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2004年09月のサイト鑑賞

句読点についての考え

2004.09.24

子供と運動会に行って疲れきって寝てたり,筋肉痛で苦しんでたり,先の文章[see 句読点質疑応答]について闇黒日記の平成十六年九月二十二日でさらに反応があったりした。とりあえず,もう200mも走れる年ではないのは判った。つ〜か,せっかく走ったリレーのアンカーを,娘はボーイフレンドと遊んでて見てなかったし。くそ。そんな訳で反応,の前に謂い訳など。

だから俺は腹を立ててゐるのだが、にもかかはらずDDT氏は、あれ?とかえっ?とか言つて、知らない振りをしてとぼけて見せる。どうしてDDT氏はこんなにも俺の神經を逆撫でしたいのだらうと疑つてゐるのだが、DDT氏の事だから惡氣はないのだらう。

悪気もとぼけるつもりも毛頭ありません。私,文章書くときって,まずは口語体で思ったとおりのことを書いてから,推敲段階で校正して,感情表現とかを文章の中や行間で表現できるように直したりするンですが,時間がないときは初期段階と大差ない形で世に出ることもあったりします。

だから許して,って話ではなく,申し訳もない。今度はちゃんと推敲してから公表します。

扨,本題。

今回の野嵜さんの発言と,釣瓶雜記(2004年8月〜)の2004年9月21日火曜日のい) 句讀點問題での解説で,ようやく話が見えてきました。物分り悪くて申し訳もない。

野嵜さんが言つてるのは、「そもそもの日本語を破壞するな」と云ふ單なる「そもそも論」ではなくて、「日本語のより良いあり方を追究せよ」と云ふ事だと思ひますが。

私は、假名遣ひについて、假名遣が發展した歴史を重視してゐて、その正しい發展が戰後の國字改革で斷切られたから、その時點からやり直すべきだ、と主張してゐる。それと同樣に、讀點と句點を用ゐると云ふ形で發展してきた歴史を重視したいのだ。

なるほどです。

で,そういう話だと私の意見は,先にも書いた,そもそも日本語は縦書き文化であった訳で,横書き文化であった欧米が培ってきた横書きで見やすい字形には意味があると思うってのでしかないので,縱書きと横書きで表記方法が必要以上に異なるダブルスタンダードは望ましくないという意見とは異なる立場です。人によって見やすいかどうかは違うのは勿論でしょうが,私は自分が見やすいものを奨めるしかない訳で,心にもないことを謂うわけにもいかない。

DDT氏の發言は、「決り事を作らう、作ならば從ふ」と云ふものだが、實は既に、歴史の流れを斷切る形で「決まり事」は作られてゐるのである。だから、その「決まり事」によつて斷切られる直前の自然の發展が續いてゐた時點に話を戻せ、と俺は言つてゐる。

自分の発言についてはそのとおりで,先に作られた決まり事があるから,横書き文の読点にはカンマを使おうかな,と考えている部分はあります。書きやすさとか見易さってのは句読点を意識しだしてから実感したもので,後付理由ですから。

官僚主義に陷つてゐると謂われれば,そのとおりのようです。

で,チト疑問が。

横書き文の読点にカンマが使われ始めたのは,政府が句読法案を作るより前なのですが,それは自然の発展(まぁ輸入ですが)には含まれないのでしょうか?

讀點と句點を用ゐると云ふ形で發展してきた歴史を重視したいと謂われても,句読点の使用方法が確立していなかったというのは野嵜さんが紹介してくださった浮雲でもわかる話。句読点の使用法は今に至っても確立していないわけで,そのうちのこれがいい,という意見があるのは判りますが,他の記法を評価しないのは何故なのでしょう?

釣瓶雜記のすでに讀點による表記が確立してゐるところに横からカンマが割つて入つて來てゐるという記述で,自分の疑問点がはっきりしました。どうも私は,句読点の表記は確立していないのに,確立していると考える部分に違和感を持っているようです。

あとは本題からは外れた話について。

私はもともと漢文を訓讀する際の訓點の一種として出現したと書きましたが?

これは失礼。完全に読み落としておりました。

字形についても,紹介いただいた画像から,カンマからの以降ではなく,漢文を読み下す際に使っていた記号の転用と推測できますね。これは私の誤認です。

この画像って,ずっとweb上に上げておきます?横書き文の句読点についてで,江戸時代の句読点についての紹介に使いたいのですが,画像貰ってもいいでしょうか?

