十月十九日(金) 我思う、故に我あり。

 札幌市を走っているバスは、乗車口が車体中央左、降車口が左前部に作られています。
 お客はまず中央部から乗ったときに乗車券を発券装置から取り、降りる時に運転手の左(すなわち車体前部中央)に設置されている料金箱へ、料金を払って降りていく仕組みです。
 で、なんでこんなローカルなことを書くかと言うと、今日ちょっと気付いたことがあったからなんですね。
 
 
 札幌のバスは、降りる時に必ず運転手の側を通るようになっています。
 この時一緒に料金も払っているのですが、お客の中には、運転手に向かって「ありがとうございました」と言って降りていく人たちがいるんです。
 そう言った人をよくよく見ていると、ある決まった年齢層の人だけだったんですね。
 それは、女子高生と老人です。
 また、運転手の中にも、お客一人一人に向かって「ありがとうございました」と声をかけている人がいるんですが、その場合に返答を返すのも、やはり女子高生と老人だけ。
 まれに小学生が声をかけているところを見ることもありますが、小学生はそもそも滅多にバスに乗らないので、その絶対数は老人と女子高生に遠く及ばないと思われます。
 もちろん、全ての老人と女子高生がそのように挨拶をしているわけではありません。
 比率でみれば1割〜2割程度でしょう。
 しかし。
 その中間、二十代〜五十代くらいまでの客層においては、運転手に声をかけている人なんて一人もいません。
 少なくとも、ぼくは一度も目にしていない。
 でも女子高生と老人だけは声をかけている。
 この事実に思い至った時、ぼくは目からウロコが落ちました。
 ご老人が礼儀をわきまえている、というのは納得できますが、女子高生がそういう礼儀を心得ているなどと露ほども思ったことがありませんでした。
 昨今の女子高生は傍若無人な連中ばかりだと思っていたのですが、その彼女らでさえも、バスの運転手という通りすがりの人に一声挨拶する、ということができる。
 じゃあそれができないぼくは一体何なんだ。
 思えばぼくも、今まで何度か運転手に声をかけられたことはあるけれど、気にも留めていませんでした。
 無性に恥ずかしくなりましたよ。
 だからぼくも、今日から降り際に運転手に「ありがとうございました」と声をかけることにしました。
 この一言を言うくらいなんでもないことです。
 たったこれだけでお互い気持ちよく過ごせるなら、それに越したことはないじゃありませんか。
 
 ちなみに運転手に挨拶されて挨拶を返せない人は例えば朝幼馴染みに起こされてその子に作ってもらった朝飯食べて「髪型変えてみたんだけど、似合うかな?」とか話しながら学校に行ってみたら校門のところで見知らぬメイドロボが掃き掃除をしていて気にせず側を通りかかった時にいきなり「おはようございます!」と元気に声をかけられても何も答えず一瞥して無視していくだけでマルチエンド成立フラグをいきなり逃してしまうという悔やんでも悔やみきれない大ミスを犯すことになると思うのでぼくはそんなことは絶対嫌だからちゃんと挨拶を返す人間になるんだ。
 
 
 これだけで終わってしまうのもナンなので、もう一つ雑学を書きます。
 家電製品が壊れた時、バンバン叩いて直そうとした経験は誰しもあると思います。
 これ、どういう原理で直るのかご存知でしょうか?
 
