ソウル

自己紹介をしてない。してないが、掲示板に書かないようなプライベートをところどころに入れてるから大丈夫。こういうダラッとしたのが好きなのだ。よくひとから「主語を言え!」といわれる。電話かけても唐突に用件を切り出すので相手は面食らうらしい。「なにを言うか!友達ならピンとくるはずだ!」と言い返す。親しき仲には礼儀なし。この辺は韓国的人付き合いに向いてるかもしれない。。。。でもないな。

韓国人にはなれないと思うことのひとつが、親との関係である。成人しても当たり前の顔して親元にいる。ドラマを観ていると、親の反対で引き裂かれる2人がよく出てくるが、自分の感覚では理解できない。駆け落ちでもなんでもすればいいし、あそこまで子供の結婚に口出しする親もどうかしている。まぁ、ドラマだから割り引いて観なきゃいけないのだが。それから、とりあえず男を突き放す女。この辺は呉善花さんの「チマ・パラム」を読んで理解できたように思うが、頭でわかっただけであって、決してそれがいいとは思わない。持論として、好きな人に好きだと言えるのが大人である。嫌いな人に嫌いだと言えるのが子供である。大人は嫌いな人に好きだと言うことができ、子供は好きな人に嫌いだと言うのである。・・・なんて言い切って大丈夫だろうか。

この先は順序がやはりいい加減になる。だから日を追うのはやめた。行った場所とその状況を書いて行きたい。この旅行ではほとんどソウル市内である。そして観光客に人気のところはあまり行っていない。だからガイドブック的な役にはまったく立たないだろう。

本当はちょっと案内してもらったら、あとは1人でうろつきたかった。ママや娘やスナックのもう1人のアガッシ(年齢から判断してアジュmマが正しい)も、韓国でハラボジもヒョンも、やれ「あそこがいい」「こっちがいい」と教えてくれるのだが、自分は行きたくないところはあっても行きたいところはあまりなかった。行きたいのは独立紀念館ぐらいだった。これは連れて行ってくれる約束だったが、あとで書く地下クラブ(そんな大げさなもんじゃない)での飲みすぎが原因で流れてしまった。2度目の旅行でも行きそびれて、3度目にようやく自分で行ってきた。あとはCDと本が買えればどこでもよかった。家の周りをうろうろするだけでも十分に楽しい。周りはすべて当然ハングル。小さな本屋に入って、黙って買い物するのも損だから「日本から来ました」なんてわざわざ言ってみたりした。「あ!通じた!」「あ!言ってることがわ かった!」なんていちいち感動する。

「ハラボジ、だからどうか気を遣わずに放り出してください!」・・・と言えないのである。ハラボジと行動して一通りの交通手段は経験した。基本である地下鉄はハングルさえよく見て、乗り遅れようが構わずに、ゆっくりと行動していれば大丈夫だ。・・・と思った矢先に、あの自分で倒すバーに引っかかってしまった。あれは戻しちゃいけない。「アジョッシー」と駅員のところまで行ったはいいが、どの機械だったか憶えておらず、適当にこれだと指差すとその機械を開けて、「切符入ってないよ!400ウォン!」と言われた。「あーあー」と思いながら、それに反論する語学力はなかったので(どうせ50円ちょっとだ)と思って払おうとしたら、先に出ていたハラボジが戻ってきて、駅員になにか喚いてくれた。「オレと一緒に来たんだ」をもっと乱暴に言ったような感じだった。駅員は逆らわずに通してくれた。韓国でハラボジは偉いのである。ちなみにハラボジは無料で乗れる。

だが地下鉄は大丈夫だという自信ができていた。バスは、とてもダメだと思った。いまだに市内バスは1人で乗ったことがない。必要に迫られれば乗るんだろう。だがその必要がいまのところない。空港バスは2回目の旅行で、高速バスは3回目の旅行でようやく乗れるようになった。いや、「乗ろう」という気になった。それほど困難なことじゃないのだ。自分よりもっと冒険心のある人なら1回ですべてマスターするだろう。タクシーはガイドブックでずいぶん脅かされた(法外な料金をふっかけられて云々)が、意を決して乗ってみたら大丈夫だった。以来、ガイドブックは地理情報以外はあまり信用しない。「どこそこへ行くならこの店で***を味わい、余裕があれば####まで足を伸ばすのもいいだろう」なんて下世話な文章書いてるヒマがあったら、刻々と値上がりしているバスや地下鉄の最新料金でも取材しろと言いたい。

ハラボジと

ちょっと不自由さも感じたが、ハラボジが体力の許す限り自分を案内しようとしてくれる気持ちはよくわかった。決して無理強いはしない。意見も聞いてくれる。ただ「1人で行ってごらん」とだけは言ってくれない。当初の計画と変わってしまったが、まぁいいやという気になった。また来ればいいのである。いまは韓 国の、あの韓国の、しかも日本の悪事をリアルタイムで経験した老人が、初めて会った日本人の自分にこんなに親切にしてくれている。その幸運、そのありがたさで十分だと思い直したのだ。