「西歐の表記から影響を受けた爲に、江戸時代に區切り符號なり句讀點なりが出現したのである」とDDT氏が主張される具體的な根據は何ですか?

具体的なものはありません。横書き文の句読点についてでも書きましたが,状況からの推測に過ぎません。それを知りたいと思って句読点についての文章を纏めはじめた訳で。

で,句読点としての利用方法は,漢文の訓点とは用途が違います。そして,元々日本語文では句読点の役目は分かち書きが担っていたと考えます。そこで,句読点を使っていた西洋の影響なしに句読点が発生した,とするのは無理がある,と考えている訳です。

というか,もともと漢文を訓讀する際の訓點って,所謂レ点とか,一二点と同種のものってことでいいのかな。もしかしたら私,そこからして勘違いしています?

白點と讀點は別物、間には斷絶があり、何ら關係はない、白點がいくら出てきても無視、と主張してゐます。しかし、私は兩者の關係を無視しません。むしろ、白點こそが讀點の先祖であり親戚である、よつて讀點には歴史があると言へる、コンマは後から入つて來たものだ、と考へます。

なんら関係はないとは思ってませんです。白点の利用例をみたことがなかったので,句読法案に載っている利用法を思い浮かべて,読点より,むしろ現在の句点に近いと考えただけでした。今回紹介いただいた肥前風土記の画像をみると,確かに読点として白点を使ってますね。これも私の早とちりでした。

あとは誤解解き。

DDT氏は、「讀點は本來、何時いかなる場合にも横書きの際には使用してはならない、横書きの際に出現してしまふのは不都合であり、已む無く使ふものである」とでも考へていらつしやるのですか?

横書き文では読点にカンマを使う,という立場ではそう考えてますが。というか,そういう立場で私が話しているので野嵜さんは批判しているのではないですか?

人が使うのを批判はしませんので,いついかなるときでも駄目とは申しませんが,自分が書く横書き文には読点に「点」を使用してはならない,という原則をもって書いてます。ただ,人の文章を引用するとき,その文章が独立しているときは,原文の使い方のままで使うことが多いです。

野嵜さんが,日本語の読点は縦横関係なく点を使う,という立場でそれは完全な思ひ違ひですというのは判るけど,違う立場に対してそんな事謂われても,そうですか,としか回答できないのだけど。

「PCに慣れた人間は、横書き文書を作る際には絶對にコンマに移行しなければならないものである」とDDT氏が考へる理由は何ですか? DDT氏は、「コンマを使ふものである」と云ふ事實の報告と、「コンマを使ふべきである」と云ふべき論とを混同してゐます。

PCに慣れた者は読点にカンマを使う,とは考えてません。句読点に関心ある人が少ないため,PCに慣れない人は句読点に「点」と「丸」を使っている,と考えています。これについては先に書いたような推論によってそう考えています[see 入力方法 and re:日本語横書き文における読点表記]。野嵜さんのように意識して句読点に「点」「丸」を使う人の数は,私のように「カンマ」と「丸」を使う人や,学術系の論文でよく見かける「カンマ」と「ピリオド」を使う人の数と,どれもそう違わない,という憶測で話しているだけです。せめて句読点に関心を持つ人を推測できるような資料があればいいのだけど,ないからなぁ。

DDT氏の厳密主義から言へば、使用法の違ふ符號は同じものと看做せないのではないですか。さうなると、句點ですら、DDT氏は否定しかねません。

句読点の使い方が定まっていなかった時代の書き方に文句なんていいませんよぉ。

嚴密に形が一致しなければならない、とDDT氏が言張るとしたら、それはをかしいでせう。

これは私の早合点の回答を元に判断された話だと思うので回答不要とは思いますが,一応。どちらかというと私は,形は見易さ,書きやすさで決めるべきだ,と考えております。なので,読点に「点」ではなく「カンマ」でいいじゃん,と謂っているわけで。

