オフ会

オフ会という言葉でいいのかどうか、よくわからない。ネット上で知り合った人達と対面する会 をこう称する(と思う)。間違っていたらあとで訂正してもいいが、こんなものに正式名称なん かあるのだろうか。
以後、ネットで知り合った人達がハンドルネームで登場する。もちろん会った人達の本名は知っ ているが、自分が旅行記に本名を書いていないので、すべてハンドルで書きたい。ハンドルが飛 び交うとなんだか自分が、その世界でのベテランみたいでちょっとイヤだが仕方がない。

参加者の紹介や、会合の進行については各所で紹介されているので、ここでは繰り返さない。楽 しく有意義で、いろんな方に感謝しなければならない会合であったが、その辺の挨拶はすでにそ の場で済んでいるので、ここでは自分の旅行の一部として主観的に書いて行くことにする。旅行 記としてのこれまでの路線を守らなければならないので(笑)。

江南まで

ノースウエスト航空の旅行券(旅行記3参照)があるので、チケット代は無料である。そして、 当日は成田に早く着きすぎたおかげでワールドビジネスクラスに乗せてくれた。前回の乗り替え の記録でも残っているのかと思ったが、たぶんチェックインの早い順に移動したのだと思う。呼 び出しのアナウンスでチケットを交換したとき、「よい席に変わりました」とだけ言われたので、 窓側とか喫煙席とか、その程度の席替えだろうと思っていた。搭乗開始間際までろくに座席番号 も見ていなかった。ノースウエストがますます好きになった。

成田で実は、旅行記1−2を復活させてくれた本間加奈さんと会うはずだったが、とくに時刻や 場所を決めていなかったので会えなかった。金浦でもビジネスクラスでかつ預ける荷物なしの自 分はあっという間に脱出してしまい、ちょっとためらったが早く旅館で落ち着きたかったので、 空港バス601に乗ってしまった。想像したほどソウルは寒くなかった。エルニーニョのせいだ そうだ。このエルニーニョとアイエムエプ(IMF)は滞在中至る所で耳にした。

このバスのこの方向は初めてだった。チョンノ1ガで降りなければならないのだが、立ち上がる タイミングを間違えて(コリアナホテルをまだ過ぎていなかった)1つ手前で降りてしまった。 なんで自分は、降りるときに運転手に確認しないのだろうと、苦笑してトボトボと来た道を少し 戻ると地下鉄市庁駅があったから1駅乗って鐘閣に着いた。あそこで慌てなかったのは4度目の 余裕だろうか?いや、4度目ならこういうドジはふんじゃいけない。

旅館は繁盛していた。2万ウォンの部屋はふさがっており、2万5千ウォンのベッドと敷布団の あるオンドルが1つだけ空いていた。アジュマがすまなそうに、「明日になったら部屋を取り替 えます」と言ってくれたが、2万5千ウォンだって安いのだ。「1泊だけしてもう1度来ます」 と言って金を払った。飛び飛びに3泊することになるとは、自分はこのときまだ知らない。

ハラボジに電話をして、代わりに出たハルモニに「明日挨拶しに行きます」と言って寝た。まず 会いに行きたいのが半分、早く土産(虎屋羊羹と文明堂カステラ)の重さから解放されたいのが 半分である。翌日は地下鉄で蚕室へ行き、タクシーに乗ればいいものをまたまた歩いてビルラに 向かった。ヒョン達がいないので部屋にはハラボジとハルモニだけである。昼ご飯を外でご馳走 したいと申し出たが、「チベソ モkチャ!」と言いながらハルモニは買い物に行ってしまった。 そしてサmギョpサrを腹いっぱい食べた。ハラボジもハルモニも翌日から親戚の結婚式のため に3泊程どこか(忘れた)へ行ってしまうという。で、その間自分が1人では退屈だろうという ことでこれも親戚の、日本に留学経験のある人を紹介しようと言ってくれた。以前から言われて いた見合いの件かと思ったが、男らしい。旅館を決めたらすぐに連絡先を知らせろというので、 オフ会の前に以前泊まった江南のモーテルに部屋をとりに行って、そこからすぐに電話番号と部 屋の番号を知らせたのだが、結局その人物からの連絡はなかった。

江南でオフ会の集合場所を確認して、時間がかなり余ったのでぶらぶらしながらCDなどを買っ た。だんだんこのあとの会合が不安になる。「どうして日本人に会いに行くのだろう」という疑 問がまたぶり返す。とりあえずここまで韓国語モードで来て、徐々に口が動き易くなってきてい る。このあと長時間日本語を使ってしまうと・・・
しかし自分はオカトホさんに頼まれた、「カーセンサー」と「カメラの電池」と「りなぽんさん 用の履歴書」を背負っている。この荷物を早く渡して軽くなりたい。などと、その後のお世話を 思うとずいぶんとばちあたりなことを考えていた。自分が最も会ってみたかった人は、実は奥さ んのりなぽんさんだったから、全員が集合して1次会が済んだらりなぽんさんのところへ(つま りオカトホさんが留守中のお宅に)行こうかとも考えていた。本当に申し訳ない。

