出会い

ハラボジ(1)

ハラボジ・・・と書いて、もうすぐにでもソウルに行きたくなった。そのくらいにいま自分を韓国に引き付 けているのはこのハラボジである。元日本軍兵士であったという。その辺りを根掘り葉掘り聞いたことはな いが、自分はハラボジに任せている。かつてはかなりの反日感情も持っておられただろう。いまでもそうか も知れないが、その日本と、日本から韓国語をちょっとかじってやってきた自分とは別なのだろう。しかし いつの日か、自分に昔話を語りながら激昂して、「これがオマエら日本人の正体だ!」などと殴り掛かられ ても自分は一切の抵抗はしないつもりだ。そんなことにはまずならないが。(笑)

最近になって、呉光朝さんのHPで「椎名さんに会いたい」(リンク集参照) を見つけて読んだ。発想が飛躍しすぎかも 知れないが、このようなときついついハラボジを重ねて読んでしまうのだ。程度の差はあれ、何らかの非人 道的扱いを日本人から受けたこともあるだろう。ときどき考え込んでしまうのである。

よく人に聞かれるのが、どうして急に何度も韓国へ行くようになったのかということだ。この旅行記はその 答えになるだろう。逆に簡単に説明してしまいたくないのである。女だ食い物だと職場のバカは勝手なこと を言って自分をイライラさせるが、きれいなアガッシもやわらかいテェジカルビも、自分にとってこのハラ ボジに比べたら魅力半減なのである。

出発の日の何日か前、ママが店から国際電話をかけて、初めてハラボジと話した。日本語がうまい。なにを 話したんだったかよく思い出せないが、ほとんど日本語だった。「よろしくお願いします」ぐらいは韓国語 で言ったような気もする。画用紙にハングルでハラボジの名前を書いて、ついに出発である。

アシアナの飛行機が金浦空港に1時間も遅れて着いた。飛行機の中では話好きのオバチャンがずっとしゃべっ ていた。芸術家らしいのだが、なるほどド派手な恰好だった。こっちは簡単な挨拶文でも復唱したかったの だが、休みなく話かけるオバチャンにすべてワヤにされた。でもこのオバチャンのおかげで「初めての飛行 機」は怖がっているヒマがなくてよかった。

この日は入国にえらく時間が掛かった。ある宗教団体のなんとかいう行事でその関係者の団体がいた。その せいかどうかわからないが、なかなか入国できない。ハラボジが待っているのに。さっきのオバチャンはま だ側にいる。その宗教関係の1人の女の子を捕まえてしきりに何か聞いてる。ときどき「ねぇ」などと自分 に話をふるから困る。こっちは関わりたくないのだ。ようやく入国して荷物をとって、出口へ向かう。画用 紙に名前を書いた待ち人の列の中ほどに、ハラボジはいた。いや、いらっしゃった。

ハラボジとの交流が定着したいま、この旅行記でかつての歴史がどうのという話はなしにしたい。ハラボジ はもちろん、自分だってその辺は知っているのだ。ハラボジに挨拶して、バス停へ向かう。一人だったらま ず地下鉄に乗ったことだろう。さっきのオバチャンは慣れたもので、ソウルの中心へ向かうバスにさっさと 乗って行った。バス停でハラボジにこのオバチャンをどう紹介したらいいのかわからなくて往生したから、 違うバスで行ってくれてホッとした。空港バスでロッテワールドへ。ママの実家はその近くである。もう道 を憶えたいまは蚕室の駅から歩いて行くのだが、その時はハラボジ任せで近所までタクシーで行った。

立派なアパートである。3階と屋上は一家が使い、1、2階は他人に貸している。失礼ながらもっとゴミゴ ミした一画のみすぼらしい住宅を想像していたのだが、とんでもない。周りも同じだ。江南とか蚕室はこう なんだとこのあいだ別の人に教わった。高級な部類だと思う。
ハラボジの日本語は自然な感じだが、軍隊で使った日本語なんだろうか、時々「え?」と思うような居丈高 な言葉になることがある。「おい!」とか「〜だろうが」という言葉。かと思うと「〜しましょう」が出て くる。もうバスに乗る時点で自分は警戒を解いていたから、ハラボジの言葉がどうであれ構わないが。 ハルモニに紹介される。ハルモニはわずかな単語を除いて日本語はまるで通じない。そして子供が2人。こ いつらには滞在中手を焼いたが、なついてくれただけでもよかった。幼児番組ですら日本人の昔の悪事を教 えているのだから。

