みんな元気か?

空港にて

目の前にヨニィがいる。ヨニィと自分はジョンシクの到着を待っている。ここは金浦空港第1ターミナル出国口を見下ろす、レストラン兼コーヒーショップ兼待ち合わせ場所兼(・・・中略・・・)である。ヨニィと自分は今朝10時にモーテルを出て、ソルロンタンを食べ、観光公社でセマウルの切符を1枚買い、自分にとっては「いつもの」601番バスに乗って空港に着いた。バスの中でジョンシクからの電話を受けたのだが、自分がすでに空港へ向かっていることを知ると、慌てて自分も空港へ向かうと言った。

空港にて

荷物を抱え、早歩きで入国・税関・両替を済ませて出迎えの人々の前に出たが、ジョンシクはまだ着いていない。それもそのはず、税関のところでジョンシクから電話が入り、間違えて第2ターミナルに来てしまったので、これからそっちに向かうと言っていた。一度外に出てタバコに火を点けたところで、帰りのチケットのことを思い出す。関空で「予約確認は必要ない」と聞いたアシアナだが、飛行機の中でスチュワーデスに訊くと、それとは逆の答えが返ってきた。また中に戻り、すぐ脇の案内所で予約確認ができるかと訊くと、フロアを上がったところのカウンタへ行けと言われる。以前、別な航空会社はここでできたのだが、と首を傾げたところでジョンシクが現れた。

わだかまる

掲示板でデジともめた。デジが「韓国人同士なら何でもないことなのに」と言うところの、きつめの冗談が自分には癇に障ったのだ。何度か文字でやりあって、国際電話までかけて互いの言い分を理解し合い、少なくとも自分の中では解決したことだった。そもそも生まれた国も環境も違う人間同士、誤解が生じるのは当たり前で、そこでいかに相互を理解して行けるか、というのが自分の考え方である。だからデジとやりあった内容は非常に貴重で、自分だからこそそこまで話し合え、そして和解できたという自負もあった。

しかしデジの考え方は違う。酒を酌み交わして培う友情に国籍なんか関係ないと言う。デジは自分を非常に親しいヒョンと見込んで、だからこそ安心してきつい冗談も言えたのに、そこで怒り出すのはヒョンが自分(デジ)を信用していないからだ、と不平をもらした。その場は解決できても、デジは「文字での対話」というものに煩わしさを感じて、掲示板に来なくなった。自分が怒った(怒った、と言うと少し違うのだが、デジはそう思い込んでいる)ことはかなりのショックであったようだ。

自分が今回の旅行を計画する少し前、CHANGILさんが奥さんとソウルを旅行した。CHANGILさんとはネットで知り合い、時々一緒に酒を飲む仲である。かなり韓国語のできる人で、韓国語の掲示板に積極的に参加してくれている。だから掲示板ではジョンシク、デジ、パラム、それに留学してそのまま就職したいちごとも知り合いである。旅行日程は早くから決まっていたので、自分を除く主だったメンバーがソウルで会うことになっていた。ところが、ジョンシクとデジが当日、何の連絡もなくその集まりに参加しなかった。2人とも、約束をしておいてすっぽかすような奴等ではない。ではどういうことなのか?・・・2人の間の問題なのか、自分に対する不満の表れなのか、掲示板やメールで問い詰めても埒があかず、自分はこの機会にキッチリと説明させる覚悟をしている。

ヨニィ

かなり以前の旅行記に登場し、一時はホームページの表紙を飾っていた大邱(テグ)のヨニィは、大学を卒業して中国に渡った。それも中国で働くために行ったのだ。自分の韓国語を上手に誉めてくれるヨニィだが、実は自分の韓国語よりも、ヨニィの中国語の方が実力が上であるらしい。自分が韓国にはまっているのと同じく、ヨニィは中国にはまっているのだ。その動機がなんであったのか、自分が訊きそびれたのか、訊いたが忘れてしまったのか、いずれにせよ今は説明できない。ヨニィが中国は青島(チンタオ)から送ってくれた手紙はかなりの量になる。そのたびに青島に遊びに来いと言ってくれていたが、結局それは実現せず、帰国したヨニィと自分は韓国で会うことになった。