 
 家電製品に限らず、ほとんどの機械は電力で動きます。
 コンセントなどから供給された電気は、機械内部に流れ込み、そこで用途に応じて作られた回路を通り、最終的に機械を動作させています。
 ここで、回路と回路を繋いでいる技術は、ハンダゴテです。
 中学辺りでやったことありますよね、ハンダゴテ。
 あれの業務用仕様でそれぞれの回路は接続され、そのおかげで機械全体に電力を行き渡らせることができるのです。
 しかし、ちょっと前まではハンダゴテの技術が高くありませんでした。
 ハンダゴテで回路を接続しても、数年経つと接着力が弱くなり、ハンダゴテで接続した部分が浮き上がってしまうということがよくあったのです。
 その結果、回路と回路の接続が遮断され、電力が十分に届かなくなります。
 当然機械は不調をきたします。
 ここでユーザーである人間が、「ああ、壊れたんだな」と認識するのです。
 しかし、この時に外部から衝撃を加えると、一時的にハンダ部分が元のようにくっつき、機能が回復することがあります。
 これが「叩けば直る」の部分です。
 昔の日本の電化製品はほとんどこの欠点を持っていたため、「叩けば直る」というのはオールマイティに通用する技でした。
 そのため、「壊れた機械は叩けば直る」という迷信が生まれました。
 まあそれなりの効果はあるので、あながち間違いではないのですが。
 
 なお、現在はハンダづけの技術が進歩したため、高々数年ではがれてしまうようなことはありません。
 不調だからといって叩いても直りません。
 かえって衝撃によって、正常だった部分まで壊してしまう恐れがあります。
 機械が故障したなら、素直に修理に出しましょう。(…と、18話でお鈴ちゃんも言っている)
 

十月二十二日(月) 小学生の頃に死んだセントバーナード、ボス。
 
 携帯電話を買うことにしました。
 理由はメモオフのeternityとmemories offの着メロを使いたいからです。
 …というのは冗談ですが、冗談だって言わなかったら多分みんな信じるんじゃなかろーか。
 まぁ買う理由の4割はそれなんですが(だめじゃん)。
 未だに携帯を持っていない、ということで、ゴン犬先輩には蛮族だの野蛮人だのと呼ばれましたが、そのような屈辱の日々もやっと終わります。
 ぼくは蛮族だそうなので、とりあえずデビルアクスでも持ってゴン犬先輩を襲撃しようと思いました。まる。
(先輩、シャレ(ティアリングサーガネタ)なんで怒んないで下さいね)
 
 
 さて、今日は日記のネタとして、ぼくの考える「完全犯罪」について書いてみようと思っていました。
 ですが、たまたま地下鉄で盲導犬を連れた人を見かけたんです。
 その盲導犬が非常に賢い犬だったので、今回は予定を変更して、犬の話を書こうと思います。
 
 
 まず人類と犬の出会いの歴史から。
 人間は現在、多くの動物を家畜やペットとして飼っています。
 それらの動物はもともとは野生であり、人間が捕獲して飼い馴らし、様々な交配を繰り返すことで人間の身近な動物になっていきました。
 しかし、たった一つだけ例外があります。
 それが犬です。
 他の多くの動物と異なり、犬だけは、動物の方から人間に近づいてきた稀有な例なのです。
 犬は人間に安定したエサと住居を求め、人間は犬に高い狩猟能力を求めました。
 そうして、犬と人間は理想的な共存関係を築いていったのです。
 
 
 犬にとって一番嬉しいこととは何かご存知でしょうか。
 それはエサをもらうことでもなければ、広い野原を駆け回ることでもありません。
 主人に喜んでもらうことです。
 犬は、自分が主と認める者に喜んでもらい、その者に自分を認めてもらうことにこそ最上の喜びを感じるのです。
 これもまた、あらゆる動物の中で唯一犬だけがもつ特性です。
 だから、犬をしつける際には、エサなど必要ありません。
「よし。よくやった」と声をかけ、頭を撫でてやればよいのです。
 それだけで、犬は主人が喜んでいることを理解し、その行動を覚えます。
 逆に「なにをやっているんだ!」と叱ってやれば、その行動は良くないものであると判断し、その行動をとらなくなります。
 このように、犬は本能的に主人に従おうとする動物です。
 それは言い換えれば、主人に極めて忠実である、ということでもあります。
 犬と主人との間に確固たる信頼関係があれば、犬はどんな場合でも決して主人を見捨てず、常に主人に従います。
 そして、この習性があるからこそ、犬は人間社会の様々な局面で活躍しているのです。
 警察犬、麻薬捜査犬、災害救助犬、牧羊犬、盲導犬、介助犬など、登場の場は多岐に渡っていますが、これほど人間の生活に密着した動物は他にいません。
 
