ヒョン

ダダダダッと書いてきたが、きっと気を悪くしてる人もいるだろうなぁ。大目に見積もっても数十人だけど。うちの職場の人は気を悪くしても構わないが、むしろ気分を害されてきた分だけ気分を害してやりたいくらいだが(笑)、善意で覗いてくれる人の気分を害したとしたらとても申し訳ない。基本的に反ガイドブック、反団体ツアー、反ショッピングではあるけれど、せっかく楽しく旅行に行ってきたりこれから行こうとしてたら嫌われるだろうなぁ。「おもしろい!」というメールをもらってすごく嬉しいのだが、だれかが楽しいときはきっとほかの誰かが不愉快なものだから、ちょっと考えてしまうのだ。しゃべっているならともかく、冷たい活字になってしまうとこっちの意志がそのまま伝わるとは限らない。ときどき他人が読むことがあるということを忘れてしまう。インターネットは危険だ。

だが続ける。この旅行記はハラボジに捧ぐのだから。

まだ初日の夜である。大事な人物がまだ残っている。ママの弟夫婦である。ママはハラボジ・ハルモニの4人の子供の長女である。3番目まで女で最後がヒョンである。名前がヒョンではなくて、その、ヒョンなのだ。ハルモニは男の子を産むまでさぞ辛かったろうと、いろいろ知識のついた今は思うが、その夜はそんなこと考えるゆとりはなかった。ハラボジはさっさと寝てしまう。江南でメウンタンの店をやっているヒョンと奥さんが10時頃に帰って来ると、完全に日本語はアウトである。それを望んでやってきたのだが、いざその場面になると不安になる。最初は珍しくてニコニコしてくれても、言葉が不自由だと面倒になってそのうち相手にしてもらえなくなるのではないか?そういう気がした。

ママのスナックでもそうだった。ママの娘は実に根気よく自分の練習台(自分も日本語練習機だが)になってくれるが、たいていの韓国人は最初こそ「韓国語を勉強してるのか!」と喜んでくれて「発音がいいね」なんてニコニコしてるが、しばらくすると「日本語で言ってよ」と、少し不機嫌になる。いろんな韓国人がいるが、ママのスナックを手伝っている(あとでわかったのだが、給料はもらっておらず、寝泊まりと日本語学校の費用とたまにくれる小遣いだけなんだそうだ。どうりで客に一切媚びを売らないわけだ)ママの娘は実に心の優しい人物で、嫁さんにしたいくらいだ。いや違う、辛抱強いのはその点だけだった。もう1日も早くソウルに帰りたがっているし、日本に合わない点がいくつかある。それは通ってみないとわからないのである。

ヒョンが右手を差し出す。握手しながらお決まりのあいさつをすると「おおおおおっ」と驚いた。まったく韓国語がわからないヤツだと思っていたらしい。奥さんも同様だった。奥さんは少しだけ日本語の単語を知っている。日本語のテキストを見せてくれたりしたが、会話ができるわけではなく、たまに「ひとつふたつ」などと言ったりする。大変明るい。こんな性格の人は異国で、たぶん日本でも大丈夫ではなかろうか。その日はもうクタクタになっていたので、寝室にあてがわれた子供部屋へ入って寝ようと思った。しきりにそ う勧めてもくれた。「チャ!」というのだがこの「寝な!」と「さぁ」の「チャ!」の区別がいまでもわからない。あともうひとつあったような気がするが、思い出せない。(塩辛いという意味の「ッチャ」だと思う:後日追加)

寝ようとすると男の子が呼びに来た。「アッパ%&#*!」「モー?」恥ずかしながら自分は、「アボジ」と「オモニ」は知っていたが、その何倍もの頻度で使われる「アッパ」「オンマ」を知らなかったのだ。いや正確には知ってはいたのだが、「アッパ・・・」と聞いてすぐ「痛い」だと思ってしまった。子供がしきりに、「痛い痛い」と喚いている、そう思ってしまった。「オディガ アパヨ?」と聞いた。これは意味を取り違えていると同時に、変に丁寧な言い方だったのだ。子供相手にはパンマルを使うんだと何日かしてから奥さんに教わったが、「パパが呼んでるから来て!」と言った子供に対して自分は「どこが痛いのですか?」と訊いたのだった。そのあとみんな大爆笑であった。ここで「笑いがとれてよかった」と思うか、「バカにしやがって」と怒るかで、後々の進歩が大きく異なると思う。まぁそんな感じでやっと初日の床につく。

