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2004年02月のサイト鑑賞

信仰と論議

2004.02.21

NaokiTakahashiの日記の2004-02-19の■ どうも。より。

事が信仰のことですから、ナイーブな問題ですし、もしかしたら言葉が乱暴だったかもれません。

どうも根本的に思い違いをされているようす。でもまぁ,表面的な話から。

私は,日本人に限らずキリスト者で,天地創造があったとか,出エジプト記の奇跡は本当だとか,キリストは(物理的な意味で)復活したとか,本当に信じている人は,子供を除けばそう多くないと思っています。なので,キリスト教にGodと云ふ絶對者がゐて,日本人に絶對者の觀念がない事からキリスト教は信仰できないと謂うなら,そもそも現代においてキリスト教を信仰することなんて出来ないでしょう。信仰とはなにかを言葉に書き表せれるとは思っていないので書きませんが,キリスト教に限らず,信仰とはそういうものではない,と思っています。

そういう意味で,これらの物言いが貴方の信仰と食い違っているのは確かです。

扨,ここからが本題。別に私は,その辺の言葉尻を捕まえて憤慨している訳ではありません。

哲学としてとか,政治的側面についてとか,そういう形で宗教を論じたとき,それらと信仰の話をゴッチャにして論者が怒ってしまう,とかなら(論者としては失格ですが)判ります。しかし,日本人でない人,もしくはキリスト教徒でない人が論者として,自分は怒る筋合いではないがキリスト者は怒るかも知れない,などと論じられるのは,キリスト者を莫迦にしている,と謂っているのです。怒るなら自分で怒ります。

自分の議論の結論に他人の感情を巻きこまないで頂きたい。まして,自分のですらない感情論を持ちだすことは,論者として相手に失礼でしょう。

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原罪と死

2004.02.21

原罪と言ふのは、アダムの犯した罪で、智慧の實を食べた事――即ち、理非を辨別できるやうになつた事を言ふのだけれども、人の死と關係あるのかなー。

いやね,生まれこれなかった我が子について,酒に溺れながら考えてることなので,あまり一般的な原罪についての考察とは違うかも知れないです。

まぁ,自分の精神状態も普通じゃないのを自覚しているので,妙な事を考えているだけかも知れない。

かなり他人にはどうでもいい話なので,深くはツッコまないでくださいまし。

余談。

あと、俺の知つてゐる日本のクリスチャンつて大概、プロテスタントか異端かなのだけれども、何故だらう? 俺はカトリックのファンなのだけれども。そんなにカトリックつて魅力がないですか。さうですか。

そもそも旧教という和名が悪い。宗教改革とは新しい善い宗教が旧い悪い宗教を打ち破ったこと,ってイメージをキリスト教に疎い日本人に植えつけている気がします。まぁ,歴史上の一時点において特定地域では,その解釈でも間違いではなかった刻があった気もしないでもないですが。

更に,かなりな余談。

プロテスタントって歴史的に設立事情などに高潔さを感じますし,存在意義が高かったと思います。世界が地中海周辺でしかなかった時代の世界宗教が本当の世界宗教になれたと謂う意味でも,宗教改革がカトリック教会の改革になったと謂う意味でも。

しかし,現在に於いて,プロテスタントに存在意義があるとは思えないンですよね。

闇の一部では異端信仰やら危うい新興宗教やらの温床になっているだけのような気もするし。まぁ,これはかなり穿った見方をしていますが。

私がカトリックといいつつ,ローマ法王に対して特段の敬意を持っているわけではないのでそう思うだけかも知れないけど,カトリックとプロテスタントって,フランチェスコ会とイエズス会程度の違いしかないのではないかと思ったり。まぁ,不遜ではありますが。

日本人カトリック者

2004.02.20

えっと,別にどうでもいいことと謂えばどうでもいいことなんだけど,微妙に攻撃的になっているせいか気になったので。NaokiTakahashiの日記の2004-02-19の■ 最後に同意しておこう。より。

