さらば20世紀

空港にて

 空港に着いたはずのジョンシクだが、こちらの居場所を説明してもなかなかわかってくれない。携帯電話を持たない相手は、こんなときに不便だ。自分がジョンシク名義で携帯電話を手に入れた頃を最後に、韓国では電話機を安く買うことができなくなっていた。安く買うことができないというより、安く売ることができなくなったらしいのだが、詳しい事情は忘れてしまった。かつては、古い機種なら電話機も加入手数料も無料のものがあったのだが、今では電話機だけでW20〜30万もかかる。そのせいか、ジョンシクはなかなか携帯電話を持とうとしない。自分が覚えているだけでも、3回ほど契約しては解約している。この数ヶ月前にも、誰かに借りたかもらったかで、携帯電話の番号を知らせてきていたのだが、それもいつのまにか解約してしまっていた。
公衆電話から何度も電話をよこし、ジョンシクも自分も癇癪を起こしそうになりながら、ようやくエスカレーターの上と下から互いの姿を認識する。ヨニィと3人で元の席に戻り、ほっとして時計を見ると、あれほど余っていた時間が、もう残り少なくなっている。

空港にて

 空港バスを待つ。もういまさら感想も何もあったもんじゃないが、それでも「また来たんだな」という感慨はある。最初はハラボジと乗ったこのバス。その後何度も一人で、またはこのジョンシクと、少し甘えた雰囲気のある空港を出て、日本語を忘れ去る世界への入口---と、自分で勝手に思っている---このバスに乗って来た。この金浦空港からこのバスに乗ることは、今後ほとんどなくなる。次の旅行からは仁川空港に降り立ち、そのときにはもう少し緊張しながら、バスの行く先や番号を探していることだろう…と、この日この時に考えていたかどうか?

喧騒のためにかえって寂しくなることがある

ソウルで、というよりも韓国で、いやいや外国で年を越すのは初めてである。しかも1999年から2000年、あるいは2000年から2001年という、世紀の変わり目であるから、何かが起こりそうな、根拠は曖昧ながらも確信を持って、ちょっと浮ついた期待をしてしまう。韓国では21世紀は2000年からであるという古い考え方と、2001年からであるという、世界の標準に合わせた考え方があるのだが、自分には多くの人が、「どっちでもいいよ、2年続けて騒いじゃおう!」という感覚でいるように思える。それはともかく、自分を含めて世界の大半の人は、今日が20世紀の最後の日で、明日からが21世紀だと思っている。その瞬間を、異国で、韓国で、さぁ誰と過ごすことになるのか? …と、自分のおかれた立場を多少美化しつつ?英雄化しつつ?浮かれていたのは、せいぜい夕方までで、まさに21世紀を迎えようとする頃には、自分は完全にくさってしまう。

 目が覚めると、昼の1時。スンチョルの歌声と、ファンクラブの飲み会の様子をぼんやりと思い出しつつ、もたもたしながら外に出る。スンデククを食べながら、今日と明日の予定を考える。この時点で、会うことになっている人物は3人。よく考えたら(考えなくても)すべて女の子である。ジョンシクにこういうことを話すと執拗にからかわれるのだが、日本から誰かが遊びに来ている、それじゃぁ会ってみよう、という好奇心は女の方が強い。たとえば、何かの同好会的なサイトで複数の男女と知り合うとする。その時点では本名も性別も不明だったりするが、韓国語で対等に会話(と言っても文字の)をする日本人である自分に、何人かは興味を示す。こちらが「友達になって」「メールください」などとお願いしなくても、とりあえず何人かがメールをくれる。そして何度かメールが行き交ううちに、マメにメールをくれる相手が残る。その中で、韓国に来たら連絡を下さい、というような話になるのは、男よりも女の方が多いのだ。こういう話をジョンシクにすると、「それはヒョンが女の子にはすぐに返事を出すのに、男だとなかなか返事を出さないからでしょう」と言う。うーん…自分ではそんなつもりはなかったのだが…しかし自分も反論する。ジョンシクに対しては、当時のあの程度の実力で、長い時間をかけて苦労して一生懸命にメールを打っていたではないかと。すると「でも最近は短いメールが、たまにしか来ない」と言われ、またうーむ…

 その辺はまた今度考えることにして、ともかくこれから今日と明日で、3人の女の子に別々に会わねばならない。日本語を学ぶサイトを運営しているヒカル、昨日の飲み会で約束したウンソル、YADAというグループのメイクを担当して全国行脚中のヒョルロギ…まさか3人からドタキャンに遭うとは思ってもいなかったのだが…
(ハンドルネームがごちゃごちゃと登場する文章は、本人を知らない読み手にとってはただ不快なだけである、ということが最近よくわかったので、今後やむを得ぬ場合を除いて極力避けようと思う。…なぜ今ここでこんなことを書くのかって?…書いておかないと忘れてしまうから…メモ帳かよ)

 こういう空いた時間に、買い物を済ませておこうと思い、音楽テープやらCDやら、母に頼まれていた油彩画の絵の具やらを買う。何か買い物が終わるたびに前述の3人に電話をかけるのだが、なかなか捕まらない。結局一通りの買い物は済んでしまい、あてもなくフラフラするにはチョンノ界隈は見飽きているので、PC房(ネットカフェ)に立ち寄る。一服しながらメールをチェックしたり、チャットに入ってみたりするのだが、いつもなら簡単に連絡が取れるはずの3人が、申し合わせたように行方不明である。

