九月十一日(火) 君が望む永遠
 
 大掃除をした。
 特に理由があってのことじゃない。
 今は年末じゃないし──僕は年末でも掃除なんてしない事が多いけど──、部屋の中に虫がわいたわけでもない。
 ただ何となく、気が向いたから、というだけの理由で掃除をした。
 床から直に積みあがっている漫画を整理して、色んなモノが雑多に詰め込まれている本棚をカラにして、きちんと並べ直した。
 押入れを開けて、奥の方に押し込んであるダンボールを引っ張り出した。
 そうしたら、それが見つかった。
 学生時代の卒業アルバム。
 捨ててはいなかったから、どこかにあるだろうと思っていたけれど、こんなところにあったのか、とちょっと吃驚した。
 久しぶりに開いてみた。
 
 僕には学生時代の記憶が無い。
 それは記憶喪失になったとか、転校ばかり繰り返していたとか、そういうことじゃない。
 小・中・高と、きちんと通って卒業した。
 でも、その当時の自分のことを、まるで思い出すことができない。
 僕は毎日何を考えていたのか。
 学校で何をして、放課後何をしていたのか。
 文化祭や修学旅行などの学校行事はどうだったのか。
 好きになった人の一人や二人、いなかったのか。
 それらのことを、僕はまったく思い出すことができないのだ。
 学校に通っていたという記憶自体はあるけれど、中身が無い。
 仲が良かった友人がいたはずだけれど、もう顔も名前もわからない。
 卒業式で別れたっきり、一度も会っていないから、今どこで何をしているのかもわからない。
 だから僕には学生時代の記憶が無い。
 そんな僕にとって、学校の卒業アルバムなんて意味の無い物だと思っていた。
 
 アルバムの写真の中には、見覚えのある顔があった。
 でも僕の知らない顔の方が多かった。
 ごくごく稀に僕も写っていた。
 笑っている物なんて全然なくて、ほとんどが仏頂面か、変に照れたような顔をしているけれど、でも写っていた。
 全体の集合写真でも、僕はどこか引き攣ったような顔をしていたけれど、それでも確かに写真の一員として写っていた。
 ふと、頬を何かが伝った。
 手で拭ってみて驚いた。
 それは僕の涙だった。
 僕は泣いていた。
 どうして僕は泣いているんだろう。
 僕は学校に思い出なんて何も無いのに。
 良い思い出も、悪い思い出も、何一つとして思い出すことができないのに。
 それでも、それは懐かしい写真だった。
 懐かしいという感情は、悲しさや悔しさに似ている。
 きっと、そのせいで僕は泣いているんだと思った。
 
 僕はアルバムを閉じた。
 ダンボールの中に戻すと、再び押入れの奥の方に仕舞いこんだ。
 これは、捨てる気にはならないけれど、頻繁に読み返すような物ではないから。
 たまに…ここに仕舞ったということさえ忘れた頃に、また偶然見つけて。
 不思議な懐かしさに誘われて、ちょっと開いてみるくらいがいいんだ。
 僕はそう思った。
 
 もしかしたら、僕は。
 幸せな学生時代を過ごすことができたのかもしれない。
 今も幸せに生きているのかもしれない。
 ただそれに気付いていなかっただけなのかもしれない。
 それなら。
 それに気付けたというだけでも、大掃除をした意味はあった。
 そんなことを考えた。
 顔に手を当ててみた。
 頬にはまだ、涙の痕が残っていた。
 
 
 
 
 「君が望む永遠」をプレイしていて感じたこと…なんですけど、コレはなんなんでしょう…。
 いつからぼくはこんなこっぱずかしい詩を書くようになったんだ。
 なお文中の「僕」はぼくじゃないです、いくらなんでもここまで寂しい学生時代は過ごしてません。
 でも卒業アルバムってのは、一年に一度読むかどうか……という物ではあるけれど、決して捨てられるものじゃないです。
 大事な物です。
 
