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民俗の窓(平成26年度)
 


 相模原の民俗を訪ねて(71)〜甲州道中と八王子城跡(平成26年年5月)〜
 相模原の民俗を訪ねて(70)〜津久井観音霊場ご開帳B〜(緑区根小屋中野地区・平成26年5月)〜

 相模原の民俗を訪ねて(69)〜津久井観音霊場ご開帳の準備A〜(緑区根小屋中野地区・平成26年5月)〜   


 

 相模原の民俗を訪ねて(71)〜甲州道中と八王子城跡(平成26年5月)〜

 博物館の民俗分野では、民俗調査会をはじめ、さまざまな機会を捉えて相模原を中心に周辺地区を含めた地域のフィールドワークを行っていることは「博物館の窓」でも触れていますが、今回は5月28日(水)に行った水曜会のフィールドワークについて記したいと思います。  
 水曜会は、津久井郷土資料室に保管されてきた膨大な資料を整理することを目的に始まった会で、この三年半の間の活動で約一万点以上の資料の目録を作成しています。また、資料整理の成果を示す展示を毎年一回実施して、実にさまざまな資料を多くの皆様に見ていく機会も設けてきました。そして、それぞれの資料に対する理解を深めるとともに、今後の活動に対する意欲を一層高めることを主な目的として、年に春秋の二回ほど関連する地域のフィールドワークを行っています。  
   
旧道から景信山への上り口付近で、この先をもう少し行くと小仏峠に至る  台座に「小仏宿」と記した馬頭観音塔。こうした大きな馬頭観音は津久井地域でも何か所かに残っている  中央本線煉瓦構造物。八王子〜上野原間の中央本線は明治34年(1901年)に開通し、橋梁などに煉瓦が使われている。

 今年の春のフィールドワークは、八王子市浅川地区の甲州道中旧道と八王子城跡の見学を企画しました(加藤を含めて12名参加)。まず午前中は、昨年の秋に中央線の上野原駅から藤野駅方面に向って甲州道中の旧道沿いに残る上野原宿本陣や番所跡などを訪れたのにつなげる意味もあり、今回は途中にそびえる甲州道中の小仏峠越えはまたの機会として、小仏峠を越した麓から高尾駅までのコースとしました。途中では、台座に大きく「小仏宿」(甲州道中の宿場)と書かれた馬頭観音塔(弘化四年[1847]再建)や駒木野宿にある小仏関所など、甲州道中の名残りを示すものや、高尾山信仰とも係わる蛇滝茶屋跡、中央本線開設時からの煉瓦構造物など、いろいろなものを見ながら少し早足となりましたが歩きました。  
     
 小仏関所跡。戦国時代には小仏峠にあった関所は江戸時代に現在地に移された。甲州道中の重要な関所の一つだった  熱心な八王子城跡のボランティアガイドの方の説明があった  右側に見えているのは土塁。土塁一つとっても規模が大きかったことが分かる

 午後からは、小田原に本拠地を持ち、広く勢力を誇った小田原北条氏の重要な支城であった八王子城跡に向かいました。八王子城は天正18年(1590)に豊臣秀吉の関東制圧の一環として前田利家等によって攻め落とされ、それによって小田原開城の引き金となり、秀吉の天下統一がなされたことでも有名です。相模原市緑区の津久井城もこの時に、徳川家康軍によって攻められて落城したとされています。当日は、山の上にある本丸跡ではなく、八王子城跡のボランティアガイドの方のご案内の元、城主であった北条氏照(小田原北条氏四代当主・氏政の弟)の館などがあったと考えられている御主殿(ごしゅでん)跡を中心に見学しました。ガイドの方の熱心な説明は1時間30分にも及び、戦国時代を代表する城跡を堪能しました。ちなみに八王子城は国の史跡で、「日本百名城」の一つにも数えられています。  
   
 御主殿の滝。落城した際に多くの北条方の武将や帰女子が自刃し、滝に身を投じたと伝える 御主殿跡。城主・氏照の館などがあったとされ、建物の礎石などが発掘されている   氏照及び家臣墓。氏照の百回忌を機に建てられたもので、少し離れた所にある。氏照は小田原城下で切腹し、小田原駅近くに墓がある

 これまでも述べてきたように、フィールドワークは実際に丹念に歩き・聞き・見ていきながら、地域を知り、考えるものです。今後とも市民とともにフィールドワークを積み重ねながらさまざまな活動を展開し、フィールドワークを通じて分かった地域の歴史や文化についても積極的に紹介していきたいと思います(民俗担当 加藤隆志)。

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 相模原の民俗を訪ねて(70)〜津久井観音霊場ご開帳B〜(緑区根小屋中野地区・平成26年5月)