絶対者の観念についての話にも,とりあえず俺は反論するつもりはない。ここで怒るとしたら日本人キリスト教徒であって,俺ではない。

野嵜さんのキリスト教にGodと云ふ絶對者がゐて,日本人に絶對者の觀念がない事という意見なんてのは,日本人キリスト者なら十分に自覚していることだと思うので,別に怒ることなんてない。怒るとしたら日本人キリスト教徒なんて物言いのほうがよほど腹が立つが。まぁ人によっても違うかもしれないので,野嵜さんの意見に怒る人もいるかも知れないけど,そんなに高橋氏はキリスト者のことを理解してるのだろうか。

自分はキリスト者としても考え方が異端な方なので,自分の親のことでも敬虔なカトリック信者を理解できない部分がある。けれども,それでもこれまでキリスト者として生活してきて,欧米の信者や神父と接してきて,根本的な部分で日本人と欧米人ではカトリック者として違いがある,くらいのことは理解できる。それでも,否,それだからこそ信仰することが大事なのだと思っている。

宗教論争とか,思想的論争とかをするのはかまわないが,その結論づけでキリスト者の感情を持ちだされるのは不本意極まる,というのが一キリスト者の意見。

ちなみに,野嵜さんの意見に対して一つだけ。ちとピントはずれかも知れないけど。

確かに,日本人であるが故に日本人キリスト者は,人には原罪がある,なんてことを理解はしても実感できていないとは思うのです。でも,近い身内の死に直面する場面では,日本人といえども原罪なんてことを色々と考えてしまう。日常からそういう意識がある訳ではないけれども,宗教を意識しないではいられない状態でなら,判る気もします。

まぁ,キリスト者なら誰でもそうだとは謂わないけれど,少なくとも私は。

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GNO2

2004.02.09

季節がら蔓延するインフルエンザに娘がやられて,病院につれてったら私が二次被害にあったりして,非常に苦しい状況だったりする。

そんな状態でもGNOはやっている訳だが,先月末にニュースが発表されていた。GNOの続編が出るらしい。

まぁ,そのうちそういうものは出すだろうと思っていたので,それ自体は大して驚かないけど,色々と由々しき事態ではある。

とりあえず,GNOからの引き継ぎで勲章を持っていけるだとか,機体をカスタマイズ出来るだとか,メッセンジャー機能搭載だとか,そんな発表はされているが,最大の問題は戦闘グラフィックが3Dになること。

現在のGNOの動作環境は,OS:Windows98/ME/2000/XP,CPU:Pentium 400MHz以上って事になっているけど,実際はPentium 200MHzでも動く。それのおかげで私の旧式ノートPCでもなんとかやることができる訳だし,メインで使っているCerelon 500MHzでもプレイできる訳だ。

ところが,グラフィックを3Dにすることで,当然ながら標準環境も推奨環境もレベルアップされてしまう。

正直,これから第二子が生まれようってときに,PCなんか新調できる訳ないしなぁ。Webサイト鑑賞を全然やらないくらいに嵌まってるのに,PC環境の所為で止めなきゃいけないとかだと辛いなぁ。

まぁ,正直,いくらGNOとはいえ,第二子誕生後はやっている暇ないかも,なんだけどさ。

それにしても,どうして今になってPC環境の引き上げをするかなぁ。まぁ,プレイヤーが使っている回線の状況の方が,利用されているPC性能の現状よりも劣悪なんで,ダウンロードデータ量を下げたいとか,新規プレイヤー獲得の為に,新しい環境を提供したいとか,色々と思惑はあるのだろうけど。でも,GNOの良いところは,放置してても出来ることと,PC低性能でもプレイ可能なことだったのに。

これからは,うちのPCで出来るゲームは戦国史くらいになっちゃうのかなぁ。寂しいなぁ。戦国史はシナリオ弄くるのに時間がかかるから,あんまり出来ないンだよなぁ。

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