自分があまりどこどこへ行きたいと言わないので、とりあえず徳寿宮と南山タワー(ソウルタワー)へ行った。地下鉄は、地上との上り下りがハラボジにはきついみたいだ。後ろから押したりしてあげたが、そんな程度じゃ助けになっていなかったらしい。徳寿宮も南山タワーもロープウェイも、とくに感想なし。何度も書くが、ハングルだらけ、韓国人だらけならどこでもいいのだ。写真を撮ったりして一服したらすぐ移動。

パゴダ公園、とハラボジは教えてくれたが、いまはタプコル公園というハラボジだらけの公園へ行った。ここはもう一面にハラボジである。ちょっとひいてしまう。ハラボジは構わず中へ入って行き、自分も従う。さっきまでハラボジとの関係から、韓国で極端な反日感情を持ってるのはごく一部だろうということを考えていたが、ここまで夥しい数のハラボジを前にすると、ちょっと怖い。日本人とばれたら。。。。
ハラボジはしかし、さっきまでと変わらず日本語で「どうだハラボジばっかりだろう、ここは・・・」と説明する。ひゃあと思ったが仕方がない。ハラボジとハラボジがひしめく中をウリ・ハラボジと自分は歩いた。この公園は、仁寺洞のすぐ近くにある。仁寺洞は自分が常宿にしようと思っている旅館から歩いて行ける。だからタプコル公園は3度の旅行で3度とも見ているが、ハラボジはいつでもたくさんいる。「昼メシがでるんだ」とウリ・ハラボジが言っていたが、夜はどうするんだろう。

行く先として「大きな本屋」をリクエストしたので、教保文庫へ。ハラボジにはカフェテリアで休んでもらって、ようやく1人でうろうろする。ソウルだけの地図やら雑誌やらを買う。さっき書いた常宿からは永豊文庫の方が近いので、この教保文庫にはあまり行かなくなったが、その日はもっとゆっくり本が見たかったので、このあと蚕室駅まで帰ってからハラボジに1万ウォン(タバコ代等含む)を渡して、タクシーで先に帰ってもらい、自分はまた教保文庫へ引き返したのだった。

旅行書のコーナーで新しい感覚を発見した。「イルボン」というタイトルの本を手にとって見ている人を見て、無性に嬉しくなったのである。これは外国語コーナーの日本語教科書を立ち読みしてる人を見ても思った。ハラボジがかなりの日本語を使うとはいっても、それ以外の家族とはへたな韓国語でしか意志伝達のできない毎日で、短期間とはいえすっかり自分が異邦人であることを自覚し続ける毎日だったからだと思う。

モラン市場という、あれは何が専門だったのだろう?ハラボジと8号線の端の方まで行って、「うぇっ」となった。この次かその次の日に東大門市場も南大門市場も行くのだが、韓国で初めて市場へ行ったのがここである。なにに「うぇっ」であったか。韓国ものの本でもHPでも欠かせない、ケーである。あぁ漢字にしたくない。十二支の酉と亥のあいだの動物である。食文化はよその国からきてとやかく言う資格はなく、韓国人が食べることに対してはそれでいいと思う。ただ「おまえも食え」と言われたら絶対にイヤだ。

食べると言っても何でも食べるわけではなく、ラッシーとかパトラッシュとかベンジーは食べないのだそうだ。食べる種類は決まっていて、家でペットにするようなのは食べないのだと、ある韓国人に聞いたが、「いやぁどんなのでもおいしそうよ」と言った人がいるので、よくわからない。わからんでもいい。自分は食べない。

モラン市場をぶらぶらして、鉢植えとか洋服とか靴とかを眺めるうちに「うぇっ」となった。ケーの姿焼きである。「。。。。」韓国人にこの気持ちを訴えても「アーニー、マシッソー!」とまくしたてられるのを知っていたので、ハラボジの前ではちょっと顔をしかめただけで黙っていた。ハラボジはなんとも言わなかった。別にケーを見せに来たわけではないのだから。で、その姿焼きの向こうに、すぐ側に、生きてるケーが繋がれたり檻に入ったりして動いている。みな同じ種類で、成ケーも子ケーもいる。買い求めた客が綱をひいて通り過ぎる。もう早く帰りたくなってなるべくケーと目を合わせないようにして植木の方へ向かった。なにを乙女チックなデリケートな!と言われそうだが、これには理由があって、昔13年飼っていた犬(とうとう犬と書いてしまった)が、その食べるためのケーと少しタイプが似ているのだ。何と言われようが見たくないんだから見たくないのだ。

