あるヘタレ同人の主張 1999

誰に宛てて書いた、と言うわけでは無いです。徒然なるままに〜。

知っての通り(?)、

ワタクシありみかさとみはバリバリ〜のアニパロ系同人作家くんです。

よく言われることですが、アニパロ・ゲーパロなんて所詮、元になるアニメやゲームが無いと成り立ちません。自明ですねぃ。そんなことは重々承知でアリマス。だからといってパロディ作品を生み出すことへの汗や努力や理想や願望まで全否定されたり蔑まれたりするのはちょっとガマンできないなぁ〜〜、と。そう思うできごとがときどきあります。

そらまぁ世間一般的には「パロ=著作権侵害」って安直にくくられてしまうことがほとんどだし、特にエロパロに対する認識なんて覚醒剤と同レベルかもだろ〜けど。しかし、信じがたいことに同人界内部からでも(しかも割とパロディ系が好きな人たちの間からも)こーいう「パロディ故の過小評価や冷淡な意見」てのにときどき出会うのです…。うみゅぅ、同人界に属してパロ本を支持する人までもそれではイケナイと思うんですけどぉぉぉ…。

全てのパロディ作品が

人様のフンドシのみの力でやってるわけではない。そうですよね。

同人的にどのパロディが偉くてどれが蔑まれるかっていうと、やっぱしどれもアリ、なんスよね。コピー機じゃ無いんから何らかの美的/思想的信念が介在しうるわけで、そのバラエチーにとんだ蜜の味を吟味できる人だからパロディ同人誌をたしなむことができるわけですねぃ。

つまり〜、元作品や元絵への依存度が貴賤を分けるのではなく、あくまで蜜の味が自分に合うかどうかが善し悪しを決めるのでアリマス、よねぃ。

元に忠実かつ上乗せがある物もよし、アレンジ度強いのもよし。

ただヤってるだけの本もよし、ストーリー性があるのもよし。

ヘタでも良い、巧いのは当然良い。すべて存在してよし。欲しいかどうかは別。

(なんか釈迦に説法モードだぁ、困ったぞ〜…)

もちアニメ原画から線を起こして色塗ったりトーン貼ったりしただけの物は完璧アウトなりね。そりはコピー機のかわりに手作業で複製しただけだもん。判断基準はチョサクケンが云々、ではなく「蜜の味がしないもん。」や「手動複製マッシ〜〜ンに成り下がってどーする」でアリマス。

(いや…自分にも手動複製マシ〜ンになった前科が無いわけでは無いッス…(汁))

こりは世間一般の通念や、もちろん世知辛いチョサクケンの条文からしたら、「なに甘っちょろいドリィム語ってんだぉ」(しかもエロ本ならエロのくせにってゆー差別文句まで付く)てなことになりますが〜、やぱし同人界に身を置いてるならば、いまある多様性を消そうとする意見に組みするのはよろしくないよーな。

たとえば「パロディに対するガイドラインを版権元は決めて欲しい」って意見とか。

そゆのって上から決められて従うものなのかいな? とか思っちゃうわけですよ。そらまー現実的にはそのガイドラインを越えてナニをアレしたら訴えられるカモしれなくてヤバげだけど。しかし、世知辛い著作権法によると、二次著作物によって著作人格権を侵害されたかどうかは客観的判断(←当事者の主観では無い)で決められる、となってるらし〜し。

(ま、エロだと当然のように旗色がめちゃくちゃ悪いんだろけど…。同人ってだけで旗色悪いけど。)

しかしなんでそんな、

みずから「囲いを作って欲しい」と申し出てしまうんだろう…。

判断は自らの肌で感じて良心にもとずいて下すべきではないのかな。判断を他に依存する姿勢は、この集団の無能を外部に対して証明してしまうんじゃないのかなぁ…。ガイドラインって、耳に柔らかい語感だけど、著作人格権を必要以上に主張することも考えられるし結局は暗黙の表現狩りなってしまうだろうから、ガイドラインなんか決められてはいけないのだと思うッス。

他には、コミケットはじめ、まんが同人誌即売会イベントでも主催者が一括して版権を処理するようにすれば? とも言われますな。(ワンフェス方式だっけ?)

