1人歩き

ここからようやく1人で歩いたソウルである。自分は楽しかったのだが、他人に話してそれほど面白い場所はないのである。「是非君も行きたまえ」と自信を持って勧められるところがない。もしやこれから初めて韓国に行くという人が読むとしたら、何らかの情報提供をしてあげたい気もするが、残念ながらそういうところには行っていないのである。スナック常連のオヤジには「なんだよせっかく韓国行ってどこも見てねぇな」などと言われたが、あんな連中はどうでもよい。腹も立たなくなってきた。韓国人に話しても同様で、もっと観光名所をなぜまわらないのかと言われる。その気持ちはわかる。日本に外国人が初めてやってきて、どこかよいところは?と聞かれたら、はとバスのコースに入っているような場所を推薦してしまうだろう。「日本語と日本人に囲まれてればそれでいい」といわれても、せっかく来たのに気の毒だと思って、せめて上野動物園とか東京タワーを案内したくなる。でも自分は、そんなことを言ってくれる外国人に出会うことができたら感激してしまうに違いない。「よし、いいところがある!」といって通天閣でも案内したい。(笑)

市場

まる1日自由行動という日はあまりなかった。たいていは昼過ぎにハラボジと別れて地下鉄に乗るのだった。まず自分は市場へ行きたくなったので、東大門市場へ向かった。空いてる時間で閉まっている店もあったが、ぶらぶらと迷路をでたらめに歩き回った。スポーツサンダルとシャツとパンツとタオルと。。。なんだか安物ばかり買った。値札の出ている安売り商品だから値引きなどできない。向こうが「さぁ買ってよ買ってよ」とべらべらしゃべりながら寄ってくるところは、成功するかどうかはともかく、値引き交渉もやりやすいが、ムスッと黙って立っている場合は交渉すらできない。在東関西人2世の自分はあまり得意ではない。のちにちょっとコツを憶えたのだが、これは秘密である。(たいしたコツではない)

別な日に南大門市場へ行った。サングラスがほしかったので眼鏡屋の密集した中で買った。そこはたぶん有名な眼鏡屋街とは別だったと思う。そのあと、付近をまた見物しようと思った矢先、「皮ジャン1万円でいいよ」と日本語で言って来るアジョッシが現れた。それまで、歩いていて通行人に道を訊かれたりして、自分は日本人だとばれていない、という自信があったのに、このアジョッシはそんな気分をぶち壊してくれた。「ムカーッ」としてすぐに地下鉄に乗って、また東大門市場へ行ってしまった。自分は日本人であることを隠そうとは思わないが、日本人であることが恥ずかしくはないが、商売をする人に日本人として扱われるのはイヤなのだ。金をたくさん持っててちょっとふっかけてもニコニコしておじぎまでして買ってくれる日本人だと、何かしゃべる前からそう見られたことが不愉快だった。そう思ってなかったかも知れないが、自分はそう受け取ったのだ。今思うに、自分のどこかが日本人特有のスタイルであったかも知れないが、観光客の多い場所柄、誰にともなく日本語で声を掛けて、振り向いた人間が日本人だ、という作戦ではなかったか。だとしたらいまだに南大門市場を毛嫌いしているのは申し訳ないから、また行ってみるつもりだ。

2度目の東大門市場では余裕ができていた。こういうときが危険なのだ。前のときよりも大胆にあてずっぽう歩きをする。そしてちょこっと買ってはアジュマなりアジョッシに話し掛ける。たいていは「チャラシンネェ」と言ってくれるので、ご機嫌なのである。「こんな歩き方をしていたら迷うなぁ」と思いながら、ときどき目印にしている店を見つけて「ほっ」とするのだが、その目印をどこかで他の店と勘違いしたらしく、ついに迷った。迷路風の入り組んだところで迷ったのではない。大きな道で駅がわからなくなったのだ。しかし迷ってもそれほど「やばいなぁ」という気持ちにならなかったのは、1週間ほど滞在した気持ちのゆとりだろう。迷うのはいいのだが、江南にあるうちの会社の人との約束がある。「そのうち見つかるだろう」ではいけないのだ。その辺の人に訊ねればいいのだが、なぜかこういうときに自分は意固地になる。「チョギヨォ、チハチョル ヨギ オディムニッカ?」ぐらいは言えるし、見知らぬ韓国人と話すチャンスでもあるのに。