もう7ヶ月経ったので何日目にどこへ行ったという記憶はいい加減である。本当は「第3日なになに」 と書きたいのだが、なんの記録も取っていないのだからお手上げだ。
日本で買ってきた土産はカステラと栗羊羹と日本の味噌と、以上がママとその娘の推薦、それから子供に、 女の子に千代紙(懐かしい!)、男の子に怪獣の人形(振るとガァーと鳴く)、さらに成田で日本酒とウイ スキー。訪韓2度目、3度目と土産が減って行くのだが、いまは関係ない。子供の、とくに男の子のオモチ ャ選びは楽しかった。自分が幼稚園の頃。。。もうとにかく怪獣に囲まれていないと気が済まなかった。タ イガーマスクも好きだった。「**ちゃんは大きくなったらなにになりたいの?」「タイガーマスクゥ!」 教室の後ろの壁に模造紙が貼り出され、年長組みでタイガーマスクは自分だけだった。小学校に上がると仮 面ライダ−だった。いつか自分も改造されて、孤独にショッカーと戦うのだと。根はこんなヤツが研究開発 をするうちの会社は不幸だ。

実はその自信を持って選んだ怪獣はすべった。なんなんだ今の韓国の(日本もそうか)ガキは!マジンガー Zとゲッターロボとガンダムを1つにしたようなものすごいのを持っている。それがまた組み直してスポー ツカーになったり戦闘機になったりする。そんなものの前でゴジラごときが「ガァー」と鳴いてもちっとも カッコよくない。ハルモニが気を遣ってしきりに怪獣で遊ばせようとしてくれるが、子供にはそんなの関係 ない。そして、オマケでくれたセーラームーンのカレンダーの方をいつまでも眺めているのだった。セーラ ームーンが韓国でも人気なのはこのとき知った。

ハラボジはテレビを、しきりに日本の衛星放送にしてくれる。韓国のテレビ番組が珍しくて早く見たいのに、 しばらくオリックスとどこかとのプロ野球を観ていた。2〜3日経ってから、自分は日本語のテレビなんか いくらでも日本で観られるから、韓国の番組だけ観たいと説明してわかってもらった。韓国から来ている人 はしょっちゅうレンタルビデオ屋へ行くが、自分は韓国へ行って日本のドラマなんか決して観たがらないだ ろう。ただ重要なニュースはやはり日本語のほうが安心するが。

まだ初日だった。緊張したままテーブルに向かう。ここで自分はキムチというものをまるで誤解していたの だと気づく。キムチといえば韓国の心。韓国語を学び、韓国人とつきあうには、辛いだの臭いだの言わずに 食べられなければならぬ。努めておいしそうにだ。正直言うとそれほどうまいと思ったことがなかった。し かし今この食卓にあるキムチは、いままで食べさせられたキムチもどきではない。うまい!うまい!うまい! 辛くない!(イヤそりゃ少しは辛い。辛いのが苦手な人にはきついかも知れない)もうこれは誰がどのよう に反論しても絶対に譲らない。ハラボジの家で食べたキムチも、その後いろんな店で出たキムチもうまい! 「キムチはうまいのだ!」ということが、ハラボジ始めこの家族と知り合ったことの次に、旅行の収穫だっ た。さらに、いま日本で「本場韓国の味」などと書いて売ってるキムチは違うのだと言いたい。本当はもっ と過激にこてんぱんにけなしたいが、自分ももうすぐ33であるから、控えめにしておく。 「あんたぐらいキムチを食べる若いもんはいま韓国にはいない」と、ハラボジもハルモニも笑っていた。 韓国語でたどたどしく、日本で食べていたキムチがいかにまずいかを力説しておいた。

日本で本当にうまいキムチは食べられないか?そんなことはない。自分は発見した。スナックの近くに何軒 もある焼き肉屋の中で、先日見つけた。あそこの大根のキムチはまさに韓国で(ソウルで)食べたキムチで あった。もう嬉しくて店員さんにそう言ったのだが、一緒に行った同僚は引いていた。うまいとは言ってく れたが。だいたい「うまい」と評判の焼き肉屋で出てくる(有料なんだな日本では)キムチはうまいのでは ないかと思う。もうこのページはキムチで終わらせよう。

韓国でどの店でなにがうまいか、なんて考えたことがない。いままでまずかったことはほとんどない。それ はちょっとぐらい味がどうでも、自分はキムチがメインで食べるからだ。カルビタンとかソルロンタンとい うまったく辛くないスープに自分でちょっと味付けしてご飯をぶち込んでキムチで食べる。これは当たりは ずれがあまりなく、しかも安く上がる。豚カルビは前回まずいのにあたった。それでもキムチは裏切らない から、結局あまり不満はなかった。どこが有名かうまいかなんて考えずに、いや自分はそれを避けて食べて いる。路地の奥へ奥へ、日本人の団体がいない所いない所。

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