ナガジャ

韓国ですぐに気がついたのは、NHKハングル講座(TV)の韓国語があまり使われないということだった。応用編(当時は基礎編と応用編があった:後日追加)ですら「〜ヨ」「〜スムニダ」ばかりで、本当に日常生活で使う言葉とは違うのである。空港までは何かと放送される「〜ギバラムニダ」にとまどい、それ以後は「〜ゴヤ」「〜マリヤ」の世界である。「〜ジャ」もあるし、語尾がつかないのも多い。ヒョンの使う言葉なんか「カジャ!」(行こう)「タ!」(乗れ)と簡潔である。まさにこういう言葉こそ知らねばならんと思った。なんとなくの私見だが、どうもNHKだけでなくいろんな韓国語の本は、丁寧な挨拶ばかりで、韓国に2度と行かないのを想定しているように感じる。知っている範囲で言うと、韓国人はみな人懐こくってすぐ打ち解けられる。こっちが人見知りなんかしちゃいられない。いつまでも教科書通りの丁寧言葉を続けていると、「心を開かないやつ」とか「いつまでも水臭いやつ」と思われはしないだろうか。韓国人は(そうでない人もいるだろうが)知り合いになったら急接近できるのである。もっと、親しくなってからの言葉というものも教えてもらいたい。

地下クラブ

ある夜、12時頃になってヒョンがドアのところに立って、「シンシメ?」(退屈か?)と聞く。キッチンで初日のように飲むんだろうと思って「イェー」と答えると「ナガジャ!」(出かけよう!)・・どこへ?と聞くとクラブ(サロンだったかも)だという。どんなところかわからないが、アガッシがいてカラオケがあって。。。と考えたときにはもう靴を履いていた。夜中の住宅街を大通りへぶらぶら歩いて、だいたいどんなところか説明してくれる。わかったようなわからんような。どうも「12時を過ぎているから店は開いていない」と言っているようだ。灯りを消したビルの地下へ降りる。真っ暗なドアをノックすると、鍵を開ける音がしてボーイが顔を出す。ヒョンがなんとか言うと「トゥロオセヨ」。中は閉店後のパブそのものだった。ガランとしている。ずんずん入って1つのドアの前に立つ。

ヒョンがノックしてさっと隠れる。「?」という顔で立っているとドアが開いて、アジュマいや、アガッシが顔を出す。「アンニョンハセヨ」と言い終わらぬうちにバタンとドアを閉められた。「???」という顔でヒョンの方を見るとゲラゲラ笑い出した。中で何か声がして、再びドアが開き、今度はニコニコして「入って」と言う。中にはヒョンの友達2人、若いアガッシ1人と、さっきのアジュマガッシ。広めのカラオケボックスと言う感じの部屋で、テーブルにはビールがドッサリ並んでいる。また挨拶。「アンニョンハセヨォ」余談だがこのカタカナ表記はおかしい。確かにゆっくりと言えば「アンニョンハセヨ」なのだが、考えてみたら我々は(日本語で)ゆっくり一字一句明確に「こ・ん・に・ち・わ」などと言うだろうか?言わない。言う人もいるけど、自分は言わない。堅い場所では別だが「こんちわ」とか「っちゃーす」とかひどいときは「うーっ」で済ませる。韓国語だってそうに決まってる。どう聞いても「アニャアセヨォ」である。「ヨォ」が強い。

そして飲み始める。ヒョンの友達は8時から飲んでいるらしい。入り口を閉めたところでヒョンに電話をして誘い、そして自分も連れ出されたのである。韓国語を始めて4ヵ月だというとかなり驚いていた。韓国語を使う日本人というだけで驚かれるのが4ヵ月で「アニャアセヨォ」であるから。もっともこれはソウルに来てから耳で憶えたのである。ほめてくれるのはいいのだが、所詮は4ヵ月の実力である。何を言われてるのかよく分からないことが多い。こっちの言いたいことは何度か言い直せばわかってくれるが、向こうの自然なペースの韓国語はもうまるで、また新しい別な言語かと思われるくらい聞き取れない。まして酔っ払いだ。(こっちもそうだが)