結局、タクシーを捕まえた。1人で乗るのは初めてである。「まぁぼられたって1万ウォン程度だ、1400円だ!」と開き直ったのだ。「一番近い地下鉄の駅」と言ったらやや間があって「ニホンジンデショ?」と運 ちゃんが笑う。ああやっぱり発音が悪かったと赤面した。いい運転手だった。いろいろ話してくれる。わからないところは適当に相づちを打っておいた。なんだか韓国語を使う変わった日本人を喜んでくれているのに、いちいち「いまのわかりません」と言ったらすまないような気がしたのだ。その運転手は日本語を学んだことがあるというのだが、ついにしゃべった日本語は「ニホンジンデショ?」だけだった。

駅の入り口で降りるとき、料金を見て「ぼられなかった」と安心した。千ウォンと小銭を探すと、「あ、釣りあるから」と言って、小銭をとらずに千ウォン紙幣を自分の手からとると、逆にもっと増やしてよこした。自分は完全に舞い上がってしまった。「小遣いをくれようとしている!」そして降りながら何度も何度も頭も下げて「テェダニ カmサmニダ」を繰り返し言ったのである。
しかし歩き始めて真っ赤になった。「待てよ」。。。。自分が渡したのは5千ウォン札だったのだ!

迷ったと自覚する少し前、地下道への階段のところにぽつんと屋台があって、トーストに砂糖を塗ってパジョン風、あるいは卵焼き風のものをサンドしたものを食べた。うまい。韓国B級グルメの代表ではなかろうか。めったに「お勧め」などしない自分だが、もし「まずいじゃないか!」と言われても、「いいじゃん安いから」と言い返せるので安心して推薦できる。

他に、当てずっぽうに地下鉄を降りてみて、ぐるぐる歩いて結局なにも面白くなかったということもあった。駅の名前を忘れてしまったが、比較的新しくて凝ったデザインの駅だった。あとは特記事項なし。それだけ1人の時間が少なかった。ハラボジのアパート周辺をずいぶん歩いたが、いままで書いたことと大差ない。ぶらっと本屋に入って短い会話を試したり、コーヒーショップでコーヒー(まずかった)を飲んでみたぐらいである。ひとつだけ、文房具屋の親切なアジョッシにふれておく。日本だと町内会というものがあって、近所の詳細な地図を配っていたりする。アパート周辺の地理を把握するのに便利だと思ってハラボジに聞いてみたら、そんなものはないと言うので、近所の文房具屋で聞いてみようと思って入って行った。たしか韓国についた翌日だったから、韓国語の発音がかなりヘタ(いまだってヘタだが)だったろう。ちょっとしかめっ面でこっちの言い分を聞いたアジョッシは「Do you speak English ?」ときた。へぇ、この人英語できるのかと、ちょっと鼻で笑って英語で答えようとしたら・・出てこないのである、英語が。中学校から大学院までの15年間、中学校3年間の英会話教室の英語は、ここ4ヵ月の韓国語漬けですっかり第2外国語に落ちぶれてしまっていた。この傾向はその後も続き、読み書きはともかく会話はすっかりダメになってしまった。何かしゃべろうとすると、最初に韓国語が浮かぶのである。

だからアジョッシがイヤな顔をしても懸命に韓国語で答えた。韓国で英語を話す韓国人と韓国語を話す日本人の奇妙な会話は、あとから入ってきた軍隊の恰好をした兄ちゃんをちょっとひかせた。アジョッシは根が親切な人なのか、近所の地図を求めて向かいのクリーニング屋まで行ってくれたりした。いよいよそんな地図はなくて、「どこへ行きたいのだ」と訊いてきた。「ただなんとなくほしいだけ」とは言えず、「地下鉄の駅」と答えた。これまでここは蚕室と書いていたが、蚕室駅が便利だというだけで、最寄りの駅は8号線の松坡である。たぶんその駅を説明してくれたのだろう。お礼を言ってそそくさとアパートへ戻った。アジョッシの英語はしかし、わかりづらかった。

旅行1−6
旅行1−8(終章)
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