飲む食う唄う

集合時刻をきちんと憶えていなかったので、少し早めにそのコーヒーショップに入った。中2階 のようなところから見下ろしている、オカトホさんと呉光朝さんがすぐにわかった。自分のホー ムページはオカトホさんの掲示板から派生したようなもので、そのオカトホさんの掲示板は呉光 朝さんのページを間借りしているので、独立したページでありながら自分はなんとなく2人が大 家さんのように思っている。肩の力がすーっと抜けて行くのが自分でわかった。普通は初対面で 緊張するものだが、日本人に会って逆にリラックスしてしまった。4度目の韓国で、それもソウ ルの勝手のわかっている江南で、やはりどこか気を張っていたんだなと思った。そして、あとで この楽チン気分から1人旅モードに戻るのはきつそうだなとも思った。

ほぼ全員が揃ったところで移動して飲み食いが始まった。始まってしまえばあまり深いことを考 えずにいた。話題は探さなくてもいくらでもあった。旅行記1が終わってすぐメールをくれたド クター(DKさん)は飛行機を乗り継いでソウルまで来たと言うからすごい。ドクターとは同じ 歳であるが、思えば自分もドクター(医者じゃないほう)になっていたはずだったなどと、感傷 も少し首をもたげた。そう言えば山田ル太ーさんもスーバクさんも、唯一の韓国人の本間加奈さ んも、分野は違うが長〜い学生生活の人である。うまく説明できないが、みなある種の雰囲気を 持っていて納得するところがあった。

ノレバンへ行きたかった。韓国歌謡のカラオケは、日本にもないことはないのだが、たいていは 古い曲にカタカナ字幕のどうしようもないものである。こんなことを書くと敵を作りそうだが、 英語にしても韓国語にしても、カタカナで書いてもらってまで唄う意味がどこにあるのだろう。 それなら日本の曲でいいではないか。ハングルのカタカナ読みではなくて、日本語に意訳した歌 詞がでるものもあるが、まぁとにかく選曲が古すぎる。新しい曲のあるカラオケも探せばあるの だが、1人では行きたくないし、韓国語のわからない人を無理に引っ張って行って聞かせるのも 気の毒だし、かと言ってコリアンパブではコストが掛かり過ぎる。そんなわけで韓国でいつか思 い切り唄ってやろうと思っていたのだ。

ついにそういう所へ入った。ちょっとレパートリーの数のケタが違うが、さばさんと競演できる。 ・・・と、腕まくり状態だったのだが延々と日本語の唄が続いた。日本語・韓国語が両方ある店 にしようと社交辞令を言ったら本当にそうなってしまった。韓国歌謡をリクエストしても出てこ ない。そのうち、日本の曲のリクエストが全部終わらないと韓国歌謡は始まらないということが 判明した。大人げない告白をすると、自分は日本の曲なんかただの1曲も、唄いたくも聞きたく もなかった。最近会社の飲み会でも「カラオケ」へ行く雰囲気になるとさっさと帰ってしまうの だ。それを韓国まで来て・・・もう不機嫌が顔に出ているのが自分でわかった。

やっと韓国歌謡になってさばさんと唄ったのだが、いくらも唄わないうちにまた日本語に戻って しまった。やはりヒョンと行ったように、韓国人グループに混ぜてもらう方がよい。恩知らずの 汚名を覚悟で1つだけ不満を言わせてもらえれば、このノレバン(?)で過ごした時間だった。 それにしてもさばさんが気の毒だった。自分はただ座って不満そうにしていればよかったが、機 械の使い方がしばらくわからず、また機械の調子も悪く、そのたびに店の人に電話を掛けたり直 接頼みに行ったりで、酔っ払っていてきちんとお礼が言えなかったのが悔やまれる。

まぁしかし、自分は楽しませてもらった。その夜最後に行ったポジャンマチャ(屋台だが、そこ はほったて小屋のようだった)が嬉しかった。1人では気が引けるが、入ってみたかったのだ。 もう唄のことは忘れていろいろな話をした。楽しいのだが時々ふと、自分の旅行記を読んだ人が いまこの場にいることを思い出し、赤面してうつむいてしまう。話は変わるが、本間加奈さんの 日本語は本当に自然である。そして韓国語はテープの教材のようにきれいである。自分はもちろ んまだ、発音がきれいか汚いかを判定できるようなレベルではないのだが、たぶんこの評価は間 違っていないと思う。

酔っていたから迷惑も考えずに自分が言い出して、呉光朝さんの部屋に押しかけた。自分を含め て何人かが朝までに自宅やホテルに移動したが、しばらくは雑魚寝状態にあった。お互いがほと んど初対面なのにである。学生に戻ったようで嬉しくなってしまった。ソウルの3人の方に感謝 しつつ、明け方自分は部屋を出て、「ここからは1人なのだ」と決意してモーテルへ戻った。わ ざわざ眠っているのを起こすのも悪いので、失礼ながら簡単なメモを置いた。ドア近くで寝てい た山田ル太ーさんが正座して(笑)見送ってくれた。

