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年間ベスト FritzLanger!(フリッツ・ラングfan) 日本映画 その他雑文
ドイツ映画
「死滅の谷」
(★★★)

「ドクトル・マブゼ」
(★★★★)

「ニーベルンゲン第一部・ジークフリート」
(★★★★)

「ニーベルンゲン第二部・クリームヒルトの復讐」
(★★★★★)
「メトロポリス」
(★★★★)
「M」

(★★★★★)
ハリウッド映画:フイルム・ノワール
「激怒」
(★★★★)

「暗黒街の弾痕」
(★★★★★)
「ビッグ・ヒート 復讐は俺に任せろ」
(★★★★★)

ハリウッド映画:反ナチ・プロパガンダ映画
「マンハント」
(★★★)

「死刑執行人もまた死す」

(★★★★★)
ハリウッド映画/西ドイツ映画:冒険活劇・西部劇映画
「地獄への逆襲」
(★★★)

「西部魂」

(★★★)

「ムーンフリート」
(★★★)

「大いなる神秘」
(★★)

「死滅の谷」"Der Mude Tod"1921
(フリッツ・ラング監督)

いやー、やっと見ましたヨ。
友人がドイツ語の授業でビデオ見たらしく、先生に頼んで借りてもらいました。
なにしろ語学の授業で使ったモ

ノなので、ドイツ語字幕のみ、友人に弁士をやってもらい、クラめの内容なのに弁士がツッコミ入れながらの和気あいあいとした鑑賞になってしまいましたが(笑)

「時間に忘れられたような小さな村」ってのが出てきて、そこに、老けたゴルゴ13みたいなすごい顔した男がやってきて、いきなり広い土地を買います。
村人が何だ何だと思ってると、そのゴルゴ男は天までとどくような恐ろしく高い壁でその地所を囲ってしまう。その壁には入り口も窓もなく、男は
「ここの入り口は私だけが知っている…」と謎の言葉をつぶやくばかり。
さて、ここに楽しく青春を謳歌している男女がやってきますが、カップルの前にこの不吉な雰囲気の男が現れ、すると青年の方は少女が目を離したすきに行方不明になってしまうのであります。
少女が男を探して村をさまよっていると、真夜中になり、例の地所を囲む巨大な壁の前に出ます。
ふと少女が目をやると、おそろしいことに、丘の向こうからこちらに体の透けた幽霊の大群がこちらに向かって歩いてくる。少女は目を見開いて後ずさりますが、背後にはてっぺんも見えない壁で行き止まり。
恐怖に打ち震えていると、幽霊たちはどんどんとその壁をスーッと通り抜けて中へ入っていきます。その中に恋人の青年の幽霊が。
そう、あの不吉な男は実は死神で、青年は死神に魂をとられてしまったのであります。

少女は毒をあおって男の後を追おうとしますが、そのとき、11時のときを告げるらっぱが鳴り響きます。その瞬間、少女の魂は壁を通り抜けて死神の所へ。死神は恋人の魂を返してと頼む少女に、この世界の三つの時代、三つの場所で死の運命にある三つの魂がある、もしそれを死神の能力に打ち勝って救うことが出来たら、恋人の魂を返そう、と言います。
そして、この気丈な少女と死神の、時間と空間を超えた戦いが、バグダッド、ヴェニス、中国の三つの場所、三つの時代に展開するのであります

これは、はっきり言って面白いです。特殊撮影も初歩的ながらアイデアいっぱいで、飽きさせません。
中国人の描写は「東洋をバカにしているのか?!」という感じですが、これはハリウッド版リメーク「バグダッドの盗賊」でも似たようなもんでしたが。
それにしても、時間と空間を超えて色んな人に化けて出てくる死神のキャラが面白いですねー。原題は「疲れた死神」。この死神は、宿命そのものである自分が常に打ち勝ってしまうことに対してうんざりしたものを感じている、というニヒリスティックな存在なのです。
ラングの生涯を通じたテーマ「仮借ない宿命との戦い」が最も露わな形で奏でられる傑作。