九月十三日(木) どうもぼくはこの系統の話が好きなようで。
 
 僕の家には、柿の木があった。
 僕が生まれた日に祖父が植えてくれた木だ。
 この木に登って柿を取ることが出来るくらいに元気に育て、という期待をこめて。
 その日まで自分が生きていられるように、という願いをこめて。
 でも、前者の期待には応えられたけれど、後者の願いは成就されなかった。
 祖父は僕が小学校一年生の時に死んでしまったからだ。
 皮肉にも、その年の秋から、柿の木はどうにか柿と呼べる実をつけるようになった。 
 僕は早速柿の木に登り、ほのかに色付いた柿を手に取った。
 甘い果汁を期待して齧りついたけれど、その柿はとんでもない渋柿だった。
 たまらず吐き出して、持っていた柿を地面に叩きつけた。
 まだ二つ三つ実はなっていたけれど、もう取る気は起きなかった。
 その翌年も、柿の木は再び実をつけた。
 でも僕は木に登ることはしなかった。
 去年のことで懲りていたし、それ以上に僕にとって柿はさほど魅力的な食べ物ではなかったからだ。
 スーパーで柿を買ってきて食べてみたけれど、そんなにおいしいとは思えなかった。
 祖父の時代には柿は貴重な食べ物だったのかもしれないけれど、経済大国となった現代日本に生きる僕には、柿よりもファーストフードなどのジャンクフードの方が口に合った。
 両親も、祖父の植えた柿の木の実を腐らせるのには抵抗があるみたいだったけど、わざわざ木に登って柿を取ろうとはしなかった。
 柿は季節に応じて熟していき、やがて熟しすぎて地面に落ちた。
 熟れすぎた柿は「たんころりん」という妖怪になるんだよ、と母が脅かしてきたが、だったら自分で取れよと思った。
 家人に完全に無視されるようになった柿の木だけれど、それでも毎年確実に育っていた。
 でもそれから数年経って、とうとう柿の木を切ることになった。
 理由は二つあって、一つは毎年秋に実る柿のこと。
 誰も取らないから地面に落ちて腐る。
 それを狙って色んな虫が発生するようになったから。
 二つ目は土地の問題。
 柿の木は家の庭の片隅に立っていて、その向こうには他人の土地と持ち家がある。
 これ以上木が育ってしまうと、枝がそっちまで行ってしまうかもしれないし、腐った実が向こうに落ちたりなんかすると厄介な問題になるかもしれない。
 だからもうこの木を植えておくことはできなかった。
 いや、はっきり言ってしまえば、邪魔だったのだ。
 理由なんてのは後付けのもので、本当は切る口実が欲しかっただけなのかもしれない。
 口に出しては言わなかったけれど、父も母も、そして僕もそう思っていた。
 父はこの木を切るためにどこかの業者に電話をした。
 ひょっとして木こりでも呼んだのだろうかと一瞬思ったが、やってきたのは庭師だった。
 よく大金持ちの家で庭の手入れなんかをやっている人だ。
 中年でちょっと痩せぎすの庭師は、荷物の中からチェーンソーを取り出して、無造作に柿の木の幹に当てた。
 それじゃ切りますよ、という確認の声と、やってくれ、という父の言葉が聞こえた。
 父の言葉は震えていたような気がしたけれど、直後にチェーンソーがけたたましいエンジン音をたて始めたため、よく分からなかった。
 ギギギギギ、と金属を切るみたいにして、柿の木は切られていった。
 なんだか柿の木が悲鳴をあげているみたいで嫌だった。
 それから五分も経たないうちに、僕と同じ日に生まれた木は、呆気ないほど簡単に切り倒されてしまった。
 切り株となった柿の木を見ていて、ふと祖父のことを思い出した。
 かつて一度だけ、祖父の前でこの木に登ったことがあった。
 まだ元気だった祖父と庭で遊んでいて、幼い僕は、小さな柿の木に登って見せた。
 たったそれだけのことなのに、祖父はすごく感動して、涙まで流していた。
 僕はそんな祖父に、今に実がなったら取ってあげるね、と言った。
 祖父は涙を拭うこともせずに、ただ泣き続けていた。
 
 祖父が倒れて末期ガンと診断されたのは、それからすぐのことだった。
 
 ぽたりと、足元に水滴が落ちた。
 雨かと思って顔を上げてみて、水滴の出元がわかった。
 僕の目だった。
 僕はいつの間にか泣いていた。
 上着の袖で拭って誤魔化そうとしたけど、無理だった。
 涙は後から後から噴き出してきて、まるで止まらなかった。
 声をあげて泣きそうになったけれど、それだけは何とか我慢した。
 僕は泣いてはいけないはずだから。
 僕に泣く資格なんてないんだから。
 
