5.マニエリスムと現代


 ところで、こうした愛についての思想の変転は、現代の我々にとってもどこか身につまされるところがあるとは思えないでしょうか。
 多様な価値観が認められるようになり、旧弊な愛の観念が次々と疑わしいものになる中で、ではどういうものが「正しい」愛なのかということについて明確な結論はまるでもたらされていません。芸術もそのような不安定さと軌を一にして、なにか謎めいたものや、正邪の判断がつきにくいもの、陰影に満ちたものが一般に受け入れられるようになってきているように思われます。

 謎の解決されないミステリードラマ「X-FILE」、人間と邪悪な存在の合いの子を主人公とした「エイリアン4」、寓意と陰影に満ち、根本的解決をもたらさない犯罪映画「セブン」など、こうした動きは今まさに大衆向けのジャンルにおいて展開されています。また、「セブン」のヒットにおいて面白いのは、皆これを「好きな映画」に挙げることにとまどいを感じながら、多くの人が受け入れている点にあります。「実はおれ、『セブン』ってけっこう好きなんだよね」といささかはにかんだ風に言われながらも、こうした傾向の映画は確実に、広い観客層を獲得しつつあります。

 もちろん16世紀と20世紀の芸術状況と時代状況を簡単に比べることは危険なことです。若桑氏も「我々は史上はじめて十六世紀を理解しうる時代に生きている。しかし我々が今、我々の状況の片々たる現象をつまみ上げてではなく身ぐるみ解って貰わねばならないと感じているように、我々もまた、十六世紀を、十六世紀の価値基準(クリテリア)で解ってあげなければならない」と記しています。
 けれども様々な面で、十六世紀の芸術がとった経路は私たちに多くのものを示してくれるでしょう。十九世紀末の芸術状況がマニエリスムと似ているといった指摘は昔から多くされています(アーノルド・ハウザーの古典的著作「マニエリスム」には、ボードレールなどがマニエリストとして数えられています)が、マニエリスムが宮廷のデカダンスであり、十九世紀末がファインアートのデカダンスの時代であったのに比べて、私たちの直面しているそれはより大衆層に近づいたところで現れているように思えます。
我々には我々のデカダンスがあり、そこからの変転も独自のものではあるのでしょうが、行き詰まりを抱く時代に生きる者の1人として、マニエリスムとマニエリスムのたどる運命には関心を払わずにはいられません。
 以上で発表を終わります。

参考文献:
「マニエリスム芸術論」若桑みどり(ちくま学芸文庫)
「絵画を読む〜イコノロジー入門」若桑みどり(NHKブックス)
「イコノロジー研究」E.パノフスキー(美術出版社)
「世界の名著15 プロティノス・ポルピュリオス・プロクロス」(中公バッ クス)
「神々の再生〜ルネサンスの神秘思想」伊藤博明(東京書籍)
「本の神話学」山口昌男(中公文庫)

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