ねこめしにっき(2006年2月)

2006年2月28日

オカルトには屈しない! (2006/02/28 - 01:53)

姓名判断がどーのとか画数が最凶で云々とか、そんな反証不能のオカルト理論ごときに、今更ぼく(と妻たん)の決定が左右されることなぞ、断じてありえない!善かれと選んだ命名、そこに込めた意思やら願いやらのコアな部分を、オカルト理論になんかにいじくられて、多かれ少なかれ曲げてしまうなどというのは、末代までの恥でわないのか!というかもし、ぼく自身の名前がそうやって他人やオカルトの意見に左右されて決められていたとすれば、それがすでに許せんところだ!

とか何とか、ぼくの実母(@名古屋)と昨晩電話で一時間半ちかくバトルった。もちろんオカルト理論なぞは完全無視して、今日、予定通りの名前で出生届を出したわけですが。蛇足すると、ぼくの名前自体はオカルトに左右されていないらしーんだなコレが。日頃から「アンタは一画足らんかった」とか母に言われて育ちまして候。一体なんなんだ。

ちなみにゆきなたん(誰)は、名前 (given name) 部分の画数だけ数えると確かに最凶らしい。…のだが、苗字と名前の文字数が違う場合は謎の確変が発生するらしく、名前に一画のリベートを追加するという根拠不明の謎操作を行う必要があるらしく。そーすると何の事も無い、穏当な画数になっちゃうという。さすがオカルト理論。各所バータリーテイスト漂いまくる。まぁこれとて「バータリーなんぞではなく、かくかくしかじか、ちゃんと理由が云々」とか、これもまたすばらしき反証不能な謎理論で説明できる事になっているのだろうけどさ。

ああもちろん、子や孫の幸せを願う想いは正義であるので、姓名判断とか画数とかの良い(とされている)名前を選んでやりたいとする向きも間違っちゃいない。しかし自分は、そういう想いを、よくわからん謎のオカルト理論にすがってまで補強する必然性を感じない、という話。

唐突ですが膜やぶられました (2006/02/28 - 01:10)

でまぁ、お産に際し何もできないのが男子のこの世の定めとはいいますが、それでも一応、伝書鳩のごとくあっちこっちへ紙キレを多数運搬する用事があったりするわけです。そうやって病院内をマスク無しであちこち駆けずり回ったせいかしらんが、わりとキョーレツな風邪を拾ってしまったのでした。この週末はそのせいでほぼ死んでた次第ですが、なんか左耳の聴こえもよろしくなく、近所の耳鼻科逝って訴えたらば、中耳炎なんですってよ中耳炎。中耳炎になるなんて小学校中学年以来の話ですよ。病院で貰った中耳炎パンフ(?)にも「中耳炎なんぞ小学生ぐらいしか罹患しねーし」みたいな書かれ様をされてて、ちとウトゥ入った。

ともかく、鼓膜の向こう側に謎の液体が溜まって、そのせいで聴こえが宜しく無くなっているてな具合。でその治療法はといえばモチロン、固く張りつめたその膜をですね、こう、固く細い棒でもって、刺し、貫き、こじあけ、人肌の温もりの濁液をここぞとばかりにですよ、ぶびゅるるる!っと……吸引するわけですよ。この、膜を破られる痛み、そして固く細い棒に蹂躙される痛み、ああたしかに遥か昔に覚えのある、甘酸っぱい痛みだなぁと。謎のノスタルジーを感じたりもした。

なお、鼓膜はどこぞの膜とは違って、2 〜 3 日で復活するらしいのだけど、もうすでにその 2 〜 3 日が過ぎつつある昨今、左耳はいまだ耳栓をしたままみたいな感覚のママだったり。自分の声だけが骨伝導でやたら聞こえるくせに、周囲の音は聴きづらい。よって人としゃべるのはちょいと難儀な状態なっております。

唐突ですが産まれました (3) (2006/02/28 - 00:48)

ええと、ゆきなたん(誰)生誕にかんして、多数の励ましや祝福のおたよりをありがとうございます!ミナサマのオカゲサマで今のところ順調な感じで育っています。産まれたすぐ後のしばらくは体内の余剰水分が抜けていく関係上、体重が出生直後よりもいくぶん減るらしいのですが、そのおかげで現在 520g になっちゃってます(笑)。そんなこんなで、保育器の中で元気にモガモガ暴れたり、乳飲んだり、糞尿出したりしつつ、人間としての生活をじょじょに開始しているようです。

2006年2月21日

唐突ですが産まれました (2) (2006/02/21 - 01:15)

や、何とも反応しずらい話であろうと思う今日この頃ですが、ともあれメデタイ事には変わりないはずなので、存分に祝福してくれていいのよ?(何様)というか、イキナシ想定外に現世へ放りだされて戸惑っているゆきなたん(誰)に、はげましのおたよりを!