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「ドクトル・マブゼ」"Dr Mabuse Der Spielr"1922
(フリッツ・ラング監督 ルドルフ・クライン・ロッゲ)

伝説の傑作とはいえ、いや、ここまですごい面白いとは!驚きました。
殺人と虚報で株式市場を操り、偽札をつくり、いかさま賭博で財をなす、催眠術と百面相の変装術を駆使する闇の犯罪王、ドクトル・マブゼ。

対するは、執念に突き動かされた冷徹な犯罪ハンター、ヴェッセル警視。
この二人の激闘が二部構成で語られる犯罪映画ですが、第一部は怪しい中国帰りの老賭博師に扮したマブゼの催眠術シーンが悪鬼のごとき物凄さではあるものの、展開は終止マブゼ側にイニシアチブがあり、いまいち猛烈な感じがしないのですが、 第二部にいたって、ヴェッセルの執念がマブゼ団に迫りくるあたりから、超エキサイティングになっていきます。
恐怖の集団催眠ショー、疾駆する車のボンネットと流れる背景に呪詛のように浮かび上がる文字、カーチェイス!
そしてドイツ警察、軍隊VSマブゼ団の大銃撃戦!
1920年代味ではありますが、ここまでエキサイトする犯罪映画がこのころに撮られていたとは!
落合信幸の最近作「催眠」の一億六千万倍凄い…というか引き合いに出すなヨという感じですが。時代性を超えた見どころは、催眠によってあらわれる幻影の表現。とにかく目にも恐ろしいあのイメージは、今の眼で見ても充分に鑑賞にたえます。一見はすべき大傑作。

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「ニーベルンゲン第一部・ジークフリート」"Die Nibelungen"1923-24
(フリッツ・ラング監督)

昔に見たときは途中で寝てしまったんですが、最近見返してみると、どうしてこれで寝るのバカバカ!という傑作でした。
「ニーベルンゲン」シリーズは第二部の「クリームヒルトの復讐」の方がより好きではあるのですが、あちらがフン族まわりのキョーレツな蛮族描写が一つのウリになっているのに対し、こちらの第一部は美術がキモであります。
とにかく、古ゲルマンの風俗に挑戦した衣装、文様に満ちた宮殿の装飾の豪華絢爛ぶりは実に素敵で、ううーっカラーで見たかった!と思わせます。
主要な話が展開するブルグント宮廷もさることながら、ブリュンヒルデが統治するアイスランド宮廷の美術もかなりの見物。ノルマン系の意匠をふんだんに使って飽きさせません。
細部だけでなく、ゲルマン伝説に基づいた骨太のストーリーの要所要所で見える圧倒的な山々の後光や、ジークフリートを狙って槍を構えるハーゲンの、陽光の中に身を屈めるシルエットの印象深さ、ドラゴンに向かって剣をふりあげるジークフリートの絶妙のポーズなど、まさにこれは叙事詩。
難があるとすれば、やっぱ有名なドラゴン退治シーンですか。「ドラゴンハート」に出てきたみたいなドラゴンが動くこの90年代に、なんかカエルみたいな上に逃げても追いつかれなさそうな鈍重なドラゴンの登場は、ちょっと情けない気分になります。
アレはアレで、見慣れればけっこう味があるんだが…はじめて見たときは「ださ〜」と思った。さすがに。

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「ニーベルンゲン第二部・クリームヒルトの復讐」"Die Nibelungen"1923-24
(フリッツ・ラング監督)

