「非科学的」。
この言葉は、日常会話ではあまり使われませんが、TVの心霊モノやUFOモノなどでは必ずといっていいほど出演者の口に上る言葉です。
しかし、ぼくはこの言葉に疑問を持っています。
というか、「非科学的」という言葉は、本来の意味からすればまるで的外れなものだと思うのですね。
その根拠について書く前に、まずは「科学」というものについてまとめておきます。
科学とは、人それぞれで色々解釈の仕方はあると思いますが、最大公約数で捉えるならば、これは「人間が世界を理解する手段」と言えます。
簡単な例で説明すれば、例えばリンゴが木から落ちた。
それを見た人は、「ああ、重力に引かれて落ちたんだな」と瞬時に理解できます。
少なくとも、「ど、どうして誰も何もしていないのにリンゴが落ちたんだ?!」と狼狽するよーな事は絶対にありません。
それはなぜか?
答えは簡単で、「地球には重力がある」という科学的知識を持っているからです。
同様に、密閉空間では火は長く燃えてはいられない。
しばらく燃え続けた後で自然に火が消えますが、それを見て驚く人はいません。
これも「酸素が少なくなったから消える」と常識的科学の範疇で判断できるから。
このように、現代の人間が何かを考え、そして判断する場合には、何らかの科学的知識が無意識のうちに使われているのです。
そうすることで人間は科学を発展させてきたわけであるし、だからこそぼくは「科学とは人間が世界を理解する手段である」と考えるわけです。
さて、では掲題の「非科学的」という言葉ですが。
上記したように、「科学」とは人間が世界を理解するための手段。
それ以上でもなければそれ以下でもないもの、それが「科学」。
よって、「非科学的」という言葉は、「世界を理解する手段」を「否定する」という意味になるのです。
これだけでは論説が薄いので、これもやはり事例を挙げましょう。
冒頭で記述したとおり、「非科学的」という言葉は、もっぱらオカルトの分野に関して用いられる言葉です。
「幽霊などいるわけがない、そんな非科学的な存在などあり得ない」
「占いには科学的根拠がない、よって信ずるに足るものではない」
等々のように。
この類の言葉は、それこそ数え切れないほど使われてきています。
しかし、こう考えることはできないのでしょうか?
これらの事象は、現在の人類が知り得ない未知の法則に従って発現している、と。
例えば、今や常識に近くなってきたインターネットも、ほんの数十年前まではとても考えられないような代物でした。
百年前──二十世紀初頭の科学学会でインターネットの原理を説いたところで、おそらく誰一人信用せず、また理解も出来ないでしょう。
その当時はまだ『情報』という概念すらなかったでしょうから。
しかし現在の人間は、インターネットの存在に何の疑問もいだきません。
それは、インターネットとは電波や光ファイバ・電話線などを利用して構成された情報ネットワークである、という科学的知識があるから。
『情報ネットワーク』というものが何であるかを理解しているから。
『情報』という概念を明確にし、有効利用を可能とするだけの理論・法則が発見されたから。
だから、百年前には想像し得なかった、世界規模でのコンピュータネットワークが身近なものとなっているわけです。
つまり、科学とは、まだまだ発展途上の物に過ぎない。
現在の科学で世界のあらゆる事象を理解することなど到底不可能であるし、もしそんなに奢ったりしようものなら、その時点で科学の進歩は止まってしまうでしょう。
今の科学力ではまだまだ分からないことがたくさんあるのです。
だから、「幽霊などいるわけが無い」と断言することはできません。
確かに「存在する」という確実な証拠はありませんが、「存在しない」という確証もまた無い。
目撃者の錯覚などもあるのでしょうが、それ以外の物がないとも限らない。
少なくとも科学的視点から考えるならば、「いるかいないかわからない」としか言えないはずなんです。
「いない!」と断定できる理論・物的証拠がなんら無いのですから。
現在の科学では未知の、何らかの科学的法則が働いているのかもしれないのです。
それを否定することができないのは、上記のインターネットの例からもおわかりでしょう。
ここまできて、漸く主題の「非科学的という言葉は存在し得ない」というところに戻ることができます。
もうお分かりでしょう、「非科学的」という言葉がいかに的外れなものであるか。
「現在の科学では判断できない」というだけの話であるはずが、いつの間にか「科学文明のこの世にあるはずがないもの」という意味にすりかわってしまっているのです。
こんな意味不明な言葉、使わないようにしましょうね。
ねぇ大○教授?
なお、この文章、最初は京極堂の口調を真似て書こうと思っていたんですが、三行で挫折しました。
ぼくには京極夏彦氏の文才を真似る筆力はありませぬ………。
2001.09.21
このように考えていたのですが、最近よくよく考えてみたところ、どうもそれは違うんじゃないかと思うようになりました。
というのも、「非科学的」という言葉には、接尾語として「的」という一語がついているからです。
「的」という言葉には、「〜のようなもの」「〜に似通ったもの」などの意味があります。
先述の論理を翻すつもりはないので、「非科学」だけであるなら
「科学では解明できない」
という意味であり、これは語彙的に誤っているのですが、「非科学的」ならば、
「科学では解明できないようなもの」
意訳して
「科学では解明できないと思われるくらいに、現在の科学常識に反したもの」
と解釈することができます。
これならば、意味的に何の齟齬もありません。
日本語の文法に沿った正しい言葉だと言えるわけです。
本コラムのタイトルは誤りでした。
非科学的という言葉の使用には何の問題もありません。
ぼくは今後この言葉をガンガン使います。
皆様も憚ることなくご自由にお使いください。
でもこの言葉を使っている人たちの大多数は、ここまで考えてはいないんだろーな。
心霊現象に対して
「幽霊などという非科学的なものはいない」
なんてタワゴトをほざく人がその最たる例でしょう。
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