さて、まだ、準備編が書けていませんが、それはおいおい書くつもり。
忘れないうちにね。

シャルビルのフェス。行ったのは今回が初めてです。
その経験だけでもちろんすべては語れないけれど、
その体験した範囲で。

フランスの劇団が中心。ヨーロッパの各地からは、かなりいろいろな劇団や、大道芸、
人形売り、などが来ている。世界からも来ているけれど、それはどういう選択か分からない。
USAが一つも無かったのは偶然か、意図的か・・・

フランスのモノは待たせる。開場時間がない。
よく散らかす。
ドラマというより、詩の世界のようなものが多い気がする。
ともかく、みんなやりたい事をやっている感じがする。
人形美術の個性は強いものが多い。

路上パフォーマンスが多い。
しかも、その多様性がすごい。

人形が人形のものより、
手であったり、簡単な手袋とか、そういう人形のものが多かった。
人形があっても、数の少ないモノの方が多いかな。主人公だけとか・・。
イギリスのものだけが少し違って、一番日本に多い人形劇のタイプに近い気がした。
ただ、これは、ココに来ている作品という特殊性があるかもしれない。
大きな作品は海外公演はしにくいからな・・・

日本の人形劇のレベルというのは、
やはりかなり高いような気がする。
全体・技術・美術どれをとっても、そんなにひけをとってはいないだろう。
けれど、芸術として、表現として、自分の世界を創り出すパワー
といったものに関しては、日本の方が低い気がする。
ヨーロッパの人の方がやりたい事をやっている気がする。
それは、それを支える社会のあり方からして違うのだろう。
つまり、電車の中で唄うおじさんのパオーマンスとか、
駅の構内で楽器演奏して、CDを売っている楽団。
キノコの仮装が店のものを叩いても許してしまうような。

それは、街並み一つのあり方からしてそう思う。
良いものを大切にする。当たり前の事がちゃんと残っている。
多様性を認める。労働者の権利がしっかりしている。客に合わせない。
その事が少しずつヨーロッパを苦しめている面もあるのだろうけど。

挨拶っていう文化をなぜ日本は失いかけているのだろう?
20年程前にアメリカに行った時も思った。
エレベーターに乗り合わせた人が、見知らぬ人が挨拶し合っていた。
フランスでは、店でもスーパーでも、客だって入ってきたらボンジュー
と声をかけるのが当たり前。
もともとそういう挨拶は好きなので二週間いて、
ボンジュー
はかなり身に付いた。
日本に帰ってきて、入国審査の係官に
???
ええっと、なんて言えばいいんだ?
こんにちは、
では変やな、日本では。
お願いします。??
ボンジューと声をかけるのとは随分意味が違う。
どうも。?

人形劇に話を戻そう。
人形劇っていうのは、本来多様なものだと思う。
大きさも、造形も、人形であって、表現するものは人形劇なのだから、
けれど、日本の人形劇はそういう意味では世界が狭すぎる。
同じようなところでやっている劇団が多い。
うーん、そんな中では確かにどんどろさんは異色だし、
平常くんは面白い世界を作っているなあ。
もっともっといろいろな表現をする人が出てきて欲しいが、
その人たちが人形劇で暮らせる社会であるか、
そこは問題。

とらまるの学生達に会ったけれど、
既成の劇団のような作品を作るのであれば、
わざわざ専門の学校に集まって勉強する事はないだろう。
もっと広い人形劇の世界を目指して欲しい。小さくまとまらないで欲しいな。

シャルルビル・メジエール、
人多い。フェスの期間は。韓国らしき人や、ベトナムの人、
いろいろな人が来ている。けれど、この多くが人形劇に関わっている人なんだ。
多い〜〜〜〜〜。
こんなに沢山、人形劇関係者が。
変な人がいっぱいなんだー!
だから、楽しいよ。
また、行きたいよね。上演したいよね。

3年後、目指してみる?
(市は2年に1回にしたい意向があるらしい)

次―準備編