 
 例えば今回この話を書くきっかけになった盲導犬。
 歩道に、ちょうど人間の頭くらいの高さの木の枝が張り出していたとします。
 犬にとっては何の障害にもならないので、普通の犬はただ下を通り抜けるだけですが、盲導犬は違います。
「この枝は人間の頭にぶつかりそうだ」と判断し、それを避けて進むことができるのです。
 そういった「認知して判断する」という高度な思考さえ、訓練すれば身に付けることが出来ます。
 今日ぼくが見かけた盲導犬は、地下鉄の自動改札機の前できちんと立ち止まり、主人が券を入れるまで待っていました。
 本当に賢い動物です。
 
 
 21世紀となり、人間は犬に狩猟本能を求めなくなりましたが、代わりに類稀な身体能力と、主人に対する忠実さを求めるようになりました。
 人間にとって最も身近なパートナーは、犬であると言えるでしょう。
 
 
☆今日の雑学
 健康のためにエレベーターやエスカレーターを使わず、階段を使うようにする、という考え方がありますよね。
 それはそれで非常に結構なことで、水をさすつもりは全くありませんが、一つだけ注意すべき点があります。
 階段の昇降運動において、上りの場合は特に問題はないのですが、下りの際には膝に負担がかかってしまいます。
 もちろん健康な人なら何の問題もありませんが、足腰の弱ったお年寄りや、入院して足の筋力が衰えた人などは危険です。
 そういった場合に足の筋力強化のために階段を使うというのであれば、上りだけ階段を使い、下りはエレベーターなどで降りる、というのが正しいやり方です。
 ちなみにこれを書いていてふと思いましたが、入院していたヒロイン(例えば遙)が歩きの訓練のために階段を上り下りする、というのはシナリオのエピソードの一つとして悪くないかもしれない。
 ストックしとこ。
 
 
 では今日はこれで終わります。
 次回は「ぼくが考える完全犯罪」と、「虹」についての雑学を書こうと思います。
(一応は予告だけど、書くネタを忘れないための予防線でもあったりする…)
 
十月二十五日(木) てんたまDC版ゲッチュ。
 
 今月のあずまんが大王を読んで思った雑学知識。
 昨今の日本では絶滅しかけているブルマーですが、ブルマーの起源はごぞんじでしょうか。
 これ、元々はアメリカで、女性の地位向上のために作り出されたものなのです。
 南北戦争が終わった頃のアメリカでは、女性の地位が極めて低いものでした。
 そんな状況を打開すべく、ある婦人が「これからは女性も外に出てどんどん活動すべきである」という理念を打ち出しました。
 動きにくいスカートに代わる動きやすい服装を、ということで、ブルマーが生み出されたのです。
 ホントですよ。
 このようにブルマーは由緒正しい洋装なのです。
 ところでこういった論調だと、たいていは「だからぼくはブルマーの撤廃に反対します」などと言うものですが、ぼくはブルマーには興味ないんで別にどうでもいいや。
 …しまった、オチがない。
 まぁ服の起源を考えるなんてあんま意味ないしねぇ、セーラー服だって元は海兵の制服だったってゆーし。
 
 
 
