韓国へ行く前から、独立紀念館はどうしても行きたかった。行かねばならんと、肩に力を入れていた。しかし 韓国の各種交通に慣れるまでは、行けないと諦めていた。いまになって思うと、独立紀念館へ行くことは決し て難しくはない。高速バスに乗れさえすれば行ける。乗るには少しハングルが読めて、チケットが買えればよ い。紙にハングルを書いて示したっていいのだ。自分が初めて乗った高速バスは、独立紀念館を通って天安ま で行く「一般高速バス」というものだった。
江南高速ターミナルで、ややまごついた。時刻なんか気にせずに1度ぐるっと一回りする覚悟だったが、それ でもよくわからず、適当に手の空いてる販売窓口へ行って聞いた。「一般高速バス」と言ったか「独立紀念館」 と言ったか忘れてしまったが、無愛想なアガッシが場所を教えてくれた。ガイドブックの地図をちょっと恨ん だ。ついでにシステムもちょっと違う。この一般高速バスも、後日乗る高速バスも、チケットの半券を乗ると きに、残りの半券は降りるときに運転手に渡すと書いてあるが、降りるときに渡している人は誰もいない。座 席指定だが、この一般高速バスの方はわりといい加減で、自分が番号の席を探していると、「どこでも座って」 と言われた。
それでも初めてだから、緊張気味だった。バス停をいくつか通過するたびに、時刻表を取り出して「あといく つ」などと確認していた。着いてみればなんでもない。紀念館のすぐ前にバス停があるのだ。ただし、そこか らが遠い。建物が見えているのに遠いのだ。入って行くときはそれほどでもなかったが、帰りはうんざりした。 とにかく自分はついに来たのだ。
記念館ではない。紀念館である。全面的にハングルなので漢字の看板はないのだが、起工当時の新聞が展示し てあるコーナーの新聞に「独立紀念館」と書いてあった。中は遠足の子供だらけである。キャーキャーと騒い だり写真を撮ったり、ガイドブックにおどろおどろしく紹介されているイメージとはまったく違う。展示館か ら展示館へ進むのに体力がいる。すらすらと読めないハングルをよく見ようとすると、子供の列が騒々しくや ってくる。日帝時代の日本人の悪事がたくさん展示されているのは確かだが、日本が過去に悪いことをしたの は知っていたので、それらを見ても正直な話、あまり動揺しなかった。
これは日本人である自分が言うべきではないかも知れないが、その展示内容のような残酷場面は、最近もイス
ラエルvsパレスチナとかボスニアとか、世界中にたくさんある。これに大ショックを受けるとしたら、いま
まで何も勉強して来なかったか、よほど繊細な神経の持ち主である。これから日韓は、韓日は、国と国はどう
だか知らないが、人と人は更に加速的に交流するのだ。過去に日本のやったことはもちろん知っていなければ
ならないし、日本で在日の人を社会的にどう扱ってきたかも知っていなければならない。しかし、「ごめんな
さい」ばっかり言ってないで友達の1人でも2人でも作るべきなのだ。
自分はただの一般人だから、両国の架け橋なんていう意識はまったくない。ハラボジやヒョンに会いに行って、
そこから少しずつ知り合いが増えればそれでいいと思う。韓国人のすべてが好きなわけじゃないし、韓国と言
う国が好きかというと、まだよくわからない。自分個人ができるのは、知り合った人を大事にするだけだし、
それで十分だと思う。とくに目新しくなかったこの独立紀念館は、なにも知らずに韓国へ旅行する人こそ見る
べきであって、自分は別に来なくてもよかったのだ。
と、思い始めた頃、1枚の写真が目に入った。自分が紀念館に行って最も考え込み、胸がつかえる思いがした のは、みんな素通りしてしまうような学校の授業風景の写真だった。こんなものは紀念館に来なくてもどこに でもあるだろうが、自分はここで見たのである。黒板を背に日本人と思われる軍人風の教師が、日本語を教え ている。そして坊主頭の子供達が座って黒板に書かれた日本語を見ている。あるいはなにか復唱しているのか も知れない。その少年達の1人と、あのハラボジを重ね合わせた途端、それまでの自問自答がどこかへ飛んで 行ってしまった。そう、ハラボジはこうやって日本語を習わされたのだ。ただただ申し訳ない気持ちになった。 こんなことを今ハラボジに話しても笑われるかも知れないが、その1枚の写真こそが、自分にとって独立紀念 館のすべてだった。自分は子供がぶつかろうが他の客が怪訝そうにこっちを見ようが、腕組みのまましばらく その写真を見ていた。
すぐ近くで、韓国人ガイドに説明を受けながら、オバサンがハンカチで目を押さえているのを見た。「そうい う反応はちょっとなぁ」などと思っていたが、日本人ではなくて、韓国語のできない在日韓国人だったかも知 れない。あるいはやっぱり日本人で、自分と同じように韓国人の知り合いがいる人かもしれない。そう思って 反省したときには、もういなくなっていた。
幼稚園か小学校低学年か、そのぐらいの子供を先生が引率している。展示物の前に座らせて、講義をする。 「イェンナレェ〜(昔ねぇ)イルボンサラmドゥル〜ン(日本人は)ウリナラハンテェ〜(韓国に)・・・」 決して強い語調ではない。どちらかというと面倒くさそうな調子である。「どうも!僕はその日本人です」と 自分がもし話し掛けたら、その先生は「あ、そうでしたか」と、ちょっと照れ笑いをするのではないかという 雰囲気すらあった。あくまで自分の主観だが。そういう講義をして、だから日本人をやっつけろという主旨で はないと思う。しかし、ここで日本と韓国の教育に大きな差があることが実感できた。我々はこういうことは 教わってこなかった。大人になるにつれて、学校以外から少しずつ日本は元々加害者だったとわかってくる。 かつての被害者の子孫は、あんなに幼いころに教わるのである。
最後に昼飯で失敗した。紀念館の食堂のメニューをパッと見て、ちょっと食べたことがないものに挑戦しよう と思ったのだ。ハングルは読めるが何だかわからなかった食べ物・・・「トトリムk」である。トトリがどん ぐりであることは知っていた。だから木の実をどうにかした(本当にどんぐりとは思わなかった)ものだろう と思って、アジュマに注文するとちょっと「?」という顔をした。自分はアホみたいに再度「トトリムギョ」 と念を押した。出てきたものは、定食ものとは程遠い、くず餅と生野菜の唐辛子和えであった。これは酒のつ まみが何種類か並ぶうちの一品としてこそ意味がありそうだった。昼飯にこれだけ食べる人はいないだろう。 別のアジュマ団体がこっちを見る。自分は何食わぬ顔で半分まで食べたが、ついに立ち上がってビビンバpを 更に注文した。さっき注文を受けたアジュマが笑う。「こんなのだと知らなかった」と言うと、もっと笑われ た。アジュマ団体も笑う。自分もビビンバpをかき混ぜながら笑ってしまった。
ヒョンやママの妹にトトリムkの話をすると「マァシイッチィ(うまいだろう)」と言われた。ごく最近会っ た韓国人も同様だった。しかし自分は、韓国で初めてまずいものを食べたのであった。