アジュマガッシは日本語を勉強中だという。なるほどちゃんと文章が言える。ただし「ワタシハ**デス」という程度。だから韓国語99%である。それでも乾杯したり唄ったりしているから、仲間はずれという感じはしなかった。DJ・DOCを唄って仰天させたのはこのときである。ラップの部分は韓国人でも字幕のとおりに唄えるかどうか怪しいから、最初は「ラップのとこだけヒョン唄って」と言っていた自分が後半は1人で唄い切ったのだから、初めは驚いていただけのヒョン達(もうみんなヒョンと呼んだ。名前憶えられないし)は喜んで肩を組んでくる。もうちょっと狂乱状態である。あと何曲か唄ったが、悲しいかな当時のレパートリーは3曲しかなく、残りは「これは簡単だから一緒に唄え」と言われた唄をでたらめに口走って(一生懸命字幕は追うのだが、いまだってとっさに唄ったりはできやしない)いただけだった。みんな立ち上がっているから自分も立ち上がって踊った。踊ったといっても適当にゆすっている程度である。日本ではディスコもクラブも知らない。嫌いなのである。そんな体力があるならスポーツをやれ!というのが自分の主張であるし。が、韓国では違う。「僕は踊るのイヤだ」なんて言って座っている非生産的なやつは下の下の下である。(これは高校の数学の先生の得意のフレーズだったのを今思い出した)でも、1人でも日本人が側にいたら、自分はその下の下の下に徹するだろう。

そこのアガッシがちょっと気に食わなかった。ひどくよそよそしい。自分がモテなかっただけかも知れないが、なんとなくそういうんじゃない気がした。プロなんだから何とかしろと言いたい。日本人そのものへの何かがある・・・そうも感じた。どうもそこだけはけじめをつけたかったので、3人のヒョンが入れ替わり立ち代わり隣に来るたびに「ヒョン! ク アガッシエ ペンティル ポヨジュセヨ! イロッケハグヨェ」と言ってスカートめくりの仕種をしてみせた。「アニィ モッテェ!」と3人とも尻込みしたが、ついにウリ・ヒョンは日本からの客人に男気を見せ、アガッシの罵倒を覚悟の上でやってくれた。くだらない酔っ払いの悪ふざけだったが、こんなところに自分は友情を感じるのである。ヒョンが来日して飲みに行って同じリクエストをされたら。。。ううう自信がない。

明け方になって店を出る。そのころ自分は、なぜかイッチョマエに会話を成立させているのであった。ずっと話しながら子供部屋まで戻り、いろんな話をした。「ソウルは北から近いが大丈夫なの?」「日本人が思っているほど韓国人は北が攻めてくるとは思っていない」「韓国へ来てみてどうだ」「来る前は正直ちょっと怖かったけどいいところだね」こんな会話をいつのまにか韓国語でやっているのだから、いかに語学と言うのはその国に行かなくちゃだめか、さらにその国の人と親しくならなければダメかがよくわかる。ボヤーッとした頭でそんなことを思ったのを憶えているが、ヒョンが自分の寝室へ引き上げてからが大変だった。それまでの疲れもたまっていたし、毎日3食のキムチで胃も弱っており、調子に乗ってがんがん飲んだビールが効いて、翌朝は完全にダウン。ハラボジの弟さんの車で行くはずだった独立紀念館はこうして流れた。

民宿

ヒョン夫妻と子供2人と、ヒョンの友達(上述とは別)夫妻とその子供2人と、山へ1泊2日で遊びに行くから一緒に行こうというので、ここでも1人でソウルを歩く予定を短縮してついて行った。場所はよくわか らない。2度目に行ったときにどこだったのかをメモに書いてほしいと頼んだら、ヒョンも考え込んでしまい、かろうじて思い出してくれたのが「キョンギド カピョングン プンミョルリ(プk・ミョn・リ)」である。京畿道のどこかである。ワンボックスカーに乗り込んで渋滞の道を行く。ヒョンのその友達は韓国で1番のホテルに勤めているが、どこだったか。。。特級ホテルと聞いてもう興味を失ってしまったので。仕事柄日本語が少しできる。できるが1泊2日のあいだでほとんど使わなかった。どうも自分の韓国語とどっこいどっこいのようだった。いや、断言しちゃいけない。自分の韓国語の練習のためにあえて日本語を使わないようにしてくれたのかも知れない。。。たぶんそうじゃないなぁ。

