2006年10月31日(火)
回檀 燕市高木
 必修科目の履修漏れに関して「うちには関係ないんだって」と高校に通っている長女。安心すると同時に「あんまり、進学には積極的な高校ではないのかな?」と心配する身勝手な親心。

 学校の必修科目の履修漏れいじめの問題が連日報道されています。このことは、単に学校、子どもたちの在り方を問うということに留まりません。 生まれたときは無条件で「生まれて来てくれてありがとう」と喜べたはずなのに、何時しか子どもたちにそれぞれの条件を付け、その条件を満足しなければ喜べなくなった大人達。そんな大人を含めた日本人全体のいのちへの関わりを問い直す問題でもあるのです。
2006年10月30日(月)
回檀 燕市高木地区
 法務多忙ということで、朝一番に伺ったお宅は7時半。恐縮しながら入っていくと、今日のおばあちゃんはディサービスに出発前の正装姿。「ばあちゃん。出かける前に御経に会われてよかったね。」と気を使ってのお嫁さん。  お嫁さんの優しい一言で、つい調子に乗った私は「そっか。ちょうどよかった。」   ^o^;  私の自己虫は朝から全開でありました。m(_ _)m

 穏やかな一日で絶好の回檀日より (*^_^*) 傘を使う必要がない日は車の乗り降りが助かります。 毎年10月末の高木地区の回檀は大抵は。こんな日は畑の収穫など、冬を迎える準備にもってこいの日よりですが、ずっと先の春を迎える準備にも最適なようです。
 来春咲くユリの球根を植えていた男性。子どもを寝かせるように、「春には元気に目覚めてくれよ」と言わんばかりの優しい仕草。 きっと来春には優しいユリの花が咲くことと思います。
2006年10月29日(日)
法事 弥彦村麓    上法事 分水桜町
 もうすぐ11月。寺ではそろそろ報恩講の準備が始まっています。21日に紹介した大根は樽の中でタクアンに変身中。お斎のお手伝いのお願いにも伺い始めました。 そして、報恩講の案内もほとんど完成しました。今週末までにはお届けできると思います。 今年の布教も花井性寛先生(新潟市 佛照寺住職)にお願いしました。
 本堂に2007年の真宗教団連合のカレンダーを本堂に置きましたので、ご参詣の折にはお持ち帰り下さい。(今日、ご参詣を頂いたSさんにお話をするのを忘れていました。後日、お持ちします。)
2006年10月28日(土)
法事 泊敦ヶ曽根
 東京の御門徒さんから新米を送っていただきました。
 9月の法要の際に「棚田オーナー制度」に入会されているとお聞きしていたのですが、その棚田の収穫が終わったということでご、苦労をされた貴重のお米の中から送っていただいたものです。日持ちをするようにということで玄米でいただきましたので、精米して来月の報恩講に使わせていただきます。ありがとうございました。
 新潟の穀倉地帯で育ち。しかもお米大好きを自負する私なのですが・・・・恥ずかしながら、玄米を見るのは初めてでした。 「これが玄米か〜(ё_ё)」 と感動の初対面でした。(o^v^o)
2006年10月27日(金)
 本県など全国の高校で世界史など必修科目の未履修が発覚しています。高校にとっては大学進学の実績を作りたい。学生にとっても受験に必要のない勉強はしたくない。と気持ちは十分に理解できるのですが・・・・・。
 必要のないもの、有用でないものとは関わりを持たない。大学受験だけの問題ではありません。
 天気の日は日没が遅く感じます・・・が、やっぱり確実に日没は遅くなっているようです。夏と違い、今の時期の夕日は毎回別々な雲とのコントラストを見せてくれます。
2006年10月25日(水)
内佛法要 燕市地蔵堂
 今日伺ったお宅は足に障害を持っておられる方のご家庭。日常の生活には自動車は欠かせないとのことでした。その自動車について、最近の自動車はドアとシートの間隔が広くなり乗り降りしにくい。T社の自動車はドア下のステップが高く乗り降りしにくいが、M社の自動車は低くて楽。などと、傷害があるが故に、健常者には気にならないことも不自由に思うことがあるとのこと。 特に、乗り降りの際はドアを全開にしないと乗り降りできないので、駐車場などで隣にぴったりと駐車されると乗れなくて、しばらく待つこともあるのだそうです。障害者専用の駐車スペースに平気で車を止める元気なおじさん、おばさんは問題外 (*`∧´)
 写真の四葉のクローバーマーク(身体障害者マーク)を見かけたら、ちょっとの優しさを心遣いものです。
2006年10月24日(火)
葬儀 燕市中島
 久しぶりのまとまった雨の一日でした。「雨はいい雨なんだろも・・・畑は大した仕事もないし・・・さぁむい(寒い)し・・・・」と夕方に伺った家のおばあちゃんは畑の様子を思いながらも浮かぬ顔。 明日は雨模様でも気温が上がるそうです。おばあちゃんの憂うつも少し晴れることと思います。そろそろ冬を意識し始める時期になりました。
 今日の葬儀は大正14年生まれの男性。ご親戚からは「歳としては・・・」の声が聞こえました。大正14年生まれといえば実家の元気?な両親と同世代。ドキッとすると同時に今日も 「当たり前」ということを考えさせられてしまいました。どこまで行っても 「当たり前」の根性は私から離れないようです。
2006年10月23日(月)
 交通事故に遭い、右肘(ひじ)・右股関節を骨折した、知人の御見舞いに県立吉田病院へ行ってきました。5日程前に行った時は右肘のリハビリが始まったばかり。右肘は思うように回らず、安静中に怪我をしていない左足の筋肉までも無くなり、片足だけでも立てなくなってしまったと (-_-;)
 今日行くと「これこれ」と車椅子を指さして(^O^)。 リハビリで右肘の曲がりが多くなり、左足の力も付いてきたので、1人で車椅子の乗り降りをして移動が出来るようになったとのことでした。「1人でトイレに行けるようになった。両手で顔が洗えるようになった。」\(^O^)/ 病室までエレベーターで上がって来たことが恥ずかしくなり、帰りはもちろん階段を使わせてもらいました。 また,
今日は中越地震から2年。 「当たり前」ということを考えさせられた一日でした。
 写真は病院の階段。写真を撮り終わって振り返ると看護婦さんが立っておられました。お忙しいのにお待たせして申し訳ございませんでした。m(_ _)m
2006年10月22日(日)
中陰法要 燕市中央通り5