 前々回(68)及び前回の「民俗の窓・相模原の民俗を訪ねて(69)」で紹介してきた津久井観音霊場のご開帳は、午歳の本開帳は三週間と決まっているとのことで、5月11日(日)から31日(土)まで無事に実施されました。  
     
 観音堂は中野自治会館の中にあり、観音像の前側に回向柱が建てられる  オヒイチなどが飾られた観音堂  参拝者が受けるお札。向かって左側が長札、右側は四角札。長札は版木が地元に伝わっていて、これを刷るのも仕事の一つとなる

 初日の11日の観音様の開扉式は午後0時から行われました。まず実行委員長をはじめ何人かの方からご挨拶があり、昨年の12月から33名の委員のもとで諸準備を進めてきたことや、オヒイチ作成や御詠歌の額の修理の経過など、さまざまな御開帳に係わる点について報告されました。そして、地元の功雲寺(津久井城主であったと伝える内藤氏の墓があることで有名です)の住職・副住職による読経の中、参列者一同に焼香が回され、8名の女性たちによる御詠歌がありました。その後、住職の挨拶、記念撮影と進んで懇親会となりました。また、最終日の31日には閉扉式があり、午後2時から11日と同様に住職による読経や女性の御詠歌も行われました。  
     
 開扉式の様子。功雲寺の住職と副住職の読経の中、進められる  開扉式・閉扉式ともに女性たちの御詠歌がある  閉扉の間にも参拝者が訪れる

 今年の御開帳には全体で750名ほどのご参拝があり、近場はもちろんのこと、遠くは都内や鎌倉、あるいは宮城県や静岡県からお見えになった方もあったそうです。いずれにしても地元の皆様の力を合わせて実施された平成26年の午歳の本開帳は終了し、6年後の中開帳まで観音像の扉は閉められることになりますが、今回の観音様への参拝と何より根小屋中野の皆様の暖かいもてなしは、参拝に訪れた多くの人々の心に残るものとなったことは間違いないでしょう。  
 今回の中野堂の観音御開帳の準備から実施・終了までの調査に際しては、菊地原稔さんや御開帳実行委員長の安西英明さん、副委員長で自治会長の篠田隆夫さん、同じく副委員長の山本早苗さん、松本春美さんや自治会の副会長の方々をはじめ、地元の多くの皆様に大変ご協力をいただきました。改めて深くお礼を申し上げます(民俗担当 加藤隆志)。   

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 相模原の民俗を訪ねて(69)〜津久井観音霊場ご開帳準備A〜(緑区根小屋中野地区・平成26年5月)〜

  前回の「民俗の窓・相模原の民俗を訪ねて(69)」」で紹介した津久井観音霊場のご開帳は、女性たちによるオヒイチ作りを3月9日を含めて4日間行い、全体で600個ものオヒイチを完成させるなど準備が進められました。そして、連休中の5月3日の午前9時から全体のしつらえがなされました。
     
 観音堂前に回向柱を立てる  回向柱の下には杉の葉を飾る  鰐口を叩くための綱を男たちが集まって編む
     
 できた綱を堂の前に取り付ける  用意されたオヒイチ  オヒイチを傘に取り付けていく

 作業は野外と室内とで手分けして行われ、野外では、回向柱を立てたり柱の下に杉葉を飾る、参拝者が鰐口(わにぐち)を叩くための綱を編むなどの作業が男性によって行われます。室内では女性の手により、傘を上側に付けてそれぞれ繋げたオヒイチを観音様の両側に飾りつけ、これとは別に個人の方から奉納された千羽鶴なども飾ります。そして、男性の仕事になりますが、提灯を取り付け、観音像の手に結びつけるお手綱とそれをつなぐ五色の布などの用意も行われました。なお、五色の布を通じて観音様のお手綱が結び付けられる回向柱は、オヒイチと同様に12年に一度の本開帳の時に新しくして、その間の中開帳の際には表面を削って使うそうです。  
     
 傘に付けられたオヒイチ  曲がったりしないか様子を見ながら、オヒイチを吊り下げる  オヒイチは一対なので、一つ吊ったら次に取り掛かる
   
 観音像の手から結ぶお手綱の準備  お手綱に結びつける五色の布を伸ばす  五色の布は回向柱に結ぶ

 この日の準備は午前中には終わらずに片付けなど、一部の作業が午後からになりました。 こうしたさまざまな準備を経て、ようやく5月11日からの開帳を迎えることになります。 当日の調査に当たっても、引き続き菊地原稔さんや、御開帳実行委員長の安西英明さん、副委員長の山本早苗さん、松本春美さんをはじめ、地元の多くの皆様に大変ご協力をいただきました(民俗担当 加藤隆志)。
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