 明日、祖父の墓参りに行こう。
 行って、木を切ったことを報告しよう。
 お爺ちゃんが願いをこめて植えてくれた木はなくなってしまったけれど、僕は頑張って生きるから。
 切ってしまった木の分まで生きるから。
 だから、お爺ちゃん。
 いままで、ありがとう。
 木を切ってしまって、ごめんなさい。
 さようなら。安らかに、眠ってください。
 
 
 
 こーゆーのは一体なんて呼べばいいんですかねぇ。
 小説じゃないしエッセイって感じでもないし、まして批評とは全く違う。
 あえて言うなら、随筆ってところですか。
 今回も「僕」はぼくじゃないです、うちには柿の木なんてありません。
 あと最後の三行は遊んじゃいました…このセリフ物凄く好きなもので。
 月姫本編中でも一二を争う名ゼリフだと思いますですよ。
 
九月十七日(月) 「先生」は君が望む永遠のモトコ先生をイメージしてます。
 
 一晩中夜空を眺めていたことがある。
 どうしてそんなことをしていたのか、理由はもう覚えていない。
 何か辛いこと・悲しいことがあったような気がするけれど、親が死んでしまったとか、急に引越しをしなければならなくなったとか、そういったことはなかったはずなので、取るに足らないような小事だったのかもしれない。
 僕の家の裏手は小高い丘になっていて、てっぺんに寝転がって空を見上げるのは僕のお気に入りだった。
 嬉しいときも、楽しいときも、辛いときも、悲しいときも、僕はいつもそこで空を見上げていた。
 僕はどちらかというと青空より星空の方が好きだったから、できれば夜中にそこに行きたかったけれど、家の門限が八時だったので、それは叶わなかった。
 八時を過ぎて家に帰ると親に叱られたから、僕は必ず八時前に家に帰るようにしていた。
 でもあの日だけは違った。
 あの夜だけは、僕は夜も早い時間から翌朝の日の出まで、飽くことなく夜空を見上げ続けることができた。
 いつもは親が僕を捜しに来るはずなのに、あの夜だけはそんなことはなかった。
 何故親が捜しに来ることもなく、決して門限を破らなかった僕があの夜に限って家に帰らなかったのか。
 もしかしたら、それこそが、僕が夜空を眺めていた理由だったのかもしれない。
 僕は体を動かすこともほとんどせずに、ただ目だけで星空を眺めていた。
 
 天文学部の顧問の先生から、星座に関する伝承を聞いたことがあった。
 その先生は話し上手で、メジャーなものからマイナーなものまで、様々な星座の話を感情を込めて語ってくれた。
 それは星空が好きな僕には興味深い話だったけれど、気のせいか悲しい話や寂しい話が多いと思った。
 僕がそう言うと先生は、そうね、と軽く微笑み、きっとこの話を作った人達はみんな悲しい人だったのね、と言ってくれた。
 そしてまた先生は、星を見上げていると、誰もが寂しく、悲しい人になるのかもしれないわね、とも言った。
 でも僕にはよく理解できなかった。
 先生はフッと表情を崩すと、君にもいつかわかるわ、と言って僕の頭を軽く撫でた。
 子ども扱いされているみたいで少し嫌だった。
 