 今日は前回予告したとおり、ぼくが考える完全犯罪について書いてみます。
 が、その前に、犯罪と言うものについてのぼくの見解を書きます。
 
 
 まず最初に言いたいのは、犯罪ほど割に合わない稼ぎ方は無い、ということです。
 一般の日本人が普通にサラリーマンやって生きた場合、一生で稼げる金額はだいたい2億5千万円になるそうです。
 つまり真っ当に生きればこれくらいは誰でも手に入るわけです。
 しかし、一度犯罪を犯してしまうとそうはいきません。
 例えそれがチロルチョコ二個盗んだ程度であっても、犯罪は犯罪。
 その人は前科一犯となり、汚点は一生消えません。
 前科者ということで、就職をはじめ様々な面で不利益をこうむることになってしまいます。
 これでは2億5千万も稼げるはずがありません。
 死ぬまで犯罪者として白い目で見られ続け、普通に生きていれば手に入るはずだった分の金も失うのです。
「捕まらなけりゃいい話じゃん」と思われるかもしれませんが、それはアマイ。
 あまりにも警察を舐めた考えです。
 最近は不祥事が目立つとはいえ、それでも日本警察の優秀さは世界一。
 まず逃げ切れるものではありません。
(それに日本には名探偵も多いですしね、某江戸川コナンとか某金田一一とか)
 よって、ぼくは「犯罪を犯した者は必ず警察に逮捕される」と考えています。
 じゃあ完全犯罪なんてどうやるのかって?
 それを今からドキュメンタリー風に書いてみようと思います。
 
 
 
   一
 
 あなたは、犯罪を犯すことを考えている人間です。
 理由は何でもよろしい。
 しかし、人を殺してはいけません。
 だから「殺したいほど憎いヤツがいる」とか、「敵の組長を殺ってこい、帰ってきたら幹部だぞ」なんてのはよろしくありません。
 目的はあくまでも金です。
 金以外を狙う人は完全犯罪を諦めてください。
 
 
   二
 
 目的は金でよろしいですね?
 先述したとおり、人は一生を普通に生きれば2億5千万が得られます。
 しかし、一度犯罪を犯してしまったら、もう普通に生きることはできなくなります。
 2億5千万は稼げません。
 すなわち、黒字の犯罪とするためには、一件で2億5千万を稼がなければならないのです。
 この理屈、わかりますね。
 さあ、今度は2億5千万を一件で奪い取る方法を考えましょう。
 もちろん人を殺してはいけません。
 できれば傷つけることもして欲しくない。
 非常に難しくなりましたが、完全犯罪とは容易いものではないのです。
 頭を絞って考えてください。
 有名な「3億円事件」を参考にするのも良いかもしれません。
 
 
 
   三
 
 上手い方法は思いつきましたか?
 それでは次の課題です。
 入手した大金を隠しておける場所を探しましょう。
 これは絶対に人に見つからない場所でなければなりません。
 誰かに発見されてしまっては、せっかくあなたが苦労して完全犯罪を犯しても、何の収穫も得られないからです。
 無論人に預けたりしてもいけません。
 その人が持ち逃げしないとも限りませんし、後々強請られるのも面白くありませんから。
 滅多に人が来ないような深山幽谷などがオススメです。
 
 
 
   四 
 
 良い隠し場所はありましたか?
 では、いよいよ実行に移す時です。
 既に立案済みの強奪計画に則り、2億5千万を一手に握ってやりましょう。
 その後は素早く隠し場所へ赴き、大事なお金を隠します。
 大事なのはここからです。
 
 
 
   五
 
 金を隠したなら、その足で真っ直ぐ最寄の警察へ行き、自首しましょう。
 血迷った?
 いえいえ、違います。
 これこそ完全犯罪成立の上で最も重要なステップなのです。
 
 
 
   六
 
 逮捕されたあなたは、取調室で色々なことを聞かれるでしょう。
 しかし、この時は何一つ答えてはいけません。
 何を言われようと、
「黙秘します」
の一言で押し通しましょう。
 ここで適当なことを言ったり、当り障りの無いことだけ答えようなどと思ってはいけません。
 向こうは取り調べのプロです。
 たちまち嘘や矛盾を見抜かれ、どんどん踏み込まれてしまいます。
 下手をすれば偽証罪に問われてしまうかもしれません。
 しかし、黙秘している限り、そのような心配は無用です。
 嘘を言っているわけではないので、向こうも手出しはできないのです。
 芹香先輩以上に無口になってやりましょう。
 