・・・が、6時間後にまた会うことになるのだった。

オフ会は終わっていなかった

ものすごい音量で電話が鳴った。時間も空間も何だか分からず受話器をとった。「ヨボセヨォ」 と言ったか「もしもし」と言ったか定かでないが、オカトホさんが「もしもし」と言っていた。 自分の環境を理解するまでにしばらく意味不明のことを言ったかも知れなかった。新村へカルビ を食べに行こうという誘いだった。ハラボジの親戚からの電話もちょっと気になったが、まぁか かってきても夜になるだろうと判断して、オカトホさんについて行くことにした。夜逃げみたい にモーテルに戻ったので、後味が悪かったからちょうどよかった。

新村へ向かう地下鉄で、スーバクさんが「韓国語で話したいでしょう」と言ってくれて、しばら く日本人同士で韓国語で(といってもわからなくなると日本語になる)会話をしていた。昨夜の 顔色を悟られたか、と思ったのは実はずっとあとになってからで、その時は単純にそういう心遣 いが嬉しかった。このスーバクさんの韓国滞在の苦労は並大抵ではなかったろう。旅行で訪れる 場合は、とにかく自分の目的地へ到着できて、食べたいものを食べて買いたいものを買って、な んとかなりさえすればよい。自分のようなスタイルの旅行であっても、「生活する」ことに比べ たらまるで簡単なのである。旅行者は知らなくても困らないような、韓国語が完璧でない人にと って数々の難問が待っているのだ。言葉の問題だけではない。自分が「まずいものはほとんどな い!」と言い切っている韓国の食事だって、1ヵ月も食べつづけたら同じ主張ができるかどうか 怪しい。旅行者だからニコニコと親切にしてくれる、いままで通り過ぎてきた韓国人達とも、長 く滞在すれば当然、互いの異質性からくる摩擦が生じるだろう。スーバクさんを、会ってみるま で「男」もしくは「おばさん」と思い込んでいたのは、実にたくましく釜山で生きている様子を 掲示板への書き込みから感じたからだった。彼女の韓国語のイントネーションはソウルのもので はなく、それがなかなかいい感じだった。

韓国で暮らしていて、そこへ日本からの訪問者を交えて日本人同士が会うということ、その意味 が自分には想像はできても実感することは不可能なので、ノレバンその他ではずいぶん身勝手な 考え方をしていたのだが、スーバクさんも山田ル太ーさんも、呉光朝さんもオカトホさんもさば さんも、程度の差はあれ「日本語求む!」的な気持ちがあるのではなかったか。唄だって久しぶ りに日本語でやりたかったのではなかったか、そこを自分は考えていなかったわけではなかった が、口に出さなくともちょっと不服そうに見せたのはよくないなぁ・・・とのちに考えが至った。

カルビを食べて2つに別れた。江南へ戻る呉光朝さんと自分と、明洞へ向かうハヤミン(**ミ ンとか**リンというハンドルに「さん」付けはちょっとおかしいのでこのままにする。それに ずっとハヤミンと呼んでいたので、今更ハヤミンさんと呼べない)と、地下鉄に乗った。自分が 呉光朝さんの韓国風フレームの眼鏡を見て欲しくなったから買いに行くと言うと、付合ってくれ ることになった。ハヤミンも眼鏡を作ることになった。

本当は南大門市場の辺りに眼鏡屋街があって、途中で道を聞いたアジョッシ(まだ若い人)もそ う言っていたが、それほど大きく値段は変わらないだろうということで乙支路入口か乙支路3街 (どっちの駅だったか忘れてしまった。ハヤミンがそのあと歩いて明洞へ向かったし、先のアジ ョッシが南大門市場まで歩いて行けると言っていたから、たぶんこのどちらか)の辺りの普通の 眼鏡屋に入った。自分は両目とも視力1.5だからフレームだけでもいいのだが、それでは変人 なので、「度がない眼鏡」を注文した。度なしレンズ(?)が3万ウォン、フレームが1万5千 ウォンから。自分の作った眼鏡は全部で5万ウォンだった。HOYAのパッケージを見せられて ちょっと仕事を思い出した。

なんとか韓国語でやりとりしたが、ハヤミンは果敢にも英語で頑張っていた。高級ホテルならと もかく、こういう眼鏡屋で大丈夫だろうかと見ていたが、なかなかたくましくやりとりしていた。 できた眼鏡をかけて呉さんと地下鉄で江南に戻った。呉さんは明日、「椎名さんに会いたい」の 李さん(呉光朝さんのHP:旅行記1−3参照)に会わせてくれるという。結局来ないハラボジ の親戚からの電話を待つ必要がなければ、もっと積極的に返事ができたのだが、なんだかはっき りしない返事をしてしまった。

しかし翌朝、当てにならない電話を待つのも面白くないので、モーテルを引き払って呉さんの部 屋に向かった。李さんに会ってそのあとどこへ行くのかが決まっていなかったが、呉さんから思 わぬプレゼントをもらうことになるのだった。

旅行記4−1
旅行記4−3
帰ろう