 実りの秋は今盛ん。多くの果実が熟しています。果物好きにはたまらない季節のようです。ただ、人気があるのは八百屋さんの果物。「粒が小さいから誰も食べてくれない」と言いながらも庭の栗を拾うおじいさん。一生懸命拾われた栗はどうなったでしょうか?
 果物という呼び名にとっては実りがゴール。でも、果実という呼び名にとっては、熟してからからが本番。
 人間にとっては初老からが勝負? 今日は52回目の誕生日でした。 <(_ _)>
 注 もと初老は40歳の別称だったそうです。現在は60歳前後を指すということですので、50歳前後は初老の真っただ中ということのようです。f(^_^) 

2006年10月21日(土)
法事 燕市中島
 関西からご夫婦の来訪がありました。ご親戚のお悔やみと大蓮寺にあるご両親のお墓についての相談を兼ねた来県でした。 まだ、お話し聞き切れないことがあったような気がして・・・・・。今度、来られる時は付近の温泉に浸かるつもりでゆっくりとおいで下さい。お待ちしております。
 八百屋さんから報恩講に使う大根が届きました。報恩講の時にはたくあんとしてお斎に出させていただきます。もう一ヶ月足らずで報恩講。今年は当院(長男)も京都から手伝いに返って来るという事ですので、今年の内陣は少しだけにぎやかになることと思います。
2006年10月20日(金)
回檀 大川津地区    内佛法要 分水大武
 本堂の足場も撤去され、白壁塗り替え工事は終わっています。本堂の中から白壁の隙間越しに見えていた空も見えなくなり感動ものです。 (ё_ё)  来週からは本堂と庫裡(くり)の渡り廊下の白壁の工事が始まり、もうしばらくご不便をおかけしまします。m(_ _)m
 先週末からずっと月読経以外の予定も入っていて、毎日が日曜気分。(^_^; そろそろ、体が平日を欲しがっているようです。(^^ゞ  昨日の小学生から「普段はどんな仕事をしているのか」という質問がありました。 法事のあるとき以外は何をしているのか?ということだと思います。「月火水木金の週休5日ですから」と普段、私は冗談を言っていますが、本当は平日もけっこう忙しいんですよ。
2006年10月19日(木)
回檀 大川津地区

 燕市立分水北小学校二年生による地域探検隊有志の来訪がありました。寺院について、「見たいこと、聞きたいこと」の事前準備をしておられたようですが、私の方が事前準備不足でした。m(_ _)m ごめんなさい。
 大蓮寺の歴史に合わせて、子どもたち自身のいのちの歴史についても話をさせてもらいました。 「いのちは大切だ」ということ伝えたかったのですが、単純明快、解り切っている事だけにお伝えできたかどうか? でも、本当に、単純明快、解り切っている事なのでしょうか?

2006年10月17日(火)
中陰法要 新潟市内野
 快晴の一日。ネコも田んぼの真ん中で気持ちよくお昼寝(*^_^*) 。・・・・かと思いましたが、ホームレスのネコにとっては生きるための厳しい餌探しの最中の様でした。ワイルドニャンコにとって辛い季節が直ぐそこまで来ています。
 最近のNEWSでは里に現れるクマの報道が頻繁にあります。申し合わせたように頻繁に人里に出現する原因として「クマが人間を恐れなくなったという説」「クマにとって山と里の境界があいまいになり始めているという説」が挙げられていますが、どっちにしても餌の量、種類がが原因には違いありません。
 野生動物は、命懸けで見つけた餌でも、お腹がいっぱいになれば他の動物に分け与えます。人間はお腹がいっぱいでも冷蔵庫に次々に食べ物を詰め込みます。結局、不必要に詰め込んだ冷蔵庫の中身は日にちがたつと・・・・・・・。 「人間をお金と冷蔵庫がだめにした」と言われた方がいました。 
2006年10月16日(月)
回檀 寺泊地区
 どんどん日が短くなっています。一日の時間は同じでも、夜が長くなると損をしたような気がします。もっとも、読書好きの人にとっては、ゆっくり読書できるので徳をしたように感じるかも知れませんね。
 陽は隠れ始めると夕暮れの感傷など私に与える間もなく、一気に沈みきってしまいます。 日の出と共に明るく光り輝き、輝くだけ輝いて潔く沈んでいく太陽。そんな風にもしも生きることが出来たら・・・・。だから、人間にとって太陽は永遠のあこがれなのでしょう。
2006年10月15日(日)
法事 分水学校町
 今日は60年以上も大蓮寺の法務を支えてくれた役僧の文澄さん(写真右)の17回忌法要でした。 明治男の典型である勤勉でしかも頑固という方でいろいろと教えてもらいました。写真は何時頃のか分かりませんが・・・私もわかいなぁ。(ё_ё)
 文澄さんの家は大蓮寺の分家筋にあたるので、法要には気を使わない人ばかり。ついつい思い出話などでで話し込み、ゆっくりとさせていただいたお斎でした。 ごちそうさまでした。
 