ラング映画中、その映像のインパクトで消えない傷をオレの胸の中に残しくさってくれた映画爆弾。
フン族の城の大炎上、それをバックに剣をふりかざし復讐を遂げるクリームヒルトの目かっぴらいたモーション、石井輝男監督「恐怖奇形人間」の土方巽に匹敵する、猛烈なインパクトである。
しかも、話の筋あんまり覚えてなかったりするんだが、確か夫のジークフリートを叔父に殺されたクリームヒルトが、フン族のアッティラ大王に嫁いで、ゲルマン民族に復讐するって内容じゃなかったっけか。
また、フン族の野営地のシーンが、とてつもない蛮族映像(今だったら絶対差別問題!)で、すごい。「野蛮人」 というのをヨーロッパ人がどう考えていたのかの克明なる記録かもしれん(笑)
っつーことで、とにかくテンション高いラングが見たいぜ、という向きには、何を置いても見るべき映画といえます。

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「メトロポリス」"Metropolis"1925-26
(フリッツ・ラング監督 ブリギッテ・ヘルム)

現代の観客がサイレント映画に対して感じる障害というのは、言葉が聞こえないぶん、身振りで表現しているところが、大げさに見えてしまう所にあると思う。特にこうしたスペクタクルものは、もう腕とかブンブン。目がギョロギョロ。アクが強い強い。しぜん、このアクの強さがギャグになりうるスラップスティック喜劇だけが、一般に見られるのみになっていくのは必然というべきか。
それにしても、「メトロポリス」は、そういった点を差し引いても、ちょっと大げさがすぎる気はする。ロボットが皮を被った偽マリアの身振りなんかあからさまに悪そのもので、なんでこんなあからさまに怪しい人に労働者がついていくのか?しかも、「あの女は悪魔だ!」と聞いたとたんに一気にリンチに向かうあたり、ちと扇動されすぎにも思える。このあたりはアメリカに渡ってから撮った「激怒」でも繰り返されているけど、あちらの方が自然に(にしてもスゴいんだが)受け止められる作りになっている。
世評では、この映画はすこしストーリーの構成に無理があるとされており、ラング自身もこの映画のラストは自分でも納得できないと言っている。
だが、そうした多くのマイナス点を差し引いても、光るものがある映画である。大群衆の動きそのものに美学を求めるラングの手法はもはやバロックと言ってもいいくらい、意味を越えた魅力を放っているし、マブゼに続いてこの作品でもやはり闇の地下世界からの使者という役柄のルドルフ・クライン・ロッゲのこわさ。円形の美が各所に配置された独特の未来映像は、そんじょそこらの今時のSFより全然イマジネーション豊かである。

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「M」"M"1931
(フリッツ・ラング監督 ピーター・ローレ)

もっとも怖かった異常殺人鬼ものの一本。こんなに古い映画なのに、電線にひっかかってプカプカ浮かんでる風船の映像はトラウマになってもおかしくないインパクト。スティーブン・キングの「It」も、きっとこのふわふわ浮かんだ風船がイマジネーションの一端ですね。
それにしても、途中から暗黒街が警察と並行して殺人鬼を追うという展開も常人離れしているし、殺人鬼の恐怖が秘密裁判の恐怖に変化するというのも、すごい。ラングは集団の圧迫感を描いて一歩長じる監督とまた思った。
そして、あのグリーグの「ペール・ギュント」のメロディーを口ずさむ口笛!これのリメークをもし撮るなら、今度はムソルグスキーから「ババ・ヤガの小屋」を口ずさむのはどうだ、って名曲アルバムじゃねえ!
マジでテンション高い…というかラングの映画でイイ映画はテンションの高さがとにかくいいんだが…ブラヴォーな傑作でありんす。

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「激怒」"Fury"1936
(フリッツ・ラング監督 シルヴィア・シドニー、スペンサー・トレイシー)