 
 
   七
 
 やがて裁判が行われ、あなたに対する判決が下ります。
 ですが案ずることはありません。
 ここまで指示通りにやってきたなら、「初犯」「殺人は犯していない」「自首している」という裁判官に好印象を与える三つの条件があるはずです。
 執行猶予はつかないでしょうが、懲役五年〜七年程度で済むでしょう。
 この時も異議を唱えたり控訴したりしてはいけません。
 素直に刑に服しましょう。
 
 
 
   八
 
 刑務所内でも反抗的になってはいけません。
 常に積極的な姿勢でお勤めに励みましょう。
 そうすれば、模範囚として仮釈放が早まります。
 
 
 
   九
 
 数年後、めでたく釈放されたあなた。
 おめでとうございます、あなたの勝利です。
 前科一犯のムショ暮らしという肩書きと引き換えに、あなたの手元には2億5千万が残りました。
 もう警察に追われることはありません。
 家宅捜索にやってくることもありません。
 このお金で一生ぐうたら暮らすもよし、物価の安い国へ行ってリッチな生涯を過ごすもよし。
 あなたの未来はバラ色です。
 見事な完全犯罪の達成の瞬間です。
 
 
 
 …と、ぼくの思う完全犯罪とはこんな感じです。
 ぼくは法律に疎いので、実際にこう上手くいくとは限りませんが。
 断っておきますが、ぼくは犯罪を推奨しているわけではありません。
 むしろ犯罪がいかに割りに合わないものであるかを説いています。
 人間、どんなに追い込まれても犯罪にだけは手ェ出しちゃいけませんよ。
 
 
 
 虹の話は次回に回します。
 今日は疲れた…。 
 
十月二十八日(日) こういう人間こそ、「主人公」たるに相応しい。ぼくも見習いたい。
 
 ここ数ヶ月、特に面白そうな小説が見当たらないので、雑学の本を読んでいます。
 最近は「読むクスリ」というシリーズ本を読んでいるのですが、この本にはいい話が多い。
 その中に、紹介したくて紹介したくてたまらない話があったので、出典を明確にした上で、「引用」という形で書かせていただこうと思います。
 
 
 
・旅は道連れ
 
 郷里でお正月を過ごした三菱商事広報室次長の守恭介さんが、東京へ帰るため家族と一緒に岡山から新幹線に乗った。
 同じUターン客で「ひかり」号はぎっしり満員だったが、発車してしばらくすると車内にアナウンスが流れた。
「皆さんの中に、お医者さんはいらっしゃいませんか。急病人がありますので、車掌にご連絡下さるようお願いします」
 じき、中年の恰幅のいい紳士が通路を急いできて、車掌室へ向かった。
 東海道・山陽新幹線でこういう放送をすると、たいてい一人は医師が乗っていて、JR旅客鉄道はずいぶん助かっているのだそうだが、車内は少なからず緊迫した空気に包まれた。
 ややあって、またアナウンス。
「急病人を降ろしますので、新神戸に臨時停車します」
 車内の緊張は高まる。
「重病でなければいいんだけどねえ」
 守さん一家も心配した。
 短い臨時停車のあと列車が動き出して、車掌の声。
「ご迷惑をおかけいたしました。気分が悪くなった子供さんがありまして、車内でお医者さんの応急手当のうえ、救急車で病院へ運んでもらいました。ご協力ありがとうございました」
 車内に、ほっ、と安堵の空気が流れる。
 さっきのお医者さんも通路を戻ってきて、自分の座席の方へ消えていった。
 