 11日の日記「目ふんぐり」ですが・・・ふんぐりの語源はふぐりと教えてもらいました。ふぐりの意味は松かさともう一つあるようです。知りたい方は辞書でお調べ下さい。 (*^^*)  ちなみに「(大)犬ふぐり」という花があるんだそうです。
2006年10月14日(土)
法事 燕市高木    上法事 東京都在住
 今日の法事のお宅が四世代の同居。仕事などの関係で四人がそろって食事ということはほとんど無く、お斎の席では並んでみたとのことでした。四世代が並んだ姿は壮観。

 最近の日本人は人付き合いが苦手になっていると言われます。人の数だけ価値観は多様。 だから、多様の価値観の中での生活・行動は制約があるかもしれません。でも、多様な価値観を知り、その価値観を認めることは人生に広がりを作ることも事実。
 人の出会いはご縁によるものです。一期一会の心得をもって当たりたいものです。
2006年10月13日(金)
回檀 燕市野中才
   
 10月の中旬。晩秋を向かえる準備が進んでいる様です。
 自動販売機ではホットドリンクが販売され始めました。  薪ストーブを使っているお宅の裏には薪が山のように積まれています。 極めつけは庭の冬囲いまで始まっていたのです。
 秋晴れの一日。写真の素材だけは困ることのない一日でした。
2006年10月11日(水)
 畑の豆をそのままいただきました。「ゴマ和えがうんめぇいね(美味しい)」とのことでしたが・・夕食がうどんでしたので、天ぷらにして食べさせていただきました。「柔らかくて、うんめぇかったいね。」ごちそうさまでした。
 インゲンに似たこの豆をいっちょう豆ということでいただいたのですが、家ではいちょう豆でないかとの話? どちらにしても地区限定の名前のようです。
 昨日の眼科の続きです。右目の角膜(白目)は充血、マツゲが入っていたとのことです。右目の下まぶたは赤く腫れは・・・・真顔のお医者さん曰く「目ふんぐりですね。」 標準語で言えばものもらいということです。 目ふんぐりの語源はぐりぐりだったりして・・・ (#^.^#)。方言は想像力をかき立てます。
2006年10月10日(火)
 昨日から目の調子が悪かったのですが、今朝起きると・・・・・。右の下まぶたは赤く腫れ、右の角膜(白目)は充血(≧▽≦)。両目の眼帯では車の運転ができず、サングラスで御経いうわけにもいかず、仕方がないのでそのまま法務に出かけました。
 法務中に誰かが目のこと聞くのか?どちらの目の方に気づくのか? 年を重ねてだいぶ厚かましくなっておりますので、若い時には絶対に持てない密かな楽しみを持って法務に出かけたのですが・・・。結果は心配してくださったのは1人だけでした。 もっとも、目やにが付いていても「目やにが・・・」と言ってくれる人はあまりいませんからそんなもんなんでしょうね。
 ところで、目やに・鼻**・前のチャックなど言っていいものか、悪いものか迷うことが結構あります。 本当は教えてあげた方が親切とは分かっているのですが・・・・。お節介の私でも、やっぱりそれは言えませんね。
 写真は近所のイチョウの木です。そろそろギンナンも黄色になってきています。
2006年10月9日(月)
法事 新潟市升潟   中陰 分水旭町
 お勤め、学生の皆さんには申し訳ありませんが・・やっと、連休が終わりました。 今日の法要では、意図的に作られた三連休の是非についての話題が出ていました。三連休で都合のいい人、悪い人。 楽しい思い出が作れた子どもさん、その影で寂しい思いをする子どもさんが・・・。 様々な三連休だったと思います。
 本堂の壁の修復工事は、高いところばかりなので、左官さんも大変ですが順調に進んでいます。
2006年10月8日(日)
法事 燕市中島    法事 燕市中島   中陰 寺泊敦ヶ曽根
 昨年に引き続き「くがみ山酒呑童子行列」が行われました。雨が心配されましたが、国上寺様から酒呑童子神社までの2.3キロを鬼の面をかぶった570人の参加者が行列し、様々なイベントも同時に行われ盛況の内に終わったそうです。分水地区に残る酒呑童子伝説に由来した行事で、新生燕市の秋の観光の目玉にしたいとのことです。
 朝に伺ったお宅の孫さんが参加されるということで、空模様を心配されていました。「晴れたらいいですね」と言うと「ご院住様も行かれますか?」とのこと。「今日はちょっと(^^ゞ」 今日の予定では全く無理なのでした。
 写真は酒呑童子神社付近道のにぎわう駅の国上。お斎会場に行く途中で撮影しました。
2006年10月7日(土)
内佛法要 燕市南
 10月22日投票の燕市議会議員選挙ポスター掲示板の設置は始まっています。燕市合併後、初めての市会議員選挙。大きくて、マス目の多くなったポスター掲示板に合併したことを再認識させられます。一歩一歩新生燕市の骨格の形成が進んでいます。
 骨格形成が進んでいても、肉付けとなる市民意識がもう一歩。「気持ちは形からはいる」という事もありますので、少しずつ燕市民としての意識が出てくることと思います。・・・・・とは私のことでした。 (;^_^A 
2006年10月6日(金)
御講 燕市高木地区
 最近、道路脇でよく見かけるのが、「いちじく」の看板。 日本でしか見ることができないであろう無人の販売所です。 最近は休耕田でいちじくの栽培が盛んなのだそうです。
 子どもの頃には、どこの家にも数本は有ったいちじくなどの果樹はほとんど見かけなくなりました。
 昔は「手間をかけて、ゆっくり待って。嫌いなものでも出されたものは残さずに・・・。」 今は「手間をかけずに手っ取り早く。食べたいものを食べたい時にほんのちょっとだけ。」  だいぶ日本人の食生活が変わってきたようです。
 写真は2月に撮影したいちじくの木です。イチジクはザクロ・ブドウとならび、世界的に最も古い果樹の一なんだそうです。
2006年10月4日(水)
聞法会
 越後平野の治水の要の大河津(おおこうづ)可動堰(ぜき)が老朽化したため、新たな堰を造る工事の起工式が30日、燕市五千石の建設現場で行われました。大河津可動堰は信濃川河口から上流へ約50キロに位置し、ここを起点に旧寺泊町(長岡市)に注ぐ長さ10キロの分水路が、川のはんらん防止と田の水利、上水道整備の役割を果たしています。しかし、1931(昭和6)年の完成から70年以上を経て設備の腐食、ひび割れなどが目立つようになり、洪水に強い堰を410億円をかけて建造することになり大工事が始まっています。
 起工式では、篠田昭・新潟市長が「堰がなければ(新潟市は)ゼロメートル都市になる」と話したという。 私たちには確かな安心というものは無いのかもしれません。もしも、安心と思えるものがあったとしても、それは自分で作り出しているものでなく、何かが、誰かが支えている安心なんでしょう。
 今日の聞法会は教団連合10月の言葉
 「当たり前と思っていたことが 有り難いと気づかされる」