最初見てると普通のメロドラマかと思うが、スペンサー・トレイシーの主人公が濡れ衣を着せられて保安官に逮捕される。そこまではいい。そのうち真相が分かって助かるだろう、いくらなんでも…と思っていた私がバカであった。
犯罪者が捕まったらしい、という何気ないうわさ話から小さな町に狂気が生まれ、それが遼原の火のごとく燃え広がり、映画中盤のおそるべきクライマックスに達する超急展開!観る者すべてをストーリーに釘付けにするあの展開はやはりすごい!
そして、その後法廷劇になっていくわけであるが…おれが感じたのは、「社会vs個人」というよりも、個人の利己心が周囲の利己心に助けられ、無知で暴力的な社会を作ってしまうことのこわさ。
ラングへのインタビュー「映画監督に著作権はない」では、ラングはこれが祖国ドイツがナチに染まったことへの恐ろしさを描いているのではないかという質問にたいして、これは脚本家が書いたものだからと言っていますが、
やっぱ、あると思うな。ドイツからアメリカに来て第一作めだし。
最初のアイデアでは、スペンサー・トレイシーはあの最初に「おれそっくりだ」と言って拾ってあげたあのかわいいワンちゃん「レインボー」の復讐を企てるという話だったそうで、そういう映画にはなっていないんだが、もうちょっとあのワンちゃんのキャラを忘れずにいてくれると、もっとよかった感じ。
とにかく観ていて「こんなんありか!」と驚きまくる大傑作であります。

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「暗黒街の弾痕」"You Only Live Once"1937
(フリッツ・ラング監督 ヘンリー・フォンダ、シルヴィア・シドニー)

フリッツ・ラングのアメリカ時代を代表する傑作、という巷の評価どおり、またラング自身が言っているとおり非常に「よくできた」映画である
でも、最近たてつづけに見たラング作品で異常なヤツばっかりにひかれてきたので、ガイキチ方面に踏み越えた人間が一人も出てこない点に物足りなさを感じてしまった!
こういうのを、巡り合わせが悪いと申します。絶対もう一回見ます。
でも、実はかなり感動して涙が墜ちる一歩手前だったんですけどね。貨車の中で傷を負ったフォンダとシドニーが会うシーン、「もう絶対に離れないわ」というところがもう、私的には地獄突きでしたな。ジンジンきます。
その後の展開にいたっては、またしても人智を越えた世界に突入しております。たしかに冒頭から不穏な雰囲気は漂っていたが、こんなことになるなんて!であります。
邦題「暗黒街の弾痕」は、淀川さんが「ひどいタイトル」と言っているものですが、たしかにひどい。暗黒街出てこないんだもん。

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「地獄への逆襲」"The Return of Frank James"1940
(フリッツ・ラング監督 ヘンリー・フォンダ、ヘンリー・ハル)

ラング初の西部劇。
なんだが、ヘンリー・キング監督の西部劇「地獄への道」の続編ということで、なんかノリのつかめない部分が多々ある。
そもそも、ヘンリー・フォンダが兄弟を殺した仇を討ちに行く映画なのに、自分で撃ってもいない相手が勝手に死んでいくという謎の法則に支配された映画である。思い出すだに謎だ…。
乗馬シーンはかっこいい。

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「西部魂」"Western Union"1941
(フリッツ・ラング監督)

ラング監督によるカラー西部劇。
できはいい作品だが、格別ラング!スゴイ!と思わせるような作品ではない。
インディアンが出てくるとこはなんかフォードの「駅馬車」みたいでかっこよかったが…。

インタビュー集「映画監督に著作権はない」には、この映画を観た西部の開拓者の生き残りから便りがあり、「この映画に再現されているのこそ本物の西部だ」と激賞されたというエピソードが語られているが、ラングは「でもまあ、彼らの頭の中で理想化されていたものをたまたま撮ってしまったんで、本物の西部はあんなんじゃなかったと思う」みたいなことを言い添えていた。素っ気ない人である。 もどる


「マンハント」"Man Hunt"1941
(フリッツ・ラング監督 ウォルター・ピジョン、ジョーン・ベネット)