私は原則の話をしてゐるのですよ? 「決まり事」の話なんてしてゐませんし、したくありません。

私は,いま数種類ある句読点の使い方が何らかの形で一つに決まったとき,それを広める方法のひとつとして決まり事を作ろう,って話だと思って書いておりました。野嵜さんの話は,私の考えていた「何らかの形」の一つってことと思われますので,食い違いがあったようです。さう云ふ俺の考へ方をDDT氏は知つてゐる筈であるってのは買い被りです。こんなにも誤解している。

句読点質疑応答

2004.09.21

先の文章[see 句読点]について,闇黒日記の平成十六年九月二十一日でさらに反応があったので反応。

DDT氏は、野嵜が機械のためという理由で統一しようとしてゐる、と言ひたいのですか。

あれ?野嵜さんが平成十六年九月二十日に書かれた,DDT氏は,自分の文章が常に横書きで表示される,と思つてゐるのか? 最初に指摘した通り,HTML文書はそれ自體,縱書きとか横書きとかの屬性を持たない。ならば,より汎用性のある讀點をHTML文書では用ゐるべきだって言葉はそういう意味と解釈してましたが,違います?

先にも書きましたが,これは文字コードのフェイスの問題だと思っています。Web上に限らず日本語の句読点には何がいいか,という話とは別問題だと認識しております。

野嵜さんも「HTMLで使う句読点は」と謂う話と,「日本語の句読点は」と謂う話は,別の話題でお話されているなら了解です。

で,ついでにその別の話題に脱線。

DDT氏は、現在の「DDT's Room:Web Site Watch Sep-2004」は常に横書き状態で表示されるものである、と、どうして思ひ込んでゐるのでせうか。DDT氏は、さう思つてゐるからこそ、自分のサイトで「,。」と云ふ横書きスタイルを用ゐてゐるのだ、と當方は解釋してゐますが?

先にも書きましたが,HTML文書に限らず電子データの表示が縦書きか横書きか判らないって理由でどんな句読点を使うか決めるとしても,それは妥協でしかないと思うですよ。

縦書きで読点が「カンマ」になってしまうという不都合を取るか,横書きで読点が「点」になってしまう不都合を取るか,という選択肢のなかで,私は前者で妥協している訳で。縦書き表示されるブラウザをお使いの方には申し訳ないけど,どちらをとっても不都合があるので已む無し。まぁ,後者を不都合と思わない人は後者を選択するのが道理でしょう。

話を戻しますと。

横書き文の読点があまり使われていないか何うか。

正直謂って,個々人がワープロで打った文書とかネット上の文書以外では,横書き文で読点に「点」を使っているのを余り見かけません。あとは仕事関係で,書き方を制限されている文書くらい。

ワープロやネット上の文章に関しては,それこそ大元の文章[see 入力方法]や昔書いた文章[see re:日本語横書き文における読点表記]で書いたとおり,PCへの不慣れや句読点に対する無関心が原因に因るものが多数と考えていますし。

出版物では,私が見る雑誌や書籍は縦書きが殆どで,横書きのものは大抵「カンマ」と「丸」か,「カンマ」と「ピリオド」です。まぁ,これは見る本の種類で変わってくるのかもしれませんね。私の生活圏では余り見かけないだけかも知れません。

こういうのって,何処かで統計とか取ってないかなぁ。

讀點は輸入されたものではありません。

えっ?それはどういう判断なのでしょう。

戦国期以前の文書や書簡をみても句読点が使われている気配はないですし,使われだしたのは江戸時代の頃から,と野嵜さんも謂っておられる。江戸時代といえば,西欧と接触が持たれて随分と経ってからだと思うのだけど。鎖国中だとはいえ西洋貿易はあったわけですし。それまで使われなかった句点が,西洋との接触があったのちに偶然自然発生した,というのは無理があると思うし。

広く使われだしたのも明治20年代だということで私も野嵜さんと同じ理解をしておりますが,そうなると文明開化以後であり,西欧文化の影響だと私は考えますが。

まぁ,句点に関しては,野嵜さんのおっしゃった江戸時代の丸の使用例や,■「,。」表記をさかのぼれ!で江戸時代に白点の存在が指摘されているので,早々に輸入され日本で独自に発達したと考えることは可能かもしれませんが,読点に関しては使用例って見たことないンで,明治に入って以後西洋から輸入されたもので間違いなかろうと思っておりますです。