についてでした。
2006年10月3日(火)
 半月前まではうるさいほど鳴いていた鈴虫の雄はだいぶ死んでしまい、残りわずかな雄が時々哀れそうに鳴いています。代わりに、お腹の大きな雌がやたらに目立つ飼育箱のなってしまいました。 後、半月もすれば、雌も卵を産んで死んでしまいます。小さい飼育箱の中で一つの世代が終わり、新しい世代に繋がる最終段階を迎えています。
 自分の周りの小さないのちを見ていると、いのちって本当に不思議だと思う。でも、自分のいのちは不思議とは思わないで、当たり前だと思ってしまうのは・・・・なぜなんだろう?
2006年10月2日(月)
 五月に行われた本堂の傾きを直す修復工事に続いて、白壁の塗り替え工事が始まりました。高い場所なので足場を作っての工事になります。ご迷惑をかけることがあるかと思います。ご了承下さい。

 かんなの削り華の薄さを競う「削ろう会三条大会」が30日1日の両日、海外参加を含む500人以上が参加し行われました。
 報道によると、最高賞の県知事賞に輝いたのは、燕市新堀 沖野工務店(社長 沖野幸平さん)の棟梁 沖野昌男さんだったそうです。 沖野棟梁さんには、5月の本堂工事の時に来て頂いておりました。 築80年余の本堂ですので、これからもお世話になります。よろしくお願いいたします。 大蓮寺にとってもGOOD NEWSでした。
  おめでとうございました。\(^O^)/
2006年10月1日(日)
法事 燕市八王寺   中陰 分水東学校町
 近所のお母さんは小屋の前で何やら一生懸命より分けをしています。聞くと神棚にあげる物で「たなかんぼう」というものなんだそうです。インターネットで調べてみたのですが??? 便利なインターネット検索も画像からの検索は無理なようです。でも、飛躍的進歩を遂げているインターネットですから、数年後には画像検索ができるようになるかもしれませんね。 専門外なのでどうでもいいことなのですが、ご存じの方は教えて下さい。
 「大蓮寺のホームページ」は今日で5年目に突入いたしました。 ご覧いただいてる皆さんありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。

