帰りたくない

あれこれ

そう、あれこれあった。しかしもう帰らねばならない。結局9泊したのだが、当初は1週間だけ泊めてもらうことになっていた。自分も早く旅館に行きたかった。子供のために勉強ができないしテレビが見られないし十分に眠れないのだ。ずいぶん子供嫌いだと思われるかも知れないが、普段はそんなことはない。私は子供が好きだから平気だという人がいたら経験してみるとよい。だいたい親がほとんど子供を叱らないから、大人はみんな甘やかしてくれると思っている。こうして離れてみると「いい子だった」と思うが、その時はなんだかんだと気を遣う毎日のうえに睡眠不足だから、あまり寛大な気持ちにはなれなかったのだ。

それから、向こうは毎日入浴という習慣がないから、シャワーも気軽に浴びることができないのだ。1度使わせてもらったが、なんとなくいい顔しないように感じたから、3日に1度サウナへ行ってあとは我慢した。ヒョンと飲みに行った翌朝は、午前中いっぱい突っ伏して寝ていたが、先述の独立紀念館へ自分を乗せて行ってくれる予定だったハラボジの弟に、ハルモニがなにか言ってるのが聞こえてきた。もちろんところどころしかわからないが、「マァニ モゴォ」とか「メッチュヌン ピッサァ」とか言ってる。語調が不機嫌である。あとで考えると、これはヒョンのことを怒っていたのかも知れない。「夜中に出てってビールみたいな高いものたくさん飲んでからに」というグチだったかも知れない。当時の自分は、我が行状を責められてい るように感じたのだ。

日本に帰ってからわかったことだが、韓国では客が残すくらいにごはんやおかずを出すのが礼儀だという。これは大きな間違いを犯したとわかってしまった。我々日本人は、少なくとも自分は、出されたものは残さず食べるのが礼儀だと教えられたのだ。滞在中、キムチがうまかったこともあり、実によく食べた。どんどんおかわりを勧められる。自分は体の大きさの割によく食べる方なのでなおさらである。途中キムチの食べ過ぎで胃が痛くなったが、薬を飲んでまた食べていた。このときハラボジが「この薬はよく効く」と言って胃薬をくれたので、てっきり韓国の薬と思って飲んでいたが、ビンを見たら「太田胃散」と書いてあった。

このハルモニの「マァニ モゴォ」は、ハラボジがもち屋で休んでいるときに妹に自分のことを笑いながら「アニ モォ キムチラン チャル モゴォ ハングンマルド チャレェェ」と紹介していたときの「チャル モゴォ」とは明らかに違っていた。そんな先入観があるから、寝ているところへ聞こえてくる会話も、「イルチュイル」という言葉が聞こえただけで「1週間だけって約束だったじゃないの」に聞こえてしまう。実際は「今日が1週間目だよ」と言っていただけかも知れなかった。

そんなわけで、できれば旅館へ行きたかった。いまなら勝手に見つけて勝手に移動できるが、旅館というものがホテルとどのくらい環境が違っていて、どうやって見つけたらいいのかもわからなかったから、ハラボジに頼らざるを得ない。しかも穏便に。決してイヤになって出て行くのではなく、旅館も経験したいのだと言い訳して。

ハラボジにそのように言ってみたのだが、「うちにずっといなさい」と言う。あまり強硬に出て行くのもなんだなぁと思って引き下がったが、かなり深刻に考え込んでしまったのである。考えたあげく、最後までお世話になることにした。金はあったから、節約してそうしたのではない。ハラボジがいろと言ってくれているのである。この家で一番偉い人がそういうのである。ハルモニが、ヒョンが、ヒョンの奥さんがどう思っていようが、ハラボジが「ここに泊まっていろ」と言うのである。ここで変に気を遣って出て行くのはハラボジの顔をつぶす。笑ってしまうような論理だが、そう思ったのだからしょうがない。

それで9泊させてもらった。最後にまた問題である。いくらか金を置いていくべきではないのか。たくさん土産を持ってきたとはいえ、他人を9泊もさせてくれたのである。だがいくら払えばいいのかわからなかった。ちょっとぐらい出すのはかえって失礼かも知れない。これもまた大いに悩んだのだが、結局金は出さなかった。それが韓国の流儀に合うかどうかわからないが、ハラボジの、いや家族全員の厚意は今ありがたくもらっておいて、韓国に来るたびになにかの土産を持って挨拶しようと決めた。金をある程度出せば、今は自分はすっきりさっぱりしてしまう。感謝の気持ちが薄らぐかも知れない。しかし金を出さずに全面的に厚意にすがっておけば、自分はその借りを返すべく努力するだろう。今回のハラボジ一家の厚意のありがたさを確定させるために、金は出すべきじゃない。

間違っていただろうか?…間違っていてもいい。こうと決めてそうしたのだ。しかも相手は食うに困っているような人達ではない。今回「失礼なやつ」「ずうずうしいやつ」と思われても、2度目、3度目と必ず挨拶に来る姿勢を見てもらうしかない。そう割り切ったのはもう帰る日の朝だった。

ハラボジ(2)

だれよりもハラボジとの別れがつらかった。前夜は自分が買いすぎたキムチの土産をダンボールに梱包してくれた。空港まではKALのリムジンで行けという。地下鉄でもよかったが、もう今回は言う通りにしようと観念していた。ホテルロッテワールドまで単車で自分を送ると、引き返して今度は自分の荷物を運ぶ。いろんな光景が蘇る。空港で疲れた顔で立っていたハラボジ。毎朝単車で自分を乗せて疾走し、甘ったるい紙コップコーヒーを飲みながら一緒にタバコを吸っていたハラボジ。地下鉄の改札で助けてくれたハラボジ。しかし地上へ出る階段ではフーフー言ってたハラボジ。サウナでじっと目を閉じていたハラボジ。ソファに横になって屁をかますハラボジ。道を訊ねて相手の答え方が気に入らんと怒り出したハラボジ。そして何度か夜に散歩に出てアパートの近所の店のシャッターの前に腰を下ろして、ポツリポツリと戦後まもなくの話をしてくれたハラボジ。。。。。

リムジンバスに乗り込む。ハラボジは黙ってこちらを見上げている。そしてバスの横で一服している運転手アジョッシに、こちらを指差してなにか言っている。「あいつを空港第2ターミナルで降ろしてくれ・・・」それを見た途端、いい年してみっともないからそれまでこらえていたものが一気に込み上げてきた。こんな自分を、初めて会った自分を、憎いはずだった日本人の自分を、なんの利益ももたらさない自分を、体力の限り、最初から最後まで、そして日本語でも放送が流れるからなんの心配もないKALリムジンに乗るときまで、とことん面倒をみてくれるなんて。

もう限界に近いところでバスは発車した。ハラボジに手をふる。ハラボジはちょっと手を挙げる。ハラボジが見えなくなる。自分は、でも泣かなかった。「すぐまた来るんだ」と何度も頭で反芻してこらえた。女の子じゃあるまいし。32の男が泣いたって絵にならないのだ。そのときはこらえたが、だれも見ていない自室でキーを叩いてる自分は、こらえられない。バカだ。いい年して。

旅行記1・完

旅行1−7
帰ろう