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最近発売されるゲームの多くは、「マルチエンディング」システムを導入しています。
ゲーム途中のプレイヤーの行動により、異なったエンディングが楽しめるという、今や常識とも言える形態です。
これは特にストーリーを重視するタイプのゲームに多く、また広義で言うならば、対戦格闘ゲームなどもマルチエンディングだと言えるでしょう。
しかし、どうも一部のゲームクリエイター達は、「マルチエンディング」という言葉の意味を取り違えているような気がします。
今回は、それについて述べてみます。
そもそも、マルチエンディングとは一体何のために考案されたシステムなのか。
それは答えるまでもないでしょう、「一本のゲームを、何度も繰り返しプレイしてもらうため」に他なりません。
例えば、「スーパーマリオ」や「ストリートファイターZERO」などのような、アクション性に重きを置いているゲームの場合は、全く同じストーリー・全く同じ敵キャラクターでも、アクションで重視される爽快感が十分に得られるならば、ユーザーは何度でもプレイするでしょう。
しかし、「ドラクエ」や「ファミコン探偵クラブ」等、RPG・ADVのようにストーリーで魅せるゲームの場合、ストーリーが一本道しかないのでは、たいていのユーザーは一度エンディングまで見てしまうと、もうそれ以上遊ぼうとはしないでしょう。
先の分かっている全く同じ話を、もう一度やり直そうと思う人は少ないでしょうからね、他のソフトに興味が移ってしまいます。
もっとも、ストーリーがよっぽど良く出来ていれば、話は別ですが…。
ユーザーの関心を惹きつけ、何度もプレイしてもらうために作り出されたシステム、それが「マルチエンディング」なのです。
ぼくが知る限り、このシステムを用いて初めて成功したメジャーソフトは、'92年に発売されたチュンソフトの「弟切草」でしょう。
サウンドノベルという、それまでになかった新しいジャンルを開拓したのです。
これが大当たりだったことは、現在のサウンドノベルタイプのソフトの本数を見れば明らかです。
その成功の理由はいくつか考えられますが、有力な要因として、「違う選択肢を選んで行くことでストーリー展開が劇的に変化し、エンディングも全く違う物となる」ということが挙げられます。
これこそ、その後のマルチエンディングソフトの方向性を決めたと言えるのではないでしょうか。
弟切草は、2/25にPSでリニューアル発売されます。是非買いましょう!…と思っていたら一ヶ月延びた(涙)
マルチエンディングという概念自体は、とても素晴らしい物だと思います。
全く同じ設定で全く異なるストーリー。
元となる設定が素晴らしければ素晴らしいだけ、様々に分岐するストーリーもまたとても面白いものだからです。
一本のゲームソフトを、余すところ無く、隅から隅まで楽しむためにも、今や欠かすことのできないシステムだと言えましょう。
しかし、ここで問題となるのが、冒頭でも言った通り、「マルチエンディングという言葉の意味を誤解しているクリエイター」です。
上記の通り、マルチエンディングとは、本来「ストーリーが変化し、それによってエンディングも変わる」の意だったものが、「エンディングが変わる」というだけの意味にしか捉えていない開発者も少なくないのです。
そのもっとも顕著な例が、「スターオーシャン セカンドストーリー」。
パッケージの裏に堂々と「80以上に分岐するマルチエンディング!」なんて書いておきながら、その実、RPGの大事な要素であるストーリーは全くおんなじで、ただPAイベントでの仲間の好感度の状況で、エンディングでの後日談がちょこちょこっと変わるだけなんですから。
一応、主人公が二人いますが、肝心要の大筋は全く同じです。
一部のイベントの細部が、ほんの気持ち程度変化するくらい。
ストーリーは一本道であると断言していいですね、これは。
もしスターオーシャン2が、「マルチエンディング」なんて謳ってなければ、こんなこと言いません。
でも、このゲームは、マルチエンディングであることを売り物にしているんです。
