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Macintoshの灯を消すな!

[第3回]

Mac OS と Mac OS X
その決定的な差

2000年11月11日
Yoshiki(DreamField)

前回の補足でも書きましたが、ついにPublic Beta日本語版を買えました。このパッケージの裏に、面白いことが書いてあります。

「あなたの力が必要です。Mac OS Xを先進的で直感的なオペレーティングシステムにするために。そう、世界で最高の。」

・・・あのぉ。Macから「先進的で直感的」な部分を削ったのが、今のMac OS Xなんですけど。私は、あえて「直感的」な部分を捨てて、「webのような操作性」を取り入れようとしているのだと思っていました。だから、このコピーは意外です。ひょっとするとApple社では、今のMac OS XのGUIが何なのか、まるで理解していないのかもしれません。いや、理解した上でこれが直感的だと思い込んでいるのか。

Mac OS XのGUIの方が新しく、Mac OSは古いものと言う論調も良く見ます。この辺りにも、私は異論があります。そこで、今回は予定を変更して、Mac OSとMac OS Xの、FinderのGUIから見た決定的な差を論じたいと思います(第一回では、まだPublic Betaが出ていなかったので、Mac OSは何故使いやすいか?と言う観点からしか話をしていませんでした。今回はMac OS XのGUIの本質にも焦点を当てます。)。

#第一回だけは、必ず読んでくださいね。それを読んでいることを前提に書きますから。

Mac OS XのFinderは覗き窓です。では、この覗き窓GUIのルーツは何なのでしょうか?覗き窓の特長は、常に今見えている所は、原則としてある一点であると言うことです。様々な工夫によって、そうではない場合もありますが、ある一点を土台に、そこを中心に考えると言う所は変わっていません。そして、その一点をくるくると変えることができます。いや、くるくると変えると言うのは、Macユーザーの観点でしたね。そうではなく、枝に沿って移動し、その土台を、現在位置を変えることができます。これって、どこかで見たことがありませんか?プログラマの方だったら、ピンと来たんじゃないかと思います。そう。これはコマンドライン時代のカレントディレクトリなのです。つまり、覗き窓GUIと言うのは、コマンドライン時代のカレントディレクトリをルーツに、これを発展させたものです(もしくは、GUIを被せたもの。)。カレントディレクトリを土台とする、線の文化と言って良いのではないかと思います。

一方、Mac OSには、元々そんな過去のしがらみはありませんでしたから、最初からGUI在りきで画面全体を使うことを前提に設計されました。画面全体を空間とし、その空間を全て自分のものとして使い切るべく、そこに実際に物があるかのごとく配置したのです。土台は現在地(カレントディレクトリ)ではなく、位置不変のデスクトップです。そして、目の前に常に全てのものが存在しています。これは、デスクトップを土台とした、面の文化と言って良いと思います。

このように、両者はそのルーツそのものが違うものです。片方が片方の発展型ではありません。従って、Mac OSのGUIを古いものとする考え方は間違いです。むしろ、過去のしがらみがなく、最初からGUIを前提として設計されたMacの方が、私には先進的に見えてしまいます。

さて、このようにまったく違うルーツの元、設計されたGUIですから、当然ユーザのファイル管理に対する感覚も違ってきます。覗き窓GUIは、ツリー構造を強く意識します。今どこにいるのか、ここはどんな場所なのか、現在地を点で把握し、そこを中心に物を考えます。分類は、ツリーの枝で行いますから、場所そのものに意味があります。従いまして、ツリー構造の全体像をあらかじめ把握しておくことが必要です。しかも、目の前に見えている場所は一点ですから、頭の中で全体像を思い描けないといけません(それが出来なければ、地図無しで慣れない土地に放り出されるようなものです。)。以上のように、ツリー構造は強く意識しますが、その反面、その枝に配置されたファイルがウィンドウ内でどの位置にあるのかは、あまり意識しません。何故なら、ツリー構造にそんなものは最初からありませんし、覗き窓GUIでは、開く度に目の前の空間における位置は変化してしまいますので、あまり意味が無いからです。ファイルは場所ではなく名前で判別します。だから、ファイル名は正確に覚えなければなりません。

