こんぴたを使って絵をかくとゆーのはラクなんだけど、ラクじゃありませんね。という話。
ぼくもそうなんですがパソヲタベクトルももちあわせている人がヒジョーに多いのでありますからして、イラスト系サイトにはマシンスペック紹介ページを見かけることはおおいです。うちにもありますね。
で、なんだか麻〜痺〜の法則じゃないけど、なんとなくある傾向の存在を感じたり。
なぜだか、味わい濃い、うまい、魅力的なイラストを描ける人が使ってるましんて、スペックはたいしたことがないことが多いなぁと。そして、その逆もまた真なりっぽいかもみたいな。うーむむ。
(もし気に障った人がいたらすんません。きっとあなたのことじゃないです(汗))
こんぴたで絵を描く、というのは紙に描くのよりは一見すごくラクっぽく見えるのですが(やりなおしが効くし)、その実、同じようなソフト使って同じような機能を使っている以上、どんな超絶ワザであっても、方法とちょっとしたコツさえわかれば、誰にでも再現可能なのかも。手続きの再現というか。
たとえば、エロゲ塗り・ギャルゲー塗りといわれる塗り方(そゆのキライじゃないっすよ。どっちかてゆーと、好き)。たとえば、背景処理は著作権フリー画像を流用するとかテキトにフィルタ掛けておわりとか(ぼくはこればっか)。
つまり紙に描く絵は、手先の技術力が無いと表現したいことの実現さえおぼつかないのだけど、コンピタのお絵かきはその垣根をだいぶ低くしてくれます。
となると感性の方面がより重要になってくるわけですねー。感性の引きだしをどれだけ多く持ち合わせているか、が CG イラストではより一層求められるわけです。しかし、感性のひきだしは一朝一夕には増やせないし、歳くうたびに増える量が減るというー。で、引きだしが少ないボクみたいな奴はつまんない絵しか描けないというオチ(滝涙)。 ああそゆえばムカシから「イラスト」はニガテだったな…。
この法則ネタをとある知人に振ってみました。
彼いわく、画力とセンスの足らん分は、コンピタ使うことによって得られる「失敗のとりかえしが容易」「手順の完全な再現が可能」といった技術的恩恵を、強大なマシンパワーを背景にして補わなきゃしょうがない
、と。
そのとーりです。よく、「この絵どうしやう…」とか迷っちゃって、メニューバーからいろんなコマンドをプルダウンしてぞんざいにフィルタかけて右往左往してアンドゥして、の繰り返ししたりとかするし。そのイラストがもっとも魅力的に見える完成予想図が初めから頭に描かれていれば、こんなみっともないことはしないはずなのだけど。
なんとゆーか、超絶スペックでカイテキ環境を求めたいのはお絵描き人の性であります。しかし、いざ超絶スペックを手に入れたとき、それがムダな投資でなかったと自分を納得させよーと「とにかくコンピタに負荷のかかる作業をしよー」などという方向へもし向いてしまったら、なにをかいわんやですね。これまでは処理に時間のかかっていた「再現可能技術」をより多用してみたいという誘惑にかられるかもしれづ。マシンパワーのの実証のために。なんとゆーか、せっかく超絶スペックマシンを組んだんだから、この超絶ゲロ重リアル 3D ゲームでもインストしとくか、くそつまんないゲームだけど、みたいなのと同根の。
やっぱり、マシンパワーやコンピタの恩恵は作品の魅力向上のために使いたいですねー。とはいえ、どう使えば魅力向上になるかはやはり感性のモンダイなのでムツカシイところ。魅力的な絵が描けてる人はそもそも、マシンパワーがあろうが無かろうが魅力あふれるモノが描けるんすよね。非力なマシンだとただ処理にちょっと時間がかかるだけで。
月並みな言葉だけどやっぱし技術や道具は手段です。はぁー。ぼく的にはお金無しなしでしばらくは旧式マシン使い続けざるを得ないのでいいんだけど、もし最新鋭スペックなマシンをゲットしちゃったら「ええ?このスペックでこの程度の絵?」とかいわれたくないからプレッシャー感じざるを得ないかも。