 僕は天文学部には入らなかったけれど、先生の語ってくれる星の話が好きだったので、時間を見つけては先生に会いに行った。
 先生にはその度に、そんなに暇なら天文学部に入りなさい、と言われたけれど、僕は星を眺めるのが好きだっただけで、本格的に観測などをする気はなかった。
 先生もその辺りはお見通しだったようで、それ以上の勧誘をされることはなかった。
 僕はそんないい加減な立場にいたのだけれど、先生は僕を他の天文学部の部員と差別することなく、いつも色んな面白い話をたくさん話してくれた。
 先生に対してあまりにも不義理が過ぎると思うこともあったけれど、先生は、学生は教師を利用するのが仕事よ、と笑い飛ばしてくれた。
 やがて僕は受験勉強で忙しくなり、先生に会いに行く時間が取れなくなった。
 せめて天文学部に入っていれば多少は違ったのかもしれないけれど、卒業まで残り一年にも満たない時期に入部したって意味なんかなかった。
 僕は勉強一色の日々を送るようになり、星空を見上げることもなくなった。
 先生にも全く会いに行かなくなった。
 先生は僕のクラスの担任でもなければ教科担任でもないので、僕とは全く接点がなくなった。
 でも僕は構わずにひたすら勉強を続けた。
 その甲斐あってか、翌年の春にはどうにか第一志望の大学への切符を手にすることが出来た。
 そして卒業式の日、僕は久しぶりに先生に会った。
 先生は僕に、大学合格と卒業おめでとう、合格のお祝いが遅れてごめんね、と言った。
 僕はあまりにも先生に申し訳がなくて、先生の顔をまともに見られなかった。
 自分でも何がなんだかわからなかったけれど、すみませんでした、と頭を下げるのが精一杯だった。
 先生はちょっと驚いて、でもすぐに落ち着いた表情に戻ると、どうしたの? と言った。
 僕はそれが無性に悲しくて、寂しかった。
 先生に背を向けると、挨拶もせずに走り出した。
 先生はきっと驚いただろうけれど、そんなことを気にしてはいられなかった。
 走りながら頭の片隅で、もう先生に会うことはないだろうな、とぼんやり考えていた。
 
 
 今日、先生から手紙が届いた。
 封を切ってみると、中には数枚の便箋と写真が入っていた。
 写真は、先生の結婚式のものだった。
 便箋の方では、学生時代からの恋人と結婚した、ということが綴られていた。
 新婚生活を散々のろけてくれた挙句に、君も、勉強だけじゃなくて恋愛もしっかりね、という余計なお節介で結ばれていた。
 教師が教え子に出す手紙かよ、と思うとちょっとおかしかった。
 
 夜になって、僕は久しぶりに空を見上げてみた。
 綺麗な星空だった。
 透き通った空気は真空と見紛うほどに澄み渡っていて。
 月は冴え冴えと蒼く冷たく輝いていて。
 空一面を埋め尽くした無数の星々は、遠く高く瞬いていた。
 美しかった。
 本当に、美しい空だった。
 
 
 先生。
 今なら、なんとなくわかるよ。
 あの日、先生が言いたかったこと。
 あの時、僕に教えてくれようとしたこと。
 星空は、どうして。
 こんなにも美しくて。
 こんなにも悲しいんだろう。
 こんなにも寂しいんだろう。
 
 
 僕はペンを取って、先生への返信を書いた。
 内容はただ一言。
 
 
 先生、末永くお幸せに。
 
 
 
 
 
 
 
 くどいようですが、「僕」はぼくではありません。
 君が望む永遠もそろそろコンプリートが近いのですが、このゲームに影響されて、ぼくもどーしよーもなく鬱になるよーなモノを書いてみたい衝動に駆られています。
 なんか良いネタないかねぇ。
 
九月二十三日(日) 歌月十夜始めたナリよキテレツ。
 
 今日はいつも通りの日記です。
 今後エセ随筆は不定期連載という事にしよーと思います。
 
 
 ぼくには、どうしても見逃せないひっかかる表現、というものがあります。
 今回はそれについて書きます。
 
1. 男らしい・女らしい
 ゲーム・アニメ・小説などなど、様々な媒体で腐るほど使われている表現です。
 どちらも褒め言葉として使われますが、ぼくはこの表現を目にするたびに引っかかります。
 だってこれ褒め言葉じゃないもん。
 男らしいは「肉体的に強い・潔い」、女らしいは「料理が上手い・おしとやかである」等の意味合いで使われますが、これは戦前の日本政府が押し付けたイメージです。
 戦争を行うためには兵士が必要であり、そのために男は文句を言わずに兵隊となり、女は家で大人しく男の帰りを待っているのが美徳であるとされました。
 その方が国のトップにとって都合が良いからです。
 敗戦から五十余年経った現在でも、未だにこのイメージは生きているようですが、こんなもんが褒め言葉になります?
 ぼくは絶対ならないと思うんですよ。
 だから、これらの言葉が褒め言葉として使われているシーンを見るたびに引っかかるんです。
 褒め言葉なんてたくさんあるんだから、もっと巧い表現を使って欲しい。
 