一方、Macユーザは、画面全体を一つの空間として捉えています。土台はデスクトップです。高所から地面を眺めるように、全て目の前に存在するものとして感じています。もちろん、最初から全てが見えている分けではありませんが、開けばいつでも同じ場所に表れますし、見えないのは単に閉じているからであって、目の前に存在していないとは思っていません。このように、目の前に実際に空間があり、実際に物がそこにあるかのごとく感じられるのがMacです。このため、ファイルに対する感覚も随分違っています。例えば、現実の世界でハサミがどこにあるのか思い出してみて下さい。家によって違うでしょうが、例えば、四畳半の部屋の隅のタンスの上から2番目の引き出しの中の手前の箱の中、と言う具合に場所で覚えているでしょう?まさに、Macはそんな感じです。右下のフォルダーの中の右上辺りのフォルダーの中の上から3番目くらい。こんな風にだいたいの場所で記憶しています。だから、ファイル名なんて一々正確に覚えていません。つまり、現実に近く、人間にとって、より自然な形でファイルを管理できるのです。こんなことが出来るのも、常に同じ場所にウィンドウが出て(固定した場所と言う意味ではないですよ。以前自分が動かして開いた通りに出ると言うことです。)、同じ場所に物があるからです。

一度これを体験してしまうと、覗き窓GUIでは、物凄く縛られた感じがします。それは、凄く限定的な情報しか得られないからです。そして、ツリー構造に捕われないMacでは、臨機応変にフォルダーを作り、移動し、整理します(部屋の模様替えをするように。あるいは、机の中を整理するように。)。これは、本当に便利です(^^)。

さて、だからと言って、Macが完全かと言うと、全然そんなことはありません(^^;)。まだまだ改善しなければならない点はいっぱいあります。なんと、Macにも覗き窓は存在しているのです。それは、OpenやSaveのダイアログです。だから、あれって凄く使いにくいでしょう?

Openはまだ良いんですよね。ドラッグ&ドロップが使えますから、まず開くことがありません。時たまこれが効かないことがあって、その時は開きますが、目の前に開きたいファイルが見えているのに、覗き窓から探さなくてはならないなんて、本当、理不尽です。まぁ、これはイレギュラーなパターンですが、問題はSaveです。このダイアログは避けて通れません。目の前に保存したい場所が見えていることも多いのに、覗き窓から指定しなければならないなんて!全然、直感的じゃないですよね。私は、保存する時はFinderにドラッグ&ドロップして、もし指定しなければならないようなことがあるなら、その時点でダイアログが出るべきじゃないかと思うんですが、Apple社はFinderへのドラッグ&ドロップには、違う意味を持たせてしまいました。そして、OpenやSaveダイアログは、ナビゲーションサービスなんて、覗き窓GUI特有の改良をしちゃいました。覗き窓GUIの弱点は、一点しか見えないし、枝をたどることしかできないので、移動が面倒なこと。だから、登録した所に直接ジャンプできたり、移動を簡単にする工夫をするのです。これは、Mac OS XのFinderも同様ですね。でも、Mac OSだったら、覗き窓から離れて欲しかった。それこそが、Mac OSのGUIを進める、さらに先ってものじゃないですか。

最後は論点がちょっとずれちゃったかな?(^^;)まぁ、Mac OSとMac OS XのGUIは、ルーツそのものが違い、Mac OSの方が古いわけでもなんでもなく、むしろ最初からGUIを前提に考えられた、先進的でユニークな存在であることが分かっていただけたのではないかと思います。そして、現在のMac OSで不十分な点は、Mac OS Xとはまったく違う方向の、人間にとってより自然に感じられる拡張方法だって考えられるに違いないことも。

では、次回は予定していた通り、「Mac OS Xとつきあう賢い方法」をお送りします。そんなこと言っても、現実何も変わらなければ、これを使い続けるしかない。それなら、可能な限り快適に使いたい。前向きなんだか、後ろ向きなんだか(^^;)。私なりにPublic Betaを使い込んで得た、その結論です。

2000年11月11日
Yoshiki(DreamField)

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