1999/02/10 横川さんからのメイル

Subject: 血液型を活用しよう

主旨は理解できたつもりです。中西さんは血液型の性格診断は「弊害に比べ、血液型で人間を分類することの利益が明らかになっていない。」とおっしゃってます。私は弊害について同調する気持ちもありますが、しかし血液型の話を知ったことでずいぶんと良いこともありましたので、そのことについて少々述べたいと思います。

私自身は今から数年前に能見正比古氏著の多数の本を読みあさり、ずいぶん感銘を受けました。その時に感じたことなのですが、私は血液型の話を知らないときは、他人に対して自分の価値観や判断基準をあてはめてしまいがちでした。その時はかなり気をつけていたつもりでしたが、今から考えるとひどいものでした。世間にもそんな人間が、けっこういるような気がします。そんな時、能見氏の本を読んで、「同じ人間でもずいぶん違った考えをするものだなあ」と当然のことなのですが、改めて感心したものでした。そしてその結果、

(1)他人の許せない行為を目にしても、「*型の人だからしょうがない、血液型がそうさせているのであって、本人に悪い気持ちはないのだから」と、ずいぶん寛容な人間になり、客観的で落ち着いた考えが出来るようになりました。
(2)私は昔から「まわりと違っている」、という感情に悩み続けてきました。それが、実は自分の血液型は日本では少数派であり、私の考え方は血液型に素直なものだったのだと分かり、大変驚きつつ悩みは一気に解決しました。自分と他人とは違うんだと、納得できました。

私はこの様に血液型の話を通して、おげさな言い方ですが、ずいぶん人間を勉強し、「大人になった」気がします。能見氏には本当に感謝しています。私は、血液型は人間の考え方や行動様式のおおまかな傾向を表すものであり、その傾向を知ることによって人間関係を円滑に行うために大いに活用すべきものと考えます。

能見氏が書中で述べていることは、血液型は、人間を分類したり、この型はこういう人と決めつけるためのものではない、ということです。私も血液型によって人間を分類することは大嫌いです。分類を行うと中西さんのおっしゃるような差別等の弊害が生まれます。血液型により「分類」や「診断」を行い、それにとらわれたり、それにすがったりすることは、大変愚かなことです。かえって考え方を狭くしてしまいます。
そして残念ながら、現在の各種メディアはこの愚行を助長しています。

血液型と占いは同一次元で論じるものではないと思っています。占いは血液型と異なり「分類」や「診断」を行い、それにとらわれたり、それにすがったりすることが目的だと思います。
・占いは、根拠の科学的な追求をする意味が無いもの
血液型による性格判断は、根拠の科学的な追求を大いにすべきもの

ここで言う科学的な追求とは、専門家が生化学的あるいは統計学的等の学術的に研究するという意味もありますが、一般人も実際に当てはまるかどうか自分自身で考えるということです。反対の方の意見を読むと血液型による性格判断は、当たっているとか当たってないとか、そういう次元の話が多いのですが、まったく占いと混同しています。そして、「当たっていない」あるいは「当たるわけがない」と自分から突き放している場合が多いのですが、そういう考え方では血液型の話はぜんぜん役に立ちません。もう一度言いますが誰かが調べたことをうのみにするのではなく、自分自身の身の回りに当てはめて考え直し、普段の生活にうまく利用するようにしたらいかがでしょうか。その上で、「役立たないので考えるのやめます」ということなら仕方ありませんが、私の経験から言うと、たいていの人は上で述べた(1)や(2)のような人間関係の悩みを解決するのにきっと役に立ちます。
もちろん、押しつけるつもりは毛頭ありません。


前の反論メイルを読む
みなさんのご意見 に戻る
血液型性格判断をやめよう に戻る