Web Site Watch

Navigatoin

2005年01月のサイト鑑賞

人の親

2005.01.04

発売日に並んで買った割に,年を越してもまだドラクエ8が終わっていない。GNO2だって殆どログインしてないのに。何故じゃ。それは呑んでたからですな。とりあえず,相方の親戚の集まりで記憶を無くすのは止めとけよ,俺。

そんな訳で,outsider reflexのlatest topicsの人間とかから。

僕の親は、僕の事をいつの時点で「人間」と認識したのだろうか。僕が生まれてから後の事なのだとしたら、どうやって「物体」の僕と「人間」の僕とを連続した存在として認識しているのだろうか。ついこのあいだまで「物体」だと思っていたものが、いつのまにか生意気な口をきく「人間」になっていた、という時に親はどう感じたのだろうか。

父親と母親で違うのだと思う。

私の場合,「物体」と思っていた訳ではないけれども,子供のことをずっと「赤ん坊」というモノ,と思っていた節がある。少なくとも一人の「人間」とは思っていなかった。語弊があるかもしれないが,友達の子供を可愛がるような感覚であったと思う。DACさんも書いている[see 適宜覚書のRe:人間とか]が,私にとっては病院で観る音波写真でしかなかったモノが,生まれてくることで「赤ん坊」へと,(まだ「人間」とは認識していなかったにしろ)ある意味ランクアップした。

ところが,父親であった私と違い母親であった相方にとっては,子供は「自分自身」だった。妊娠中の相方と子供は,同じ身体を共有する運命共同体だったのだから当然だろう。その相方にとっては「自分自身」であったモノが,生まれることによって「自分の分身」となり,成長するにつれ「自分」ではなく個性を持つ「他者」であることを認めなければいけない存在へと変化していく。謂い方は悪いが,ランクダウンしていって「人間」と認めるのではないだろうか。(別に子供よりも自分が大事って意味ではないよ。念のため。)

この感覚の違いから,出産直後で精神的に参っていた相方に随分と迷惑を掛けてしまった。自分がそんな状態から抜け出した切っ掛けは,ありていに謂えば夫婦喧嘩で,そこで相方が一人で抱えていた負の部分を知ったからだと思う。そんな紆余曲折がなければ,未だに子供を「人間」扱いはしていないような氣がする。(別に虐待していたとか,そういう意味ではないよ。念のため。)

ただ思うことは,親としての感覚ってのは,子供の成長と一緒に育つものだと思うのですよ。なので,ついこのあいだまで「物体」だと思っていたものが、いつのまにか「人間」になっていたという状況を想定しなくてもいい氣はするです。(二人目とかだと違うのかな。それは未経験なのでなんとも謂えないけれども。)

落ちがないけど,徒然なるままに書いてみた。

つ〜か,落ちがないのが氣になるので,もうちょっと書いてみる。

2年前の正月に書いた優先順位[see 抱負]は,子供がまだ一歳ちょい頃のものだった。現在はどうかと謂うと。

  1. 家(子供や相方含む)のこと
  2. 趣味(麻雀,アメコミ,コンピュータゲーム)のこと
  3. 仕事のこと
  4. その他雑事

かなりの勢いで家族の優先順位が上がっている。つ〜か,家族のこと以外は事実上二の次になっていると謂ってもいい。

去年色々あった所為もあるのだけど,子供(と相方)の人格を認めるようになったため,その対応を迫られた結果だったりする。何と謂うか,去年は子供の成長も著しいけど,自分が随分と変わった年だったなぁ,と思い返したり。

やっぱり落ちない。

文責,その他

I love ISO-HTML! Valid JIS-HTML!