 お知らせ
 気になっていたのは私だけかもしれませんが・・・・・昨日紹介したお宅の子どもさんの運動会は来週とのことです。天気もOK。子どもたちの張り切る様子が目に浮かびます。よかった よかった。(*^_^*)
2006年9月30日(土)
法事 燕市大野     法事 燕市砂子塚
 近所の道路にやたら車が多いかと思ったら、「あおい保育園」で運動会でした。2年続けて雨のために屋内運動会になっていたということですねので、子どもたちとご家族は晴天の運動会を満喫されたことと思います。
 今日伺ったお宅では久しぶりに若いご主人が家におられました。仕事の関係で、新築されたばかりの家に母親、奥さん、保育園の二人子どもさんを残して山陰に単身赴任。 一年半の仕事を終え、一昨日に帰ったばかりとのことでした。一時も父親から離れたくない様子の子どもたちから「いつ帰るの。幾つ泊まっていけるの。」と言われたと苦笑されていました。 でも、一ヶ月後には東北にまた単身赴任。   「子どもさんの運動会へは・・・・」とは聞けずに帰ってきました。
 腕組みしている若いパパさん。脇見している場合じゃないですよ。
2006年9月29日(金)
 明日は法要で忙しい週末。しかも、衣替えを控えた月末。そこで、夏の間外していた茶の間の障子戸を、少し早く入れることにしました。これが、場所を確認したり、入りにくかったりして、けっこう面倒くさいのです。┗(-_-;)┛
 ところが、今まで気づかなかったのですが障子戸の「假(仮)堂中之間内」という文字を見つけました。

 明治41年11月の火事で本堂・庫裡(くり 住居部分)が全焼したため、年末の報恩講(親鸞聖人法要)を勤めるために、急きょ解体してあった古家を買ってきてその年の内に建て仮本堂としたのが現在の庫裡です。
 その時に障子戸を新しく作ったとしてもおよそ100年。取り外しだけでも200回。よくもまぁ、傷だらけになって頑張ってくれたものです。 面倒くさいと思ったことを後悔してます。 長い間ありがとう。 疲れたでしょうけど、もうちょっと頑張ってくださいね。m(_ _)m
2006年9月28日(木)
 近郷では見かけなくなったはざ木。新潟市(岩室)夏井にあるはざ木で原風景が残されています。稲のかけてある時期は、いつ行ってもカメラを持った人がウロウロしているほど有名なところ。(私もその1人ですけど(^^ゞ)。
 そこには「家元 談志の田んぼ」という、地元の人が毎年、落語家の立川談志さんを招いて、田植え稲刈りをしている田んぼがあります。 写真の様に、稲刈り・はざがけが終わり「収穫祭」は無事に終わったようです。
 作業の合間には軽妙な毒舌を聞けるということで、楽しい「収穫祭」なんだそうです。新聞には毎年、談志さんの言葉が載せられています。その言葉ををそのまま記させていただきます。(新潟日報さんごめんなさいm(_ _)m )
 「大地をいとおしく思って、耳を近づけたけど聞こえなかったね。今は米なんかビニールの中で作られていると思ってる、昔は実りの秋というと、うれしさはいかほどのものだったんだろう。」
2006年9月27日(水)
 寺の梵鍾を突くのは春の彼岸から秋の彼岸まで。梵鍾を突かなくなってから4日経ちました。・・・が、中島の人からは「鐘の音がしない」いう声を聞きません。
 秋彼岸を過ぎると梵鍾を突かないのは毎年のことなので、あえておっしゃらないのか?。 それとも彼岸を過ぎて梵鍾を突かなくなったことに気づいておられないのか?。 それとも、元々、朝に梵鍾を突いていたことを知らないのか?。 どうでもいいことなのですが少し気になってます。
 昔は寺の梵鍾は時計代わり。田植えの時期は、近所の人に負けまいとして段々と田んぼに入る時間が早くなったので、寺の鐘が鳴ったら田んぼに入って田植えをしてもOKという村の申し合わせがあったのだそうです。
 でも、本来、梵鍾を突くのは「お朝事が始まりま〜す」という合図なんですけどね。(^_^; 
2006年9月26日(火)
 ご近所で住宅改築の為に古い住宅部分の解体作業が行われています。一昔前はパワーシャベルで一気に壊していたのですが、最近では建材処理の関係で少しずつ、少しずつの解体になっています。
 住み慣れた家がじわじわと解体される様子は「とっても見ていられない」と施工主の奥さん。早期の改築を望んでおられたのですが、新しい家ができるという楽しみと家の取り壊しの寂しさで複雑な心境のようでした。 

 ところで、という漢字の成り立ちは「豚に屋根をかぶせる」「なんで!」と意外に思われるかも知れませんが、それだけ家畜は大切だったということの様です。
 ちなみに類似する漢字は、「屋は、上からたれるおおい・屋根。 宅は、じっと定着する住居。 室は、いきづまりの奥べや。 宇は、大きな建物。 は、いくむねもある大きな屋敷。 という意味があるのだそうです。