反ナチス・プロパガンダ映画の古典といわれる作品だが、やっぱプロパガンダ映画というのはラストですっきりこない部分があって、今娯楽映画として見ると物足りない点が多々ある。
ヒッチコックの「海外特派員」もそうだが、この「マンハント」も、魅惑的な映像に満ちていながら、「ビッグ・ヒート」のようなメガトン級の引力には欠ける。
ヒットラーの山荘を囲む深い森の中のチェイス・シーン、霧深いロンドンの中を横切る影と影、暗闇の中に光るナチス将校の片眼鏡など、部分部分でとりあげれば素晴らしいのだが…
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「死刑執行人もまた死す」<完全版>"Hangman Also Die"1943
(フリッツ・ラング監督 ウォルター・ブレナン、ブライアン・ドンレヴィ)

特集上映「フリッツ・ラング1999」で、今回初めて公開された「完全版」である。
はっきりいって、スゴイ!異常心理スリラーの傑作「M」を上回る、集団心理スリラーだと言っていいだろう。

ナチス・ドイツ併合後のチェコスロヴァキア、プラハ。大河モルダウを見下ろす小高い丘にそびえるチェコの誇りプラハ城の大広間に、チェコ軍人、官僚に互して黒服のナチス・ドイツ将校連がのさばっている。ステンドグラスを覆うヒトラーの肖像。そこへ「総督がお着きになられた」との声。
広間は凍りつく。冷血と猜疑に満ちたゲシュタポ長官にしてチェコ総督、「死刑執行人」ラインハルト・ハイドリッヒ将軍が到着したのだ。たちまち、右手を高く差し上げる「ハイル」の敬礼が、広間の大扉にむけて集中する。
一寸置いて、空気が薄くなったような緊張の室内に、不気味に青ざめた小男がカツカツと軍靴を響かせて入ってくる。蛇の微笑み。「死刑執行人」はチェコ人の将軍の前でピタと足を止める。手にした鞭を、さも何気ないそぶりで、とりおとす。
将軍が敬礼を崩さぬままに逡巡していると、「死刑執行人」の蛇の微笑みが、あってはならない染みを気に入りの服に見つけた女のように、みるみると醜く歪んでいく。チェコ人はあわてて膝を屈し、鞭を「死刑執行人」の手に手渡すのだ。

このファースト・シーンから、映画は蛇のようなナチス/ゲシュタポの警察権力と、チェコの愛国心の集団対決、その中で翻弄される一家とハイドリッヒ暗殺犯の物語として、運命の車輪を回転させていく。
ハイドリッヒを狙撃した人間とは知らずに、暗殺犯のゲシュタポからの逃走を手助けした少女マーシャは、父親であるノヴォトニー教授をゲシュタポに人質として連行されるが、父を助けるために暗殺犯を密告しようとゲシュタポに向かう道で、今度は抵抗組織とプラハの市民によって脅迫をうける。
圧政下でささやかに幸せに暮らすことの可能性を、ゲシュタポ、レジスタンスの双方から奪われ、運命の死闘に巻き込まれていく主人公のギリギリの姿は、完全版でなければ見えてこない。<完全版>ではじめて見いだされたシーンを列挙するなら、ハイドリッヒ暗殺の噂が伝わった上映中の映画館で、スメタナの「わが祖国」をバックに銀幕に映し出される大輪の花の画に「死刑執行人の死」を見て、大拍手するプラハ市民たち。
密告を決心したマーシャが乗る馬車に、突如乗り込んでくる抵抗組織の首領。馬車を飛び降りたマーシャの前に、町中から集まってくる市民たち。「ゲシュタポに何の用だ?」「チェコ人の行くところか!」次々と罵声を浴びせ、唾をはきかける群衆の恐怖!
ゲシュタポ本部の地下牢獄に放り込まれたマーシャが、冷凍庫のようなその部屋の隅に見いだすのは、かつて助けてもらったパン屋の老婆。彼女は結った髪がざんばらにほどけ、口から血をしたたらせて、マーシャの腕の中に息絶える。その死の床に不気味に長くのびた影が写る。ゲシュタポの拷問吏のその影は、真っ黒な鞭を右手からだらりと垂らしている。

