1998/08/09 望月 章さんからのメイル

Subject: 「血液型」の扱い方:ハレモノではないが、「決め付け」もだめ

私がいろんな意見を読んでいて時々「危険だな」と思うのは、「だから当たっている」「だから外れている」という「決め付け」です。まだ、本当のところは分からないのに、賛否両論とも「決め付け」の人は多いですよ〜。非科学的で単なる迷信だ、というのなら、それを科学的に証明しなくちゃ。また、全面的にあてはまる、という説明も、私は納得したことがありません。偶々、前に書かれている伴田さまの意見が、私にもいちばんぴったり分かります。「性格だ」と決め付けず、けれどその人の持っているニュアンス・・・というのが本当のところなのではないでしょうか。私自身は、このところ、血液型というのは、目の色、髪の毛の質、太っている・痩せている、などと同じ「体質」または「気質」だと思っています。当然、同じような性格の人でも、例えば「太った」優しい人と、「痩せた」優しい人ではイメージ(または「ニュアンス」)が違うでしょう? 血液型そのものは目には見えませんが、人がその血液型を自分の個性として身にまとう時、その人の言動は当然、瞼の一重二重とか背の高さと同じような影響をその人に与えると思うのです。逆に、だからこそ、そうしたその人の「個性」を、しっかりと認識してみとめることが大切だと思います。もしもよく分からないのに放置したら、その時こそ「差別」が始まるでしょう。なぜなら、差別は(それを利用する卑劣な者はともかくとして)無知ゆえに起こるものだからです。悲しいことに、「血液型」について、「恨み」と言わないまでも良くない感情を持つ人は、自分の血液型に対して「決め付け」をされた経験のある人が多いのではないでしょうか。それは、私にはむしろ、「無知」のせいではないかと思うのですが。なお、心理学者の方たちの多くが血液型研究に関して否定的な態度をとるのは、単に自分の不得意な分野まで研究領域を広げていかないと解明できないことに気づくからではないでしょうか。なにせ、この問題の半分は「遺伝と生化学」ですから。聞くところによれば、欧米では血液型研究は別に「否定的」にされているわけではないようですし。そういう意味では、「心理学者」という「ステレオタイプ」にはまってない人の方が、本当に必要な方法論で研究を進められるようにさえ思います。とりとめなくなってしまいましたし、どうも感情的に書いてしまったところもあります。いずれにせよ、世間の俗説「○型と×型は相性がいい・わるい」というのも困ったものですが、それを否定することによって必要な研究まで停滞してしまうとしたら、それも拙いなあ、と。では。


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