 長期予報によると今季の冬は「暖冬少雪」とのことです。今日の新聞では一番のGOOD NEWSでした。
2006年9月24日(日)
御講 大川津地区
 週末の晴天で秋が終わった農家も多いようです。
 はざ掛けをしなくなった最近の農作業はコンバインで稲刈りと脱穀を一度に作業をしてしまい、ワラはコンバインで細断してします。
 昔の農家は細断しないワラを使ってを作るのが一般的な冬仕事だったのですが最近は見かけなくなりました。
 でも、使わなくなったといっても、ワラ縄は冬囲いなどには無くてはならない必需品。専門にワラ縄製造を仕事をしている方は、写真の様にわざわざ細断しないワラを残し人手を頼んで集めます。 昔は普通の仕事でも、今は特別な仕事になってしまいました。
2006年9月23日(土)
彼岸法要
 彼岸法要は日本独特の仏教行事ということですが、その起源は「日本書紀」ににまでさかのぼるのだそうです。 夕陽が真西の方向に沈む春分・秋分の日を中心に、西方浄土に往生することを願い法要が営まれるようになったのが起源とのことです。
 春分と秋分の日を中心にした一週間がお彼岸。今は交通安全週間ですが、最古の***週間は、お彼岸という仏教週間?。
 「彼岸」とは文字通り「彼(か)の岸(きし)」という意味で、覚りの世界「浄土」のことす。私達が生きている娑婆(しゃば)を「此岸(しがん)」と言います。一如平等の覚りの彼岸に思いをいたし、迷いの此岸の中にいる自分自身の有り様を見つめる週間をお彼岸というようです。
2006年9月22日(金)
回檀 分水大武地区
 「秋、終わった?」「もうちょっと」というのは農家の会話。「秋が始まった」「秋が終わった」という言葉を時々聞きます。これは農家の業界用語。ここで言う秋とは季節でなく「秋の農作業」のこと。稲刈りは直ぐに終わりますが、実際の秋の農作業は機械の整備、小屋の掃除に始まって、機械の整備、小屋の掃除で終わる長い仕事。 だから、「秋が終わったら・・・・・」と楽しい計画を立てて楽しみにしておられる方も多いかと思います。
 「秋、終わった?」「もうちょっと」収穫の秋はちょっと楽しみな忙しさです。
 白くてきれいな新米をいただきました。明日は彼岸法要ですので、早速炊いて本堂にあげさせていただきます。有り難うございました。
2006年9月21日(木)
 「秋が来てコスモスが咲きました。」 ということは言えても・・・・
 コスモスが咲いて秋が来ました。」ということはハウス栽培という例外もあるので必ずしも正しい言葉とは言えないようです。でも、咲いたコスモスを見て秋を感じる方は多いようです。
 今日伺ったお宅の庭は、秋の花でいっぱい。「庭の花 きれいですね。」と言うと「でも、今年はコスモスが咲かなかったんです。」と寂しそうに答えるおばあちゃん。 おばあちゃんにとっての秋は、庭のコスモスだったのかも知れません。
 実体のない秋という季節を感じるのは、「秋が来てコスモスが咲きました。」 でなく、本当は コスモスが咲いて秋が来ました。」 なんですね。
2006年9月20日(水)
 早稲品種に続きコシヒカリの稲刈りも進んでいます。「今年は(米の出来は)どんな?」と聞くと「悪くはないかな?」と農家のお父さん。昔から農家の作物の出来を言う時はなぜか少々控え目。 ということで、言われた10%UPということで内心は「まぁまぁかな (*^_^*) 」ということでしょうか。 もちろん農家によって出来不出来がありますが、程々の豊作でいい秋を迎えることが出来たらいいですね。(程々と書かなければならないところが辛いところ)
 コンバインの直ぐ側ではカラスが餌探しに夢中。カラスにとってもちょっとだけいい秋が来たようです。
2006年9月19日(火)
回檀 分水新町
 温度が下がったと感じた一日。昨日と比べると9度も気温が下がっても、今日は平年並みとのことです。昨日は特別としてもやっぱり秋なんですね。
 秋と言えば、境内のあちこちでいろいろなキノコは生えています。以前は「食べられるキノコかどうか?」ということが気になっていたのですが、「これ食べられるよ」と教えてもらったキノコもあったのですが、とても食べる気にはなれませんでした。 ということで、境内のキノコは秋の風物としての感心しか湧かなくなりました。境内のキノコにとっては幸か不幸か?
 明日は彼岸の入り。仏教週間の始まりです。 
2006年9月17日(日)
法事 分水学校町  法事 分水旭町
 子どもの頃は嫌いだった小豆の和菓子。特にだーい嫌いだったのが最中。あんこは甘く、皮は歯にくっつく。考えただけで後ろ頭が痛くなったものです。
 ところが、ある切っ掛けで食べられるようになったのが20年ほど前。切っ掛けは実に明快「腹が減っていたので美味かった」ということです。一度美味いと思うと、後は堰(せき)を切ったように食べられるようになり、今では最中、どら焼き、ようかんと甘いものは何でもどーんとOKとなってしました。
 子どもの頃に嫌いでも、大人になるとけっこう美味しく食べられるものも多いのかも知れません。「食わず嫌い」に挑戦するのも一考かと思います。・・・がトマトと酢物への挑戦は勘弁してもらいたいものです。
 写真は、昨日いただいた和菓子。今流行の小ぶりの大きさ。美味しかったのですが、個人的にはもう一回り大きくてもいいかと思うのですが・・・。(*^^*)
2006年9月16日(土)
法事 燕市五千石
 サルスベリは思いっきり長く咲きます。尋ねると、この木は7月〜9月まで咲くということで、百日紅(ヒャクジツコウ)という別称通りです。 サルスベリは、成長は遅いのですが、一年の三分の一は花が咲き続けるということで、人気の樹木です。
 人間にとって、一年の三分の一は仕事か勉強。そして三分の一は睡眠。  残りの三分の一は何に使っていますか? その三分の一がきっと大切なのでしょうね。
2006年9月15日(金)
 畑のキュウリを鈴虫がかじるので困ると農家のお父さん。詳しく聞くと緑色の鈴虫とのこと。緑色の鈴虫は聞いたことがないので、きっと別の虫だと思うので、早速鈴虫の名誉?のために説明・・・「真っ黒で2〜3センチ・・・それから・・・(;^_^A」 口だけでは鈴虫もコオロギもゴキブリも同じ様な説明になってしまいます。 言葉だけの説明は難しいですね。
 鈴虫はキュウリが大好物。でも、鈴虫にも動物性タンパク質が必要です。昔は煮干しなどを与えていましたが、今では鈴虫用の動物性タンパク質が入った餌が売ってとても便利になりました。最近はその動物の種類ごとに餌が売っていて、食べる動物が喜ぶというより、人間にとって都合がいいようになっているようです。
 我が家の鈴虫も食欲の秋。最近の食欲にはビックリします。 餌が残り少なくなって来たのでホームセンターに買いに行くと、御門徒さんのご夫婦にばったり。私が買ったものは鈴虫の餌。御門徒さんが買われたのは畑用の殺虫剤。 何でも置いてあるホームセンターは人間の都合まで置いてあるようです。 
2006年9月14日(木)
初七日 燕市中央通り5
 報道による来春卒業予定高校生の求人倍率が全国平均で9年ぶりに1倍を超したそうです。といっても全国平均ということで青森県では0.17倍(本県は1.04倍)で地域格差が顕著に現れている様です。
 ウィリアム・S・クラーク博士が残された北海道開拓の精神を伝えるあまりにも有名な言葉
 Boys be ambitious! - 少年よ大志を抱け! -
 誰もが知っているのに使われなくなった言葉。言葉が風化した訳でなく、使いにくいなっただけ。お説教好きのおじさん達は本当は若い人たちに思いっきり言いたいのです。
 Boys be ambitious! - 少年よ大志を抱け! -