いつの頃からか、ヨニィが自分にくだけた言葉遣いをするようになった。いわゆるパンマルから、相手を「お前」呼ばわりする部分だけを除いた言葉で、これは親しくなると弟・妹分が兄・姉貴分に対して使って差し支えないのである。しかしここが韓国語会話の難しいところで、会話の内容や語調や表情によって、似たような表現が「親しみ」にも「生意気」にも変わり得る。まぁ自分はその辺をゆっくり学ぶとして、ヨニィの言葉遣いで気になるところが1つだけあった。それは自分の姓を呼び捨てにすることである。韓国語で「ッシ」や「ニム」をつけるとなんだかよそよそしいし、「オッパ」と呼べとは気恥ずかしくて言えないし、さりとて「アジョッシ」はできることなら勘弁してほしい。そこで日本風に「○○さん」と呼ぶのが、双方納得がいくのではないかと思いながら、つい掲示板で単に「呼び捨てにするな」とだけ注意してしまった。もっと上手く事細かに書けばよかったのだが、ヨニィは「敬語を使え!何様のつもりだ!」とでも言われたかのように受け取ってしまい、少しシュンとなってしまっていた。自分はこの点を、是非会って説明したかった。

集合

チョンノへ向かう空港バスの中、しばらく走ったところで電話が鳴る。女の声だが誰だかわからない。「パラムさん?」とうっかり訊いたら、ヨニィだった。「パラムさんって誰よ!」と責められ、「いや、オレのホームページを見てメールをくれた人で・・・」と説明している隣で、ジョンシクが笑いを噛み殺している。

鐘閣駅近く、国税庁裏のモーテルは、ここのところ常宿になっている。が、とくに気に入っているわけではない。今回も前回と同じ部屋に通されるが、依然として電話が故障したままで使えない。市内通話ぐらいは携帯を使わずに無料でかけたいのだが、「お客さんがみんな携帯電話を持ってるので」と、アジョッシは修理する気がないらしい。(以前修理することを約束したはずだったが)それに一週間の連泊でも安くしてくれないし、クリスマスや年末はもちろん、週末割高料金までしっかりとられる。そして何よりも、ここから歩いて20秒の距離の、文字通り便利なコンビニがなくなってしまっている。次回はたぶん、別なモーテルを探すか、寒い季節でなければ元の旅館に戻ることになるだろう。

荷物を置いてジョンシクと仁寺洞に向かい、たまたまソウルに来ていて翌日帰るという山田ル太ー氏に会って、モーテルに戻ると2時を回っている。アルコールが入った身体でも外はものすごく寒い。何10年ぶりかの寒波が来る直前で、この日はまだマシなほうだったが、それでも東京とは比較にならない。一昨年の年末はもっと暖かかったのに・・・と思ってみても始まらない。デジに電話をかけると、「電話を待っていたのに」と文句を言われる。自分が到着してすぐに電話が来るものと思って、予定を空けて待っていた・・・という事実を知るのはもっと後になってからである。

そのまま昼まで眠って、いの一番に食べたかったスンドゥブッチゲを食べる。激辛のためか(そんなに辛くはないと思うが)あまり日本人一般には知られていない(韓国ものホームページじゃ定番かも知れないが)ように思うこのスンドゥブッチゲ、もっと声高に宣伝したいような、あまり教えたくないような---もちろん食べるときはそんなことは考えないが---冬場はとくにうっとりするほど美味い。今夜はジョンシク、デジ、パラムを呼び出して宴会かな?と曖昧に予定を立てる。

ジョンシクと待ち合わせて南大門市場へ向かう。「眼鏡を買う」「またですか」という会話も、すでに挨拶言葉と化してしまった。ぐにゃぐにゃ曲げても元に戻るフレームに黄色のレンズをつけて、それを少し値切ってW5万で買い、完成を待つ間に靴下やら下着やらセーターやら靴を思いつくままに買う。「下着(ネボク)を買いたい」とジョンシクに言うと、ジョンシクは「そんなもの着るんですか?」と驚いて自分を見つめる。「寒いんだから当たり前だろ!」と言ったものの、どうも話が食い違う。そのうち「ネボク」とは上下そろいのババシャツ&股引だとわかって自分は一人でゲラゲラ笑う。下着は「ソゴッ」と言わなければならないのである。どっちも同じ意味だと思っていたのだ。パンツ(韓国ではペンティ)は三角(ブリーフ)と四角(トランクス)があって、この言い方を知っていたから困らなかったが、店の人に「三角か四角か?」と訊かれるのは韓国ぐらいではないだろうか?・・・このパンツ、質が良くて安いもの、というやや矛盾した探し方をしているため、ちょっと恥かしい模様入りのものしかない。しきりに四角を勧めるジョンシクに対し、「大人は三角なのだ」と言い放って三角を買う。靴の露店ではアジョッシが自分を韓国人ではないと見破り、何度も「どこの国の人か」と訊く。自分はすっとぼけ、ジョンシクはニヤニヤ笑い、そのままやり過ごそうと思ったが、あまりに執拗に訊くので「日本です」と答える。日本ならどうだというのか?中国ならどうなのか、と出方を待ったが「あ、そうですか」だけで終わってしまい、拍子抜けしたまま眼鏡屋に戻る。戻ったらいやに耳慣れた言葉が飛び交っていて、どうやら客は日本人ばかりのようである。店員同士の会話だけが韓国語なのだ。来るたびに日本人客の割合が増えるこの店、次に来るときには店員も皆日本人になっているかも知れない(毒)。