こういった、ラングお得意の集団行動のダイナミズムと表現主義的なパワフル描写が<完全版>ではあますところなく展開する。もう一つの重要なポイントは、処刑さるべき人質として収容されているノヴォトニー教授らの生き様だ
これまでの公開版では、たしかに教授の愛国心は逮捕されるまでは描かれていたものの、逮捕されてからのそれは、せめて娘への心情吐露のシーンにとどまった。ところが完全版では、以下のようなシーンがつけ加わる。
収容所で国民詩人ネクバールと出会ったノヴォトニー教授は、彼とチェスの勝負に熱中しているが、そこに一人の青年が「未熟な詩を作ったのですが、偉大な詩人にぜひ聞いてもらいたい」と言ってやってくる。青年の詩は拙い表現の中に燃えるような祖国愛が脈うつものであった。彼らは口々に朗読する。そうだ、心に火をともし、未来への道を照らし出すのだ!教授の賛辞とともに、宿舎の中の人質たちの気持ちは一つになる。
…だが、やがてゲシュタポによる抵抗組織への報復のために、人質たちは次々と無作為に処刑されていく。詩人も処刑場へむかうトラックに乗せられ、そして、あの青年の番がやってくる。教授は青年と固く固く握手を交わす。
死のトラックに乗る直前、ノヴォトニー教授は勇敢に一歩を踏み出し、叫ぶ。「心の火を絶やすな!」青年は皆の方を振り返り、右手で「V」サインをかかげる。そして歌うのは、あの日の愛国の詩である。
「心に火を灯せ、くじけずに、未来への道を照らし出すのだ!」歌は宿舎の全員による合唱となる。人々は高らかに「V」サインをかかげる。それはまさに、ファースト・シーンにおけるナチの「ハイル」敬礼に対する彼らの抵 抗のサインなのだ。処刑の日の暁に、トラックは次々とチェコ人を送り出すが、その空に鳴り響いているのは、彼らの抵抗の意志を歌い上げる合唱である…。

さて、ここまで書けば、これまでに見ることのできた「死刑執行人もまた死す」で、どうも今ひとつに感じられた部分が<完全版>では完全に補われていることが理解されよう。それは伝統的にドイツの支配に抵抗してきたボヘミア人たちの、圧政への抵抗の誇りであると同時に、その抵抗の意志が、無力であった第三者のヒロインを否応なしに巻き込んでいくことの恐ろしさでもある。「マンハント」の単純素朴なプロパガンダに対してこの「死刑執行人もまた死す」の訴えはより複雑で内容豊かであり、説得力に満ちている。この映画が戦争の継続している1943年に撮られ、ラスト・シーンで「NOT」「THE END」で終わる時、そこにはナチの圧制もそれへの抵抗も含めた、占領行為の脅威が浮かび上がるだろう。

とにかく、死ぬまでに一度は見ておきたい「死刑執行人もまた死す」<完全版>であった。
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「ビッグ・ヒート 復讐は俺に任せろ」"The Big Heat"1953
(フリッツ・ラング監督 グレン・フォード、リー・マーヴィン、グロリア・グレアム)

