その日の便 はすべて満席だったので翌日10時の便を予約した。こう書くとスムーズだが、国内線ター ミナルは初めてで、窓口に並んで予約をとるのは自分には簡単ではなかった。イルゴpシ( 7時)とアホpシ(9時)を勘違いして予約してしまい、いやーな顔をされるのを覚悟して もう1度並んで変更したのである。窓口でのやりとりは日本でも聞き取りにくいことがある が、韓国語ならなおさらである。

空港バスで再び鐘閣の旅館へ行った。また最後の1部屋しか空いておらず、同じ2万5千ウ ォンの部屋だった。自分のあとから入ってきた初老の夫婦は「部屋が1つもないんです」と 言われて出て行った。バスの中でりんぽんさんに会いに行こうと決めていたので、そこから 呉さんに電話をかけてオカトホさんの電話番号を教えてもらい、市外通話は外に出ないとか けられないから、コンビニの方まで行ってかけたが留守であった。いったん部屋に戻ってT Vを眺めながら缶コーヒーを飲んで、再び外に出て電話するとオカトホさんが出た。りなぽ んさんにちょっと出てきてもらうつもりだったのだが、赤ちゃんがいて(そういえばそうだ った!)出られないというので、地下鉄の果ての駅まで行くことになった。

旅行記4−2
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