 急に寒くなってきました。このまま晩秋へ突入か?・・・・という訳にいかないのが農家。そろそろ週末の天気周りが気になっていることと思います。そして、田んぼでじっと待機しているコンバインも、早く仕事をしたいとジリジリしてるようです。
2006年9月13日(水)
回檀 燕市 分水旭町地区
 分水町が燕市になったのが3月20日。やがて半年になろうとしていますが未だに燕市の住人という感じがしません。住んでいる私がこんな風ですから、他市町での法話の時に、大蓮寺の場所を説明するのには「燕市中島・・元の分水町で・・・国上山の近くですf(^_^)」 そんなことで、どんな話をするつもりだったのか忘れてしまいそうです。
 まだ新住所に慣れていない間にということではないのですが、新住所記念?に旧地蔵堂の地区分けを変更することになりました。旧地蔵堂でも、御多分に洩れずドーナツ化現象が進んでいますので、従来の本町・諏訪町・新町・旭町・大武の五地区に桜町・学校町・文京町を加え八地区になりますのでご了承下さい。m(_ _)m
2006年9月12日(火)
回檀 燕市 分水本町地区
 昨日はお泊まりの教区総会(懇親会有り)。こういう時でないと寝坊が出来ないので固い決意を持って寝たのですが、目が覚めたらいつもと同じ時間。でも、それからひと眠りできるのが外泊のいいところ。・・・・なのですが、今日の法務の予定が気になって結局は段取り不足で眠れませんでした。(^^ゞ
 段取りだけではうまくいかないのが農業。晴れの日は稲刈り、雨の日は作業所という段取りが出来ればいいのですが、そんな訳にはいきません。天候(タイミング)と段取りがぴったりいかないことは、私たちの人生の様なものです。
2006年9月10日(日)
上法事 燕市吉田     葬儀 燕市中央通
 今日も猛暑でした。大汗を拭き拭き稲刈りが進んでいます。田植えの場合は人手が必要なので一家総出、そして雨の日でもOK。稲刈りの場合は1人でも出来ますが雨の日はNGですが、稲が濡れていなければ夜でも稲刈りができるそうです。 共通しているのは、タイミングが大切ということ。田植え、稲刈りのタイミングを逃すと手間がかかるのだそうです。
 今日は農家のおばあちゃんの葬儀でした。昨晩のお通夜には、400人ほどのお参りがあったようです。400人が400種類の予定を変更してご都合を付けてのお参りだったことと思います。 私たちは無意識に自分の予定・都合を最優先にして生活しています。でも、その私たちの予定・都合を許さないのがお通夜、葬儀。 そして、私たちの生死もまた、本人の予定・都合は許しません。
2006年9月9日(土)
上法事 東京赤羽在住
 残暑というよりも猛暑の一日でした。猛暑といっても、稲刈りが始まっている農家にとっては晴れた日は大助かり。近所では4月30日に日記で紹介した田んぼの稲刈りが行われていました。刈り取り役はご長男の田んぼ一年生。もちろん、指導役のご主人も一緒でした。 こうやって、昔から稲作は親から子へと次々に伝承されて来ましたが、「田んぼはオレ一代で最後だな。」と言われる農家も多くなりました。稲作の伝承とは米を作る技術だけでないような気がします。 「何を子どもたちに伝えるのか」ということを明らかにすることが、先を歩んだ者の責任の一つだと思います。
2006年9月8日(金)
聞法会 大蓮寺
 朝晩涼しくなったばかりなのに、2007年度法語カレンダー(真宗教団連合版)の見本と購入申し込み用紙がご本山から届きました。正月が飛び込んできたようで違和感がありましたが、11月の配布を考えると二ヶ月足らず・・・・。そんな時期なんですね。
 聞法会は法語カレンダーの今月の言葉で花井性寛先生よりお話をしていただいています。会員は随時募集していますので、大蓮寺へお問い合わせ下さい。 尚、次回は10月4日です。
2006年9月7日(木)
高志会(勉強会) 新潟市小針 瑞林寺様
 夜は小針で勉強会でした。少し前まではあっという間に着いた小針も段々と遠く感じるようになりました。年のせいかな?
 写真はご存じ「かっぱえびせん」昨日、塩釜からから松島へ向かう遊覧船の中で買ったものです。小袋でしたので二袋で100円。一袋は皆さんのお裾分け用。早速開いて食べ始めたら・・・「これって、カモメの餌?」というSさんの声。(-_-;)半信半疑で甲板に出て、カモメに袋を見せるも寄ってくる様子なし。「やめられない とまらない」・・・持っているとついつい手が出てしまうものです。そこへ、土産物を売りに来たお姉さん云わく「自分で食べてらっしゃるンですね」 
 やっぱり、カモメの餌用に販売していたのでした。20代・30代であれば赤面(*^^*)するところですが、50代ともなると平気な顔で「やっぱり(^_^;  でも美味しいよ (^〇^)」  年をとるといいこともあるようです。
2006年9月6日(水)
新潟教区4組研修研修旅行
 昨日、今日と新潟教区4組の会議を兼ねた研修旅行に行ってきました。目的地は宮城県。有意義な会議、研修を終えてきました。特に懇親会では力が入りすぎて、アルコールと食べた量が多くて胃がギブアップ状態。体重も含め元に戻るには一週間はかかりそう。(^^ゞ
 「旅行が終わるまで」と約一ヶ月間、法務の手伝いをしてくれた当院(長男)は入れ違いにさっき京都の大学に帰って行きました。ありがとう。 大いに助かったのですが、当てにしていた分だけ、しばらくは1人住職の法務がきつく感じることと思います。
 写真は松島の瑞巌寺は伊達政宗の所縁のお寺。
2006年9月4日(月)
初七日法要 新潟市内野
 早稲米の稲刈りが始まりました。ピークは今週末とのことです。最近の稲作は週末・早朝・夕方農業です。例外的に平日に田んぼで仕事をされておられるのは、専業農家か(サラリーマン)退職農家。今週末は一気ににぎやかな田んぼになることと思います。
 最近の稲作農家の悩みは「収穫される米が、多くても少なくても困る」ということです。収穫量によっても変わる行政に困惑している様子です。「これから先の農業はどうなるのか?」先が見えない稲作農業は当分続きそうです。
 人は足元が真っ暗でも、一歩先が明るければ一歩進むことが出来ます。真っ暗闇の遥か彼方に薄明かりがあれば歩き出すことが出来ます。 足元だけを明るくすることに一生懸命になっていては先に進めません。
2006年9月3日(日)
初七日 分水旭町     回檀 鰐口、竹森、小豆曽根