ジョンシクに先日の、CHANGILさん夫妻歓迎会をすっぽかした理由を訊くと、すまなそうに「実は金がなくて・・・」と白状した。この心情を理解するのはつくづく難しいと思う。ここから半分は自分の想像が混ざってしまうが、ジョンシクは自分の立場上、是非とも先頭に立ってヒョンの友人である夫妻を迎える決意があった。決意とは、自分の感覚では少なくとも顔を見せに行くことで、これが最低のラインである。どんな事情があろうと、いったん約束したなら、短時間でも会いに行くのが最低限の礼儀であろう。ところがジョンシクは違う。結果は失礼なものになったが、最初の決意は自分よりもスケールが大きい。たぶん他の韓国男子でもそうではないかと思うが、「全部オレの奢りで歓待するのだ」という決意であったろう。ところが、アルバイト生活のジョンシクには、いつでも金があるわけではない。いや、多少はあったのかも知れないが、CHANGILさん夫妻にパラムにイチゴ・・・こんな人数の飲食費を負担するほどには無かったのだろう。働いているパラムに少し出してもらったって構わない、イチゴだって働いているし、CHANGILさん夫妻にとってたいした負担にはならないのだから、いっそみんなワリカンにすれば・・・というのは自然な日本人の感覚であって、そんなことはジョンシクにはとてつもなく恥かしいことなのである。その結果、いっそデジに任せようという気になって連絡もせずに欠席、ということになったのだろう。しかしデジも欠席であったことを後から知り、ジョンシクはジョンシクなりに胸を痛めていたのだ。自分はこの気持ちが、想像はできても完全に「わかる」とは言えない。「金がない」ということを、自分には言えるが初対面のCHANGILさんにはとても言えない、という部分は理解できるが、それなら予め嘘でもついてキャンセルするほうがマシではないのか?・・・と思ったが、それ以上の追求はムダなような気がして話題を変える。たぶん次の機会があれば、何らかの形で挽回するつもりなのだろう。

いったんモーテルに戻って買った荷物を放り投げ、デジとパラムに会いに江南に向かう。デジの乗ったバスが渋滞に巻き込まれ、30分ほど遅れるらしい。ジョンシクはずいぶんイライラしており、あとでわかったことだが、前回もデジが約束の時間に遅れたことと合わせて、憤慨していたそうだ。自分とは怒るポイントが違うようだが、たぶん江南という場所が(家から遠いので)気に入らないことも加わっているのだと思う。まぁ怒ったと言っても、デジを交えて飲むうちにすぐ機嫌を直したのだが・・・

デジは遅れ、パラムは映画を観てから参加するとのことで、ジョンシクと自分は先に店に入って待つことにする。しかしカリカリしているジョンシクを連れて外に出て見たものの、2人とも「ここだ!」という店を知っているわけではなく、とくに自分は腹のうちで「デジが店を考えて来るだろうに」と思っているので、元より真面目に探す気がない。結局ひとまわりして駅に近づいたところでデジから「到着した」という電話が入る。やはり江南に詳しいデジ(そのかわり鐘路は知らない)はまっすぐに一軒のホプに向かう。(これが新林ならジョンシクの出番となるのだが)

3人で飲み始めるが、なんとなく場が冷えている。パラムが遅れて参加して4人になっても、なんとなく盛り上がらない。その1つの理由が妙によそよそしいデジの態度である。前回わずか2日で馴れ馴れしい言葉遣いをしていたデジが、自分に対して敬語を使ったり(気持ち悪いからやめろと言ったが)するのだ。よほど掲示板でのやりとりで用心深くなったのだろうか。また、ジョンシクやパラムとの距離感をつかみかねている感じもする。普通アルコールが入れば、もうちょっと和むはずだが・・・