でも結局、管理してもらうやらガイドラインを決めてもらう、とかって要するに統制主義なんだぉね。考えるのがめんどくさいから、とにかく無難だから縛っちゃえ、ってゆー。

逆に、コミケットは元来「自律主義」というか「自己判断主義」でやってきたわけじゃないですか。(こりは米沢ダイヒョーの考えの影響が大きいんだろうけど。 あと、準備会にとって体のいい無責任主義じゃないかって意見もありますな。)

たとえばスタッフ以外が開場前閉会後の設営撤収を手伝うのは勝手だ、とか(いちおうワイセツ物チェックはあるけど) 出し物の内容そのものへはまったくの不干渉、行列が出来ちゃったら整理する義務があるのはサークル自身 (必ずしもスタッフが手伝ってくれるワケでは無い) とか、そのほかイロイロなところに表れてるですね。んだから、そのへん考えても統制主義はまんが同人方面には似合わないと思うのだぉ。

何度も繰り返しちゃうけど世の中一般的に、統制主義は多様性を消し自己判断ができない大衆を育てます。

(ワンフェス方式は、あれはあれで良いっす。でも同人誌とは事情がちがう。事務手続きの量とか、すべてを把握しきれるのか、とかの物理的側面とフィギュアは二次元の絵を立体物に再構成(複製)したもの、って意味合いがある(らしい(←伝聞)))

恥ずかしげもなくドリィム語りますが…。

パロディは根元的にはFan活動の一環なワケだから、やぱし愛情と良心が無いとだめなのよねー、と常日頃思ってる次第なのです。はい。

愛情が無いパロは攻撃の口実を与えるなりん。良心があるならあまりに「売らんかな」なパロ本は出せないハズなりん。

でもま、エロパロにおいては、何も和姦エロを描くだけが愛情じゃ無いのは誰もがご承知のハズ、しかし世間では通用しない、というか理解されないんだぉね…。それに良心良心て言ったって、どっかのゲーム会社(複数形)やどっかのロボット系が得意なアニメ製作会社(笑)ならテッテー的に潰しにくるかもしれない。(爆) 

(「同人を理解してない」 これはこないだときメモエロパロで捕まったヤツの言葉だけど、これは「同人の良心」を理解しない、のイミだと取れるよねん。ただエロパロビデオの人が言ったから価値が無いみたいになっちゃったし、まぁ「売らんかな」でエロパロびでお作ってたんだろ?的な印象を受けたのも事実。たいがいの人はそう思ったっしょ。(←決めつけすんな) んでもしかし、良心のあるなしは自分にしか分からないのだ…。ということは誰でもああなる可能性はあるのだな〜…。)

このギャップをどうするのか…。理解してもらう方向でなんらかの動きをするのか、見えないところで細々とやるしかないのか…。閉塞閉塞閉塞閉塞。

結局、いくら愛情がどーだ、パロの蜜の味がどーだと言ったところで、究極的に言い放っちゃうと世間の側でこっちを押さえつけようとする人々ってのは、自分では何も生み出さない人々なんだぉね。産みの苦しみを知らん人々があーだこーだケチつけてるワケ。非っ常〜〜にフユカイなり。頭バーコードジジィやヒステリックババァのブンザイで。SHIT!! (あら下品…)

コミケ会場の中でも「ヤるだけまんがに産みの苦しみがあるんか?」とか、「売れ線のアニメやゲームのパロ本だけ出してれば、売れるのなんてカンタンじゃん」とかの言い方をよく聞くけど、じゃぁあなた様は、人々を魅了して長蛇の行列を作らせ金を出させるほどのヤるだけマンガが描ける? 飛ぶように本が売れる人気サークルになれる? 出来ないでしょ? ワタクシには出来ませんでした。(過去形かい!(爆))

…現実はこ○っくパー○ィみたく甘くは無いッス。自分に出来ないことができる人はリスペクトすべき。妙な虚無感とか訳知り顔モードで価値を否定してほしくない。ああ、これは単なる余談だったな〜。

Σ( ̄◇ ̄; はうッッ

…書きたいことを何も考えずに書いてたら何がなんだか分からなくなっちゃった。(爆) あいかわらず文章ヘタです。いつまでたっても上手くなりませぬー。スマンです。

つまり、

かな?(爆)

やっぱり、同人はインディーズなり。アンダーグラウンドなり。大きすぎるアングラ文化は一般ピープルを不安にさせる。反動が起こる。ああ、結局は規模の大きさが諸悪の根元なのかも知れない、ってハナシになっちゃうよぅ(;_;) だれか助けて(;____;)


Copyright © 1998-2006 ALIMIKA SATOMI/NYAN-NYAN-HANTEN.Created: 1999/10/05, Last-modified: 1999/10/05