それなのに、蓋を開けてみたら、たったこの程度。
これくらいは言いたくなるのも人情です。
もっとも、この程度のマルチエンディングでも、ゲーム自体が、プロローグからエンディングまで五時間かからない、なんてシステムならまだ許せますが。
スターオーシャン2は、どんなに慣れた人でも最低15時間はかかります。
だからこそ、マルチエンディングの名を冠するに相応しくないのです。
このシステムで秀逸なのは、ダントツでSFC「クロノトリガー」でしょう。
時間移動をテーマとしているこのゲームは、ゲーム中盤でタイムマシン「シルバード」を入手します。
すると、もうその瞬間からいつでも、ラスボス戦に臨めてしまうんです。
二周目以降は、最初の街にラスボス戦へのワープポイントが出現し、もっと早く倒せるようになる。
そして、「ゲーム進行上のどのタイミングでラスボスを倒したか」で、エンディングが変わります。
もっとも、普通にプレイしていた場合はまず無理ですから、ストーリーを最後まで進めてからボスを倒し、普通にエンディングを迎えるわけですが。
しかし、「クロノトリガー」の凄いところは、二周目から始まります。
一度ゲームをクリアすると、メインメニュー画面に「つよくてニューゲーム」項目が現れるんです。
これは、ゲームクリア直前のセーブデータそのままの状況で、ゲームをプロローグから再プレイできるという画期的なシステムです。
「グランドリオン」という、ストーリー進行に密接な関係のある剣だけは失われていますが、その他の装備アイテム、各キャラのステータスはそのまま。
主人公の仲間カエルの最強武器。
スタート五分後には、主人公は最強装備をしていられるんです。
これにより、「もう一度ストーリーをじっくり楽しみたい」「いろんなタイミングでボスを倒し、変化するエンディングを楽しみたい」というユーザーの願いを、もっとも理想的な形で叶えてくれます。
このシステムは実に画期的で、「ドリームプロジェクト」の名は伊達ではありませんでした。
ぼくは、今後の主なゲームソフト…特にスクウェアのソフトのほとんどに、このシステムが標準装備されるものだと思っていたんですが、生憎未だにただの一本もありません。
スターオーシャン2も、せめてこれくらいはやってくれれば良かったんですが…。
また、このシステムの亜種としては、タイトーのエストポリス伝記シリーズがあります。
こちらは、一度ゲームをクリアすると、メニュー画面に「もういちど」という項目が現れます。
これは、レベル1からの再スタートとなってしまいますが、所得経験値・ゴールドが4倍になるんです。
ゲーム自体は完全な一本道なので、ストーリーだけをもう一度楽しみたい、という場合に最適です。
エストポリス伝記シリーズは、ストーリーの良さに定評がありますからね。
さて、ではどのような形のゲームならば、「マルチエンディング」に相応しいと言えるのか。
ぼくは、その最たる例こそ、Leafビジュアルノベルシリーズではないかと思います。
ストーリーの要所要所での選択肢でストーリーが変化し、当然の結果としてエンディングも変化する。
セーブ方式として「しおり」システムを採用し、シナリオ途中のデータを残しておいての「選択肢潰し」も可能。
さらに、優れたメッセージスキップ機能の完備は、「繰り返しプレイする」という事が前提となっているゲームシステムに必要不可欠な物であると言えましょう。
このシステムを、そのままRPG等に流用するのはほぼ不可能でしょうが、しかし「マルチエンディング」と題する以上は、最低でも「ストーリーを変化させる」必要もあるのではないかと思います。
「マルチエンディング」というシステムは、「弟切草」の時点でほとんど完成されていたんです。
それをそのまま素直に継承すれば良いのに、下手にいじろうとしたり、あるいは手抜き等のために「エンディングだけを変える」という物にしてしまったんでしょう。
今後発売されるマルチエンディングを謳うソフトは、「エセマルチエンドソフト」にはなって欲しくないです。
※余談ですが、日本二大RPG・ドラクエとFFは、どっちも未だに一本道ストーリーなんですよね。