     ☆
 
 新聞に美談仕立てで載るような出来事を初めて体験したのだが、いまの物語にはなにかが欠けているような気がして、守さんは落ち着かなくなった。
 なにが足りないのだろう──ふと、しばらく前まで駐在していたニューヨークでの小さなハプニングのことが、鮮やかによみがえってきた。
 それはある月曜日の朝だった。いつものようにグランド・セントラル駅で地下鉄を降り、地上へ出るための長いエスカレーターに乗った。
 通勤ラッシュ時で、身動きもできないほどだ。と、数人前にいる黒人が、突然叫び始めた。
「おうい、みんな。新しい週の始まりだ。むっつりしないで、景気よく、グッドモーニング、っていおうじゃないか」
 前を向き、うしろを振り向き、わきを登っていくエスカレーターに手を振って黒人は、グッドモーニング、と陽気に呼びかける。
 初め、なにをいい出したんだろう、ときょとんとしていた人びとの間から、グッドモーニング、と答える声が上がった。
 それを合図のように、上り下りのエスカレーターから、グッドモーニングの大合唱が湧きあがった。
 守さんも大声で、何度も何度も繰り返した。
 エスカレーターが地上へ出ると、お互いに見知らないまま声をかけ合っていた人びとはにっこり笑みを交わし、肩を叩きあい、新しい週の仕事を始めるために右へ左へと別れていった。
 それは、五年間の駐在員生活の中でももっとも印象に残る、楽しい出来事の一つだった。
 ほんの一、二分の間だが、たまたまエスカレーターに乗り合わせた同士で声をかけあって、気分を明るくする演出をアメリカ人は知っている。
 そのことに、やるなあ、という気がしたのだった。
 
     ☆
 
 エスカレーターと新幹線は違う。しかし、なにか足りない、と守さんが思ったのは、それだった。
 今日の出来事がアメリカの列車で起きたら、応急処置を終えて自分の座席に戻ってくる医師に、乗客から割れんばかりの拍手が湧くだろう。
 その中の何人かは立ち上がって医師と握手し、肩を叩いて、
「ご苦労さん。よくやってくれましたね」
 というだろう。
 そうすることで、安堵した感謝の気持を伝え、救急車で運ばれた子供がじき元気になるだろうことを喜ぶ。
 それは、旅は道連れ、たまたま同じ列車に乗り合わせた同士の連帯感の表明でもある。
 日本人はもともと、そういう感情の表現は上手ではない。だからといって決して、子供を気遣う思いが少ないわけでも、医師をねぎらう気持がないわけでもないだろうが。
「ぼくはあとで、しまった、自分があの黒人のように最初に声をかけるか、拍手をすればよかった、と気づいたんです」
 そうしたら、通路を戻っていく医師に、ご苦労さまでした、の声があちこちから起き、ひょっとすると拍手の渦が湧いたかもしれない。
 そうすることで車内の人びとは、自分もいまの出来事に参加したのだ、という気持を抱き、いい思い出として一生忘れられなくなったに違いないのだ。
「しかし、ぼくにはできませんでした。やっぱり恥ずかしがり屋の日本人なんですねえ」
 
 
(「読むクスリ PART7」  文春文庫・上前淳一郎著  より)
 
十月二十九日(月) 珍しく日記と言えるペースで更新中。
 
 今週の特命リサーチ200Xを見て思った雑学知識。
 ゲーテの最期の科白「もっと光を!」は有名ですね。
 相対性理論を発表したアインシュタインも、今際の際に何かを言い残したと言われています。
 しかし、その言葉はアインシュタインの母国語であるドイツ語だったのですが、その場に居合わせたのはドイツ語を理解できない看護婦一人で、医師たちが駆けつけたときには既にアインシュタインは息絶えていたそうです。
 だから、アインシュタインが最期に何を言い残したのかは永遠の謎なんだそうですよ。
 