あっ,句読点の思想が,分かち書き等記号を用いない方法で存在していた,という意味ならば同意です。まぁ,今回の句読点の字形の話とは別のお話ですが。

原則として日本語の文章では「、」「。」を用ゐる。横書き等の際に「,」「.」等の符號を用ゐる事は、例外として許容する。――と云ふのならば認められる。

そういう決まり事ができるなら,それはそれでいいと思いますです。実際,私の職場では横書き文でも「点」と「丸」を使うように指示されておりますので,仕事用の文書の句読点は「点」「丸」を使ってますし。

あとは何処が原則を作るかですよね。学習指導要領あたりで定めれば,子供から普通に広がっていくからいいのかなぁ。つ〜か,教科書自体,私が子供の頃から横書きはカンマなのに句読点に対する無関心は直ってないし,無理か。

句読点の利用実例

2004.09.21

闇黒日記で横書き文の句読点についてに反応いただいた。認識は私とそうは違いないようで特筆することはないのだけども,句読法案の公開前の横書き文書について書いてあった。これは助かる。旧い横書き文についての情報ってなかなか見つからないので困ってるンですよ。

目についたことばの96.9.30の【句読点】で紹介されていた,句読点にカンマと丸を使っている文書。

目についたことばの96.10.1の【句読点2】で紹介されていた,句読点にカンマと丸を使っている文書。

気になることばの2001-09-19の■「,。」表記をさかのぼれ!で紹介されていた,句読点にカンマと丸を使っている文書。

私が以前見つけたのはこれくらい。今回野嵜さんに紹介いただいたものを足して,横書き文の句読点についてを更新いたします。

闇黒日記の平成十六年九月二十一日で紹介された,句読点に点と丸を使っている文書。

そのほか,江戸時代の『武家義理物語』に丸を使用した例あり,と。

つ〜か,自分でも図書館行って旧い本を探せよな,俺。

ところで。

明治三十九年に文部省圖書局による「句讀法案(案)」が出てゐる。この時は、「、」「。」と云ふ形で定められる豫定だつたやうで、横書き文書とか縱書き文書とかの區別は無かつたらしい。

このときの内容ってわかりませんか?どこを探しても,明治時代の句読法案の内容がわからないのですよ。

句読点

2004.09.20

先の文章[see 国語]について,闇黒日記の平成十六年九月二十日でさらに反応があった。でも,どうも話が伝わっていない。まぁ,私の書いた文章からは話が上手く伝わらないなんてのはよくある話なんだけど,どうも違和感がある。で,自分の文章見直したら,重大なことに気がついた。リンク張りわすれてるよ,俺。

そんな訳で,先ずは大元の話として,私の句読点に関する認識については別文書[see 横書き文の句読点について]に纏めてありまして,そちらを読んでいただきたく思ったり。DDT氏の發言が非論理的で訣がわからないのは珍しいなんて謂っていただくのは面映いけれども,それにしてもどうしてさう云ふ嫌みたらしい言ひ方をして證明した氣になれるんだとか,日本語の文章でコンマを讀點の代用品として使ふのには大反對とか,根本的に話が伝わっていないのは何故だ,とか思ってたら,そりゃ自分の句読点についての理解を書きわすれてるもん,伝わる訳はない。すみませんです。

それはそれとして,疑問点について説明をば。

横書きは日本語の破壞でないと思ふのだが? なぜ横書きは日本語の破壞なのだらうか?

私の理解では,日本語は縦書きするものであり,句読点も持たなかった,というもの。そして,句読点を使うようになったのは西洋からの輸入であり,もともとはカンマが使われていたものが,縦書きでは点が使われるようになり,それが最近になって横書きでも使われるようになってきた。横書きで文章を書くのもまた,西洋からの輸入である。以上の考えをもって,野嵜さんの句讀點を横書きの際には「,」と「。」を使ふ,と云ふ規定は,國字改革の一環として,日本語を破壞する爲に定められた規則だという発言を鑑みた時,そもそもカンマが使われていた読点を点に置き換えるようになったことは置いとくとしても,そもそも日本語に句読点を輸入したことを「日本語の破壊」と謂うならば,日本語の文章を横書きで書くことも破壊ではないのか,という疑問から書いたものです。日本語の破壊という言葉自体,野嵜さんの発言を受けて書いたものでして,私自身は日本語の文章を横書きにすることが日本語の破壊になっているとは思っておりませンです。言葉足らずで混乱させて申し訳も無い。

決り事が出來たからと言つて從ふと言ふのは如何なものか。

これは,野嵜さんの原則を確立したい訣だよという発言と同じ趣旨と理解していますが,違うのかな。

もしかして、コンマには情緒がある、とDDT氏は言ひたいのだらうか?