よくなんとかなったなぁ、と思うのである。また逆に、よく仲間に入れてくれたなぁとも思う。いつも利用する日本の国民宿舎のようなところが満員で、民宿へ行く。ミンバクである。こういうところはガイドブックに出てはいるが、なかなか1人で出かけて行ってたどり着けるところではないので、ちょっと胸踊った。着くなりバーベキューが始まる。ここでおなじみの焼酎が登場する。肉を焼いて小さな紙コップで焼酎を飲む。ちょっと甘いのはサッカリンだそうだが、その時は「うまい」と確かに思った。日本でも韓国雑貨屋へ行けば売っているので何度か買って飲むのだが、なぜかあまりうまくない。うちの会社の支社が江南にあって、(支社と言っていいんだろうか、社長は韓国人で資本は50%ずつなのだ。しかし社名は「韓国」+「うちの社名」だ)そこの唯一の日本人とカルビを食べたときにこの焼酎を飲んだが、やはりそれほどでもなかった。不思議だ。

「韓国人はみな焼酎好きなのだ」とヒョンがいう。コップは交代で使うから、つがれたものは早めに飲まねばならないからきつかった。なんだかスナック通いといい、地下クラブといい、自分が飲んべぇのように思われるかも知れないが、自分は決して強い方ではない。それでも韓国語を始めて少しだけ強くなった。それでも平均のちょっと下ぐらいだろう。この京畿道行はしかし、楽しいだけではなかった。韓国語がちょっとわかると聞こえない方がマシなような話まで聞いてしまうのである。行きの車の中でヒョンの友達のカミさんが、たぶんこっちの実力を見くびっていたのだろう、ヒョンの奥さんになんだか自分のことを言っていた。ワンボックスの後部座席を向かい合わせにして、自分は逆向きに座っていたのだが、山道に入ると気分が悪くなって上半身を前方に向けていたときだ。「そんな歳で結婚もしないで・・・」ところどころだが明らかに自分のことをなんだかんだ言っている。バーベキューの席で自分が韓国語を「挨拶」以外にもところどころ理解することを知ってヒヤッとしたに違いない。

まだある。行きも帰りも子供達に濃音ができないのを笑われる。食べるパンを「ッパン」と発音するのだが、これがなかなかできない。幼稚園に入る前の子供でもできるのだが。いったい車の中で何度「パン」「パン」と復唱させられただろう。「じゃあオマエらガギグゲゴって言ってみろ!」と言いそうだった。結局韓国滞在中にはできなかった。2度目の韓国でユジョンが「ッパン!」と言って来たので「ッパン!」と言い返してやったら驚いていた。オジサンをなめんじゃないよ。(笑)

それでも同行してよかったと思っている。あんなに仲のいい2組の家族旅行に混ぜてもらえるということの重大さを考えなければならない。荒っぽいが自分を確かに快く受け入れてくれたのである。日本で、2組の家族旅行に韓国人を1人連れて行くだろうか?きれいごと抜きに考えて、自分は否だと思う。たとえば道を聞かれて親切に教える、という程度なら、今ではたいていの人がやるだろうが、じゃあそれをきっかけにして、その外国人が友達付き合いを求めたらどうか。それが韓国人ならどうか。

自分には韓国語が、少なくとも英語よりは合っている。それは文法や漢字語の類似性の問題ではなく、韓国語を聞いていて心地よいのだ。耳に気持ちがいいのだ。韓国語をすらすらしゃべるだけで、アガッシが何倍もきれいに見える。音がきついとか早口だとか、評価はいろいろだが自分の耳には合っている。しかしだから聞き取りやすいかと言うと、そうは甘くない。いまでも不自由である。

旅行1−5
旅行1−7
帰ろう