 
 前回書いた「読むクスリ」、まだまだ読んでいます。
 最近書いてる雑学はこの本に依るところが大きかったりします。
 ということで、本日の雑学。
「麻衣」とか「紗夜香」とかいう名前は今や珍しくもクソもありませんが、こういった名前のつけかたは、「万葉仮名風当て字」と言うんだそうです。
 まあどう見たって当て字ですからねえ。
 
 ところで、日本語の漢字には、「音読み」と「訓読み」がありますよね。
 この二通りの読み方はその時々に応じて使い分けるものですが、漢字を繋げて熟語とする場合には、音なら音、訓なら訓でまとめるのが良いとされています。
 中には「重箱読み」や「湯桶読み」のような例もありますが、それはあくまでも例外で、基本的には(音+音)か(訓+訓)で構成されています。
 また、日本人が語感として「耳障りの良い言葉だな」と感じるのも、やはり(音+音)か(訓+訓)で統一された言葉であることが多いのです。
 この考え方は人名にも言える事で、例えば苗字二文字+名前二文字の漢字四文字の名前の人だと、ほとんどの場合、苗字が(訓+訓)なら名前も(訓+訓)、(音+音)なら(音+音)となっています。
 柏木耕一、藤田浩之、相沢祐一、国崎往人。
 どれも(訓+訓)+(訓+訓)ですね。
 
 さて、なんでこんな事を書いたか、なのですが。
 ご存知月姫の主人公「遠野志貴」は、響きの良い名前ではあるのですが、どことなく据わりの悪い名前だな、とも思っていたんです。
 上記の法則にあててみて、その理由がやっとわかりました。
 遠野志貴は、(訓+訓)+(音+音)なのですね。
 いや、だからどうしたって言われればそれまでなんですけど。
 そういう見方もあるってことで。
 
 ちなみに「七夜志貴」だと(音+音)+(音+音)、「遠野秋葉」なら(訓+訓)+(訓+訓)でどちらも素直な名前となります。
 いやいや他意はナイですよ?
 
 
☆今日のサイト紹介
 狩って狩られてゲームハンターズ。
 テキストがベラボーに面白い。
 画像も効果的に使われていて、センスに満ち溢れたSTYLISH!なテキストサイトです。
「闘」のプロモーションビデオをいただいたのですが、こちらも燃え燃えなムービーでした。
 
十月三十一日(水) 21は速攻で予約しました。
 
 BasiLのエロゲ「21-TwoOne-」がDCで発売されるというニュースを知って驚きました。
 が、よくよく調べたところ、「princess-soft」なるギャルゲ-メーカーが移植をするというだけのことで、BasiLはほとんどノータッチのようです。
 これならDC版21が大コケしても、BasiLは特に痛手を被ることがなさそうなので一安心。
 ファンのぼくが言うのも何ですが、大して売れそうにないからなぁ。
 いや、出来はいいんですけど。
 PC版だって大してはけなかったんだろーし、DCで出したってさほどの売れ行きは期待できないでしょう。
 ところでこのprincess-soft、ソフトのラインナップを見ていると、どうも第二のKIDを目指しているようです。
 ギャルゲーマーとしてはギャルゲメーカーが増えてくれるのは嬉しいけれど、KIDが固定ファンを掴めたのは、エロゲ移植をやってたからじゃなく、メモオフという傑作オリジナルギャルゲを作れたからです。
 その点を忘れないで頑張ってもらいたい。
 来年の二月下旬に二重影を出すようですが、D+VINE[LUV]といい21といい、実にチョイスが渋い。
 
 しかし、princess-softって凄い名前だ。
 会社登記簿にも「会社名 株式会社princess-soft」って書いてあるのかな。(いや、(株)かどうかはわからないけど)
 例えばここの人が事務用品を買いに行って領収書をきってもらうときも、
 