サイコー!まちがいなく今までに見たラング映画の中で最高だし、暗黒街を題材にした映画の中でも最高。「L.A.コンフィデンシャル」の原型、という惹句で宣伝されていたが、その魅力は「L.A」をしのぐ(と思う)。もし99年現在の公開であったら、「L,A」の評価もどうなるか…と思ったりしてしまうんだが、更にすごいのは、これが陳腐な想像ではなく、仮に「ビッグ・ヒート」が99年公開の新作であったとしても、古びた映画という印象を与えないであろうということである…性描写や犯罪描写についての時代的拘束は、まあ勿論除外して考えてだが…。基本となるストーリーのオモシロさ、心理描写の深さ、キャラクター造型のすばらしさを含めた脚本の妙、そして「これぞ映画!」という他ない、様々な映像的な仕掛け(オープニングの拳銃の大写しからはじまるあのツカミ、廃車置き場でのフェンス越しの対話、杖つくタイピストの婦人、ミンクのコートなど、まさに麻薬的魅惑力だ!)、どれを取ってもパーフェクトと言わずにはおれない。まさしくベスト・フィルム・ノワールというにふさわしい。
どうも引き合いに出しやすいものだから、好きな映画だけどもうちょい比較させてくれ。「L.A」の致命的弱点は男たちの魅力にくらべてキム・ベイシンガーのヒロインがどうしても無内容に見えることだと思うんだが(それにしちゃアカデミー主演女優賞なんぞとってるけど)、「ビッグ・ヒート」のヒロイン、グロリア・グレアムはベイ シンガーなどお呼びでないといいたいくらいに魅力的キャラクターとなっている。見事なまでにギャングの情婦というセックスアピール溢れる役どころをやりとげているだけでなく、さらに話が展開するにつれ、実はその奥に隠された性格的襞の深さがうかがわされるにいたって、この健気なヒロインに対するわしら観客の共感は運命的なまでに決定づけられる。
…だが、なーんてことをいちいち言ってられるのは実は前半だけの話であって、クライマックスに向かってこの「ばかのふりをしている」美しい情婦が、実はこの熱くも切ないストーリーの車輪を回転させる一人であることが明らかにされるや、我々はこの「天才芸」というしかないエスプレッシーヴォなラングの演出に、歯車にまきこまれる如くに引き込まれてビンビンの感動を「運命づけられ」てしまうのである!
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「ムーンフリート」"Moonfleet"1954
(フリッツ・ラング監督 スチュアート・グレインジャー)

17世紀(くらいか?)イギリスを舞台とした冒険活劇。母をなくした少年と密輸団の首領とのコンビによる冒険モノで、なんか「宝島」のようなノリである。
多分、似たような話を西部劇で見せられたらシラケたかもしれんが、なんとなくこういう舞台設定が好みなもので、楽しく見ることが出来た。
洞窟とか出てきてラング節が感じられる。掴みのところに出てくるムーンフリート村の無気味な天使像(なんであんなにコワいの?!)は、「ファーゴ」のでかい木こりの像に匹敵するインパクトだ。
ミクロス・ローザによる映画音楽がかっこよすぎる。CD欲しい〜〜〜。
(その後、"Miklos Rozsa at MGM"なる二枚組のCDが登場、この曲も初CD化されて、願望が満たされた)
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「大いなる神秘」(第一部・王城の掟/第二部・情炎の砂漠)"Der Tiger von Eschnapur ; Das Indische Grabmal"1959-60
(フリッツ・ラング監督 デブラ・バジュット)
ラングでは晩年期にあたる大作。一部二部あわせて3時間以上あるが、今となっては古臭いエキゾチシズムと陳腐なストーリーで、とっても退屈。
わきあがる眠気をどーしよーもない。困ったなあ。ヒロイン不美人だし。
とりえといったら、とにかく色彩がすごい。パルプマガジンのイラストがそのまま動き始めたみたいな感じである。「大砂塵」みたいな感じとも違った独特のショックを持った色使いは一見に値するかも。また、疫病をわずらって地下迷宮に閉じこめられているという半ゾンビ化した人たちが階段を昇ってこようとするショットの怖さには、椅子から転げ落ちそうになった。
アメリカ公開時は3時間以上の映画がズタズタに切られて1時間半くらいだったそうだが、まあ、切り始めたらそのくらい切れるような気がする。なにしろ一部、二部とも後半30分くらいからやっとおもしろくなる感じなので …。
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