 日中の日差しは暑くても、空は段々と秋空になっています。秋の青空は透明感があり、雲はどこかゆったり。 気持ちのいい季節になってきました。
 9月から11月は回檀のシーズン。今日は寺泊の一部地域を回らせていただきました。秋空に恵まれた回檀ということで、どこかのんびりムードでしたので、予定時間を過ぎての帰宅になってしまいました。帰宅後の予定を変更せざる終えませんでしたが、ゆっくりと回檀先でお話をすることが出来ました。普段の法務もこのくらいゆったりと出来たらいいのですが・・・・。
「たまにはお茶を」と言って下さる方も多いのですが・・・。申し訳ありません。

2006年9月2日(土)
中陰法要 燕市大曲
 写真は寺泊野積海岸。中陰法要のお斎が新潟市間瀬でしたので帰りはシーサイドラインを通って帰りました。さすがに9月ということで、海水浴の人はいませんでしたが、夏の終わりに向け、最後のウインドサーフィンを楽しんでおられる方が多くいました。・・・・・・と思ったら、海水浴客がいなくなるこれからのシーズンが旬なのだそうです。 なーるほど (*^_^*)
 「海のスポーツは夏」とは限らないのは当然です。でも、どこか決めてかかっている思い込みがあります。同様に周りの人への思い込みは偏見につながることもあるようです。 まっさらな気持ちでいつもの人と出遭うことを「一期一会」という様です。
2006年9月1日(金)
葬儀 新潟市内野    教区企画部会議
 今日から9月。朝晩めっきり涼しくなりました。お陰でこの部屋もだいぶ居心地が良くなり、熱いコーヒーを楽しみながら日記を書けるようになりました。といっても日記の中身が急に変わる訳ではありませんのであしからずm(_ _)m
 防災の日を翌日にする昨日。 東京都中野区の一部ででは「大地震が起きる恐れがあり」との防災無線誤放送が流れ住民は騒然となったとのことで、誤報直後には区役所などに「避難場所を教えて欲しい」などの電話が集中したのだそうです。
 日本人の地震などに関する危機管理は、必ずやって来る死への危機管理同様に・・・・・・・(;^_^A
 写真は中島地区の避難場所に指定されている北小学校。野球のナイターで明るくなっているグランドですが、もしも、夜半の地震でしかも電力の供給が止まったら、指定避難場所にはたどり着きそうもありません。