怪傑チャチャずきん

おもいで。

我がサークルの記念すべき一冊目の同人誌です。この稚拙な本を胸にしっかと握りしめ、波高き同人誌界の大海原に出航したのでゴザイマスよ。

当時、娘娘飯店は「サークルちくたくぼん」と名乗っていたのです。その後のサークル名の変遷については「サークル「娘娘飯店」とは」を参照して下さいませ。

この頃のサークル活動は、今とは全然違う形を取ってました。カンタンにいうと、「ありみかさとみの個人サークルでは無かった」のであります。つまり〜、私の他にレギュラーメンバーのいる、本当の意味でのサークル、だったわけデス。大学の同級生で親しかったヤツらのうち、アニメとかが大好きだったオタク仲間を、同人誌サークルを始めよう!とか言って半ば強引に巻き込んで誘ったのが始まりです。

ボクらはこの本を出すよりもっと前から、仲間内に配布して楽しむためにコピーの本を作ったりしてました。それは、まんがだけじゃなくって、謎な文章とか、妙な企画ページとか、怪しい対談とかの何でもあり本だったです。(ちなみに、僕たちは漫研に入ってたワケではありません)

その中では、親友であるところの「みかわのあにき」とか「ぺーちゃん」がヘンテコリンな(笑)アニパロ系まんがを描き、「チェルノブ」が不気味でシュールな(だよなぁあれって>ちぇる)4コマ等で怪しい才能を発揮し、「加藤るち」くんはこの頃から笑い関係全般をこなしていて、たのしくやってたですよ。リーダーに「みかわのあにき」氏を立てて、「アニーソフト」と名乗っていたなぁ。

当時、絵も何も描けなかった私も、必死で絵の練習をして、まんがを手探りで描いて、その輪の中に加わって楽しくやっていたものです。あのころが懐かしいね…みんなぁ(涙目)

そうこうしてるウチに私は、だんだん本格的に「同人誌」を作りたくなってきちゃったのデス。仲間内に配布するだけの内向きの本もいいけど、不特定多数の読者を相手にまんがを描きたくなったんです。やるからには同人サークルの形を取り、オフセット印刷の本を作り、コミケットにサークル参加したい、と。

幸い一年間の練習の結果、自分の絵とまんがは同人界にデビューしてもやっていけるレベルだと感じてたので(今から思うに笑止千万のとんでもない思い上がりですが、当時はホンキでそう思ってました。井の中のさとみちゃんだったですね。ぶっちゃけすぎだなぁココのページ…)、上記のように強引に彼らを誘って「サークルちくたくぼん」を名乗ったわけです。

でまぁ、二冊三冊と同人誌を作っていき、地元の即売会でサークルとしての心得を学び、コミケットにもサークル参加できました(初めての申しこみでこれは幸運だったなぁ…)

(このころ「アニーソフト」は、同人ソフトの即売会「パソケット」等に参加したりもしてました。出し物は誰もが楽しめるシュールで謎なソフト等だった。エロCGを出すサークルではなかったです。そっちに私はあんまり関わらなかったのが幸いした?)

ココまでは順調だったのだが…。実のところ本の方針から何から全て私が独断で決めていたのですが、もともと私以外のメンツは半ば強引に引き込んだワケでして、それではあんまりにもあんまりだと申し訳なくなったのです。…というと聞こえがイイが、結局は自分だけでどこまでやれるか試したかったんでしょうね(どっちにしろひどいヤツだ)。で、なし崩し的に「サークルちくたくぼん」を自分の個人サークルにしてしまったのです。

そして現在に至るというわけです。

その後、「みかわのあにき」と「加藤るち」と「ぺーちゃん」の3人は、新生(?)「アニーソフト」を結成してコミケット毎に同人誌を出してます。

総論すると、「昔は楽しかったなぁ」ですかねぇ。今みたいにまんが製作でいろいろ悩んだりする事もなかったし、プレッシャーもなかったし、将来の不安もなかった(当時はまさか同人にのめり込みすぎて大学を中退するハメになるとは想像もつかなかった)。……書いてて涙目になってきた…

ああ、本の内容については何も書いてないや…でも今胸いっぱいになってて何も書けない…。年取ると涙もろくなっちまってだめだ……


Copyright © 1998-2006 ALIMIKA SATOMI/NYAN-NYAN-HANTEN.Created: 1998/03/18, Last-modified: 1998/03/18