社「すみません、領収書下さい」
店「かしこまりました。お品代でよろしいでしょうか?」
社「はい」
店「お名前はどういたしましょう?」
社「プリンセスソフトでお願いします」
店「………は?」
(またかよ。いっつもこれだもんなぁ)プ・リ・ン・セ・ス・ソ・フ・ト、です」
(………何の会社だか知らないけど、いかがわしそうな社名だ。係わり合いにならないほうが賢明だな)「かしこまりました。これでよろしいでしょうか?」
(なんだその目は。言っとくけどな、オレが会社名を決めたんじゃないんだぞ)「はい」
(プリンセスソフト、ねぇ。恥ずかしい社名もあるもんだ)「では、どうぞ。どうもありがとうございました」
 
などというドラマが生まれているのかもしれません。
 この社名に決めた人は冒険野郎マクガイバーですな。
 
 
 
☆本日の雑学 
 天使とは何か、説明する必要はないでしょう。
 天使はその名の通り神の使いであり、多くの場合翼を持った人間として描かれます。
 では、この時天使が持っている翼を実際の鳥類の翼と比較した場合、どんな鳥の翼に似ているかご存知でしょうか。
 
 鳥類の翼というものは、大別すると、長翼、広翼、丸翼、細翼の四種に分けられるそうです。
 このうち丸翼と細翼は主に小型の鳥が持つ翼で、長翼と広翼が大型の鳥の備える翼です。
 翼を人間の体の一部として描き、ある程度のリアリティを出すためには、やはり大型の鳥の翼の方が都合が良い。
 よって、小型の鳥の羽である丸翼と細翼は除外され、選択肢は長翼と広翼に絞られます。
 
 まず長翼ですが、これはアホウドリやカモメなどが持つ翼です。
 この翼は羽ばたくよりもグライダーのように滑空するのが主目的で、海面すれすれまで急下降して一気にスピードをつける、というような飛び方をする場合に適しています。
 一方の広翼はトンビなどが持つ翼で、上昇気流を利用して飛ぶ場合に有効であり、ぐるぐると大きく旋回しながら高度を上げていきます。
 そしてまた広翼は、鷹や隼、鷲などの大型の猛禽類が持っている翼でもあります。
 
 長翼の鳥は基本的に海の上を飛んでいるだけでよいのですが、広翼の鳥はそうはいきません。
 獲物を見つけて狩らねばならないからです。
 そのためには、風を切って高速で下降する必要があります。
 そして獲物を捕えた後は、かなり重い獲物であっても、巣まで持ち帰らなければなりません。
 よって、広翼は大きな揚力を生み出すことができるよう、特に力強い作りになっています。
 その上、これらの鳥は普段は比較的低速で飛んでいるので、失速による墜落を避けるため、翼の先端が指のように広げられる構造になっています。
 これはちょうど手のようにも見えるため、天使が翼で抱きかかえる、などという図式にした場合、とても見栄えが良く映るのですね。
 
 長翼は非常にシンプルなデザインで、ボリューム感にも欠けます。
 広翼はその性質上凝った作りになっており、大きく見え、さらに翼による挙動を描きやすい。
 これらを鑑みれば、どちらが天使の翼として描かれているか、なんて考えるまでもないですね。
 しかし、神々しい存在として描かれる天使が、獰猛な猛禽類の翼を持っているというのは、何とも皮肉で暗示的な話です。
 
 
 
 で。
 こんなことを書いた理由は、既にお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、全く同じ事がギャルゲ・エロゲに登場するキャラクターにもいえるからです。
「翼をもったヒロイン」なんてのはいっくらでもいますが、彼女たちの翼もまた、猛禽類のそれです。
 翼を持ったキャラはたいていメインヒロインの位置にいますが、実は猛禽の翼なんですね。
 
 なお、Kanonの月宮あゆのトレードマークは羽リュックですが、あのリュックの羽は丸翼だと思われます。
 ガチョウアヒルの羽である可能性が高いです。(オパオパの羽でも可)
 猛禽類の翼ってのもナンですが、そこらへんの池でガァガァ鳴いてる鳥の羽に比べればまだマシかもしれません。