これは誤解です。原則を確立させるとき,どの原則にするかを決める理由が,日本語として何が適しているか,という理由ではなく,機械に便利なように,という理由で決まるとしたら,それには情緒がないと謂う意味です。この辺の話については,HTML論議でも,機械の為にxHTMLを人が手で書くのは反対,といった趣旨で以前文章を書いたこともありまして[see xHTML論議],自分の中では一貫していると思っているけど。文章を書くのは人ですから,人の為にいい方向で事を決めて,機械をそれに合せたいものです。

横書きの讀點をマスコミ御用達の記法と極附けるレッテル貼りは許し難い。

レッテル貼りのつもりはない,というか記者ハンドブックで推奨していることですし。教科書はもとより,技術書なんかでもあまり使われていない横書き文の読点に「点(、)」を使う記法を推奨しているのが記者ハンドブックなわけですし。

横書きではコンマの方が絶對に見易いとは言へないし、横書きであれ日本語ならばコンマを使ふべきではないし、統一と云ふ事に對する感情的な反感はそれだけでは反對の理由にならない。

横書きでは必ずしもカンマの方が見やすい訳ではない,というのには同意です。私はそうだけれども,人によっては自分で書く記法の方が見やすいこともあるでしょうから。

ですが,日本語ならばコンマを使ふべきではないというのは同意出来ない。クエスチョンマークにしろエクスクラメーションマークにしろ輸入されたものですし,アラビア数字もそうでしょう。カンマだけ特別視する必要はないと思うのだけども。

それと,私が感情的な反感をもっているのは,機械のためという理由で統一することであって,日本語の読点にはカンマよりも点がいい(若しくは現状通り縦書きは点で横書きはカンマがいい),と決まること自体には反感はないです。

横書きコンマが自然發生的だと云ふ主張は嘘である。

だから自然発生ではなく,「自然発生的」と書いたのだけど。句読点を使うという行為自体は欧米文からの輸入な訳で,当然自然発生な訳はない訳で,日本語の文章で句読点を使うという行為自体が西洋からの輸入であるからして,日本語に句読点を創ったこと自体には当時の文化人の作為があると思います。けれども,輸入してカンマが使われたこと自体には作為はないと思うのだけど。もしそこでいきなり現在縦書き日本文で使われている「点(、)」を使ったら,そりゃ自然発生な訳はないだろうけど,輸入元の字形をそのまま使うのは自然なことでしょう。

兔に角、俺は、横書きであれ、日本語の文章でコンマを讀點の代用品として使ふのには大反對。

これはわかります。ネット上で度々繰り返されている句読点論争をみると,どれも感情論でしかないし。自分が普段使っている書き方が違うとか言われれば誰でも反感持つだろうし。反感を持つこと自体,文章を書くということに思い入れがある証拠だと思うので,私は好感を持ちます。

最後に。

別に誰かを馬鹿にしようとか、そんな事は考へてゐない。

別に,そんなこと思いませんよぉ。

おまけ。

過勞? 37度。

お身体はお大事に。今の風邪(札幌で流行っている奴)は腹に来るので大変です。娘の風邪が染りそうで戦々恐々としていますので,自戒を込めて。

国語

2004.09.19

先の文章[see 入力方法]に反応があった様子。ここンとこいつもネタが無いと騒いでいるので,ここで喰いつかないと意味がない。GNO2は長期任務を受任して放置することにして,反応してみる。

そんな訳で,闇黒日記の平成十六年九月十七日から。

日本語の文章で、なぜ讀點を「コンマ」にしなければならないのか、解らない。讀點は讀點であるべきで、英語やフランス語の眞似をして「コンマ」にする必要はない。

読点をカンマにしなければならない訳では無かろう,と謂うのは同意。英語やフランス語の眞似をして「コンマ」にする必要はないというのも全くの同感。ただ,そもそも日本語は縦書き文化であった訳で,横書き文化であった欧米が培ってきた横書きで見やすい字形には意味があると思う。それを無視してまで横書き文の読点に「点(、)」を使わなければいけない理由も見当たらない,と思うデスよ。

そもそも,日本語で横書きを使う,ということ自体が日本語を破壊していると思うけど,それは認めているのでしょうか?