「ユジョンとオリニテゴウォンに行く」と告げられた。子供大公園といったところだ。この日は切れそうになった。出会ってからしばらく、小4の女の子ユジョンも弟のテジュンも自分のことを「アジョッシ」と呼んでいた。やっぱり抵抗があったが、街中で自分よりずっと若いのが「アジョッシ」と呼ばれているのを見て、まぁいいだろうと思うようになった。ユジョンはオンマの影響か、日本にいる親戚(ママとママの子供と、日本人と結婚したママの妹)の影響か、ときどき何かを指差して「イルボンマルロ モーエーヨォ?」などと聞く。そうなると自分は「変な発音を教えちゃいかん」と緊張気味で、「ねこ」とか「さる」などと教えるのである。そのうちに名前を聞かれたので教えると、日本風に「**さん」というようなった。「アジョッシ」で諦めていたからこの意外な昇進に嬉しくなって、すっかりユジョンペンである。そうすると姉をまねてテジュンも名字+さん付けで呼ぶようになった。

だからそのユジョンと一緒なら(テジュンは連れて行くと大変だからと、ハルモニが家で相手をしてくれた)土産がすべった穴埋めに、アイスクリームやらいろいろと買ってやろうと思っていたのである。が、ユジョンは友達を連れて来た。ユジョン含めて6人だったか。もう見た瞬間うんざりである。こんなことなら一人で好きなところへ行きたいと思った。ユジョンは得意顔で「日本人だよー」と友達に言う。いっせいに全員が好き勝手なことを言い出す。ほとんど聞き取れなかったが、どうやらそのうち一人の子供のオンマは日本となにか関係がありそうだった。しかし自分はその時、子供はもうたくさんだと思っていたころだったの で、だれも相手にせずにいた。いま思うとずいぶん大人げないと思うが、その日の感情はその日の自分にしかわからない。

信じられないことだが、その小学生6人とハラボジと自分は1台のタクシーに乗ったのである!よく運ちゃんが承諾したものだ。ぎゃーぎゃーとうるさいのをハラボジと運ちゃんが交互に静かにさせる。明らかに運ちゃんは後悔していた。自分の様子を察したのか、現地でハラボジが、6時まで自由行動にすると言ってくれた。地下鉄の駅がチラッと見えたので、うまいことを言ってこのままよそへ出かけてしまおうか、とも思ったが、子供6人をハラボジに押し付けるのもひどいと思い直し、おとなしく公園内をまわった。動物がいたりするのだが、あまり興味が湧かない。日本にだっているし。

資料館があったので入る。ここにはガキどもは来ない。空いている中をぶらぶら見ていると、古い紙幣が展示されてあった。日帝時代のものもある。ハングルがすらすら読めるわけはないので、仮に読めても辞書がなければ意味がわからないので、ゆっくりゆっくりと知っている単語を頼りに見ていると、何があるのかと人が集まってしまった。展示物と、熱心に見ている自分とを交互に見て、やがて何かぶつぶつ言いながら通り過ぎて行く。その覗き方が押しのけるようにして入ってくるから、「日本人と違うなぁ」と、おかしくなった。韓国でこういう経験をしても、不思議と腹が立たない。日本人に押しのけられたら押し返すが、韓国人だと「おお!これが日本と違う!」などと喜んでしまう。今は違うが。

6時が迫ってもハラボジの言っていた集合場所がわからなくて困った。裏門とか後門とかいう場所だったのだが、結果的にはこの大公園の隅々まで歩いてしまったのだ。へとへとになって自分を呪った。帰りは市内バスだったが、車内で自分は「こんな子供でも平気で市内バスに乗れるし、ちゃんと韓国語もできるのに・・」そんなことばかり考えていた。

ハラボジの単車の後ろに乗って、名前の思い出せないハイキングコースみたいな山に行った。ちょっと遠かった。なんだか城の跡みたいだった。この日はカメラ及び三脚持参だったので、何ヵ所かで一緒に写った。帰りにハラボジの妹夫婦のもち屋さんに寄る。ここはそういえば、2,3日前にも来て昼をごちそうになった。まったくの庶民の昼ごはん。味噌汁風の中に血の固まり。。。ヘジャンククだったんだろうか?ちょっと匂いがあれだったが、こういうときに自分の本領が発揮されるのである。いや、たいしたことではない。この厚意を無にしてはならぬ、と思うとたいていのものはのどを通る(ケーは別)。前回同様、またもちをつまませてもらって、サウナへ。(この日じゃなかったかも知れないが、まぁいい)

サウナはハラボジと2回、1人で1回行った。料金は当時のレートで日本の銭湯と同じだった。ちょうど金泳三大統領の次男が捕まる頃だったので、サウナの中でも証人喚問みたいなのが中継されていた。「キオギ オプスムニダ」のたびに、まわりのアジョッシが「チャ」とか「ア〜ウ」とか言って苦笑していた(たぶん「エ〜イ、チャm」だったのでしょう:後日補足)ハラボジの背中を流して同じカミソリで髭を剃って、「こんな経験のあるやつはそうおるまい」などと得意だったが、ハラボジがサウナでふうふう言うので、ちょっと心配だった。

旅行1−4
旅行1−6
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