ちょっと話が前後するが、おなじみの金浦空港の印象。韓国へ行くととにかくニンニクのにおいが強烈なのだと聞いていた。2度目も3度目も確かにニンニクのにおいだったが、初めての時は感じなかった。空港全体がシャネル(たぶん)の香水で充満していたように思う。アシアナのスチュワーデスに見とれていたのか、あのオバチャンに混乱させられたのか、ニンニク臭をまったく感じなかったのだ。すでに自分がそういうにおいだったのだろうか。ハラボジの家でも感じなかった。ところがこのあいだの夏にハラボジ・ハルモニが来日して、それにママと娘先生を自分の車に乗せたとき、「ああああ韓国!」というニンニク臭がした。体臭がニンニクだというのは本当である。そうすると、自分はそのにおいを身につけて韓国へ行ったのか。・・・いや、やはり緊張していたんだろう。

朝7時起床。この辺から2日目なんだか5日目なんだか曖昧になる。まぁ間違っていても自分しか知らないから構わない。嘘は書いてない。

ハラボジは72歳か73歳である。だが250ccの単車を乗り回す。朝のチャムシルをハラボジの後ろにまたがって疾走する。右側通行というのは、目が慣れるまでおっかない。右左折するときが恐怖である。しかも自分はノーヘルだ。88オリンピックの競技場や漢江の河川敷を走り回る。そして甘ったるい紙コップのコーヒーを買って一服する。本当はハラボジの前でタバコなんか吸っちゃいけないのだが、「いいよ吸いなさい」というのに甘えて、ヒョンが決して目の前で吸わないのに自分は特別に吸えるのである。

こういう韓国の習慣は勉強して行ったつもりだ。あの立ったり座ったりする挨拶はやらなかったが、スプーンで味噌汁を飲むとか茶碗を手に持たないとか、一応気をつけてはいた。だがあまり気にしなくていいみたいだった。ハラボジは(わざとそうしてくれたのかも知れないが)平気で茶碗を手に持つし、味噌汁だってぐーっと飲み干したりしていた。ソウルの食堂でそうやって食べている人を何人も見たし、ドラマの中でもたまにそんな場面がある。タバコや酒の作法も、たとえばヒョン(37)と自分(32)ぐらいの年の差ではまったく気にしなくていいようだった。

今後もずっと付合って行くであろう人々であるが、ちょっと耐え難い悪癖も暴露せねばなるまい。この旅行記は韓国人バンザイ!だけのものではないのだ。まず自分の大好きなハラボジは、1日中屁をする。ちょっと胃を悪くして(飲みすぎ;いまは飲まない)手術をしたためだろうとは思うが、もうどこでも構わずやるのだ。地下鉄の駅でも公園でも家の中でも。ソファに横になったハラボジのすぐそばにいてはならない。2,3度かまされたからわかる。それから子供はしょっちゅう鼻をほじっている。ユジョン(姉:小4)もテジュン(弟:幼稚園)も同じ。ユジョンはさすがに女の子だからたまにしかやらないが、テジュンはいつもだ。嫌がると面白がってくっつけようとするので、部屋中逃げ回った。こればかりはオンマに訴えてやめさせてもらった。「悪いことしたら日本語で叱って」と言われた。外国語の方が子供には怖いものらしい。が、どんなに悪さをされても自分は怒らなかった。なんとなく、子供を溺愛している雰囲気というものを感じ取っていたからだ。テジュンは自分が両手両足を持って振り回すととても喜ぶ。何度も床に寝てはやってくれという。何度かやってやるうちにハルモニに止められた。「子供の腕は弱くてどうのこうの」こっちはやりたくてやってるわけじゃないと・・・言えなかった。人懐っこくて2人とも実にいい子だと今は思うが、滞在中に毎晩テレビゲームの対戦相手をやらされて、韓国のテレビをゆっくり観たり、ガイドブックを見て「ああ、今日はここへ行ったんだな」とか、辞書を開いてわからなかった言葉を調べたり、本屋で買ったソウルの地図を眺めたり、とにかくそのことごとくを深夜まで邪魔されたから、自分を抑えるのが大変だった。おまけにテジュンは夜中に起きて子供部屋に入ってきて寝ることがある。そして2時間に1度「ワァー」と喚くのである。ちっともゆっくり眠れない。そして朝は7時からハラボジと単車で散歩なのである。

1度だけ切れたことを告白する。3度目に夜中の襲撃を受けてとうとう「あっち行って寝ろ!このクソガキ!」と叫んだ・・・のではない。そっとつぶやいたのだ。

旅行1−3
旅行1−5
帰ろう