私は,そもそも句読点を持っていなかった日本語に英語やフランス語から輸入されたことも,本来は縦書きである日本語を横書きすることも,そもそも縦書き用に生まれた「点(、)」が横書きに流用されるようになったことも,英語やフランス語と違って日本語がまだ変化の過程にある証拠だと思っています。それが良いことか悪いことかは,今はまだ判断出来ないけども。

そもそも、句讀點を横書きの際には「,」と「。」を使ふ、と云ふ規定は、國字改革の一環として、日本語を破壞する爲に定められた規則だ。俺は認めない。

目についたことばの96.9.30を読むと,句読点にカンマと丸を使うという規定が作られるより前から出版界ではそういう動きがあったようです。政府の国語改革はその動きに乗っただけ,と考えていたけど。

まぁ,句読点自体が西欧にカブれるのが流行だった時代に作られたものだからそういう動きだったンだろうけども,どちらかというとそういう自然発生的に作られたものを印刷の関係とか,そういう問題で縦書きと統一するようなマスコミの誘導のほうが日本語破壊になっているように思うデスよ。

まぁ,それでも決まり事ができるならばそれに従うまでですが,その過程に情緒が無いなぁ,とは思いませんか?縦しんば,HTML文書(に限らず電子データ)の表示が縦書きか横書きか判らない云々って理由でどんな句読点を使うか決めるとしても,それは妥協でしかないと思うし。

電子データの話ついでに,話の本質からは外れているように思うけど,はてなダイアリー - 大和但馬屋日記の■ [言葉]読点ふたたびから。

そんなのは縦書表示するUAといふかブラウザなり何なりの方で対応すれば済む話、とはいへないでせうか。

これはブラウザの問題ではなく,文字コードの問題と思うです。というか,文字コードでは字形を定めているのか,文字の意味定めているのか,ハッキリしてほしいです。文字コードの名称に「読点」とか付けて意味を定義しているように思わせておいて,実は「点(、)」という形を規定しているだけってことが誤解の始まりだと思う。

入力方法

2004.09.15

9月って〜と既に秋な訳で,秋と謂うとスポーツな訳で,娘の保育園の親子レクに出て腰を痛めて大変な思いをしている間に今月も半月が過ぎようとしている訳です。まぁ,GNO2があるから暇はしないけど。

そんな訳で,相変わらずウェブ鑑賞なんてしてない毎日で,ネタがないナァ,とか思いつつ色々見てたりしてましたら,句読点関連で気になる文章を発見。

葉桜日記のJuly 24, 2004の横書き句読点から。

「、」より「,」のほうが書きやすいなんて、首をかしげます。学生時代からOL時代を経て、現在に至るまで、私は一度も日本語にコンマを使ったことがありません。

毛筆で縦書きするならともかく,横書きを手書きするときは点よりカンマの方が書きやすいと思うのだけど。まぁ,私が手書きでもの書くのは急いで書いたメモくらいなので,ゆっくりじっくり文章を書いてれば大して変わらないかもしれないけども。そもそも,カンマだと思って書いているわけではなく,読点を打ったらカンマになってるだけだし。

それはそれとして。自分でサイトを運営しているってことはそれなりにPCを使う人と思われる。そういう人にして,追記で訂正しているとはいえ,いちいち「,」に変換するのは面倒ですという感想を持つってことが気になった。こういう状況を見るにつけ,確かに,横書き文の読点が点で統一されるのも時間の問題かなぁ,という気はします。横書き日本文が書かれてから慣習的に読点として使われていたカンマが,マスコミ御用達の記法に統一される日も近いのかもしれない。

ただねぇ。句読法が統一されるのはかまわないと思うのだけど,それが日本語の読点には何が良いか的な決まり方ではなく,単にPCの操作方法だとか文字コードだとかの事情で決まってしまうのは,情けないと謂うか,情緒がないなぁ,と思うですよ。つ〜か,寒い時代だとは思いませんか。

文責,その他

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