が、いま思えば、デジに会って飲み始めるやいなや自分が、「すっぽかし」の件を問い詰めたせいもあったのだろう。これは自分の失敗である。イヤな問題を最初に解決して、あとは楽しく飲もうというつもりだったが、そう自分の思うとおりにはいかないのである。世代の違いか?国民性か?・・・まぁどっちでもいい。自分の失敗である。なぜなら、デジの言い訳はデジ個人の問題ではなく、パラムにからんでいたからである。その日、CHANGILさん夫妻に会うことを、デジは知らなかった。以前掲示板で約束したことなので、そろそろだろうということは憶えていたそうだが、前述したように自分ともめて掲示板を見ていなかったデジは、その日の朝にかかってきたパラムからの電話でようやくそれが「今日」だということを知った。パラムは自分が遅れるということをジョンシクに伝えるつもりで、誤ってデジにかけたようで、「夕方また連絡する」と言って電話を切ったのだという。場所も時刻もわからないデジは、夕方の電話を待っていたと言う。ところがパラムのほうでは、デジがてっきり掲示板を見て知っていると思い込んでいるので、うっかりと電話をかけることを忘れてしまった。・・・なんだか、自分にはわかったようなわからないような話である。誰かがほんのちょっと気を利かせていれば、問題にはならなかったはずではないか。この部分に自分が納得していない、という雰囲気が知らず知らず自分から発せられていたのかも知れない。ともかくなんとなくギクシャクした、いたたまれない時間が少しあった。

それでもまぁ、そこそこに酔って、可も無く不可も無いところまで雰囲気は回復し、とりあえずお開きとなる。もう一軒行こうとデジが言う。明日も仕事のパラムと、バスがなくなるというジョンシクはバス乗り場に向かい、自分はデジを連れてタクシーに乗り、三成にあるヒョンの店に向かう。

あの日の記憶

突然の来訪にヒョン夫妻は驚きつつも、歓迎してくれる。ヒョンがいつも、自分を人に紹介するときに「日本の弟」だと言うので、自分はデジを「韓国の弟」だと紹介する。ついでにデジが自分のドキュメンタリーを撮ること、うまく行くとテレビ放映されるかも知れないということ、だからハラボジやヒョンも当然撮らなければならないこと、をザッと説明すると「それはすごい」と身を乗り出して来る。店にはちょうどヒョンの友達が何人か集まっており、最初の旅行のときに一緒に山の民宿に泊まった「一流ホテルマン」(もう辞めたそうだが)と同じテーブルに座る。自分は記憶違いをしていたのだが、この人はその旅行中にヒョンと行った団欒酒店でも一緒だったそうで、当時の自分のことをよく覚えていてくれた。そのときの自分がどんな感じで、どの程度の語学力だったか、という話をデジに聞かれるのはちょっと照れ臭いが、自分は頭の中を3年半ほど前の記憶が駆け巡り、気分はいいのだがちょっと妙な感覚にとらわれる。3年半前も今も、ソウルにいても田舎にいても、ときどきふと「オレはなんでここにいるんだろう?」と思うことがある。そのいくつもの問い掛けが、一度に蘇って一斉に答えを求めてくるようである。しかし相変わらずもう一人の自分は、「さぁね」と澄ましている・・・このヒョンの友達の韓国語は比較的 聞き取りやすいほうなのだが、途中から難しい話になって、後半は聞き流しながらの相槌状態になってしまう。もういちいちわからない単語を聞き質す気力はない。

ワゴン車の中で花札をやっていた俳優(イ・ヨンボムさん・・・LAアリランというドラマの眼鏡をかけたオジサン・・・2001年春からは「ハニー!ハニー!」というコメディに出演)が出てきて、ヒョンに自分を紹介されて握手をする。そのあと店内の客のすべて(3席分しかいなかったが)と握手をし、そのまま帰ってしまう。ヒョンとデジと、また少し話したあとでデジが「先に帰る」と言い出し、「この時間はタクシーが捕まらないぞ」とヒョンが忠告する。「捕まらなければ戻っておいで」とヒョンが言い、「わかりました」とデジが答え、出て行ったあとで「見てろ、捕まらなくて戻って来るぞ」とヒョンがニヤニヤする。年末のこの時期、この辺りでタクシーを捕まえるには午前12時から1時頃がもっとも困難なのだと教えてくれる・・・が、あとでデジに聞くと、タクシーはわりとすんなり捕まったそうだ。なんなら2人でソンパの家に泊まって行け、というヒョンの厚意なのだが、デジは戻って来ず、2時ごろになって自分も、ヒョンが「タクシーを捕まえられるものなら捕まえて見ろ、外国人じゃとうてい無理だ」というので試しに通りに出て手を挙げたら、すんなり止まってくれた(笑)。「じゃぁ行くから!」と店に向かって声をかけると、ヒョンが驚いて店から出てきて、運転手に「本当に鐘路へ行くの?」と確認している。そして慌ててヒョン夫妻と挨拶を交わし、ちょっと「してやったり」気分で鐘路へ向かう。ちなみに料金は日本のタクシーの初乗り運賃ぐらい・・・これじゃ乗る気しないわ、日本のタクシー。

旅行記13−2
帰ろう