2006年2月20日

唐突ですが産まれました (2006/02/20 - 23:05)

唐突ですが本日、女児が産まれました。妊娠 26 週、たった 593 g の超低出生体重児(いわゆる超未熟児)として。ちなみに予定日は 5 月末だったりしてましたが、そんなものはとうに形骸となって久しかった。

実は妻たん、今月のアタマから二度目の入院をしてまして。もともと高血圧気味(高血圧合併妊娠)で、その影響により胎児の発育も一週間遅れで推移してきていた。一度目の入院はその高血圧の是正というか管理入院だった。その入院は年末までに解放され、以後は自宅静養しつつ検診に通っていた。その日は二週間ぶりの定期検診だったのだが、そのとき前回検診時からほとんどまるで育ってない事が発覚。つまりその時点で実に三週間遅れ(高度子宮内胎児発育遅延)。これにはさすがに病院の中のひとたちは恐れおののき、そのまま都内の某デカイ病院へ救急車で拉致られ、以後ずっと入院、という展開。

入院時点で 24 週、んでたった 400 g 強。この状況ではさすがに胎児を取り出しても生存できる可能性も実例もほとんど無いらしく、胎内環境がさらに悪化方向にある事は分かっているものの、せめてあと二週間の時間を稼ぎ、そして体重も 500 g 台に乗せるべく、(妻が)奮闘することに。それがとりあえずの最初の壁。そして二週間後の先週末、その目標をどうにかクリア。しかし予想通り胎内環境はもはや限界状況。へその緒の血流が無くなりつつ。この段に至り、このまま胎内に残すよりも取り出す方が益が多いという判断が下り、 26 週で帝王切開にて出産する事に。ここでの技術的な壁は、わずか 500 g の胎児を生きたまま取り出す事らしかったが、手練のスタッフの皆様の妙技により、今日、それも乗り越えた。

じゅんたそ(誰)と犬ねさん(誰)のはるか後方を 3 ヶ月の周回遅れで回っていたはずが、いきなり追いつく事になったこのワープ航法の結果、ハッキシ言って、生物として各所ぜんぜん半人前。自発呼吸なぞできぬとか。ものものしく電子機器に囲まれた完全隔離の新生児集中治療室で保育器越しに改めて対面したのだけど、オカルトめいた表現をすれば、魂が現世に定着しきっとらん儚い存在に見えた。ここから一人前の赤ちゃん星人となって退院できる約半年後まで、たくさんの生存上の壁や出来事を乗り越えていく必要があります。このケースにおいてその段まで生存できる統計上の確率は、ぶっちゃけ、6 〜 8 割だという話。(未熟児医療に一日の長があるらしきこの某デカイ病院における統計)

ぼくわ男親だからってのもあるが、この期に及んで、まだ親になった実感が薄い。しかしそれは、フツーならば、産まれてすぐの我が子を抱くとかいう一大イベントがあるはずのところ、それは数ヶ月間は叶わぬ夢だったりする件もあるのか。ぼくも妻たんも、数ヶ月先まで抱くどころか、触れることさえできないの確定であって、それがどんどん辛いことになってくのだろうな。ものすごく小さい体に管や電線がいっぱい取り付けられた痛々しい姿に無力感漂いまくる辛さも同じく(あまりに痛々しいので、写真は撮ったもののここには載せませぬ)。この状況を、特に母親は自分を責めてしまいがちらしいので、ともあれぼくは妻たんをしっかり支えてやらねばならんし、当面出来る事はそもそもそれくらいしか無いのだなぁとか、いろいろなことを思った。

妻たん自身の手術(もちろん帝王切開という手術)自体は特段の難もなく無事終了したらしいのだが、疲労というか消耗がちと激しいようだった。あまり心配ないとは看護婦たんの弁ではあるが、心配ではある。ぼくにも、首の後ろ側をハデに切開手術した直後に相当疲弊して起きるどころか口もきけぬ、みたいな体験はあるのだが、腹と内臓をハデにかっさばいた場合の疲弊度は知らんから、何ともいえない。


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