「楽しむ」と言うこと
   
1999.5.6
   
 「人はパンのみで生きるに非ず」という言葉がありますね。
 この言葉どおり、人間はただ衣食住が保証されているだけでは生きていけません。
 遊びが必要なんです。
 人間は誰しも、何らかの形で「遊び」…すなわち楽しみを得ています。
 それは何も趣味に限ったことではなく、「友人とのおしゃべり」や、「仕事の面白さ」などである場合もあるでしょう。
 「楽しみ」がないと、「生きている充実感」が得られないからです。
 「そんな事ないんじゃないか?」と思われる方には、一度刑務所へ入ってみる事をお勧めします。
 刑務所は国営の施設なんですから、衣食住が完璧に保証されてますよ。
 
 余談ですが、車のハンドルやブレーキなどにも「遊び」が必要ですよね。
 必要不可欠なパーツだけでギチギチに構成されると、かえって危険なんです。
 
 「遊び」とは、どんな事柄にとっても欠かせない物なのです。
 今回は、「楽しむ」と言うことについて考えてみます。
 
 
 
 上記したように、どのような形で「楽しみ」を得るかは人それぞれです。
 しかし、大抵の人にとっては、それは「趣味」という形で、ある程度の資金が必要となる事が多いでしょう。
 また、たとえ資金がかからなくとも、確実に「時間」を消費します。
 例えそれが一分二分程度の僅かな時間であったとしても、それが永遠に失われる事は確実です。
 つまり「楽しみ」は有償なんです。
 「楽しみ」を得ることができる代わり、何らかの代償を支払うことになります。
 それなら、何か「楽しみ」を得るために行動する時には、最大限に楽しむ事を考えるべきでしょう。
 映画を観に行くのなら、映画上映中はその映画にだけ集中するべし。
 ゲームをプレイするのなら、全力で「楽しむ」プレイをした方がいいでしょう。
 もちろんゲームの楽しみ方は人それぞれですから、「あら探しをするようなプレイスタイルが最も面白い」という人はそのようなプレイをするのが吉。
 貴重な資金や時間を消費しているんですから、少しでも有意義に過ごせるよう努力した方がお得ですもんね。
 
 
 
 さて、以上が今回のコラムの結論なんですが。
 「なんだよ、当たり前の事を言ってるだけじゃん」と思われるかもしれません。
 でも、一概にそうとばかりは言えないんじゃないでしょうか?
 
 ゲームや小説等を、惰性でプレイした(読んだ)事はありませんか?
 何かを「面白い」と思っても、カッコつけようとして「大したことなかった」と考えようとした事はありませんか?
 感動して泣きそうになっても、無理して涙をのみ込んだ事はありませんか?
 
 これがいかに無為な行動であるかは、上の文章を読んでいただければお分かりかと思います。  
 
 ゲームをプレイする時には、どっぷりそのゲームにはまる!
 面白いと思ったら素直に拍手すればいい!
 感動して泣くのは決して恥ずかしいことではない!
 
 まぁ「友人の前でも平気で泣ける」ってのは難しいとしても、自分の部屋で一人でプレイしていて感動した時くらい、遠慮せずに思いっきり泣きましょう。
 感動して泣けるくらい何かにのめり込める事なんて、そうはないんですから。
 
 
 何かを楽しむ時には、見栄やプライドなどの余計な考えは全て捨ててしまいましょう。
 その方が、人生よっぽど楽しいってもんです。