 諦めてPC房を出る。チョンノの街は今夜のカウントダウンの準備で、だんだん騒がしくなる。普段ならあまり関心を払う人もいないチョンガクの鐘の周りが徐々に賑やかになる。自分がこの見飽きたチョンノをうろうろできるのも、あちらこちらにいつもとは違ったものを感じるからに過ぎない。それはまた、自分自身いつもとは違う、まさに世紀の変わり目だという意識に満ち満ちているからかも知れない。最初のドタキャンはウンソル。ようやく通じた電話で、なんとかかんとかで、今日は仕事で明日はどうとかこうとか…要するに会えない、と。もともとが明日の約束で、何かの都合で今日に変更になると困るなぁと思っていたぐらいなので、それほどのショックはない。空は薄暗くなっている。20世紀最後の日が暮れようとしている。通りにはいつもよりも多くの屋台が並び、地下鉄の入口付近は、行き交う人と待ち合わせに佇む人が不器用に衝突し始めている。このまま一人で晩飯を食い、一人で21世紀を迎えるのだろうか?

 日が沈むに連れて、人通りが多くなる。電話をかけなければならないので、ときどき人通りの少ない方向へ歩くことになるのだが、それは楽しそうに歩いている人波がだんだん鬱陶しくなってきたせいでもある。ふとそこが観光公社の近くであることを思い出す。ここはインターネットは無料だが、タバコが吸えない。…でも静かだから休むにはちょうどいい…というわけで、メールと掲示板のチェックをしてみる。PC房でチェックして間もないから、新しいメッセージは何もない。連絡のとれないヒカルかヒョルロギが、もしや何か緊急のメールでも送ったかも?…などと思ったが、自分は携帯電話を持っているのだから、わざわざメールを送ってよこすわけはないのだった。外に出ると、日はもう完全に落ちている。晩飯…食うかなぁ?よりによってこんな日に、一人で、チョンノで?(泣)

 晩飯は、しかしまだ食えない。またしばらくほっつき歩いた後でようやく電話に出たヒョルロギが、「まだ仕事中なので、9時にこちらから電話をする」と言うではないか。ヒカルの方はついに携帯電話の電源を切ったようで、まるでつながらない。だからもう、今日中に誰かに会うとしたらヒョルロギしかいないのだ。このあと9時に電話が来て、どこかの駅で待ち合わせて、うーん、9時半か10時頃まで飯は我慢か…。大通りは歩行者天国状態となっている。あちらこちらにきらびやかな装飾、楽しそうに笑いながら談笑している学生らしきグループ、家族連れ、カップル、一人で歩くのは自分ぐらいなものだ。ライトアップされたチョンガクの横を、もう何度通り過ぎたことか。

 そんな風に寒い街中をさんざん歩き回り、よけいな買い物をして増えた荷物をモーテルに置きに帰って休み、PC房でメールや掲示板をチェックし、夕方からどうにかこうにか時間を潰して来たのだが、ついに10時近くになってかかって来たヒョルロギの電話をきっかけに、自分はすべてを諦める。仕事が終わらないので会うのは明日にしてほしいというのだ。自分は簡単に「わかった」と告げ、ガックリと肩を落としながらも、もしやスンチョルファンクラブの連中がどこかに集まっていやしないかと、ミレロに電話をかけて最後の悪あがきを試みたが、皆でカウントダウンに参加しようなどという話はない、と言われてしまう。じゃあミレロだけでもいいからと言ってみたが、家族で何かをする予定になっているそうで、冷たく断られる。もうお前には二度と電話はしないぞと思いつつ電話を切る。わかったわかった、もういい!すれ違う人々が急に憎らしくなって来る。たかだか日付が変るというだけなのに、何を嬉しそうにはしゃいでやがるのか?そこでベチャベチャしてるバカップル!邪魔だ!どけ!…声にこそ出さないが、自分は腹の内で知っている限りの罵倒語をわめきながら、モーテルに向かう。

 空腹を通り越して、逆に食欲がなくなっている。とりあえず海苔巻にホットクを買い込んで部屋に戻ると、大の字に寝る。なんだってこんな日に誰もいないんだ?いや、そうじゃない。いくらでも約束をとりつけることはできたのだ。いろんな事情があるにせよ、会えないなら会えないと、せめて昼頃に連絡してくれていたら、ジョンシクやデジを呼ぶなり、ヒョンのところに行くなり、あるいはまだ会ったことのないネット上の知り合いに連絡をとるなり、時間を有効に使えたのだ。いや、そんな風に恨んじゃいけない。過労で倒れたヒカルも、過労で倒れる寸前のヒョルロギも、きっと済まない気持ちでいっぱいだろう。自分が運が悪かっただけなのだ。だがしかし…

チョンノの様子を伝えるテレビ中継。窓の外の騒がしさが、テレビの中からも若干のタイムラグを伴って聞こえるという、奇妙な感覚に包まれつつ、20世紀は終わった。いま、この瞬間から21世紀なのだ。テレビを消し、仰向けになって前世紀の自分の半生を振り返り、今世紀の展望を…などと考えることもなく、まもなく襲ってきた眠気に身をゆだねる。さらば、20世紀。そしてあっけなく21世紀。

旅行記13−2
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