#特にギャルゲはねぇ…主人公が絶対「女らしくていいと思うよ」とか言うからなぁ…。
#七瀬系の勝気なキャラがしおらしいシーンなんかでねぇ。
#「わ、悪かったわね…どーせあたしにはこんなの似合わないわよ」
#「そうか? 俺は女らしくていいと思うけどな」
#「え…、そ、そう?」
#とかってね。
#…うー、こーゆーシーンを書くと体がむず痒くなってくる…。
 
 
2. ら抜き言葉
 何も「東京弁を使え」などと言うつもりはありません。
 言葉は変化するものです。
 平安時代と現代ではまるで違う言葉となっているように、今後も日本語は変化していくでしょう。
 そんなことじゃないんです。
 ら抜き言葉って、単純に聞き苦しいと思うんですよ。
 「見れる」と「見られる」、「入れる」と「入られる」等。
 ら抜き言葉よりら入り言葉の方が語感が良いと思うのですが、どうでしょう。
 
 
☆動物保護ってスバラシイ
 先日特命リサーチ200Xで、「顔料には昆虫から抽出したエキスを混ぜている物も多い」とナレーションしているのを耳にしました。
 その時はあっさり聞き流したのですが、よくよく考えるとこれって凄い残酷なことなんじゃないでしょうか?
 昆虫から抽出したエキスってのは、対象となる昆虫をギューッと押し潰した時に出てくる汁のことでしょう?
 それ以外に昆虫からエキスを抽出できるとは思えない。
 けどそれって、昆虫の体液以外の何物でもないわけですよね。
 それともう一つ。
 ペットショップでは、「爬虫類のえさ」としてコオロギなどが売られてます。
 でもそれって、生きたまま他の動物に捕食させるってことですよね。
 これまた非道な行いです。
 もしこれが哺乳類や鳥類だったら、「残酷だ!」として世界中の動物保護団体から非難轟々なんだろうけれど、無脊椎動物なら知ったこっちゃねえってことなんですかね。
 
 なお余談ですが。
 昆虫は、他の動植物に比べ生態系が非常に独特であり、また元となった生物がどのように発生し、どのように進化してきたのかもよくわかっていないため、地球上で進化した生命ではなく、かつて宇宙より飛来した地球外生命体なのではないかという意見があるそうです。
 だからどうしたと言われればそれまでですが。
 
九月二十九日(土) お題の提案者として参戦しないわけにはいくまいなぁ。
 
 有名な話だが、戦艦大和は『宇宙戦艦ヤマト』で描かれたような完全な姿で沈んでいるわけではないらしい。
 もっとバラバラになってしまっているそうだ。
 だから、もし波動エンジンの設計図が手に入ったとしても、宇宙戦艦ヤマトとして復活させることはできないのである。
 しかしここで思ったのだが、『宇宙戦艦ヤマト』冒頭部分では、地球の海は全て干上がってしまっていた。
 赤茶けた地球のシーンは非常に印象的であるが、問題はそんなことではない。
 あの状態であるならば、沈没船の財宝や海底に眠る古代遺跡などが探し放題だし、タイタニック号を徒歩で見物しにいくこともできるわけである。
 さらに言えば、エンディングで地球は海を取り戻していたが、その海に魚はいるのであろうか。
 水がなくなって火星のごとき様相を呈している地表に水棲生物が存在できるとは思えないし、地下に潜ることでどうにか生き延びている人間がわざわざ魚を引き込んでいるとも思えない。
 すなわち、冒頭の時点でほとんどの魚類は絶滅していると考えられる。
 最終的に海は復活したが、一度滅んだ生物はそうはいかない。
 コスモクリーナーで魚を復活させることなどできるはずもないのである。
 よって、仮にヤマト帰還後の海に魚がいるとするならば、それらは全てジュラシックパークよろしくDNAから生み出された再生怪人に他ならない。
 それはもちろん魚以外の生物にも言えることであり、大はライオンや白鳥などの脊椎動物から、小は蜂や蜘蛛にいたるまで、ほとんど全ての生物は人為的に復活させられたものとなっているのであろう。
 うむ、こう考えると『さらば宇宙戦艦ヤマト』以降のエピソードは非常にシュールな意味を持ってくるな。